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私のMastery for Service|?西?院後援?

OG・OB INTERVIEW

OG・OB INTERVIEW

2018年に阪神タイガ?スがドラフト1位で指名したのは、50メ?トル5秒台の俊足を持つ近本光司選手。
入?後は1年目から?在能力を一?に開花させ、新人では赤星憲?氏以?となる??王を獲得して大活躍。
2020年にはさらなる活躍が期待されている新星、近本選手に、?西?院大?在?中のエピソ?ドやプロへの道を突き進んできた道のりについてお聞きしました。

― まずは?西?院大?に進?された?緯から?えてください。

?西?院大?には以前から憧れがありました。野球のスポ?ツ推薦の出願資格も?しく、個人の?力だけで入れる大?ではありません。?大?準優勝以上とか、地方大?でベスト8以上とか、チ?ムの?績を求められるので難易度が高かったのですが、僕が高校2年生のときに?大?で準優勝を果たしたため、チャンスをつかんで??へ入?できました。

― 入?後の?西?院大?での生活はどんなものだったのですか。

レベルの高い大?に?たから勉?は大?だろうなと思っていました。それでも自分は英語には結構自信を持っていたので、そこそこ通用するんじゃないかとも考えていましたね。それが、1年の春にまず英語の?位を落としたんです(笑)。高校では結構できる方だったのにテスト用紙を見ても全然わからなかった。これは勉?せな、野球より勉?やと焦りました(笑)。

― 1年生の春に、いきなり勉?でつまずいてしまったんですね。

英語以外も大?でした。僕は法?部だったのですが、法?部の授業には難しいものがあって必修科目も一度落としましたね。そこからは本?に頑張りました。授業に?面目に?加するだけじゃなく、授業後に先生によく質問に行きました。わからなかったところを聞いて、「ありがとうございます」ってお?を言って、「近本です」って名前もアピ?ルして。?面目に授業に?加していることも加点になるので、先生の印象は大切です(笑)。まあそのような努力の甲斐あって、2年生の春は一つも?位を落とさずに?みました。これで卒業は大丈夫そうだと安心できたんです。ちなみに卒論は、フランス文?を?究されていた?谷先生のゼミに所?していたこともあって、「フランスで野球を流行させるには」というテ?マで書きました。フランスでは野球はマイナ?スポ?ツなんです。その土地でどんなことをすれば、もっと野球を根付かせることができるかというアイデアを考えてまとめました。

阪神タイガース選手 近本 光司さん

― プロ野球の道に進まれる方も、ほかの?生と同じように勉?にも一生懸命なんですね。

僕の場合は特に、??に入?した時点で??プロ野球選手になれるとは全く思っていませんでしたからね。高校時代にはそれなりに活躍しましたけど、甲子園にも出場していませんし、自分なんかがプロで通用するとはとても思えなかった。だから入?してからは普通に就職することだけを考えていて、商社マンなんかも格好いいかもと想像していました。それで勉?も必死で頑張っていたんです。?西?院大?の硬式野球部で活躍すれば就職に有利だろうな、くらいに考えていました。

野球をしているのは、誰のため?
社?とのつながりを知り、自分が?わった。

― 野球部での思い出についても?えてください。

部活の練習において一番大切にしていたことは、人と同じことをしないことかな。例えば打?練習について言えば、チ?ム全員が同じ練習しかしていなかったら全員打てないことがあるんですよ。みんなが右の上手投げのピッチャ?の?策だけしていたら、試合で突然右の下から投げてくるピッチャ?に?たったときに??できないじゃないですか。人とちょっと違う練習をしておかないと、全員一?になってしまって相手にとってラクな??相手になってしまうんです。それで僕は全?練習が終わった後に、自分でメニュ?を考えて結構ハ?ドなトレ?ニングをして、みんなが打てないときに打てるバッタ?になろうと努力していました。逆に言えば、みんなが打っているときは打てなくてもいいんです。

― ポジションは最初、ピッチャ?だったそうですね。

僕はピッチャ?も野手もどちらもできたんですが、??に入ってからはピッチャ?としての練習をさせてもらっていました。ただハ?ドな練習がたたってよく怪我をしましたね。大?2年生のときに右?と右手首を骨折しました。この??を通して、どうなると怪我をするかということがわかったので、それは一つの?穫ではあったんですが、怪我をしないために心がけることっていうのは、本?に?が遠くなるような努力なんです。怪我の直後は?持ちを引き締めて頑張るんですが、だんだんその辛さを忘れてきた頃にまたやってしまう…。そんなことを繰り返していたこともあり、やっぱりプロは無理だと考えていました。

― しかし、大?3年次にはリ?グ最多の10??を記?してベストナインを獲得するなど活躍され、その?績が評?されて大阪ガスの硬式野球部にスカウトされましたね。

卒業後に野球を仕事にできるとは考えていませんでしたのですごく嬉しかったです。監督からは「大きい企業だから野球を?めたあとも生活に困らないよ」と言われ、入社しようと決めました。このときは少しでも?社に貢?し、日本一になりたいという思いで臨んだんですが、そううまくはいかないものですね。入社1年目はチ?ムが不振で都市?抗野球に出場できなかったんです。僕たち硬式野球部のメンバ?は、いわばこの大?で活躍するために雇ってもらっているのに出場さえできないなんて、自分の存在意義って何だろうと思いました。ほかの社員の方?に申し?ないという?持ちもありました。この頃からですかね。僕の中で野球をすることが「自分のため」だけじゃなくなっていったのは。特に大阪ガスは地域のインフラ企業。地域のお客さんが自社のサ?ビスを利用してくれているからこそ、僕たちが野球できているということも考えるようになり、自分の野球と社?の人?がつながっていることをイメ?ジできるようになっていったんです。そこからは地域の少年野球?を集めて行う野球?室や周?の?掃活動などにも積極的に?加しました。

― 近本選手の中で、何のために野球をするのかが?わってきたんですね。 そして2018年のドラフト?議で阪神タイガ?スから1位指名を受けます。

何度も言いますが、僕は本?に自分がプロでやっていけるとは思っていなかった。でもドラフトで選?肢をいただいたときに立ち止まって考えたんですよ。このまま大阪ガスであと何年かプレイして、その後はこの?社で別の仕事をして生きていく。それはどうなんだろうと。今までは何?なく野球を高校?大?と?けてきて、その道は社?人で終わると思っていたんだけど、このまま終わらせたくないなと思いました。きっとこれまで以上に?しい道を?むことになるだろうけど、プロ野球に入ってできるだけ長く野球に?わって生きていくことをめざそうと決めたんです。

阪神タイガース選手 近本 光司さん
ⓒ阪神タイガ?ス
阪神タイガース選手 近本 光司さん
ⓒ阪神タイガ?ス

― プロの世界というのは、これまでの野球とは全く違いますか。

そうですね。甲子園球場って4万7,000人入るのですが、チャンスで僕に打席が回ってくるじゃないですか。それが凡退で終わると、その4万7,000人が「ああ?」って一?にため息をもらすんですよ。わかります?それを聞くときの?持ち(笑)。でもその一方、打ったときはものすごい。自分がバットを振った瞬間に、球場全部が一つになったようにうわ?っと盛り上がる。快感ですね。僕は昨年の開幕?となった東京ヤクルトスワロ?ズ?で三?打を打ったとき、大??の中でしびれるような感?を味わって、ああ、プロの世界に?たんだと思いました。

― どうしても打てないときもありますよね。

昨シ?ズンで一番?えているのは、中日ドラゴンズの大野さんにノ?ヒットノ?ランをされたことです。そのとき、最後にバッタ?ボックスに立ったのが僕だったんです。なんとしても打たないといけない。正直、ノ?ヒットノ?ランを止めるだけならセ?フティバントでも良かった。でも僕はチ?ムが勝つために打席に立つんだから、打つしかないじゃないですか。あのときの大野さんは本?に調子が良くて、大きな流れを味方につけていた。結果は凡退。ノ?ヒットノ?ランをされるのがこんなに屈辱的なことなんだというのをはじめて味わいました。ただ試合が終わってから、矢野監督が「ノ?ヒットノ?ランでもただの1敗。2敗になるわけでもないから、明日また頑張ろう」と言ってくださって、また前を向くことができました。

阪神タイガース選手 近本 光司さん

勝負の世界では必ずどちらかが勝者でどちらかが敗者ですから、負けに引きずられるのは良くない。僕らはそういったことに一喜一憂せずに、タフに勝負していかないといけない。そしてファンの方が、負けた後でさえ、また阪神タイガ?スの試合を、近本の活躍を見たいって思って球場に足を運んでくださるようなプレ?をしなければいけないと思います。結局それが僕にとってのMastery for Serviceなんです。ファンがいて、地域の方?がいての僕らですから。

― 昨年からプロとしての道を?みはじめた近本選手ですが、ご自身の考えるプロフェッショナルのイメ?ジを?えてください。

なんだろう。一番は自分のことを知っているかどうかじゃないですかね。周りを見ていても自分の良い部分を客?的に理解して挑?できている人というのは?いです。スポ?ツの世界じゃなくても、自分の才能を生かしている人というのは?いし、魅力的じゃないですか。僕自身もそうなりたいなと思っていますが、今はまだ途上という感じ。野球人生の中で、その後の長い人生にもつながっていくような?みを見つけ、それを生かして生きていくことができればと考えています。

― では最後に、?西?院で自己?現に向けて頑張っている後輩たちに何かメッセ?ジをいただけますか。

あまり偉そうなことは言えないんですが、僕は「こうなりたい」というイメ?ジを固めるより、今目の前にあることに全力で取り組んだほうがいいんじゃないかなと思います。僕自身はこれまでそういうことを大切にしてきました。夢とか目標とかを設定すると、1年後にはこうなって、2年後にはこうなって…と過程を考えなきゃいけない。それももちろん大切なことだと思いますが、?際に1年後にそうなれなかったら、モチベ?ションが下がってしまうじゃないですか。必要以上に、自分はダメだと思ってしまう。だからそうじゃなくて、ただ目の前のことをしっかり全力でやるんです。そうすれば、その先はどんどん良い方向へつながっていくんですよ。僕はプロ野球に行くことを目標にしていなかった。ひょっとして目標にしていたらうまくいかなかったかもしれない。ただ??と大?の勉?を頑張ったり、野球部の練習を頑張っていたら、目の前の道が開けていったんですね。だから進路に?んでいる人がいたら、そういう考え方もあるよっていうことを?えたいですね。

PROFILE

近本 光司さん インタビュー風景

近本 光司 KOJI CHIKAMOTO

ちかもと こうじ / 出身は兵庫?淡路市。?親の反?を押し切って野球の?豪校である兵庫?立社高校に進?し、1年生のときからベンチ入りを果たす。?西?院大?では3年次より外野手として活躍し、同年にベストナインを受賞。卒業後は大阪ガス硬式野球部を?て、2018年ドラフト1位指名で阪神タイガ?スに入?。2019年は俊足を生かして活躍し、??王を獲得した。

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