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碁石
(ごいし)は、
?碁
、
連珠
に使用する
用具
で、
?
?
白
2色の円盤形の物?である。?白2色で一?いとなり、碁?(ごけ、または、ごす)ないし碁器(ごき)と呼ばれる容器に入れておく。?碁を行う上では?に「
石
」と呼んだりする(※?項目でも以後は“石”と表記する)。
ゲ?ムを行う上では?181個、白180個を用意する
[1]
(ただし、この個?にル?ル上の意味はなく、?局中に不足した場合はアゲハマを同?交換したり、余所から持ってくるなどの形で適宜補充する)。連珠では「
珠
」と呼び、?113個、白112個を用意する
[2]
が、?際には60個程度ずつで差し支えない。
形態
[
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]
石の大きさは白石が直?21.9mm(7分2厘)、?石が直?22.2mm(7分3厘)。?石のほうが若干大きくなっているのは、白が膨張色でやや大きく見えるためで、このように若干の差をつけることにより、人間の目にはほぼ同じ大きさであるように見える
[3]
。厚さは6mm - 14mm程度まである。厚みは??で表され、25?でおよそ7mm、40?でおよそ11mmで、一般に、厚いものほど打った時の音が響き、高級品とされるが、持ちにくくなる上に盤との接?面が?いため?れたり動いたりしやすくなる。60?近いものも存在するが、34?以上は十分高級である。9mm前後(32 - 34?)のものが持ちやすく、最も多く用いられている。
中?では片面が平らになった碁石も使われており、?討する際に裏返すことで元の局面に?しやすくなる利点がある。
「石」と呼ばれるが素材は必ずしも石材のみが用いられてはいない(後述
#碁石の?史
を?照)。?石は
那智?
、白石は
碁石蛤
の半化石品が最高級とされる。蛤の白石には「縞」という生長線が見られ、細かいものほど耐久性が高い。日本棋院では、日向産の白石は主に色のつき具合と縞目模?を基準として「雪印」「月印」「花印」の3ランクに品質分けし、メキシコ産はホ?ロ?質の縞目の表れ具合を基準として「雪印」「月印」「?用」の3ランクに分類している
[3]
。練習用には硬質ガラス製のものなどが使用される。石は使用によって破損し、小さなものをホツ、周?の欠けたものをカケという。碁器の中の石をかき混ぜて音を立てる行?はマナ?違反とされている。
碁石の?史
[
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]
碁?に入れられた碁石
古くは『
風土記
』(
733年
頃成立)に碁石に?する記述が見られ、『
常陸?風土記
』に
鹿島
の
ハマグリ
の碁石が名産として記述されている。また『
出雲?風土記
』に、島根?の「玉結浜」の記載があり、この海岸からは碁石に適した石が採れたという。
奈良?
の
藤原京
で?掘された碁石は丸い自然石で、材質は?石が?色
頁岩
、白石が
砂岩
。
7世紀
末 -
8世紀
始めに使用されていたと推定される(週間碁)。自然石の碁石は江?期まで使用された。
本因坊道策
が幼い頃使ったという碁盤と自然石の碁石が現存している
[4]
。
正倉院
に所?された
聖武天皇
愛用の碁石は紅牙
撥鏤
碁子(こうげばちるのきし)と名付けられ、直?1.6cm 厚さ0.8cm、
象牙
を染めて花鳥の文?を彫り付けたものであり、色は?と紅色である
[5]
。弘仁2年の文書では320枚があったと記載されているが、現存するのは252枚である。『
源氏物語??
』では碁石は?と白のものが使用されていることが分かる。
現在は?は?色の石を用い、
那智?石
(
三重?
熊野市
で産する?色頁岩または
粘板岩
)が名品とされる。白は
ハマグリ
の
貝?
を型?きして磨いたものである。碁石の材料となるハマグリの代表的な産地は古くは
鹿島海岸
や
志摩
の
答志島
、
淡路島
、
鎌倉
海岸、
三河
などであった。鹿島のハマグリは?が薄く、
明治
期の
落語
の
速記本
に「せんべいの生みたく反っくりけえった石」と描?されるように、古い碁石には貝?の曲線どおり、薄くて中央が凹んだものがある。その後、
文久
年間に
宮崎?
日向市
付近の
日向灘
沿岸で貝が採取されるようになり、明治中期には他の産地の衰退と共に日向市のお倉が浜で採れるスワブテ蛤
[6]
が市場を?占し上物として珍重された。現在では取り?くされてほとんど枯?してしまっているが、製造技術は引き?がれている。
現在一般に日向市産として出回っているものは
メキシコ
産の蛤を日向市で加工?製造したものである。白石と?石は?格が違い、ハマグリ製の白石が非常に高?で、業者によっては?石は「那智?石付き」と、白石のおまけ扱いにしている。高級品は貝?の層(縞のように見える)が目立たず、時間がたっても層がはがれたり?色したりしない。
ハマグリの碁石は庶民が??に買えるものではなく、明治期には
陶器
や
竹
製の安物の碁石が存在した。
大正
時代に
ガラス
の碁石が試作されたが、?初は硬化ガラスではなく普通のガラスだったので、脆く割れやすかった。その後
プラスチック
や硬質ガラス製の製品が出回り、安?な用具の大量生産が?碁の普及に果たした役割は大きいと言える。近年では持ち運び用の
マグネット
製のものもある。
メノウ
製の高級品もある。
中?
では古代には木で碁石を作ったらしく、中?
?
の時代(
222年
-
280年
)に書かれた『博奕論』(韋曜)に「枯?三百」 と記されている。「枯?」とは、木でできた碁石のことを指し、
日本
の
?永
年間(
1624年
-
1644年
)の『玄玄?經俚諺?』という解?本には、「碁石は元と木を似て造る、故に枯?と云う」と注記している。また碁石は300個が定?であったことも記されている。時代が下ると、高級な碁石は「
玉
(ぎょく)」と呼ばれる一種の
?石
から作られた。
中?
唐
代の『
杜陽?編
』という書物に、宣宗帝年?
大中
年間(
847年
-
860年
)に日本一の碁の名手である日本の王子が?朝し、中?一の名手と??する逸話
[7]
の記載がある。日本の王子は日本には冷暖玉という?石の碁石があることを物語り、「本國の東に集?島有 島の上に凝霞臺とて臺上に手譚池あり 池中に玉子を出す 製度によらされども自然に?白明分有 冬ハ暖く夏は冷也 故に冷暖玉とぞにいふ 日本の王子入唐して此石を冷暖玉として唐朝へ進上せらると載たり」と記されている。 玉の碁石は割れやすく、日本のように音を立てて盤に打ち付けるということはなかった。中には石一個が銀貨二枚に相?するとされるほど高?なものもあったが、かつての名品の多くが、碁は退?的として攻?された
文化大革命
時代に?集家から奪われるなどして散逸してしまった。
碁石の素材
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]
現在は以下のような素材で作られた碁石が存在する。
- 蛤(宮崎?日向市産)/那智?石(三重?熊野市産)
- 瑪瑙碁石(中?産)
- 云子碁石(中?碁石)(中?産?瑠璃製、?石は光を透過させると?色に見える特?がある)
- 硬質ガラス碁石(日本産/韓?産)
- ユリア樹脂製碁石
- プラスチック碁石
- プラスチック重量石(通常のプラスチックより重く、打ち味が比較的良いとされる)
- マグネット碁石
碁?
[
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]
碁?
(ごけ、または、ごす)とは、碁石を入れる容器。
碁器
(ごき)とも呼ばれる。白石用と?石用の2個で1組となっている。材質は最高級品は
桑
(特に
御?島
産の「島桑」が珍重される)、次いで
?
、
紫檀
、
?檀
、一般的に用いられているものは
?
、
花梨
、
?
、
楠
、
ブビンガ
、
栗
、
棗
、
合成樹脂
などがある
[3]
。表面は木地を出すことが多いが、凝ったものには
蒔?
や
鎌倉彫
を施したものも見受けられる。古くは合子(ごうす)と呼ばれ、正倉院には撥鏤?子とセットで渡?した精緻な美術品である「銀平?合子」が??されている。
江?時代
には筒型に近い
本因坊
型と、丸みのある
安井
型があった。現代で使われているのは安井型に近いものが多い。
計点制ル?ル
では、?部が蜂の??で石?180個が確認しやすい?特の碁?を用いる。
なお、碁?には蓋があり、?局中にアゲハマを入れておくのに用いられる。
碁?の呼?問題
[
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]
碁?の素材については上記のほかにも色?な種類の木が用いられるが、外?から輸入した木材を木目や質感が似ていることから「新○○」と?していることが多く、混?を招いている。例えば、輸入木材である
マホガニ?
は「新サクラ」、棗は「新ケヤキ」、
ケンパス
を「新カリン」などと銘打って販?されていることが多い。しかし、木目や質感が似ているからと言って、本?の名前を無視してサクラやケヤキの名を冠するのはどうなのかという議論が近年ネット上で見受けられるようになった。碁盤に?しては「新カヤ」はスプル?ス材、「新桂」はアガチス材という輸入材であることが知られるようになってきたが、碁?に?しては碁盤ほどではなく、素材を輸入材と知らずに買うビギナ?も多い。この問題に?して良心的な店では新サクラ等の呼?を使わずマホガニ?製、棗製と本?の名?で呼ぶ店もある。
色
[
編集
]
過去には?や赤など??な色や柄の碁石も存在したが、現代では先手番が?、後手が白に統一されている。
グリ?ン碁石
[
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]
通常の碁石は白と?の2色を用いるが、目に優しいとされる
?
系の色を用いた
グリ?ン碁石
も少?ながら使用されている。これは
眼精疲?
に?んだ
作家
の
夏樹?子
が?案し?めたもので
[8]
、?の代わりに濃い?を、白の代わりに薄い?を用いている。素材は硬質ガラスで、厚さは使いやすく9mmで作られている。普通の白?の碁石に比べて値段は高い。日本棋院の一般?局室の一部で使用されている。
子
[
編集
]
碁石は一般には何個と?えるが、?碁用語としての
助?詞
は「子(もく)」である。しかしながら、?碁用語特有の?み方のため、「もく」と?めずに本?は誤?の「子(し)」が?まっている。一方で、碁石を指すのに「目(もく)」を?て字として使った例もある。
置き碁
というハンデ?で下手が2つ石を置いて?局することを2子局と呼ぶ。
一色碁
[
編集
]
?者が?か白のみの碁石で打つ?碁
[9]
。どちらの手なのかを?える必要があるため難易度が高い
[9]
。
脚注?出典
[
編集
]
- ^
?碁の盤は19路で19×19=361個の石が置ける。?181個、白180個で盤を埋め?くすことになる。
- ^
連珠の盤は15路で15×15=225個の石が置ける。?113個、白112個で盤を埋め?くすことになる。
- ^
a
b
c
“
?碁の日本棋院
”.
?碁の日本棋院
.
2020年3月18日
??。
- ^
“
本因坊?:23日から第2局 6冠?文裕先勝に本木が?番
”.
?日新聞
.
2020年3月18日
??。
- ^
“
正倉院 - 正倉院
”.
shosoin.kunaicho.go.jp
.
2020年3月18日
??。
- ^
宮崎?
(2011年7月25日). “
雅趣??統の美
”.
2012年5月28日
??。
- ^
この逸話の?要は以下のようなものである。「遣唐使として皇帝と?見した日本の王子が、日本一の碁の名手を名?り『?の名?を賭け、唐の名手と??したい』と碁の勝負を申し入れた。そこで皇帝は碁の?手といわれた大臣の顧師言を呼び出し、日本の王子と?局させた。?方の?力は互角で序盤から互いに?らぬ激?となったが、御前試合で君命を辱めることを恐れた顧師言が汗を振り絞った思考の末、三十二手目に死に物狂いの名手を放ち、それを見た日本の王子は驚嘆し、遂に兜を?いだ。?局の後で王子は外使の接受??の鴻?卿に『顧先生は貴?で何番目の名人なのか』と質問し、鴻?卿は『三番目であります』と返答した。?際は顧師言は?一番の名手だったのだが、日本の名人と?等勝負だったので、唐の?面を考慮して?をついたのだった。日本の王子は不服顔で『唐で一番の名手と?局したい』と言った。鴻?卿は動ぜず『第三を破って第二と?局し、第二を破って第一と?局できるのです。なぜにいきなり第一と?局できましょう』と答えた。日本の王子は碁盤に蓋をして『小?の第一は、ついに大?の第三に及ばぬのか』と嘆息した」 この?局の棋譜は
玄玄碁?
に記?され、現代に?わっている。
- ^
“
グリ?ン碁石と夏樹?子さん ? 全日本?碁協?
”.
2020年3月18日
??。
- ^
a
b
“
日本?碁連盟 | ?碁用語「一色碁(いっしょくご)」
”.
www.ntkr.co.jp
.
2023年8月25日
??。
?連項目
[
編集
]
ウィキメディア?コモンズには、
碁石
に?連するメディアがあります。