柳田國男

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柳田 國男
(やなぎた くにお)
昭和初期
誕生 ( 1875-07-31 ) 1875年 7月31日
日本の旗 日本 ? 飾磨? 神東郡 ?川村
(現? 兵庫? 神崎郡 福崎町 ?川)
死? ( 1962-08-08 ) 1962年 8月8日 (87??)
日本の旗 日本 ? 東京都 世田谷? 成城
墓地 春秋苑 神奈川? 川崎市 多摩?
職業 民俗?者 著作家
言語 日本語
?籍 日本の旗 日本
?育 法?士
最終?? 東京帝?大? 法科大?政治科
ジャンル 民俗?
主題 民俗?、 日本思想 ?史 口承文?
代表作 『遠野物語』(1910年)
『蝸牛考』
『桃太?の誕生』
『海上の道』
主な受賞? 文化?章 受?(1951年)
正三位 ?一等旭日大綬章 受?
親族 本項の「家族?親族」及び「系譜」の節を?照
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柳田 國男 (やなぎた くにお、 1875年 明治 8年) 7月31日 - 1962年 昭和 37年) 8月8日 )は、 日本 民俗?者 ? 官僚 大日本帝?憲法 下で農務官僚、 貴族院 書記官長、終?後から?止になるまで最後の ?密顧問官 などを務めた [1] 日本?士院 ?員、 日本芸術院 ?員、 文化功?者 文化?章 受章者。 位階 ? ?等 正三位 ? ?一等 。出版物等においては、 常用漢字 ?による「 柳田 ?男 」という表記も使用される。

日本人 とは何か」という問いの答えを求め、 日本列島 各地や?時の日本領の外地を 調査旅行 した。初期は山の生活に着目し、『 遠野物語 』で「願わくは之を語りて平地人を?慄せしめよ」と述べた。日本民俗?の開拓者であり、多?の著作は今日まで重版され?けている。

生涯 [ 編集 ]

柳田國男の生家(兵庫?福崎町)
布川での居宅(茨城?利根町)
柳田國男( 1951年

生い立ち [ 編集 ]

1875年 明治 8年)7月31日、 飾磨? 兵庫? 神東郡 ?川村(現: 兵庫? 神崎郡 福崎町 ?川)生まれで、最晩年に名?町民第1?となった。父は 儒者 で?者の 松岡操 、母たけの六男(男ばかりの8人兄弟)として出生。?川は兵庫?のほぼ中央を北から南へ流れる 市川 が山間部から 播州平野 へ?けて間もなく 因幡街道 と交わるあたりに位置し、 越知川 があり古くから農村として開けていた。 の?川は から 鳥取 に至る街道と ?路 から北上し 生野 へ至る街道とが十字形に交差している地点にあたるためといわれ、そこに生家があった。生家は街道に面し、さまざまな花を植えており、白桃、 八重? などが植えられ、道行く人?の口上に上るほど美しかった。生家は?く、國男は「私の家は日本一小さい家」だったといっている。家が小さく、親夫婦と長男夫婦が同居できる大きさではないのに、無理に同居させたことから嫁と姑との?立が生じ、長男夫婦の離婚を招いたことが、幼き日の國男に?い影響を?え、民俗への?心[家(および家屋)の構造への?心=民俗?への志向]はそこから芽生えた [1]

父?操は?幕時代、 ?路藩 の儒者?角田心?の娘?、田島家の弟として一時籍に入り、田島賢次という名で 仁?山? (じんじゅさんこう)や、好古堂といった私塾で修?し、?者となり、?路の熊川?(ゆうせんしゃ)という町?校の?主として1863年( 文久 3年)に赴任した。 明治 初年まで相?な暮らしをしたが、 維新 の大?革の時には予期せざる家の?動もあり、操の?みも激しかったらしく、一時はひどい 神?衰弱 に?ったという [2]

幼少期より非凡な記憶力を持ち、11?のときに地元?川の ?家三木家 に預けられ、その膨大な?書を?破し、12?の時、?者を開業していた長男の鼎に引き取られ 茨城? 千葉? の境である 下? 利根川 べりの布川(現? 利根町 )に住んだ。生地とは異なった利根川の風物や貧困にあえぐ人たちに?い印象を受ける [注? 1] ??寺 という寺では、間引き ?馬 (母親が、生んだばかりの我が子の命を奪っている姿を描いている)を見て、終生忘れることの出?ない衝?を受ける。また、隣家の小川家の?書を??した。16?のときに東京に住んでいた三兄 井上通泰 (帝?大??科大?に在?中)と同居、?書館に通い?書を?ける。三兄の紹介で 森鷗外 の門をたたく。17?の時、尋常中?共立?校(のちの 開成高等?校 )に編入?する。この年、 田山花袋 を知る。翌年、 郁文館中?校 に?校し進級する [3] 。19?にして 第一高等中?校 に進?、?年期を迎える。 東京帝?大? 法科大?政治科(現? 東京大?法?部 政治?科)卒業後、明治33年(1900年)に農商務省に入り、主に東北地方の農村の?態を調査??究するようになる。

詩人?松岡國男 [ 編集 ]

井上通泰の紹介により 森鷗外 と親交を持ち、『 しがらみ草紙 』に作品を投稿、また通泰の世話で 桂園派 の歌人?松浦辰男に入門する。第一高等中?校在?中には『 文學界 』『 國民之友 』『帝國文?』などに投稿する。 1897年 (明治30年)には 田山花袋 ?木田?? らと『抒情詩』を出版する。ロマン的で純情な作風であった。しかしこの?時、悲?に?んでおり、花袋にだけこれを打ち明け、花袋はそれを小?にしていた [4] 飯田藩 出身の柳田家に養子に入り、?と文?を諦め、官界に進んだ後も、田山花袋??木田??? 島崎藤村 ? 蒲原有明 など文?者との交流は?いたが、 大正 時代に入ったあたりから?時の文?(特に 自然主義 私小? )のありようを次第に嫌?し決別していった。

民俗?の夜明け [ 編集 ]

椎葉村の中?宅の庭に設置されている民俗??祥の地の碑

東京帝?大? では農政?を?び、 農商務省 の高等官僚となった後、明治41年5月下旬から約3ヶ月かけて九州と四?を旅している。7月宮崎? 椎葉村 を訪問、大河?の椎葉??宅で文書『狩之?』を目にした。?京後椎葉村長の中?淳(なかせすなお)に文書を分かりやすく書き直してもらい、また、他の狩に?する口?えを文章にしてもらい書簡で送らせた。それらをまとめ、明治42年3月15日に刊行したものが『後狩詞記(のちのかりことばのき』である。この本について柳田は、「今日ではこれが日本の民俗?の出?点のようにいわれている」と述べている [5]

その後、講演旅行などで地方の?情に?れるうちに次第に民俗的なものへの?心を深めてゆく。また、?時?米で流行していた スピリチュアリズム の影響を受け、日本でも起こっていた「 怪談 ブ?ム」のさなか [注? 2] で?時新進作家だった 佐?木喜善 と知り合い、 岩手? 遠野 の佐?木を訪問して『遠野物語』を執筆する [6] 。他に 宮崎? 椎葉 などへの旅の後、?土?をはじめ、?誌『?土?究』を創刊する。民俗?が?自の領域と主張を持つための下準備を着?と進めていった。

日本民俗?の確立 [ 編集 ]

『?土生活?究法』における「重出立?法」などで日本民俗?の理論や方法論が提示されるなど、昭和初期は日本民俗?の確立の時代であった。一方で山村調査、海村調査をはじめとする全?各地の調査が進み、民俗採集の重要性と方法が示された。以降、 日本人 は何であるかを見極め??へ?えるという大きな問題意識を根底に「?省の?」として位置づけられてきた。

略? [ 編集 ]

?典?授章?授賞 [ 編集 ]

位階
?章等
外??章佩用允許

記念館 [ 編集 ]

柳田國男?松岡家?彰?記念館(兵庫?福崎町)
柳田國男館(長野?飯田市)

柳田民俗?の特? [ 編集 ]

現地調査主義 [ 編集 ]

『?土生活の?究法』( 1935年 )において「在?の史?の方針に則り、今ある文書の限りによって?土の過去を知ろうとすれば、最も平和幸福の保持のために努力した町村のみは無?史となり、我邦の農民史は一揆と災害との連鎖であった如き、印象を?へずんば止まぬこととなるであろう」と述べている。

ここでは「文?史?においては典?とする 史料 そのものに偏りが生まれるのは避けられない」としており、「 公文書 などに示された 一揆 や災害とかかわる民衆の姿をそこで確認できたとしても、その生活文化??は決して見えてこない」という認識が示されている。「 常民 」の生活文化史の解明を目的とする民俗?にとっては 文?資料 にのみ依?することには限界と危?が伴うのであり、それゆえ「 フィ?ルドワ?ク による 民俗資料 の?集が重要だ」と論じて、 1933年 から1935年にかけて 民俗資料の分類 に?する自身の見解を公表している。また、『日本民俗?』( 1942年 )において「民俗?は微細な事?の考?から出?する」とし、?筆や紀行文等との差異からも確なる?的立脚を求め、計?調査を重要視した。

こうした趣旨は 日本語 に?する?究にも表れており、 方言 に?するもの(『 蝸牛考 』『方言?書』『標準語と方言』等)や、?語史に?するもの(『?語の??』『?語史:新語篇』『?日の言葉』等)など、柳田は 話し言葉 や方言を重視した [29]

?史? [ 編集 ]

柳田の問題意識と?心は、常に ?史? ?史?育 にあった [30] 、昭和初期に柳田自身、 長野? 東筑摩郡 ?育?で「?年と?問」と題し講演した際、「自分たちの一?が今熱中している?問は、目的においては、多くの?史家と同じ。ただ方法だけが少し新しいのである」、また「日本はこういう フォ?クロア に相?する新しい方法としての?史?究をなすには、たいへんに?まれたところである」と述べている。

たとえば、 ヨ?ロッパ では1000年以上の キリスト? 文明と 民族大移動 、そしてまた近代以降の 産業革命 の進展のためフォ?クロア( 民間?承 、民俗資料)の多くが消滅ないし散逸してしまっているのに?し、日本ではそのようなことがなく現?のいたるところに往古の痕跡が?っているというのである。

言い換えれば日本にはフォ?クロアを?史資料として豊かに活用できる土?があるということであり、柳田民俗?とはこのような民間?承の?史?究上の有?性を所?の?件として構築されたものということができるのである。また東北地方や沖?を??な?点から詳細に調査したことから、東北と沖?こそが柳田民俗?の出?点であり、古き日本の神話や??が今も生きる地域の共同?とした。

?語?育、社?科?育 [ 編集 ]

?前から幾つかの論考を持つ ?語?育 については、1947年から1960年にかけて東京書籍とともに?科書づくりを行った。また、前項に?げた?史?育に?する柳田の意識は、それを包含する社?科?育に?して、1951年から1962年にかけて?業之日本社とともに?科書づくりを行うことにより結?した [31]

評? [ 編集 ]

柳田の 日本民俗? の祖としての功績は非常に高く評?できる。柳田の?究に影響を受けて民族?者となった 宮本常一 は、柳田同?にフィ?ルドワ?クによる民俗資料?集を基礎とし、多くの?究を?した。さらに宮本の?究は、 網野善彦 によって ?史? の分野でも注目を集めた。

著作 [ 編集 ]

  • 遠野物語
    東北地方 の?承を記?した、柳田民俗?の出?点(話者: 佐?木喜善 の『?耳草紙』より、新版? ちくま?芸文庫 、他に「佐?木喜善全集」全4?、 遠野市立博物館 編)。 新潮文庫 ? 角川文庫 ?岩波文庫ほかで多?重版され、口語?も刊行。
  • 蝸牛考
    各地の カタツムリ の呼び名の 方言 分布を比較?討することにより、言葉が 近畿 から地方へ?播していったことを明らかにしたもの。この中で提唱された理論が 方言周?論 である [32] 。言葉は文化的中心地を中心として、まるで何重もの円を描くように周?へと?播し、中心地から遠く離れた地方ほど古い言葉が?っていることを示したものである [32] 。柳田自身は晩年になって、「あれはどうも成り立つかどうかわかりません」と?言し、方言周?論に?疑的になっていたといわれる。しかし、彼の死後6年?って刊行されはじめた ?立?語?究所 の『日本言語地?』では「牝馬」「もみがら」など、調査した言葉のおよそ27%に周?分布が見られ、方言周?論が有?な理論であることが確認された [33]
  • 妹の力
    古代での女性の?力?信仰に?する考察。
  • 桃太? の誕生』
    昔話の解析を通して、日本社?の?面?を描こうとしたものだが、この手法は民俗?民族?、 文化人類? に?用され、多くの後?者を生み出した。(例: 中野美代子 『孫悟空の誕生』 岩波現代文庫
    京極夏彦 は本書の自序にて柳田が『 ヴィ?ナスの誕生 』と桃太?を重ね合わせた事を引用し、柳田が昔話や??の分類に際して「下品な要素」から目を背ける姿勢を取っていたと指摘している [34]
  • 『故?七十年』
    晩年の口述での回想 [注? 5] 嘉治隆一 (朝日新聞記者)と宮崎修二朗 [注? 6] 神?新聞 記者)が筆記しまとめた。
  • 『日本の民俗?』( 中公文庫 、2019年6月)。佐藤健二解?、文庫オリジナル [注? 7] での柳田?入門
  • 『柳田國男全自序集 I?II』( 中央公論新社 中公クラシックス 〉、2019年11月)
    佐藤健二解?。オリジナル版で、約100冊のほぼ全?行本序文を年代順に集成

全集?文庫 [ 編集 ]

  • 筑摩書房 版「全集」の刊行一?
    • 『定本 柳田國男集』(全31??別?5)は?する寸前に刊行開始、短期間で完結 [注? 8] 。1968年6月より新?版(函を?くした)が刊行。
      別?1?2?は「 朝日新聞 論?集」、3?は「故?七十年、同?補」、4?は「炭?日記?書簡」、5?は「?索引、書誌、年譜」
    • 1978-81年に、資料編(全5?、?容は基本文?の項目を?照)を追加した愛?版(?丁は新?版と同一)を刊行。
      1978-79年に、代表作を現行?名遣いで?み易くした『新編 柳田國男集』(全12?)が刊行。
    • 1989-91年には、 ちくま文庫 版『柳田國男全集』(全32?、新字+現行?名遣い+文庫解?)が刊行、反響を呼んだ。
    • 1997年秋より、新たな『柳田國男全集』(新字+?史的?名遣い、全36?+別?2予定)が刊行開始、約十年を?て、著作編は完結した(2006年5月に第23?(初期論考)が刊行)。
      ※他は主に未公刊の資料編で、2010年9月に第22?、2014年3月に第34?、2015年6月に第35?、2019年3月に別?1(年譜)、2024年5月に別?2(補遺)が刊行。第36?(書簡集)は編さん中。
  • 現行の文庫判は、 岩波文庫 (一部改版)、 ちくま文庫 講談社?術文庫 で多く刊行され重版。2013年(?後半世紀を?て著作?がなくなり)以降は新版が、 角川ソフィア文庫 [注? 9] で多?刊行。
書誌
  • 後藤?一?編 『柳田?男をよむ 日本人のこころを知る』 アテネ書房、1995年 - 入門書
  • 田中正明編?解? 『柳田國男 書目書影集?』 岩田書院 、1994年 - 大著
  • 田中正明 『柳田國男の書物 書誌 的事項を中心として』 岩田書院、2003年 - 大著

家族?親族 [ 編集 ]

松岡家兄弟ら(前列右より、松岡鼎、松岡冬樹〔鼎の長男〕、鈴木博、後列右より、柳田國男、松岡輝夫〔映丘〕)。?男は8人兄弟の六男。
弟?松岡?雄

?春期の友人 [ 編集 ]

系譜 [ 編集 ]

  • 松岡家
松岡左仲━━小鶴         ┏松岡鼎
       ┃  (操と改名) ┃
       ┣━━━松岡賢次  ┣松岡俊次
       ┃     ┃   ┃
      中川至    ┣━━━╋松岡泰?(井上通泰)
             ┃   ┃
            たけ   ┣松岡芳江
           (尾芝)  ┃
                 ┣松岡友治
                 ┃
                 ┣松岡國男(柳田國男)
                 ┃
                 ┣松岡?雄
                 ┃
                 ┗松岡輝夫(松岡映丘)

  • 柳田家?安東家
 
 
柳田暢助
信濃飯田藩 士)
 
 
 
安東辰武
(信濃飯田藩士)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
きん
 
直平
 
貞美
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
國男
 
 
てい
 
木越安綱
 
  順  
 
矢田部良吉
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
?正

資料?評???究 [ 編集 ]

※あくまでごく一部で品切?絶版を多く含む。評??究は?百冊を?える。

基本文? [ 編集 ]

  • 『定本 柳田國男集 資料集 4 年中行事 ??』、『5 柳田國男??集』 筑摩書房 。同時期(1980-81年)に別版が岩崎美術社で刊
    前者は柳田國男監修、民俗??究所編、なお『資料集 1』は初刊版の月報合本。
  • 『柳田國男?談集』 宮田登 編?解?、 ちくま?芸文庫 、1992年、復刊2010年
    • 初刊は『柳田?男?談集』、『民俗?について』 筑摩叢書(1965-66年、復刊1985年)。別版は『資料集 2?3 柳田國男?談集』
  • 柳田?正 『父 柳田國男を想う』 筑摩書房、1996年
  • 堀三千 『父との散? - 娘の眼に映じた柳田?男』 人文書院 、1980年 - 著者の夫は 堀一?
  • 谷川健一 編 『父を語る 柳田?男と南方熊楠』 ?山房 インタ?ナショナル、2010年
  • 臼井吉見 編 『柳田?男回想』 筑摩書房、1972年 [注? 10]
  • 神島二? 編 『柳田?男?究』 筑摩書房、1973年
  • 後藤?一? 編 『人と思想 柳田?男』 三一書房 、1972年
  • 大藤時彦 『柳田?男入門』 筑摩書房、1973年
  • 牧田茂 編 『評? 柳田?男』 日本書籍、1979年 - 大藤?牧田は直弟子
  • 川田稔 『柳田?男 - その生涯と思想』 吉川弘文館〈 ?史文化ライブラリ? 19〉、1997年
  • 川田稔 『柳田?男 - 知と社?構想の全貌』 ちくま新書、2016年
  • 赤坂憲雄 『柳田?男の?み方 - もうひとつの民俗?は可能か』 ちくま新書 、1994年/ちくま?芸文庫(?補版)、2013年
  • 『新潮日本文?アルバム5 柳田?男』 宮田登編?評?、 新潮社 、1984年 - ※以下は入門書
  • 谷川健一 『柳田?男の民俗?』 岩波新書 、 2001年
  • 鶴見太? 『柳田?男入門』 角川?芸出版 〈角川選書〉、2008年
  • 鶴見太? 『民俗?の熱き日? - 柳田?男とその後?者たち』 中公新書 、2004年
  • 石井正己 『いま、柳田?男を?む』 河出書房新社〈 河出ブックス 〉、2012年
  • 河出書房新社 編 『文芸?本 柳田?男』 同 1975年、新?版1984年 - 代表作の??を?む
  • 河出書房新社編 『新文芸?本 柳田國男』 同 1992年 - それぞれ異なる論考を?む
  • 河出書房新社編 『柳田?男 民俗?の創始者』 同〈 文芸の本棚 〉、2014年 [注? 11]

?究文? [ 編集 ]

  • 『葬送習俗事典 葬儀の民俗?手帳』 河出書房新社 、2014年 - 同社で多?刊
  • 『柳田?男談話稿』 柳田?正、千葉?爾ほか編?解?、 法政大?出版局 、1987年
  • 『柳田國男 私の?んできた道』 田中正明編、 岩田書院 、2000年
  • 高藤武馬 『ことばの聖 柳田國男先生のこと』 筑摩書房、1983年 - 全集(初刊)の編集??者
  • 大藤時彦 『日本民俗?史話』 三一書房 、1990年 - 遺著
  • 今野圓輔 『柳田國男先生?行記』 新版?河出書房新社、2022年
  • 『谷川健一全集 第十八? 柳田?男』 ?山房インタ?ナショナル 、2010年
  • 現代思想 ?特集 柳田國男-『遠野物語』以前/以後』 ?土社 、2012年10月臨時?刊
  • 『現代思想 ?特集 遠野物語を?む』 ?土社、2022年7月臨時?刊
  • 石井正己 『テクストとしての柳田?男 知の巨人の誕生』 三?井書店、2015年 - 他?冊が刊
  • 井口時男 『柳田?男と近代文?』 講談社、1996年
  • 大室幹雄 『ふくろうと蝸牛 柳田?男の響きあう風景』 筑摩書房、2004年
  • 鶴見太? 『柳田?男 感じたるま?』 ミネルヴァ書房< 日本評?選 >、2019年
  • 船木裕 『柳田?男外? 白足袋 の思想』 日本エディタ?スク?ル出版部、1991年
  • 岡谷公二 『柳田國男の?』 平凡社、2012年 [注? 12]
  • 岡谷公二 『柳田?男の?春』 筑摩書房、1977年/筑摩叢書、1991年
  • 岡谷公二 『 貴族院 書記官長 柳田?男』 筑摩書房、1985年
  • 鶴見和子 『漂泊と定住と 柳田?男の社??動論』 筑摩書房 1977年
    • ?訂版『鶴見和子曼?羅コレクション4 土の? 柳田?男論』 藤原書店 、1998年
  • 橋川文三 『柳田?男論集成』 作品社 、2002年。?版は講談社?術文庫
  • 吉本隆明 『定本 柳田?男論』 洋泉社 、1995年 [注? 13]
  • 山折哲雄 『これを語りて日本人を?慄せしめよ:柳田?男が言いたかったこと』 新潮選書 、2014年
  • 山下一仁 『いま蘇る柳田國男の農政改革』 新潮選書、2018年
  • 中村哲 『柳田?男の思想』 法政大?出版局、新版 1985年?2010年/講談社?術文庫(上下) 1977年
  • ?井?太? 『私? 柳田國男』 吉川弘文館 、2003年 - 晩年の弟子の一人
  • 伊藤幹治 『日本人の 人類? 的自?像 柳田?男と日本文化論再考』 筑摩書房、2006年
  • 伊藤幹治 『柳田?男と文化ナショナリズム』 岩波書店 、2002年 - 晩年の弟子の一人
  • 福田アジオ 『柳田?男の民俗?』 吉川弘文館、1992年、新版? ?史文化セレクション 、2007年
  • 福田アジオ 『種明かししない柳田?男 日本民俗?のために』 吉川弘文館、2023年
  • 新谷?紀 『遠野物語と柳田國男:日本人のル?ツをさぐる』吉川弘文館〈 ?史文化ライブラリ? 〉、2022年
  • 川田稔 『柳田?男のえがいた日本 民俗?と社?構想』 未來社、1998年 - 他?冊が刊
  • 松本三喜夫 『柳田?男と民俗の旅』 吉川弘文館、1992年 - 他?冊が刊
  • 庄司和晃 著作集2 柳田?男と科??育』 明治?書 、1988年 - 他?冊が刊
  • 千葉?爾 『柳田?男を?む』 東京堂 出版、1991年
  • 佐伯有? 『柳田?男と古代史』吉川弘文館、1988年
  • ?嶋靖生 『評註 柳田?男全短歌』河出書房新社、2018年 - 他?冊が刊
  • 『柳田?男 日本文??究資料叢書』 同刊行?編、有精堂出版、1976年
  • 『柳田國男事典』 野村純一 ?宮田登? 三浦佑之 ?吉川祐子編 勉誠出版 1998年
  • 柳田?男? 』 柳田?男?究?編、 三一書房 1988年 - 柳田?究の大著
    • 『柳田?男 ジュネ?ヴ 以後』 三一書房 1996年 - 他に「柳田?男?究」で、別の版元(岩田書院?梟社)で刊(2019年に8冊目)。
  • 後藤?一? 『柳田?男論』 恒文社 1987年 - 著者は柳田?男?究?代表を務めた。

映像資料 [ 編集 ]

  • 後藤?一?監修 『ビデオ??問と情熱.9 柳田國男』 紀伊國屋書店 、1998年
    DVD版は『?問と情熱 柳田國男 - 民俗の心を探る旅』で、2008年8月に再版。
  • 「柳田?男?詩人の魂」 語り手? 吉?剛造 NHK?育テレビ 、2006年3月
    知るを?しむ ? 私のこだわり人物? 』テキスト、他にも評?番組はいくつかある。
  • NHK特集 、遠野物語をゆく 柳田國男の風景 第1?2部』、1977年10月放映
  • 『ここに鐘は鳴る』 今和次? らと?面、1962年3月22日放映で、?する?ヶ月前の映像である。
    昭和32年(1957年)3月に 放送文化賞 を受賞したさいのテレビインタビュ?も現存している。

柳田國男が登場する作品 [ 編集 ]

小?
漫?
演劇
アニメ
  • ふたりはプリキュア Splash Star  第39話「珍?ミミンガ大?動!?」』(2006年11月12日放送)
    • 柳田?吉(やなぎだ くにきち) 」という役名の民俗?者が登場する
評論

脚注 [ 編集 ]

注? [ 編集 ]

  1. ^ 後年、赤松宗旦『利根川?志』(岩波文庫、初版1938年、復刊1994年ほか)を校訂解?した。本書は 安政 5年( 1858年 )に書かれた博物地誌。
  2. ^ 1939年に、??岩波文庫版で 根岸?衛 耳? (耳袋)』(上?下)を校訂している。解題新版は『柳田國男集 幽冥談』( 東雅夫 編、ちくま文庫)に??。
  3. ^ 養父?柳田直平が 永井岩之丞 平岡夏子 の父親)と同僚だったことや、?男が夏子の夫? 平岡定太? と同じ兵庫?出身という?で、 三島由紀夫 の祖母?夏子の家庭と早くから交流があったという [7]
  4. ^ 一方、このことが?者として高名を上げる?機となる。書記官長の?任および?書頭?退の?緯は、岡谷公二『貴族院書記官長 柳田?男』(筑摩書房、1985年)と、 山本一生 『?と伯爵と大正デモクラシ? 有馬?寧 日記 1919』( 日本??新聞出版社 、2007年)に詳しい。
  5. ^ 『故?七十年』新版は、2016年に講談社?術文庫、他に 朝日選書 (オンデマンド版2002年)、のじぎく文庫(神?新聞?合出版センタ?、新?版2010年)。石井正己の再編で『柳田?男の故?七十年』(PHP、2014年)がある。
  6. ^ 著書に『柳田國男 その原?』( 朝日選書 、1978年)、『柳田國男トレッキング』(編集工房ノア、2000年)が、また評?に『?媒のうた 宮崎修二朗翁の文?史秘話』(今村欣史、神?新聞社、2017年)がある。
  7. ^ 他に、 新?社 『近代浪漫派文庫16 柳田國男』( ?史的?名遣い )と、 講談社文芸文庫 『柳田國男文芸論集』(?末に書誌?年譜)がある。
  8. ^ 生前の昭和20年代には『柳田國男先生著作集』全12?、實業之日本社 が出版。
  9. ^ 創元社(創元選書?創元文庫ほか)での出版を引き?ぐ形で、角川文庫で約20冊刊行された。
  10. ^ 大半は「柳田國男集」月報からの再?。
  11. ^ 河出では2014年から、著作の改訂新版を相次いで刊行している。
  12. ^ ?版は『殺された詩人―柳田?男の?と?問』(新潮社、1996年)、また岡谷公二編?解?で『柳田?男 作家の自?61』( 日本?書センタ? 、1998年)がある。
  13. ^ ?版は、吉本隆明『柳田?男論集成』 JICC出版局 、1990年。他に『柳田?男論? 丸山?男 論』ちくま?芸文庫、2001年。第一部を??。

出典 [ 編集 ]

  1. ^ a b c 牧田茂 1972 [ 要ペ?ジ番? ]
  2. ^ 「故?七十年」『柳田國男 ちくま日本文?全集』新版 ちくま文庫(抄版)、2008年 pp.431-432
  3. ^ 岡田俊裕『日本地理?人物事典 (近代編Ⅰ)』原書房 2011年、p.261
  4. ^ 岡谷公二 『柳田國男の?』(平凡社、2012年)に詳しい。 [ 要ペ?ジ番? ]
  5. ^ 柳田國男『定本柳田國男集 別?3』「故?七十年」筑摩書房 1971年
  6. ^ 水野葉舟 『遠野物語の周?』( ?書刊行? 、2001年)の解題、 ?山茂雄 「怪談への位相」より。 [ 疑問点 ]
  7. ^ 柳田?男『故?七十年』( 神?新聞 社〈のじぎく文庫〉、1959年11月。新?版1989年?2010年)。 橋川文三 三島由紀夫 論集成』(深夜叢書社、1998年12月)pp.37-38
  8. ^ 『官報』第5580?「?任及?令」1902年2月13日。
  9. ^ 柳田國男?抄?後狩詞記/椎葉村?育委員?、1993年
  10. ^ 椎葉村史?椎葉村/椎葉村、1994年
  11. ^ 椎葉民族芸能博物の館?示物 [ 疑問点 ]
  12. ^ 定本柳田國男集別?第三?柳田國男、1971年
  13. ^ a b 佐谷眞木人 2015 , p. 66.
  14. ^ 『柳田?男?南方熊楠往復書簡集』( 飯倉照平 編/平凡社、1976年。 平凡社ライブラリ? 上下、1994年)?照。
  15. ^ 下川耿史『環境史年表 明治?大正編(1868-1926)』p.385 河出書房新社 2003年11月30日刊 全?書誌番? : 20522067
  16. ^ 佐谷眞木人 2015 , p. 116.
  17. ^ 宮本常一『著作集1 民俗?への道』(未來社、1968年) [ 要ペ?ジ番? ]
  18. ^ 山村生活調査第1回報告書 大間知篤三
  19. ^ 現代日本文?全集12 筑摩書房
  20. ^ 新谷?紀. “ 國學院大學|文?部(日本文?科) ?員詳細 ”. 2016年3月5日時点の オリジナル よりア?カイブ。
  21. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 柳田國男 」  アジア?史資料センタ? Ref.A06051186500 
  22. ^ 『官報』第6196?「?任及?令」1904年3月1日。
  23. ^ 『官報』第205??付?「?令」1913年4月9日。
  24. ^ 『官報』第1038?、「?任及?令」1916年01月20日。
  25. ^ 『官報』第2711?「授爵??任及?令」1921年8月13日。
  26. ^ 『官報』1912年10月18日「?任及?令」。
  27. ^ 『官報』1913年2月6日「?任及?令」。
  28. ^ 『官報』1920年4月13日「?任及?令」。
  29. ^ 小林隆 2016 , pp. 116?117.
  30. ^ 和歌森太? 1975 [ 要ペ?ジ番? ]
  31. ^ 庄司和晃 「柳田社?科の成立と?科書の主題」『柳田國男 小?校社?科?科書「日本の社?」別冊資料』第一書房、1985年 p.35
  32. ^ a b 小林隆 2016 , p. 117.
  33. ^ 小林隆 2016 , pp. 118?119.
  34. ^ 京極夏彦 ? 多田克己 ? 村上健司 ? ?史? 『ひどい民話を語る?』「プロロ?グ ――今回はシモではなくひどさを追求」 KADOKAWA 2022年 p.82-84
  35. ^ 柳田?男 『人事興信?』8版
  36. ^ a b 柳田?男 人事興信?. 第13版(昭和16年) 下
  37. ^ 柳井統子 候補作家の群像

?考文? [ 編集 ]

著書
論文

?連項目 [ 編集 ]

外部リンク [ 編集 ]

公職
先代
太田峰三?
日本の旗 貴族院書記官長
1914年 - 1919年
次代
河井?八
?職
先代
(新設)
日本の旗 日本民俗?? ?長
1949年 - 1950年
次代
堀一?
代表理事