カウナス

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カウナス
Kaunas
上段: カウナス城、2段目左: ペルクーナスの家、同右: カウナス旧市庁舎、3段目: カウナスの沼、下段左: ヴィータウタス大公戦争博物館、同右: 聖ミコラス大天使教会
上段: カウナス城 、2段目左: ペルク?ナスの家 、同右: カウナス?市?? 、3段目: カウナスの沼、下段左: ヴィ?タウタス大公??博物館 、同右: 聖ミコラス大天使??
カウナスの市旗 カウナスの市章
市旗 市章
位置
カウナスの位置(リトアニア共和国)の位置図
カウナスの位置( リトアニア共和?
座標  : 北緯54度53分48秒 東?23度53分32秒  /  北緯54.89667度 東?23.89222度  / 54.89667; 23.89222
?史
文?に登場 1361年
市に制定 1408年
行政
?   リトアニア
 地方 アウクシュタイティヤ
 郡 カウナス郡
 自治? カウナス都市自治?
 市 カウナス
地理
面積  
  市域 157 km 2 (60.6 mi 2 )
人口
人口 2009年 現在)
  市域 352,279人
  都市? 677,270人
その他
等時? EET ( UTC+2 )
夏時間 EEST ( UTC+3 )
公式ウェブサイト  : http://www.kaunas.lt/
カウナス?市??

カウナス リトアニア語 ? 英語 など : Kaunas.ogg  Kaunas [ ヘルプ / ファイル ] , ラトビア語 : Kau?a , ポ?ランド語 : Kowno , ドイツ語 : Kauen , ロシア語 : Каунас / Ковно [1] )は、 リトアニア 第2の 都市 で、 ソビエト連邦 ?合以前のリトアニアの 首都 (臨時)。 人口 は約355,550人( 2008年 )。リトアニアのほぼ中央に位置し、 ネムナス川 ニャリス川 の合流点にある市の中心部は?史的な町?で有名。 ワルシャワ から リガ ? タリン を通って ヘルシンキ に到る高速道路「 Via Baltica 」( en )の沿線にある。

?史 [ 編集 ]

カウナスの?史は少なくとも 10世紀 まで遡ることができ、現存する文書で最初に登場するのは 1361年 のことであった。 13世紀 には ドイツ騎士? の攻?から街を守る?に城壁が造られたという。 1408年 マクデブルク法 による特許を得て以後、重要な川港を擁する交易の中心地として?展を始める。 1441年 、ハンザ同盟の都市となり、同盟の商業事務所が置かれた。 16世紀 、リトアニア大公?の元で街は大きく?展した。 17世紀 から 18世紀 に掛けて、 ロシア スウェ?デン ナポレオン 軍などの侵攻を受け、また疫病の流行などもあって街は荒?した。 1862年 、ロシアと ドイツ を結ぶ?道が開通すると、カウナスは重要な中?地点となり、 1892年 には最初の?電所が稼?を始めた。 1919年 、それまで首都であった ヴィリニュス がロシアに占領されると、リトアニア政府はこの街に移?して?た。そして翌 1920年 、ヴィリニュスが ポ?ランド に?合されると、カウナスは臨時に首都となった(ただし憲法上はあくまでヴィリニュスが首都とされた)。

それから 第二次世界大? までの間、カウナスはリトアニア最大の都市として、工業的にも?展した。大?が始るとリトアニアを含む バルト三? はポ?ランド東部と共に ソ連 に占領されたが、間もなくドイツ軍が侵攻し街は破?された。?後はソ連の一部となり、再び工業が盛んになった。リトアニアの工業生産の四分の一を?うまでになり、 1966年 には トロリ?バス が開通した。

1991年 、ソ連の崩?に先立ってリトアニアが?立すると、カウナスもその一部となり現在に至っている。

人口の?遷 [ 編集 ]

  • 1723年 28,000
  • 1796年 8,500
  • 1813年 3,000
  • 1825年 5,000
  • 1840年 8,500
  • 1860年 23,300
  • 1897年 71,000
  • 1923年 92,000
  • 1940年 154,000
  • 1959年 214,000
  • 1966年 275,000
  • 1989年 418,087
  • 2001年 378,943
  • 2004年 366,652
  • 2005年 361,274

民族の割合 [ 編集 ]

現在、市民の多くは リトアニア人 である。ただしかつて 19世紀 において、リトアニア人の割合はわずか 6.6 % にすぎなかった [2]

各年度における民族の割合は以下の通り。

2001年

  1. リトアニア人  92.9%
  2. ロシア人    4.4%
  3. ウクライナ人  0.5%
  4. ポ?ランド人  0.4%
  5. その他    1.8%

1939年

  1. リトアニア人  60%
  2. ユダヤ人    25%
  3. ポ?ランド人  10%
  4. その他    5%

1919年

  1. ポ?ランド人  42%
  2. ユダヤ人    31%
  3. リトアニア人  16%
  4. ロシア人    1.5%
  5. その他    1%

(注:ただし多くのリトアニア人は「ポ?ランド人」として扱われている)

ユダヤ人?出?点としてのカウナス [ 編集 ]

日本の領事館が閉鎖されてからカウナスを離れるまでの間、杉原千畝領事代理が?在していたメトロポリスホテル。現在もカウナス市?に現存する。(2017年)
メトロポリスホテルの外壁にあるプレ?ト。1940年の夏に?地で杉原領事代理がユダヤ人に査?を?給した功績を、リトアニア語?日本語?英語の3言語で?えている。(2017年)

ドイツ軍 侵攻に伴い隣? ポ?ランド から迫害を逃れて流入してきた大量の ユダヤ人 に?し、?時在カウナス 日本 領事館 に領事代理として赴任していた 杉原千畝 は、盟邦 ドイツ への配慮から 査? ?給を避けるよう訓令を?していた本? 外務省 の意向に反し、ユダヤ人に?して日本通過を可能とした査?及び渡航?明書を?給して ?州 からの?出を支援した。この件では最終的には?千人分にものぼる査??渡航?明書が?給されたと言われている。

?日本領事館は現在資料館になっており、 ヴィリニュス に杉原通りもある。

2015年9月に杉原を?彰する記念プレ?トが75周年の節目に合わせてカウナス?とメトロポリスホテルに設置された [3]

世界遺産 [ 編集 ]

世界遺産 モダニズム建築都市
カウナス:?天主義の建築 1919年-1939年
リトアニア
英名 Modernist Kaunas: Architecture of Optimism, 1919-1939
?名 Kaunas, ville moderniste : une architecture de l’optimisme, 1919-1939
面積 451.6 ha
(緩衝地? 407.4 ha)
登??分 文化遺産
登?基準 (4)
登?年 2023年
第45回世界遺産委員?
公式サイト 世界遺産センタ? (英語)
使用方法 ? 表示

カウナスは 第一次世界大? 第二次世界大? ?間期 にリトアニアの 臨時首都 となり、地方の町から 現代都市 への?容の過程において急速な 都市化 が?生したため、都市の レイアウト および市?の建物には モダニズム の面影が見られる。2023年に ?際連合?育科?文化機? (UNESCO) の 世界遺産 リストに登?された [4]

登?基準 [ 編集 ]

この世界遺産は 世界遺産登?基準 のうち、以下の?件を?たし、登?された(以下の基準は 世界遺産センタ? 公表の 登?基準 からの??、引用である)。

  • (4) 人類の?史上重要な時代を例?する建築?式、建築物群、技術の集積または景?の優れた例。

姉妹都市 [ 編集 ]

主な出身者 [ 編集 ]

脚注 [ 編集 ]

  1. ^ 帝政ロシアでは Ковно と表記されていたが、ソ連に?合された リトアニアSSR では Каунас と表記した。
  2. ^ 志摩園子『バルト三?の?史 エストニア?ラトヴィア?リトアニア』中公新書。2004年。p.124。
  3. ^ ??新聞 2015年9月5日 32面?載。
  4. ^ Modernist Kaunas: Architecture of Optimism, 1919-1939 ” (英語). UNESCO World Heritage Centre . 2023年12月19日 ??。

?連項目 [ 編集 ]

  • 杉原千畝 - 第二次世界大?中の在カウナス領事代理時代に日本通過ビザを?給してユダヤ難民を救った。

外部リンク [ 編集 ]