ジャ?ミ?

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ジャ?ミ?

ヌ?ルッディ?ン?アブドゥッラフマ?ン?ジャ?ミ? ペルシア語 : ???????? ????????? ???? ‎、Nur ad-D?n Abd ar-Rahm?n J?m?、 1414年 11月7日 - 1492年 11月9日 )は、 15世紀 イラン ペルシア )で活躍した ス?フィ? 詩人 。雅?の「ジャ?ミ?」は、彼の出身地であるジャ?ムの名前から取られている [1] [2] 。ジャ?ミ?が活躍した ティム?ル朝 時代は近世 ペルシア文? が衰退期に差し掛かった時代であり、その中で優れたペルシア語詩を?したジャ?ミ?は「詩人たちの最後」「最後の詩人」と呼ばれている [3] 。また、詩作、神?以外に ハディ?ス アラビア語 文法、 イスラ?ム哲? 、音?についても深い?識を有していた [4]

生涯 [ 編集 ]

1414年に ホラ?サ?ン 地方の ヘラ?ト 近郊の町ジャ?ムで、裁判官ニザ?ムッディ?ン?アフマドの家にジャ?ミ?は生まれた [5] [6] 。ジャ?ミ?の祖父シャムスッディ?ンは エスファハ?ン 近郊のダシュトからジャ?ムに移住した人物であり [1] 、初期はダシュトにちなむダシュティ?の雅?を用いていた [7] 。ジャ?ミ?は5?のとき、 メッカ巡? の途上でジャ?ムに立ち寄った ナクシュバンディ??? のホ?ジャ?ムハンマド?パ?ルサ?と出?う [1] 。幼時からジャ?ミ?は ス?フィズム イスラ?ム 神秘主義 )に?い?心を抱き、後年に著した『親愛の息吹』の中で?時の喜びを回想した [8] 。ジャ?ミ?が幼いころに一家はジャ?ムからヘラ?トに移住し、ジャ?ミ?はヘラ?トの ニザ?ミ?ヤ?院 に入れられる。成長したジャ?ミ?は ウルグ?ベク が統治する サマルカンド に留?し、神?、法?、哲?、文?を修めた。サマルカンド時代の師であるカ?ディ??ザ?デは、ジャ?ミ?の素質に高い評?を?えた [9]

9年に及ぶという留?期間の後にヘラ?トに?ったジャ?ミ?は、 シャ??ルフ が建てた?校で?師を務める [9] 。自己の?面に向き合うことで、ジャ?ミ?の精神に大きな?化がもたらされたと言われている [10] 。ジャ?ミ?はサマルカンド時代に接したナクシュバンディ???のサアドゥッディ?ン?カ?シュガリ?に師事し、ス?フィズムの世界に身を置いた。名?が高まるにつれて、ジャ?ミ?はヘラ?トの西の ?羊朝 白羊朝 の君主からも目をかけられるようになった [11]

ジャ?ミ?はヘラ?トの支配者である フサイン?バイカラ の庇護を受け、 アリ??シ?ル?ナヴァ?イ? ホ?ジャ?アフラ?ル らの文人?宗?家と交流を持った [3] マシュハド 巡?などの例外を除き、ジャ?ミ?は生涯の大半をヘラ?トで過ごした [7] [11] 1472年 にジャ?ミ?は バグダ?ド を?てメッカ巡?を果たし、 ダマスカス アレッポ タブリ?ズ に立ち寄ってヘラ?トに?着した [11]

晩年のジャ?ミ?は老衰が著しく、最後に?狂したと?えられている [7] 。1492年にジャ?ミ?はヘラ?トで?する [11] 。ジャ?ミ?の葬儀には王子や重臣が全員?列し、?列者は先を?って彼の棺を運ぼうとしたと、友人であるナヴァ?イ?は書き?した [12]

作品 [ 編集 ]

?家 ビフザ?ド による『ユ?スフとズライハ?』の?本の??

ジャ?ミ?の死後、 サファヴィ?朝 イスマ?イ?ル1世 の王子サ?ム?ミ?ルザ?によって初めて彼の作品が分類され、45の作品が確認された [13] 。現在46の作品がジャ?ミ?の著作として知られている [3] 。ジャ?ミ?は 散文 韻文 ?方を手掛け、韻文によって名?を博した [7] 。洗練された語法と文?が作品の特?となり、ジャ?ミ?の深い?識が?容に反映されている [7] 。ス?フィ?、?者でもあるジャ?ミ?は時に詩作に複?な感情を抱き、詩によって自己の?威が低下すると考える事もあった [14]

ジャ?ミ?は先人が採用した題材や技術を取り入れ、自己の美しく甘美な作風によって優れた作品として再生した [15] 。技量は ニザ?ミ? サアディ? らの先人たちには及ばないと評されているが、「七つの王座」の中でジャ?ミ?はペルシア語詩の衰退を悲しみ、過去の優れた詩人たちを?古しながらも、自身の手によって往時の隆盛を取り?すことを決意している [14] 。東洋?者の エドワ?ド?グランヴィル?ブラウン は、ジャ?ミ?は詩的形式、甘美さ、素朴さの面ではニザ?ミ?に?び、あるいは上回るが、力?さ、想像力、流暢性では彼に及ばないと述べた [16] 。そして、ブラウンはペルシア語の深い知識を必要としない簡易な文?によって、 インド トルコ などの非ペルシア語?で名?と人?を得るようになったと分析している [16] 。ジャ?ミ?の作品は オスマン文? にも影響を?え、 オスマン皇帝 メフメト2世 バヤズィト2世 イスタンブ?ル にジャ?ミ?を招こうと試みたが、?現には至らなかった [3]

7部構成の マスナヴィ?形式 の長編詩「七つの王座」は特に知名度が高く、その一編である『ユ?スフとズライハ?』が代表作として知られている [3] 。ジャ?ミ?は 1468年 から7部作の第1作にあたる『?金の鎖』の執筆を開始し、 1485年 に最終作である『アレクサンダ?の英知の書』を書き終えた [17] 。「七つの王座」は ニザ?ミ? の「五部作(ハムセ)」に?抗して作られた作品で、5作目の『ユ?スフとズライハ?』が完成した後に2編が追加されたといわれている [13] 。「七つの王座」には、以下の作品が含まれる。

  1. 『?金の鎖』(1468年 - 1472年) - 多くの逸話を?入しつつ、哲?、倫理?、宗?について論じた作品。?容とスタイルは サナ?イ? の『?理の園』と共通する [13] 。冗長であり、?容の統一性が欠如しているために他の6編に比べて評?は低い [18] 。フサイン?バイカラに?呈された。
  2. 『サラ?マ?ンとアブサ?ル』( 1480年 ) - ギリシャ の物語を下敷きにした王子と乳母の?物語 [19] 。白羊朝の君主 ヤアク?ブ に?呈された。
  3. 『自由な民への贈物』( 1481年 ) - ニザ?ミ?の『秘密の?庫』を模した?訓詩 [20] 。ホ?ジャ?アフラ?ルに?呈された。
  4. 『敬虔なる者たちへの?珠』( 1482年 ) - ?訓詩。作品の評?は二分されている [20] 。フサイン?バイカラに?呈された。
  5. 『ユ?スフとズライハ?』( 1483年 ) - クルア?ン (コ?ラン)第12章を基にした作品。ジャ?ミ?の作品の中では最も評?が高く、早い段階からヨ?ロッパの?究者から注目された [21] 。19世紀にドイツ語、英語に?され、20世紀前半にフランス語?が出版された。
  6. ライラとマジュヌ?ン 』 ( 1484年
  7. 『アレクサンダ?の英知の書』(1485年) - ニザ?ミ?の『アレクサンダ?の書』を模した作品 [22] 。フサイン?バイカラに?呈された。

「ジャ?ミ?詩集」は『?春の始め』( 1479年 )『首飾りの?中の?珠』( 1489年 )『人生の終わり』( 1491年 )の3部で構成され、?年期から老年期にかけて詠んだ 抒情詩 が??されている。ほか、ス?フィ?の?記集『親愛の息吹』、逸話集『春の園』などの散文作品を書き?した。『親愛の息吹』には約600のス?フィ?の?記が??され、 アッタ?ル の『神秘主義聖者列?』に比べて簡略ながら、文?史において有用な資料として重?されている [23] 。『春の園』はサアディ?の『 薔薇園 』に倣ったものだが、?容と文?のいずれもオリジナルと比べて劣っていると評される [24]

イスラ?ム神秘?派の一つである存在一性論(wahdat al-wujud)の立場で書かれた「閃光の輝き」( Ashi'at al-Lama'at )や「閃光」( Lawa'ih )などの論文があり、前者は??善によって「昭元秘訣」、後者は 劉智 によって「?境昭微」という題名で??され、中?イスラ?ム思想に多大な影響を及ばすことになった [25]

脚注 [ 編集 ]

  1. ^ a b c ?柳『ペルシア文芸思潮』、232頁
  2. ^ 『ユ?スフとズライハ』、301頁
  3. ^ a b c d e 堀川「ジャ?ミ?」『中央ユ?ラシアを知る事典』、242頁
  4. ^ 井本英一「ジャ?ミ?」『アジア?史事典』4???(平凡社, 1960年)、251頁
  5. ^ ?柳『ペルシア文芸思潮』、231-232頁
  6. ^ 『ユ?スフとズライハ』、301-302頁
  7. ^ a b c d e ヒル「ジャ?ミ?」『世界?記大事典 世界編』5?、73-74頁
  8. ^ ?柳『ペルシア文芸思潮』、232-233頁
  9. ^ a b 『ユ?スフとズライハ』、302頁
  10. ^ 『ユ?スフとズライハ』、302-303頁
  11. ^ a b c d ?柳『ペルシア文芸思潮』、233頁
  12. ^ ?柳『ペルシア文芸思潮』、233-234頁
  13. ^ a b c ?柳『ペルシア文芸思潮』、234頁
  14. ^ a b ?柳『ペルシア文芸思潮』、241-242頁
  15. ^ ?柳『ペルシア文芸思潮』、242頁
  16. ^ a b ?柳『ペルシア文芸思潮』、241頁
  17. ^ 『ユ?スフとズライハ』、303頁
  18. ^ ?柳『ペルシア文芸思潮』、234-235頁
  19. ^ ?柳『ペルシア文芸思潮』、235頁
  20. ^ a b ?柳『ペルシア文芸思潮』、236頁
  21. ^ ?柳『ペルシア文芸思潮』、237頁
  22. ^ ?柳『ペルシア文芸思潮』、240-241頁
  23. ^ ?柳『ペルシア文芸思潮』、242-243頁
  24. ^ ?柳『ペルシア文芸思潮』、243頁
  25. ^ 中?イスラ?ム哲?の形成 . 人文書院  

?考文? [ 編集 ]

  • ?柳恒男 『ペルシア文芸思潮』(世界史?究?書?近藤出版社, 1977年9月)
  • 堀川徹「ジャ?ミ?」『中央ユ?ラシアを知る事典』に??(平凡社, 2005年4月)
  • ロバ?ト.N.ヒル「ジャ?ミ?」『世界?記大事典 世界編5?』に??(桑原武夫代表、ほるぷ出版, 1980年12月)
  • 『ユ?スフとズライハ』( 岡田?美子 ?、平凡社東洋文庫, 2012年9月)