寮歌
(りょうか)
- 寮
の歌。寮の住人が自ら歌うために作った歌。
- ?制?校の寮の歌。特に、
?制高等?校
などの
?生寮
の歌を指す。以下、詳述する。
?史
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寮歌
を作る風習は、
明治
時代の
?制第一高等?校
(
?制改革
後
東京大??養?部
に吸??消滅) で始まり、次第に他校に?まった?緯を持つ。
起源
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?制第一高等?校は
1877年
(明治10年)に「東京大?予備門」として?足した後、
1886年
(明治19年)に「第一
高等中?校
」、
1894年
(明治27年)に「第一高等?校」と改?した。その間の
1890年
(明治23年)2月、?時の木村校長により寄宿寮の
自治
制が認められ、以?、生徒らは?年、自治寮の誕生を祝う 「紀念祭」 (他に
第三高等?校
のみ、それ以外の?校では 「記念祭」) を開催するようになった。
?初は寮歌を作る風習はなかったが、第5回紀念祭の頃からほぼ?年、紀念祭のための歌が作られるようになった。多くの寮歌は紀念祭で?表され、爾後、多年にわたって生徒らに愛唱された。後に設置された他校もこの習慣に倣っている。
?制第一高等?校は全寮制を標榜しており、寄宿寮の歌に限らず
?援歌
?部歌なども
寮歌
(?義の
寮歌
)に含めるようになった。後に設置された?制高等?校でも、「寮の歌」 以外も包括して
寮歌
と呼ぶ場合が多い。
- ?義の寮歌で最も古い歌は、?制第一高等?校で
1890年
(明治23年)4月に作られた?援歌 『花は?木 人は武士 デンコデンコ』(
赤沼金三?
作詞)とされる。この歌は後に 『端艇部部歌』 となった。
- ?義の寮歌で最も古い歌は、?制第一高等?校で
1892年
(明治25年)に作られた寄宿寮歌 『
雪ふらばふれふらばふれ
』 であるが、作詞者は生徒ではなく、
落合直文
?授であった。
初期の寮歌は、
演歌
、
軍歌
等のメロディ?を借りて生徒が作詞したものが多かったが、
1900年
(明治33年)以降は、外部によらない、生徒自らが作曲した歌も?えていった。
?承
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寮歌
の歌詞は、文書で後輩へ?承されることもあったが、メロディ?は口?であった。
?譜
はほとんどの生徒には?めなかった上、音?的に歌うことを?蔑する風潮すらあったとされる(
バンカラ
の一種。そもそも文化系の活動自??視されていた)。多くの寮歌は原曲と異なる、より歌いやすい形で?承された。
特に
大正時代
以降、
明治時代
に
長調
で作曲された多くの寮歌が、
短調
で歌われるようになった。
昭和時代
に入ってからは、異?に?く引き伸ばして歌う風習(長嘯)も生まれた。
卒業生がさらに他の諸?校へ寮歌を?えた例も多く、全?津?浦?の?校の歌に寮歌の影響を見ることができる。その多くは原曲とは異なる?承であるが、中にはほぼ原曲の姿を?しているものもある。
一方、?校の中だけではなく、一般に?まった寮歌もある。?制第一高等?校の場合、紀念祭で寮歌の?譜を一般人に販?していたため、?譜の?める
女?校
の生徒や
演歌師
らの間に寮歌が知られるようになった。その中でも特にヒットしたのは、
- 『
春爛漫の花の色
』 (明治34年 第11回紀念祭西寮寮歌。矢野勘治 作詞、豊原雄太? 作曲。)
- 『
アム?ル川の流血や
』 (明治34年 第11回紀念祭東寮寮歌。?田環 作詞、栗林宇一 作曲<
永井建子
作曲?もある>)
- 『
嗚呼玉杯に花うけて
』 (明治35年 第12回紀念祭東寮寮歌。矢野勘治 作詞、楠正一 作曲)
等の寮歌である。これらの寮歌は、?校の中での?承とは別の形で一般に?まっていき、
革命歌
、
??歌
、軍歌などにメロディ?が借用されたりした (特に 『アム?ル川の流血や』 の借用率が高かった)。こういった外部の借用に?しては、
著作?
が云?と問題にすることは特になく、逆に自分たちの歌がそれほどまでに流布していることを得意に思っていたと思われる。この?りに、?制高校生の?自のおおらかさを見ることができるのだろうか。
今日、?制高等?校の
同窓?
が?行した寮歌集の?譜と、一般に市販されている音?書籍の?譜とが異なるのは、??に異なる?承の結果である。
終焉
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寮歌は大正時代、
高等?育機?
?設と相俟って全盛を極めたが、
第二次世界大?
に前後して寮の自治が制限され、歌うことを禁止された寮歌(
?制浦和高等?校
の『武?が原』など)や、歌詞の改?を余儀なくされた寮歌(
?制高知高等?校
の『豪?節』など)も出るなどして、?生の自由なエネルギ?の?露という面からは、衰退していった。?災で多くの?校が校??寮を失い、さらに
?制改革
が追い討ちをかけた。?後復興のさなかの
1950年
(昭和25年)3月、?制高等?校は最後の卒業生を送り出して?止された。
寮歌の?承
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?制改革後、寮歌は制度上?制高等?校を?承した?校(主に
新制大?
)に引き?がれたものも多い。特に同時期に新制と?制の?生が同居した寮では事?上の?承も行われた。
しかし、これらの?校でも、集?寄宿の寮の縮小や?止が進んで、個別居住の?生宿?へ多くが?換されたこともあり、寮歌は?生生活のエネルギ?という面はほぼなくなり、?育?系の?生を中心に細?と?承されているに過ぎない。
しかし、?立大?では
校歌
が存在しない例が珍しくなく、
名古屋大?
の『伊吹おろし』や
熊本大?
の『武夫原頭』のように、寮歌を?援や式典にも歌われるという大?もある。
また、例外的に、
北海道大?
?迪寮
では
2018年
(平成30年)現在でも寮歌の新作を?けている
[1]
。中でも昭和35年度寮歌『茫洋の海』(三浦?一?作歌?前野紀一作曲)は、今までの寮歌の?を破った新鮮さで評?が高い
[2]
。?迪寮は札幌農?校寄宿?として
1876年
に設立されて以?、一貫して北海道大?附?の寄宿?として位置づけられてきたことから現在でも「都ぞ?生」が北海道大?を代表する歌として式典等で歌われている。
寮歌の?承の方式としては、
2006年
10月、
第四高等?校
が「四高開?120年祭」にあたって、その寮歌を全て四高同窓?長から
金?大?
?長に?承するセレモニ?を行った例もある。
寮歌の分類
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?校の範?
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寮歌
という分野がどこまでを指すものか、明確ではない。一般には「?制高等?校で生徒によって歌われたもの」、という認識がされているが、寮外で作られた歌も歌われていた事?を考えると、これは少?曖昧なものである。
また、この基準では「?制高等?校以外の
高等?育機?
で歌われた寮歌はどうなるのか?」という問題も生じる。例えば「
日本寮歌祭
」を主催している「
日本寮歌振興?
」においては、?制高等?校(?習院高等科を含む)及び?
帝?大?
予科の他、
三商大
?
旅順工科大?
の予科を含めた42校の同窓?組織を?員とし、
陸軍士官?校
、
海軍兵?校
、
東?同文書院
、
日本?育?門?校
、
明治?門?校
、
長崎高等商業?校
、
東京高等師範?校
、
早?田高等?院
、
日本?科大?予科
、
愛知大?予科
などを同志校として扱っていた (『日本寮歌集』~日本寮歌振興??行~の平成3年度版の『序』を?照のこと)。同志校は日本寮歌祭に?加を表明した同窓?であるが、同じ公立大?の
大阪商科大?予科
を正?員とし、
京都府立?科大?予科
を同志校とする根?はかなり薄いと言わざるを得ない。
この点ではむしろ、?象校を「
?制高等?校
及び
官公立
大?予科
」と定義している「
全?寮歌祭
」(大阪)の方が、基準としては一?の筋が通っていると言える(なお、全?寮歌祭は文部省所管以外の?校、?ち?制高等?校には
?習院高等科
を、
官立大?
予科には
神宮皇學館大學
予科を含んでいる)。
したがって、大前提となる 「?制高等?校で」 の部分について、改めて再?討を加える必要がある。?ち、純?に?制高等?校のみにするのか、あるいは?帝?大?予科を含める38校とするのか。それとも、
?制?門?校
を含めた?制高等?育機?全般とするか、であろう(なおこの場合でも、?初は
中等?育機?
であり、後に高等?育機?となった
師範?校
の扱いが問題となる)。
歌の範?
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寮歌の分類だが、上記の?象範?によらず、「生徒に歌われていた歌」、というのはおおむね?わりはないと思われる。この 「生徒によって歌われていた」、というのは 「生徒により作られ」、とは意味合いが異なる。なぜなら?授や、外部の手による歌も散見されており、?純に 「歌われていた」、とした方が明解になるためである。
ところがこの場合、少?やっかいな問題も生じる。つまり元?世間で歌われていた歌を?校?に持ち?んだものはどうなるのかという問題である。これはスト?ム、コンパの際に歌われていた歌に見られる。
分類上は(
二高
歌集におけるように)「懇巴の歌」として一括できるのだが、それを寮歌の範疇に含めるのか、それとも別に分類するのか、ということである。
同?の問題は『スト?ムの歌』と呼ばれるものによく見られ、歌詞のみオリジナルの
北海道帝?大?予科
の『スト?ムの歌』、歌詞も曲も一般の流行歌から取った、
?制?岡高等?校
の『ノ?エ節』などは、分類の境界線に困るところである。
また?密には上記の範?からは寮歌には含まれないものの、?制高等?校の?校後に作られた何周年記念祭歌については、寮歌に準ずる扱いとしても良いと思われるが、寮歌以上に未整理の?態である。
歌の分類
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寮歌(?義の寮歌)そのものはおおむね以下のように分類できよう。なお序列は便宜、第一高等?校寮歌集の例に範をとり、一高に存在しなかった校歌、
校友?
歌については第二高等?校歌集に?った。
- 校歌
- 校友?(自治?)歌
- 寮歌
- 記念祭歌
- 部歌
- ?援歌
- 頌歌
- その他
なお?制高等?校?校後に作られた周年記念祭歌については今後の?討を要する。
歌詞の特?
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寮歌の歌詞は、?時の?育事情を反映して、そのほとんどが
文語?
である(ただし、部歌や?援歌の中には、くだけた
口語?
の歌も多く見られる)。
七五調
の詩が最も多いが、そのほかの詩形も存在する。
「
漢詩
の影響が?い」 とされるが、?際には
土井晩翠
の詩を?由した引用が多い。土井晩翠の詩集を見ると、そこかしこに寮歌の"部品"が散在している。明治期の寮歌は、?時最新の文?であった晩翠の詩と、若人の情熱とが合?して生み出された産物、と言えるだろう。
この他、長い修飾?係を持つことも指摘できる。すなわち 『嗚呼玉杯』 であれば、「嗚呼玉杯」 以降 「夢に耽りたる」 までが 「?華の巷」 にかかり、それを 「低く見」る五寮の健?の意?は高い、という?容である。これは?文?の影響は考えられないだろうか?
大正期以降においては、今日見ても違和感のないような口語?のものも見受けられる。また本歌取り --- と書けば上品だが、口?く書けば元ネタ有り --- も?多く見られる。著名なところでは
?制大阪高等?校
の 『
嗚呼黎明
』 は革命歌 『
嗚呼革命
』 からアイデアを借用したものといわれる。
曲 (メロディ?) の特?
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曲としては、いわゆる
ピョンコ節
といわれる節回しが多い。また少なからず短調化して歌われた。純?に曲として捉えた場合明らかに稚拙なものもある。とりわけ
團伊玖磨
は「??滅?、或いは態度粗暴、音?として聞く可きものは皆無に近い」と?しく批判している
[3]
。しかしながら、特に音??育を受けたわけではない生徒が作曲したものであることは考慮すべきであろう。昭和期になると、曲としても完成度の高い曲が出現している。
寮歌の?
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?制高等?校の寮歌だけでも、約2500曲あるとされる。寮歌の影響を受けた他の諸?校の歌も含めると、3000曲以上はあると考えられるが、この調査を完遂した人はまだおらず、今後もおそらく不可能に近い(一?には2938曲までカウント?み)。
なぜなら?制高等?校?帝?大?予科全38校のうち、現在も自校の寮歌?が確定していない高等?校が?校あること --- これらの?校はそもそも同窓?で寮歌集すら出していない ---、また多くの高等?校で、?後作られた寮歌が未調査のままになっていることが原因である。特に?後寮を新設した?校に、未?見の寮歌が存在する可能性は高い。よってこのまま未?見のまま消えていくであろう寮歌はおそらく存在するものと思われる。事?、?年前
[
いつ?
]
、
?後特設高等?校
の秋田?立高等?校の寮歌が?見されたことを考えれば、早急に調査されるべきであるが、現?の寮歌祭の多くが、?制高等?校?び帝?大?予科のみを中心として、
運?されており、他の高等?育機?は?加でき得ないために寮歌祭の趣旨の一つであった保存?承という側面が失われているという現?を鑑みた場合、新たに、他の諸?校の歌まで?掘、掌握することはおそらく困難であろう。
代表的な寮歌
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俗に三大寮歌と云われるものが有名である。
- 第一高等?校
(?制改革後 東京大??養?部に包括??止)
- 『
嗚呼玉杯に花うけて
』 (明治35年 第12回紀念祭東寮寮歌。矢野勘治 作詞、楠正一 作曲)
- 第三高等?校
(?制改革後
京都大?
?養部に包括??止)
- 『紅もゆる丘の花』 (明治37年 逍?の歌。澤村胡夷 作詞、K.Y. 作曲
[4]
。)
- 北海道帝?大?
予科 (?制改革後 北海道大??養部(=現?合?育部)に包括??止。しかし?迪寮は予科→?養部→?部生と入寮?象を?えながら存?)
上記以外の各校の代表的な寮歌は、後述の書籍や 「
寮歌の一?
」 を?照のこと。
書籍
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脚注
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?連項目
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外部リンク
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