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「
?富町
」はこの項目へ
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されています。その他の用法については「
彌富町
」をご?ください。
|
?富市
(やとみし)は、
愛知?
西部にある
市
。日本有?の金魚の産地として知られている
[1]
。
?要
?富の街?み
2006年(
平成
18年)4月1日、
海部郡
?富町が
十四山村
を編入合?して市制施行し、
愛知?
35番目の
市
として?富市が誕生した。
北部は
?道
?
幹線道路
が充?しており、
名古屋市
や三重?
四日市市
へのアクセスも良い。
昭和40年代には、名古屋市との行き?に便利な地域として、?道?周?を中心として
ベッドタウン
として住宅開?が進み、人口が大きく伸びた。
今日でもマンション開?などが見られ、人口が?やかに伸びているが、市の北部、南東部の?域には水田地?が豊かに?がっており、都市部から農村部、海岸部までを持つ豊かな地域を形成している
[2]
。
キンギョ
(
?富金魚
)、
ブンチョウ
(ハクブンチョウ)の産地である。
また、生産地としてだけではなく、流通?点としても我が?有?の市場となっており、日本にいる金魚の全品種である約26種類がすべて?富でそろう一大産地である。
[3]
。約100ヘクタ?ルの養殖池があり、約5,000万匹を生産している。金魚の尾?では奈良?大和郡山市を下回るが、品種?、養殖池面積、?上高では?富が日本一の金魚産地である。?富市?史民俗資料館には約20種類の金魚が水槽で展示されている。
地名の由?
彌(?)富は「いよいよ富む、いやがおうにも富む」
[4]
事を願って命名された
瑞祥地名
である。
地理
愛知??富野鳥園
尾張大橋
名古屋港サイクリングロ?ド
名古屋市の西側20キロ??に位置し、
鍋田川
?
木?川
を?んで
三重?
と接する。
木?川
下流の
デルタ地?
にあり、
干拓
によって開拓された土地の上に成り立っている。
濃尾平野
に
海?ゼロメ?トル地?
が大きく?がり、市域の地面は海水面より最大で3メ?トルほど低くなっている。西から東南へ緩やかな傾斜を持つ低?地地?であり、古くから
洪水
の被害が多い地域である。地質は、木?川およびその支流の堆積土で形成された
沖積層
である。?候は?暖で夏季多雨、冬季乾燥型であり、冬には
伊吹おろし
による北西からの風が吹く
[5]
。
地形
河川
日光川
水系の?略?
市?の地名
人口
2020年時点では愛知??の「市」のなかで最も人口が少ない
[6]
。
|
?富市と全?の年?別人口分布(2005年)
|
?富市の年??男女別人口分布(2005年)
|
■
紫色 ― ?富市
■
?色 ― 日本全?
|
■
?色 ― 男性
■
赤色 ― 女性
|
?富市(に相?する地域)の人口の推移
1970年
(昭和45年)
|
27,311人
|
|
1975年
(昭和50年)
|
32,714人
|
|
1980年
(昭和55年)
|
36,457人
|
|
1985年
(昭和60年)
|
37,614人
|
|
1990年
(平成2年)
|
38,971人
|
|
1995年
(平成7年)
|
41,309人
|
|
2000年
(平成12年)
|
42,179人
|
|
2005年
(平成17年)
|
42,575人
|
|
2010年
(平成22年)
|
43,272人
|
|
2015年
(平成27年)
|
43,269人
|
|
2020年
(令和2年)
|
43,025人
|
|
|
?務省
統計局
?勢調査
より
|
隣接する自治?
愛知?
三重?
?史
古代?室町時代
原始から古代までは市のほとんどが伊勢?の海中であり、遺跡などは存在していない。
平安末期になると現在の?富市にあたる場所には、木?川の土砂が堆積し、小島がいくつか形成されていた。?富町誌によれば、1106年(
長治
3年)、東寺文書「
平盛正
」にてその地を「市江」(現在の愛西市西保?東保?西條?東條および?富市五之三?荷之上??浦にかけて跨る地?)として藤原氏が開墾し、
?園
としたという史料として?っており、?富の有史はこの記?からとされている。また?時、平治の?に破れた
源義朝
を?せた船が?地を通ったとの?承がある。市江は
藤原信長
から
藤原?長
に?領しのち皇室領の樑江庄となった。
「市江八?」と呼ばれた市江地?は「市江島」として室町時代に開?したが、?初は尾張と伊勢の?境が曖昧であり、伊勢?に?していた。のち、市江島と五明をはじめとする輪中が形成されていったと見られている
[7]
。
その後、?園制が崩?し村?の力が?くなると村周?を次?と開墾し、「
?
」と呼ばれる技術が進むと低い土地でも堤防で?み田畑を?げ、新田開?が?展した。水から生活を守るため、自然堤防?州上に集落は立地し、葦洲がいたるところにみられた。
??時代
??時代には地域一?に
一向宗
が?まっており、その中心人物で、『
信長公記
』に二の江の坊主と記される
服部左京進
(左京助?左京亮とも)が、市江島の?浦(うぐいうら)を?点に
海西郡
一?を支配する豪族として勢力を誇っていた。服部左京進は尾張の一角にありながら
織田信長
の支配に?せず、1560年(
永?
3年)の
桶?間の?い
の際にも
今川義元
の援軍として出兵している。
左京進は一向宗の中心である
長島城
の城代を務め、蟹江に進出してきた信長勢と?った。1565年(永?8年)には?浦の東?難畑にて
織田信興
の侵攻を受け、1567年(永?10年)、信興は大楠あたりに
?浦城
を築いた。1568年(永?11年)に左京進は伊勢でだまし討ちに遭い、自刃に追い?まれたが、服部?の抵抗は?き、1570年(
元?
元年)には蜂起した
長島一向一揆
門徒の一角として他の門徒衆と共に
小木江城
(現在の
愛西市
)を攻めて織田信興を討っている。
その後、1571年(元?2年)、1573年(
天正
元年)と織田方の侵攻をしのいだが、1574年(天正2年)に信長10万の兵で攻?が開始され、「市江島から南に人影なし」と呼ばれるほど激しく?き?くし、信長は五明に陣を敷き、門徒宗は
長島一向一揆
?滅と運命を共にした。
一揆殲滅後、この地は無人となっていたが、1575年(天正3年)、服部正友らが入植し、百姓を集めて土地を再建した。市?の重要文化財「
服部家住宅
」は服部正友が天正年間に建てたものとされている。
江?時代
明治に
木?三川分流工事
が行われる前の木?川河口部の輪中の分布。?字で輪中の名?を記載しているが、??輪中(現??富市)については明確な堤防がない場所があるため主要な村名を赤字で記載しており、破線は??境を意味する。
1607年(
慶長
12年)、
?川家康
の命により
御?堤
が設けられたことをきっかけ
[8]
に、藩や豪農、豪商による大規模な
干拓
新田の開?が行われるようになる。時に水害によって水?しながらも再度の開?が繰り返され、南へと新田が延びていった。現在の市域の大部分はこの時代以降に陸地化されたものである。元?、?境である木?川の流し出した土砂の堆積に
輪中
を造る事で成立した村?であるだけに、東側が
尾張
(
尾張藩
)、西側は
伊勢
(
長島藩
)という不文律こそ有っても、新しく(あるいは再度)開?する土地についての領有?いも多かったと言う。
木?川の流路?更による?替えなどもあったが、現在の市域の大部分を占めた尾張藩領(尾張藩佐屋代官所管轄)と
犬山藩
領の飛び地は尾張?、南西部の長島藩領と北西部にあった
天領
(笠松代官所管轄)は伊勢?という形で明治を迎えている。江?後期からは
漁業
や
海苔
の養殖が始まり、特に海苔養殖に?しては尾張藩主から「蓬?海苔」との??を?えられるほどの名産となった。また市の特産品である
キンギョ
(
?富金魚
)の養殖と
ブンチョウ
の飼育もこの頃から始まる。
明治?大正
明治に入ると文鳥?金魚の養殖がますます盛んになり、1872年(
明治
5年)には前ヶ須に最初の商業地が設けられた。それまで
東海道
は愛知?と三重?の間は
七里の渡し
が主なル?トだったが、この間を陸路で結ぶ新東海道が現在の?富市域を通る形で開設され、前ヶ須に渡し場と?宿が設けられた。後には
海西郡
の郡役所も置かれた(跡地には2022年まで
?富市?史民俗資料館
があった)。
?藩置?後に鍋田川左岸で三重?桑名郡に?していた地域(小島新田?五明村?川原欠新田?富島新田?富島付新田?富崎新田?加?新田?加?付新田?加?山新田?加?九?治新田??荷崎新田??荷崎付新田?三好新田?境新田)については、1880年(
明治
13年)に愛知と三重の?境を木?川及び鍋田川と定め、愛知?海西郡に編入されて現在は?富市の一部になっている。
1889年(明治22年)、町村制施行により?浦村?平島新田?前ヶ須新田?中山新田村
[注 1]
と?伊勢領の五明村?小島新田を合?し、
海西郡
彌富村
が?足した。彌(?)富は「いよいよ富む、いやがおうにも富む」
[4]
事を願って命名された
瑞祥地名
。1898年刊行の『愛知?海東郡志』には「彌富は維新後、東海道の?次となり、海西郡役所のある所にして、一市街をなし、警察署、郵便局、高等小?校、停車場等ありて、稍繁華の地なり」と記されている。
1903年(明治36年)に町制施行により、
海西郡
彌富町
に改?。1906年(明治39年)に
市腋村
の荷之上?五之三地?、および
十四山村
の鎌倉新田地?を彌富町に編入した(同時に町?前ヶ須新田?中山新田地?を
海西郡
鍋田村
に編出)。
1913年(大正2年)、
海東郡
と海西郡が合?し
海部郡
が成立したため、
海部郡彌富町
に改?。
昭和?平成
昭和に入ると、五明にのちの
ニッケ
となる昭和毛織紡績?富工場が開業。昭和後期まで「
ガチャマン景?
」と呼ばれる?前?後の尾州?維産業の快進?に流れ、彌富町にも全?各地から
女工
が集い、?時の人口統計にも若い女性の比率が高いとの記?がある
[9]
。
昭和の大合?
では1955年(昭和30年)に
鍋田村
および
市江村
?平地?を合?(
市江村
のその他地?は
佐屋町
に合?)。町名を“海部郡
彌
富町”から“海部郡
?
富町”に改?した。翌年隣接する
三重?
桑名郡
木?岬町
とも合?協議がもたれたが、こちらは三重?議?の反?などから?現しなかった。
1959年(昭和34年)の
伊勢?台風
では、海岸や河川の堤防が多くの箇所で決?し、入植が開始されたばかりの
鍋田干拓地
を含む全域が水?。町?で308名の?牲者を出した。
山口誓子の金魚句碑。1986年(昭和61年)に?富を訪れた際に?まれた句
[10]
。
台風後は治水設備も大幅に?化され、洪水の危?性は減少した。一方で、??に流れていた水路の多くが埋め立てられ、水?地?としての風景も??わりした。
高度成長期
と?行して
耕地整理
や道路事業?
公共施設
建設??地開?ラッシュが進み、主力産業のひとつであった漁業や海苔養殖はほぼ消滅した。昭和40年代に
減反政策
が行われると町?多くの農家が
?富金魚
の養殖業に?業し、昭和50年代に生産量はピ?クを迎えた。一方で、産業の?展や人口?加に伴い地下水の揚水量が著しく?加すると、町?で
地盤沈下
現象を起こし、問題となった。また町北部では、名古屋大都市?の
ベッドタウン
としての需要が高まり、田畑や金魚の養殖池を埋め立て
宅地開?
が行われた。
名古屋港の一部として沿岸部の埋め立ても進められ、これらの埋め立て地は1976年以降順次?富町に組み入れられている。1996年(平成8年)には、長年??が問題となっていた
木?岬干拓地
の一部も編入された。
平成の大合?
施策に伴い、2002年(平成14年)から海部郡
飛島村
、同郡
蟹江町
、同郡
十四山村
との合?協議?が行われた。しかし、飛島村は合?に伴う村民サ?ビス低下の懸念から住民投票にて反?過半?となり、蟹江町は?等合?という協定で進められるも?富町が新市名を「?富市」とすると主張したことから?立となり、?町村の?合は白紙撤回となった。十四山村でも編入合?という立場に議?が反?したが、?成派住民による議?
リコ?ル
を申し出て、住民投票の結果、?成52%?反?48%でリコ?ルが成立。2006年(平成18年)、十四山村を編入合??市制施行し、愛知?35番目の市
?富市
が?足した。
年表
- 796年(
延?
15年) - 荷上山興善寺が建立される。
- 1106年(
長治
3年) - 史料上に初見。
- 1159年(
平治
元年) - 平地の?で敗れた
源?朝
が野間へ逃げる途中、荷之上柴ヶ森に立ち寄る。
- 1338年(
建武
5年)頃 - 市江島が?がり、荷之上、五之三、?浦、五明など次第に土地が?大する。
- 1543年(
天文
12年) - 前ヶ須、小島などの新田が開?される。
- 1565年(
永?
8年) - 織田信與が?浦に築城。服部左京亮と近隣の一向門徒により?いが始まる。
- 1574年(
天正
2年) -
服部?
、一向門徒(
長島一向一揆
)
織田信長
に滅ぼされる。
- 1575年(天正3年) - 服部正友らが市江島を再墾。
- 1576年(天正4年) - 服部家住宅完成。
- 1600年(
慶長
5年) - 川原欠、前ヶ平、草平、極?寺、平島、鎌島などの新田が開拓される。
- 1607年(慶長12年) - 御?堤が作られる。
- 1637年(
?永
14年)頃 - 西中地、東中地、又八、鎌倉、佐古木、中山、中河原、??山、森津、芝井などの新田開拓。
- 1648年(
正保
4年)
- 芝井におみよし松、森津に森津の藤が植えられる。
- この頃、加?、加?九?治、加?付、富島、三好、?本、狐地、?吉、?荷の各新田開拓。
- 1711年(?永8年、
正?
元年)
- 六?地?ができる。
- この頃、松名、?延、富島付、?荷崎、富崎、?荷崎付、加?山、三?、八?、六野、上野の各新田干拓。
- 1837年(天保8年) - 鍋田干拓着工開始。
- 1861年(
文久
元年) -
金魚
の養殖が始まる。
- 1864年(
元治
元年) -
文鳥
の飼育が始まる。
- 1871年(
明治
4年) - 前ヶ須が東海道の宿場町となる。
- 1872年(明治5年) - 繰出、?荷山の新田が干拓される。前ヶ須?長島の渡し船が始まる。
- 1876年(明治9年) -
伊勢暴動
。前ヶ須に三重?の一揆隊が上陸し、暴動を起こす。
- 1880年(明治13年)5月10日 - 三重?桑名郡に?していた鍋田川左岸の地域を、愛知?海西郡に編入。大谷新田干拓。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 海西郡
彌富村
、海西郡
大藤村
、海西郡
??村
、海西郡
市腋村
、海西郡
東市江村
、海西郡
十四山村
などが?足。
- 1891年(明治24年)10月28日 -
濃尾大地震
。村?ほとんどの家が倒?。前ヶ須で噴砂の記?あり。
- 1893年(明治26年) - 末?新田干拓。
- 1895年(明治28年)5月24日 - ?西?道前ヶ須?(現在の
?西本線
?富?
)が開業。
- 1898年(明治31年)4月3日 -
尾西?道
(現在の
名?尾西線
)?富?津島間開通。
- 1903年(明治36年)8月26日 - 町制施行。海西郡
彌富町
になる。
- 1906年(明治39年)7月1日 - 海西郡市腋村(五之三地??荷之上地?)?海西郡十四山村(鎌倉新田地?)?海西郡彌富町が新設合?し、新たな
彌富町
になる。同日に彌富町?前ヶ須新田?中山新田地?が大藤村???村が、新設合?し、
海西郡
鍋田村
となる。
- 1913年(大正2年)7月1日 - 海東郡と海西郡が合?し、海部郡彌富町となる。
- 1933年(昭和8年) -
尾張大橋
完成(翌年に
伊勢大橋
が完成して?道1?が陸路となる)。
- 1938年(昭和13年)6月26日 -
?西急行電?
?急?富?(現在の
近??富?
)、佐古木?開業。
- 1945年(昭和20年) -
太平洋??
終?。
第二次世界大?
による町???者は339人。
- 1946年(昭和21年)- 鍋田干拓開?再開。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 彌富町と
鍋田村
と
市江村
?平地?が合?。漢字も?更して海部郡?富町となる。
- 1956年(昭和31年)9月4日 -
三重?
桑名郡
木?岬村
との越?合?を申請(三重?議?の反?などで?現せず)。
- 1959年(昭和34年)9月26日 -
伊勢?台風
。
- 1980年(昭和55年) - 楠を編入。
- 1993年(平成5年) - 第1回
金魚日本一大?
を開催。
- 1996年(平成8年)9月30日 - 木?岬干拓地の一部を編入。
- 2003年(平成15年)10月1日 - ?富町?
蟹江町
?十四山村の2町1村で合?(?等合?)のため法定協議?を設置。
- 2004年(平成16年)8月18日 - ?富町が新市名に「?富市」を主張したことに?し蟹江町が反?したため、合?協議が破綻(協議?解散は9月21日)。
- 2005年(平成17年)5月1日 - ?富町と十四山村による法定協議?を設置。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 十四山村を編入合?し、同日市制施行して
?富市
が?足する。
- 2006年(平成18年)12月16日 -
名?
尾西線
?富口?
?止。
- 災害史
- 1585年(天正13年) -
天正地震
。
マグニチュ?ド
7.8の
地震
が川原欠、鎌島に襲う。
- 1586年(天正14年) -
木?川
大洪水。
- 1650年(
慶安
3年) - 慶安東海大水害(寅年の洪水)。佐屋川が決?し、死者多?。
- 1651年(慶安4年) - 暴風雨襲い、海西郡で死者多?。
- 1707年(
?永
4年) -
?永地震
(マグニチュ?ド8.4)。伊勢??岸部に津波が襲う。
- 1713年(正?3年) - 暴風雨による高潮襲い、?吉新田全滅。
- 1722年(
享保
7年) - 高潮が襲い伊勢?岸新田大打?。
- 1757年(
??
7年) - 海老江川決?など尾張?の堤防決?1361箇所に及ぶ
- 1767年(
明和
4年) - 明和の洪水。尾張で死者2000人以上。
- 1841年(天保12年) - 大雨にて立田輪中、?吉輪中大洪水。
- 1854年(
安政
元年) -
安政地震
(マグニチュ?ド8.4)。伊勢?沿岸に津波押し寄せる。海苔の養殖が始まる。
- 1855年(安政2年) - 暴風雨襲?。三?新田、境新田など干拓新田の堤防決?。六野、八?、上野が亡所となる。鍋田干拓事業中止となる。
- 1897年(明治30年)9月30日 - 佐屋川の決?。??に襲われ、五之三、荷之上など家屋倒?。
- 1912年(大正元年)9月23日 -
大正元年の台風
。町??牲者3人。
- 1934年(昭和9年) -
室?台風
。町?でも?風により家屋の倒?などの被害。
- 1944年(昭和19年)12月7日 -
昭和東南海地震
(マグニチュ?ド7.9)。彌富町を始め低地で流砂現象が起こる。
- 1959年(昭和34年)9月26日 -
伊勢?台風
。町?死者308名、行方不明者14名、全?520?、流出251?、半?772?。12月頃まで湛水。完成間近の
鍋田干拓
がこの台風により水中に?する。
- 1960年(昭和35年) -
鍋田干拓
が復?。
- 1961年(昭和36年)6月 -
昭和36年梅雨前線豪雨
。?富町一?の田畑冠水。
- 1964年(昭和39年) - 伊勢?台風災害復?工事完了。
- 1973年(昭和48年) - 地盤沈下量がこの頃ピ?クとなる。?富町の年間沈下量最大18cm。
行政
2020年まで使われた?富市役所
市長
- 安藤正明
(1期目)
- 任期:2022年12月1日まで(予定)
- 副市長:大木博雄 2013年4月11日就任(2009年より再任) 2017年4月10日任期?了
?代首長
代
|
氏名
|
就任日
|
退任日
|
備考
|
?富町長
|
|
佐藤博
|
|
1991年2月3日
|
|
|
川?輝夫
|
1991年2月4日
|
2006年3月31日
|
|
?富市長(2006年4月1日市制)
|
初代
|
川?輝夫
|
(1991年2月4日)
|
2007年2月3日
|
市制施行に伴い市長となる。
|
2-4代
|
服部彰文
|
2007年2月4日
|
2018年10月31日
|
?職
[11]
[12]
[13]
|
|
職務代理者
|
2018年11月1日
|
2018年12月2日
|
副市長?大木博雄
[14]
|
5代
|
安藤正明
|
2018年12月2日
|
|
|
市役所?支所
議?
市議?
- 定?:16人
- 任期:2020年3月1日 - 2024年2月29日
- 議長:大原功(政新?)
- 副議長:鈴木みどり(政新?)
?派名
|
議席?
|
議員名(◎は代表者)
|
政新?
|
8
|
◎高橋八重典、加藤克之、鈴木みどり、早川公二、平野?行、三浦義光、佐藤高?、大原功
|
公明?
|
2
|
◎堀岡敏喜、小久保照枝
|
日本共産?
?富市議?
|
2
|
◎那須英二、板倉克典
|
無所?
|
4
|
加藤明由、佐藤仁志、?井克典、江崎貴大
|
計
|
16
|
|
(2020年6月9日現在
[15]
)
?議?
- 選??:?富市選??
- 定?:2人
- 任期:2019年4月30日 - 2023年4月29日
候補者名
|
?落
|
年?
|
?派名
|
新?別
|
得票?
|
朝日?貴
|
?
|
37
|
無所?
|
現
|
無投票
|
衆議院
施設
海南病院
?富市立?書館
警察
- 本部
- 幹部交番
- 交番
- 駐在所
消防
- 本部
- 消防署
?療
?富市では
公立病院
が設けられていないため、民間であるが?富市の
中核病院
として指定している。
- 主な病院
?書館
- ?富市立?書館
- 電源立地促進?策交付事業として?書館が整備され、1976年5月に?富町立?書館が開館した
[17]
。1985年7月には役場別??との複合施設として新館(現行館)に移?
[17]
。2001年4月には
蟹江町
?
十四山村
?
飛島村
の住民に?して?域貸出を開始した
[17]
。2006年4月には?富町が十四山村を編入合?して市制施行し、?富市立?書館に改?した
[17]
。2007年4月には
愛西市
の住民に?して?域貸出を開始した
[17]
。?富市役所十四山支所1階部分には十四山支所?書コ?ナ?が設けられている
[17]
。2015年度末の?書?は174,923冊、2015年度の貸出冊?は140,496冊だった。複合施設全?の延床面積は4,035.47m
2
、?書館部分の床面積は1,978.21m
2
である
[18]
。
運動施設
- 名古屋競馬場
- ?地には1977年より名古屋競馬所?馬の競走馬トレ?ニングセンタ?が開設?運用されていたが、名古屋市港?にあった?競馬場が老朽化したため2022年度より?富市へ移?し、2022年4月8日より新競馬場での競馬開催が開始された
[19]
。
姉妹都市?提携都市
日本?外
- フレンドシップ相手?
2005年(平成17年)に開催された
愛知万博
では「一市町村一?フレンドシップ事業」が行われた。
名古屋市
を除く愛知??の市町村が120の万博公式?加?をフレンドシップ相手?として迎え入れた
[20]
。
日本??
- 提携都市
浦安市
(
千葉?
)
- 2012年(平成24年)9月27日 災害時相互?援協定締結
???商業施設
就業者人口(平成22年?勢調査より)
- 第一次産業 1,020人 (4.7%)
- 第二次産業 5,911人 (27.0%)
- 第三次産業 12,698人 (58.1%)
- 公務?その他 2,229人 (10.2%)
第一次産業
農業
農業では、
畑
と
ビニ?ルハウス
での花き?野菜の栽培が比較的多く行われている。南部は
市街化調整?域
となっており、水田が?がっている。
漁業
第二次産業
?岸部は名古屋港西部臨海工業地?を?て
製造業
?
物流
業が主要産業であり、自治?の積極的な企業誘致が行われている。
主な工業事業所
第三次産業
主な商業施設
主な物流事業所
情報?通信?生活基盤
- ラジオ放送所
- 電力
- ガス
- 上下水道
- 電信
- 市外局番
- 市外局番
は、市?全域で
0567
(津島
MA
)が使用される。
- 市?局番は、??富町が60番台、?十四山村が50番台を主に使用する。
?育
愛知?立海翔高等?校
?富市立?富北中?校
?修?校
- 私立
高等?校
- ?立
- 私立
中?校
- 市立
小?校
- 市立
幼??育
幼稚園
- 私立
- ?校法人愛育?園?富はばたき幼稚園
- ?校法人八田?園?富第一幼稚園
保育所
- 市立
- ?富市立?生保育所
- ?富市立白鳥保育所
- ?富市立?保育所
- ?富市立十四山保育所
- ?富市立西部保育所
- ?富市立南部保育所
- ?富市立大藤保育所
- ?富市立?南保育所
- ?富市立ひので保育所
?究施設
交通
近??富?
JR
?富?
きんちゃんバス
?富木?岬IC
鍋田埠頭
?道
中京?
の主要3社(JR東海?名??近?)すべての路線が市?を通っており、?り換えが可能となっているが、
名古屋?
での?り換えとは異なり、JR東海?名?と近?の?は距離があり離れている。また、名古屋?以外で名?と近?の?り換えが可能な?は?富?のみである。
市の中心となる?:
?富?
?
近??富?
- 東海旅客?道
(JR東海)
- ?西本線
:-
?富?
- (
白鳥信?場
)-
- 名古屋?道
(名?)
- 尾西線
:-
?富?
-
五ノ三?
-
- 近畿日本?道
(近?)
- 名古屋線
:-
近??富?
-
佐古木?
-
バス
路線バス
- ?富市コミュニティバス
他に、
飛島公共交通バス
の停留所が市?に2ヶ所ある。
都市間バス
- 三重交通
道路
高速道路
?道
- ?道1?
(
東海道
)
- ?道23?
(
名四?道
)
- ?道155?
?道
- 主要地方道
- 一般?道
ナンバ?プレ?ト
港?
名所??跡??光スポット
名所??跡
?浦城
址
服部家住宅
- 寺院
- 史跡
- 孝忠園
- 服部家住宅(重要文化財)
- 孝女曾與宅址
- 宮崎筠圃邸址
- おみよし松
- 二つお宮の松
- 竹長押茶屋
?光スポット
- 森津の藤公園
- 「森津の藤」は、正保4年(1647年)に森津新田開拓?時に植えられたと?えられている。
- 江?時代の「
尾張名所??
」にも載っている有名な
藤棚
のある公園である。
- 藍亭(らんてい) -
服部擔風
が使っていた1902年(明治35年)築で約20
m
2
の木造平屋の書?
[24]
。?公園に移築され、2017年(平成29年)4月に一般公開
[24]
。
- 森津の藤まつり
[24]
。入園料無料。
- 愛知??富野鳥園
- カモ
?
シギ
?
チドリ
などが?多く飛?する。大型?眼鏡を備えた?察館がある。入園料無料。無料駐車場有。
- ?富市?史民俗資料館
- 民具?文化財等の展示。パネル?映像による?史の紹介。約20種類の金魚の水槽展示。また白文鳥がお出迎えする。入館料無料。無料駐車場有。2022年2月に?富市役所?書館棟1階の保健センタ?跡に移?した(展示室は4月から公開)
[25]
。
- 海南こどもの?
- ?さ約11万平方メ?トルの?童?合遊園(
ナゴヤド?ム
2.3個分
[26]
)で、園?にはアスレチック、ロ?ラ?滑り台、足踏み式ゴ?カ?ト(50円)や水上自?車(50円)、プ?ル(夏季のみ/200円)など遊びながら?を鍛えられる遊具がある。入園料無料。無料大型駐車場有。
- 三ツ又池公園
- 園?は
芝?
が約12万株植栽されていて、?年4月中旬から5月上旬にきれいな花を?かせる。入園料無料。無料駐車場有。
- ウッドフレンズ名古屋港ゴルフ??部
- 伊勢?に面した雄大なパノラマの中に?がる、都?派ゴルファ?のためのシ?サイドパブリックコ?ス。
- 富浜?地(
名古屋港サイクリングロ?ド
)
- 富浜?地からゴルフ場外周及び楠?地まで全長18㎞のサイクリングコ?ス。伊勢?が一望できるゴルフ場外周など、爽快なサイクリングが?しめる。貸自?車有。無料駐車場有。
- 立田輪中人造堰?門
(輪中公園)
- 柴ヶ森
- 烏の池
文化?名物
祭事?催事
新田開?によって形成された40以上の村神社?に、?年10月秋祭りが開かれ、
山車
が奉納される。市?には
神?
39基、桑名市の
石取祭
に由?する山車が14基?えられている。村名を金?で刺しゅうした「梵天」と呼ばれる赤い旗を行列の先頭に進む。
神社では、江?時代から?く
獅子舞
や神?太鼓、明治時代に?えられた
?舞
など?土芸能が奉納される。
?年8月には一部地?が「ウイングプラザパディ?」駐車場に集結し、「?富ドンチキチン祭り」が開催されている。
現在の?加地?は小島?五明?前ヶ須?中六。以前?加していた地?は前新田。
- 金魚日本一大?
- ?富市は日本屈指の金魚産地(?富金魚)として知られており、?富金魚漁業協同組合が品評?を主催している。例年、??最高レベルの金魚が全?から集結する。
- 森津の藤まつり
名産?特産
市?の金魚店
キンギョ
と
ブンチョウ
の人工
繁殖
がされている。
- ブンチョウ
[28]
[29]
- ?富市は文鳥愛好家の間で俗に「文鳥村」と?される。
- ブンチョウ
は、1864年(
元治
元年)、
尾張藩
の武家屋敷に女中奉公していた八重女(やえじょ)が、又八新田を開?した犬山
成?家
家?大島新四?に嫁いだ際、?文鳥のつがいを持?し飼育を始め、それを機に又八新田地?にてブンチョウの飼育が流行したのがブンチョウ文化の?端とされている。明治時代初期、あるブンチョウが突然?異で純白の文鳥を産んだことをきっかけに飼育改良に成功し、日本唯一のハクブンチョウの特産地となった。1962年(昭和37年)頃から10年間、生産量はピ?クを迎えた。
- 現在の飼養??は4?にまで減少している。ハクブンチョウとサクラブンチョウは6:4の割合で生産され、雛鳥の8?9割は手?り文鳥、?りは種文鳥となる。最近では、羽毛が茶色がかった「シナモン」?羽毛が灰色の「シルバ?」の新種2種が繁殖され、その希少性が評?されている。2001年(平成13年)からは文鳥の足に?富文鳥を示すシ?ルがつけられている。
- 市?の
?道1?
沿いには、ハクブンチョウの鳥模型が天井に?飾された
電話ボックス
が設置されている。
?土料理
水?地?である風土から、木?川や用水でとらえた
淡水魚
を食べる文化が根付いている。特に
コイ
、
モロコ
といった
コイ科
や
ハゼ
の仲間が多く、「ぼら?炊」、「
?味?
」、モロコを使った
押し?司
である「箱?司」といった料理を人が集まる時に好んで食べていた?承がある。
出身著名人
市?の風景
-
?富市中心部周?の空中??。1987年撮影の7枚を合成作成。
?土交通省
?土地理院
地??空中????サ?ビス
の空中??を基に作成。
-
鍋田干拓地
-
立田輪中人造堰?門
-
?富野鳥園
-
?富市高架橋南の文鳥電話ボックス
-
三ツ又池公園
-
森津の藤
脚注
注?
- ^
1878年に中山新田と中河原午新田が合?し?足。
- ^
ただし、市?の一般道を走る路線バスの一部(三重交通??富市コミュニティバス?飛島公共交通バス)は、
三重交通
桑名?業所
が運行を受け持っているため
三重ナンバ?
である。
出典
?連項目
外部リンク
ウィキメディア?コモンズには、
?富市
に?連するカテゴリがあります。