オウィディウス

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ラテン詩人オウィディウス

プ?ブリウス?オウィディウス?ナ?ソ? ラテン語 : Publius Ovidius Naso ラテン語?音:  [?p?ː.bl?.?s ??w?.d?.?s ?naː.soː] [注? 1] 紀元前43年 3月20日 - 紀元後 17年 [1] または18年)は、 帝政ロ?マ 時代最初期の詩人の一人 [2] [3] 共和政 末期に生まれ、 アウグストゥス帝 治下で 平和を享受し繁?するロ?マ にて詩作を行った。 エレギ?ア形式 で詠まれた『 愛の歌 英語版 』や『 ?の技法 英語版 』などの?愛詩集や、?事詩の形式で詠まれた『 ?身物語 』などがよく知られている。『?身物語』は15?12000行あまりの大作で、韻律として ヘクサメトロス を用い、神話??上の??の ?身譚 を語る [4] 。一般に ギリシア?ロ?マ神話 英語版 の集大成と受け取られている [4] [5]

存命中から絶大な人?を博したオウィディウスであったが、紀元後8年にアウグストゥス帝の命により ?海 に面した僻地に追放され、そこで生涯を閉じた。追放の理由はよくわかっておらず、文?史上最も不可解な事件の一つである。オウィディウス自身は追放の原因を「一つの詩歌と一つの過誤( carmen et error )に?す」とだけ書いた。その言葉の選びようが意味深長であるからかえって、その意?するところをめぐって、後代の?者たちが膨大な議論を積み重ねることになった。

ラテン文?史上は「 ?金の時代 」の掉尾を飾る詩人とされる [2] 。オウィディウスの詩作品は後期古代から中世にかけての時代に多くの詩人に模倣され、 西洋美術 西洋文? スペイン語版 に絶大な影響を?えた。 ウェルギリウス ホラティウス よりは一世代若い世代に?する [2] 。彼らの時代から下ること?十年後の 修?? クインティリアヌス はオウィディウスを 最後のラテン?愛悲劇作家 と評した [6]

生涯 [ 編集 ]

他のロ?マ時代の詩人たちの大多?と比べると、オウィディウスは自分自身の?し方について多くを語っている方である。彼の?記的事項の一次情報の多くは、彼自身が詠んだ詩作の中にある。特に『悲しみの歌』4.10は自分の人生を語った歌であり、自?的要素を多く含む。その他には、 大セネカ クインティリアヌス の著作が一次情報源として利用できる。

生まれ、育ち、結婚 [ 編集 ]

イタリア スルモ?ナ の「9月20日?場」に立つ、オウィディウス像(2代目)。 エット?レ?フェッラ?リ 英語版 作。

オウィディウス晩年の作『悲しみの歌』第4?第10歌によると、オウィディウスは ロ?マ 東方、 アペニン山脈 山中の谷にある集落、スルモ?(現 スルモ?ナ )の、ある有力な騎士階級( エクィテス )の家に生まれた [7] 。生年月日は紀元前43年3月20日。この年の前後はロ?マ政治にとって重要な出?事がいくつも起きた年であった [注? 2] 。オウィディウスは子どものころから詩歌に親しみ、??は詩を書くことを夢見ていたという [9] :218 大セネカ によると、オウィディウスは、 弁論術 に秀でた兄と共にロ?マに行き、 アレッリウス?フスクス 英語版 マルクス?ポルキウス?ラトロ? 英語版 に師事して 修?? を?んだという [10]

オウィディウスが弁論術と修??を?びにロ?マへ行ったのは14,15?のころであった [7] 。兄は12ヶ月年上で誕生日が同じであった [11] 。父の意向としてはオウィディウスに修??を?んで法律の?務家の道に進んでほしかったのであるが、大セネカによると、修??に情動と論?という正反?の二極があるとすれば、オウィディウスは情動に傾く男であったという。兄が二十?で亡くなると法律とは?を切り、 アテネ 小アジア シチリア への旅を始めた [12] 。そして、三人委員? [注? 3] [13] 百人裁判所 英語版 [14] 十人委員? [15] といったこまごまとした公職に就き、詩作を追求することは諦めた。紀元前29年から25年ごろのことである。詩人になることに父が明らかに反?したゆえの決?である [16]

『悲しみの歌』によると始めて詩を朗誦したのは紀元前25年ごろのある日のこと、オウィディウス18?であった [17] 。オウィディウスは若いころからその詩作の人?があった。オウィディウスは、文化の庇護者として知られる メッサッラ?コルウィヌス を中心としたサ?クルの一員であった。メッサッラ?コルウィヌスのサ?クルには、オウィディウスが非常に高く評?していた ウェルギリウス ティブッルス が?していたものの、かろうじて一度ほど見たことがある程度で言葉を交わしたことはないという [18] 。オウィディウスはむしろ、芸術?文化のパトロンを意味する「 メセナ 」という言葉の由?で有名な ガイウス?マエケナス のサ?クルに?した アエミリウス?マケル 英語版 プロペルティウス ホラティウス 、ポンティクス、バッススといった詩人たちと親しかった [18] [19]

オウィディウスは30?になるまでの間に3回結婚し、2回の離婚を??している。娘が一人おり、その娘から孫も生まれた [20] 。最後の妻は何らかの形で ファビウス氏族 の有力者とのつながりがあり、オウィディウスのトミスにおける追放生活を支えた [21]

文?的成功 [ 編集 ]

ヘルクラネウム から出土した メ?デ?ア を描いたフレスコ?

詩を書き出して最初の25年間、オウィディウスの文?的才能は主に、 エレギ?ア形式 の?愛詩に注ぎ?まれた [22] 。これらの初期作品を時系列に?べる確?な方法は存在しないが、暫定的な順番が長年の慣習として確立している。現?する最も古い作品は『名婦の書簡』である。この詩作品は神話??に登場する女性たちがそれぞれの?人たちに宛てた手紙という?裁をとっており、紀元前19年に出版された。出版年の根?は、『愛の歌』2.18.19?26 に付された注?である。なお、同注?には出版された初期作品集について言及していると考えられる記述がある [23] 。そこの記述にある詩のいくつかについて、ほんとうにオウィディウスが作ったものであるのか、疑問も呈されてはいるが、この初期作品集にはおそらく14本の詩が含まれていた。

?人のコリンナに宛てた一連の?愛詩『愛の歌』の現?する最古の版は紀元前8年から3年ごろに出版された3?本である。この版は改訂版であって、1?目の冒頭に付された エピグラム によると、それ以前の紀元前16年から15年に5?本の初版が出版されたらしい。この『愛の歌』の初版と改訂版の出版の間に、悲劇『メ?デ?ア』が制作された。『メ?デ?ア』は悲劇としてはオウィディウスの?女作であって、古代においては評?が高かったものであるが、現?していない。

次なる作品は『女の化粧論』という化粧術についての詩作であり『?の技法』の序奏的性格を持つ作品であるが、現在では不十分な?片しか?っていない。『?の技法』は紀元前1年から紀元2年にかけて [24] 3?に分けて出版された作品である。?容や言葉遣いの点で、?訓詩のパロディとして詠われ、異性を誘惑し、ものにするための手練手管のマニュアル本となっている。オウィディウスがのちのち自身の追放の原因として婉曲的に「過ち」と詠ったのは本作のことであった可能性がある。これに引き?き前作の解毒?的?容を持つ『愛の治療』が紀元2年に制作された。これら一連の エロ?ス に?ちたエレギ?ア形式の?愛詩によって、オウィディウスはガッルス、ティブッルス、プロペルティウスらに代表されるラテン?愛詩人の中の一座を占めるに至った。そして彼自身も、自らをティブッルスらに次ぐ四番目の詩人とみなした [23]

紀元8年には『?身物語』15?を完成させた。本作は宇宙開闢から ユリウス?カエサル 神格化 に至るまで、 ギリシア神話 ロ?マ神話 におけるさまざまな?身をモチ?フにした話を網羅的に集めたものである。人やニンフが木や岩、動物や花?に、あるいは 星座 へと、新しい身?を得て?身する神話譚が一貫して、「英雄韻律」として知られる ヘクサメトロス (長短短六?格)で次?と詠われていく野心的な詩作品である。オウィディウスは『?身物語』と?行して、『祭?』の制作を進める。『祭?』は ロ?マの年中行事 英語版 天文? をエレギ?ア調で詠ったものであるが、6?まで制作された時点でオウィディウスが追放される事件が起き、制作が中?された。追放先で詠んだ部分は彼自身の手で破棄されたと考えられている。したがって、未完で終わった。一方で『?身物語』は追放前に完成させている [25] 。もっとも、追放されている間は自作に手を入れて決定稿とすることはしないと『悲しみの歌』第1?第7歌で述べているため、完成していないとも言える [26] 。また、?作?のある『往復書簡』(『名婦の書簡』の?編)の5つの手紙が詠われたのも、もしもこれらがオウィディウスの?作であるならば、この時期であると考えられている。

トミスへの追放 [ 編集 ]

ジョゼフ?マロ?ド?ウィリアム?タ?ナ? 作「ロ?マを去るオウィディウス」(油彩、1838年)

西?8年、オウィディウスは皇帝アウグストゥスの命により トミス 配流 される。トミスは ?海 に面した港町で、元はギリシアの 植民都市 であったところ、紀元前29年にロ?マ帝?が オドリュサイ王? から奪い、 ドナウ川 以遠のリメス?スキュティクス?領に編入した地である。?時はロ?マの勢力?がおよぶ範?の端にあり、21世紀現在は ル?マニア の港?都市 コンスタンツァ となっている。

この配流は、一切の 法に基づく裁判 が行われず、皇帝個人の??的な干?により決まった [27] 元老院 による助言もなかった [27] 。この事件は以後の作品のすべてに決定的な影響をおよぼす。オウィディウスは追放の原因を carmen et error ? 「一つの詩と一つの過ち」と表現し [28] 、「わが罪は殺人より重く」「誰かを傷つけること、詩よりもはなはだしい」と詠んだ [29] [30]

皇帝の孫である 小ユリア アグリッパ?ポストゥムス [注? 4] もまた、オウィディウスの配流と時をほぼ同じくして配流されている。小ユリアの夫、 ルキウス?アエミリウス?パウルス 英語版 が皇帝に?する謀議に加わったとして誅殺されたが、オウィディウスはこの陰謀を知っていたかもしれない [31]

アウグストゥス帝により紀元前18年に制定された ユリア法 英語版 [注? 5] ?姦 姦通 など「不自然な」(天理に背く)行?を規定しこれに刑罰を設定した法であるが [32] 、出生率を上げるために 一夫一婦制 を推進し、ロ?マ人の意識に新風を吹き?むことでロ?マの風俗を改良しようとするものであった。オウィディウスの『?の技法』はユリア法に照らして重い姦通となる行?を扱っている。皇帝が定めた風紀を破?しかねない「?のてくだ」をはじめとする彼の抒情詩ゆえに、彼は追放の憂き目にあったのかもしれない。しかしながら、この作品の公表(紀元前1年)から追放(西?8年)まで、長い時間が?過していることに鑑みると、アウグストゥスは何かもっと個人的な理由でオウィディウスの追放を決心し、風紀紊?は口?に過ぎないのではないかという?もある [33] 。?時自由に流布していたプロペルティウス、ティブッルス、ホラティウスの作品の中には、下品さという点で「?のてくだ」とそう?わらないものが多?あるという事?によってもこの?は補?される [33]

オウィディウスの追放の原因がはっきりしないため、現代に至るまで幾多の?者たちが終わりのない論?を?けることとなった。追放について言及した中世の文?で、信用に足る?明をなしえたものはない。中世の?者たちの?は、オウィディウスの著作の部分部分を恣意的に解?したものばかりである [34] 。オウィディウスが作品の中で自分の犯した罪について語った部分は約33箇所あるが、いずれも曖昧であるか、もしくは相矛盾する手がかりを提供するものである [35]

1923年に ネ?デルラント で、現代ラテン文化?の古典?者の間ではあまり考慮されてこなかった?が ライデン大? の古典ラテン文?者 ヤコブス?ヨハンネス?ハルトマン オランダ語版 により肯定的に取り上げられ、1930年代に同?を中心に大いに議論された。それはオウィディウスがロ?マを追放されたことは一度もなく、追放後の作品のすべては詩人の豊かな想像力の産物である、という?である [36]

オウィディウスによる文?的?構を疑う?は、1985年にフィトン?ブラウンがこれを支持する?容の論文を?表し、新たな論点をいくつか提供すると共に、停?していた議論を前進させた [37] 。同論文に?しては以後5年間という短い間に激しい?否?論が湧き上がった [38] 。ブラウンによると文?的?構?は、主に次の3つの理由により支持される [39]

  1. オウィディウスの追放について言及する同時代の文?が、 大プリニウス スタティウス による ?意のはっきりしない 文章における言及 [40] [41] を除くと、彼自身の作品以外に存在しない。4世紀になって始めて他の作家による言及が現れる [42]
  2. 『名婦の書簡』の作者たるオウィディウスならば詩的自我を現?生活上の自我から分離させて、一人?きさせることは、なしうる。
  3. トミスの地誌?的情報は ウェルギリウス の著作からも ヘロドトス の著作からも?に知りうるものとなっていたし、オウィディウスの『?身物語』にも スキュティア についての言及はある [43]

しかしながら、オ?ソドックスな?究スタイルの?者たちはこれらの??に反?する [44] 。主要な反論の一つとしては、もし??が正しいとするならばオウィディウスは『祭?』を未完のままにしておかなかったであろう、という反論がある。『祭?』は帝?詩人として彼がその身を捧げたに等しい詩作であるからである [45]

トミスでの日? [ 編集 ]

現在のコンスタンツァに?るトミス時代の遺構

配流の身にあってオウィディウスは、『悲しみの歌』と『?海からの手紙』という2つの詩集を書き、嘆きと後悔を切?と歌っている。 ロ?マの? を詠った『祭?』は1月から6月までを??した第1?のみが?わるが、これはロ?マから遠く離れたトミスへの配流によりオウィディウスが?書を手にとることができなくなったため、これ以上の創作を?念せざるを得なかったものと考えられている。

追放の身の絶望やロ?マへの?還を切望する思いのたけを表現した一連の詩を集めた『悲しみの歌』五?本は、西?9年から12年の間に詠われた。故?にいる敵を呪うエレギ?ア『イ?ビス』もちょうど同じころに詠われた。『?海からの手紙』はロ?マにいる友人たちに宛てた書簡の?裁をとり、追放?分を解いてもらえるよう各方面への?きかけを?む?容となっている。おそらくは最後の作品であり、はじめの三?までが紀元13年に公刊されたのち、四?目が14年から16年までの間に公刊された。追放中の詩は個人的な感情を詠い、心に切?と訴えかけるようなものが特に多い。『悲しみの歌』ではトミスの原住民のことを「野?人」と呼んで恐れているのに?し、『?海からの手紙』では彼らと仲良くなり、彼らの言語で詩を詠んだことを綴っている [46]

それでもまだ、オウィディウスはロ?マに思い焦がれていた。彼の三人目の妻にも一目?いたいと願い、妻に宛てて多くの詩を詠んだ。?海のほとりから詠まれた詩の宛先は、アウグストゥス帝のものもいくつかあるが、ロ?マにいる友人たちや自分自身に宛てたものもある。ときには詩作品それ自?に宛てて、追放の身の孤?や、いつかは?還できるという望みを表現するものもある [47]

オウィディウスは西?紀元17年か18年に亡くなった。『祭?』が?後に出版されたと見られることから、最晩年は『祭?』の校訂に時間をかけて取り組んでいたと考えられている。

作品?論 [ 編集 ]

オウィディウスの墓碑を?むスキュタイ人たち

オウィディウスの??の捉え方は、?愛エレギ?ア詩という文?ジャンルの掉尾を飾る詩人であって、?愛エレギ?ア詩の決まりごとを自家?籠中のものとして多彩な詩を詠んだ詩人というものである。確かにオウィディウス作品では??や名?といった?事性よりも、個人的感情といった?情性や主題性に重きが置かれるが、これはアウグスティヌス帝による帝?全土の平定によりもたらされた相?的な安定の時代を反映したエレギ?ア詩の?式美であるというのが定?である [48] [49]

この点で、オウィディウスの作品を通して示される詩人の ペルソナ [ 要曖昧さ回避 ] は、 カトゥッルス ティブッルス プロペルティウス ら、他の標準的なエレギ?ア詩人と同じようなものである。ところが、 詩人が熱を上げる貴婦人コリンナと作品の?容との?連は薄い。また、テクストに?める感情を?に迫ったものとするために、オウィディウスが?自の工夫を行った痕跡は、他のエレギ?ア詩人よりも弱い [50] 。また、コリンナが?在の人物とすれば誰に?たるのかという問題は、手がかりが何もない [51] 。以上のようなことから、コリンナは?在の人物ではなく、詩人と彼女の?係は作品を創造するための文?的?構であると考えられている [52] 。コリンナはエレギ?ア詩というジャンルそれ自?のアレゴリ?(擬人化)であるという解?もなされている [53]

なお、 カトゥッルス ティブッルス プロペルティウス らの?愛詩は個人的??に基づくものであるとされているが、彼らの作品を「自?として」?むことの是非には、?術的な論?が絶えないポイントである。彼らの詩が自?的ないし客?的事?との?係を少ししか持たないという考えは、エレギ?アを?究する現代の古典?者のほとんどが認めるようになっている [54]

オウィディウスは?統的なエレギ?ア詩の形式を巧みに用いて創意にあふれた?愛詩を詠い、?愛という主題を入念に掘り下げた詩人であると考えられてきた [55] 。例えば、クインティリアヌスはオウィディウスを「ふざけて陽?な哀歌詩人」と?んだ [6] 。オウィディウス作品には、古い形式を新しい方法で用いた作例がいくつかある。例えば『愛の歌』1.6 では「 パラクラウシテュロン 英語版 」という古めかしい モチ?フ を用いた。他方で、オウィディウス以前に同?の作例がまったく見つからないエレギ?ア詩もあり、例えば、コリンナが?染めに失敗してしまったときの歌( Am. 1.14)がこれに相?する。これらはオウィディウス?自の文?的革新と考えられている [56]

また、オウィディウスは他のエレギ?ア詩人たちよりも性的主題を詩の中で赤裸?に表出した詩人であるとも考えられてきた。取り上げられた性的主題と論点は多種多?である。『愛の歌』ではオウィディウス自身とコリンナの?愛に焦点が?てられ、神話??上の人物の?愛が『名婦の書簡』の主題であった。『?の技法』やその他の?訓詩形式の詩では「科?的見地から」異性と?係を持ち誘惑する方法の手引きを提供した。オウィディウスのエレギ?ア詩の中には、?え上げ、?果的な驚きの?入、一時的な比喩の多用といった表現技法が見られ、これらはオウィディウスが受けた 修?? の?育の影響があるとする?究もある [57]

『祭?』のような?愛エレギ?ア詩でない作品においても、オウィディウスの?愛エレギ?ア詩好みの影響は?著であると、よく注?される。オウィディウスのエレギ?ア?式は、?事詩の?式と明確に?別される。ドイツの古典文??者 リヒャルト?ハインツェ 英語版 (1867 - 1929)は著書 Ovids elegische Erzahlung (1919) の中で、 ケレ?ス プロセルピナ の神話のように『祭?』と『?身物語』の?方で同じ神話が扱われている場合、?者を比べてどのような?式の違いがあるか、明らかにした。ハインツェによると「エレギ?ア詩においては感傷的で柔和な雰??が?溢しており、 六?格 の語り口を特?付けるものは??さと畏怖の念である」という [58] 。アメリカの古典?者 ブルックス?オウティス 英語版 (1901 - 1977)はハインツェの議論をおおむね受け?いで以下のように述べている。

神?は?事詩においては「まじめ」でありエレギ?ア詩においてはそうでない。エレギ?ア詩の短く?切った、饒舌な語り口と比較すると、?事詩の台詞回しは長く、頻度が少ない。オウィディウスは、エレギ?ア詩を詠うときは地の文から?者や登場人物への親しみの感情があふれ出てくるような詩を詠むのに、?事詩のときは素の自分を?す。とまれ、?事的語りは延?と?き均整の取れた語りであるかもしれない。?してエレギ?ア詩の語りには均整を欠いた文?が見られる。 [59]

オウティスはまた、オウィディウスの?愛詩において詩人は「新しいテ?マを開拓するよりむしろ古いテ?マを ??化している 」ことを指摘している [60] 。オウティスによると『名婦の書簡』はもっとまじめであり、そのうちのいくつかのエピソ?ドは「オウィディスの他の作品と大きく異なり(中略)非常に?重な?みを重ねている」。それは男に捨てられた女という主題が、 ヘレニズム詩 新ヘレニズム詩 英語版 において積み重ねられてきた主題であったという事?に?係している [注? 6] 、という [60]

オウティスによると、『名婦の書簡』のパイドラ?、メ?デ?ア、ディ?ド?、ヘルミオネ?のエピソ?ドは、 エウリ?ピデ?ス 作品と ウェルギリウス 作品の「巧みな修正版である」という [60] 。くだんのウェルギリウス作品と『名婦の書簡』とを比較?究した?究者によると、ウェルギリウス作品が曖昧で矛盾しているのに?し、オウィディウス作品は明確さに富むという。また、ウェルギリウス作品が詩を詠むこと自?が目的になっているのに?し、オウィディウス作品において詩人は最小限の言葉で表現をしているという [61]

作品各論 [ 編集 ]

『名婦の書簡』 [ 編集 ]

ヒロイン を意味する『ヘ?ロ?イデス』( Heroides )と略?されることもある『名婦の書簡』( Epistulae Heroidum )はエレギ?アの韻律を持つ?句が連なる詩、全21歌からなる詩集である。一編の詩各?は、ギリシャ神話に登場する女性が自らの良人や?人に宛てて書いた手紙の?裁を取る。手紙には別れて暮らすことへの恨みつらみや?人が?ってくるように願う思いなどが表現され、それぞれの神話の結末を暗示するような、その後の彼女らの行動についても書かれている。オウィディウスは本詩集で、過去の文?に類例を見ない斬新な文?類型を生み出した。なお、本詩集の一部ないし全部がほんとうにオウィディウスの作であるのかというオ?センティシティの問題に?しては、疑問が呈されたこともあった。しかしながら『愛の歌』(at Am. 2.18.19?26)におけるオウィディウスの自作解題で、本誌集に係る書簡についての言及があることをもって異議に耐えうると考える?究者が大勢である。 [62]

前半の14通の書簡は初版の時点から詩集に含まれていたと考えられている。その14通は ペ?ネロペ? ピュリス ブリ?セ?イス パイドラ? オイノ?ネ? ヒュプシピュレ? ディ?ド? ヘルミオネ? デ?イアネイラ アリアドネ? カナケ? メ?デ?ア ラ?オダメイア ヒュペルムネ?ストラ? が不在の良人又は?人に宛てた手紙である。15通目は?史上の人物 サッポ? パオ?ン に宛てたものであるが?作の可能性がある(『愛の歌』で言及はある in Am. 2.18)。その理由は長さが不自然なことと神話的主題との統合を欠くこと、そして中世の?本でこの部分が見?たらないことが?げられる [63] 。?りの16通目から21通目は?人への手紙とそれへの返事の手紙の?で構成される。 パリス ヘレネ? ヘ?ロ?とレアンドロス 、アコンティオスと キュ?ディッペ? がそれぞれのパ?トナ?に宛てた手紙である。これらはオウィディウス自身による言及がないため、後年になって詩集に付け加えられたものと考えられている。?作か?作かは??がある。

『名婦の書簡』は スア?ソ?リア エトポエ?イア といった雄弁術を?使した演?法の影響が?著に見て取れる。スア?ソ?リア、エトポエ?イアはともに?得力のある演?をなし得るように行われる雄弁術の練習方法の一つであり、スア?ソ?リアは神話や?史上の特定の場面を想定した上でそこに登場する人物の行動の?否を弁論すること、エトポエ?イアは?史上の人物などの他人になりきって弁論することを意味する。ヘ?ロ?イデスの主人公たちの弁論も大まかな決まり事に?ってなされる。第一にほとんどの手紙ではその書き手が重要な役割を演じる文?作品への言及が行われる。例えば、 ディ?ド? の場合は「 アエネ?イス 」への言及が、 アリアドネ? の場合は カトゥッルス の詩集第64歌への言及が行われる。第二に?事詩と悲劇の登場人物から、エレギ?ア?愛詩の登場人物へと、性格付けの?換が行われる [64]

『愛の歌』 [ 編集 ]

オウィディウスとコリンナ

『愛の歌』( Amores 、アモ?レ?ス)はエレギ?ア韻律の?愛詩を集めた3?本である。エレギ?ア韻律の?愛詩の定型化は ティブッルス プロペルティウス により行われた。エレギ?アの?展にこの二人の詩人が寄?した部分は確かに大きい。しかしながら、このジャンルに革新をもたらした詩人はオウィディウスである。彼はこの詩形における主導者を、詩人からアモル(愛神)へと切り替えた。つまり、詩の詠み人が愛を勝ち取ることに焦点を?てるのではなく、人?の上にいる愛神の勝利に焦点を?てた。この?回は詩という文?ジャンル上、初の?回であった。オウィディウスの革新は「愛」という抽象?念のメタファ?を用いたこと、つまり、愛のアレゴリ?化に要約される [65]

3?本の本書は、コリンナと呼ばれるある婦人と詩人との?係を中心に、愛の諸相を描?する。多彩な詩の中には、?愛をしていく中で起こりうるいくつかの出?事が描?されるが、それは文?的な?飾と自由な語りを伴って?者に提示される。

第1?は15編の詩を?める。第1歌でオウィディウスは、自分は?事詩を書こうとしたのだと語る。ところが クピ?ド? が私から脚韻を?み、詠い?けることができなくなったため、それを?愛悲歌に作りかえたのだ、という。第4歌は?訓詩の形式を取り、のちに『?の技法』で展開することになる警句を述べる。第5歌は正午の逢い引きを詠う。また、?人の名前がコリンナであることが明かされる。第8歌と第9歌は贈り物に惹かれるコリンナを描くが、第11歌と第12歌の描?で詩人の企みが失敗したことが示される。第14歌はコリンナが?の毛を染めようとして大失敗した話である。第15歌ではオウィディウスをはじめ、その他の?愛詩人の命も永遠ではないと?調される。

第2?は19編を?める。?頭の歌はオウィディウスがエレギ?アのために 巨人族 との?いをあきらめたことを語る。第2歌と第3歌は詩人がコリンナを護衛する供回りの者どもに、なんとか彼女に一目?わせてくれと?むさまを詠う。第6歌はコリンナの飼っていた 鸚鵡 の死を悼む哀歌である。第7歌と第8歌はオウィディウスがコリンナの召使いに手を出し、それがコリンナに露見する事件を扱う。第11歌と第12歌はコリンナが休暇で遠くへ行ってしまうのを引き止めようとする?容。第13歌は病?になったコリンナの平癒をイシスに祈願する祈りの歌、第14歌は妊娠中絶に反?する歌、第19歌は油?している世の妻?者たちへの警告の歌である。

第3?は15編を?める。第1歌は擬人化された「悲劇」と「哀歌」がオウィディウスを巡って?う?が詠われる。第2歌は競馬大?に行く描?があり、第3歌と第8歌では他の男たちにこころ惹かれるコリンナの女心が主題である。第10歌は地母神 ケレ?ス への恨み歌である。なぜならこの女神の には禁欲が求められるからである。第13歌は ユ?ノ? 祭についての歌、第9歌はティブッルスに捧げる哀歌である。第11歌でオウィディウスはこれ以上コリンナを愛するのは止そうと心に決める。そして彼女について詩を詠んだことに後悔する。最終の第15歌は詩人の愛をかき立てたミュ?ズ(コリンナのこと)への告別の歌である。『愛の歌』はこれまでのところ、自意識に溢れ、非常に雄弁なエレギ?ア詩の作例であると評?されている。 [66]

『女の化粧論』 [ 編集 ]

女性の顔を美しくする手入れについて歌う本作( Medicamina Faciei Femineae )は、エレギ?ア韻律で詠まれた約100行ほどの?片が?されている。それからわかるのは本作がまじめな?訓詩をパロディしたものであろうということである。?容としては女たるもの、まずは立ち居振る舞いに?をつけるべしと述べ、その上で?けて、顔を美しくする白粉の類いをいくつか?方する。文?は ヘレニズム 詩人、 コロポンのニカンドロス ソロイのアラトス の?訓詩に似る。

『?の技法』 [ 編集 ]

      Si quis in hoc artem populo non novit amandi,
           hoc legat et lecto carmine doctus amet.

Book 1 Verse 1, 2: 「愛の手管を知らぬなら、わたしの本を?みたまえ、いずれは愛の博士とならん」

『?の技法』( Ars Amatoria 、アルス?アマ?ト?リア、?の手管)全3?はエレギ?ア韻律の?訓詩の?式を換骨奪胎し、異性を誘惑し愛する手管をレクチャ?する?容となっている。第1?は男性に向けて女性を誘惑するハウツ?を?える。第2?も男性向けに、愛人を自分に惹き付けておく方法について?える。第3?は女性に向けて男性を誘惑する手管を?える。第1?はウェヌスへの祈願文で幕を開ける。そのなかでオウィディウスは自らのことを 「?愛?師」( praeceptor amoris )と位置づける (1.17)。そのオウィディウスによると、?愛の相手を見つけられる場所は劇場や?技場、?になる娘をものにする方法としては宴?の席でこっそり誘惑するなどの方法がある、という。また、適切な時間を選ぶことは重要である、早すぎても?すぎてもいけない。目?ての娘の友だちの信?を得ることも同?に重要である、という。

詩人は愛する人のために身?の手入れを怠るなと?調する。第一?ではその他、 サビニの女たちの略奪 パ?シパエ? アリアドネ? といった神話??に話がおよぶ。第二?は冒頭で アポロ? に祈りが捧げられ、 イ?カロス の??を物語ることで幕を開ける。過?な贈り物は禁物、外見を美しく保つこと、醜聞は?すこと、意中の相手にお世?を言うこと、彼女の奴隷たちに好感を持たれるように振る舞い、ご主人の機嫌を取ってもらうこと。以上のようなアドバイスが男性に向けて詩人からなされる。また、生殖を司るウェヌスを粗略に扱わぬこと、?人を惹き付けておくためのアポロ?の助けといったことにも話がおよび、 ウェヌスとマ?ルスを捕まえた ウゥルカ?ヌス の?の話に?線する。第二?は詩人が「生徒たち」に(ぜひとも意中の女性をものにして)師の名?を?めてくれることを望むと言って終わる。

第三?の冒頭で詩人は女性の能力を擁護する。そして、前二?で詩人が世の男性に?えたことに?して、女性にも理論武?してもらうことで解決にしたいと述べる。詩人は、身を飾る品が多くなりすぎない方がいいとか、?愛エレギ?ア詩を?むといいとか、卓上遊?の遊び方を習うといいとか、事細かにアドバイスする。さらにはいろんな年代の男と?ること、浮?すること、そして、しらばっくれることをやってみなさいと言う。第三?を通して詩人は、それまでに男性に向けて?訓詩風に詠んだ?愛指南を取り消すような自己批判をそこかしこに?入する。また、 プロクリス ケパロス の神話に言及する?線を行う。最後に詩人は女性たちに向けて、我が助言通りに事を進め、 " Naso magister erat, "(ナ?ソ?さんが私の先生よ)と言って、我が名?を?めてくれることを望むと述べて締め括る。

『愛の治療』 [ 編集 ]

『愛の治療』( Remedia Amoris 、レメディア?アモ?リス) の形式は?愛エレギ?ア詩の形式で、?容は詩人が『?の技法』で指南した?愛の治療法を、主に男性に向けて?方するものとなっている。本作は自殺を?愛から逃亡する手段にすぎないとして批判する。そしてアポロ?に誓って、?愛を先延ばしにしたり疎かにしてはならぬと言う。そして、自分のパ?トナ?を避けること、魔術は使用せぬこと、一度は化粧をしていない?人の顔を見てみること、他の?人に?り換えること、決して嫉妬してはならぬこと、といった?方箋が示される。古い手紙は?き捨てること、?人の家族は避けることといったアドバイスもある。本詩作は一貫してオウィディウスを?者として登場させ、?術的レトリックを用いている。本作が?愛?訓詩シリ?ズの最終?であり、エレギ?ア韻律でエロスを歌うオウィディウスの企みが本作で完遂したと解?されている。 [67]

『?身物語』 [ 編集 ]

Engraved frontispiece of George Sandys’s 1632 London edition of Ovid's Metamorphoses Englished .

『?身物語』( Metamorphoses 、メタモルポ?セ?ス)全十五?はオウィディウスの最も野心的な作品でありかつ、最も人?のある作品である。?容面ではギリシア?ロ?マ神話において?身が行われる??を集めたカタログであると言うことができ、形式面では一貫して「英雄的六?韻脚(ダクテュロス?ヘクサメトロス、?事詩に多い)」用いられていることが指摘できる。ただし、?史神話的構造は比較的緩い。全?で12,000行近くにおよび、その中で250種の神話??が語られる。各神話の舞台は、死すべき運命の者たちが外的な影響に?して脆弱である屋外に設定される。本作品は、 ヘ?シオドス の『 名婦列?(エ?ホイアイ) 』や カッリマコス の『起源(アエティア)』、 コロポンのニカンドロス の『ヘテロエウメナ』、 パルテニオス の『?身物語(メタモルポ?セ?ス)』といった、複?の起源神話を次?と歌っていく詩作の?統に連なるものである。

第一?は 天地開闢 、人間の時代、 大洪水 、アポロ?による ダプネ? の略奪、 ユ?ピテル による イ?オ? の略奪の神話を?める。第二?は パエト?ン の物語を詠ったのち、ユ?ピテルに愛された カリスト? エウロ?ペ? の物語を詠う。第三?はテ?バイの神話に焦点が?てられ、 カドモス アクタイオ?ン ペンテウ?ス の?身物語を?める。第四?は ピュラモスとティスベ サルマキス ヘルマプロディ?トス ペルセウス アンドロメダ? という、3組の?人たちの神話を?める。第五?は ム?サ の歌に焦点を?て、 プロセルピナ の略奪について詠う。第六?は、死が運命付けられた?い命を持つ者たち(人間やニンフ)が、神?に追い?けられて?身する物語を集める。 アラクネ? の物語から始まり、 ピロメ?ラ? の物語で終わる。第七?は メ?デ?ア ケパロス プロクリス の?身譚を?める。第八?は ダイダロス の飛行、 カリュド?ンの猪 狩り、敬虔な バウキスとピレ?モ?ン と邪?な エリュシクト?ン の?比を?める。第九?は ヘ?ラクレ?ス の物語と、 ?の兄に?をしてしまった ビュブリス の物語が中心である。第十?は ヒュアキントス を想って歌を唄う オルペウス のような、報われぬことが運命付けられた?の物語が中心である。その他に ピュグマリオ?ン ミュラ? アド?ニス の物語を?める。第十一?は ペ?レウス テティス の結婚と、 ケ?ユクス アルキュオネ? の愛とが?比される。第十二?は神話の世界から?史?事に題材を取り、 アキレウス の偉業、 半人半馬族 ラピテ?ス族 との?い、 イ?ピゲネイア の生贄の物語を?述する。第十三?はアキレウスの武具を巡る?いのほか、 ポリュペ?モス について議論する。大十四?ではイタリアに舞台を移し、アイネイア?スの旅について記述する。そして ポ?モ?ナ ウェルトゥムヌス ロ?ムルス の物語を語る。最終第十五?は ピュタゴラス による哲?的講義に始まり、 ガイウス?ユリウス?カエサル の神格化が語られる。そして、アウグストゥス帝へ?美の詩句が捧げられ、本詩作により自分の名前は不滅のものになったであろうというオウィディウスの確信が表明されて、全?の終幕となる。

過去の?者たちは『?身物語』を分析する際、オウィディウスが膨大な素材をまとめている点に注目した。地理、主題、?比により物語どうしを?連づけるという手法により、興味深い?果がもたらされ、常に?者につながりを評?させる力?が生じる。また、オウィディウスは歌ごとに語り口と素材をさまざまなかたちに多?化させた。古典?者のジアン?ビアッジョ?コンテは『?身物語』を「これら多?な文?ジャンルのギャラリ?のようなもの」と評した [68] 。オウィディウスは語り口と素材の多?化という目的を心に抱いて、過去の定評ある詩作をあらゆる角度から?究し、先行する ?身譚 を扱う作品より優れた作品を生み出そうとした。オウィディウスは、本詩作でアレクサンドリア派の?事詩の形式、すなわち悲劇的?句を用いた。これは?統的な?事詩の形式に、登場人物の心の動きを重視する?式を彼なりに融合させた結果である。

『祭?』 [ 編集 ]

六?のエレギ?ア詩が現?する『 祭? 』( Fasti 、ファスティ)は、オウィディウスが追放の憂き目に遭ったまさにその時に携わっていた二つ目の野心作である。オウィディウスは ロ?マ? の年中行事を韻文で歌い上げるという、過去のラテン文?に前例のない試みを完遂させようとしたのであるが、自身の追放により中?され、現?するものは半年分、1月から6月までの六?しかない。後述する「トリスティア」2.549?52 では自分の作品が六?で邪魔されたと歌う部分がある。追放先のトミスでは、作り上げた六?の校訂に?んでいたと考えられている。『祭?』は『?身物語』のように長詩となるはずだった。そして、カッリマコスやプロペルティウスらの起源神話を題材にした詩作を踏襲するものとなるはずだった。

本作はロ?マ?に?って重要なロ?マの祭の起源と習慣を?明する。時おり神話?承を交えながら、季節に?じて天文や農事に?する情報が?入される。本作はアウグストゥス帝の息子「?れ高きゲルマニクス」に捧げられているが、これには、?初、帝に奉呈するつもりであったが帝の崩御によってそれが?わず急遽奉呈先をゲルマニクスに?更したという事情があるかもしれない。本作では、詩人は自らを司祭と自己言及し、?についてあれこれ語るため、神?に直接お話をお聞きしてまじめに調べる、という文?的仕掛けが用いられる。また、詩人は プレブス (貴族)好みは前面に出さず、祭の野卑な?統を肯定的に歌い上げている。これにアウグストゥス帝の風俗改良政策への控えめな抵抗を?み取る?者もいる [69] 。ロ?マ時代の文物は史料がよく保存されているので、本作はこれまでのところずっとロ?マの宗?や文化を調べる者の役に立たないとされてきた。しかし近年ではオウィディウスの最良の文?作品であり、ラテン語エレギ?ア詩に類い稀な?りをもたらした作品として捉えられるようになっている。

『イ?ビス』 [ 編集 ]

エレギ?ア韻律の644行の詩篇『イ?ビス』( Ibis 、?の歌)のなかでオウィディウスは目も眩むような神話的物語を?べ立て、追放中の詩人を傷つけようとする敵を呪い、攻?する。冒頭で詩人は、これまで詠んできた詩は誰を傷つけるものでもなかったが、いまぞ我が詩才を仇なす者への反?に用いん、と述べる。詩人は?感の源を カッリマコス の『イ?ビス』に求めてこれを引用し、すべての神?に呼びかけて我が呪いに力を?えたまえと祈願する。さらに、神話の例を引いて冥界において敵が苦しむさまを詠い、敵の誕生の際に起きた凶兆を述べる。?りの300行では神話上の人?に降りかかったような責め苦が我が敵にも降りかかるように願い、再度すべての神?に助力を祈願する。

『悲しみの歌』 [ 編集 ]

追放中のトミスにて詠まれた『悲しみの歌』( Tristia 、トリスティア)は全五?である。第一?は11歌を?める。第1歌は詩人がこの詩集自?に向けて語るかたちで、ロ?マに着いたらどのように振舞うべきかを述べる?容である。第3歌は詩人のロ?マにおける最後の夜のことを描?する。第2歌と第10歌はトミスへの旅がどのようなものであったか、第8歌はある友人の裏切りについて、第5歌と第6歌は誠直な友人たちと妻について述べる。第11歌で詩人は詩集全?にこだまする悲嘆により?者が暗い?持ちになれば申し?ないとわびる。

第二?は詩人の自己弁護の長詩で構成される。先人を引用して自作を正?化し、アウグストゥス帝に?恕を請う。第三?はトミスにおける詩人の生活に焦点を?てた14歌を?める。第1歌は詩集がロ?マに到着するがオウィディウスの作品が?禁となっているさまを描き出す。第10, 12, 13歌はトミスにて過ごす年月を詠い、第9歌はトミスの由?を詠う。第2, 3, 11歌で詩人は深い嘆きと望?の念を詠う。最終第14歌で詩人は再び詩集の暗さを?者にわびる。

第四?は主に友に宛てた10歌を?める。第1歌は詩人の「詩」への愛と「詩」がもたらす慰めを詠う。第2歌はティベリウスを?える歌であるが、第3, 4, 5歌は友人たちに宛てた歌である。詩人は第7歌で返事の便りがほしいと歌い、第10歌で自分の?し方を振り返る。

『悲しみの歌』の最終?は詩人の妻や友人たちに焦点を絞った14歌を?める。第4, 5, 11, 14歌は妻に宛てられたもので、第2, 3歌はアウグストゥス帝と バッコス 神への祈りを捧げる歌である。第4, 6歌は友人たちに、第8歌は敵に宛てた歌である。第13歌では返信を所望するが、第1, 12歌ではやはり、本作のまずさを?者にわびる。

『?海からの手紙』 [ 編集 ]

『?海からの手紙』( Epistulae ex Ponto 、エピストゥラエ?エクス?ポント)全四?は追放中にかかれたもう一つの詩集である。一?ごとに異なる友人に?して宛てた書簡の形式をとる。追放?分が解かれて?還できることに?して、『悲しみの歌』のときよりも悲?的になっており、?容は大略次の三点からなる。一点目はオウィディウスの追放刑を解くことを皇帝の一族に訴えてくれることを願う友人たちへの依?、二点目は作品に?する友人たちとの議論、三点目は追放中の生活の描?である。

第一?は10歌を?める。オウィディウスは自身の健康?態を語り(第10歌)、希望や記憶、ロ?マへの?愁を歌う(第3, 6, 8歌)。トミスにおいて必要とするものに?する記述もある(第3歌)。第二?はゲルマニクスを熱烈に待望する?容(第1, 5歌)のほか、追放地での絶望と生活を描いたり、友人たちに自分に代わってロ?マで主張してもらいたいことを述べたりする?容がある。第三?は9歌を?める。妻に宛てた?容(第1歌)のほかは友人たちに宛てた?容である。詩人は タウリスのイフィゲニア の物語を語り(第2歌)、クピ?ド?の夢の話をするが(第3歌)、批判に?える歌もある(第9歌)。第四?は16歌を?める。トミスでの生活の報告と友人たちへの語りかけを主な?容とするが、オウィディウス最後の作品となった。詩人はトミスの冬と春について(第10, 13歌)、また、その地理と?候について語り(第7歌)、?持ち半分ながらもトミスがいいところだと?める(第14歌)。また、詩人は友人たちが何くれとなく相談に?ってくれること、援助を申し出てくれることに感謝を捧げる(第4, 9歌)。第12歌はトゥティカヌスという名前の友人に宛てたものであるが、その名前が韻律にうまくはまらない。最終第16歌は敵に宛てたものであり、詩人はあいつを?り?して逝けないと嘆く。結びの?句は「私の肉?を刺すあなたの?によろこびはどこにあるか?私が肉?の傷をいやす場所はどこにもない。」である [70]

?作と失われた作品 [ 編集 ]

Consolatio ad Liviam (リウィアへの慰め) [ 編集 ]

「コンソラティオ」は息子 ネロ?クラウディウス?ドル?スス を亡くしたアウグストゥス帝の妻、 リウィア?ドルシッラ を慰める?容のエレギ?ア韻律で作られた長詩である。詩は冒頭、リウィアに悲しみを?そうとはせぬよう?め、ドル?ススの?をその死と?比する。そして、ドル?ススの葬儀と皇帝一家への??、彼の最後の瞬間と母リウィアがその亡骸に覆いかぶさって嘆くさまを描?する。ドル?ススのむくろは鳥に譬えられる。ロ?マ市の嘆きの?が彼の葬列に向けられる。神?への言及があり、軍神 マ?ルス は神殿から テベレ川 に?して、悲しみから立ち昇る火葬の炎を消してしまうのはやめよと命じる [71]

悲しみはドル?ススの軍功、その妻、その母のために表される。詩人はリウィアに ティベリウス 帝に慰めを見出すように具申する。詩の締めくくりは亡きドル?ススがリウィアに、自らは エリシウム へ行くよう運命づけられていると述べて終わる。本作は「マエケ?ナ?スに捧げるエレギ?ア詩集」( Elegiae in Maecenatem 、「ウェルギリウス補遺」の一?)に?連付けられていたこともあったが、今では同詩集との?連はないものと考えられている。いつごろ作られた作品かは不明であるが、ティベリウス帝が目立つように詠われていることから、同皇帝の治世下で詠まれた歌という?がある [71]

Halieutica (釣りについて) [ 編集 ]

ヘクサメトロス134行が?わる「ハリエウティカ」は?訓詩の?片である。詩はすべての動物たちが自分の身を守る能力を持つと語るところから始まる。犬や陸上の動物の身の守り方を解?し、魚が身を守るために、どのように「アルス(技術)」を使うかを述べる。そして詩は魚釣りに最も適した場所を列?し、そこで捕まえられる魚の種類を?げる。 大プリニウス は「ハリエウティカ」がオウィディウスの作であって、彼が晩年にトミスで作ったものであると述べたが、近代以降の?者はこの詩の作者をオウィディウスに?したプリニウスの?は間違いであって、オウィディウスの?作ではないと考える [72]

Nux (くるみ) [ 編集 ]

エレギ?ア形式の91?句が?わる「ヌクス」は、 アイソ?ポス 寓話集 にある「 クルミの木 英語版 」の寓話を下敷きにした?容を持つ。もともとの寓話は恩を忘れやすい人の性(さが)を主題にしているが、本作もクルミの木が、その?を得ようと石を投げつける少年たちに石を投げないでくれと?む?容である。クルミの木は?りにあふれたかつての ?金時代 と、?りの少ない今を?比し、?暴に?がもぎ取られ枝が折られる現在を?白する。?けて自分を神話の登場人物何人かと比べ、皇帝のもたらした平和を賞?し、このまま苦しむよりも誰かに切り倒されたいと願う。本作はオウィディウス作品の平凡な模倣を含むため?作ではあろうが、詩人の同時代人により詠われた作品と考えられている [73]

Somnium (夢) [ 編集 ]

詩人が夢占いに自分が見た夢を語るという?容の「ソムニウム」は?統的に『愛の歌』3.5 に配置されているが、?作であると考えられている。詩人は夢の中で、?の暑さを避けて木陰にいると、一頭の牡牛の近くにいる白い牝牛を見かける。ところがその牝牛はカラスにつつかれると、その牡牛を?して別の牡牛たちと一?に牧草を食みに行ってしまう。夢占いはその夢を愛のアレゴリ?として解?する。?された牡牛は詩人、牝牛は娘っ子、カラスは婆さん。?人を置いて別の誰かを見つけにお行きと婆さんが娘っ子にけしかける夢だというのが夢占いの見立てである。この詩はティブッルスとプロペルティウスが確立した?愛エレギ?ア詩との?連を欠くため、また、?時?にそれらと?立して流布していたことが判明しているため、?作?が濃厚となっている。とはいえ、この詩が作られた時代が帝政期初期に求められることは確かである [74]

失われた作品 [ 編集 ]

オウィディウス自身が記述したところによると『愛の歌』の初稿全五?は失われてしまったという。『愛の歌』初稿本の?容は何一つ現?していない。『女の化粧論』も最後の部分が散逸してしまっている。しかしながら、最大の喪失はオウィディウスが作った唯一の悲劇『メ?デ?ア』である。『メ?デ?ア』からはわずか二三行が?わるのみである。 クインティリアヌス は本作を偉大な作品と賞?し、この詩人の天分を示す最良のサンプルと考えた [75] [注? 7]

ラクタンティウス マルクス?ウアレリウス?プロブス 英語版 の著作には、ヘレニズム詩人 ソロイのアラトゥス の『パエノメナ』(現象)のラテン語??からの引用句が含まれるものがあり、その??者がオウィディウスに?せられている [76] [77] 。その??は全?が現?せず、失われた作品かもしれない。しかし、オウィディウス自身が『パエノメナ』の??に?して他の作品?で言及していないため、その??が?際にオウィディウスの手によりなされたものであるのか、疑わしい [76] 。 また、 カエサレアのプリスキアヌス の『文法課程』には、「エピグラムマタ」( Epigrammata )なる題名のオウィディウス作品から1行が引用されている [78] 。その他に「エクス?ポントス」からは、詩人が特別な機?のために作った詩がいくつか存在することが?み取れる(「祝婚歌」( Epithalamium ) [79] 、「挽歌」 [80] ガタイ人 の言葉で作った詩歌 [81] )が、いずれも失われている。

受容史 [ 編集 ]

1484年に出版された「 オヴィド?モラリゼ フランス語版 」の?? [82]

オウィディウス作品には、世紀を越えて2000年近く、各?の時代における社?、宗?、文?的文脈に依?した立場から多?な解?がなされた。オウィディウスは存命中からすでに同時代人に有名であり、批判されていたことが知られている。「?の治療法」の中で詩人は世人にお前の本は失?だと批判されたことを報告し [83] 、これに?えて次のような詩を詠んだ。

Gluttonous Envy, burst: my name’s well known already
it will be more so, if only my feet travel the road they’ve started.
But you’re in too much of a hurry: if I live you’ll be more than sorry:
many poems, in fact, are forming in my mind. [84]

このような批判が?まったのち、中世からルネサンス期のヨ?ロッパ世界において、オウィディウスは最もよく知られ、最も愛されたラテン語詩人のひとりとなった [85]

中世の著述家は性と暴力について?んだり書いたりするための方便としてオウィディウス作品を利用した。しかしながら、それは「丁寧に注?をつけるといったような、聖書に?しては日常的に行っていたような入念なテクストリ?ディング」を欠くものであった [86] 。中世のフランスでは15?本の『?身物語』を倫理的に?案した『 オヴィド?モラリゼ フランス語版 』という7万行におよぶ大作が作られた。作者は不明であるが、同時代の ジェフリ??チョ?サ? に影響を?えた。オウィディウスの詩はルネサンス期のユマニスト(人文主義者)らの?想の原点にもなり、とりわけ多くの?家や著述家に?感を?えた。

イギリスの ア?サ??ゴウルディング 英語版 も同?に、15?本の『?身物語』を倫理的に書き直した?案を1567年に出版した。この1567年版は テュ?ダ?朝 時代のグラマ??スク?ルでラテン語の原典副?本として用いられた。この副?本は クリストファ??マ?ロウ ウィリアム?シェイクスピア といったルネサンス期の有名な作家に影響を?えたことで知られる。

その他にもオウィディウスに大きな影響を受けた作家は枚?に暇がない。例えば、 ミシェル?ド?モンテ?ニュ は『 ?想? 』の中で陰に陽にオウィディウスを引用しており、特に「子弟の?育」の段では次のようなことを言っている。

The first taste I had for books came to me from my pleasure in the fables of the Metamorphoses of Ovid. For at about seven or eight years of age I would steal away from any other pleasure to read them, inasmuch as this language was my mother tongue, and it was the easiest book I knew and the best suited by its content to my tender age. [87]
ウジェ?ヌ?ドラクロワ ?「 スキタイ人たちのもとに追放されたオウィディウス 英語版 」(1859年、 ロンドン?ナショナル?ギャラリ? ?(Ovide chez les Scythes, (1859), 88 × 130 cm))

16世紀のポルトガルでは、 イエズス? の修道院がオウィディウスの『?身物語』からいくつかの場面を切り取って、生徒たちに?えていた。イエズス?士たちはオウィディウスの詩が?育目的にふさわしい上品なものであるとみなしたが、作品すべてを生徒たちに?えると彼らを?落させてしまうとも感じていた [88] 。イエズス?士たちはオウィディウスについて彼らが知っていることの多くをポルトガルの植民地にも?えた。Serafim Leite (1949)によると、17世紀前半のブラジル植民地ではイエズス?の?育計?書である『 ラティオ?ストゥディオルム 英語版 』が有?であり、この時期のブラジルの生徒たちは、 ラテン語の文法 を習うために『?海からの手紙』のような作品を?んでいたという [89]

16世紀のスペインでは、 セルバンテス が長編小?『 ドン?キホ?テ 』の着想の土台に『?身物語』を用いた。オウィディウスは『ドン?キホ?テ』の中で持ち上げられたり貶されたりするが、その行く末に?れてセルバンテスはこう警告する。風刺のやりすぎにはご注意あれ、詩人たちを追放の憂き目に遭わせますぞ、かのオウィディウスのように、と [90]

16世紀のイギリスでは、オウィディウス作品は批判された。 カンタベリ?大主? ロンドン主? 英語版 は1599年にオウィディウスの?愛詩の??書を?場で?却することを命じた( 1599年の主?による焚書令 英語版 )。詩人の生きた時代から遠く離れた時代の ピュ?リタン の目から見たオウィディウスは、 ペイガン であり、「倫理に悖る」詩人であった [91]

17世紀に入ると ジョン?ドライデン が『?身物語』の英?を行った。この??は 英雄二連韻句(ヒロイック?ク?プレッツ) を使った名?として知られる。17世紀はオウィディウスが再流行した時代であった。その再流行は「他の誰かを?身させてしまうようなアウグスティヌス主義の一側面という、詩人本?のイメ?ジで」なされた [85] [注? 8] 。19世紀の ロマン主義運動 におけるオウィディウスとその作品の需要は17世紀におけるものと?照的である。ロマン主義者にとってオウィディウスは「古くさく、退屈で、本物の感情に欠けた形式偏重主義」であった [85] 。ロマン主義者にとってはオウィディウスの作品よりも追放という出?事のほうが重要であった [92]

ボドレ?ル ゴ?ティエ ドガ も見た「 スキタイ人たちのもとに追放されたオウィディウス 英語版 」は、 ウジェ?ヌ?ドラクロワ スキュタイ人 の地に追放された詩人の晩年を描いた油?である [93] 。ボドレ?ルはこの?を見たことに動機付けられ、オウィディウスのように追放された詩人の一生についての長いエセ?を書いた [94] 。このようにオウィディウスの追放は、19世紀のロマン主義運動にいくらかの影響を?えているが、その理由は、彼の追放が「 野性 」とか「 理解されない天才 」とかいったロマン主義のキ?コンセプトに結びつくからである [95]

ギャラリ? [ 編集 ]

脚注 [ 編集 ]

注? [ 編集 ]

  1. ^ コグノ?メン の「ナ?ソ?」は「鼻の人」を意味する。つまり「大きな鼻」というあだ名であるが、オウィディウスが詩の中で自分自身に言及するときはいつでもこのあだ名を用いた。なぜなら、ラテン名の「オウィディウス」はエレギ?ア詩形( 哀歌二行連句 英語版 )の韻律にうまく合わないからである。
  2. ^ ロ?マの?史上の?換点となった年である。オウィディウスが生まれる前には 共和制 を終わらせる引き金となった事件、 ユリウス?カエサル の暗殺が起こった。共和派との?いに勝利を?めたカエサル支持派の マルクス?アントニウス は、さらにカエサルの大甥 オクタウィアヌス に打倒される。オクタウィアヌスこそ後の新しい政治秩序を築き上げたアウグストゥスその人である [8]
  3. ^ tresviri capitales.
  4. ^ アグリッパ?ポストゥムス 小ユリア の弟で追放刑に?される前はアウグストゥス帝により養子とされ、後?者候補の一人であった。
  5. ^ Lex de adulteriis coercendis
  6. ^ 例えば カトゥッルス の第66歌など。
  7. ^ なお、可能性は低いが『祭?』の後半六?が存在したとすれば、これも大きな損失となる。
  8. ^ Ovid was "refashioned [...] in its own image, one kind of Augustanism making over another."

出典 [ 編集 ]

  1. ^ Ovid Roman poet Encyclopædia Britannica
  2. ^ a b c 高橋 (2008)『はじめて?ぶラテン文?史』pp.16-18
  3. ^ Fergus Millar, "Ovid and the Domus Augusta: Rome Seen from Tomoi," Journal of Roman Studies 83 (1993), p. 6.
  4. ^ a b 高橋 (2008)『はじめて?ぶラテン文?史』pp.49-56
  5. ^ Mark P. O. Morford, Robert J. Lenardon, Classical Mythology (Oxford University Press US, 1999), p. 25. ISBN 0-19-514338-8 ISBN 978-0-19-514338-6
  6. ^ a b Quint. Inst. 10.1.93
  7. ^ a b 高橋 (1992)「オウィディウス」『ラテン文?を?ぶ人のために』pp.153-169
  8. ^ Met. , Ovid, translation to Portuguese by Paulo Farmhouse Alberto, Livros Cotovia, Intro, p.11.
  9. ^ 河底(1999)
  10. ^ Seneca, Cont. 2.2.8 and 9.5.17(大セネカ『論?問題』)
  11. ^ Trist. 4.10
  12. ^ Trist. 1.2.77
  13. ^ Trist. 4.10.33?4
  14. ^ Trist. 2.93ff.; Ex P. 5.23ff.
  15. ^ Fast. 4.383?4
  16. ^ Trist. 4.10.21
  17. ^ Trist. 4.10.57?8
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  39. ^ A. D. F. Brown, "The unreality of Ovid's Tomitan exile", Liverpool Classical Monthly 10.2 (1985), p. 20?21.
  40. ^ Cf. Naturalis Historia , 32.152: "His adiciemus ab Ovidio posita animalia, quae apud neminem alium reperiuntur, sed fortassis in Ponto nascentia, ubi id volumen supremis suis temporibus inchoavit".
  41. ^ Cf. Silvae , 1.2, 254?255: "nec tristis in ipsis Naso Tomis".
  42. ^ Short references in Jerome ( Chronicon , 2033, an. Tiberii 4, an. Dom. 17: "Ovidius poeta in exilio diem obiit et iuxta oppidum Tomos sepelitur") and in Epitome de Caesaribus (I, 24: "Nam [Augustus] poetam Ovidium, qui et Naso, pro eo, quod tres libellos amatoriae artis conscripsit, exilio damnavit").
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  45. ^ Although some authors such as Martin (P. M. Martin, "A propos de l'exil d'Ovide... et de la succession d'Auguste", Latomus 45 (1986), p. 609?11.) and Porte (D. Porte, "Un episode satirique des Fastes et l'exil d'Ovide", Latomus 43 (1984), p. 284?306.) detected in a passage of the Fasti (2.371?80) an Ovidian attitude contrary to the wishes of Augustus to his succession, most researchers agree that this work is the clearest testimony of support of Augustan ideals by Ovid (E. Fantham, Ovid: Fasti. Book IV (Cambridge 1998), p. 42.)
  46. ^ Ex P . 4.13.19?20
  47. ^ The first two lines of the Tristia communicate his misery: Parve ? nec invideo ? sine me, liber, ibis in urbem; ei mihi, quod domino non licet ire tuo!
    Little book ? for I don't begrudge it ? go on to the city without me; Alas for me, because your master is not allowed to go with you!
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オウィディウス作品の近代語への?? [ 編集 ]

日本語?一? [ 編集 ]

現存する作品名は以下(下記は?書)

英語?書 [ 編集 ]

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  • Ryan, M. B.; Perkins, C. A. (ed.), Ovid's Amores, Book One: A Commentary (Norman: University of Oklahoma Press, 2011) (Oklahoma Series in Classical Culture, 41).
  • Tarrant, R. J. (ed.), P. Ovidi Nasonis Metamorphoses (Oxford: OUP, 2004) (Oxford Classical Texts).
  • Anderson, W. S., Ovid's Metamorphoses, Books 1-5 (Norman: University of Oklahoma Press, 1996).
  • Anderson, W. S., Ovid's Metamorphoses, Books 6-10 (Norman: University of Oklahoma Press, 1972).
  • Kenney, E. J. (ed.), P. Ovidi Nasonis Amores, Medicamina Faciei Femineae, Ars Amatoria, Remedia Amoris (Oxford: OUP, 1994 2 ) (Oxford Classical Texts).
  • Ramirez de Verger, A. (ed.), Ovidius, Carmina Amatoria. Amores. Medicamina faciei femineae. Ars amatoria. Remedia amoris. (Munchen & Leipzig: Saur, 2006 2 ) (Bibliotheca Teubneriana).
  • Dorrie, H. (ed.), Epistulae Heroidum / P. Ovidius Naso (Berlin & New York: de Gruyter, 1971) (Texte und Kommentare ; Bd. 6).
  • Fornaro, P. (ed.), Publio Ovidio Nasone, Heroides (Alessandria: Edizioni del'Orso, 1999)
  • Alton, E.H.; Wormell, D.E.W.; Courtney, E. (eds.), P. Ovidi Nasonis Fastorum libri sex (Stuttgart & Leipzig: Teubner, 1997 4 ) (Bibliotheca Teubneriana).
  • Goold, G.P., et alii (eds.), Ovid, Heroides, Amores; Art of Love, Cosmetics, Remedies for Love, Ibis, Walnut-tree, Sea Fishing, Consolation; Metamorphoses; Fasti; Tristia, Ex Ponto , Vol. I-VI, (Cambridge, Massachusetts/London: HUP, 1977-1989, revised ed.) (Loeb Classical Library)
  • Hall, J.B. (ed.), P. Ovidi Nasonis Tristia (Stuttgart & Leipzig: Teubner 1995) (Bibliotheca Teubneriana).
  • Richmond, J. A. (ed.), P. Ovidi Nasonis Ex Ponto libri quattuor (Stuttgart & Leipzig: Teubner 1990) (Bibliotheca Teubneriana).

?考文? [ 編集 ]

日本語文? [ 編集 ]

主に、高橋宏幸「オウィディウス」の節

外?語文? [ 編集 ]

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  • Richard A. Dwyer "Ovid in the Middle Ages" in Dictionary of the Middle Ages, 1989, pp. 312?14
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外部リンク [ 編集 ]