『
運命の力
』(うんめいのちから、
La Forza del Destino
)は、
ジュゼッペ?ヴェルディ
が作曲した全4幕からなる
オペラ
である。原典版は
1862年
、
ロシア
?
サンクトペテルブルク
の
マリインスキ?劇場
で、改訂版は
1869年
に
イタリア
?
ミラノ
の
スカラ座
にて初演された。今日演奏されるのは殆どが改訂版による。また改訂版で?入された
序曲
もそれ自?有名で、??での演奏機?も多い。
作曲の?緯
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『
?面舞踏?
』の初演(1859年)から2年が?過し、ヴェルディは作曲をまるで忘れたかのようであった。新たに創設されたイタリア??において彼はボルゴ?サン?ドンニ?ノ(今日の
フィデンツァ
)代表の議員であったし、またサンタ?ガタ(
ヴィッラノ?ヴァ?スッラルダ
)の農園に各種の近代的設備を導入する仕事にも忙殺されていた(ヴェルディの農園??に?する情熱は、余技の域を超えていた)。しかし、まさにその農園改造計?への資金の必要も一因となり、ヴェルディを政治の世界に引き立てた首相
カヴ?ル
が急逝した
1861年
頃になると、ヴェルディは新作作曲の機?を模索し始めたと思われる。
ロシアからの委?
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1861年、ヴェルディのもとに、?時のロシアの首都
サンクトペテルブルク
?
マリインスキ?劇場
から、新作オペラ作曲の打診がもたらされた。同劇場と契約して活躍していたイタリア人名テノ?ル、エンリ?コ?タンベルリック(
Enrico Tamberlik
、『
イル?トロヴァト?レ
』の有名な
カバレッタ
「見よ、恐ろしい炎を」で初めて高音ハイCを?入したとされる歌手)の息子アキッレ?タンベルリック(Achille Tamberlik)が劇場からの作曲依??を持ってイタリアに??したのであった。作品の題材および台本作家の選定はヴェルディに一任する、との?件も含まれた魅力的な依?であり、1861年6月、ヴェルディはマリインスキ?劇場と作曲契約を交わした。?態はともかくも農奴解放も行った
アレクサンドル2世
治下のロシアは、?時のイタリア各都市より??が比較的?大だったが、「
ロシア正??
への批判や、共和政への?美を主張してはならない」といった制約は存在した。題材の?討に入ったヴェルディは?初、
ヴィクトル?ユ?ゴ?
の『
リュイ?ブラ?ス
』(
Ruy Blas
)を提案したが、王妃と平民の?が描かれた同作は、帝室歌劇場での上演には過激と見なされて劇場側の?成は得られず、別の題材を?討した結果、ヴェルディは以前から?心を抱いていた、リバス公ドン?アンヘル?デ?サ?ベドラ(
1791年
-
1865年
)の?曲『ドン?アルバロ、あるいは運命の力』のオペラ化を提案することにし、演目が決定する。
『運命の力』
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リバス公のこの?曲は1835年、
マドリ?ド
で上演され、
スペイン
で大評判、あるいは大スキャンダルとなった話題作であった。カラトラ?バ侯爵の美しい娘レオノ?ラは
インカ人
の血を引く主人公ドン?アルバロとの?が認められず、侯爵はアルバロの短銃の暴?で死亡、侯爵の2人の息子ドン?カルロス、ドン?アルフォンソ兄弟が、父の復讐のためアルバロを付け狙う。カルロスはイタリア?線の陣中で、アルフォンソは修道院でアルバロに返り討ちに遭い、女主人公エレオノ?ラは絶命寸前のアルフォンソの刃に倒れ、アルバロは酷い運命を呪って崖から身を投げて自殺する、つまり主要登場人物が全て死ぬという、?時としては陰?極まりない劇であったこと、そしてアルバロの最期の言葉が「自分は地獄からの使者だ、人類は皆滅びるがよい」という冒瀆的なものだったことが議論の的となった。
イタリア語への??は1850年に出版されており、ヴェルディが?んだのはこのイタリア語版であったと考えられる(彼は母?語以外ではフランス語を解したものの、他の外?語は不得手であった)。?は?に1852年と1856年の2回、ヴェルディはこの?曲を
ヴェネツィア
?
フェニ?チェ劇場
のための新作として?討したことがあったが、いずれの場合も?しい??を考えて作曲を見送っていた(その結果『
椿?
』、『
シモン?ボッカネグラ
』がそれぞれ誕生している)。これまで母?での上演作品で散???に?まされてきたヴェルディにとって、先述通り、??上の心配が低いと考えられたロシアで(イタリアでは上演許可がおりにくいような)冒?的新作を?表したい、というのも自然な考えだっただろう。
作曲作業
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台本
作家としてヴェルディが選んだのは
フランチェスコ?マリア?ピア?ヴェ
であった。ピア?ヴェはヴェルディと組んで直近では『椿?』、『
リゴレット
』などの傑作を生み、最も?心の知れたパ?トナ?であったし、原作の本質を損なわずに台本化する手腕からヴェルディの信?は篤かった。またピア?ヴェはヴェルディよりやや年長ながら?厚な人物であり(「運命の力」作曲?時はピア?ヴェが1860年にヴェルディの推薦で
フェニ?チェ劇場
から
スカラ座
舞台監督に移籍したばかりという事情もあって)、いつも台本作成に細かく干?してくるヴェルディの作業手法に追?しながら、ヴェルディの音?的意?に沿った台本を準備できる貴重な適任者といえた。
1861年7月頃から台本執筆に取りかかったピア?ヴェは基本的には原作の筋書を忠?に追った台本を作成、問題となるかも知れない最終場面でのアルヴァ?ロの言動もそのまま採用され、彼は修道院長に「馬鹿野?」(
Imbecille
)と言い放ち、例の「人類は皆滅びろ」も叫んで?崖から投身することになった。唯一最大の改作点はカラトラ?ヴァ侯爵の息子役2人をドン?カルロに一本化したことであって、これは作品上、主役たるアルヴァ?ロに見劣りしない歌手を2人確保するのは困難だろうと歌手?の節約を?った、上演においての現?的な理由と思われる。この改作もあって、オペラではアルヴァ?ロとカルロとの最初の決?は兵士が止めに入って終了する展開になり、アルヴァ?ロが修道院に入った理由が希薄になる(原作でのアルヴァ?ロはまずカルロを殺したために修道院に入っており、原作でのアルヴァ?ロのこの行動の方が比較的納得しやすい)という物語構成上の弱さも指摘される仕上がりとなった。
一方、軍?地のシ?ン(現行版では第3幕第2場後半)を?充するために、
オ?ストリア?承??
を扱っている
シラ?
の?曲『ヴァレンシュタインの陣?』(
Wallensteins Lager
)での?陣描?を借用することとなり、ヴェルディは1861年8月末までにシラ?のイタリア語版??者アンドレア?マッフェイ(
Andrea Maffei
)の承諾も得ている。後にピア?ヴェが病に倒れた(後述)ことで、この「運命の力」原典版がヴェルディとピア?ヴェの事?上最後の共同作業となった。
「原典版」の完成
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ヴェルディは1861年11月末頃に
オ?ケストレ?ション
を除いてほぼ全?を完成(
ティ?ト?リコルディ
宛11月22日付書簡による)、初演の監督のため、ヴェルディは12月に妻
ジュゼッピ?ナ
を伴い、?寒のサンクトペテルブルクへと旅立った。ジュゼッピ?ナは事前に大量のイタリア産
ワイン
、
パスタ
、
チ?ズ
、
サラミ
を買い付け、現地に?送していたという。
ヴェルディは現地で精力的にリハ?サル(?行して細部の手直し、オ?ケストレ?ション)を行ったが、レオノ?ラ役予定の
ソプラノ
、ラ?グルア(
Emmy La Grua
)の??障害によりこのシ?ズンでの初演を?念(ヴェルディは演奏家の質に妥協を許さない性格だった)、??することになった。?路ヴェルディは
ロンドン
に立ち寄り、折からの
万?博??
のための委?作品『諸?民の?歌』(
Inno delle Nazioni
)を完成させて初演している(これも本?は?唱者としてタンベルリックを念頭において書かれたものだが、契約上の理由から初演時はテノ?ルのパ?トをソプラノ用に書き直している)。
ヴェルディはイタリアに?っても細部の手直しを??して、いよいよ全曲を完成、1862年9月、再びサンクトペテルブルクを訪れ初演の準備を開始したのだった。初演の延期は?迎されざる出?事であったが、その延期により結果的にオ?ケストレ?ションの十分な?討時間が得られたことはむしろ幸運だったかもしれない。なお問題のソプラノ?パ?トはカロリ?ヌ?ドゥヴリ?バルボ(
Caroline Barbot
)に差し替えられた。
初演
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1862年
11月10日
(?時のロシアで用いられていた
ユリウス?
では10月29日)にマリインスキ?劇場で行われた初演は、必ずしも文句なしの成功とはいえないものだった。もちろんヴェルディは何回ものカ?テンコ?ルを受け、また聖スタニスラス?章(
Орденъ Св. Станислава
)を授?されたりもしたのだが、これははるばるイタリアから訪問してくれた偉大なる作曲家に?する儀?的なものであった可能性がある。サンクトペテルブルクで?行されていたフランス語紙
“Journal de St Petersburg”
は手放しの??を寄せていた一方、ロシア語紙主要3紙はそこまで好意的ではなかった。各紙がまず不?を表明したのは、その上演時間の長さであった。またクライマックスにおける主人公ドン?アルヴァ?ロの反宗?的言?に?する嫌?感も影響していたと考えられる。
さらに第3夜目には、
ロシア?民?派
の若手作曲家による上演反?のデモンストレ?ションが舞台上で行われる事態にまで?展した。しかしこれは『運命の力』初演がロシア?壇に?えた衝?が大きかったことの裏返しでもあり、例えば
モデスト?ムソルグスキ?
の『
ボリス?ゴドゥノフ
』(作曲年代
1868年
- 1869年)に、『運命の力』の重厚なオ?ケストレ?ションの影響をみてとる分析もある。
オペラは1863年2月には
ロ?マ
で『ドン?アルヴァ?ロ』の題でイタリア初演がなされ、また相前後して、初演のロシアからイタリアへの?路立ち寄ったヴェルディの周到な指導の下、
マドリ?ド
で原作者リバス公も?客に招いて上演された。マドリ?ドでこの作品はより冷ややかな評で迎えられ、リバス公自身も出??えに?し、好意的な反?を示さなかったといわれる。不評の一因は?唱者陣にあったようで、ヴェルディ自身はその書簡で、レオノ?ラ役とアルヴァ?ロ役は合格点、あとは?目だった、と書き記している(なおこの時、アルヴァ?ロのパ?トの一部は全音下げられている。「タンベルリックのように歌うことは誰もできないから」というのがヴェルディによる修正の理由であった)。
これら小修正を?た版によって、
1865年
には
ニュ?ヨ?ク
、
1867年
には
ロンドン
での初演も行われた。
改訂作業
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演奏技術上の小修正は別にしても、ヴェルディ自身も大改訂の必要性、特に主人公3人が終幕で相次いで死ぬという陰?な結末の緩和については早くから認めていた。
カトリック??
の影響の?い
イタリア
、
フランス
では、主人公が修道院長に「馬鹿野?」と叫んで自殺する、というのはかなりの問題であり、現にイタリアでこの作品はあまり演奏されないものとなりつつあった。確認される限りでも1863年には早くも改訂の可能性について
リコルディ
社と話し合っている。
ヴェルディはまずピア?ヴェに相談し、また一時は原作者リバス公の意見まで求めようとしたが、リバス公は1865年に亡くなり、ピア?ヴェは1867年に
?卒中
の?作を起こした(彼は?り8年の生涯を半身不??態で過ごし、ヴェルディは彼とその家族のために??援助を行った)こともあり、またヴェルディ自身、
パリ?オペラ座
委?の次作『
ドン?カルロ
』に忙殺されたこともあって、作業は進?しなかった。
1868年8月になって、お?入り寸前の同作の改訂を積極的に再開したのはティ?ト?リコルディであった。彼の狙いは?に作品の改善に留まらず、改訂新版を1869年のカ?ニヴァル?シ?ズンにイタリア?オペラの?本山スカラ座で行うことで、疎遠になっていたヴェルディとスカラ座との?係改善を?る、という一石二鳥のものだった。ヴェルディの新作がスカラ座で初演されたのは20年以上も昔、1845年の『ジョヴァンナ?ダルコ』(
Giovanna d'Arco
)以?絶えてなかったのだった(理由は金?的なものばかりでなく、1845年?時のスカラ座支配人メレッリ(
Bartolomeo Merelli
)の愛人ジュゼッピ?ナ?ストレッポ?ニをヴェルディが奪った、という感情面でのもつれも多分にあった)。
改訂に沿った台本の準備のため、病臥中のピア?ヴェに替わって、リコルディ社は
アントニオ?ギスランツォ?ニ
に台本の改訂を依?する。1824年
ルッカ
の生まれで、一時は
バリトン
歌手として活躍したこともあるギスランツォ?ニは、この頃はリコルディ社の音??誌「ガゼッタ?ムジカ?レ?ディ?ミラノ」の編集者であった。彼はピア?ヴェと同?にヴェルディの意向に忠?な作家として仕え、やがて『
アイ?ダ
』の台本を著すことにもなる。
ヴェルディはギスランツォ?ニの助けを得て、クライマックスを「平安に神の御許に赴くレオノ?ラ、酷い運命を嘆きつつも彼女の魂の平安を祈るアルヴァ?ロ、その?者を見守る慈しみ深い修道院長」の美しい3重唱によってピアニッシモで終わるように書き改め、また原典版は短い前奏曲で開始される形であったが、新たに全ドラマを音?的に俯瞰する有名な序曲を作曲している。その他、場面順序の入れ替えも見られる。
?時のイタリアで最も高名なオペラ指揮者であった
アンジェロ?マリア?ニ
の指揮、その婚約者であったドイツ出身のソプラノ、
テレ?ザ?シュトルツ
(
英語版
)
のレオノ?ラ役で
1869年
2月27日
にスカラ座で行われた改訂版初演は初めて大成功となり、以後この改訂版の形でレパ?トリ?に定着していくこととなる。なお、この上演準備中にシュトルツとヴェルディが愛人?係となり、以後マリア?ニはヴェルディと決別し、イタリアにおける
ワ?グナ?
紹介を精力的に行うに至ったのは有名な事?である。
編成
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主な登場人物
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- カラトラ?ヴァ侯爵(
バリトン
)
- ドンナ?レオノ?ラ(
ソプラノ
):侯爵の娘。
- ドン?カルロ?ディ?ヴァルガス(バリトン):侯爵の息子、レオノ?ラの兄。
- ドン?アルヴァ?ロ(
テノ?ル
):騎士。レオノ?ラとは相思相愛の仲。スペイン人の
ペル?
?督と
インカ帝?
末裔の王女との間に生まれたという複?な出自をもつ。
- プレツィオジッラ(
メゾソプラノ
):ジプシ?の若く美しい娘。
- グァルディア?ノ神父(
バス
):修道院長。なお「グァルディア?ノ」は人名でなく、Padre Guardianoで修道院長の意。
- フラ?メリト?ネ(
バリトン
):下?きの修道士。
- 合唱
?器編成
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フル?ト
1(ピッコロ2持ち替え)、ピッコロ1(フル?ト2持ち替え)、
クラリネット
2、
オ?ボエ
2、
ファゴット
2、
ホルン
4、
トランペット
2、
トロンボ?ン
3、
チンバッソ
、
ティンパニ
(4個)、
中太鼓
、
大太鼓
、
シンバル
、
ハ?プ
2、
オルガン
、弦5部。
バンダ:
舞台裏:トランペット2、中太鼓4;
舞台上:中太鼓、
小太鼓
2
演奏時間
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約2時間50分:改訂版(各25分、50分、55分、40分)、原典版は約2時間40分(各20分、50分、60分、30分)
舞台構成
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全4幕
- 序曲
- 第1幕 カラトラ?ヴァ侯爵の居城
- 第2幕
- 第1場 オルナチュエロス村の宿屋
- 第2場 同村の山中にあるデッリ?アンジェリ修道院
- 第3幕
- 第1場 イタリア、ロ?マ近郊
ヴェッレトリ
の野?場
- 第2場 宿?地
- 第4幕
あらすじ
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時と場所:18世紀半ば。
スペイン
?
セビ?リャ
および
オ?ストリア?承??
の?場となっている
イタリア
第1幕
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レオノ?ラとドン?アルヴァ?ロは相思相愛の仲であるが、アルヴァ?ロがインディオの血を引いていることを理由に父カラトラ?ヴァ侯爵は結婚に反?しており、レオノ?ラは家族愛と?愛の板ばさみの悲嘆に暮れている。居城に忍び?んだアルヴァ?ロは?落ちを提案、レオノ?ラが決心を固めたその刹那、侯爵が2人を?見する。アルヴァ?ロは抵抗の意思のないことを示すため所持していた短銃を捨てるが、それは暴?し侯爵に致命傷を?える。侯爵は娘を呪いつつ死に、レオノ?ラとアルヴァ?ロは過酷な運命を嘆く。
第2幕
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]
第1幕から18か月後。
第1場
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村の宿屋で人?が食事をとっている。カラトラ?ヴァ侯爵の息子ドン?カルロは?生に??し仇敵を追ってこの村までやってきた。ジプシ?女プレツィオジッラは男たちに「イタリアでの??に?加して軍功を立てろ」と?いて回っている。カルロは「自分はドン?カルロの友人で、一?に侯爵殺しのアルヴァ?ロを探していた。カルロ君は新大陸まで彼を追って行った」と自分の身の上話(もちろん作り話だが)を一同に聞かせる。?はレオノ?ラも男性に??して?地に宿泊していたのだが、カルロの姿を認め、その話を聞くと慌てて逃亡する。
第2場
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]
深夜、修道院の中庭。男?したままのレオノ?ラがやってくる。カルロの話から、アルヴァ?ロは自分を捨ててアメリカへ?ったと思い?んだ彼女は絶望の余りこの修道院を訪ねてきたのだった。彼女はドアを叩き、出てきたメリト?ネ修道士にグァルディア?ノ神父に?わせてくれるよう依?する。レオノ?ラはグァルディア?ノ神父に自分の素性を明かし、この修道院の山?の洞穴で、世を捨てた男性修道士として余生を過ごさせて欲しい、と懇願する。神父はその願いを聞き、修道士たちを招集、以後、この?める者の住む洞穴に近寄る者は天罰が下るであろう、と?かに宣言、レオノ?ラは一同と共に神に祈りを捧げる。
第3幕
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第2幕から?年後。
第1場
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イタリア?線の野?場。アルヴァ?ロはレオノ?ラが亡くなったと思い?んでいる。彼はスペイン人と高貴なインカ人の末裔という自分の出自を悲しみ、かつてセビリアでレオノ?ラと過ごした?しい日?を追憶する。そこへドン?カルロが軍陣での賭博遊びのトラブルから追われて登場、アルヴァ?ロはカルロの命を救ってやる。2人は互いに?名での自己紹介をし、?場で知り合ったのも何かの?、今後は生死を共にしよう、と義兄弟の契りを結ぶ。??が再開され、2人は前線へと急ぐ。
アルヴァ?ロ率いるスペイン軍は首尾よくドイツ軍を?破したが、アルヴァ?ロは負傷し?架で運ばれてくる。カルロは?友を案じ傍にいる。カルロはアルヴァ?ロを勇?付けようと「この軍功で貴方はカラトラ?ヴァ?章を受章できるだろう」と言うが、アルヴァ?ロが「カラトラ?ヴァ」という名に過?に反?するのを訝しく思う。死期が近いと考えたアルヴァ?ロは小箱と鍵をカルロに示し、「この箱には決して明かしてはならない秘密が入っている。自分が死んだら箱を開けずにそのまま燃やしてほしい」と遺言し、野?病院へ連れて行かれる。カルロは、「カラトラ?ヴァ」に?する過?反?、「絶?の秘密」という小箱などからアルヴァ?ロの正?をいよいよ怪しむが、義兄弟の誓いを立てた以上約束は守らねばならない、と苦しい心情を歌う。やがてカルロは、アルヴァ?ロがもう一つの荷物を?したことに?付き、「こちらを開けてはならないとは約束していなかった」と包みを解くと、中から妹レオノ?ラの肖像?が現れる。彼こそは仇敵アルヴァ?ロと驚くカルロ。ちょうどそこへ軍?が現れ「君の?友は一命を取り留めた」と告げる。カルロは、これで自分が仇を討つことができる、と狂喜する。
第2場
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夜の宿?地。?傷が癒えたアルヴァ?ロが物思いに耽るところへカルロが現れ「もう傷は癒え、?うことができるか」と訊ね、「我こそは高貴な家名を汚された汚辱をそそぐべく、お前を追ってきたドン?カルロ?ディ?ヴァルガス」と名?る。アルヴァ?ロは自分の秘密が知られてしまったことに驚き悲しむが、いったんは義兄弟の契りを結んだ人と?うことはできない、ましてレオノ?ラが死んだ今となっては、と決?を拒絶する。カルロは、レオノ?ラは行方不明ではあるが生きているらしいこと、しかしアルヴァ?ロを討った後、自分は彼女も探し出して殺すこと、を告げる。アルヴァ?ロも遂には?を?き2人は決?するが、巡邏兵に?見され引き離される。アルヴァ?ロは「もはや修道院にしかこの世での居場所はない」と?を捨て、その場を立ち去る。
朝となり、スペイン軍に?ってやってきたプレツィオジッラ、メリト?ネ修道士、スペイン兵、イタリア兵による賑やかな情景が展開される。プレツィオジッラは景?付けに軍歌を歌い、一同唱和する。
第4幕
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第3幕から少なくとも5年後。
第1場
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修道院の中庭。アルヴァ?ロも今やこの修道院に、ラファエッロ神父と名?って暮らしている。グァルディア?ノ神父とメリト?ネ修道士が貧民に食べ物の施しを?えているところへカルロが登場、ラファエッロ神父に面?したいと告げる。ラファエッロ神父が現れると、カルロは「とうとう見つけた、決?をしろ」と?を手渡す。アルヴァ?ロは「今では神に仕える身ゆえ決?はできない、君の許しを得たいと思っている」と?るが、カルロが彼を臆病者と罵り、彼の血を穢れているとさげずみ、更にはアルヴァ?ロの?を平手打ちするに及び、遂にアルヴァ?ロも決?を承諾、2人は決?の場所を求めて山?の方へ?けていく。
第2場
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]
2人が決?の場所として選んだのは、あろうことかレオノ?ラが身を?す洞穴のすぐ近くだった。カルロは舞台裏で致命傷を負い、最後の祈りのために司祭を求めている(アルヴァ?ロは禁を犯して決?した身ゆえ、カルロの臨終をみとることはできない)。アルヴァ?ロは洞穴の中に?者がいるらしいことに?付き、死にゆく者を看取ってほしいと依?する。初め拒絶していたレオノ?ラが遂に表に出ると、そこにはアルヴァ?ロ。彼は「自分は禁を犯し、あろうことか君の家族を再び殺めてしまった」と告げる。レオノ?ラは兄を探しに舞台裏へ走るが、そこで?末魔のカルロに刺されて致命傷を負ってしまう。グァルディア?ノ神父がレオノ?ラを抱きかかえて舞台に登場、アルヴァ?ロは酷い運命を呪おうとするが、グァルディア?ノはそれを?かに制止、レオノ?ラはアルヴァ?ロに「先に神の御許へ向かいます」と述べ息絶え、グァルディア?ノは?かに「彼女は神に召された」と宣言して、幕。
原典版のエンディング
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原典版では?述の如く、レオノ?ラの死を目の?たりにしたアルヴァ?ロは人類を呪って投身自殺し、修道士たちと村人たちが
松明
をかざして行列して幕となる。
有名なアリア?重唱等
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- 「太鼓の響きに」
Al suon del tamburo
(第2幕第1場):プレツィオジッラのアリア。
- 「とうとう着いた。神よ感謝します」
Son giunta! Grazie, o Dio
(第2幕第2場):レオノ?ラのアリア
- 「天使の中の聖?女」
La Vergine degli angeli
(第2幕第2場):レオノ?ラ、グァルディア?ノと修道士たちの合唱。
- 「君は天使の腕に抱かれて」
Oh, tu che in seno agli angeli
(第3幕第1場):アルヴァ?ロの長大なアリア。なお同アリアの前奏部におかれた
クラリネット
による長く美しいソロ?パ?トは、
マリインスキ?劇場
の第1クラリネット奏者、エルネスト?カヴァリ?ニがヴェルディの?生時代の友人であったことから付け加えられたとされている。
- 「最期の願い」
Solenne in quest'ora
(第3幕第1場):アルヴァ?ロとカルロの二重唱
- 「死は恐ろしいもの―彼は助かった!」
Morir! tremenda cosa - Egli e salvo!
(第3幕第1場):ドン?カルロのアリアとカバレッタ
- 「ラタプラン」
Rataplan
(第3幕第2場):プレツィオジッラと合唱による軍歌
- 「神よ平和を?えたまえ」
Pace, pace, mio Dio
(第4幕第2場):レオノ?ラのアリア
序曲
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上述のように、このオペラの有名な「序曲」は1869年の改訂時に補作されたもので、それまでの原典版ではもっと短い「前奏曲」が用いられていた。前奏曲の標準的な演奏時間は3分程度、それに?して序曲は7分を超える。ヴェルディが改訂を行った1869年?時、すでにイタリア?オペラでは長大な序曲を演奏する習慣は?れていたと言っても過言ではなく、?際ヴェルディにとってもこれが最後の序曲となった。現在ではこの序曲だけが??で演奏される機?も多い。
金管によるテ?マ
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]
前奏曲においても序曲にあっても、その最初は金管での3つの主音である。これを
ベ?ト?ヴェン
の
交響曲第5番
における「運命のフレ?ズ」のヴェルディ版になぞらえる分析もある。しかし、劇中でこの3主音は必ずレオノ?ラとともに現れ、決してドン?アルヴァ?ロには伴わない。その点でこのフレ?ズは「レオノ?ラのモティ?フ」と考えるのが一般的である。
なお、改訂版の初演指揮者マリア?ニがこの金管でのモティ?フをフォルティッシモで演奏したことにヴェルディは不?であり、「このモティ?フは修道士たちの敬虔な祈りを表しており、メッツァ?ヴォ?チェで奏されるべきである」と述べている。?際、譜面上での指示記?は?にフォルテである。
配役
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レオノ?ラ
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]
力のあるソプラノ?ドラマティコが要求される。全曲盤?音が?っているソプラノ中では
ジンカ?ミラノフ
、
レナ?タ?テバルディ
、
モンセラ?ト?カバリェ
、
レオンティン?プライス
などが評?が高い。
アルヴァ?ロ
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]
?質としては『
オテロ
』の題名役に匹敵するほどの陰影が要求され、一方でドラマティックなアリアも歌う難役。リリコ?スピントあるいはドラマティコのテノ?ルにとっての代表的な役として名高い。かつてこの役で名高かったテノ?ルは
マリオ?デル=モナコ
、
フランコ?コレッリ
、
カルロ?ベルゴンツィ
、
フラヴィア?ノ?ラボ?
などがいる。
カルロ
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]
第3、4幕でのアルヴァ?ロとのドラマティックな二重唱や、第3幕での古典的なカヴァティ?ナ=カバレッタ形式の長大なアリアをこなさなければならない難役であり、輝かしい高音の要求される「ヴェルディ?バリトン」の代表的役どころである。この役を得意としたバリトンには、20世紀後半においては
レナ?ド?ウォ?レン
、
エット?レ?バスティアニ?ニ
、
ピエロ?カプッチルリ
がいてそれぞれ名?音を?している。なお、レナ?ド?ウォ?レンは
1960年
3月4日
、
ニュ?ヨ?ク
?
メトロポリタン歌劇場
で同役に出演中、カバレッタ
Egli e salvo!
の直前に舞台上で急死している。
グァルディア?ノ神父
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出番は少ないが、バッソ?プロフォンドの代表的な役どころである。特に改訂版においては、神の?えた運命を呪うアルヴァ?ロを?かに諭し、レオノ?ラが神の御許に召されたことを??に告げ、そのプレゼンスにより重みを?している。原典版初演(1862年)と改訂版(1869年)の間にヴェルディはその敬愛していた作家
アレッサンドロ?マンゾ?ニ
と初めての面?を果たしている(1868年)が、改訂版でのグアルディア?ノ神父に、マンゾ?ニの代表作『
いいなずけ
』中の慈父的なクリスト?フォロ神父の像を重ね合わせる分析もしばしば行われる。
プレツィオジッラ
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ジプシ?女のプレツィオジッラは、リバス公の原作では第1幕で?話をしているだけの端役に過ぎないが、ヴェルディは彼女に第2、3幕で華やかな「???歌」的な歌を唄わせて、ともすれば暗くなる一方のオペラの筋書に明るさを導入している。ヴェルディ自身「大?に重要な役である」とサンクトペテルブルクでの初演前に劇場に?してわざわざ注意を喚起している。容易に入手可能な全曲盤中では
ジュリエッタ?シミオナ?ト
の歌っているものが適役との評が高い。もっとも同役はメインの筋の流れとは?係ないため、舞台上演でのカットの?牲になりやすいのもまたこのプレツィオジッラである。
メリト?ネ
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謹?な修道院長グァルディア?ノ神父と好一?をなすコミカルな役柄である。彼もプレツィオジッラ同?、原作ではデッリ?アンジェリ修道院にしか登場しないのを、オペラ第3幕ではスペインからはるばるイタリア?線まで赴かせ、また第4幕で修道院に?していて少?やり過ぎの感もあるが、ヴェルディがサンクトペテルブルクでの初演時にわざわざ指名したのが『二人のフォスカ?リ』(
I due Foscari
)の?督、『海賊』(
Il corsaro
)のセイド、『
ルイ?ザ?ミラ?
』のミラ?を創唱し、主役級もこなせた名バリトン、アキッレ?デ?バッシ?ニ(
Achille De Bassini
)であったことからも、作曲者がこのコミック?リリ?フ的な役を重視していたことがわかる。?譜上で指示されている?域は「バリ?トノ?ブリッランテ」(明るい、才?煥?なバリトン)であるが、今日ではバッソ?ブッフォが演じることも多い。
日本での初演
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1960年
12月26日、「東京オペラ?アカデミ?第2回公演」として、
東京
?神田の
共立講堂
で行われた(日本語?詞上演)。高田信一(アルヴァ?ロ)、城須美子(レオノ?ラ)、田島好一(ドン?カルロ)他の配役で、
指揮
はアルベルト?レオ?ネ、管弦?は
東京フィルハ?モニ?交響??
、演出は
栗山昌良
であった。
?考文?
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?連項目
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外部リンク
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