한국   대만   중국   일본 
陸軍省 - Wikipedia コンテンツにスキップ

陸軍省

出典: フリ?百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陸軍卿 から?送)
日本の旗 日本 行政機?
陸軍省
役職
大臣 大山? (初代)
下村定 (最後)
組織
?部部局 軍馬局、軍務局、人事局、兵器局、整備局、兵務局、?理局、?務局、法務局
?要
所在地 日本の旗 日本 東京都 新宿? 市谷本村町
設置 1872年2月27日
改? 1945年12月1日
テンプレ?トを表示

陸軍省 (りくぐんしょう)は、かつて存在した 日本 中央官? ?日本陸軍 軍政 を管轄した機? [1] 。主任の大臣は 陸軍大臣

1903年 明治 36年)以降、 1945年 昭和 20年) に至るまでの主な附?官?に航空本部?技術本部?兵器廠?造兵廠?科??究所?被服廠?糧?廠などがあり、?局に、大臣官房?人事局?軍務局?整備局?兵器局??理局??務局?法務局があった。

沿革 [ 編集 ]

1872年 (明治5年)2月に 兵部省 から分離し、 海軍省 とともに設置される。?初は 太政大臣 の統制下に 軍政 軍令 を一元的に統轄する フランス 型の陸軍組織として?足したが、後に軍令機?を?立させた プロシア 式に改められることとなり、 1878年 (明治11年)に ?謀本部 が設立され、 1900年 (明治33年)に?門?育重視のために?育機?として ?育?監部 を?立させて純?な軍政機?となった。

主任大臣は陸軍大臣。陸軍大臣は ?務大臣 として 親任官 であり、1900年(明治33年)5月の陸軍省官制以降は 現役 の陸軍中??大?が?任するようになった( 軍部大臣現役武官制 )。1913年の管制改正で現役制が削除され、 予備役 の陸軍中??大?の?任も可能となったが、 1936年 にはふたたび現役制に?った [1]

大東??? 太平洋?? ? 第二次世界大? 開? 直後の 1941年 昭和 16年)12月8日から15日にかけて、 ?謀本部 、?育?監部、 陸軍航空?監部 共?、 東京府 東京市 ?町? (現? 東京都 千代田? 永田町 三宅坂 一?から 牛?? (現? 新宿? 市ヶ谷台 陸軍士官?校 跡地に移?した。

1945年 (昭和20年)12月1日付けを以て陸軍省は 第一復員省 に改組(「第一復員省官制」、昭和20年11月30日勅令第675?)、 1946年 (昭和21年)6月14日に?海軍省を引き?いだ 第二復員省 と統合して 復員? となり、 1947年 (昭和22年)10月に?止されて 厚生省 第一復員局となった。その後 引揚援護? 業務局→ 厚生省 引揚援護局→援護局→ 社??援護局 を?て、2001年(平成13年)の 中央省?再編 厚生??省 社??援護局となり現在に至る。

?陸軍省の資財は 大?省 ?有財産局 (現? 財務省 理財局 )に一括移管された。 陸軍省の資料の一部は、厚?省社??援護局援護?業務課および 防衛省 防衛?究所 ?史 ?究センタ?に引き?がれている。また帝國陸海軍人の軍?は?時の 連隊?司令部 から 各都道府? の福祉??部局(例?東京都であれば 福祉局 生活福祉部)に引き?がれている。

陸軍卿?陸軍大輔 [ 編集 ]

陸軍卿?陸軍大輔一?
  陸軍卿 陸軍卿代理 陸軍大輔
補職日 陸軍卿 階級 出身 備考 陸軍卿代理 階級 出身 備考 陸軍大輔 階級 出身 備考
1872年(明治5年) 2月 27日      
2月 28日 山縣有朋 中? 山口
1873年(明治6年) 4月 18日
4月 29日 山縣有朋 中? 山口
6月 8日 山縣有朋 中? 山口
7月 2日 西??道 少? 鹿?島
1874年(明治7年) 2月 8日
3月 31日 津田出 少? 和歌山 在任:西??道 2名
4月 5日 津田出 少? 和歌山
6月 30日 山縣有朋 中? 山口
7月 8日 西??道 少? 鹿?島  
1875年(明治8年) 5月 22日
1876年(明治9年) 1月 8日 鳥尾小?太 中? 山口
3月 31日
1877年(明治10年) 2月 24日 西??道 中? 鹿?島
11月 26日
1878年(明治11年) 9月 12日 (兼)西??道
11月 8日  
12月 24日 西??道 中? 鹿?島
1880年(明治13年) 2月 28日 大山? 中? 鹿?島
1883年(明治16年) 9月 6日 山縣有朋 中? 山口
10月 9日
1884年(明治17年) 2月 13日 西??道 中? 鹿?島
1885年(明治18年) 1月 25日
12月 22日 ?閣官制(?閣職?)により陸軍卿は陸軍大臣に、陸軍大輔は陸軍次官に改?。

陸軍大臣 [ 編集 ]

? 肖像 任期 ?閣
1 大山?
12月22日
1885年
5月17日
1891年
第1次伊藤?閣
?田
第1次山縣?閣
第1次松方?閣
2 高島?之助
5月17日
1891年
8月8日
1892年
3 大山? 8月8日
1892年
9月20日
1896年
第2次伊藤?閣
第2次松方?閣
4 高島?之助 9月20日
1896年
1月12日
1898年
5 桂太? 1月12日
1898年
12月23日
1900年
第3次伊藤?閣
第1次大??閣
第2次山縣?閣
第4次伊藤?閣
6 兒玉源太? 12月23日
1900年
3月27日
1902年
第1次桂?閣
7 寺?正毅 3月27日
1902年
8月30日
1911年
第1次西園寺?閣
第2次桂?閣
8 石本新六 8月30日
1911年
4月2日
1912年
第2次西園寺?閣
9 上原勇作 4月5日
1912年
12月21日
1912年
10 木越安綱 12月21日
1912年
6月24日
1913年
第3次桂?閣
第1次山本?閣
11 楠?幸彦
6月24日
1913年
4月16日
1914年
12 岡市之助 4月16日l
1914年
3月30日h
1916年
第2次大??閣
13 大島健一
3月30日
1916年
9月29日
1918年
寺?
14 田中義一 9月29日
1918年
6月9日
1921年
15 山梨半造
6月9日
1921年
9月2日
1923年
高橋
加藤
16 田中義一 9月2日
1923年
1月7日
1924年
第2次山本?閣
17 宇垣一成 1月7日
1924年
4月20日
1927年
?浦
加藤
第1次若槻?閣
18 白川義則
4月20日
1927年
7月2日
1929年
田中
19 宇垣一成 7月2日
1929年
4月14日
1931年
濱口
20 南次? 4月14日
1931年
12月13日
1931年
第2次若槻?閣
21 荒木貞夫 12月13日
1931年
1月23日
1934年
犬養
?藤
22 林銑十? 1月23日
1934年
9月5日r
1935年
岡田
23 川島義之 9月5日
1935年
3月9日
1936年
24 寺??一 3月9日
1936年
2月2日
1937年
?田
25 中村孝太? 2月2日
1937年
2月9日
1937年
26 杉山元 2月9日
1937年
6月3日
1938年
第1次近衛?閣
27 板垣征四? 6月3日
1938年
8月30日
1939年
平沼
28 畑俊六 8月30日
1939年
7月22日
1940年
阿部
米?
29 東條英機 7月22日
1940年
7月22日
1944年
第2次近衛?閣
第3次近衛?閣
東條
30 杉山元 7月22日
1944年
4月7日
1945年
小磯
31 阿南惟幾 4月7日
1945年
8月14日
1945年
鈴木
32 東久邇宮稔彦王 8月17日
1945年
8月23日
1945年
東久邇宮
33
下村定

8月23日
1945年
12月1日
1945年
幣原


?代陸軍大臣一?
?代陸軍大臣
成立?補職日 ?閣 陸相 階級 兵科 陸士 陸大 出身 備考
1885年(明治18年) 12月 22日 第1次伊藤?閣 1 大山? 中? 鹿?島 ?閣官制 が定められ陸軍省の主任が陸軍卿から陸軍大臣となる。
1888年(明治21年) 4月 30日 ?田?閣 2
1889年(明治22年) 12月 24日 第1次山縣?閣 3
1891年(明治24年) 5月 6日 第1次松方?閣 4
17日 5 高島?之助 中? 鹿?島  
1892年(明治25年) 8月 8日 第2次伊藤?閣 6 大山? 大? 鹿?島  
1896年(明治29年) 9月 18日 第2次松方?閣 7
20日 8 高島?之助 中? 鹿?島 拓相兼任
1898年(明治31年) 1月 12日 第3次伊藤?閣 9 桂太? 中? 山口  
6月 30日 第1次大??閣 10
11月 8日 第2次山縣?閣 11
1900年(明治33年) 10月 19日 第4次伊藤?閣 12
12月 23日 13 ?玉源太? 中? ?兵 山口 台??督 兼任
1901年(明治34年) 6月 2日 第1次桂?閣 14
1902年(明治35年) 3月 27日 15 寺?正毅 中? ?兵 山口 日露?? を?理する。
1906年(明治39年) 1月 7日 第1次西園寺?閣 16
1908年(明治41年) 7月 14日 第2次桂?閣 17
1911年(明治44年) 8月 30日 第2次西園寺?閣 18 石本新六 中? 工兵 ?1期 兵庫 薩長出身者以外で初の陸相就任。陸軍士官?校士官生徒出身で初の陸相就任。明治45年4月2日、在職中に死去。
1912年(明治45年) 4月 5日 19 上原勇作 中? 工兵 ?3期 宮崎 二個師??設問題 で???任し西園寺?閣を「毒殺?(?時の表現)する。
1912年( 大正 元年) 12月 21日 第3次桂?閣 20 木越安綱 中? ?兵 ?1期 石川  
1913年(大正2年) 2月 20日 第1次山本?閣 21
6月 24日 22 楠?幸彦 中? 砲兵 ?3期 高知  
1914年(大正3年) 4月 16日 第2次大??閣 23 岡市之助 中? ?兵 ?4期 4期 京都  
1916年(大正5年) 3月 30日 24 大島健一 中? 砲兵 ?4期 岐阜  
10月 9日 寺??閣 25
1918年(大正7年) 9月 29日 原?閣 26 田中義一 中? ?兵 ?8期 8期 山口  
1921年(大正10年) 6月 9日 27 山梨半造 中? ?兵 ?8期 8期 神奈川 原?閣の途中から入閣する。山梨軍縮を行う。
11月 13日 高橋?閣 28
1922年(大正11年) 6月 12日 加藤友三??閣 29
1923年(大正12年) 9月 2日 第2次山本?閣 30 田中義一 大? ?兵 ?8期 8期 山口  
1924年(大正13年) 1月 7日 ?浦?閣 31 宇垣一成 中? ?兵 1期 14期 岡山 陸軍士官?校士官候補生第1期出身の陸相就任。宇垣軍縮を行う。
6月 11日 加藤高明?閣 32
1926年(大正15年) 1月 30日 第1次若槻?閣 33
1927年(昭和2年) 4月 20日 田中義一?閣 34 白川義則 大? ?兵 1期 12期 愛媛 山東出兵 を?理する。
1929年(昭和4年) 7月 2日 濱口?閣 35 宇垣一成 大? ?兵 1期 14期 岡山  
1931年(昭和6年) 4月 14日 第2次若槻?閣 36 南次? 大? 騎兵 6期 17期 大分 騎兵科出身で唯一の陸相就任。
12月 13日 犬養?閣 37 荒木貞夫 中? ?兵 9期 19期 東京  
1932年(昭和7年) 5月 26日 齋藤?閣 38
1934年(昭和9年) 1月 23日 39 林銑十? 大? ?兵 8期 17期 石川  
7月 8日 岡田?閣 40
1935年(昭和10年) 9月 5日 41 川島義之 大? ?兵 10期 20期 愛媛 二?二六事件 を?理する。
1936年(昭和11年) 3月 9日 廣田?閣 42 寺??一 大? ?兵 11期 21期 山口  
1937年(昭和12年) 2月 2日 林?閣 43 中村孝太? 中? ?兵 13期 21期 石川 7日間のみの短期陸相。
9日 44 杉山元 大? ?兵 12期 22期 福岡  
6月 4日 第1次近衛?閣 45
1938年(昭和13年) 6月 3日 46 板垣征四? 中? ?兵 16期 28期 岩手  
1939年(昭和14年) 1月 5日 平沼?閣 47
8月 30日 阿部?閣 48 畑俊六 大? 砲兵 12期 22期 福島 「陸軍の?意」として???任し米??閣を瓦解に追い?む。
1940年(昭和15年) 1月 16日 米??閣 49
7月 22日 第2次近衛?閣 50 東條英機 中? ?兵 17期 27期 岩手  
1941年(昭和16年) 7月 18日 第3次近衛?閣 51
10月 18日 東條?閣 52 大? 首相 兼任。後に?謀?長も兼任。さらに陸軍大臣も兼任する。
1944年(昭和19年) 7月 22日 小磯?閣 53 杉山元 元帥 ?兵 12期 22期 福岡  
1945年(昭和20年) 4月 7日 鈴木貫太??閣 54 阿南惟幾 大? ?兵 18期 30期 大分 終?の大詔が渙?される。昭和20年8月15日未明に自決。
8月 17日 東久邇宮?閣 55 東久邇宮稔彦王 大? ?兵 20期 26期 京都 首相 兼任。終?直後の混?した陸軍の統制を?るため、首相が陸士同期で信?の厚い下村定大?を陸相に推すことを決めるが、下村大?が?州にあったため??するまでの間を首相自身が兼任した。
23日 56 下村定 大? 砲兵 20期 28期 高知 陸軍解?を?理する。
10月 9日 幣原?閣 57
12月 1日 陸軍省?止。同省の?務?理のため、 第一復員省 設置。

陸軍次官 [ 編集 ]

?部部局 [ 編集 ]

軍馬局 [ 編集 ]

軍馬局は 1874年 (明治7年) 3月31日 に「軍馬局?例」に基づき設置され、軍馬の調?等の馬政業務を掌った。支部として東京に第一?、仙台に第二?を設けた。 1886年 (明治19年) 3月1日 を以って?止され、所掌事務は騎兵局第三課が引き?いだ。

?代軍馬局長

  • 白?隆盛 :明治7年3月31日 - 明治8年11月14日
  • (兼) ?川通軌 :明治8年11月14日 - 明治13年4月29日
  • 佐野延勝 :明治13年4月29日 - 明治19年3月1日

軍務局 [ 編集 ]

1890年 (明治23年) 3月 に設置され、 1945年 (昭和20年) 12月 の陸軍省?止まで存?した。主たる所掌事務は?防政策?陸軍建制?編制計??動員計??予算に?する事項、軍需行政や?家?動員?制等多岐にわたり陸軍に?する行政、いわゆる軍政は主にこの局から?せられた。明治5年2月兵部省を陸海軍省と分割した際にも軍務局はあったが、その時は主に?兵?騎兵の兵科に?する事項を取り扱っていた。明治6年4月に第2局と改め、明治12年10月には人員局と改?された。このころはもっぱら後の人事局が掌る事務を行っており、 1890年 (明治23年)3月に設置された軍務局との連?性はない。明治5年2月の秘史局とその後身である 1873年 (明治6年)4月の第一局は所掌事務が「通報?軍務?係」でそれを引き?いだ明治12年10月の?務局が本?の前身で、?務局創設時の所掌事務は「庶務??兵?制規」だった。しかし、 1890年 (明治23年)3月の官制改正まで陸軍省では各兵科別に事務を執り行っていたが、それらを全て?し事務は軍務局が掌ったため所掌事務の上ではどの局とも連?していない。

軍務局は帝?議?との折衝も行っていたが、 1938年 (昭和13年) 3月3日 ?時の軍務局軍務課??班長の 佐藤賢了 中佐が野次に?し「?れ!」と一喝した「?れ事件」がある。これは時の陸軍大臣杉山元大?が謝罪することで決着するが、佐藤中佐は後に中?に進級し軍務局長に就任する。?後連合?側からA級?犯に指名されるが、これは先の?れ事件も原因の一つという。

  • 1890年 (明治23年)3月27日 軍務局創設、第1軍事課?第2軍事課?馬政課???課?砲兵事務課創設、工兵局を工兵事務課として編入
  • 1896年 (明治29年)5月9日 工兵事務課を工兵課に、砲兵事務課を砲兵課に改?
  • 1897年 (明治30年)9月3日 兵器課を新設、馬政課を騎兵課に、第1軍事課を軍事課に、第2軍事課を?兵課に改?
  • 1900年 (明治33年)5月 兵器課を?止
  • 1903年 (明治36年)5月1日 ??課?止
  • 1919年 (大正8年)4月12日 航空課創設
  • 1926年 (大正15年)10月1日 兵務課?兵備課??募課?防備課創設、航空課??兵課?工兵課?砲兵課を?止、騎兵課を馬政課に改?
  • 1936年 (昭和11年)8月1日 軍務課を創設、兵務課?兵備課?防備課?馬政課を兵務局へ移行、?募課を人事局へ移行
  • 1945年 (昭和20年)4月28日 整備局より?備課移行

?代軍務局長 (※氏名前の括弧はそれぞれ(心)は心得、(扱)は事務取扱、(兼)は兼職を表す。)

人事局 [ 編集 ]

明治5年に陸軍省が創設された際には兵科別に局が作られ、人事はそれぞれ別?に行っていた。明治12年10月の官制改正で人員局が創設され、所掌事務は「?官、?謀?びに?兵、騎兵、憲兵、輜重兵の各兵科及び??部、軍?部の人員調査」であったが砲兵局?工兵局ともに人員課を持ち、人事については統一されていなかった。明治19年3月に人員局が?止され人事については?務局第四課が掌った。この時には?限が全軍人に亘るが、騎兵局?砲兵局?工兵局では別個に人員調査を掌り?校名簿を管理していた。翌年6月には人事課に改?され、明治23年3月各兵科別の局が?止され軍務局に一本化され、人事については大臣官房人事課が一括して掌握した。明治33年5月初めて人事局が創設された。所?課は補任課と恩賞課。この?制が長く?いたが、昭和11年8月、?募課が新設された。昭和13年新たに功績調査部が設置された。昭和14年には先の?募課が兵務局兵備課に移管され、1部2課?制で終?を迎えることとなる。昭和20年11月30日に陸軍省が?止され、外地の軍人及び邦人の引揚に係る第一復員省に改組されるが、陸軍省人事局は業務局として?った。これは復員?に改組縮小されても第一復員局業務部として?った。

  • 1900年 (明治33年)5月20日:人事局創設、補任課?恩賞課を置く
  • 1936年 (昭和11年)8月1日:?募課新設
  • 1938年 (昭和13年)7月15日:功績調査部を新設
  • 1939年 (昭和14年)1月16日:?募課を兵務局へ移管

?代人事局長 (※階級は就任時のもの、前身の人事課長も?げた)

兵器局 [ 編集 ]

日露??に辛勝した日本は、兵器の?究?改良の必要性から明治41年12月に兵器局を設置する。始め銃砲課?器材課の二課を管掌していた。外局の 陸軍技術審査部 陸軍兵器廠 、砲兵工廠及び陸軍火??究所も所管した。大正7年6月には工政課を新設し軍需工業動員について管掌した。かねてから兵器に?する行政??務は陸軍省兵器局? 陸軍技術本部 ?陸軍兵器廠が執り行っていたが、?局か外局と言う立場があるものの何れも陸軍大臣の下に位置し?列であったため、一元化を?り昭和17年10月これらを統合し新たに陸軍省の外局として 陸軍兵器行政本部 に改編した。

  • 明治41年12月21日:兵器局新設、銃砲課?器材課を置く
  • 大正7年6月6日:工政課を置く
  • 大正15年9月30日:工政課を?止
  • 昭和11年8月1日:器材課を?し、機械課を置く
  • 昭和16年4月10日:器材課が復活
  • 昭和17年10月15日:兵器行政本部に改組

?代兵器局長

整備局 [ 編集 ]

大正15年10月に新設された整備局は大正9年8月に設置された外局の作?資材整備?議を前身とする。同?議は?用資材整備?補給や、?略?術?育以外の諸般にわたる事項を審議し、陸軍大臣に意見具申を行った。議長は陸軍次官が、副議長は軍務局長が兼ねた。この?議に大正11年4月より臨時軍事調査委員?の業務の一部を?承した。臨時軍事調査委員?は列?の軍事事情調査のために設けられた官制外の組織で、後に軍事調査部?調査部と名を?え、新聞班?調査班を管轄した。作?資材整備?議は?家?動員?制の確立のため大正15年10月の官制改正により整備局として改編された。局長には?議幹事長が就任し、動員課と統制課が置かれた。召集?動員、軍需工業の指導、軍需品の統制?補給?製造について管轄した。昭和11年8月には動員?統制の二課が?止され新たに整備課??備課が設置された。所掌事務に陸軍軍需審議?の管轄が加わり、軍需動員?制について?化された。その後?度、課の改編を?て昭和20年4月業務を軍務局?兵務局?陸軍燃料本部に移して整備局は?止された。

  • 大正9年8月10日:作?資材整備?議を設置
  • 大正15年10月1日:整備局新設、動員課?統制課を置く
  • 昭和11年8月1日:動員課?統制課を?止、?備課?整備課を置く
  • 昭和14年1月16日:整備課を?止、工政課?資源課 [3] 。?交通課を置く
  • 昭和16年4月10日:資源課を燃料課と改める。
  • 昭和17年10月9日:工政課を?止
  • 昭和20年4月28日:整備局?止、業務を軍務局?兵務局?陸軍燃料本部へ移管

?代整備局長

兵務局 [ 編集 ]

兵務局は、昭和11年8月1日に新設された。昭和11年2月には?年?校のク?デタ?「 二?二六事件 」が起こり、軍紀?風紀の監督部署として軍務局から分離??立した。?時の所?課は兵務課?防備課?馬政課。主な所掌事務は軍紀?風紀に?する事項、 典範令 に?する事項(軍部?に係る規則のことで正しくは典令範だが、典範令(てんぱんれい)と呼び慣わした。)についての事項や、要塞地???防用土地に?する事項、軍馬の管理に?する事項など。風紀についても取り扱っていたことから終?後の昭和20年11月に新たに規律課が新設された。

  • 昭和11年8月1日:兵務局新設、所?課は兵務課?防備課?馬政課。
  • 昭和14年1月16日:防備課?止、兵備課?防衛課新設
  • 昭和17年10月15日:??課新設
  • 昭和20年4月27日:馬政課?防衛課???課?止
  • 昭和20年11月9日:規律課新設

?代兵務局長 ※就任階級は那須義雄の大佐で就任した"心得"を除き陸軍少?。

?理局 [ 編集 ]

?理局は明治5年2月27日陸軍省創設の際に設けられた?計局が前身で、明治6年3月に第五局と改?するが、明治12年10月?計局に復し、明治24年8月16日に?理局へ改?した。終?時には主計課?建築課?衣糧課の3課で構成された。局長は主計中少?、課長は主計大佐が補任された。?理局は陸軍省が第一復員省に改組されてもほぼそのまま?り、最後の局長森田親三主計中?がそのまま局長についた。第一復員省が第二復員省と統合し復員?に縮小されると?局第一復員局の?理部となった。

  • 明治5年2月27日:陸軍省創設に際し、?計局が設けられる
  • 明治6年3月24日:陸軍省職制が改正され?計事務を掌る第五局が置かれる。
  • 明治12年10月10日:陸軍省達乙第72?により第五局が?計局と改められる。
  • 明治24年8月16日:?計局を?理局と改める。
  • 明治33年5月20日:?理局に主計課?建築課?被服課?糧?課を置く。
  • 明治36年5月1日:糧?課と被服課を統合し衣糧課を置く。
  • 明治36年11月30日:勅令第182?により陸軍監督?監を陸軍主計?監(中?相?官)と改める。
  • 大正13年12月20日:監査課を置く。
  • 昭和13年9月:“ 秋丸機? ”こと?????究班を置く。
  • 昭和17年12月:?????究班、解散。?究機能は2年前に勅令を以て立ち上げられていた ?力??究所 に引き?がれる。
  • 昭和20年4月27日:監査課を?止する。

?代?理局長

  • 日付は就任日、その後の階級は就任時、括弧?は備考
  • 氏名前の括弧はそれぞれ(心)は心得、(扱)は事務取扱、(兼)は兼職を表す。
  • ?計局長
    • 船越衛 :明治5年2月27日/陸軍大丞(前職は兵部省?計局長)
  • 第五局長
    • 津田出 :明治6年3月29日/陸軍少?(明治7年7月から陸軍?計監督長を兼ねる。後に貴族院議員)
  • ?計局長
    • 田中光? :明治12年10月14日/陸軍?計監督長(後に、 宮?大臣 ?陸軍少?)
    • 川崎祐名 :明治14年10月31日/陸軍?計監督長
    • (心) 野田豁通 :明治24年4月15日/陸軍一等監督(明治30年4月8日任監督?監、後に男爵?貴族院議員)
    • 野田豁通:明治24年6月1日/陸軍監督長
  • ?理局長
    • 野田豁通:明治24年8月16日/陸軍監督長
    • 外松孫太? :明治34年4月15日/陸軍監督監(明治38年8月29日任陸軍主計?監、後に男爵?貴族院議員)
    • ?村楠造 :明治42年8月1日/陸軍主計監(大正2年3月4日任陸軍主計?監)
    • ??三 :大正3年5月11日/陸軍主計監(大正3年8月8日任陸軍主計?監)
    • 田中政明 :大正7年7月19日/陸軍主計監(大正7年7月24日任陸軍主計?監)
    • 三井?一? :大正12年10月10日/陸軍主計?監(後に貴族院議員)
    • 中村精一 :昭和3年12月21日/陸軍主計監
    • 小野寺長治? :昭和6年8月1日/陸軍主計監(後に貴族院議員)
    • 平手勘次? :昭和9年8月1日/陸軍主計?監
    • 石川半三? :昭和12年8月14日/陸軍主計監
    • 栗橋保正 :昭和16年3月1日/陸軍主計少?(昭和16年8月任陸軍主計中?)
    • 森田親三 :昭和20年7月5日/陸軍主計中?(昭和20年12月 - 昭和21年6月第一復員省?理局長)

?務局 [ 編集 ]

石?忠悳が「陸軍軍??監(中?相?)」に任命された際の?令書 (明治30年4月8日)

軍?(人事など)?衛生に?する事項を所管する。明治4年7月5日に創設された 兵部省 軍?寮を前身とする。その創立と統括の任(軍?頭)に 松本良順 を招くため、 西?隆盛 山縣有朋 がわざわざ松本の私邸に出向いて懇請したとされる。その?緯から、軍?頭は兵部卿に隷?するものの、軍?に?する一切の?限を委?され、部外の干?から隔離された。明治5年、陸軍省が設置されると、軍?寮は陸軍省の所管となった。明治6年5月24日、軍?寮は軍?部に改組され、軍?頭は 軍??監 に改められた。明治12年10月15日、陸軍軍?本部が置かれ、明治19年2月26日、それが?務局に改組された(局長は、軍?の?質的なトップであり、?時に 大本? 陸軍部の 野?衛生長官 をつとめる)。なお明治43年、陸軍省人事局に軍?の人事?を吸?する動きがあり、その動きをめぐって 石本新六 陸軍次官と 森林太? ?務局長が激しく?立した。その人事?をめぐる綱引きは、大正2年まで?いたものの、??どおり??優先の原則がつらぬかれた [5]

法務局 [ 編集 ]

明治21年11月の官制改正で新たに法官部が設置された。法務局はこの法官部を前身とし明治33年5月に設置された。法務局は課に分けられず、合わせて10?名(昭和11年8月には高等文官5名と判任文官6名)の局員しかいなかった。陸軍刑法その他軍令規の運用及び高等軍法?議及び師?軍法?議?びに各種特設?臨時軍法?議ついて管掌した。初代法官部長の桂太??初代法務局長の中村雄次?は共に兵科?校で、軍として法律部門は扱ったものの、所?する官吏は全て軍人ではなく「陸軍法務官」と?する陸軍文官で軍?の扱いであった。昭和17年4月各部の?校として法務部が設置され、法務中?から法務少尉が設けられ、?校相?官となる。このほか法事務?校もあった。陸軍省法務局は省の第一復員省の改編後も?り、復員?に縮小後も第一復員局法務調査部として存?する。

?代法務局長

  • 法官部長
    • (兼) 桂太? :明治21年11月16日/少?(陸軍次官の兼職)
    • 渡?央:明治23年6月7日/少?
    • (兼) ?玉源太? :明治26年4月12日/少?(陸軍次官の兼職)
    • 井上義行:明治29年5月20日/文官?理事(在職中に死去)
    • (兼) 中村雄次? :明治32年12月27日/少?(陸軍次官の兼職)
  • 法務局長
    • (兼)中村雄次?:明治33年5月20日/少?(陸軍?務長官の兼職)
    • (兼) 石本新六 :明治35年4月17日/少??(兼)理事(陸軍?務長官の兼職)
    • 志水小一? :明治38年12月28日/文官?理事(後に貴族院議員)
    • 松本慶次? :大正10年3月30日/文官
    • 中山庸次? :大正13年2月15日/文官
    • 鈴木直太? :昭和4年12月21日/文官
    • 大山文雄 :昭和7年12月19日/文官
    • 藤井喜一 :昭和20年4月1日/法務中?
    • 大山文雄:昭和20年11月8日/法務中?(昭和20年12月1日から第一復員省法務局長、昭和21年6月15日より復員?第一復員局法務調査部長)

外局等 [ 編集 ]

脚注 [ 編集 ]

  1. ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)「陸軍省」
  2. ^ a b 『官報』第2765?、昭和11年3月24日。
  3. ^ 陸軍省整備局に工政課、資源課などを新設『東京日日新聞』(昭和14年1月13日)『昭和ニュ?ス事典第7? 昭和14年-昭和16年』本編p775 昭和ニュ?ス事典編纂委員? ?日コミュニケ?ションズ刊 1994年
  4. ^ 『官報』第2151?、昭和9年3月6日。
  5. ^ 山下(2008)

?考文? [ 編集 ]

  • 山下政三『?外森林太?と脚?紛?』 日本評論社 、2008年(平成20年)。  

?連項目 [ 編集 ]