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吉本 隆明
(よしもと たかあき、
1924年
〈
大正
13年〉
11月25日
-
2012年
〈
平成
24年〉
3月16日
)は、
日本
の
詩人
[1]
、
評論家
。「隆明」を音?みして「りゅうめい」と?まれることも多い。
漫?家
の
ハルノ宵子
は長女。作家の
吉本ばなな
は次女。
米?高等工業?校(現在の
山形大?
工?部)卒業。
東京工業大?
電?化?科卒業。?位は
?士
。
第二次世界大?後、詩人として出?し、詩集『固有時との?話』(1952年)などを?表。次いで『文?者の??責任』(1956年)、『?向論』(1958年)などで評論家の地位を確立した。東京下町の生活と文化を思想の下地にして、多方面の時代の問題について積極的に批評を展開。『高村光太?』(1957年)、『共同幻想論』(1968年)、『ハイ?イメ?ジ論』(1989年)など多?の著書があり、長きにわたって日本の論壇をリ?ドした。
生涯
[
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]
1920年代 - 1940年代
[
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]
東京市
月島
生まれ。兄2人姉1人妹1人弟1人の6人兄弟。?家は
熊本?
天草市
から?居してきた
船大工
で、貸しボ?トのような小さな船から、一番大きいのは
台?
航路で運送の航海をするような船
[2]
を作っていた。
1937年(12?)
東京府立化?工業?校
入?。1942年(17?)
米?高等工業?校
(現
山形大?
工?部)入?。1943年から
宮?賢治
、
高村光太?
、
小林秀雄
、
?光利一
、
保田?重?
、?典等の影響下に本格的な詩作をはじめる。なお吉本は、
第二次世界大?
=「
?力?
」のもと、最大の動員?象とされ、もっとも死傷者が多く、幼少期は皇??育が激化し、中等?高等?育をまともにうける機?をもてなかったいわゆる「?中派」の世代である
[注? 2]
。
向島
での勤?奉仕の後
[注? 3]
、1945年
東京工業大?
に進?。在?中に??者
遠山啓
と出?っている。敗?直後、
遠山啓
?授が自主講座を開講。「
量子論
の??的基礎」を?講し、決定的な衝?を受けたという。今までに出?った特筆すべき「優れた?育者」として、私塾の今氏乙治と
遠山啓
の二人を?げている。1947年9月に
東京工業大?
電?化?科卒業。
1949年、25?のとき「
ラムボオ
若しくは
カ?ル?マルクス
の方法についての諸註」
[3]
を『詩文化』
[注? 4]
に?表。そこでは、「意識は意識的存在以外の何ものでもないといふ
マルクス
の措定は存在は意識がなければ意識的存在であり得ないといふ逆措定を含む」「斯かる芸術の本?的意味は、マルクスのいわゆる
唯物史?
なるものの本質的原理と激突する。この激突の意味の解析のうちに、僕はあらゆる詩的思想と非詩的思想との一般的逆立の形式を明らかにしたいのだ」と述べている。
1950年代
[
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]
大?卒業後2、3の町工場へ勤めたが、
??組合
運動で職場を追われ、1949年、東京工業大?大?院特別?究生の試?に合格し、給?を受けながら東京工業大?無機化??室に?り
?村耕雄
助?授に就く。1951年、特別?究生前期を終了後、?時インク?社として最大手の
東洋インキ製造
株式?社?砥工場に就職した。
1952年8月、詩集『固有時との?話』を自家版として?行。翌1953年9月、詩集『?位のための十篇』を自家版として?行。『?位-』の第六篇「ちいさな群への??」の一節「ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる」はよく知られる。この詩集は吉本自身が左翼的な詩と解?するが左翼からは評?が得られず、「
荒地
」から評?が得られ、吉本は54年から55年頃、荒地に接近するようになった
[4]
。
1954年2月、「荒地新人賞」を受賞
[注? 5]
し、また、同人として、
鮎川信夫
らが主宰する「
荒地詩集
」に?加する。同年6月、『現代評論』
[注? 6]
創刊?と12月?行の第2?に「反逆の倫理――マチウ書試論」(改題「マチウ書試論」)を?表。「?係の絶?性」という後に有名になる言葉を ここで初めて使う。
1956年、初代
全?連
委員長の
武井昭夫
[注? 7]
と共同で著した『文?者の??責任』
[注? 8]
で、?時中の
壺井繁治
?岡本潤らの行動を批判し、そしてそのことにより、同時に
新日本文??
における?前の
プロレタリア文?
運動に?加した人物の1950年代?時の行動の是非を?しく問うた
[注? 9]
。また吉本は、同年には東洋インキ製造株式?社を??組合運動により退職した
[注? 10]
。
1958年
には、?前の
共産主義
者たちの
?向
を論じた『?向論』を『現代批評』創刊?に?表
[注? 11]
。共産主義者や日本の知識人(インテリゲンチャ)たちの典型には、①「高度な近代的要素」と「封建的な要素」が、矛盾したまま複?に抱合した日本の社?が、「知識」を身に付けるにつけ理に合わぬつまらないものに見えてきて一度離れるが、ある時離れたはずのその日本社?に妥?性を見出し、無?に屈伏する(「二段階?向論」) ②マルクス主義の?系などにより、はじめから現?社?を必要としない思想でオ?トマチズムにモデリングする(「非?向」=「?向の一形態」)の二つあると論じた。そして
宮本?治
を指導部とする日本共産?は、この?の「非?向」に?たり、その論理は原則的サイクルを空?させ、「日本の封建的劣性との?決を回避」していると、批判した
[5]
。
1959年、「マチウ書試論」「?向論」等を載せた『芸術的抵抗と挫折』(未來社刊)を刊行した。
1960年代 - 1970年代
[
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]
短歌?究社『短歌?究』8月?(1960)より
1956年から1960年にかけて、
花田?輝
とのあいだで激しい論?が展開された。文?者の??責任論に端を?し、政治と芸術運動をめぐってなされたその?酬は、最後には吉本の勝利を?く印象づけるような、花田の撤退とともに終結した。
磯田光一
は『吉本隆明論』(1971.審美社刊)で「私自身にとって、この論?が?後文?史上もっとも重要な論?のひとつであったという確信は少しも?るがない。そこでは「責任」「?向」「政治」「思想」というような最も根本的な?念が、2つの個性の激突を通じて、いやおうなしに問い直される光景」と論じている
[6]
。
1960年1月、「?後世代の政治思想」を『中央公論』に?表。また同誌4月?では
共産主義者同盟
全?連書記長
島成?
らと座談?を行うなど、吉本は
60年安保
を、先?に牽引した全?連主流派
[注? 12]
に積極的に同伴することで通過した。吉本は、6月行動委員?を組織、6月3日夜から翌日にかけて品川?構?の6?4スト支援すわりこみに?加、また、無?の人?が?加した安保反?のデモのなか、6月15日??構?抗議集?で演?。??に出た警官との軋轢で死者まで出た流血事件の中で100人余と共に「建造物侵入現行犯」で逮捕された
[7]
[注? 13]
。18日?放。逮捕、取調べの直後に、近代文?賞を受賞する。
60年安保直後に、その?括をめぐって全?連主流派が混??態に?った
[注? 14]
以降は、「自立の思想」を標榜して?誌「
試行
」を創刊(61年9月)。この『試行』において吉本は、?成のメディア?ジャ?ナリズムによらず、ライフワ?クと目される『言語にとって美とは何か』、『心的現象論』を執筆?連載した。「試行」創刊?の吉本筆の編集後記では「試行はここに、いかなる?成の秩序、文化運動からも自立したところで創刊される。(中略)同人はもちろん、寄稿者も、自己にとってもっとも本質的な、もっとも力をこめた作品を?けるという作業をつづけながら、??に結晶するという方策のほかに出?点をもとめないしもとめることにあまり意味を認めない。」とその理念が述べられている
[注? 15]
。
1962年
に?田?一が
第6回?議院議員通常選?
全??
に出馬するも落選した。得票?は2万余りに過ぎず?敗であった。吉本は6月に、「???祖を仰ぐ狂信的宗???マル?同の暴?を許すな」という共同?明を
?水幾太?
、
香山健一
、
森田?
など?10名とともに提出した。
?行部?500部、60年安保時の
ブント
書記長であった
島成?
[注? 16]
がスポンサ?を見つけ
[注? 17]
始まった『試行』は、最初
谷川雁
、
村上一?
、吉本隆明三同人により編集
[注? 18]
、11?以降吉本の??編集で1997年12月19日付?行の74?終刊まで、紆余曲折を伴いつつ、36年間??された
[注? 19]
。70年後半のピ?ク時には8000部を超えるまで部?を伸張させた
[9]
。
1962年
に、
松田政男
、
山口健二
、
川仁宏
ら「自立?校」を企?し、
谷川雁
、
埴谷雄高
、
?田?一
らとともに講師をつとめた。
吉本が主張した「自立の思想」 ―何より?家からの自立を意味する、したがって?家論である「
共同幻想論
」が構想される― は、「パン」の問題を?蔽して、あたかも革命的?進?的であるかのように振舞ういわゆる「知識人」はいかがわしい、と?奏され、その後吉本において一貫して主張されることになる。その代表的なものに、1963年『丸山?男論(?補改稿版)』(一橋新聞部刊)がある。そこにおいては、いわゆる「知識人」のいかがわしさを端的に代表しているのが、
丸山眞男
に象?される大??員に他ならない、とされ、丸山からの「
ルサンチマン
」との?答を含む激しい論?が展開された。
吉本自身は1956年に東洋インキ製造株式?社を退職後、大?時代の恩師?
遠山啓
の紹介で長井?江崎特許事務所に隔日勤務し、1970年に文筆業で完全に生計を立てることを決心するまでこれを?けた。
1962年には
安保??
への?括文書である「擬制の終焉」を?表した。1965年『言語にとって美とはなにか』を勁草書房より刊行。同年には
大江健三?
と
江藤淳
による「完全責任編集」と銘打った?時の新?を各?に配したアンソロジ?「われらの文?」
[注? 20]
という?題の文?全集全22?が講談社から?行され、その最終?は「
江藤淳
?吉本隆明」であった
[注? 21]
。
1968年『吉本隆明詩集 現代詩文庫8』を
思潮社
より刊行。同年10月、初めての著作集を全集的著作集の形で刊行することになり、『吉本隆明全著作集2初期詩篇1』を第1回配本として勁草書房から刊行。著作集は1978年まで??して刊行された。また同年12月、『
共同幻想論
』を河出書房新社より刊行した。
吉本のいわゆる「理論的」書物、『言語にとって美とはなにか』(1965)『
共同幻想論
』(1968)『心的幻想論序?』(1971)『マス?イメ?ジ論』(1984)といった主著への批判は刊行直後から現在に至るまでさまざまな側面からなされている
[注? 22]
、核心的著作は「奪冠」されている、と論ずる評者もいる
。
1980年代
[
編集
]
1980年代に入ると?時の豊かな消費社?の?生と連動し、テレビや漫??アニメなどを論じた『マス?イメ?ジ論』や、主に都市論の『ハイ?イメ?ジ論I~III』を?表。
サブカルチャ?
を評?し、
忌野?志?
?
坂本龍一
?
ビ?トたけし
らを評?した。また、『共同幻想論』『言語にとって美とは何か』『心的現象論序?』など、代表著作が
角川文庫
から刊行された。「80年代消費社?」のシンボルとなった
コピ?ライタ?
?井重里
とは、?談等も行って親しくなり、その後も交流が?いた。(?井は、2008年7月19日に2千人の?衆を集めた吉本の講演?の協力者となっている
[11]
[注? 23]
。また、パンク?バンド、スタ?リンの
遠藤ミチロウ
は、吉本隆明に?い影響を受けており、彼を非常に尊敬している。
このように1980年代?時の消費社??サブカルチャ?の興隆に棹差した流れの中で1984年、女性誌『
an?an
』誌上に
川久保玲
の
コム?デ?ギャルソン
を着て登場。
埴谷雄高
から「
資本主義
のぼったくり商品を着ている」と批判を受けるなど、吉本の「?向」が取り沙汰される。吉本は「『進?』や『左翼』だと思っていたものが、半世紀以上?ってみたら、表看板である
プロレタリア?ト
の解放??で、資本主義?におくれをとってしまったことが明瞭になってしまった。この事?を踏まえなければ何もはじまらないというのが『現在』の課題の根底にある」「こういう『現在』の課題を踏まえることは、資本制自?を肯定することとも、資本主義には何も肯定的問題はないということとも全く違う」と?答している。なお同時期、吉本は埴谷雄高の「
スタ?リン主義
的左翼文化理念」と異なるだけで、自らを「左翼」であるとしている
[14]
。
また、1981年に
中野孝次
らが始め、500人の文?者の署名を集め、二千万人の署名運動に?展した
反核
署名運動を批判。1986年の
チェルノブイリ原子力?電所事故
から盛り上がった反原?運動も批判、「反核」が「
反原?
」に、そして「
エコロジ?
」に?斂するのは、「ぞおっとするほど蒙昧だ」とした
。(
#原?について
も?照)
このころから、「思想家」として盛んに執筆活動をおこなうようになる
[
要出典
]
。
1990年代
[
編集
]
冷?構造崩?後の1994年には、かつての自らの『?向論』を意識した「わが?向」を文藝春秋に?表
[16]
。日本における
新保守主義
の旗手と目されていた
小?一?
の『日本改造計?』を「?健で妥?なことを言っている」と相?的に高く評?し、大きな驚きを?えた。そして「社?主義は善で資本主義は?という言い方は成り立たない」「左翼から右翼になったわけではなく」「?制―反?制」といった意味の左翼性は必要も意味もない」「全く違った?件を持った左翼性が必要」として自らを「新?新左翼」とし、「なにか個別の問題が起ったとき、ケ?スバイケ?スで、そのつど、態度を鮮明にすればいい」「そのつどのイエス?ノ?が時代を動かす」、と述べた
[注? 24]
。
また同時期には、現在の社?を、
第三次産業
が?展し、空?や天然水といった、値段が付かない、と考えられていたものすら、商品として?られる消費社?が成熟した「超資本主義」
の段階にはいり、「
マルクス???
が述べている
資本主義
は、消費過?になったときに、もう終わってしまって、マルクス???が通じない段階になってしまった」
とした。そして、日本の一般民衆は中流意識が91%をしめているが、過去の流れから推測して99%になるのは遠くない。そうなると?家社?に特別の要求はなくなり、したがって?心も理想も切?にはいらなくなる。そのとき今の資本主義は終わる。いま先進?の本?の課題は、近代以降命脈を保ってきた民族?家をいつどうやって死なせたらいいのか、ということだ」と述べた
。
1995年に起った
阪神?淡路大震災
と
オウム?理?
の
地下?サリン事件
にかんしては、「日本の切れ目を象?」し、とくにオウムの無差別テロは「一世紀のうちに、何回も起らない20世紀ではソ連の崩?に次ぐほどの大事件、ここで?後民主主義がいかに無力だったかということが誰の目にもあきらかになり、?後の左翼運動のあらゆるラジカリズム?過激な反?制運動が全部超えられた」としている
。
1992年オウム?理?の
麻原彰晃
を
ヨ?ガ
を中心とした原始??修行の??の記述者として評?していた
[21]
ことから、1995年オウム?理?事件?生後は
中?新一
らとともにオウムの擁護者であると批判された
[22]
。
1996年
8月、
?岡?
田方郡
土肥町
の屋形海水浴場で遊泳中に溺れ意識不明の重?になり緊急入院したが、集中治療室での手?が功を奏し一命を取り留めた。
1990年代後半以降は、どちらかと言うと硬質な文章ではなく
エッセイ
的なものが多くなる
[
?自?究?
]
。
1997年には、
大塚英志
との?談で、『
新世紀エヴァンゲリオン
』及びそこに見られるいわゆる「セカイ系」について感想を述べる。
1998年、自らの「試行社」から私家版として、入院中に構想を固めた、『アフリカ的段階について 史?の?張』(試行社, 1998年)を出版。
以?吉本は、「今の世界を考えるには、資本主義の「アフリカ的段階」を勘定にいれないといけない」としている
[
要出典
]
。
1999年、
小林よしのり
の漫?『
??論
』と「
新しい?史?科書を作る?
」に?連して『私の??論』という書籍を刊行し、自らの????を交え、「公」「私」「?家」「
特攻隊
」、また「
ナショナリズム
のサブカルチャ?化」「ナショナリズムの質的?化」についての自らの考えを述べた
[注? 25]
。
21世紀
[
編集
]
2001年9月11日
アメリカ同時多?テロ
に?して、2002年『超???論』という書物を刊行し、アメリカ?
イスラム原理主義
は「近代主義的な迷妄」?「原始的な迷妄」の?いであり、特に「自由」という?点からいえば「?者とも自由にたいして迷妄である」とし、21世紀の課題は?民「?家を開いていく」ことだと述べた。また「地球規模での
贈?
??をかんがえなくてはならない」と捉え、同時に「日本の非?憲法だけが、唯一、現在と未?の人類の?史のあるべき方向を指していることは疑念の余地がない。それは?言できる」と述べている
。
2003年
『
夏目漱石
を?む』で
小林秀雄賞
を、『吉本隆明全詩集』で
藤村記念?程賞
を受賞した
[26]
。
2008年には「試行」上で1997年の終刊まで執筆した『心的現象論?本論』が
文化科?高等?究院出版局
から出版された。
また同年には、『
蟹工船
』が60万部のベストセラ?になったことに?連して、情報技術の興隆、
格差社?
、
ワ?キングプア
について論じ、「物事や人間を?派に分けて判?するという感じ方が、全般的に崩れ」たことを評?し、しかし同時に「いいものはいいし、?いものは?いという原則もなくなった」「この社?に生きることのどこにいいところがあるのか、と言われたら、どこにもないよと言うより仕方がない。もし、もっといい方向を探し出そうとするなら、?化の兆候をよく見極めることが重要」と述べた
[
要ペ?ジ番?
]
。
また同年に、かつての1980年代の
埴谷雄高
との消費社?に?する論?をふりかえり、現在を、「消費産業(第三次産業)の?い手である通信?情報??の科?技術により、(1980年代の)情況判?はさらにわたしの思考力を超えて劇的に展開した」「ことに科?的には少しの思いつきを追ったに過ぎないと思えることが莫大な富の?力にむすびつきうるという事態の怖さを見せつけた」「地域の空間と時間の無境界化に??したり?抗したりする思考や思想も私たちはもっていない」「情報科?と交通理念は、グロ?バルな?占支配の手段以外にこれを?更することができない第二の天然自然と化しつつある」と述べた。そして、日本の現?を、「ここ3、4年前から日本?は第二の?後期(敗?期)に?化しつつある」「しかも日本?の(第二の)?後は完全に?後を絶たれたと?言してもいい」「?後も?中も?前も、『未?』と一?に切?された」
と述べている。
2009年、第19回宮?賢治賞受賞。
2012年
3月16日
、
肺炎
のため東京都の
日本?科大?付?病院
で死去。87??
[29]
。
思想と論?と評?
[
編集
]
文?
から
サブカルチャ?
、
政治
、
社?
、
宗?
(
親鸞
や
新約聖書
)など?範な領域を?象に評論?思想活動を行い、多?の著作がある。
1960年代
、1970年代、日本で?倒的な影響力を持っていたことから、?後思想の巨人とも言われている。?際、海外の著名知識人が?日した際にも吉本は呼ばれることが多く、
ミシェル?フ?コ?
[30]
、
フェリックス?ガタリ
[31]
、
イヴァン?イリイチ
、
ボ?ドリヤ?ル
[32]
などとの?談が出版されている。
アカデミックな??を持たない吉本は、自身の著述活動?知的探求を??で身に付けた知識で支えた。
原書を?めない吉本は、?米の?識はすべて??書に?っている。そうした??による誤解や思い?みをアカデミズムの?識者からしばしば指摘されたが、「「誤?」しか?えないとしたら、まず外?文?者の??の拙さ等を自省すべき」「現在の?米のめぼしい文?者や哲?者の本が、全部日本語に??されてわれわれの前におかれたら、(外?文?者の存在?値は)ほとんど「無」に?してしまう。」「しんどい難しい手仕事」を怠る中での「キザな語?自慢」の方が問題だ」、と反論している
[33]
。
なお1978年
フ?コ?
が訪日したときには、吉本は
蓮實重彦
の通?のもと、?談を行っている
[34]
。フ?コ?はそのとき二人で往復書簡を行うことを提案し、吉本は「
道元
と
ヘ?ゲル
」に?する論考をフ?コ?に送ったが、議論は以後生産的に展開されえず、人文知における多言語コミュニケ?ションの難しさを示すにとどまった
[35]
。
『共同幻想論』は
中田平
によって1980年代後半フランス語に?されている
[36]
。
マルクス主義への評?
[
編集
]
また
マルクス主義
、
スタ?リン主義
の
??主義
は否定するが、マルクスその人の影響は公言するその姿勢は、さまざまに影響を?えた
[37]
[38]
。
鶴見俊輔
が吉本著『甦えるヴェイユ』(1992年)の書評において整理したところによれば、「ソ連消滅後、日本のマルクス主義者の間には、それぞれなりの護?的な主張がくりひろげられている。吉本隆明は、マルクス主義についての護?的な立場とははっきり違う主張をくりひろげる。それは、一九三二年以?の
シモ?ヌ?ヴェイユ
の著作を再?討することをとおしてなされた。」
[39]
同世代からの疑問
[
編集
]
もっとも、吉本の思想に?して、同世代からも疑問をはさむ?も少なくなかった。
小熊英二
『<民主>と<愛?>』
[注? 26]
によれば、
竹?好
は、吉本の論じ方は「非常に文?的とか、あるいは詩的?想」だと述べ、
鶴見俊輔
は、すべてを「全否定」して純?さを追求する姿勢に「非常に宗?性を感じる」と指摘し、吉本の「擬制」批判は「『すべてのニセモノを倒せ』というスロ?ガンに?み替えられて」「?生の純?好みを結びついた」と評している
[40]
。
また、その?特の用語を使用した晦?な文章は、1960年代後半に?生だった
吉田和明
によると、「私たちのような?の?生には、とうてい?んでも理解しうるようなナンパな本でもなかった。そして事?解らなかった」と回想されている
[40]
。やはり?時の大?生だった社??者の
?井哲夫
も、『
共同幻想論
』について、「わからないのに無理に飛ばし?みをして、理解できるわずかな部分からのみ、この本を理解しているにすぎなかった」と述べている
[40]
。それにもかかわらず、吉田によれば、?時の大?では、吉本の著作を「胸にだいじそうにかかえて?く女子?生、男子?生の姿が流行していた」
[40]
。吉田はその理由として、?生たちは?容が理解できなくとも、そこにこめられたメタ?メッセ?ジを、「詩でもよむかのように」「心の?底で感じてしまっていた」からだと述べている
[40]
。
批判への?答、論?
[
編集
]
?史的な?容を基盤にした著書は、さまざまな時代の事象や言?を、?時の?史的事情を考慮せず、超時代的にまとめあげたものが多いとも評されている。人類?者である
山口昌男
は、『
共同幻想論
』?表?時、同書中の重要?念「?幻想」について、「それは近代の核家族にのみ通用するものではないか」と批判したが、吉本は「チンピラ人類?者」として罵倒を返したのみであった
[41]
。
また、批判に?して吉本の側では、過?なまでに反?して罵倒に至ることもしばしばだった。有名なところでは、?後最大の文?論?とさえ形容される
花田?輝
との論?、また、盟友だった作家で評論家の
埴谷雄高
などとの1980年代の論?では激烈な言葉の?酬が?いた
[注? 27]
。
花田?輝
との論?では、感情的な罵倒を取り除けば、純?に議論?容的には、花田が優位であり、論破したとはいえないとの
絓秀?
による指摘すらある
[43]
。
1970年代に
谷?永一
との間にかわされた論?では、谷?の理路整然とした反論に、感情的な言葉を返すのみであり、「吉本の?少ない敗北」とされた
[44]
。
また、社?的?共同的に何かをしようとする「知的な」ものたちを、論?において、「
ファシスト
」「
スタ?リニスト
」として一括して切り捨てることも多かった。これは、1960-80年代のみならず
ソ連
の解??
冷?
構造崩?後の1990年代も?いた
[45]
[注? 28]
。
小熊英二
は、吉本は、1961年には、弱者への罪責感をかきたてることで?への?身をひきだす「『前衛』的なコミュニケ?ションを拒否して生活?態の方向に自立する」ことを主張し、1960年代中期から、家族と?愛?係の中にこそ、?家をこえる「私」的な共同性(「?幻想」)を見出し、「生産の高度化がうながした大衆社?の力」「大衆の政治的アパシ?の力」を賞?していくことになった、と論じている
[40]
。また
宮台?司
は、「吉本の意?とは全く無?係に生じたこと」だが「大衆から遊離した素朴な?派的政治運動を批判する「自立思想」は、全共?世代が?派的運動や政治運動一般から離?し、等身大の生活世界に退却していくことを正?化する口?を?え」たと述べている
。
「傍系」について
[
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]
竹?洋
は、吉本は
京橋?
の下町の船大工の家庭に生まれ、東京府立化?工業?校、米?高等工業?校、東京工業大?の??を?み、東京府立化?工業?校は
?業?校
、米?高等工業?校は
?門?校
であり、?制中?や?制高校を正系とする?前の??では傍系??となり、大?卒業後、?社に勤めたが、組合活動をおこない?首、隔日の特許事務所に勤務し生計を立てつつ作家活動をおこない、その後
フリ?ランス
となり、大??師の??はなく、山の手に?する下町、正系??に?する傍系??と、「正系」(
丸山眞男
)、「正系的傍系」(
?水幾太?
)、「傍系」(
鶴見俊輔
)でもない、正系にもっとも遠い立ち位置にいた「傍系的傍系」と評している
。竹?によると、吉本は傍系について
島尾敏雄
との?談で「……ひとつは、ぼくなんかもそのくちなんですが、島尾さんの少年から?年までの??の特?のひとつは、たえず傍系の?校から傍系の?校へというふうにゆかれたことでしょう。(中略)……ぼくなんかはどこにいてもたえずよそ者みたいな意識が伴ってやまないわけですが、島尾さんの場合はどうですか。」(「傍系について」『海』|1970年5月?)と述べている
。
1980年代は、
エコロジスト
や反文明論、
疑似科?
に批判的であった。情報技術については、「科?的にはそれほど難しいもの」ではないのに、富や商?と結合して「科?は?なる機能になりはて、役に立つものだけが有?だ、と考えられる風潮」に「冗談じゃねぇよ」としている
[49]
。
なお、吉本は1998年の『アフリカ的段階について』の出版以?、現在に至るまで一貫して、「アフリカは文明の未?達な、そこから?すべき一段階ではなく、むしろ現在のアフリカの中に人間のモラルや宗?や生活の原型がそろっているのではないか」という考えを持っており、「今の(2008年)世界を考えるには、資本主義の「アフリカ的段階」を勘定にいれないといけない」としている
[49]
。
また2002年の『超??論』においては、先のことは分からないとしながらも、「21世紀の半ばくらいには、(...)「資本主義はこの先どうするんだ?」という(...)課題が、より本格的な形ででてくる」「世界の資本主義の全?的な行き詰まり、全?的な地盤沈下ということが予測される」「世界の資本主義が全?的に地盤沈下するという、その一番の兆候は何かっていえば、それこそ、
G7
に集う各先進資本主義?が同時多?的に不況に?ったときである」「近代主義???とは違った等?交換のあり方を21世紀には模索しなければいけない」と述べている
。
「大衆の原像」について
[
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]
?智英
は、1980年代後半の著作『バカにつける?』で吉本を批判している。?は、吉本の重要な思想的基盤である「大衆の原像」の抽象性を批判し、また、吉本が
花田?輝
ら左翼陣??の論?で無敵だったのは、彼が「
神?
者のふりをした神?者」(
マルクス主義
を信じない左翼)であったせいだ、としている。そして、最終的に吉本が依?するのが、
親鸞
の「
?人正機
」であるというのは、思想というより、吉本のみにゆるされるアクロバットにすぎない、と論じた。さらに、吉本が引用と?する「日本人は平和と水はタダだと思っている」等と?言した外?人は存在しない、と?じている。
また、
岩井克人
や
柄谷行人
らは、1980年代後半、吉本が「自立思想」の根?とする「上っつらの言語の世界からはまったく無傷な形で、しかしながら確固とした生活?感をもっている」「大衆の原像」は、1970年代初めまでの高度成長期にほぼ消えたのではなかろうか、と評した
[53]
。
吉本は、1986年の段階で、確かに「非言語的?非映像的な存在としては」大衆はいなくなった。しかし「大衆の原像」という言葉は
フ?コ?
の、「?力?係の限界、?力?係の裏側、?力?係のはねかえりとしてあり、?力の進出から逃れようと反?するようなもの」という「平民(ブレ?ブ)のようなもの?個人やプロレタリア?トやブルジョワジ?のなかにすらあるもの」の定義と類似したものとして使っている、したがって、「いまもって「大衆の原像」を根?とすることは、相?的?理としての理念で、ずっと確固としてある」「?力に?峙する根?」をそこにとろうとすれば、「大衆の原像」にしか反?力、非?力の理念が包括すべきものは存在しない」と述べた
。
?中派としての「????」について
[
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]
2002年出版の
小熊英二
の『〈民主〉と〈愛?〉』は、?後知識人の思想を、その????の?容から分析し、吉本についてはその影響の大きさから、一章を割いて詳細に論じている。小熊によると吉本は、?中に理系の大?に進?して?兵を逃れて生き延びた「罪?感」と、?中は「絶?的に『善なるもの』として??を鼓舞してきた文化人(吉本が?中に信奉していた
高村光太?
など)たち」が敗?後に柔軟に意見を?えたことを若年で??したことによる「?威に?する不信感」から、思想を構築しているとし、彼の世代である「?中派」(
三島由紀夫
、
橋川文三
ら)の特?を?合したものであると述べている。それゆえ、「論?となると意味なく、過?に他者を攻?している」と、同書?でももっとも評?されない思想家として評している。また、この本についてのインタビュ?において、フ?コ?と吉本は同世代だと指摘し、「?年期に?家に裏切られた世代に共通の問題意識がある」とも言っている
[55]
。
また、
柄谷行人
からは、花田?吉本論?に?連し、「??で死んだ具?的死者を、議論のために、直接的に代理して代弁するな。」と1990年初頭
[56]
批判されている。
『民主と愛?』が出版されて以降、吉本はこれら疑問に?して?答し、理系大?
[注? 29]
への進?は、小?校卒業から工科?校に行っていた吉本にとって自然なコ?スであり、意?的かつ??前線へ行くことの忌避のためのいわゆる「兵役逃れ」の事?はなく、したがって、そこに由?する「罪?感」はありえない、と述べている。いずれにせよ「皇?少年」「コンプレックスなしの軍?主義者」であり、「??やれやれ」と思っていた自分はどのみち?場に出て行き、そこで死ぬだろうと思っていた、としている
。
もっとも、自分の高校時代の同級の多?を含む
[注? 30]
同世代が軍隊に動員され、多??死した中、敗?後に結果として生き?ったため、「敗?しても死なずに生きていること」について、生き恥さらした心境だった、とも述べている
。
また「僕と同世代でいちばんひどかったのは、兵隊言って前線で?死してしまった人たちで、そういう人は日本人だけでも、かれこれ100万人?位でいます。(???)そうすると、僕らの年代では、どうしても「それを基準に?史を考えないのは?だ」となります。」と述べている
。
さらに、「太平洋??中に「政府はなってなぇ」とかいったら、たちまち官憲に引っ張られ、?く見積もっても、2~3日は留置所に放り?まれました。それは日常茶飯事のことでした。でも今はそういう時代じゃありません。だから、「主張するなら、自分の考えていることを、もっとハッキリと主張しろ、ちゃんと主張しろ」といいたい。」「何いったって、ほかから文句をいわれる筋合いはない」「僕らは、そういうことは?後の重要な課題であるとして、徹底的に考え?いてき」た、とも述べている
[62]
また2002年には、「僕なんかの?中派は、閉じた思考がいかにダメかってことを太平洋??で身をもって知りました」「太平洋??中、僕は天皇制軍?主義にいかれていてそのときはあの??を肯定していました。そのときは、自分も、「??をやれっ、やれっ」っていっていたんです。でも、それは、自分がまさに閉じた考え方をしていたからだってことに、?後、僕は?づきました。(???)その??がありますから、僕は、自分の考え方をなるべく閉じないで、「開く」というふうにしたい。21世紀の大きな課題は、?民?家、民族?家が、?に?しても、外に?しても、いかに「開いていく」かそして、いかにして??をおこさないようにしていくか」だ、と述べている
。
??について
[
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]
吉本は、1980年代~90年代、自分を批判した
?田彰
、
柄谷行人
や
蓮實重彦
に?して、他者や外部としての「大衆」をもたず、知の頂を登りっぱなしで降りてこられない(
親鸞
でいうところの「還相」の過程がない)「知の密?主義者」として、「知的スノッブの三バカ」「知的スタ?リニスト」と?した
[64]
。
柄谷行人
に?しては、1989年時点で、「せっかく
ブント
??をもってるのに」「最低の
ブント
崩れ」とも評している
。ただし、2005年になって、「今は、どう動くかを考える段階、考えて具?的なものをだすべき段階」「いつまでもつまらない世代論を論じている場合じゃない。そんなことにはあまり意味がない」として、まだ「若くて政治運動家としての素質もやる?がある」人間として、
柄谷行人
を唯一、例として名前を出し、「やってほしいこと、やるべきこと」の注文をつけている
。
?田彰
に?しては、?田が「?生の?力がここ10年くらいで劇的に落ちている。
文部省
は?威主義的な詰め?み?育を維持したほうがよかった」と言っている事について、「最近の?生の?力のレベルが低いというより、むしろ、?田彰のレベルが低い、というべきじゃないでしょうか。?田彰は、?門だという
理論???
の分野でも、?者としてちっとも優秀じゃないですよ
[67]
。」「つまらない?門外のことはいう?田彰
」と評している。
なお
親鸞
の「還相」を、吉本は2002年『超??論』においては、「視線の問題」である、としている。吉本は、「
親鸞
が還相ということでいっているのは、物事を現?の側、現在の側から見る視線に加えて、反?の方向から?未?の側からといいましょう、向こうのほうから、こちらを見る視線を?せ持つってことだというふうに僕は考えています。こちらからの視線と、向うからの視線、その?方の視線を行使して初めて、物事が全面的に見えてくるというわけです。」と述べている
。
中?新一
は、自身の「芸術人類?」というコンセプトは、吉本が1998年出した「アフリカ的段階」という?念と非常に深い?係があるとしている。中?は吉本の『最後の親鸞』文庫版(2002)の解?「21紀にむけた思想の砲丸」を書き、また、2008年には吉本と、「『最後の親鸞』からはじまりの宗?へ」という?談を行っている
[70]
。
???者の
袴谷憲昭
は、吉本隆明?
梅原猛
?
中?新一
の共著 『日本人は思想したか』(1995年)について、この3人は「??の基本的な『常識』さえ知らず好き勝手な?言を繰返している」「本書を書評の?象に選んだのは、かかるいかがわしいものをただ?るに任せることはできなかったからに過ぎない」と激しく批判し、あいまいで?明不足な個所や?純で基本的な誤りも少なくないと苦言を呈している
[71]
。
オウム?理?評?について
[
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]
オウム?理?
のサリン事件後、
産?新聞
上でのインタビュ?で、「
宗?家
としての
麻原彰晃
は評?する」「麻原のやったことをすべて否定するなら、日本の
??
のなかで存在を許されるのは
?土宗
、つまり
法然
、
親鸞
系統の?えしかないことになる」
[72]
と述べ、多くの批判を浴びた
[74]
[75]
。吉本は、「サリン事件は、大衆の原像をおりこむ自らの思想からは根本的に否定」する。しかし、本?超越的な性格を持っている宗?の問題、理念の問題、思想の問題としては、自分の?心がある「
?人正機
」の
親鸞
のなかには「わざと?いことをしたほうが、?土にいけることになるんじゃないか」という造?論を否定できない要素があり、オウム事件は「造?論」の中に入る。
親鸞
、あるいは??の?義の中には危?な要素がもともとあり、「麻原は現存する??系の修行者の中で、世界有?の人ではないか?」とした
[77]
。そのインタビュ?を行った宗??者の
弓山達也
はその後、同じ産?新聞上で、「(吉本は)?値相?主義の
ニヒリズム
を克服して、新たな文化創造を目指したとされる麻原を評?する一方で、社?に?して牙(きば)をむいた犯罪性を?しく?劾せざるをえないという二重性をはらんでいた。この二重性に引き裂かれているのが今の吉本氏の?況であり、また?成の社?の?本的な?革を目指そうとするときに必然的におきる大きな矛盾でもあるのだ。紙面には載せられなかったが、吉本氏は麻原を認める一方で、こんな程度ではまだまだこの社?は突き崩せやしないと語った。そして吉本氏自身、麻原に思想的に打ち克(か)ち、別のやり方で新たな?値を築いていく自負をも示していた。それがインタビュ?最後の「負けられないぜ」の一言に?められていたのである。」
[78]
と?明を加えている。
もっともオウム?理?は小さい天皇と同じで「生き神?主義だ」とも述べている
。
なお、1984年の段階では、
中?新一
の『チベットのモ?ツァルト』に?連して、吉本は、「意識を
ドラッグ
によらずに死や瀕死の?態に持ってゆくまでの?術修練や、その過程の各段階で起る擬幻?現象や意識の離???自?には、精神健康法以外の何の意味もない」「日本?土?は、???土門の思想的な集大成として、とっくに親鸞によってそんなの(「チベット密??相?土のいかがわしい?術」)完全に否定」されてしまった。「ただ、中?の手柄は、
チベット密?
の?術修練の過程で起る意識?態と意識幻?の過程をかなり?密に記述したというところにある。」「極?論」は感心して?んで得るところがおおかった。俺もいつか力を蓄えられたらおなじことを、やってみたい」と述べている
。
「現代思想」評?について
[
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]
社??者の
橋爪大三?
は、『共同幻想論』における
構造主義
人類?の?み方、特に
近親相姦
禁止のところに違和感を持ち、25?の大?院修士課程のころ、
クロ?ド?レヴィ=ストロ?ス
の『親族の基本構造』を1年がかりで??し、吉本に送っている。吉本は『書物の解??』(1975年)でこれを取り上げている
。
また橋爪は、名詞や動詞など8つ以上ある日本語の品詞を、自己表出と指示表出の2つのエネルギ?に還元し、2本のベクトルで張られたフロンティアに?べ相??係をみる『言語にとって美とはなにか』の力?的な方法を、「?のなかに書き?まれているわけではない」品詞、そしてそれが時間軸に沿って組み合わさり文法を構成するプロセスの解明に、世界で初めてといっていいくらい早く取り組んだものとして評?している。これは、品詞という現象はなぜ起きるのだろうか、という問題を
『文法の構造』
の
ノ?ム?チョムスキ?
とは?立して取り上げたものであり、
フェルディナン?ド?ソシュ?ル
がほとんど?れなかった問題である
。
構造主義
、
ポスト構造主義
、
フランクフルト?派
の、
ドゥル?ズ
、
デリダ
、
ポ?ル?ド?マン
、
ハバ?マス
、
ベンヤミン
などに?しては、1990年代前半、「
スタ?リン主義
の門番、切符?り」「無表情でつまらない哲??究者」と評している
。デリダやドゥル?ズに?しては特に「死んだ社?を??にしているだけの思想」としている
。そのなかで
フ?コ?
『言葉と物』だけは「?まないほうがモグリ」と評?している
[注? 31]
。
もっとも
フ?コ?
、ドゥル?ズらに?しても、大塚英志との?談において、「取り上げる問題とか主題に?して、精密すぎる」「そこまで表現すれば、より精密になるかっていったら、そうとはいえないので、0.1以下は四捨五入したほうが正確な値なんだっていうことは有り得る」と疑問を述べている
。大塚英志は、吉本との?談のあとがきで「自分や自分と同年代の批評家たちの言?が過度に細部に拘泥し、そしてその細部の上にディベ?ト的というか論理のための論理を組み立ててしまう。その語ることをめぐる隘路」について長いこと考えていて、吉本と?談することは、「だいたいでいい」という水位を思考の領域、言葉の領域にいかに回復するかの?口を見つけることだったと、述べている。
?談した
フェリックス?ガタリ
には「日本のほんとの思想と??をわかったふりしてなめて」いる、「てんからの馬鹿」
[注? 32]
としている。?談した
イヴァン?イリイチ
にたいしては「文明と近代科?を呪詛する?違いじみた魂を持っている。?際?ってみるととうてい話が通じる思想家ではないことがわかるが、その?違いじみた呪詛だけはよくわかる」としている
。
ボ?ドリヤ?ル
に?しては、1998年に「今世界でいちばん重要な問題は
イスラム原理主義
の問題だということを平?でいいます。日本人の僕などには、冗談じゃないぜ、そんなことは世界のいまの問題と何の?係もないぞと思います」と述べている
。
原?について
[
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]
1986年
チェルノブイリ原子力?電所事故
から盛り上がった反原?運動を、「原?促進派ではありえないが、反原?には反?」とし、「文明史の到達点」としての「
原?
を否定する左翼、進?反動たち」は、「文明史にたいする反動的理念」であり、
原子力?電所
の安全性?地域??利害?科?技術?文明史の具?的問題を「反核?反原??
エコロジ?
などと一?くたにして、原始的自然に退行して一点に凝縮させると、とんでもない蒙昧が生み出される。」「みんな絶?的に正しいことをのどから手が出るほど欲しがっている」「現在が不安」で、「自分たちが築いた文明を背負うのに疲れている」とした。また1988年
忌野?志?
が反
原?ソング
を歌い、メジャ?レコ?ドから??中止になった件に?しては、「サブカルチャ?の領域では、?志朗を反原?などというハレンチをロックにして歌ったりしない、しなやかで?い最後のア?ティストと思っていた」が「買い被りかな?」、とした
。
2011年3月11日の
福島第一原?事故
後、
週刊新潮
「吉本隆明2時間インタビュ? 『反原?』で猿になる!」において反原?運動を批判し、原?を擁護する自身の立場を再度、鮮明にしている
[90]
。
?史?について
[
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]
小林よしのり
とは
?史認識
や???をめぐって?立し、論?している。小林は、「人は個人を超えねばならぬ時がある」「今の日本人で『個人主義だ』『個の精神だ』と唱えているやつは、アメリカの??によって『公』を背負えないフヌケ」と化した者にすぎないと『??論』と述べている。一方吉本は、「
小林よしのり
は?家というものを東洋的に誤解している」、?民?家というのは?史的な人?的?念、人工的?念であって、「?家は全?を包含する?値の源泉」ではない。したがって「私は公のためなら?牲になってもいい」とはならない。「個人」や「市民社?のほうが?家や公よりも?念としては大き」く「原則でいえば、三人以上集まって?生した集?や社?の中で生ずる利害問題をどう調整するかということから、「公」の問題が出てくる」「それが「公」の原型」と、小林の考えを否定している。同時に、吉本は「五十万部以上も?まれたということは、どこかにいいところがある」と評?もしているが、「?後民主主義のアホらしさにたいする裏返しの意味しか」なく「これからのちの時代を?み解くための新しい視点や理念は全然ない」としている。また吉本は、その上で、小林の特攻隊?美に?連して、日本は、チベットの
ダライ?ラマ
や、ネパ?ルなどアジア極東地?の?境?家に見られる、「生き神?信仰」の?であり、天皇制とは「生き神?信仰」である。すなわち偶然的?相?的な「?史的?地域的な産物」にすぎず、したがって「なんら絶?視する必要がない」、と述べている
。しかし、??中は
左翼
も??肯定だったのに、?後は反省することなくサッサと
軍?主義
批判に?じたことへの「小林よしのりが『??論』で憤っている心情というのは、よくわかるんです。」と述べている
。
1996年に?足した「
新しい?史?科書を作る?
」(
西尾幹二
?
藤岡信勝
?
西部邁
)の運動に?しても、「?科書を作り直せば健全な子供が育つというのは大間違い」としている
。
その他?わった論?など
[
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]
- 1981年
中野孝次
らが?起人となってはじめ、500人以上の文?者の?同署名を集め、2千万人の署名運動に進展し、翌年には三十五万人が集?に?加した文?者の反核?明
[96]
[注? 33]
を、結局アメリカを「??挑?の資本主義?」ソ連を「平和勢力」とすることにしかならない、と反「反核?明」の意思表示した。それに?して批判が?き起こったが、別に「核??」に?成しているわけではない、反核?明に反?しているだけである。それを行っただけで自分がすぐに原爆?成派、??肯定派にしたてあげられていく?況は、「誰からも非難や批判を受けなくてすむ正義」を振りかざすものがまかり通る、「社?ファシズム」であり「?前の
日本文?報??
」の裏返しだと?じた
[
要出典
]
。
- 中上健次
に?しては古典的なスタイルの『枯木灘』(1977)を「日本人の感性のまたその?にある感性の表現になって」いるともっとも評?し、『地の果て至上のとき』(1983)などは評?しない。とくに死ぬ直前の『異族』(1993)は、アニメの作品によく似ていて、「これはひどい」と述べている
。なお、中上は角川文庫版『共同幻想論』(1982)に18ペ?ジにも及ぶ「解?」を執筆している。
- 1997年に『
新世紀エヴァンゲリオン
』について、
大塚英志
とともに論じ、いわゆる
セカイ系
の、日常生活と??がきれいに切り離されている感?に、自身の????から違和感を述べ、同時に、もしかしてその「切り離されている」ことを描きたかったのかな」と述べている
。
フォロワ?
[
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]
- 『
ロッキング?オン
』の
?谷陽一
は「僕にとって吉本隆明の影響は巨大であり、吉本隆明が居なければ自分で?誌を創刊しなかっただろうし、いまのように出版社を??することもなかっただろう」と2007年に述べている
[99]
。
- 宮台?司
は、1970年代半ばの高校時代、吉本の1950~60年代の著作に深く感銘を受け、「私の同世代で私ほど吉本にハマッた人間はいない」「ただの大衆じゃねえか、大衆から遊離しやがって、という二重の倫理的批判は?存的意味を持つ」「原理的であることによって?在せよという吉本的な定言命令は今でも私を拘束して」いると述べている。「吉本の思想は、思想史上の意味論的な意義というよりもむしろ後?してでてきた物書きや思想的?みをしようとする人間の倫理的な立ち位置に、とても大きな影響を?えていて、その意味で時代的な意味を持つ」「その意味で吉本隆明をとても尊敬している」とも述べている
。
- 1997年、女子高生の
ブルセラ
?
援助交際
に?わり
宮台?司
が「
朝まで生テレビ!
」に出演したとき、「正?正銘の馬鹿が出てきた」と述べた。とはいえ、この「馬鹿」は「?蔑」とか「ほんとにバカ」だと言っているのではなく「?喩で」あり、「むしろ利口」「吹っ切れている」「ちょっと新しい感性」という意味であり、「援助交際を倫理的に批判する?持ちって全然ない」「どちらかといえば肯定的」「自分の??上(??)の絶?感情の中に全部こういうのは包括してしまいたいというのが、僕の考えの中にある」と述べている
。
著書
[
編集
]
?著
[
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]
1950年代
[
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]
- 『芸術的抵抗と挫折』(
未來社
, 1959年)、こぶし書房、2012年
- 「マチウ書試論」??。
松本昌次
新版解?(??者)
1960年代
[
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]
1970年代
[
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]
- 『自立の思想的?点』(?間書店, 1970年)
- 『情況』(河出書房新社, 1970年)
- 『心的現象論序?』(北洋社, 1971年)、のち改訂版?角川文庫、角川ソフィア文庫
- 『
源?朝
』(日本詩人選:筑摩書房, 1971年)、ちくま文庫
- 『敗北の構造 吉本隆明講演集』(弓立社, 1973年)
- 『情況への?言 吉本隆明講演集』(?間書店, 1973年)
- 『異端と正系』(現代思潮社, 1975年)
- 『詩的乾坤』(
?文社
, 1975年)
- 『書物の解??』(
中央公論社
, 1975年)、のち中公文庫、講談社文芸文庫
- 『呪縛からの解放』(こぶし書房, 1976年)
- 『知の岸?へ』(弓立社, 1976年)
- 『敗北の構造 吉本隆明講演集 』(弓立社, 1976年)
- 『知の岸?へ 吉本隆明講演集』(弓立社, 1976年)
- 『初期歌?論』(河出書房新社, 1977年)、ちくま?芸文庫 1994年
- 『?後詩史論』(大和書房, 1978年9月)
- 『吉本隆明?時記』(
日本エディタ?スク?ル出版部
, 1978年10月)
- 『吉本隆明詩集』(思潮社現代詩文庫, 1979年)
- 『悲劇の解?』(筑摩書房, 1979年12月)、ちくま?芸文庫 1997年
1980年代
[
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]
- 『初源への言葉』(?土社, 1980年2月)
- 『世界認識の方法』(中央公論社, 1980年6月)
- 『最後の
親鸞
』(春秋社, 1981年、?補新版1984年4月、ちくま?芸文庫 2002年)
- 『言葉という思想』(弓立社, 1981年)
- 『
鮎川信夫
論』 (思潮社, 1982年1月)
- 『僧としての
良?
吉本隆明講演?』(「修羅」出版部, 1982年)
- 『空?としての主題』(福武書店, 1982年4月)
- 『「
反核
」異論』(深夜叢書社, 1982年)
- 『?育?校思想』(日本エディタ?スク?ル出版部, 1983年7月)
- 『親鸞
不知火
よりのことづて』(日本エディタ?スク?ル出版部, 1984年10月)
- 『マス?イメ?ジ論』(
福武書店
, 1984年)
- 『?遁の構造
良?
論』(修羅出版部, 1985年1月)
- 『?幻想 n個の性をめぐって』(春秋社, 1985年1月) (シリ?ズ家族 1)
- 『死の位相?』(潮出版社, 1985年6月)
- 『現在における差異』(福武書店, 1985年1月)
- 『
源氏物語
論』(大和書房, 1985年9月、ちくま?芸文庫 1992年、洋泉社MC新書 2009年)
- 『重層的な非決定へ』(大和書房 , 1985年9月)
- 『思想の流儀と原則 ?補』(勁草書房, 1986年6月)
- 『〈知〉のパトグラフィ? 近代文?から現代をみる』(海鳴社, 1986年10月)
- 『白熱化した言葉 吉本隆明文?思想講演集』(思潮社, 1986年10月)
- 『記?の森の??歌 長編詩』(角川書店, 1986年12月)
- 『
漱石
的主題』(春秋社, 1986年12月)
- 『夏を越した映? ???ホラ??SF?アニメ』(潮出版社, 1987年8月)
- 『超
西?
的まで』(弓立社, 1987年11月)
- 『幻の王朝から現代都市へ ハイ?イメ?ジの??』(河合文化?育?究所, 1987年12月)
- 『ハイ?イメ?ジ論1』(
福武書店
, 1989年)、のち福武文庫、ちくま?芸文庫
- 『言葉からの?手』(
河出書房新社
, 1989年)
- 『吉本隆明全
キリスト?
論集成』(春秋社, 1988年12月)
- 『吉本隆明全天皇制?宗?論集成』(春秋社, 1989年1月)
- 『
宮?賢治
』(筑摩書房, 1989年7月 、
ちくま?芸文庫
1996年)
- 『像としての都市 吉本隆明?都市論集』(弓立社, 1989年9月)
1990年代
[
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]
- 『
西行
論』(
講談社文芸文庫
, 1990年2月)、新編
- 『ハイ?イメ?ジ論2』(福武書店, 1990年)、のち福武文庫、ちくま?芸文庫
- 『未?の親鸞』(春秋社, 1990年10月)
- 『
マチウ書
試論??向論』(講談社文芸文庫, 1990年10月)
- 『
柳田?男
論集成』(JICC出版局, 1990年11月、洋泉社, 1995年)
- 『ハイ?エディプス論 個?幻想のゆくえ』(言叢社, 1990年12月)
- 『
島尾敏雄
』(筑摩書房?筑摩叢書, 1990年11月)
- 『?況としての?像 高度資本主義下の「テレビ」』(河出書房新社, 1991年6月)
- 『大情況論』(弓立社, 1992年3月)
- 『見えだした社?の限界』(コスモの本, 1992年4月)
- 『新?書物の解??』(メタロ?グ, 1992年9月)
- 『吉本隆明初期詩集』(講談社, 1992年10月)
- 『追悼私記』(JICC出版局, 1993年3月)各??補版、洋泉社 1997年、
ちくま文庫
2000年 講談社文芸文庫 2019年
- 『ハイ?イメ?ジ論3』(福武書店, 1994年3月)、ちくま?芸文庫 2003年
- 『世界認識の臨界へ』(深夜叢書社, 1993年9月)
- 『こころから言葉へ』(弘文堂, 1993年11月)
- 『背景の記憶』(?島社, 1994年1月)
- 『
社??
あるいは社??的なるものの行方』(日本社??機?紙局, 1994年1月)
- 『思想の基準をめぐって』(深夜叢書社, 1994年7月)
- 『情況へ』(?島社, 1994年11月)
- 『愛する作家たち』(コスモの本, 1994年12月)
- 『現在はどこにあるか』(新潮社, 1994年12月)
- 『
マルクス
?みかえの方法』(深夜叢書社, 1995年2月)、「カ?ル?マルクス」光文社文庫、2006年
- 『わが「?向」』(
文藝春秋
, 1995年、文春文庫 1997年)
- 『なぜ、猫とつきあうのか』(ミッドナイト?プレス, 1995年3月、河出文庫、1998年)、講談社?術文庫、2016年
- 『言葉からの?手』(河出書房新社, 1995年8月、河出文庫 2003年)
- 『
親鸞
復興』(春秋社, 1995年7月)
- 『余裕のない日本を考える』(コスモの本 , 1995年10月)
- 『超
資本主義
』(
?間書店
, 1995年、?間文庫 1998年)
- 『母型論』(
?習?究社
, 1995年)
- 『?校?宗??家族の病理 吉本隆明氏に聞く』(深夜叢書社, 1996年3月)
- 『世紀末ニュ?スを解?する』(マガジンハウス, 1996年3月)
- 『言葉の沃野へ 書評集成 上(日本篇)下(海外篇)』(
中公文庫
1996年4?5月)
- 『消費のなかの芸 ベストセラ?を?む』(ロッキング?オン, 1996年9月)
- 『宗?の最終のすがた オウム事件の解決』(
春秋社
, 1996年7月)
- 『ほんとうの考え?うその考え
賢治
?
ヴェイユ
?
ヨブ
をめぐって』(春秋社, 1997年1月)
- 『僕ならこう考える こころを癒す5つのヒント』(?春出版社, 1997年6月、同文庫 2000年)
- 『
大震災
?オウム後思想の原像』(?間書店, 1997年6月)
- 『新?死の位相?』(春秋社, 1997年8月)
- 『食べものの話』(光芒社, 1997年12月)
- 『
遺書
』(角川春樹事務所, 1998年1月、ハルキ文庫 2004年)
- 『アフリカ的段階について 史?の?張』(試行社, 1998年)
- 『父の像』(筑摩書房, 1998年9月)
- 『?いを?む』(光芒社 , 1999年4月)
- 『詩人?評論家?作家のための言語論』(メタロ?グ, 1999年3月)
- 『少年』(?間書店, 1999年5月 ?間文庫 2001年)
- 『私の「??論」』(ぶんか社, 1999年)
- 『現在をどう生きるか』(ボ?ダ?インク, 1999年7月)
- 『僕なら言うぞ! 世紀末ニッポンの正しい眺め方、つきあい方』(?春出版社, 1999年9月)
- 『親鸞 決定版』(春秋社, 1999年12月、新版2004年)
2000年代
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]
- 『?生の物語』(講談社, 2000年6月)、講談社文芸文庫、2017年
- 『幸福論』(
?春出版社
, 2001年3月)
- 『日本近代文?の名作』 (?日新聞社、2001年4月)、新潮文庫、2008年
- 『心とは何か 心的現象論入門』(弓立社, 2001年6月)
- 『今に生きる親鸞』(講談社+α新書, 2001年9月)
- 『
柳田?男
論?
丸山?男
論』 (ちくま?芸文庫、2001年9月)、新編
- 『食べもの探訪記』(光芒社, 2001年11月)
- 『?書の方法 なにを、どう?むか』(光文社, 2001年11月)、のち文庫
- 『吉本隆明のメディアを疑え あふれる報道から「??」を?み取る法』(?春出版社, 2002年4月)
- 『老いの流儀』(日本放送出版協?, 2002年6月)、古木杜?編
- 『ひきこもれ ひとりの時間をもつということ』(大和書房, 2002年12月)、のち同?文庫、SB新書
- 『
夏目漱石
を?む』(筑摩書房, 2002年11月)、ちくま文庫、2009年
- 『日?を味わう贅? 老いの中で見つけたささやかな愉しみ』(?春出版社, 2003年2月)
- 『現代日本の詩歌』(?日新聞社, 2003年4月)、「詩の力」新潮文庫、2009年
- 『異形の心的現象
統合失調症
と文?の表現世界』(批評社, 2003年12月)
- 『「ならずもの?家」異論』(光文社、2004年1月)
- 『人生とは何か』(弓立社, 2004年2月)
- 『吉本隆明代表詩選』(思潮社, 2004年4月)
- 『漱石の巨きな旅』(日本放送出版協?, 2004年7月)
- 『??と平和』(文芸社, 2004年8月)、のち文庫
- 『超?愛論』(大和書房, 2004年9月)
- 『??論集成』(春秋社, 2004年11月)
- 『吉本隆明「食」を語る』(朝日新聞社, 2005年3月)、のち朝日文庫
- 『中?生のための社?科』(市井文?, 2005年3月)
- 『幼年論 21世紀の?幻想について』(2005年6月)
- 『際限のない詩魂 わが出?いの詩人たち』(思潮社, 2005年1月)
- 『13?は二度あるか 「現在を生きる自分」を考える』(大和書房, 2005年9月)
- 『詩???』(思潮社, 2006年1月)
- 『家族のゆくえ』(光文社, 2006年3月)、のち文庫
- 『詩とはなにか 世界を凍らせる言葉』(思潮社, 2006年3月)
- 『初期ノ?ト』(光文社文庫, 2006年7月)
- 『還りのことば 吉本隆明と親鸞という主題』(雲母書房, 2006年5月)
- 『老いの超え方』(朝日新聞社, 2006年5月)、のち文庫
- 『甦る
ヴェイユ
』(洋泉社MC新書, 2006年9月)
- 『思想とはなにか』(春秋社, 2006年10月)
- 『生涯現役』(
洋泉社
, 2006年11月)
- 『思想の
アンソロジ?
』(
筑摩書房
, 2007年1月)、ちくま?芸文庫、2013年
- 『??』(講談社インタ?ナショナル, 2007年2月)、講談社文庫、2011年7月
- 『吉本隆明 自著を語る』(ロッキング?オン, 2007年6月)、新版2012年
- 『よせやぃ。』(ウェイツ, 2007年9月)
- 『日本語のゆくえ』(光文社, 2008年1月)、のち文庫
- 『「情況への?言」全集成1 1962~1975』(洋泉社MC新書, 2008年1月)
- 『「情況への?言」全集成2 1976~1983』(洋泉社同, 2008年3月)
- 『「情況への?言」全集成3 1984~1997』(洋泉社同, 2008年5月)、完本版?洋泉社、2011年11月
- 『心的現象論?本論』(
文化科?高等?究院出版局
, 2008年7月、同?知の新書、2022年)
- 『 「芸術言語論」への?書』 (李白社、2008年)
- 『貧困と思想』(?土社、2008年)
- 『吉本隆明全マンガ論 表現としてのマンガ?アニメ』(小?館クリエイティブ、2009年)
主な?後刊行
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]
- 『第二の敗?期 これからの日本をどうよむか』春秋社、2012年
- 『宮?賢治の世界』筑摩選書、2012年、講演集
- 『吉本隆明が最後に遺した三十万字 下 吉本隆明、時代と向き合う』ロッキング?オン、2012年
- 『フランシス子へ』講談社、2013年3月、講談社文庫、2016年3月。瀧晴巳構成?文
- 『吉本隆明の???』筑摩選書、2014年。中?新一編著
- 『「反原?」異論』論創社、2015年1月
- 『思想の機軸とわが軌跡 思想表出篇』
文化科?高等?究院出版局
, 2015年7月
- 『全南島論』作品社、2016年
- 『アジア的ということ』筑摩書房、2016年
- 『親鸞の言葉』中公文庫、2019年。新編
- 『ふたりの村上
村上春樹
?
村上龍
論集成』論創社、2019年
- 『地獄と人間 吉本隆明拾遺講演集』ボ?ダ?インク、2020年
- 『わが昭和史』ビジネス社、2020年
- 『詩歌の呼び?
岡井隆
論集』論創社、2021年、松岡祥男編
- 『憂?の文?者たちに 60年安保?全共?論集』講談社文芸文庫、2021年
- 『吉本隆明が語った 超資本主義の現在:その本質への思想』知の新書004、文化科?高等?究院出版局、2022年
- 『心的現象論?本論』知の新書SONDEOS A01、文化科?高等?究院出版局、2022年1月
- 『わたしの本はすぐに終る 吉本隆明詩集』講談社文芸文庫、2024年
共著
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]
- 『文?者の
??責任
』
武井昭夫
と 淡路書房, 1956
- 『民主主義の神話
安保??
の思想的?括』
谷川雁
、
埴谷雄高
、
森本和夫
、
梅本克己
、
?田?一
と 現代思潮社 1960
- 『
現代日本思想大系
4
ナショナリズム
』吉本隆明編?解?、筑摩書房, 1964
- 『現代詩論大系2 1955-1959 上』(編著) 思潮社, 1965
- 『どこに思想の根?をおくか 吉本隆明?談集』1972.5 筑摩書房
- 『思想の根源から 吉本隆明?談集』?土社, 1975
- 『思想の流儀と原則 吉本隆明?談集』勁草書房, 1976
- 『意識革命宇宙 埴谷雄高?談吉本隆明』
埴谷雄高
と 河出書房新社 1975.10
- 『討議近代詩史』
鮎川信夫
、
大岡信
と 思潮社, 1976
- 『
近松門左衛門
の世界』大東急記念文庫, 1976
- 『
荒地
詩集 1954』(荒地同人?編著) ?文社, 1976
- 『
ダ?ウィン
を超えて 今西進化論講義』
今西錦司
,吉本隆明 朝日出版社 1978.12
- 『詩の?解』
鮎川信夫
と 思潮社, 1981.7
- 『思想?本 親鸞』吉本隆明編
法藏館
, 1982
- 『?育??校?思想』聞き手
山本哲士
日本エディタ?スク?ル出版部, 1983年
- 『素人の時代 吉本隆明?談集』角川書店, 1983.5
- 『相?幻論』
栗本?一?
と 冬樹社, 1983.10
- 『大衆としての現在 極言私語』聞き手
安達史人
北宋社, 1984.12
- 『現在における差異 吉本隆明?話集』福武書店, 1985.1
- 『難かしい話題 吉本隆明?談集』?土社, 1985.10
- 『全否定の原理と倫理』
鮎川信夫
と 思潮社, 1985.11
- 『遊びと
精神??
』
町??夫
と 創元社, 1986.1
- 『音?機械論 Electronic dionysos』
坂本龍一
と トレヴィル, 1986、ちくま?芸文庫 2009
- 『さまざまな刺戟 吉本隆明?談集』?土社, 1986.5
- 『不?革命の時代 吉本隆明?談集』河出書房新社, 1986.7
- 『都市とエロス ?話』
出口裕弘
と 深夜叢書社, 1986.11
- 『思想の流儀と原則 吉本隆明?談集』?補新? 勁草書房, 1986.6
- 『よろこばしい邂逅 吉本隆明?談集』?土社, 1987.10
- 『いま、吉本隆明25時 1987年9月12~13日東京?品川/寺田倉庫T-33?館で行われた24時間連?講演と討論?全記?』弓立社 , 1988.2
- 『人間と死』 春秋社, 1988.6
- 『吉本隆明〈
太宰治
を〉語る シンポジウム津??弘前 '88の記?』 大和書房, 1988.10
- 『書物の現在』 書肆風の薔薇, 1989.2
- 『
琉球
弧の喚起力と南島論』 河出書房新社, 1989.7
- 『解?される場所 20時間完全討論』 集英社, 1990.9
- 『
天皇制
の基層』
赤坂憲雄
と 作品社, 1990.9
- 『吉本隆明「五つの?話」』新潮社, 1990.10
- 『思想としての死の準備 いのち?
ホスピス
?ことば』 三輪書店, 1993.3
- 『時代の病理』
田原克拓
と 春秋社, 1993.5
- 『こころから言葉へ』聞き手
北山修
弘文堂, 1993.11
- 『<非知>へ』 春秋社, 1993.12
- 『?幻想(平成版)』聞き手
芹?俊介
春秋社, 1995.2
- 『日本人は思想したか』
梅原猛
?中?新一 新潮社, 1995.6
- 『日本の境位を探る』
隅谷三喜男
?
佐?木毅
?
林健太?
?
中谷?
?
日本有?者連盟
編、四谷ラウンド、1995年
- 『尊師
麻原
は我が弟子にあらず オウム?サリン事件の深層をえぐる』
プロジェクト猪
?間書店, 1995.12
- 『吉本隆明の文化? プレ?アジア的ということ』文化科?高等?究院出版局, 1996.6
- 『吉本隆明×吉本ばなな』
吉本ばなな
と ロッキング?オン, 1997.2
- 『夜と女と
毛?東
』
?見庸
と 文藝春秋, 1997.6 のち文庫
- 『宗?論?』
小川?夫
と
小?書店
, 1998.11
- 『
ミシェル?フ?コ?
と『
共同幻想論
』』
中田平
光芒社 1999.4
- 『私の「??論」』
田近伸和
ぶんか社, 1999.9
- 『中?生の?科書 美への?き』四谷ラウンド 2000.6
- 『だいたいで、いいじゃない。』
大塚英志
文藝春秋, 2000.7
- 『<老い>の現在進行形 介護の職人、吉本隆明に?いにいく』
三好春樹
春秋社, 2000.10
- 『超「20世紀論」上下』聞き手田近伸和 アスコム, 2000.9
- 『
?人正機
Only is not lonely』聞き手?井重里(朝日出版社, 2001.6)、のち新潮文庫
- 『超「??論」上下』聞き手
田近伸和
アスコム, 2002.11
- 『
?史
としての
天皇制
』
網野善彦
、
川村湊
作品社、2005年
- 『時代病』
高岡健
ウェイツ, 2005.7
- 『子供はぜ?んぶわかってる 超「?師論」?超「子供論」』聞き手
向井吉人
,
尾崎光弘
批評社, 2005.8
- 『還りのことば』
芹?俊介
,
菅?融爾
,
今津芳文
雲母書房, 2006.5
- 『文?と非文?の倫理』
江藤淳
と、中央公論新社, 2011、?補?中公文庫, 2017。?話集成
- 『書 文字 アジア』
石川九楊
と、筑摩書房, 2012
- 『「すべてを引き受ける」という思想』
茂木健一?
と、光文社, 2012、のち文庫
- 『開店休業』
ハルノ宵子
と、プレジデント社, 2013、のち幻冬?文庫
- 『吉本隆明 最後の贈りもの』聞き手?
道浦母都子
、潮出版社, 2015.4
- 『思想を?む 世界を?む』山本哲士と 文化科?高等?究院出版局, 2015.7
- 『吉本隆明質疑?答集』全3?、論創社、2017
全集類
[
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]
- 『吉本隆明全著作集』全15? 勁草書房, 1968~1975
- 『吉本隆明全著作集 ?』勁草書房, 1978 全10?以上刊行される予定だったが、3?しか刊行されなかった。
- 『吉本隆明全集撰』大和書房, 1986~1988。第1~第7?が刊行(第2?は未刊行)
- 『吉本隆明全?談集』全12? ?土社, 1987~1989。上記?共著?照
- 『吉本隆明が語る?後55年』全12? 吉本隆明?究?編(
山本哲士
、
高橋順一
ほか)三交社, 2000~2003年
- 『吉本隆明全詩集』思潮社, 2003年から刊行中。2008年初時点で4?まで刊行。
- 『吉本隆明資料集』猫?堂, 2000年から刊行中。2008年初時点で70?を超えている。
- 『吉本隆明〈未??〉講演集』全12?、筑摩書房、2012~2015年
- 『吉本隆明全集』晶文社, 2014年から刊行中。全38?。別冊1。
CD
[
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]
- 『吉本隆明全講演ライブ集』弓立社から2001年より刊行中。2008年初時点で18?まで刊行。
- 『吉本隆明五十度の講演』東京?井重里事務所から2008年に??。講演時間の?計6943分。2009年5月に「世界一長いオ?ディオブック」として
ギネス?ワ?ルド?レコ?ズ
に認定を受けた。
DVD
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]
- 『吉本隆明 語る』NHKエンタ?プライズより2009年7月に??。
- 2009年1月にNHK?育 ETV特集で放送された「吉本隆明 語る」のDVD化。
- 『吉本隆明語る「思想を生きる」』京都精華大?より2008年刊行。
- 宗?思想史家?笠原芳光を聞き手としたインタビュ?映像を??。京都精華大?創立40周年記念事業として無料配布されている
[102]
。
脚注
[
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]
注?
[
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]
- ^
入籍自?は1957年5月に行われた。
- ^
この「?中派」としての????に吉本思想の核心を見るものに、
小熊英二
の『<民主>と<愛?>』(2002.新曜社)がある。
- ^
富山?
にある
日本カ?バイド工業
の工場に動員され、終?直後、荷物をたくさん背負った
復員兵
に出?ったことが大きな衝?を受けたと「思想的不毛の子」で書いている。
- ^
小野十三?
、
安西冬衛
、
竹中郁
らによる大阪の詩誌。
- ^
?募詩3篇の「審判」「絶望から苛酷へ」「火の秋の物語」が、年鑑詩集である『荒地詩集1954』に?載され、同賞を受賞。他の受賞者は
中江俊夫
、
鈴木喜?
。また「荒地」は
鮎川信夫
、
田村隆一
が主宰した。
- ^
?野健男
、
日野啓三
、
服部達
、
?岡卓行
らと創刊し、吉本は同人となる。
- ^
武井昭夫は、
新日本文??
員かつ?時
日本共産?
員(後1960年除名)であった。
- ^
武井昭夫
からの1998年時点での?時の回想として、
柄谷行人
?
絓秀?
によるインタビュ?「50年代の運動空間」がある(「批評空間」II期20?、のちに武井によるコメントを付して、武井昭夫?話集『私の?後?運動から未?を見る』??)。
- ^
その背景には、1950年以?の、米ソ
冷?
の激化、
中華人民共和?
の成立、
朝鮮??
勃?、その中での、1950年
コミンフォルム
=
スタ?リン
からの
日本共産?
批判そして、共産?分裂と混?、
?田球一
ら主流派の武???路線とその破綻、1955年の
六全協
における統一と、
宮本?治
?制の確立という激動のなかでの?言である。同年1956年には
フルシチョフ
による、?成の
マルクス主義
の?威を失墜せしめる契機となった
スタ?リン批判
および
ハンガリ?動?
も起きている。
- ^
『印刷インキの?み 東洋インキ六十年史』によれば1953年4月、??組合連合?組合長に就任、吉本委員長?制による??運動が開始された。
- ^
「現代批評の?」は
井上光晴
、
?野健男
、
?岡卓行
、
武井昭夫
、吉本隆明の5人で結成し、のち
島尾敏雄
、
?木?一
、
佐古純一?
、
橋川文三
が加わった。
- ^
全?連主流派を掌握していたのが安保
ブント
=
共産主義者同盟
?世界初の共産?からの?立左翼と言われる。『
中央公論
』1960年4月?に
島成?
(後に精神科?として主に沖?で地域?療に貢?)、
葉山岳夫
(後の弁護士)というブント幹部との座談?を行っている。「
トロツキストと
云われても」 吉本は、同伴知識人第二?と言われた。なお、第一?は
社??
者の
?水幾太?
。
- ^
この時の?子を吉本は、「警官隊の棍棒に追われ、追付かれたものは力いっぱい?打されている、?をのりこえるほかに生命を全うして逃げる道がなかった」と述べている。不作?にのりこえた?の中は警視??であり、30?人の?生と共にそこで逮捕された
[7]
。
- ^
全?連主流派を牽引した60年安保ブント(安保終結後解?)に?しては?時、一員であった
西部邁
の『60年安保センチメンタルジャ?ニ?』(1986年。再?2007洋泉社)が?時の雰??を?えている。島成?についても、一章を割いて論じている。
- ^
61年6月には、「退?の誘い」と言う論考において、「自立組織が各種各?にある求心的な運動をつづけ、脈絡をつけては、核のほうこうへ繰り?み、また脈絡をル?ズにして各種各?の自立的な運動を?けながら徐?に結晶していく」という組織論=運動論が述べられている。
- ^
島とは、吉本が、ブント=全?連に同伴して
60年安保
を通過したということを超えて密接であり?けた。60年9月、安保ブントが解??況を露呈し、島がブント?で孤立して沈?を守っているときの島の「ノ?ト」(日記)(『
ブント
書記長島成?を?む』所?)には吉本宅を訪ねた後の感想として「彼の考えは俺とすこぶる共通している」とある。また60年から61年にかけての島の「ノ?ト」によれば、「いかにして革命的復活をなしとげるか」として、その成果の一番目に「吉本隆明らの?誌の?行の目安が付いた」(61年6月25日付け)ことが?げられている。また2000年10月島成?の死の際には、吉本は「『?たる器』の人」」(「沖?タイムス」2000年10月22日朝刊、のちに『
ブント
書記長島成朗を?む』等に?載。)という心情あふれる追悼文を書いている。吉本はそこで、「知っている範?で、谷川雁さんと武井昭夫さんとともに島成?さんは『?たる器』をもった優れたオルガナイザ?だと思ってきた」と述べている。
- ^
資金は、?時の金で11万円ほどだった。
- ^
武井昭夫
の回想によれば、?初、吉本から「『試行』?行を吉本?
谷川雁
?武井昭夫の3人でやらないか」という相談があったという。武井によれば?った理由は「吉本-花田論?の成り行きをみてきて、吉本さんへの友情はそれとして、かれの考えとはやがて衝突は避けられないだろうという思いから、?退した」という
[8]
。
- ^
吉本が刺激を受け解?を書いた『日本語はどういう言語か』(講談社、1976年)の著者である
三浦つとむ
は、1977年に病?になるまでの10年間、『試行』に??欠かさずに論文を?表した。 『三浦つとむ選集』1?(勁草書房、1983年)、13頁。
- ^
この表題は、大江健三?『われらの時代』からとられている。
- ^
?められた論考は「?向論」「丸山?男論」。
- ^
著名なものに、1987年に出版された田川建三『思想の危?について-吉本隆明がたどった軌跡』(インパクト出版)がある。
- ^
吉本は、この講演で、「言語の『幹や根』は『沈?』(自己表出)であり、コミュニケ?ション(指示表出)の部分は『枝葉』である」と述べた。なお、この模?は、「ETV特集」にて2008年1月4日にダイジェストが放映された
[12]
。
- ^
小?一?
は?時自民?を飛び出、
新生?
を結成し、
自民?
を政?から降ろし、
社??
を含む8?派連立の
細川護?
?閣を短期間成立させていた。そのとき小?が出版した『日本改造計?』を吉本は評?している。『わが?向』P21p24p2529p60?照。
- ^
大塚は、「これはサブカルチャ?の保守化とか右傾化ではなく、ナショナリズムの質的?化ではないでしょうか。すでにそれをナショナリズムと呼んでいいかどうかわからないという?況の中に、今君が代、?家の問題がある」とし、吉本はそれに?答している
。
- ^
鶴見俊輔
を最も高く評?し、吉本隆明にその視点からかなりの疑問を呈している。
- ^
2007年の?谷陽一とのインタビュ?では、「僕があまり口に出せないような反省があるとすればそこ」とも述べている
[42]
。
- ^
例えば吉本は、?岸??が起こった時に、保守派や進?派などの、??な「知的な」グル?プから出された、反?や和平や停?や多?籍軍への感謝などの「?明」に?して、「名?の??をつかまえようとして、つぎつぎ表皮をむいてゆくと何もなくなってしまうことになっている。」と、じぶん以外の責任において「理念が死んでしまう」として、「知的な」グル?プが集まって「象?的な名?」を表明することを、否定的にとらえていた
[45]
。
- ^
?時文系であれば、?徒出陣により、東大法?部助手の丸山?男さえ、?集され、丸山は二等兵として??に?加した。
- ^
「たえず特?的な感じから追跡されていた」という。また、吉本によれば、米?高等工業?校の在?時、「武?派」の?生たちから大?に進?すべきか否かで議論が起き、「武?派」の?生たちは「今は?家危急の時だ」と軍隊への入?を、成績上位者で大?受?を許されていた吉本らの?生たち(化?科60人の?、一割の6名)に迫った。しかし、吉本の「大?にいって?門分野をもっと勉?して、より高い技術を身に付け、お?のために役立てようとすることが、どうして?いことなんだ」と反論しそれが通り、迷いもあったが????のある父のリアルな?場の話も聞き、東京工業大?に進?したという
。
- ^
原文は以下の通り。「おれの乏しい知見の範?でいえば、この本を?まずに現在の世界の思想を語るのは、どんな立場にしろ、?まないほうがモグリだといえるのは、現存している思想では、M?フ?コ?の「言葉と物」だけだと思う。」
- ^
フェリックス?ガタリ
が「日本には政治的、文化的には古い?統も?している」日本には天皇がまだ象?として存在している。それは「非常に珍しいこと」で「いいことだ」といったことをさすと思われる。2002年になって『超???論』でも再び語られている
[87]
。
- ^
他に
小田切秀雄
、
西田勝
、
小田?
が?起人。
出典
[
編集
]
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“
ブックウオッチング:新刊 『吉本隆明と「共同幻想論」』=山本哲士?著
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ISBN 4-06-196101-2
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この論?に?しては、好村 ?士彦『??の決?―
花田?輝
?吉本隆明論?』晶文社 (1986)が詳しい。?時の雰??を?えている。またこの
磯田光一
は「吉本隆明年譜」(『埴谷雄高?吉本隆明の世界』朝日 出版社:1996年所?)』よりの重引(用)。またこれら年譜的事?自?も川上氏作成年譜などを?考にした。
- ^
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b
吉本隆明 「六?一五事件と私」『重層的な非決定へ』 大和書房、1985年10月、pp.132-133。
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『試行』創刊の?緯??行部?に?しての??は、『吉本隆明の時代』
?秀?
(作品社、2008)に寄る。
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吉本隆明 『重層的な非決定へ』 大和書房、1985年10月。
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、1995年2月。このタイトルは編集者がつけたものである。後書き?照。
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KAWADE夢ムックp
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“【吉本隆明氏死去】 ?後思想に?倒的な影響 時代と格?したカリスマ 若者を引きつけた吉本思想”
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共同通信
. (2012年3月16日).
オリジナル
の2013年10月14日時点におけるア?カイブ。
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柄谷行人
や
?田彰
らの吉本への批判(『近代日本の批評2昭和編』講談社?術文庫に詳しい)への?答である。
柄谷行人
?
?田彰
?
蓮?重彦
らもそこでかなり激しく吉本を批判している。
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”. 京都精華大?.
2018年10月17日
??。
?考文?
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2018年10月
)
|
- 好村?士彦
『??の決?―花田?輝?吉本隆明論?』
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- ?行版『宮台?司 interviews』(世界書院 2005年)??) 朝日新聞社
- 『三田文? 第70? 吉本隆明?私の文?』(聞き手?
田中和生
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- 吉本隆明、田近伸和(聞き手)『超「??論」』 上、アスキ??コミュニケ?ションズ、2002年11月。
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- 吉本隆明、田近伸和(聞き手)『超「??論」』 下、アスキ??コミュニケ?ションズ、2002年11月。
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- 『現代詩手帖 臨?(1):吉本隆明 (新?版) 』※元版1972年 思潮社 2003年
- 『現代詩手帖 臨?(2):吉本隆明と<現在> (新?版) 』※元版1986年 思潮社 2003年
- 『現代詩手帖 臨?(3):吉本隆明入門』
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思潮社
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- ?藤?一編『米?時代の吉本隆明』 梟社刊???新泉社 2004年
- 『吉本隆明 : 詩人思想家の新たな全貌 : ?特集』河出書房新社〈Kawade夢ムック. 文藝別冊〉、2004年2月。
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- 吉本隆明『「情況への?言」全集成』 3?、洋泉社〈MC新書〉、2008年5月。
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- 竹?, 洋
『メディアと知識人 - ?水幾太?の覇?と忘却』
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『吉本隆明 1968』
平凡社新書
2009年、
平凡社ライブラリ?
2017年
- 山本哲士
『吉本隆明と『共同幻想論』』
晶文社
2016年
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