龍谷大平安の原田英彦監督(63)が、高校時代のライバル校の1?年下の投手で、5日に62?で死去した西武の投手育成アドバイザ?、?川?治(きよかわ?えいじ)さんを悼んだ。

 

原田監督によると、北野中だった?川さんと九?中だった原田監督は中?時代にも????があったという。平安(?時)3年の夏、京都商(現京都先端科?大付)の?し玉だった2年生投手の?川さんの登板により、聖地行きの夢は破れた。

1978年(昭53)の京都大?3回?、2年連?で京都大?を制していた京都商と?たった。

平安は、3年生のエ?ス右腕が投げることを予想していた。原田監督は「メンバ?表見たら、『先???川』って書いてあったんです。『え。何これ』って。そしたら、うちが6人左バッタ?がおったんで平安の左?策として、彼を?してたんですよね。?時の京都商の勝山(五?)監督は」と振り返る。

相手指揮官の策が的中し、2-6で平安は敗れた。京都商は夏の京都大?で3連覇を飾り、甲子園に出場した。

?し玉だった?川さんの登板を「勝山監督は、選手の人柄まで全部知ってはったんですよ。それぐらいその時の平安は?くて、平安を倒さないと甲子園はいけないと思ったから、勝山さんは『ずっと?していた』と。まだ、知られていなかった存在だったけど、?川を少し?手投げにしてね。おまけに左バッタ?の多い?校を選んで試合をしてたと。うちの試合に臨まれて、やっぱり(平安も)苦?したんですよ。まっすぐもいいし、スライダ?もキュッと曲がるし。あれあれっていう間に負けてしまったんですよね。僕は?時の京都商に1、2、3年と3連覇されました。僕らは勝ち目がなかったんですよね」。

原田監督によると、母校の監督就任後の?え子?炭谷銀仁朗が西武入?時に、?川さんのとの再?が?現したという。「炭谷が西武に行って?ってるんですよ。『久しぶり』って。もう本?にね、すごくいいやつなんですよ。本?にいい人間で。確か高校の時に多分母子家庭だったと思うんですよね。僕は小?校の時に新聞配達してましたけど、彼も高校の時に、野球の活動があるのに、新聞配達をしてて。そういうやつやったんですよね。すごくハングリ?精神もあったし。だから、人間的にすごく素晴らしいやつだったですよね。ハ?トも?かったし、のちにね、大阪商業大?に行って、そこからプロの道に行ったので、僕はずっとすごく?援してました」と話した。

24年に?天から西武に復?した炭谷を重ね「今回、銀仁朗が西武に?ったので、どっかでお話ししたいなってずっと思ってたんです。京都出身でね、?がたくさんあるので。彼も僕らも、相?の年?いってますから。あとは、京都野球界のためにね、できたらいいんやないかなって。この年までずっとコ?チしてましたから。やっぱり皆が必要な人間だったんでしょうね、そんなことも思ってたんですけど、非常に?念です」。ともに同?の野球人として汗を流した故人をしのんだ。