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寺島紫明

出典: フリ?百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

寺島 紫明 (てらじま しめい [1] 1892年 明治 25年〉 11月8日 ? 1975年 昭和 50年〉 1月12日 )とは、 明治時代 から 昭和時代 にかけての 日本?家

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鏑木?方 の門人。名は?重、 兵庫? 明石郡 明石町 樽屋町にて生れる。父は綿布問屋?屋の?主寺島?松、母は「とし」。上に二人の姉がいる三人兄弟の末っ子であった [2] 。幼少時は病弱で 尋常小?校 に通う頃から健康になったが、?時の男の子に似合わぬおとなしい?性で、姉たちとままごとなどしたりするのを母としは案じた。やがて?重は九つになると?書に熱中するとともに、目に付くものをスケッチするようになり、十一になると『 源氏物語 』を原文で?破する。しかしこの?重の?子に、親や姉また親類の者は??を心配するばかりであったという。

1908年(明治41年)3月、?重は 高等小?校 を卒業すると、大阪の木綿?問屋丹波屋に商?を見習うため明石から通うようになった。丹波屋の主は父方の伯父に?たり、?重の姉文江が養女として入っていた家である。しかし?重が大阪へ通うようになったのは家から外に出る口?で、地元明石の「潮?」という集まりに入って文?や??について論じあうのに熱心であった。また短歌をたしなみ 若山牧水 の門下となっている。?重十七?の時、父?松が死去し?屋は?重のもう一人の姉つたが?を取って?ぐことになった。?重は自由?ままに暮らし、明治44年には寺島玉簾の名で?誌『創作』に短歌を?表している。

二十?になると潮?の一人であった?家柳田健吉を?って東京に行き、 駒? に下宿する。そこの下宿人にはほとんど??生が占め、その影響もあって?重も東京の景物をスケッチすることに身を入れるようになるが、柳田は ?州 の新聞社に就職が決まり旅立つことになった。そのとき柳田は?重に、然るべき?家に入門して正式に?を習うよう諭す。柳田は?家長野草風に?重のことを託し、その草風の口利きで?重は鏑木?方の門下となることができた。?重二十一?の時のことである。

?方に入門して一年、?重は 巽?? に「柚子湯」と「菖蒲湯」の?幅を出品し三等賞を受賞する。さらに一年後、?方の門人展である第1回 ?土? 展に「夕立」と「夕月」を出品。?方はこの「夕月」の出?について大いに?に入っていたという。昭和になると 帝展 文展 に出品するようになり??の制作を?けたが、1936年(昭和11年)東京から離れることを決め、 西宮市 甲東園 にあった姉つたの持ち家に移り住んだ。1941年(昭和16年)の第4回 新文展 では「寸?」が第一部特選となる [3] 。1943年(昭和18年)から三年ほど?を描くことを止め、1945年(昭和20年)春には ?用 により 川西航空機 の仁川工場で?く。

?後は 日展 に二十六年間にわたって?を出品した。1971年(昭和46年)、?四等旭日小綬章を受?するが、同年5月?劇中に倒れる。その後再起して展??に?を出品することもあったが、1974年(昭和49年)秋に危篤?態となり、翌年?出血により死去。享年83。墓所は 明石市 船上町の護?寺密?院、戒名は大?院高?紫明居士。生涯?身であった。

作品 [ 編集 ]

  • 「夕月」 絹本着色 大?株式?社所? [4]  ※1916年(大正5年)
  • 「夕映(姉弟)」 大?株式?社所? ※1919年(大正8年)
  • 「旅芸人」 絹本着色 大?株式?社所? ※1921年(大正10年)
  • 「爪」 絹本着色 大?株式?社所? ※1930年(昭和5年)
  • 「秋?衣」 絹本着色 ※1942年(昭和17年)
  • 「彼岸」 絹本着色  京都?立近代美術館 所? ※1946年(昭和21年)
  • 「甲南夫人」 絹本着色 ※1953年(昭和28年)
  • 「夕ぐれ」 紙本着色 ※1954年(昭和29年)
  • 「長い?の婦人」 ?扇  ホノルル美術館 所? ※1960年(昭和35年)頃
  • 「舞妓」 紙本着色 ※1961年(昭和36年)
  • 「舞妓」 紙本着色 ※1969年(昭和44年)

脚注 [ 編集 ]

  1. ^ 「てら ま」とも( 寺島紫明とは - コトバンク 〈2021年8月3日??〉)。 寺島紫明 :: 東文?ア?カイブデ?タベ?ス (2021年8月3日??)、 寺島 紫明とは - コトバンク (2021年8月3日??)は「てら ま」。『現代日本美人?全集第四? 寺島紫明』には「てら ま」とあり(78頁)。
  2. ^ 『現代日本美人?全集第四? 寺島紫明』(集英社、1980年)78頁。以下も??は?文?78 - 100頁に?る。
  3. ^ 『大阪?日新聞』昭和16年10月14日記事、「岡田賞に伊藤悌三ら。一?二部特選?表」。『昭和ニュ?ス事典第七? 昭和14年/昭和16年』(昭和ニュ?ス事典編纂委員???日コミュニケ?ションズ、1994年)本編705頁?照。
  4. ^ 『生誕100年記念大?コレクション 寺島紫明展 ―?いたつ情感を描く―』より。以下大?株式?社所?の作品も同じ。

?考文? [ 編集 ]

  • 『生誕100年記念大?コレクション 寺島紫明展 ―?いたつ情感を描く―』  神?新聞社 、1992年
  • ?川與志 『現代日本美人?全集第四? 寺島紫明』 集英社、1980年
  • ?際ア?ト編 『大正シック展 ―ホノルル美術館所?品より―』 ?際ア?ト、2007年