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上條信山

出典: フリ?百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上條 信山 (かみじょう しんざん、 1907年 9月20日 - 1997年 2月12日 )は、日本の ?育者 書家 信山 ? [1] 、本名は 周一 [1] 宮島詠士 に師事し、?自の書風を確立。?後、毛筆書道を?校?育で復活させる必要性を訴え、?現させた。 文化功?者

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出生から上京まで [ 編集 ]

1907年、 長野? 東筑摩郡 神林村 (現 松本市 )で [1] 農家 の三男として生まれた。小?生の頃は 野球 に熱中していたが、小?校?任の影響で にも?心が向くようになり、 秋山白? の?弟子として2年間指導を受けた。松本?育?業?校を卒業後 [2] 訓導 として小?校に勤務する一方 [2] 、師範?校の受?準備も進め、 1925年 長野師範?校 に入?した [ 要出典 ] 。師範?校3、4年の時には 信濃?日新聞 と長野?が共催する ?展 に作品を?募し、連?して最高賞を獲得した(特に、4年の時の審査は 比田井天? が行っており、審査後の講評において 信山 の?をつけられた [2] )。

1929年師範?校を卒業 [2] 。卒業後は小?校に勤務したが4年後に?職し上京 [2] 。天?と 田代秋鶴 の指導を受けながら、1935年大東文化?院(現在の 大東文化大? )本科漢文科卒業 [2] 成蹊?園 小?部訓導となり 宮島詠士 に師事 [2] 。1938年 文? に合格 [2] 。1941年大東文化?院高等科(現在の大?院修士課程)卒業 [2] 。1942年成蹊高等?校?諭 [2]

?後の書道?育の?大に奔走 [ 編集 ]

終?後、 GHQ 指導の下で ?育改革 が行われ、 1947年 ?習指導要領(試案) では書道が小?校の自由?究に位置づけられた。これを?前の必修?科からの格下げと捉えた書壇では 豊道春海 を先頭に反?の?が出、再必修化への運動が起こった。 [ 要出典 ] そうした中で上條は 1949年 文部省 に設置された ?育課程審議? 委員に任命され [2] 、必修への復活を訴えるとともに、 1950年 には『書道?元?習と評?法』を出版、書道?育の理論構築を進めた(豊道、上條らの熱心な活動の結果、書道は 1951年 の?習指導要領から?語科の一部として再必修化された)。1956年、大東文化大?講師および 東京?育大? ?任講師 [2] 、1965年東京?育大??授 [2]

このほか、高等?校?育課程審議?委員、 全日本書?書道?育?究? 理事長などを?任した [2] 。1985年からは 日本書道?育?議 の議長を務めるなど、生涯を通じて?校における書道?育振興のための活動に?力した [2]

書家としての上條 [ 編集 ]

書家としては、1951年の第7回 日展 において特選を獲得し [2] 、第1回改組日展からは審査員となった [2] 1969年 には日展?閣?理大臣賞を受賞した [2] 1978年 には「汲古」で 日本芸術院賞 を受賞 [2] [3] 。1981年 ?三等 瑞?章 を受章した [2] 。1984年からは日展?事を務め [ 要出典 ] 1996年 には松本市名?市民 [2] 文化功?者 となった [1] [2]

1997年2月12日、89?で死去 [1] 正四位 ?二等 瑞?章 が追贈された [1]

書風 [ 編集 ]

書風について、30~40?代は書風の基盤となる古典に徹しつつ師風を追い、50~60?代はそこからの?却および自分らしさを模索し、70?代以降は代表作が多?生まれた円熟期と評される [4]

上條の師である宮島詠士は ? の書家 張廉卿 から「 逆入平出 」の筆法を?んでおり、上條もその影響を受けた [ 要出典 ] 。また、上條は宮島から 張猛龍碑 九成宮醴泉銘 臨書 に?念することを命じられており [ 要出典 ] 、これらの?究を?けた結果「知性に?ちた雄勁の筆をもって、?純にして都?的な書風を確立した」と評される [ 要出典 ] 、いわゆる「信山バリ」を確立した [5]

その他 [ 編集 ]

  • 上條は師範?校の頃まで野球を?け、 投手 として活躍した。上條は クリスチャン でもあったことから、投球は「信州の十字架球」と呼ばれた。 [ 要出典 ]
  • 松本市美術館 では、生涯にわたる作品を展示する「上條信山記念展示室」がある [6] 。また 2006年 には「書 ?心やまず上?信山 生誕百年記念展」が行われた。

著作 [ 編集 ]

著書 [ 編集 ]

  • 『書道?元?習と評?法』世界社、1951年(上?周一名)
  • 『現代の書?育』木耳社、1963年
  • 『現代書道全書』???書、1970-71年(全5?)
  • 『書道技法講座 16 楷書 北魏 張猛龍碑』 二玄社 、1971年
  • 『入門書道』???書、1972年(全3?)(共著)
  • 『上條信山書法』???書<現代日本書法集成>、1977年
  • 『現代臨書大系』???書、1983-85年(全10?)
  • 『現代書法創作大系』???書、1986-87年(全5?)
  • 『書法基本帖 硬筆編』木耳社、1994年
  • 『書法基本帖 楷書編』木耳社、1994年
  • 『書法基本帖 行草編』木耳社、1994年
  • 『書法基本帖 かな編』木耳社、1994年
  • 『書法基本帖 篆隷編』木耳社、1994年
  • 『硯上の塵 信山自?』同朋?出版、1995年
  • 『ふだんづかいの書 楷書?行書?かな 書道基礎講座』展望社、1998年(田中節山との共著)

論文 [ 編集 ]

  • 「書道の評?はどうするか」???語?究所『???語』4?、?波出版社、1950年、21-37頁(上?周一名)
  • 「?習指導要領芸能科書道編と今後の書道?育の動向」文部省中?校課?高等?校課『中等?育資料』1?2?、 明治?書出版 、1952年、4-5頁
  • 「書道?育における??の問題点1」???語?究所『???語』14?153?、?波出版社、1953年、3809-3813頁(上?周一名)
  • 「書道?育における??の問題点2」???語?究所『???語』14?155?、?波出版社、1953年、4021-4024頁
  • 「書芸術の思想的根?における一考察」『東京?育大??育?部紀要』11?別冊、1965年(ペ?ジ?不明)(上?周一名)
  • 「毛筆?習のめざすもの―毛筆習字?育の問題点―」 筑摩書房 『言語生活』195?、1967年、29-31頁(上?周一名)

作品集 [ 編集 ]

  • 『上條信山作品選2002』 松本市美術館 、2002年
  • 『上條信山臨書集』書象?、2005年(全4?+特別篇)
  • 『書 ?心やまず上條信山 生誕百年記念展』松本市美術館、2006年

脚注 [ 編集 ]

  1. ^ a b c d e f 謙?書道? - 七賢人(上條 信山) ”. www.kensinn.org . 謙?書道?. 2022年4月24日 ??。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 上條信山先生 年譜 ”. www.shoshou.com . 書象?. 2022年4月24日 ??。
  3. ^ 『朝日新聞』1978年3月10日( 東京本社 ?行)朝刊、22頁。
  4. ^ 上條信山記念展示室 上條信山70~80?代の書 ”. 松本市美術館 (2017年1月10日). 2022年4月24日 ??。
  5. ^ 上條信山と張猛龍碑から?ぶこと|書道コラム ”. www.shodo.org.tohoku.ac.jp . 東北大??友?書道部. 2022年4月24日 ??。
  6. ^ 上條信山記念展示室??と晩秋の安曇野を巡る?高?泉一泊の旅 ”. 書象? . 書象?. 2022年4月24日 ??。

?考文? [ 編集 ]

  • 上條信山『硯上の塵 信山自?』展望社、2002年(同朋?出版、1995年の?補版)

?連項目 [ 編集 ]

外部リンク [ 編集 ]