?宮

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?王まつり での再現(三重?明和町)

?宮 (さいぐう/さいくう [注? 1] /いつきのみや/いわいのみや)は、 日本 の古代から 南北朝時代 にかけて、 伊勢神宮 に奉仕した ?王 御所 (現在の ?宮跡 )で、 平安時代 以降は 賀茂神社 の?王( ?院 )と?別するため、?王のことも指した。後者は 伊勢?王 伊勢?宮 とも?する。

?宮の起こり [ 編集 ]

日本書紀 崇神天皇 紀によれば、崇神天皇が皇女 豊?入?命 に命じて宮中に祭られていた 天照大神 大和? 笠縫邑 に祭らせたとあり [1] 、これが?王(?宮)の始まりとされる。そして次の 垂仁天皇 の時代、豊?入?の姪にあたる皇女 倭?命 が各地を巡行し 伊勢? に?りつき、そこに 天照大神 を祭った。この時のことを『日本書紀』垂仁天皇紀は「 ?宮 いはいのみや 五十鈴 の川上に つ。是を 磯宮 いそのみや と謂ふ」と記し [2] 、これが?王の忌み籠る宮、?ち後の?宮御所の原型であったと推測される。また垂仁天皇紀は「天皇、倭?命を以って 御杖 みつえ として、天照大神に 貢奉 たてまつ りたまふ」とも述べ [3] 、以後、?王は 天皇 の代替わり?に置かれて天照大神の「 御杖代 みつえしろ、神の意を受ける 依代 」として伊勢神宮に奉仕したという。ただし史料上は必ず置かれたかどうかは不明で、任期などもそれほど明確ではない。 用明天皇 朝を契機に一時途絶えたが、 天武天皇 の時代に正式に制度として確立し(『 扶桑略記 』は天武天皇が 壬申の? の?勝祈願の?として伊勢神宮に自らの皇女 大?皇女 を捧げたのが初代とする)、以後は天皇の代替わり?に必ず新しい?王が選ばれ、南北朝時代まで?く制度となった。

なお、『扶桑略記』に初めて大?皇女が定められたとあること、同皇女の前任と?える 酢香手?皇女 (用明天皇皇女)との間に約50年の空白期間があること、その以前の 稚足?皇女 雄略天皇 皇女)、 荳角皇女 ??天皇 皇女)、 磐?皇女 欽明天皇 皇女)、 ?道皇女 敏達天皇 皇女)ならびに酢香手?皇女は伊勢に?ていないと考えられること、磐?皇女??道皇女はどちらも皇族男性との姦通により解任されたことが『日本書紀』で書かれるが、宮廷から遠く離れた伊勢に居住していれば考えにくいこと、酢香手?皇女の退?の記述に「自ら 葛城 に退きて」とあって、遠い伊勢から 大和 への?省を?ず?宮を退出してそのまま葛城に?棲 [4] したと思われる3点から、酢香手?以前の?宮は後世の?構とする?がある [4]

また 福岡? 糟屋郡 久山町 猪野にある 天照皇大神宮 には、 仲哀天皇 9年( 200年 )、 熊襲 征伐の途中、「われを祭れば、?をせずとも財?の?を得ることができる」という神の 託宣 があったが、仲哀天皇が疑ったために、その?りを受け 香椎宮 崩御 。そのことを知った 神功皇后 が、小山田の村に?宮を建て、自ら神主となり、天照大神を祀ったという ?起 がある。

?宮の卜定から退下まで [ 編集 ]

卜定 [ 編集 ]

先代の?宮が退下すると、未婚の ?親王 または 女王 から候補者を選び出し、 ?卜 ?の甲 を火で焙って出?たひびで判?する 卜占 )により新たな?宮を定める( 卜定 ぼくじょう )。新?宮が決定すると、邸に 勅使 が訪れて?宮卜定を告げ、伊勢神宮にも 奉幣使 が遣わされて、?宮はただちに潔?に入る。

初?院 [ 編集 ]

宮城?の便所(便宜の場所)が卜定で定められて 大?裏 の殿?(時?により異なる)が?宮の潔?所となる。これを 初?院 しょさいいん と呼ぶが、その場所は 雅?寮 宮?省 主殿寮 、左右 近衛府 などが記?に?る。?宮は初?院で1年間?戒生活を送るとされているが、もっと短期になる場合も多い。

野宮 [ 編集 ]

野宮神社 京都市 )。?木 鳥居 と小 がかつての風情を?える。
都を出?する?宮の 群行
?宮?史博物館 三重? 明和町)
?宮の居室(手前は ?侍
?宮?史博物館

初?院での潔?の後、翌年8月上旬に入るのが 野宮 ののみや である。野宮は京外の??な地( 平安時代 以降は主に 嵯峨野 )を卜定し、?宮のために一時的に造?される殿?で、?宮一代で取り?されるならわしだった( 野宮神社 などがその跡地と言われるが、現在では嵯峨野のどこに野宮が存在したか正確には判っていない)。?宮は初?院に引き?き、この野宮で?戒生活を送りながら翌年9月まで伊勢下向に備えた。なお、野宮は?木(皮のついたままの木材)で造られ、このため?木の 鳥居 が野宮の象?とされた。『 源氏物語 』では前東宮と 六?御息所 の間に生まれた?宮(後の 秋好中宮 )が「 」帖で?宮となったため、六?御息所がそれに同道することになり、「 賢木 」帖でこの野宮が 光源氏 との別れの舞台となり、後に 野宮 』の題材にもなった。

群行 [ 編集 ]

初?院?野宮を?て3年目の9月、野宮を出て ? の後、 宮中 群行の儀 に臨み、伊勢へ?向する。但し後述「 退下 」のように?代の?宮全てが群行を行ったわけではない。

?宮寮と祭祀 [ 編集 ]

史跡 ??宮跡(?王の森史跡公園?、三重?明和町)
?宮寮の復元模型
(三重?明和町)

伊勢での?宮の生活の地は、伊勢神宮から約20キロメ?トル離れた ?宮寮 (現在の 三重? 多?郡 明和町 )であった。普段はここで寮?の?殿を??しながら潔?の日?を送り、年に3度、 「三時祭」(6月?12月の 月次祭 と9月の 神嘗祭 。三節祭とも) [ 疑問点 ] に限って神宮へ赴き神事に奉仕した。?宮寮には寮頭以下?勢500人あまりの人?が仕え、137 ヘクタ?ル 余りの敷地に 碁盤の目 ?の??が?ぶ大規模なものだったことが、遺跡の?掘から判明している。特筆すべきは?色または?色の が施された 陶器 の出土であり [5] [6] 、色に何か意味があった可能性も考えられる。なお、?宮跡は 昭和 45年( 1970年 )の?掘調査でその存在が確認され同54年に?の 史跡 に指定されたが、その後も?掘中である [9] [13]

三時祭は 外宮 [14] では各月の15?16日の、?宮 [20] は16?17日の?日に行われるが、?宮はその2日目に?加し、太 玉串 宮司 から受取り、瑞垣御門の前の西側に立てる [21] [22] 。また、2月の 祈年祭 、11月の 新嘗祭 [23] [16] で多?、 度? の? 神郡 ?の115座の神?に 幣帛 を分配する。

退下 [ 編集 ]

?宮が任を終えることを、 奈良時代 から 平安時代 中期まで(8?10世紀頃)は退出と?したが、その後は 退下 たいげ [24] [25] または下座と言った。

?宮の退下は通常、天皇の 崩御 或いは ?位 の際とされるが、それ以外にも?宮の父母や近親の死去による忌喪、潔?中の 密通 などの不祥事、また?宮の 薨去 による退下もあり、初?院や野宮での潔?中に退下した?宮も多い。なお、伊勢での在任中に薨去した場合は現地に葬られたらしい [注? 2] [ 要出典 ] 。退下の後、前?宮は?ヶ月の間、伊勢で待機し準備が整った後に、奉迎使に伴われて?京した。

?京の道程は二通りあり、天皇?位の時は群行の往路と同じ 鈴鹿峠 ? 近江 路を?るが、その他の凶事(天皇崩御、近親者の喪など)の場合には 伊賀 ? 大和路 を?て?還するのが通例であった [注? 3] 。どちらの行程も最後は船で 淀川 を下り、 難波津 ? の後に 河陽宮 を?て入京した。

また、 酢香手?皇女 は任を終えて葛城に移ったと記され [ 要出典 ] 、それ以前の他の?宮は 稚足?皇女 を除くと後生は不明。 ?なる記載漏れか、?然?るべき所(例えば宮廷の周?)があったので省略されたか、それとも、酢香手?皇女の移?先である「 葛城 」の記載が他の?宮の移?先をも代表しているとみるか、??に推測できる [ ?自?究? ]

退下後の?宮 [ 編集 ]

退下後の前?宮のその後はごく?人を除いてあまり知られていない。 律令制 では本?、 ?親王 の婚姻相手は 皇族 に限られるため、 奈良時代 までは?宮は退下すると嫁ぎ先は天皇もしくは皇族のみであり、平安時代以降も?親王で臣下に 降嫁 したのは 雅子?親王 藤原師輔 室)ただ1人であった [注? 4] また 藤原道雅 と密通した ?子?親王 は父 三?天皇 の怒りに?れて仲を裂かれており、結婚は禁忌ではなかったらしいが、多くの前?宮は生涯?身だったとも思われる。 [ ?自?究? ]

ちなみに?宮退下後に 入? を果たした4人は 井上?親王 光仁天皇 皇后 、後に?位)、 酒人?親王 桓武天皇 )、 朝原?親王 平城天皇 妃)、 徽子女王 村上天皇 女御 )であり、徽子女王を除くと、いずれも母娘3代にわたり?宮を務めかつ入?した [注? 5]

院政 期には、未婚のまま天皇の 准母 として非妻后の皇后(尊?皇后)、さらに 女院 となる?親王が現れる。この初例は 白河天皇 の愛娘 ?子?親王 (郁芳門院)であり、彼女は?宮??者であった。以後これに倣い、?宮または?院から准母立后し女院となる例が?宮及び?院制度の途絶まで見られた。

?宮の終焉 [ 編集 ]

平安時代末期になると、 治承??永の? (源平合?)の混?で?宮は一時途絶する。その後に復活したが(もう一つの?王であった賀茂?院は 承久の? を境に?絶)、 鎌倉時代 後半には卜定さえ途絶えがちとなり、 持明院統 の?代天皇においては置かれる事もなく、南北朝時代の幕開けとなる 延元の? により、時の?宮 祥子?親王 後醍?天皇 皇女)が群行せずに野宮から退下したのを最後に途絶した。

?宮の忌み詞 [ 編集 ]

神に仕える?宮は 穢れ を避け、また ?? も禁忌とするため、それらに?連する言葉が忌み詞として禁じられた。『 延喜式 』の?第5(?宮式)の忌詞?に次のとおり記されている。 ?七言は??用語、外七言は穢れの言葉である。

凡そ忌詞、?七言は、 ? を「 中子 なかご 」と?し、 ? を「 染紙 そめがみ 」と?し、 を「 阿良良伎 あららぎ 」と?し、 を「 瓦葺 かわらふき 」と?し、 を「 ?長 かみなが 」と?し、 を「 ?長」と?し、 ? いもい (?僧の食事)を「 片膳 かたじき 」と?せよ。外七言は、死を「 奈保留 なほる。治る 」と?し、病を「 夜須美 やすみ。休み 」と?し、 泣く を「 ?垂 しおたれ 」と?し、血を「 阿世 あせ。汗 」と?し、 うつ を「 づ」と?し、 ? しし。肉 を「 くさひら。野菜や茸 」と?し、墓を「 ? つちくれ 」と?せ。又別の忌詞は、 を「 香燃 こりたき 」と?し、 優婆塞 うばそく を「 角? つのはず 」と?せ。

?代?宮 [ 編集 ]

人物 期間 ?柄 その後 天皇 備考
1 豊?入?命 崇神天皇 皇女 崇神天皇
2 倭?命 垂仁天皇 皇女 垂仁天皇
3 五百野皇女 景行天皇 皇女 景行天皇
4 伊和志?皇女 仲哀天皇 皇女? 仲哀天皇
5 ?幡?皇女 ?-459? 雄略天皇 皇女 雄略天皇
6 荳角皇女 507?-? ??天皇 皇女 ??天皇
7 磐?皇女 欽明天皇 皇女 欽明天皇
8 ?道皇女 578 敏達天皇 皇女 敏達天皇
9 酢香手?皇女 586-622 用明天皇 皇女 用明天皇 [注? 6]
崇峻天皇
推古天皇
?宮制度成立以降
10 大?皇女 673-686 天武天皇 皇女 天武天皇
11 託基皇女 698-701 天武天皇皇女 文武天皇
12 泉皇女 701-706 天智天皇 皇女
13 田形皇女 706-707 天武天皇皇女 六人部王
14 多紀?親王 707-? 天武天皇皇女 志貴皇子 再任
15 智努女王 不詳 長皇子 女? 元明天皇
16 円方女王 不詳 天武天皇曾孫、 長屋王
17 久勢女王 715-721 元正天皇
18 井上?親王 721-744 聖武天皇 皇女 光仁天皇 皇后 聖武天皇
19 ?女王 744-749 高丘王女?
20 小宅女王 749-752 天武天皇曾孫、 三原王 [注? 7] 孝謙天皇
21 安倍?親王 758-764 淳仁天皇 皇女 ?部王 淳仁天皇
22 酒人?親王 772-775 光仁天皇 皇女 桓武天皇 光仁天皇
23 ?庭女王 775-781 光仁天皇皇孫、 神王
24 朝原?親王 782-796 桓武天皇皇女 平城天皇 桓武天皇
25 布勢?親王 797-806 桓武天皇皇女
26 大原?親王 806-809 平城天皇 皇女 平城天皇
27 仁子?親王 809-823 嵯峨天皇 皇女 嵯峨天皇
28 氏子?親王 823-827 淳和天皇 皇女 淳和天皇
29 宜子女王 828-833 桓武天皇皇孫、 仲野親王
30 久子?親王 833-850 仁明天皇 皇女 仁明天皇
31 晏子?親王 850-858 文?天皇 皇女 文?天皇
32 恬子?親王 859-876 文?天皇皇女 ?和天皇
33 識子?親王 877-880 ?和天皇皇女 陽成天皇
34 ?子?親王 882-884 文?天皇 皇女 群行なし
35 繁子?親王 884-887 光孝天皇 皇女 光孝天皇
36 元子女王 889-897 仁明天皇 皇孫、 本康親王 宇多天皇
37 柔子?親王 897-930 宇多天皇 皇女 醍?天皇
38 雅子?親王 931-936 醍?天皇 皇女 藤原師輔 朱雀天皇
39 ?子?親王 936-936 醍?天皇皇女 群行なし
40 徽子女王 (?宮女御) 936-945 醍?天皇皇孫、 重明親王 村上天皇 女御
41 英子?親王 946-946 醍?天皇皇女 村上天皇 群行なし
42 ?子女王 947-954 醍?天皇皇孫、重明親王女
43 ?子?親王 955-967 村上天皇皇女
44 輔子?親王 968-969 村上天皇皇女   冷泉天皇 群行なし
45 隆子女王 969-974 醍?天皇皇孫、 章明親王 円融天皇
46 規子?親王 975-984 村上天皇皇女
47 ?子女王 984-986 醍?天皇皇孫、章明親王女 花山天皇 群行なし
48 恭子女王 986-1010 村上天皇皇孫、 ?平親王 一?天皇
49 ?子?親王 1012-1016 三?天皇 皇女 三?天皇
50 ?子女王 1016-1036 村上天皇皇孫、 具平親王 藤原?通 後一?天皇
51 良子?親王 1036-1045 後朱雀天皇 皇女 後朱雀天皇
52 嘉子?親王 1046-1051 三?天皇皇孫、 敦明親王 後冷泉天皇
53 敬子女王 1051-1068 三?天皇皇孫、敦平親王女
54 俊子?親王 1069-1072 後三?天皇 皇女 後三?天皇
55 淳子女王 1073-1077 三?天皇皇孫、敦賢親王女 白河天皇
56 ?子?親王 (郁芳門院) 1078-1084 白河天皇皇女
57 善子?親王 1087-1107 白河天皇皇女 堀河天皇
58 恂子?親王 1108-1123 白河天皇皇女 鳥羽天皇
59 守子女王 1123-1141 後三?天皇皇孫、 輔仁親王 崇?天皇
60 ?子?親王 1142-1150 鳥羽天皇皇女 近衛天皇
61 喜子?親王 1151-1155 堀河天皇皇女
62 亮子?親王 (殷富門院) 1156-1158 後白河天皇 皇女 後白河天皇 群行なし
63 好子?親王 1158-1165 後白河天皇皇女 二?天皇
64 休子?親王 1166-1168 後白河天皇皇女 六?天皇 群行なし
65 惇子?親王 1168-1172 後白河天皇皇女 高倉天皇
66 功子?親王 1177-1179 高倉天皇 皇女 群行なし
67 潔子?親王 1185-1198 高倉天皇皇女 後鳥羽天皇
68 ?子?親王 1199-1210 後鳥羽天皇皇女 土御門天皇
69 凞子?親王 1215-1221 後鳥羽天皇皇女 順?天皇
70 利子?親王 (式乾門院) 1226-1232 高倉天皇皇孫、 守貞親王 後堀河天皇
71 昱子?親王 1237-1242 後堀河天皇皇女 四?天皇
72 曦子?親王 (仙華門院) 1244-1246 土御門天皇皇女 後嵯峨天皇 群行なし
73 愷子?親王 1262-1272 後嵯峨天皇 皇女 ?山天皇
74 ?子?親王 (達智門院) 1306-1308 後宇多天皇 皇女 後醍?天皇 皇后 後二?天皇 群行なし
75 ?子?親王 (宣政門院) 1330-1331 後醍?天皇皇女 光?天皇 中宮 後醍?天皇 群行なし
76 祥子?親王 1333-1334 後醍?天皇皇女 後醍?天皇 群行なし

現代 [ 編集 ]

伊勢神宮と?宮の往復路がある自治?の一部と民間??は、 平成11年 4月15日に「?王のみち?史街道活性化協議?」をつくっている [29] 。その端?には前年に三重?が企?した「みえ?史街道フェスタ」と京都–伊勢を結ぶ?王群行の再現がある [30] 。?施にあたり、?下と?外(以下の #一? の"※"印ほか)の諸組織の協力を得た。

この「?王のみち」を 街道資産 と認識し、沿線?域の自治?と民間??の地域づくりに活用されている [30]


「?王のみち」に?加する組織と?? [ 編集 ]

?王のみちをめぐる活性化協議?の?議開催地 [注? 14]
  • 第5回 ?山市(平成14年)
  • 第6回 明和町(平成14年)
  • 第7回 土山町(平成15年)
  • 第8回 京都市(平成15年)
  • 第9回 伊勢市(平成16年)
  • 第10回 ?山市(平成16年)
  • 第11回 伊賀市(平成17年)
  • 第12回 松阪市(平成17年)
  • 第13回 ?山市(平成18年)
  • 第14回 明和町(平成18年)
  • 第15回 甲賀市(平成19年)

文?作品 [ 編集 ]

  • 山中智?子 『?宮志:?承の?王から伊勢物語の?宮まで』 大和書房 (1986年) ISBN   4-479-83010-3
  • 山中智?子『??宮志』砂子屋書房(1992年) ISBN   4-7904-9221-4
  • アニメ『?王のみち』 明和町の事業として製作 [31]

脚注 [ 編集 ]

注? [ 編集 ]

  1. ^ 「さいくう」と濁らずに?むのが 故? 。現在も三重?多?郡明和町の地名は「さいくう」。
  2. ^ 伊勢で薨去した?宮として確?なのは平安時代の 隆子女王 惇子?親王 の2人で、いずれも?宮跡近くに墓所と?わる 御陵 が?る。
  3. ^ 崩御や喪に接すると、 一志郡 川口 阿保 相? [28] を?由した。
  4. ^ ただし臣下に嫁いだ女王は他に 藤原?通 室となった ?子女王 がいる。
  5. ^ 南北朝時代 ?子?親王 光?上皇 妃であるが、天皇退位後の入?である
  6. ^ 『日本書紀』用明天皇紀に「推古天皇の代まで?宮をつとめ、後に葛城(母の里)に?り亡くなったとの記述が推古天皇紀にある」旨の注がある。しかし推古天皇紀にその記述はない。
  7. ^ 『?宮記』には孝謙皇女小家?親王とあるが、孝謙天皇は?身の女帝なので誤りか。
  8. ^ ?宮夢行列(平成14年第4回以降)、?王を?る??展(初回平成14年以降奇?回) [30]
  9. ^ あいの土山?王群行(平成16年第7回まで) [30]
  10. ^ あいの土山?王群行(平成17年第8回以降) [30]
  11. ^ ?王企?展??(平成15年以降)、伊賀??植の?王群行(平成15年第1回以降)、?王ウォ?ク(平成19年) [30]
  12. ^ ?王のみち?史街道活性化協議?(第5回平成14年、第10回同16年 [30] )。
  13. ^ ?王まつりに加え、?王を?る??展(平成15年第2回以降偶?回)、?宮浪漫まつり(平成18年第6回以降) [30]
  14. ^ ?議開催地は一部を?載。出典は三重?文化振興課 [30]

出典 [ 編集 ]

  1. ^ 崇神天皇紀6年?。
  2. ^ 垂仁天皇紀25年3月丙申(10日)?。
  3. ^ 垂仁天皇紀25年3月丙申(10日)?「一云」。
  4. ^ a b 筑紫申? VIII 太陽の妻 」『アマテラスの誕生』角川書店〈角川新書〉、1962年、116頁。 doi : 10.11501/2990518 https://dl.ndl.go.jp/pid/2990518/1/26 2023年9月5日 ??   ?立???書館デジタルコレクション、?立???書館?公開。
  5. ^ a b ?宮?史博物館 編『器 (うつわ) は語る700年 : ?史跡?宮跡?掘30周年記念特別展』?宮?史博物館、2000年。 NCID   BA49033777  
  6. ^ a b ?宮?史博物館 編『?宮と古代?家 : 飛鳥?奈良時代の?宮を探る : ?史跡?宮跡?掘50周年記念特別展』?宮?史博物館、2020年。 NCID   BC04339848  
  7. ^ a b c 角正 2011 , pp. 16?19
  8. ^ 駒田 2011 , pp. 3?6
  9. ^ ?宮跡?掘40年特集は『月刊考古?ジャ?ナル』に記載がある [7] [7] [7] [8]
  10. ^ a b ?宮?史博物館、文化?、三重?埋?文化財センタ? 編『日本の???宮 : 記念特別展 : ?宮跡?史跡指定30周年 : ?宮?史博物館開館20周年 : ?宮跡出土品重要文化財指定』?宮?史博物館、2009年。 NCID   BA91524187  
  11. ^ a b ?宮?史博物館 編『東雲の?王大?皇女と壬申の? : ?宮?史博物館開館30周年記念?史跡?宮跡指定40周年記念特別展』?宮?史博物館、2019年。 NCID   BB29226083  
  12. ^ 大川 2022 , pp. 104?112
  13. ^ ?掘品の展示は、考古?調査の周年 [5] [10] [11] [12] [6] と?宮?史博物館開館の周年 [10] に回を重ねてきた [11]
  14. ^ 加茂 2000 , pp. 151?175
  15. ^ 小林 1958 , pp. 384?402
  16. ^ a b 中西 , pp. 39?50
  17. ^ 小松 1990 , pp. p297?321
  18. ^ 藤森 2008 , pp. 73?83
  19. ^ CITEREF中西2016
  20. ^ 「神宮の三節祭」 [15] 、「神官祭祀と天皇祭祀--神宮三節祭由貴大御饌神事と神今食?新嘗祭の祭祀構造」 [16] [17] 、「?名鶴神話と伊勢神宮の祭祀構造」 [18] 、「神宮の三節祭」 [19]
  21. ^ 岩崎, 2007 & 131?133
  22. ^ 井上 2006 , pp. 75?89
  23. ^ 沼部 1970 , pp. 30?66, 「直?と解?--宮中新嘗祭と神宮三節祭の場合〔含「新嘗祭記?」?すい〕」
  24. ^ 所京子『 ?王和歌文?の史的?究 』愛知?院大?、1992date=1992-12-04。 doi : 10.11501/3067798 https://cir.nii.ac.jp/crid/1110282785116559232   取得?位=博士(文?)乙第1?、?位授?1992年12月4日
  25. ^ 田阪 1995 , pp. 13?18
  26. ^ 滋賀?の地名 』平凡社〈日本?史地名大系第25?〉、1991年
  27. ^ ジャパンナレッジ: “ ?論 > 東山道(平凡社『滋賀?』〈日本?史地名大系〉 ”. コトバンク . 東山道(とうさんどう)とは? 意味や使い方 . 2023年9月5日 ??。
  28. ^ 山城?相?郡は現代の京都府 綴喜郡 井手町あたり [26] [27]
  29. ^ ?王のみち?史街道活性化協議? ”. 三重?環境生活部文化振興課. 2021年3月20日 ??。
  30. ^ a b c d e f g h i j k l ?要 ”. みえの?史街道/?王のみち?史街道活性化協議? . 三重?環境生活部文化振興課. 2023年9月5日 ??。
  31. ^ 三重?明和町の魅力?信 アニメ「?王のみち」 産?新聞クラウドファンディング「White Canvas」で支援募集 ”. プレスリリ?ス?ニュ?スリリ?ス配信シェアNo.1|PR TIMES (2021年3月19日). 2023年9月5日 ??。

?考文? [ 編集 ]

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外部リンク [ 編集 ]