出典: フリ?百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杜 牧
(と ぼく、
?音
:Du Mu、
ウェ?ド式
:
Tu
4
Mu
4
、
803年
(
貞元
19年) -
853年
(
大中
6年))は、
中?
晩唐
の
詩人
。
字
は牧之。?は樊川。
本貫
は
京兆郡
杜陵?
。
西晋
の
杜預
の子の杜尹の末裔にあたる。祖父は中唐の?史家の
杜佑
。父は駕部員外?の杜?郁。弟は杜?。詩人の
杜荀鶴
は庶子と言われる。
晩唐の?細な技巧的風潮を排し、平明で豪放な詩を作った。風流詩と詠史、時事諷詠を得意とし、艶麗と剛健の?面を持つ。
七言絶句
に優れた作品が多い。
杜甫
の「老杜」に?し「小杜」と呼ばれ、また同時代の
李商?
と共に「晩唐の李杜」とも?される。ほか
李白
?
韓愈
?
柳宗元
からも影響を受けた。
??
[
編集
]
長安
の名門階級に生まれるが、出生時には?に衰退の途中であった。祖父の杜佑は「
通典
」と呼ばれる
百科事典
の編纂に携わる。
828年
、25?で
進士
に及第。
官吏
となる。文????で編者の第一人者となる。?カ月後、宣?
?察使
である
沈?師
(
中?語版
)
の
側近
となった
[1]
。
833年
、31?の時に
揚州
の淮南
節度使
牛僧孺
の幕下に入り、
掌書記
を勤めた。このころ詩作を始める。揚州在任の3年間、?晩
妓?
に通い、風流の限りを?くしたと言われる。
835年
、
監察御史
に任命され長安に?ったが、王朝?部では彼の友人の
李訓
(
中?語版
)
や
鄭注
らと
宦官
が派閥??に明け暮れていた。自らは
洛陽
への?任を申し出て認められたため、その年の暮れに起こった
甘露の?
を回避できたとされる
[2]
。
以後各地で多くの官職を?任するが、政?のため中央での出世は得られなかった。
837年
には失明した弟の杜?を介護世話するために揚州に?り、その後杜?も連れて
宣州
に向かった。
839年
に左補闕や史館修撰となるが、長安に?った。
840年
に膳部員外?に、翌
841年
には比部員外?に任命される。その後
?州
?
池州
?
睦州
の
刺史
を?任するが、杜牧はこの?遇に不?を持ち、
李?裕
を非難した。彼は自分の??や?遇への不?を詩に表し始めた
[3]
。
848年
に司?員外?に任命された彼は中央に?り、史館修撰の時の功績を表彰される。
849年
には
吏部
員外?となった。
850年
には依願して
湖州
刺史となるが、
門下省
、ついで
中書省
の?人となる。ところがその年病に倒れ、翌年(
太陽太陰?
)に亡くなった。
著名な作品
[
編集
]
漢詩
のほか、
賦
や中?の古典
散文
にも長けていた。?史的な名所や神秘的な情景を描いた?細で?情的な
絶句
を得意としていた。ほかに離別や退?、無常?などを描く詩もある。彼は古典的な形と口語的な語法や語順、
言葉遊び
などを組み合わせたスタイルを用いた。彼はまた
スト?リ?
性のある長編の詩や
孫子
の注?も書いている。江南の風景を??のように表現した「江南春」、揚州での、風流才子としての姿を描いた「遣?」、反??想的と言われる詩風をよく反映している。また
垓下の?い
に敗れた
項羽
(前232年 - 前202年)が、烏江まで逃れてきた時のことを詠い「捲土重?」の語の元ともなった「題烏江亭」がよく知られている。
賦
では「阿房宮賦」が有名。
晩唐を代表する詩人で人?も高い杜牧であるが、
盛唐
を重視し、
中唐
?晩唐の詩を批判する
明
の
古文?派
の文??を反映した『
唐詩選
』には1篇も選ばれていない。
また、李商?と同じく、?愛詩を作ったことでも知られている。「十年一たび?む揚州の夢、?ち得たり??薄倖の名」(?を遣る)といううたの??とは妓女の家のことを指しているとされる。しかし死ぬ前年にその?愛詩の多くを自ら?き?ってしまい、死後に編纂された『樊川文集』全二十?に?められた?愛詩は少なかった。
江南春
|
原文
|
書き下し文
|
通?
|
千里鶯啼?映紅
|
千里鶯(うぐいす)啼(な)いて?紅(くれない)に映ず
|
??とした平野のあちらこちらで?がないて、紅い花が新?に映えている。
|
水村山郭酒旗風
|
水村山郭酒旗(すいそんさんかくしゅき)の風
|
川沿いの村や山里の酒屋の旗が、春風にたなびいている。
|
南朝四百八十寺
|
南朝四百八十寺(しひゃくはっしんじ)
|
南朝時代以?のたくさんの寺が立ち?び
|
多少樓臺煙雨中
|
多少の?台煙雨の中
|
多くの?台が春の霧雨の中に煙っていることだろう。
|
題烏江亭
|
原文
|
書き下し文
|
通?
|
勝敗兵家事不期
|
勝敗は兵家も事期せず
|
?の勝敗は兵法家であっても予測できるものではない。
|
包羞忍?是男?
|
羞(しゅう)を包み 恥を忍ぶは これ男?
|
羞恥を耐え忍んでこそ男?というもの。
|
江東子弟多才俊
|
江東の子弟 才俊多し
|
江東の子弟には優れた人材が多いゆえに
|
捲土重?未可知
|
捲土重?(けんどちょうらい)も 未だ知るべからず
|
再起してまた天下を?うことも、できたかも知れないのに。
|
ほかに「?明」や「秋夕」といった詩がある。「秋夕」は彼の家の?落の嘆きを暗示しているとされる
[4]
。
?明
|
原文
|
?明時節雨紛紛
|
路上行人欲斷魂
|
借問酒家何處有
|
牧童遙指杏花村
|
秋夕
|
原文
|
銀燭秋光冷??
|
輕羅小扇撲流螢
|
天階夜色?如水
|
臥看牽牛織女星
|
最近の動き
[
編集
]
1968年
、バンド
ピンク?フロイド
に所?する
ロジャ??ウォ?タ?ズ
が
アルバム
神秘
に??されている
太陽?歌
(
英語版
)
の中で杜牧の詩から"Lotuses lean on each other in yearning"(多少綠荷相倚恨)という言葉を引用している。
脚注
[
編集
]
- ^
所安, 宇文
(2006).
The Late Tang: Chinese Poetry of the Mid-Ninth Century (827-860)
. Harvard University Asia Center. p. 260.
ISBN
978-0-674-03328-3
- ^
Owen, Stephen
(2006).
The Late Tang: Chinese Poetry of the Mid-Ninth Century (827-860)
. Harvard University Asia Center. p. 271-272.
ISBN
978-0-674-03328-3
- ^
Owen, Stephen
(2006).
The Late Tang: Chinese Poetry of the Mid-Ninth Century (827-860)
. Harvard University Asia Center. p. 289.
ISBN
978-0-674-03328-3
- ^
Red Pine, Poems of the Masters, Copper Canyon Press, 2003.
?考文?
[
編集
]
- Nienhauser, William H (ed.). The Indiana Companion to Traditional Chinese Literature. Indiana University Press 1986.
ISBN 0-253-32983-3
- Francis, Mark. Running Under the Ice: Fifty Selected Poems by Du Mu. Oxcidental Press 2012.
ISBN 978-1-4681-2831-4
近年刊の?書??究
[
編集
]
?連項目
[
編集
]
ウィキメディア?コモンズには、
杜牧
に?連するメディアがあります。
中?語版ウィキソ?スに本記事に?連した原文があります。
外部リンク
[
編集
]
|
---|
全般
| |
---|
?立?書館
| |
---|
?術デ?タベ?ス
| |
---|
芸術家
| |
---|
人物
| |
---|
その他
| |
---|