安茂里
(あもり)は、
長野?
長野市
の市街地西郊外に?がる地域。
- 【最?義】大字安茂里の範?。
- 【?義】1.に宮沖?伊勢宮一?三丁目?安茂里小市一?四丁目?差出南一?三丁目を加えた範?。
1882年
(
明治
15年)末時点の
上水?郡
安茂里村域に相?。
- 【?義】2.に大字平柴?大字小柴見?平柴台を加えた範?。
1889年
(明治22年)
4月
時点の
上水?郡
安茂里村域に相?。
長野市役所
安茂里支所管?の範?。
本項で解?
地域?(長野市役所安茂里支所管?)の
人口
は、9,123世?
20,122人
(令和5年3月1日現在)
[1]
。
本項では、かつて?ね同?域に所在した上水?郡
安茂里村
(あもりむら)についても述べる。
?要
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地域東端を
?花川
、南端を
犀川
が流れ、北には富士ノ塔山 (981m)?旭山 (長野市)(785m) がそびえる。地域南部に
信越本線
?
北陸新幹線
と
?道19?
が通過する。周?は以下の地域と接する。
面積は?大だが、北寄りの大半の部分は山林であり、
住宅
などは南部の?道19?沿道?犀川??花川の間に密集している。
?花川を隔てて長野市街地の西側に接しており、
ベッドタウン
として?後人口が急?。平柴台?杏花台?宮沖?園沖?伊勢宮?犀北などの
?地
が造成され、
1985年
(
昭和
60年)には信越本線に
安茂里?
が新設された。
松代藩
の??で栽培が始まった
杏
の栽培が古くから盛んである。現在では
千曲市
の
あんずの里
(森?倉科地?)が杏の名所として有名であるが、以前は?地が森?倉科をしのぐ名所として名が通っており、
善光寺
の??客が花見に大勢立ち寄った。しかし?後ベッドタウンとして
住宅地
化していくに伴って杏の木は減り、「あんずの名所」は森?倉科へ移っていった。ただ現在でも杏の生産は?いており、大字安茂里には杏にちなんで「杏花台」と名付けられた住宅地がある。
工業は、地域東部では?花川沿いの
差出
地?に味?メ?カ?最大手の
マルコメ
本社?工場や
農協
系の長野興農本社?工場など大規模な食品工場が立地するほか、
印刷所
も多い。地域西部では
安茂里小市
地?などに陸運業の事業所や機械製造工場などが立地する。
地名の由?は、
1876年
(
明治
9年)に前身4ヶ村が合?し安茂里村が?足する際に、古語「天降る(あもる)」にちなんで「安らけく茂る里」の意で字を?てて命名された
瑞祥地名
[2]
。
人口
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]
市の推計人口による。各年10月1日の?字。
沿革
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]
- ?安茂里村の?史
- 江?時代
- 前身の
小柴見村
?
窪寺村
(久保寺村)?
小市村
は
松代藩
領、
平柴村
は
善光寺
領であった
- 1763年
(
??
13年) - 【この年まで】
松代藩
は小市村に?年馬市を開かせていた
- 1874年
(
明治
7年)
6月
-
水?郡
平柴村?小柴見村?久保寺村?小市村の4ヶ村連合で、窪寺村の正?院?に?宜?校(けいぎがっこう=現長野市立安茂里小?校)を開校
- 1876年
(明治9年)
5月30日
- 水?郡平柴村?小柴見村?久保寺村?小市村が合?し、
水?郡安茂里村
となる
- 1877年
(明治10年) - 安茂里村小市の?名寺?に?宜?校小市支校(のち安茂里小?校小市分校を?て現長野市立松ヶ丘小?校)が開校
- 1879年
(明治12年) -
郡?町村編制法
施行。水?郡が
上水?郡
と
下水?郡
に分割され、
上水?郡安茂里村
となる
- 1879年(明治12年)
12月
- 上水?郡安茂里村から平柴村が再び?立
- 1882年
(明治15年)
10月20日
- 上水?郡安茂里村から小柴見村が再び?立
- 1889年
(明治22年)
4月1日
- 上水?郡安茂里村、同郡平柴村?小柴見村を再び編入
- 1929年
(
昭和
4年) - 安茂里村平柴に、長野市水道局の夏目ヶ原?水場が完成
- 1954年
(昭和29年)4月1日 - 上水?郡安茂里村、同郡
朝陽村
?
古里村
?
柳原村
?
若槻村
?
?川村
?
長沼村
?
小田切村
?
芋井村
?
大豆島村
とともに
長野市
に編入(第1次
昭和の大合?
)。
1882年
(明治15年)時点の安茂里村域は
大字安茂里
、?平柴村域は
大字平柴
、?小柴見村域は
大字小柴見
となる
- 長野市安茂里の?史
安茂里(大字)
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]
安茂里
(あもり)は、長野市街地の西郊外にある地?(
大字
)。
郵便番?
は、
行政?
の指定がない場合
380-0941
。
地?の南部を
信越本線
?
北陸新幹線
と
?道19?
が東西に通る。信越本線には
安茂里?
が置かれている。周?は以下の
大字
?町と接する。
地?北側の大半は山林であり、その南寄りには
アンズ
などの
果樹園
が?がる。山?と
犀川
との間のわずかな平地には住宅が密集しており、犀北?地をはじめとした
?地
が整備されている。
行政?
[
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]
地??の
行政?
?
郵便番?
?
人口
及び
世?
?は以下の通り(令和5年3月1日現在)
[1]
。
行政?名
|
郵便番?
|
人口?世??
|
杏花台
(きょうかだい)
|
380-0945
|
360世?
763人
|
小路
(こうじ)
|
380-0956
|
158世?
349人
|
犀北?地
(さいほくだんち)
|
380-0954
|
518世?
1,126人
|
犀北第二?地
(さいほくだいにだんち)
|
380-0953
|
163世?
335人
|
差出北
(さしで きた)
|
380-0943
|
1,272世?
2,742人
|
差出中
(さしで なか)
|
米村
(こめむら)
|
380-0944
|
大門
(だいもん)
|
380-0957
|
567世?
1,307人
|
西河原
(にしがわら)
|
380-0955
|
475世?
956人
|
交通
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]
- ?道
安茂里?(安茂里西河原)
安茂里西河原に、
JR東日本
安茂里?
があり、以下の路線が利用できる。
- 路線バス
地??の
?道19?
を走る、
アルピコ交通
(
川中島バス
)の以下の路線系統が利用できる。
また犀北?地?では、アルピコ交通(川中島バス)の以下の路線系統が利用できる。
施設
[
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]
差出
[
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]
?花川
(手前)とマルコメ本社工場
- マルコメ
本社
- マルコメ本社工場
- マルコメ第一工場
- マルコメ第二工場
- マルコメ第三工場
- 長野中央警察署
長野市安茂里交番
大門
[
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]
- 長野市立安茂里小?校
- 安茂里?合市民センタ?
- 正?院
-善光寺七院の一つ、「大門」という地名の由?
西河原
[
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]
米村
[
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]
犀北?地
[
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]
- 長野市?住宅犀北?地
- 長野?住宅供給公社犀北第二?地
- 安茂里市民プ?ル
安茂里小市
[
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]
安茂里小市一?二?三?四丁目
(あもりこいち-)は、安茂里地域南西部の地?。
郵便番?
は
380-0961
。
東西方向に長い地?で、地?の北寄りを
?道19?
が東西に通り、南東端を
信越本線
が通る。北側は山林であり、南端を
犀川
が流れる。周?は以下の
大字
?町と接する。
犀川の谷口に位置する。この地は、
1611年
(
慶長
16年)に
丹波島の渡し
が
北?街道
の犀川渡河として定められるまで、
小市の渡し
として
市村
の渡し(現在の
長野赤十字病院
付近)とともに北?の交通を?ってきた重要な渡し(舟渡し)であった。現在渡しの付近には
長野?道405?川中島停車場線
の
小市橋
が架かっている。
地名の由?は諸?あるが、市村の渡しがあった市村(現
若里
)に?して「小市」と名付けられたといわれている
[2]
。
第二次世界大?の末期に陸軍が松代地?に大本?を移すための壕を掘削する方針をとり、海軍もこれに近い安茂里小市地?に中?機能を移?する方針をとった
[3]
。
地??の
人口
及び
世?
?は以下の通り(令和5年3月1日現在)
[1]
。
|
人口
|
世??
|
安茂里小市一丁目
|
535世?
|
1,293人
|
安茂里小市二丁目
|
428世?
|
984人
|
安茂里小市三丁目
|
689 世?
|
1,514人
|
安茂里小市四丁目
|
282世?
|
560人
|
|
計
|
1,934世?
|
4,351人
|
交通
[
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]
- 路線バス
地??の
?道19?
を走る、
アルピコ交通
(
川中島バス
)の以下の路線系統が利用できる。
施設
[
編集
]
安茂里小市二丁目
[
編集
]
- 長野市立松ヶ丘小?校
- 中央消防署(長野市)安茂里分署
- 小市郵便局
安茂里小市三丁目
[
編集
]
- 長野??住宅小市南?地
- 園沖?地
- 無常院南泉寺
- 善光寺七院の一つ。信濃三十三番?世音十二番札所
安茂里小市四丁目
[
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]
伊勢宮
[
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]
伊勢宮一?二?三丁目
(いせみや)は、安茂里地域南東部の地?。
郵便番?
は
380-0958
。
地?の北端を
信越本線
が通り、南端を
犀川
が流れる。周?は以下の
大字
?町と接する。
地?のほぼ全域が
住宅地
である。
地名は、地??にあった
祠
(現伊勢宮神社=伊勢宮一丁目)に由?する。
地??の
人口
及び
世?
?は以下の通り(令和5年3月1日現在)
[1]
。
|
世??
|
人口
|
伊勢宮一丁目
|
469世?
|
1,011人
|
伊勢宮二丁目
|
450世?
|
1,042人
|
伊勢宮三丁目
|
255世?
|
684人
|
|
計
|
1,174世?
|
2,737人
|
交通
[
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]
- 路線バス
地??を走る、
アルピコ交通
(
川中島バス
)の以下の路線系統が利用できる。
施設
[
編集
]
伊勢宮一丁目
[
編集
]
伊勢宮二丁目
[
編集
]
小柴見
[
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]
小柴見
(こしばみ)は、安茂里地域北東部の地?(大字)。
郵便番?
は
380-0942
。
東端を
?花川
が流れる。?岸(
岡田町
)とは、相生橋で結ばれている。周?は以下の
大字
?町と接する。
?花川を隔てて長野市街地に面する古くからの住宅地である。
地??の人口は、616世?
1,214人
(令和5年3月1日現在)
[1]
。
交通
[
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]
- 路線バス
地??を走る、長野市?合タクシ?の以下の路線が利用できる。
- 長野市?合タクシ?
- 安茂里線
安茂里?
(1) - 杏花台(7) - 安茂里支所(10) - 平柴台(12) - 平柴公民館(16) - 小柴見(22) -
長野バスタ?ミナル
(23)
また、地?北部では相生橋を渡って
岡田町
の
??通り
を走る
路線バス
が、地?南部では
差出
の
?道19?
を走る路線バスがそれぞれ利用できる。
施設
[
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]
差出南
[
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]
差出南一?二?三丁目
(さしでみなみ-)は、安茂里地域南東部の地?。
郵便番?
は
380-0948
。
東端を
?花川
、南端を
犀川
が流れる。?花川の?岸(
中御所
)とは、長安橋と?花あやとり橋で結ばれている。周?は以下の
大字
?町と接する。
地??の
人口
及び
世?
?は以下の通り(令和5年3月1日現在)
[1]
。
|
世??
|
人口
|
差出南一丁目
|
158世?
|
377人
|
差出南二丁目
|
440世?
|
1,014人
|
差出南三丁目
|
143世?
|
317人
|
|
計
|
714世?
|
1,708人
|
交通
[
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]
- 路線バス
地??を走る、
アルピコ交通
(
川中島バス
)の以下の路線系統が利用できる。
施設
[
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]
差出南一丁目
[
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]
差出南二丁目
[
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]
差出南三丁目
[
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]
平柴
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]
平柴
(ひらしば)は、安茂里地域北東部の地?(大字)。
郵便番?
は
380-0942
。
地?北西に旭山 (785m) が聳え、北東端を
?花川
が流れる。周?は以下の
大字
?町と接する。
地?のほぼ全域が旭山の山地であり、主に南東の斜面に宅地が拓かれている。旭山の中腹にある朝日山?世音は、特に合格祈願の?詣客が多く集まる。市街地を見下ろす高台に位置する夏目ヶ原?水場は、長野市中心部への配水を?う。
地??の人口は、311世?
763人
(令和5年3月1日現在)
[1]
。
交通
[
編集
]
- 路線バス
地??を走る、長野市?合タクシ?の以下の路線が利用できる。
- 長野市?合タクシ?
- 安茂里線
安茂里?
(1) - 杏花台(7) - 安茂里支所(10) - 平柴台(12) - 平柴公民館(16) - 小柴見(22) -
長野バスタ?ミナル
(23)
施設
[
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]
- 長野市水道局 夏目ヶ原?水場
- 大?山公園
- 朝日山?世音堂
平柴台
[
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]
平柴台
(ひらしばだい)は、安茂里地域北東部の地?。
郵便番?
は
380-0942
。
周?は以下の
大字
?町と接する。
旭山の南東斜面に拓かれた住宅地である。
地??の人口は、163世?
335人
(令和5年3月1日現在)
[1]
。
交通
[
編集
]
- 路線バス
地??を走る、長野市?合タクシ?の以下の路線が利用できる。
- 長野市?合タクシ?
- 安茂里線
安茂里?
(1) - 杏花台(7) - 安茂里支所(10) - 平柴台(12) - 平柴公民館(16) - 小柴見(22) -
長野バスタ?ミナル
(23)
施設
[
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]
宮沖
[
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]
宮沖
(みやおき)は、安茂里地域南東部の地?。
郵便番?
は
380-0952
。
周?は以下の
大字
?町と接する。
安茂里?
の南に?がる
住宅地
である。
地??の
人口
及び
世?
?は、644世?
1,371人
(令和5年3月1日現在)
[1]
。
交通
[
編集
]
- 路線バス
地??を走る、
アルピコ交通
(
川中島バス
)の以下の路線系統が利用できる。
- ?道
安茂里?
の南口に面しており、同?から
篠ノ井線
?
しなの?道線
も利用できる。
周?
[
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]
出身著名人
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]
脚注
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]
外部リンク
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