田安?川家

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田安?川家
家紋
本姓 ?? ?和源氏
家祖 ?川宗武
種別 武家
華族 伯爵
出身地 武?? 江?
主な根?地 武??江?
東京市 芝? 三田綱町
著名な人物 ?川達孝 ?川宗賢
凡例 / Category:日本の氏族

?江?城(現?皇居) 田安門
2009年7月13日撮影

田安?川家 (たやすとくがわけ)は、 ?川?軍家 一門 である 御三卿 の一つ。?に 田安家 とも言う。

?要 [ 編集 ]

江?幕府 第8代 ?軍 吉宗 の次男 宗武 を家祖とし、 ?川?軍家 に後嗣がないときは御三卿の他の2家とともに後嗣を出す資格を有した。家格は 御三家 に次ぎ、石高は10万石。家名の由?となった屋敷、田安邸は 江?城 田安門 ?で ?水邸 の西、現在の 北の丸公園 ? 日本武道館 付近にあり、同地が田安明神(現? 築土神社 )の?地であったことからこの名が付けられた [1] 。なお、御三卿はいずれも?立した別個の「家」ではなく、「?軍家(?川宗家)の家族」、いわば「 部屋住み 」として認識されていた。したがって、領地は 幕府領 から名目的に割かれているのみで支配のための は持たず、家臣?も少人?の出向者(主に 旗本 、他に?主生家の 家中 など)で構成されていた。

享保 14年( 1729年 )、宗武は 元服 して 右衛門督 と?し、御守(家老)?名を付けられて ?米 で賄料3万俵を?えられた。翌15年( 1730年 )には田安門?に邸地を?えられ、翌16年( 1731年 )に屋形へ移った。 延享 3年( 1746年 )には?米支給が領地に切り替えられ、賄料領知10万石を 武? ? 上野 ? 甲斐 ? 和泉 ? ?津 ? 播磨 の6か?に?えられた。

宗武は俊英で知られ、 ?? を?び 和歌 をよくする好?の家系であったが、嫡子の2代 治察 が病弱で早世した。このとき、家に?っていた弟の賢丸( 松平定信 )は?に 白河藩 久松松平家 への養子行きが決められており、3代目を相?することが認められなかった。そのため、宗武の血筋は以後の田安家には?えられなかったが、定信を通じて久松松平家に?わった。田安家は十?年にわたり明屋敷(?主不在)となった後、 一橋家 出身の ?匡 が相?した。以後は 一橋宗尹 の血筋が?き、御三卿の中で唯一吉宗の子孫が幕末まで?主となった。

江?時代を通じて田安家から?軍を出すことはなかったが、15代?軍 慶喜 の謹?の後、 慶? 4年( 1868年 )閏4月に7代?主?之助が?川宗家を相?した(16代 ?川家達 )。翌5月に父 慶? が再承し、田安藩として 維新立藩 するも、 明治 2年( 1869年 )の 版籍奉還 の際に 知藩事 に任命されずに?藩となり、 明治 3年3月に家?3148石を支給された。明治9年に慶?の四男(家達の弟) 達孝 が家督相?。明治17年(1884年)に達孝は 伯爵 位を授けられた [2] 貴族院 の伯爵議員や 侍?長 日本弘道? 長などを?任した。東京府多額納?者でもあった。??品の一部は『?川?軍家御三家御三卿??品??』( 宮?出版社 )に編集???されている。?位は?一等 [3] 。田安?川伯爵家の邸宅は昭和前期に 東京市 芝? 三田 綱町 にあった [3]

田安家領 [ 編集 ]

延享3年に?領した10万石は 幕府直轄領 から分?され、御料としての扱いを受ける。??は 甲斐? 3万石をはじめ 武?? 1万7000石、 下?? ? 播磨? にそれぞれ1万2000石、 ?津? ? 和泉? にそれぞれ1万3000石。

甲斐?3万石は 山梨郡 ? 八代郡 の63か村で、山梨郡一町田中村に 陣屋 (田中陣屋、 山梨市 )が設置された。天保3年(1832年)には武??の領地替で山梨?八代?郡と巨摩郡から41か村が加えられる。甲斐?の田安家領では、 大小切?法 など甲斐?自の?制は維持されたが、たびたび?奪?化が行われて領民との?立を招き、?政4年(1792年)には田安家領において 太??動 が起こっている。幕末には上知が?討されたが、明治維新まで存?し、明治2年(1869年)には田安家支配に反?する領民の??側の主導により新政府に編入され、田安家領は消滅した(田安家領一揆)。

?代?主と後嗣たち [ 編集 ]

江?時代 [ 編集 ]

明治以降 [ 編集 ]

系譜 [ 編集 ]

凡例 :太線は?子、破線は養子、太字は?主

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宗武 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(一橋)宗尹
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
治察 2 松平定? 松平定信
 
 
 
(一橋)治?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
?匡 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
家? ?匡
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
?? 4 匡時 ?位 慶? 5/8 慶壽 松平慶永 慶臧 ??
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
?千代 6 家達 7 達孝 9 ?倫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
達成 10
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宗英 11 宗賢 宗廣 松平宗紀

幕末の領地 [ 編集 ]

  • 下??
  • 甲斐?
    • 山梨郡 のうち - 41村( 甲府? に編入)
      別田村、加茂村、熊野堂村、桑?村、小松村、寺本村(※1)、岩手村、一町田中村、西後屋敷村、小原村、大野村、上栗原村、上神?川村、上石森村、中村、歌田村、下井尻村、下神?川村、下石森村、東後屋敷村、落合村(※2)、窪平村、城古寺村(※3)、下荻原(しもおぎはら)村(※4)、綿塚村、山村、休息村(※5)、上?後村、西?門田(かわだ)村、西ノ原村、千野村、上粟生野村、上於曾村、中萩原村、牛?村、熊野村、下?後村、下粟生野村、下於曾村、赤尾村、下萩原(しもはぎわら)村(※6)
      ※1春日居町、※2山梨市、※3牧丘町、※4三富村、※5勝沼町、※6?山市
      (春日居町→笛吹市、牧丘町?三富村→山梨市、勝沼町??山市→甲州市)
    • 八代郡 のうち - 41村(甲府?に編入)
      上岩崎村、下岩崎村(※1)、市之?村、石村、上矢作村、金田村、竹原田村、土塚村、中尾村、新?村、?分村、狐新居村、北野呂村、南野呂村、下矢作村、地?堂村、千米寺村、東新居村、門前村(※2)、上平井村、下平井村(※3)、鶯宿村(※4)、井ノ上村、大野寺村、尾山村、蕎?塚村、八千?村、下野原村(※5)、南八代村、竹居村、高家村、北八代村(※6)、大窪村、小山村、前間田村、小?坂村、寺尾村、三?村(※7)、上大鳥居村(※8)、中山村、高萩村(※9)
      ※1勝沼町、※2一宮町、※3石和町、※4芦川村、※5御坂町、※6八代町、※7境川村、※8豊富村、※9三珠町
      (勝沼町→甲州市、一宮町?石和町?芦川村?御坂町?八代町?境川村→笛吹市、豊富村→中央市、三珠町→市川三?町)
    • 巨摩郡 のうち - 20村(甲府?に編入)
      平岡村、上市之?村、下市之?村、上野村、中野村(※1)、江原村、鮎?村、大師村、?水村、塚原村、古市場村(※2)、十日市場村、寺部村、加賀美村(※3)、平林村、小林村、?米村、天神中?村、小室村、高下村(※4)
      ※1櫛形町、※2甲西町、※3若草町、※4??町
      (櫛形町?甲西町?若草町→南アルプス市、??町→富士川町)
  • 和泉?
  • ?津?
  • 播磨?

上記のほか、 明治維新 後に 十勝? ??郡 を管轄した。

脚注 [ 編集 ]

  1. ^ 現在でも築土神社の境?にある末社の?荷は田安?荷と呼ばれる。
  2. ^ 小田部雄次 2006 , p. 70.
  3. ^ a b 華族大鑑刊行? 1990 , p. 70.
  4. ^ ?水?川家 と違い、?主?絶後も田安屋敷は??を免れ、?匡が第3代?主に決まるまで事?上の?主を務める。

?考文? [ 編集 ]

  • 小田部雄次 『華族 近代日本貴族の?像と?像』 中央公論新社 中公新書 1836〉、2006年(平成18年)。 ISBN   978-4121018366  
  • 華族大鑑刊行?『華族大鑑』 日本?書センタ? 〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。 ISBN   978-4820540342  

?連項目 [ 編集 ]

外部リンク [ 編集 ]