?川家の?主が
?一位
右大臣
に?任され、
征夷大?軍
に補されて260余りの武家
大名
と主??係を結び、彼らを統制するという制度は、
1600年代
後半までに確立された。その?軍の
政府
を「
幕府
」、臣?している大名家を「
藩
」、さらに?者が複合した
?力
の?制を「
幕藩?制
」と一般に呼んでいる。ただし、「幕府」及び「藩」の語は
幕末
期に?く使用され、現在も?史用語として定着しているものの、江?時代を通じて使用されていたわけではない。それまでは、?軍の政府は「
公儀
」?「公?」などと漠然と呼ばれていた
。
幕府の始期及び終期については諸?あるが、征夷大?軍の任官時期に着目する場合には、家康がはじめて?軍職に任じられた1603年
3月24日
(慶長8年
2月12日
)から、いわゆる
王政復古の大?令
によって15代?軍
?川慶喜
の?軍職?任が勅許され、?せて幕府の?止が宣言された1868年
1月3日
(慶?3年
12月9日
)までとなる。終期には他にも
1867年
11月9日
(慶?3年
10月14日
)に慶喜が
大政奉還
を行った時、1868年
5月3日
(慶?4年/
明治
元年
4月11日
)の
江?開城
とする?もある。
?川?軍家
が?質的に日本を支配した、この260年あまりの期間を一般に「江?時代」と呼ぶ。江?幕府は日本の?史上、
鎌倉幕府
及び
室町幕府
に?く武家政?である
[2]
。
幕府の支配?制は幕藩?制と呼ばれ、?軍の政府である幕府と、?軍と主??係を結んだ大名の政府である
藩
で構成されていた。?軍は大名に?して
朱印?
を?えてその
知行
を保障し、大名は?該知行?において?自に統治を行う?限を一定程度有した。幕府は「公儀」として??全?の統治を行うとともに、自らも1大名として領分(
天領
?御領)を支配し、
京都所司代
、
大坂城代
、
遠?奉行
、
郡代
?
代官
などの地方官を設置した。
江?幕府の支配では、?軍と大名の主??係を確認するための
軍役
として、各藩大名に?して
?勤交代
や、築城?
治水工事
などの
手?普請
が課せられた。
なお、「藩」の語が公?として用いられるようになったのは明治時代のことで、公文書では「領」「領分」、あるいは「領知」などが使用された。公?としての藩は、1868年(明治元年)に公布された
政?書
によって設けられ、
1871年
(明治4年)の
?藩置?
によって?止された。
江?幕府では?力の集中を避けるため主要な役職は複?名が配置され、一か月交代で政務を??する月番制を導入し、重要な決定は合議を原則とした。常置の最高職である老中及び臨時に置かれる
大老
、その補佐役である
若年寄
は
譜代大名
から選任され、
大目付
?三奉行(
寺社奉行
?
町奉行
?
勘定奉行
)等の要職には譜代あるいは
旗本
が充てられて?務を?った。幕府組織は後期にはその全貌の把握が困難であるほど巨大化?複?化し、幕末の
慶?の改革
では老中の月番制を?止して、??事務??計?外??
陸軍
?
海軍
の各?裁を?務する等の改革が行われた。
幕府の政策決定は、?軍?幕閣(老中?若年寄)??務吏僚(大目付?三奉行等)、
取次
?補佐を行う?軍の側近である
御側用人
や
御側衆
、幕閣のサ?ビススタッフである
?右筆
や
同朋衆
により運?された。
基本的な流れとしては?務吏僚から?げられた議案を幕閣が審議した上で、側近を介して?軍が決裁を行った。また親政や側用人政治の場合は、幕閣を?ずに直接議案が側近に持ち?まれ、?軍が決裁するため幕閣の役割は形骸化した。これとは別に?軍が直接意見を聞くため、?務吏僚を呼び出して直接諮問する事もあった。
軍事制度は?川家?主?征夷大?軍として江?在住の旗本、及び各地に封じられた譜代大名や外?大名を指揮?統率した。
番方
[注? 1]
と呼ばれる平時編制の直轄部隊として、
五番方
(
書院番
?
小姓組
?
大番
?
新番
?
小十人組
)や、
徒組
?
百人組
?
先手組
?
持組
を有した。大番?書院番は??の備として運用され、その他は?軍や大御所らの旗本備を形成した。有事には軍役として諸大名?旗本を動員して?十万の軍勢を?えた。幕府直轄の軍事施設としては江?城以外に大坂城?駿府城?甲府城等があり、譜代大名や旗本による城代?定番?在番?加番?勤番が置かれた。
有事の際には該?地域に10万石前後の譜代大名がいる場合は周?の外?大名を指揮下に置くが、いない場合は江?から上使として指揮官が派遣された。しかしながら外?大名の石高が譜代大名より大きい場合は、その統制に困難を生じることがあった。前記の場合は何れも幕府の裁可を必要としたが、大坂城代は有事の際には??での行動が特に許されていた。
これらの軍事制度は、島原の?前後までは大砲の導入等の軍事改革が行われたが、太平の世によりその必要性も減少した結果、17世紀前半の軍制を19世紀まで維持し?けた。しかし外?勢力の?航による軍事危機に直面した幕末には、?力の骨幹を成した侍の弛緩?疲弊、財政?化や社?の?化?疲弊による??の動員制度の破綻、制度?武器??育といったあらゆる面での?れから、西洋式軍隊の導入が唱えられ、新たに
幕府海軍
?
幕府陸軍
が創設された。ただしこれら新たな軍隊と??の番方は?存した?況が?き、後者の?質的な解?は幕府が終焉を迎える直前の
慶?の改革
時になった。
大名は以下のように分類された。
- 親藩
:?川家の一族
- 譜代大名
:
?ヶ原の?い
以前から?川家に仕えていた大名家
- 外?大名
:?ヶ原の?い以降から?川家に仕え始めた大名家(?ヶ原の?いで西軍として?った
豊臣
系大名も含む)
この分類は、政??の?力において大きな差となっていた。特に、幕府の要職に全て譜代大名をもって充てた事は、鎌倉幕府、室町幕府からの大きな?換であった。鎌倉?室町幕府においては、時によっては?軍家?
執?
すらしのぐほどの有力
御家人
?
守護大名
が要職に就いていた。また、
豊臣政?
末期の
五大老
制は、有力大名による集?指導?制であり、外?大名である?川家康の政?簒奪を防ぐことができなかった。これに?して、江?幕府では譜代大名が幕府の要職を?占していた。元?は豊臣政?時代に一大名に過ぎなかった家康のさらに臣下であった譜代大名は、さほど有力ではない小大名が中心であり、?川家以外の他の有力大名は、地方を統治する外?大名として中央政?の要職に就くことが無くなった。つまり、?軍個人の?裁?制ではないものの、?川家という?組において?裁?制を敷いていたのである。またこのことにより、あまり政治に??しなかった?軍であっても、幕閣の完全な傀儡になることはなく、政?の簒奪も未然に防止することが可能となった。
しかしながらこれは、親藩や有力外?大名が幕閣よりも「目上の立場」になる事を意味し(例えば
井伊家
は譜代大名筆頭であるが、外?大名筆頭の
前田家
や、
御三家
?
御三卿
よりは下の席次であった)、幕末期において問題点として噴出する事となった。?時の大老である
井伊直弼
は??をもって
反?者を??した
が、その報復である
?田門外の?
に倒れ、以降の江?幕府は諸大名の統制が困難になり、大政奉還及び江?開城を迎える事となった。
御側御用取次はもともと高級旗本の役職だったが、?命後ある程度の時を?てから大名に取り立てられる場合が多かった。
以上が幕政の首?。このうち
「幕閣」
と呼ばれたのは
大老?大老格と老中?老中格
で、側用人?御側御用取次は時代や個人によってその?限に大きな差があった。
諸太夫役と布衣役を『天保年間諸役大?順』に?って列記、これに支配?係と
伺候席
を?考として添えた。なお『諸役大?』に記載があるものの、それが役職であるか世襲職であるかが不明瞭なもの (
林家
が代?勤めた
大?頭
など)についてはこれを省いた。
?軍━┳━大老
┃
┣━老中━━━━┳━御側衆
┃ ┃
┣━御側用人 ┣━留守居━━━━━━━━━━┳━留守居公用人
┃ ┃ ┃
┣━御側御用取次┃ ┣━留守居祐筆
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┗━御庭番┃ ┣━留守居?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━留守居同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━具足奉行━━━━━┳━具足奉行組頭
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━具足奉行同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?砲玉?奉行━━━┳━?砲玉?組頭
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━?砲玉?同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━掃除の者
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?砲??奉行━━━┳━大??方?砲??奉行組頭
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━大??方?砲??奉行同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━小??方?砲??奉行組頭
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━小??方?砲??奉行同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━弓矢槍奉行━━━━┳━弓矢槍奉行組頭
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━弓矢槍奉行同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━幕奉行━━━━━━┳━幕奉行同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━幕奉行中間
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━富士見??番頭━━┳━富士見??番組頭
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━富士見??番衆
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━天主番頭━━━━━┳━天主番組頭
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━天主番衆
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━裏門切手番頭━━━━━━裏門切手同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━御台??敷番頭━━━━御台??敷番衆━━━━┳━御台??敷伊賀者
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━御台??敷進上番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━御簾中??敷番頭━━━御簾中??敷番衆━━━┳━御簾中??敷伊賀者
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━御簾中??敷進上番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━進物取次番頭━━━━━進物取次番━━━━━━━━進物取次下番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━伊賀衆組頭━━━━┳━?敷添番
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━伊賀衆
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━明屋敷番伊賀者組頭━━明屋敷番伊賀者
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━明屋敷番調役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━明屋敷番勘定役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?火之番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━中間頭━━━━━━━━中間組頭━━━━━━━━━中間
┃ ┃
┃ ┣━高家━━━━━━━━━━━┳━高家肝煎
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━表高家
┃ ┃
┃ ┣━御三卿家老
┃ ┃
┃ ┣━大番頭━━━━━━━━━━┳━大番組頭━━━━━━━大番衆
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━大番頭?力━━━━━━大番頭同心
┃ ┃
┃ ┣━江?町奉行━━━━━━━━┳━町奉行所?力━━━┳━??力━━━━━━━━━━用部屋手付同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━年番方?力━━━━━━┳━年番方同心
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┗━年番方物書同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━本所方?力━━━━━━┳━本所方同心
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┗━本所方水主
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━養生所見廻り?力━━━━━養生所見廻り同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━牢屋見廻り?力━━━━━━牢屋見廻り同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━吟味方?力(吟味?力)━━吟味方同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━赦帳撰要方人別帳掛?力━━赦帳撰要方人別帳掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━高積見廻り?力━━━━━━高積見廻り同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━町火消人足改?力━━━━━町火消人足改同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━風烈廻り?夜廻り?力━━━風烈廻り?夜廻り同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━例繰方?力━━━━━━━━例繰方同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━町?所掛?力━━━━━━━町?所掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━定橋掛?力━━━━━━━━定橋掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━古銅吹所見廻り?力━━━━古銅吹所見廻り同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━市中取締諸色調掛?力━━━市中取締諸色調掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━猿屋町?所見廻り?力━━━猿屋町?所見廻り同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━御肴?物御鷹餌耳掛?力
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━諸問屋組合再興掛?力━━━諸問屋組合再興掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━非常取締掛?力━━━━━━非常取締掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━人足寄場定掛?力━━━━━人足寄場定掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━硝石?所見廻り?力━━━━硝石?所見廻り同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━外?掛?力━━━━━━━━外?掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━開港掛?力━━━━━━━━開港掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━町兵掛?力━━━━━━━━町兵掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━?番方?力━━━━━━━━?番方同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━御?益御仕法度掛?力━━━御?益御仕法度掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━諸色潤?掛?力━━━━━━諸色潤?掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━諸色値下掛?力━━━━━━諸色値下掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━外?人居留地掛?力━━━━外?人居留地掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━町奉行所同心━━━━━┳━?密廻り同心━━━━━┳━目明し
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┗━岡引━━━━━下引
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━定町廻り同心━━━━━┳━目明し
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┗━岡引━━━━━下引
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━臨時廻り同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━下馬廻り同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━門前廻り同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━御出座御帳掛同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━定?役同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━引纏役同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━定中役同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━?組姓名掛同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━中間━━━━━小者
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━牢屋奉行━━━━━┳━牢屋同心━━━━━━━┳━鍵役
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┣━?役
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┣━打役
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┣━小頭
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┣━世話役
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┣━書役━━━━━━━━━┳━本牢?番
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗━百姓牢?番
┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃ ┗━━━━━━━━━━━━━━牢屋下男
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━牢屋?師
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━本所道役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━小石川養生所
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━江?町年寄━━━━━━江?町名主━━━━━━━━自身番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━江?町地割役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━江?町火消
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━穢多頭━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━穢多
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━非人頭━━━━━━━━━━非人
┃ ┃
┃ ┣━大坂定番━━━━━━━━━┳━大坂破損?材木奉行━━大坂破損?材木奉行手代
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━大坂具足奉行━━━━━大坂具足奉行同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━大坂?砲方━━━━━━大坂?砲方同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━大坂弓矢奉行━━━━━大坂弓矢奉行同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━大坂?砲奉行━━━━━大坂?砲奉行同心
┃ ┃
┃ ┣━大坂加番
┃ ┃
┃ ┣━大坂城目付
┃ ┃
┃ ┣━大坂船手━━━━━━━━━┳━大坂船手?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━大坂船手水主
┃ ┃
┃ ┣━大坂町奉行━━━━━━━━━━大坂町奉行所?力━┳━同心支配?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━寺社役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━地方役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━川役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━石役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━金役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━酒改方?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━御?目付?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━普請役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━小買物役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━??役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?割符?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━極印役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━火消役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?賊改?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━闕所役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━遠?役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━定町廻?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━唐物方?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━流人役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━目安?文役?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━牢扶持改?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━大坂町奉行所同心━━━┳━加役銅座俵物掛同
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━諸御用調役同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━加役箱館?所掛同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━加役箱館産物?所掛同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━兵庫西宮上ヶ知方同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━物書役同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?賊所御役所定詰方同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━?賊捕方同心
┃ ┃
┃ ┣━勘定奉行━━━━━━━━━┳━勘定組頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━鷹野方組頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━本所牢屋敷取締役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━留役勘定組頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━評定所番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━評定所留守居
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━金奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━切手手形改
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━林奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━油漆奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━川船改役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━大坂金奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━大坂?奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━二??奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━禁裡入用取調役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━金座
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━銀座
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━銅座
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?座
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?鍮座
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━朱座
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?座
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━郡代
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━代官
┃ ┃
┃ ┣━勘定吟味役━━━━━━━━━━勘定吟味役改役━━━━勘定吟味役改役?━━━━━勘定吟味役下役━━━━━━?分出役
┃ ┃
┃ ┣━作事奉行━━━━━━━━━┳━京都大工頭━━━━━━京都大工棟梁━━━━━━━京都大工
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━大工頭━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━大工役の者
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━作事下奉行━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━作事下奉行手代
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━作事下奉行書役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?奉行━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━?奉行手代
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━??門番人
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━細工所頭━━━━━┳━細工所組頭━━━━━━━━細工所同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━細工所勘定役頭取━━━━━細工所勘定役
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━細工所勘定改役
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━細工方改役━━━━━━━━細工方抱入
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━作事方被官━━━━┳━作事方勘定役
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━作事方小役
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━作事方手代
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━作事方書役
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━作事方定普請同心組頭━━━作事方定普請同心
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━作事方手大工組頭━━━━━作事方手大工世話役
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━作事方定小屋門番人
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━?棟梁
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━作事方大棟梁
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┣━大鋸棟梁
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━小細工奉行━━━━━━━━小細工奉行手代
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━瓦奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━植木奉行━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━植木奉行手代
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┗━植木奉行同心
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━作事方庭作
┃ ┃
┃ ┣━普請奉行
┃ ┃
┃ ┣━小普請支配
┃ ┃
┃ ┣━旗奉行
┃ ┃
┃ ┣━槍奉行━━━━━━━━━━━━八王子千人頭━千人同心組頭━千人同心
┃ ┃
┃ ┣━留守居番
┃ ┃
┃ ┣━大目付━━━━━━━━━━┳━闕所物奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━肝煎坊主
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━宗門改加役人別帳改
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━道中奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━服忌令分限帳改
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━日記帳改
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━十里四方?砲改
┃ ┣━交替寄合
┃ ┃
┃ ┣━駿府城代━━━━━━━━━┳━駿府武具奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━駿府定番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━駿府城定番目付
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━久能山?門番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━久能山?門番目代
┃ ┃
┃ ┣━駿府加番
┃ ┃
┃ ┣━駿府町奉行
┃ ┃
┃ ┣━禁裡付
┃ ┃
┃ ┣━仙洞付
┃ ┃
┃ ┣━京都町奉行━━━━━━━━┳━京都町奉行所?力
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━?色
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━穢多年寄
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━悲田院年寄
┃ ┃
┃ ┣━伏見奉行
┃ ┃
┃ ┣━長崎奉行
┃ ┃
┃ ┣━奈良奉行
┃ ┃
┃ ┣━伊勢山田奉行
┃ ┃
┃ ┣━日光奉行━━━━━━━━━━━東叡山目代
┃ ┃
┃ ┣━堺奉行
┃ ┃
┃ ┣━浦賀奉行
┃ ┃
┃ ┣━新潟奉行
┃ ┃
┃ ┣━佐渡奉行
┃ ┃
┃ ┣━箱館奉行
┃ ┃
┃ ┣━羽田奉行
┃ ┃
┃ ┣━甲府勤番支配
┃ ┃
┃ ┣━表?師
┃ ┃
┃ ┗━??師
┃
┣━若年寄━━━┳━御?敷用人
┃ ┃
┃ ┣━?奇屋坊主頭
┃ ┃
┃ ┣━同朋頭━━━━━━━━━━━━?坊主頭
┃ ┃
┃ ┣━馬?方
┃ ┃
┃ ┣━召馬預
┃ ┃
┃ ┣━馬預━━━━━━━━━━━┳━馬方
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━馬飼小頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━野馬奉行
┃ ┃
┃ ┣━書物奉行
┃ ┃
┃ ┣━駒場?園預
┃ ┃
┃ ┣━小石川?園奉行
┃ ┃
┃ ┣━吹上奉行━━━━━━━━━━━吹上添奉行
┃ ┃
┃ ┣━浜御殿奉行━━━━━━━━━━浜御殿添奉行
┃ ┃
┃ ┣━膳奉行
┃ ┃
┃ ┣━賄頭
┃ ┃
┃ ┣━膳所台所頭
┃ ┃
┃ ┣━?膳所台所頭
┃ ┃
┃ ┣━表台所頭
┃ ┃
┃ ┣━西の丸膳所台所頭
┃ ┃
┃ ┣━西の丸表台所頭
┃ ┃
┃ ┣━歌?者
┃ ┃
┃ ┣━典?頭
┃ ┃
┃ ┣━表番外科
┃ ┃
┃ ┣━表番?師
┃ ┃
┃ ┣━?外科
┃ ┃
┃ ┣━?鍼治
┃ ┃
┃ ┣━??師
┃ ┃
┃ ┣━?口科?師
┃ ┃
┃ ┣━?眼科?師
┃ ┃
┃ ┣━寄合?師
┃ ┃
┃ ┣━御目見?師
┃ ┃
┃ ┣━小石川養生所?師
┃ ┃
┃ ┣━天文方
┃ ┃
┃ ┣━林大?頭
┃ ┃
┃ ┣━?問所奉行━━━━━━━━━━?問所詰儒者
┃ ┃
┃ ┣━蕃書調所頭取
┃ ┃
┃ ┣━?儒者
┃ ┃
┃ ┣━表祐筆組頭
┃ ┃
┃ ┣━?祐筆組頭
┃ ┃
┃ ┣━進物番
┃ ┃
┃ ┣━腰物奉行
┃ ┃
┃ ┣━納?頭
┃ ┃
┃ ┣━西の丸諸役━━━━━━━━┳━西の丸留守居
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━西の丸裏門番頭
┃ ┃
┃ ┣━御三卿付諸役
┃ ┃
┃ ┣━屋敷改?新地改(新地奉行)
┃ ┃
┃ ┣━二の丸留守居
┃ ┃
┃ ┣━船手頭
┃ ┃
┃ ┣━召船役
┃ ┃
┃ ┣━中川番
┃ ┃
┃ ┣━火付?賊改
┃ ┃
┃ ┣━徒頭
┃ ┃
┃ ┣━小十人頭
┃ ┃
┃ ┣━鳥見組頭
┃ ┃
┃ ┣━鷹匠支配
┃ ┃
┃ ┣━出火之節見廻役
┃ ┃
┃ ┣━本所深川出火之節見廻役
┃ ┃
┃ ┣━使番
┃ ┃
┃ ┣━目付━━━━━━━━━━━┳━徒目付組頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━小十人目付組頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━中間目付
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━貝役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━押太鼓役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━掃除頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━提?奉行
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━中間頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━駕籠頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━??頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━小人頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━表火之番組頭
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━玄?番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━中の口番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━?奏屋敷番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━浜吟味役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━小普請方改役
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━二の丸火之番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━台所番
┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┗━━━━━━━━━━━━目付支配無役世話役
┃ ┃
┃ ┣━定火消役
┃ ┃
┃ ┣━先手弓頭
┃ ┃
┃ ┣━先手?砲頭
┃ ┃
┃ ┣━?砲方
┃ ┃
┃ ┣━持筒頭
┃ ┃
┃ ┣━持弓頭
┃ ┃
┃ ┣━?砲百人組頭
┃ ┃
┃ ┣━小納?頭取
┃ ┃
┃ ┣━小姓頭取
┃ ┃
┃ ┣━中?番
┃ ┃
┃ ┣━中?小姓
┃ ┃
┃ ┣━小姓組番頭
┃ ┃
┃ ┣━書院番頭
┃ ┃
┃ ┣━新番頭
┃ ┃
┃ ┣━小普請奉行
┃ ┃
┃ ┣━?詰衆
┃ ┃
┃ ┣━講武所奉行
┃ ┃
┃ ┣━材木石奉行
┃ ┃
┃ ┗━軍艦操練所頭取
┃
┣━奏者番
┃
┣━寺社奉行━━┳━吟味物調役
┃ ┃
┃ ┣━紅葉山火之番
┃ ┃
┃ ┣━紅葉山御宮御?屋付坊主
┃ ┃
┃ ┣━紅葉山高盛坊主
┃ ┃
┃ ┣━紅葉山掃除之者組頭
┃ ┃
┃ ┣━神道方
┃ ┃
┃ ┣━?人方
┃ ┃
┃ ┣━連歌師
┃ ┃
┃ ┣━碁所
┃ ┃
┃ ┣━?棋所
┃ ┃
┃ ┗━大西慶梧役
┃
┣━京都所司代━┳━京都郡代
┃ ┃
┃ ┣━二?城門番之頭
┃ ┃
┃ ┣━二?城御殿預
┃ ┃
┃ ┗━二?城?砲奉行
┃
┗━大坂城代
江?幕府を開府した初代?軍??川家康は、
1605年
(慶長10年)に?軍職を子の
?川秀忠
に?り
大御所
となり、
駿府城
に?居城を構えた。
大御所となった後も家康は現役?軍の?威に配慮しつつも政治を主導し
大御所政治
を行った。
主に西?政策(
朝廷
や豊臣家、
西?
大名との??)を中心に、外交??政への指示、法令起草など江?幕府と連携した政策が行われた
[4]
。
1616年
(
元和
2年)の家康の死去により政?は江?(?軍 秀忠)に統一された。
- 主な幕閣
[5]
- 新?譜代
- 近習出頭人
- 僧侶
- ?者
- 豪商
- 外?人顧問
駿府政?下では、豊臣家との
大坂の陣
、以心崇?による
武家諸法度
、
禁中?公家諸法度
起草など江?幕府の支配?制が築き上げられた
[6]
。
幕府
御金改役
の
後藤庄三?光次
が著した
駿府政事?
が?されている。
- 江?政?(江?幕府)
秀忠の居る江?では主に
東?
に?する政策を行った
[7]
。秀忠が政治を?際に取り仕切るようになったのは家康の死後からである。一方で、幕府?の軍?は秀忠により???統制され、財政も段階的に駿府から江?へ移管された。
幕閣では主に譜代が登用された。
以下に述べる?容は
跡部信
が提唱した初期の幕府が大坂へ移?する計?があったする論だが、?時の幕府がこのような移?を正式に表明した史料は無く、また2022年の段階では定?でもない。
結果的に?川幕府は
武??
の
江?
に本?を置くことになったが、?川家にとってこれは不本意なものであった。
大坂夏の陣
終了直後の
元和
元年(1615年)6月、?川家康は
大坂
を?軍?
秀忠
の居城とし政?の本?地とする考えを示した
。
天正
18年(1590年)、?川氏は
豊臣秀吉
の命令により
?東
?
?羽
??のため
東?
に?封されていたが、豊臣氏の滅亡によって東?を本?地とする理由を喪失していた
。
大坂は
太田牛一
が『
信長公記
』?13で「そもそも大坂は日本一の境地」であり、
堺
?
奈良
?
京都
に近く四方を山に?まれ要塞堅固なうえ、
明
?
朝鮮
?
南?
から貿易船が?航し、
五畿七道
の産物が集まり??力の秀でた都市、と記すように近世初頭の日本において最重要の地であった
[11]
。
永?
13年/
元?
元年(1570年)、
織田信長
は
西?
攻略の?点として
大坂本願寺
に土地の明け渡しを求め、これを拒否した本願寺と10年間にわたって
??
が行われ
[12]
、信長の後?者の豊臣秀吉は政治?????外交流?軍事の要衝である大坂を本?として
天下
統一を成し遂げていた
[13]
。また秀吉は大坂?京都?
伏見
の3都市によって、中世の?園制に立脚した市場構造とは異なる新たな中央市場?を確立しており、その重要性はさらに?していた
[14]
。だが、この最初の大坂幕府構想は翌元和2年(1616年)の家康の死?により中絶することになった
。
一度は?念した幕府の大坂移?構想だったが、公武合?政?の樹立を念願とする秀忠によって再び動き出した
。
元和5年(1619年)、大坂城代を務めていた
松平忠明
が
大和?
郡山藩
に?替され、幕府は大坂を
直轄地
とした
。その後
藤堂高虎
、
小堀遠州
の主導のもと大坂城を幕府の新たな?点とすべく再築が進められ
、長期に及ぶ
天下普請
の末?永5年(1628年)に新たな大坂城が完成した
[20]
。
一方で朝廷と幕府による公武合?構想は迷走していた。幕府による公武合?構想は?に家康の時代から秀忠と
江
の女、
和子
を後水尾天皇に入?させる計?が進んでいた。家康は後水尾天皇と和子の間に生まれるであろう皇子に皇位?承させ、?川家が天皇の外戚になろうと目論んでおり、慶長19年(1614年)には和子の入?が決定した。しかし元和2年の家康の死?に?いて元和3年(1617年)の
後陽成上皇
の薨去で和子の入?は一旦延期されることになった
。
その後、和子の入?が元和5年(1619年)に行われることが改めて決定したが
、元和4年(1618年)後水尾天皇と
四??津子
の間に後?者となる第一皇子?
賀茂宮
が誕生していた事?は?川家に打?を?え
、再び入?が延期された
。
元和6年(1620年)、ようやく和子の入?が?施され?永3年(1626年)11月には第二皇子?
高仁親王
が誕生した。?に第一皇子の賀茂宮は元和8年(1622年)に夭折しており、?川家が天皇の外戚の地位を得る可能性が高まった
。
?永4年(1627年)4月、後水尾天皇は高仁皇子が4?になれば?位する考えを明らかにした
。更に高仁親王の天皇?位とセットで秀忠?家光父子の大坂城の入城が?永6年(1629年)に予定され、公武合?政?構想の?現は目前に迫っていた
。
しかし?永5年(1628年)6月、高仁親王が3?で夭折。和子がこの年に出産していた皇子も9月に亡くなった。?永6年(1629年)11月、後水尾天皇は和子との間に誕生していた
明正天皇
に?位したが、
女性天皇
であったため?川家の天皇家外戚の地位は一代で終わることが確定し、さらに公武合?構想の推進者である秀忠が大坂城再築後3年で亡くなってしまった
。結果、家康?秀忠が2代にわたっての念願であった公武合?政?構想は頓挫し
、?川幕府は先進地の
畿?
を本?地とすることを?念し、後進地域に本?を据えざるを得なくなった
[26]
[注? 2]
。
- ^
これに?して、財政?司法?行政などの日常の政務に?事する、
寺社
?
町
?
勘定
の三奉行及びその配下の職や?軍家の
家政
に?わる職を
役方
と言った。ただし、番方と役方とは?立した存在ではなく、?者の間には身分の相違があるものでもなく、役方の頭領(
奉行
)の多くは番方出身者で占められているように人事の交流がみられた。
- ^
この東?の後進性の問題はなかなか解消されず、江?中期になっても依然として幕府財政は上方??に依存していたことが指摘されている
[27]
。
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脚注
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2019年9月
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