한국   대만   중국   일본 
資治通鑑 - Wikipedia コンテンツにスキップ

資治通鑑

出典: フリ?百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
資治通鑑
資治通鑑

資治通鑑 』(しじつがん、 繁?字 : 資治通鑑 ; 簡?字 : ?治通? ; ?音 : Z?zhi T?ngjian ; ウェ?ド式 : Tzu-chih T'ung-chien )は、 中? 北宋 司馬光 が、 1065年 治平 2年)の 英宗 の詔により編纂して 1084年 元豊 7年)に完成した、 編年? ?史書 [1] 。全294?。もとは『通志』といったが、 神宗 により『資治通鑑』と改名された。『 ?公通鑑 』『 涑水通鑑 』ともいう。

??範?は、 紀元前403年 威烈王 23年)の ? ? の自立による ??時代 の始まりから、 959年 後周 世宗 ?? 6年)の北宋建?の前年に至るまでの1362年間としている [2]

この書は王朝時代には司馬光の名と相まって、高い評?が?えられてきた。また後述のように?際の政治を行う上での?考に供すべき書として作られたこともあり、『 貞?政要 』などと?んで代表的な帝王?の書とされてきた。また近代以後も、司馬光が執筆に用いた史料で?に散逸したものが少なくないため、有力な 史料 と目されている [3]

?容 [ 編集 ]

司馬光は『資治通鑑』の史?を選ぶ時、あえて?時全盛であった『 史記 』『 漢書 』以?の正史の形式である 紀?? を取らず、 編年? とした。これは彼が儒?の?典である『 春秋 』に倣うことを目的としたもので、主?を排し客?を重んじる司馬光の思想によるもの [3] とされるが、それ以外にも後述する?葉一?の?究にあるように?時の紀??史書の欠?を補うために行ったものであるとされている [4]

本書は、はじめは?に「通志」( 南宋 鄭樵 による『 通志 』は別のもの)と呼ばれ、全8?として 1064年 治平 元年)に英宗に上呈された。その後、神宗の代になって「政治上の?考に資するもの(治に資し通じて鑑みる)」という意味合いをもたせて、『資治通鑑』という名を賜った。?容的には、 正史 に記載されていない、 野史 や家?、??などの322種にのぼる豊富な資料に基づいて記載している。とりわけ、 五代 の部分は、 ?陽脩 の『 新唐書 』編纂時に捨て去った史料や、後に?集された資料を?使しているため、正史としての『 ?唐書 』や『新唐書』、『 ?五代史 』?『 新五代史 』と同?に、高い史料的?値を持っている [5]

この司馬光の野史を多く用いた方針は?時としては革新的なものであった。唐代以降、正史を編纂する時は儒??典を丸暗記した史官が儒?道?的に問題がない話を 紀?? で婉曲に書くのが好まれていた。唐?宋の史官は貴族出身の官僚たちばかりだったので、軍人を卑賤にみており、軍人の功績を無視し文官の功績を過大に書き、文官の履?書と上表文を大量に?載している。このように冗長で非現?的な?史著述が行われていた [6] のだが、司馬光は軍事面の史?や民間の野史に?っていた話を多く取り上げている。

司馬光が野史を多く使い、編年?という?時としては流行っていないスタイルで?史を書こうとした理由としては、?史?者 ?葉一? の?究では下記の要因が?げられている。

  • 正史が膨大であり、かつ官僚の履?書と上表文で埋まっているので?史の流れが理解しにくかったこと。このため不要な部分を節略すべきという考えが?時の?者たちの間で議論されていた。司馬光自身も幼少の頃から中?史を?んだが?史の流れの把握に苦心していた。
  • 唐にくらべて宋の科?官僚は民衆出身者が多く、唐以?の貴族による?史著述に不?が持たれていたこと。下記に述べる正史編纂官の偏見は?時の知識人を失望させていた。
  • 正史、特に?代史の紀??では、?史を編纂した勝者の王朝が「善」とされるため、隋の丞相 李淵 が反旗を?し?立して を建?した時も「義兵をあげた」と明らかに不公平な描?がされていたことに?時の人?が不?を持っていたこと。これは?代史では解消できず、全部の?史の流れを編年?で記すしかなかった。例えば 鄭樵 は「隋の家臣に過ぎない李淵の謀反のどこに正統性があるのか?義兵とは何を根?に自分たちは正義だと言い張っているのか?」と批判している。
  • ?時 春秋 ?が?達し、編年?が見直されていたこと

[7]

?時の正史編纂官の偏見については宋の 洪邁 の『容?四筆』?十一に詳しく書かれている [8]

洪邁によると、?時の正史編纂官は「無?なこと、家?の記?、?軍した武?が書いた記?、野史に登場する些細なこと、正統ではない王朝の史?などは、恐らくそれを正史に記載すれば文が汚れます」と言って野史や?軍記、家?を捨て去り儒?道?的に問題のない話ばかりを史書に記載していた。司馬光はそうではなく、大?に野史を使って不道?なことも記載していると述べ、「だから資治通鑑の記事の本末は粲然と輝いており、野史や家?を無視してはいけないということが分かるではないか」と述べている [9]

司馬光が野史を大いに採ったために、結果的に資治通鑑は?酷な描?が多いと言われるようになった。資治通鑑を?究した 桑原?? [10] は資治通鑑の食人描?をもとに史料を集めて有名な「支那人間に於ける食人肉の風習」という論文を書いたほどである [11] 。これは司馬光が上記のような儒?的な曲筆をすべて排除し、正史が排除していた?時の武人の?軍記?や民間人の手記を「政治家の戒めになるもの」として?考にしているためである [12] 。このことからしばしば「通鑑は小?を採る」と言われて批判されたが、元の『 文?通考 』は「唐?五代の記述で野史を多く採用しているのは、司馬光が世を矯正し、?れた中?の風俗をただし、理想の社?を?現しようとしてやったことである。司馬校を誹謗中傷していたくだらない人間たちは司馬光の志を全く理解しようとしていない。悲しいことだ!」と弁護している [13]

逆に文官の功績を?えるために、正史が大量に採用していた文官の詩文や上表文はほとんど整理されてしまった。また、正史が文官の功績を?えるために記していた怪奇現象の類も全て削り、「君臣治??成敗安危の跡」すなわち?史の大きな流れのみを重点的に記すようにした。このことはかなり問題となり、助手劉恕の息子、 劉羲仲 は『通鑑問疑』を著して「淮南王劉安や司馬遷が日月と光を?うとまで褒め?えた 屈原 の『離?』を始めとする文?作品を切り捨て、?代の儒者??者の話も八割がた削除してしまっているのは全くおかしなことだ。また 劉邦 が白蛇を斬ったような怪奇現象は?史著述に必要なもので、それを『資治通鑑』が載せないのはおかしい」と批判して司馬光に?えたが、司馬光は助手に「なかなか良い質問だ」と返答させただけで意に介さなかった。ただ、劉邦の白蛇を斬る話のみ、後に復活させている [14]

また司馬光は、?時の正史が制度史???史を?視していたことを非常に嘆いており、資治通鑑では制度の?遷、??史、天文、地理といった百科全書的な記載も多くしている [15] 。注を行った胡三省は司馬光の百科全書的な記載に驚嘆し、「?公の通鑑を作るや、特にまた治?の跡を紀すのみならんや。??????天文?地理に至っては尤も其の詳を致す。通鑑を?む者は?河の鼠の如し。各おの其の量を充たすのみ。」 [16] と述べている。つまり、?河にネズミが口をつけて水を?み、自分が必要な量の水を?んだら?足して?るようなものだ、そして河はいつまでも?きることがないというのである。

本書の作製方法としては、可能な限りの資料を?集し、それを年月日に整理し直して一つの一大資料集(長編とも呼ばれた)を造り上げるという第一段階。次いでその大資料集を下に、司馬光が治世に役立つもののみを?び取り、『資治通鑑』として完成させるという第二段階があった。

このうち、第一段階は司馬光自身が全て行ったのではなく、漢代はその?門家 劉? (?時の著名な?者であった 劉敞 の弟)が、唐代は司馬光の弟子の 范祖禹 が??し、最も難?とされた南北朝時代は?時の史??究の第一人者 劉恕 が??した。そのため、?時としては最も優れた?史編纂の一つとなった。なお劉恕の史料?集は余りに完璧であったため、司馬光はただ出?上がったものを手にするだけで、自分では何もしなくてもよかったと言わしめたほどである。

司馬光はこの書を編纂するに?たって、編年?を取ったことからも、春秋の書法を相?程度意識している。これらは彼の文集に?る諸書の記述や、?時の著名な春秋?者であった劉敞(劉?の兄)への書簡のやり取りなどからも確認することができる。また、考?が必要な資料に?しては、別に『 通鑑考異 』30?としてまとめられている。同?に、年表として、『 通鑑目? 』30?も用意されている。

受容 [ 編集 ]

北宋時代は『資治通鑑』はそれほど喜ばれず、司馬光が知人に?ませたところ居眠りを始めたほどだったという。また、前述のような革新性を持つ史書だったために、司馬光のやり方を快く思わない者たちが批判をしており、司馬光の政敵だった 王安石 一派の新法?は「『資治通鑑』は政府批判の書だ」と言い出し、まるで認めていなかった。司馬光?後に版木を叩き?そうとする薛??林自なる者さえもいたが、皇帝の序文があったので版木は破?を免れたという [17]

南宋になると知識人の間で『資治通鑑』は?まれるようになったが、 朱熹 は正統について問題があると『資治通鑑』を批判している [18]

むしろ金?元のような 征服王朝 では『資治通鑑』が大?喜ばれ、金が北宋の首都を占領したときに版木を持ち?り、金の 世宗 や元の世祖 クビライ は『資治通鑑』愛?者であった [19] 。 金の世宗は「近ごろ『資治通鑑』を?むと、中??代の興亡が?によく分かり、非常に勉?になる。古の良史より勝っている」と絶?した。またクビライは賈居貞という?者に北方遠征中のパオの中で『資治通鑑』を講義させており、後に『資治通鑑』の略本(通鑑節要)をモンゴル語に??させ、モンゴル族の優秀な?年を集めて『通鑑節要』をモンゴル語で?ばせたという [20]

資治通鑑の影響を受けた史書 [ 編集 ]

本書が以後の中?史?界に?えた影響は非常に大きく、同じく編年?の?史書や、編年?の欠点を補うものとしての 紀事本末? の?史書が相次いで編纂された [21]

これら資治通鑑の影響を受けた史書には大きく分けて2つの系統がある。 まず、 朱熹 の『 資治通鑑綱目 中?語版 』のほか、 袁? 『通鑑紀事本末』のようなダイジェスト本(略本)の系統である。通鑑は浩瀚であるために手頃なダイジェスト版が南宋の頃から『陸?元通鑑』など複?存在していた [22] この『資治通鑑綱目』系の本は 「綱鑑」 (こうかん)と呼ばれ、巷の講?師などがよく種本として用いた。したがって『 三?志演義 』?『 隋唐演義 』などの演義小?ではしばしば資治通鑑の略本「綱鑑」や、あるいは『資治通鑑』本編が引用されることがあると、上田望は指摘している [23]

また、『 十八史略 』も正史と資治通鑑をミックスしたダイジェスト本の一つである [24] 。『 十八史略 』を?補した編集者の 劉剡 は『資治通鑑』の略本を出版していた業者の一人であったことも上田は指摘した [23]

もう一つの系統は 李燾 『?資治通鑑長編』? 畢沅 ?資治通鑑 』? ?以周 ? 秦?業 中?語版 等『?資治通鑑長編拾補』など、『資治通鑑』の?編を意?し、『資治通鑑』で書かれた前の時代、もしくはその後の時代の?史を通鑑にならって書くものである。例えば 陳? の『通鑑?編』は、太古の?史と 王朝の?史を編年?で書いている [25]

後世になると2つの系統をまとめた『通鑑輯?』?『 靖?遺言 』のような史書も書かれるに至った。『通鑑輯?』は?の乾隆帝の勅撰で、?史?者の 趙翼 らに命じて通鑑に加えて太古から明滅亡までの?史を資治通鑑及びその?編の書を元にまとめ、細かい訓??典故?考?を付したものである [26]

『通鑑輯?』を元に、更に『通典』などを元に制度面を補ったのが 那珂通世 の『支那通史』である。ただし『支那通史』は宋滅亡で終わっている [27] 。 『 靖?遺言 』は『資治通鑑』を元にしているが綱鑑系史書?正史でかなり補っており 顔?卿 ? 文天祥 ら忠臣七名の事績を述べたもので、日本の幕末の志士はこぞって?んでいる [28]

また、宋末 初の 胡三省 による本書に?する注?(『資治通鑑音注』、略して「胡注」という)は、記事を補正した上に、さらに異なった史料をも提供しており、本書を?む上での必?の文?であり、『資治通鑑』に付された多くの注の中でも、もっとも優れたものである [29]

構成 [ 編集 ]

全294?。

周紀 [ 編集 ]

秦紀 [ 編集 ]

漢紀 [ 編集 ]

  • ?009 前漢 太祖 :高帝:1年 - 太祖:高帝:2年(BC 206-BC 205)
  • ?010 :太祖:高帝:3年 - 太祖:高帝:4年(BC 204-BC 203)
  • ?011 :太祖:高帝:5年 - 太祖:高帝:7年(BC 202-BC 200)
  • ?012 :太祖:高帝:8年 - ?帝 :7年(BC 199-BC 188)
  • ?013 高后 :1年 - 文帝 :前2年(BC 187-BC 178)
  • ?014 :文帝:前3年 - 文帝:前10年(BC 177-BC 170)
  • ?015 :文帝:前11年 - 景帝 :前2年(BC 169-BC 155)
  • ?016 :景帝:前3年 - 景帝:後3年(BC 154-BC 141)
  • ?017 武帝 :建元1年 - 武帝:元光1年(BC 140-BC 134)
  • ?018 :武帝:元光2年 - 武帝:元朔4年(BC 133-BC 125)
  • ?019 :武帝:元朔5年 - 武帝:元狩4年(BC 124-BC 119)
  • ?020 :武帝:元狩5年 - 武帝:元封1年(BC 118-BC 110)
  • ?021 :武帝:元封2年 - 武帝:天漢2年(BC 109-BC 99)
  • ?022 :武帝:天漢3年 - 武帝:後元2年(BC 98-BC 87)
  • ?023 昭帝 :始元1年 - 昭帝:元鳳6年(BC 86-BC 75)
  • ?024 :昭帝:元平1年 - 宣帝 :地節2年(BC 74-BC 68)
  • ?025 :宣帝:地節3年 - 宣帝:元康4年(BC 67-BC 62)
  • ?026 :宣帝:神爵1年 - 宣帝:神爵3年(BC 61-BC 59)
  • ?027 :宣帝:神爵4年 - 宣帝:?龍1年(BC 58-BC 49)
  • ?028 元帝 :初元1年 - 元帝:永光2年(BC 48-BC 42)
  • ?029 :元帝:永光3年 - 元帝:竟寧1年(BC 41-BC 33)
  • ?030 成帝 :建始1年 - 成帝:陽朔2年(BC 32-BC 23)
  • ?031 :成帝:陽朔3年 - 成帝:永始3年(BC 22-BC 14)
  • ?032 :成帝:永始4年 - 成帝:綏和1年(BC 13-BC 8)
  • ?033 :成帝:綏和2年 - 哀帝 :建平1年(BC 7-BC 6)
  • ?034 :哀帝:建平2年 - 哀帝:建平4年(BC 5-BC 3)
  • ?035 :哀帝:元?1年 - 平帝 :元始2年(BC 2-2)
  • ?036 :平帝:元始3年 - 王莽 :居?3年(3-8)
  • ?037 :王莽:始建?1年 - 王莽:天鳳1年(9-14)
  • ?038 :王莽:天鳳2年 - 王莽:地皇3年(15-22)
  • ?039 淮陽王 :更始1年 - 淮陽王:更始2年(23-24)
  • ?040 後漢 光武帝 :建武1年 - 光武帝:建武2年(25-26)
  • ?041 :光武帝:建武3年 - 光武帝:建武5年(27-29)
  • ?042 :光武帝:建武6年 - 光武帝:建武11年(30-35)
  • ?043 :光武帝:建武12年 - 光武帝:建武22年(36-46)
  • ?044 :光武帝:建武23年 - 明帝 :永平3年(47-60)
  • ?045 :明帝:永平4年 - 明帝:永平18年(61-75)
  • ?046 章帝 :建初1年 - 章帝:元和1年(76-84)
  • ?047 :章帝:元和2年 - 和帝 :永元3年(85-91)
  • ?048 :和帝:永元4年 - 和帝:元興1年(92-105)
  • ?049 ?帝 :延平1年 - 安帝 :元初2年(106-115)
  • ?050 :安帝:元初3年 - 安帝:延光3年(116-124)
  • ?051 :安帝:延光4年 - 順帝 :陽嘉2年(125-133)
  • ?052 :順帝:陽嘉3年 - 沖帝 :永嘉1年(134-145)
  • ?053 質帝 :本初1年 - 桓帝 :永?2年(146-156)
  • ?054 :桓帝:永?3年 - 桓帝:延熹6年(157-163)
  • ?055 :桓帝:延熹7年 - 桓帝:延熹9年(164-166)
  • ?056 :桓帝:永康1年 - ?帝 :建寧4年(167-171)
  • ?057 :?帝:熹平1年 - ?帝:光和3年(172-180)
  • ?058 :?帝:光和4年 - ?帝:中平4年(181-187)
  • ?059 :?帝:中平5年 - ?帝 :初平1年(188-190)
  • ?060 :?帝:初平2年 - ?帝:初平4年(191-193)
  • ?061 :?帝:興平1年 - ?帝:興平2年(194-195)
  • ?062 :?帝:建安1年 - ?帝:建安3年(196-198)
  • ?063 :?帝:建安4年 - ?帝:建安5年(199-200)
  • ?064 :?帝:建安6年 - ?帝:建安10年(201-205)
  • ?065 :?帝:建安11年 - ?帝:建安13年(206-208)
  • ?066 :?帝:建安14年 - ?帝:建安18年(209-213)
  • ?067 :?帝:建安19年 - ?帝:建安21年(214-216)
  • ?068 :?帝:建安22年 - ?帝:建安24年(217-219)

魏紀 [ 編集 ]

  • ?069 文帝 :?初1年 - 文帝:?初3年(220-222)
  • ?070 :文帝:?初4年 - 明帝 :太和1年(223-227)
  • ?071 :明帝:太和2年 - 明帝:太和4年(228-230)
  • ?072 :明帝:太和5年 - 明帝:?龍2年(231-234)
  • ?073 :明帝:?龍3年 - 明帝:景初1年(235-237)
  • ?074 :明帝:景初2年 - 邵陵?公 :正始6年(238-245)
  • ?075 :邵陵?公:正始7年 - 邵陵?公:嘉平4年(246-252)
  • ?076 :邵陵?公:嘉平5年 - 高貴?公 :正元2年(253-255)
  • ?077 :高貴?公:甘露1年 - 元帝 :景元2年(256-261)
  • ?078 :元帝:景元3年 - 元帝:咸熙1年(262-264)

晋紀 [ 編集 ]

  • ?079 西晋 武帝 :泰始1年 - 武帝:泰始8年(265-272)
  • ?080 :武帝:泰始9年 - 武帝:咸寧5年(273-279)
  • ?081 :武帝:太康1年 - 武帝:太康9年(280-288)
  • ?082 :武帝:太康10年 - ?帝 :元康8年(289-298)
  • ?083 :?帝:元康9年 - ?帝:永康1年(299-300)
  • ?084 :?帝:永寧1年 - ?帝:太安1年(301-302)
  • ?085 :?帝:太安2年 - ?帝:永興1年(303-304)
  • ?086 :?帝:永興2年 - ?帝 :永嘉2年(305-308)
  • ?087 :?帝:永嘉3年 - ?帝:永嘉5年(309-311)
  • ?088 :?帝:永嘉6年 - 愍帝 :建興1年(312-313)
  • ?089 :愍帝:建興2年 - 愍帝:建興4年(314-316)
  • ?090 東晋 元帝 :建武1年 - 元帝:太興1年(317-318)
  • ?091 :元帝:太興2年 - 元帝:太興4年(319-321)
  • ?092 :元帝:永昌1年 - 明帝 :太寧1年(322-323)
  • ?093 :明帝:太寧2年 - 成帝 :咸和2年(324-327)
  • ?094 :成帝:咸和3年 - 成帝:咸和6年(328-331)
  • ?095 :成帝:咸和7年 - 成帝:咸康3年(332-337)
  • ?096 :成帝:咸康4年 - 成帝:咸康7年(338-341)
  • ?097 :成帝:咸康8年 - 穆帝 :永和3年(342-347)
  • ?098 :穆帝:永和4年 - 穆帝:永和6年(348-350)
  • ?099 :穆帝:永和7年 - 穆帝:永和10年(351-354)
  • ?100 :穆帝:永和11年 - 穆帝:昇平3年(355-359)
  • ?101 :穆帝:昇平4年 - 海西公 :太和3年(360-368)
  • ?102 :海西公:太和4年 - 海西公:太和5年(369-370)
  • ?103 簡文帝 :咸安1年 - 孝武帝 :寧康3年(371-375)
  • ?104 :孝武帝:太元1年 - 孝武帝:太元7年(376-382)
  • ?105 :孝武帝:太元8年 - 孝武帝:太元9年(383-384)
  • ?106 :孝武帝:太元10年 - 孝武帝:太元11年(385-386)
  • ?107 :孝武帝:太元12年 - 孝武帝:太元16年(387-391)
  • ?108 :孝武帝:太元17年 - 孝武帝:太元21年(392-396)
  • ?109 安帝 :隆安1年(397)
  • ?110 :安帝:隆安2年(398)
  • ?111 :安帝:隆安3年 - 安帝:隆安4年(399-400)
  • ?112 :安帝:隆安5年 - 安帝:元興1年(401-402)
  • ?113 :安帝:元興2年 - 安帝:元興3年(403-404)
  • ?114 :安帝:義熙1年 - 安帝:義熙4年(404-408)
  • ?115 :安帝:義熙5年 - 安帝:義熙6年(409-410)
  • ?116 :安帝:義熙7年 - 安帝:義熙10年(411-414)
  • ?117 :安帝:義熙11年 - 安帝:義熙12年(415-416)
  • ?118 :安帝:義熙13年 - 恭帝 :元熙1年(417-419)

宋紀 [ 編集 ]

  • ?119 劉宋 武帝 :永初1年 - ?陽王 :景平1年(420-423)
  • ?120 文帝 :元嘉1年 - 文帝:元嘉4年(424-427)
  • ?121 :文帝:元嘉5年 - 文帝:元嘉7年(428-430)
  • ?122 :文帝:元嘉8年 - 文帝:元嘉12年(431-435)
  • ?123 :文帝:元嘉13年 - 文帝:元嘉18年(436-441)
  • ?124 :文帝:元嘉19年 - 文帝:元嘉23年(442-446)
  • ?125 :文帝:元嘉24年 - 文帝:元嘉27年(447-450)
  • ?126 :文帝:元嘉28年 - 文帝:元嘉29年(451-452)
  • ?127 :文帝:元嘉30年(453)
  • ?128 孝武帝 :孝建1年 - 孝武帝:大明2年(454-458)
  • ?129 :孝武帝:大明3年 - 孝武帝:大明8年(459-464)
  • ?130 明帝 :泰始1年(465)
  • ?131 :明帝:泰始2年(466)
  • ?132 :明帝:泰始3年 - 明帝:泰始6年(467-470)
  • ?133 :明帝:泰始7年 - 蒼梧王 :元徽3年(471-475)
  • ?134 :蒼梧王:元徽4年 - 順帝 :昇明2年(476-478)

?紀 [ 編集 ]

  • ?135 南? 高帝 :建元1年 - 武帝 :永明1年(479-483)
  • ?136 :武帝:永明2年 - 武帝:永明7年(484-489)
  • ?137 :武帝:永明8年 - 武帝:永明10年(490-492)
  • ?138 :武帝:永明11年(493)
  • ?139 明帝 :建武1年(494)
  • ?140 :明帝:建武2年 - 明帝:建武3年(495-496)
  • ?141 :明帝:建武4年 - 明帝:永泰1年(497-498)
  • ?142 東昏侯 :永元1年(499)
  • ?143 :東昏侯:永元2年(500)
  • ?144 和帝 :中興1年(501)

梁紀 [ 編集 ]

  • ?145 武帝 :天監1年 - 武帝:天監3年(502-504)
  • ?146 :武帝:天監4年 - 武帝:天監6年(505-507)
  • ?147 :武帝:天監7年 - 武帝:天監13年(508-514)
  • ?148 :武帝:天監14年 - 武帝:天監17年(515-518)
  • ?149 :武帝:天監18年 - 武帝:普通4年(519-523)
  • ?150 :武帝:普通5年 - 武帝:普通6年(524-525)
  • ?151 :武帝:普通7年 - 武帝:大通1年(526-527)
  • ?152 :武帝:大通2年(528)
  • ?153 :武帝:大中通1年(529)
  • ?154 :武帝:大中通2年(530)
  • ?155 :武帝:大中通3年 - 武帝:大中通4年(531-532)
  • ?156 :武帝:大中通5年 - 武帝:大中通6年(533-534)
  • ?157 :武帝:大同1年 - 武帝:大同3年(535-537)
  • ?158 :武帝:大同4年 - 武帝:大同10年(538-544)
  • ?159 :武帝:大同11年 - 武帝:中大同1年(545-546)
  • ?160 :武帝:太?1年(547)
  • ?161 :武帝:太?2年(548)
  • ?162 :武帝:太?3年(549)
  • ?163 簡文帝 :大?1年(550)
  • ?164 :簡文帝:大?2年 - 元帝 :承聖1年(551-552)
  • ?165 :元帝:承聖2年 - 元帝:承聖3年(553-554)
  • ?166 敬帝 :紹泰1年 - 敬帝:太平1年(555-556)

陳紀 [ 編集 ]

  • ?167 武帝 :永定1年 - 武帝:永定1年(557-559)
  • ?168 文帝 :天嘉1年 - 文帝:天嘉3年(560-562)
  • ?169 :文帝:天嘉4年 - 文帝:天康1年(563-566)
  • ?170 臨海王 :光大1年 - 宣帝 :太建3年(567-571)
  • ?171 :宣帝:太建4年 - 宣帝:太建6年(572-574)
  • ?172 :宣帝:太建7年 - 宣帝:太建8年(575-576)
  • ?173 :宣帝:太建9年 - 宣帝:太建11年(577-579)
  • ?174 :宣帝:太建12年(580)
  • ?175 :宣帝:太建13年 - 長城公 :至?1年(581-583)
  • ?176 :長城公:至?2年 - 長城公:禎明2年(584-588)

隋紀 [ 編集 ]

  • ?177 文帝 :開皇9年 - 文帝:開皇11年(589-591)
  • ?178 :文帝:開皇12年 - 文帝:開皇19年(592-599)
  • ?179 :文帝:開皇20年 - 文帝:仁?3年(600-603)
  • ?180 :文帝:仁?4年 - 煬帝 :大業3年(604-607)
  • ?181 :煬帝:大業4年 - 煬帝:大業8年(608-612)
  • ?182 :煬帝:大業9年 - 煬帝:大業11年(613-615)
  • ?183 :煬帝:大業12年 - 恭帝 :義寧1年(616-617)
  • ?184 :恭帝:義寧1年(617)

唐紀 [ 編集 ]

  • ?185 高祖 :武?1年(618)
  • ?186 :高祖:武?1年(618)
  • ?187 :高祖:武?2年(619)
  • ?188 :高祖:武?2年 - 高祖:武?4年(619-621)
  • ?189 :高祖:武?4年(621)
  • ?190 :高祖:武?5年 - 高祖:武?7年(622-624)
  • ?191 :高祖:武?7年 - 高祖:武?9年(624-626)
  • ?192 :高祖:武?9年 - 太宗 :貞?2年(626-628)
  • ?193 :太宗:貞?2年 - 太宗:貞?5年(628-631)
  • ?194 :太宗:貞?6年 - 太宗:貞?11年(632-637)
  • ?195 :太宗:貞?11年 - 太宗:貞?14年(637-640)
  • ?196 :太宗:貞?15年 - 太宗:貞?17年(641-643)
  • ?197 :太宗:貞?17年 - 太宗:貞?19年(643-645)
  • ?198 :太宗:貞?19年 - 太宗:貞?22年(645-648)
  • ?199 :太宗:貞?22年 - 高宗 :永徽6年(648-655)
  • ?200 :高宗:永徽6年 - 高宗:龍朔2年(655-662)
  • ?201 :高宗:龍朔2年 - 高宗:咸亨1年(662-670)
  • ?202 :高宗:咸亨2年 - 高宗:開耀1年(671-681)
  • ?203 :高宗:永淳1年 - 武周 武則天 :垂拱2年(682-686)
  • ?204 :武則天:垂拱3年 - 武則天:天授2年(687-691)
  • ?205 :武則天:長?1年 - 武則天:万?通天1年(692-696)
  • ?206 :武則天:神功1年 - 武則天:久視1年(697-700)
  • ?207 :武則天:久視1年 - 中宗 :神龍1年(700-705)
  • ?208 :中宗:神龍1年 - 中宗:景龍1年(705-707)
  • ?209 :中宗:景龍2年 - 睿宗 :景雲1年(708-710)
  • ?210 :睿宗:景雲1年 - 玄宗 :開元1年(710-713)
  • ?211 :玄宗:開元2年 - 玄宗:開元5年(714-717)
  • ?212 :玄宗:開元6年 - 玄宗:開元13年(718-725)
  • ?213 :玄宗:開元14年 - 玄宗:開元21年(726-733)
  • ?214 :玄宗:開元22年 - 玄宗:開元29年(724-741)
  • ?215 :玄宗:天?1年 - 玄宗:天?6年(742-747)
  • ?216 :玄宗:天?6年 - 玄宗:天?12年(747-753)
  • ?217 :玄宗:天?13年 - ?宗 :至?1年(754-756)
  • ?218 :?宗:至?1年(756)
  • ?219 :?宗:至?1年 - ?宗:至?2年(756-757)
  • ?220 :?宗:至?2年 - ?宗:乾元1年(757-758)
  • ?221 :?宗:乾元2年 - ?宗:上元1年(759-760)
  • ?222 :?宗:上元2年 - 代宗 :??1年(761-763)
  • ?223 :代宗:??1年 - 代宗:永泰1年(763-765)
  • ?224 :代宗:永泰1年 - 代宗:大?8年(765-773)
  • ?225 :代宗:大?9年 - 代宗:大?14年(774-779)
  • ?226 :代宗:大?14年 - ?宗 :建中2年(779-781)
  • ?227 :?宗:建中2年 - ?宗:建中3年(781-782)
  • ?228 :?宗:建中4年(783)
  • ?229 :?宗:建中4年 - ?宗:興元1年(783-784)
  • ?230 :?宗:興元1年(784)
  • ?231 :?宗:興元1年 - ?宗:貞元1年(784-785)
  • ?232 :?宗:貞元1年 - ?宗:貞元3年(785-787)
  • ?233 :?宗:貞元3年 - ?宗:貞元7年(787-791)
  • ?234 :?宗:貞元8年 - ?宗:貞元10年(792-794)
  • ?235 :?宗:貞元10年 - ?宗:貞元16年(794-800)
  • ?236 :?宗:貞元17年 - 順宗 :永貞1年(801-805)
  • ?237 憲宗 :元和1年 - 憲宗:元和4年(806-809)
  • ?238 :憲宗:元和4年 - 憲宗:元和7年(809-812)
  • ?239 :憲宗:元和7年 - 憲宗:元和11年(812-816)
  • ?240 :憲宗:元和12年 - 憲宗:元和14年(817-819)
  • ?241 :憲宗:元和14年 - 穆宗 :長慶1年(819-821)
  • ?242 :穆宗:長慶1年 - 穆宗:長慶2年(821-822)
  • ?243 :穆宗:長慶3年 - 文宗 :太和2年(823-828)
  • ?244 :文宗:太和3年 - 文宗:太和7年(829-833)
  • ?245 :文宗:太和8年 - 文宗:開成2年(834-837)
  • ?246 :文宗:開成3年 - 武宗 :?昌2年(838-842)
  • ?247 :武宗:?昌3年 - 武宗:?昌4年(843-844)
  • ?248 :武宗:?昌4年 - 宣宗 :大中3年(844-849)
  • ?249 :宣宗:大中4年 - 宣宗:大中13年(850-859)
  • ?250 懿宗 :咸通1年 - 懿宗:咸通8年(860-867)
  • ?251 :懿宗:咸通9年 - 懿宗:咸通10年(868-869)
  • ?252 :懿宗:咸通11年 - 僖宗 :乾符3年(870-876)
  • ?253 :僖宗:乾符4年 - 僖宗:?明1年(877-880)
  • ?254 :僖宗:?明1年 - 僖宗:中和2年(880-882)
  • ?255 :僖宗:中和2年 - 僖宗:中和4年(882-884)
  • ?256 :僖宗:中和4年 - 僖宗:光啓3年(884-887)
  • ?257 :僖宗:光啓3年 - 僖宗:文?1年(887-888)
  • ?258 昭宗 :龍紀1年 - 昭宗:大順2年(889-891)
  • ?259 :昭宗:景福1年 - 昭宗:乾寧1年(892-894)
  • ?260 :昭宗:乾寧2年 - 昭宗:乾寧3年(895-896)
  • ?261 :昭宗:乾寧4年 - 昭宗:光化2年(897-899)
  • ?262 :昭宗:光化3年 - 昭宗:天復1年(900-901)
  • ?263 :昭宗:天復2年 - 昭宗:天復3年(902-903)
  • ?264 :昭宗:天復3年 - 昭宗:天祐1年(903-904)
  • ?265 :昭宗:天祐1年 - 哀帝 :天祐3年(904-906)

後梁紀 [ 編集 ]

  • ?266 後梁 太祖 :開平1年 - 太祖:開平2年(907-908)
  • ?267 :太祖:開平2年 - 太祖:乾化1年(908-911)
  • ?268 :太祖:乾化1年 - 均王 :乾化3年(911-913)
  • ?269 :均王:乾化3年 - 均王:貞明3年(913-917)
  • ?270 :均王:貞明3年 - 均王:貞明5年(917-919)
  • ?271 :均王:貞明5年 - 均王:龍?2年(919-922)

後唐紀 [ 編集 ]

  • ?272 後唐 ?宗 :同光1年(923)
  • ?273 :?宗:同光2年 - ?宗:同光3年(924-925)
  • ?274 :?宗:同光3年 - 明宗 :天成1年(925-926)
  • ?275 :明宗:天成1年 - 明宗:天成2年(926-927)
  • ?276 :明宗:天成2年 - 明宗:天成4年(927-929)
  • ?277 :明宗:長興1年 - 明宗:長興3年(930-932)
  • ?278 :明宗:長興3年 - 潞王 :?泰1年(932-934)
  • ?279 :潞王:?泰1年 - 潞王:?泰2年(934-935)

後晋紀 [ 編集 ]

  • ?280 後晋 高祖 :天福1年(936)
  • ?281 :高祖:天福2年 - 高祖:天福3年(937-938)
  • ?282 :高祖:天福4年 - 高祖:天福6年(939-941)
  • ?283 :高祖:天福7年 - ?王 :開運1年(942-944)
  • ?284 :?王:開運1年 - ?王:開運2年(944-945)
  • ?285 :?王:開運2年 - ?王:開運3年(945-946)

後漢紀 [ 編集 ]

後周紀 [ 編集 ]

  • ?290 後周 太祖 :?順1年 - 太祖:?順2年(951-952)
  • ?291 :太祖:?順2年 - 太祖:??1年(952-954)
  • ?292 :太祖:??1年 - 世宗 :??3年(954-956)
  • ?293 :世宗:??3年 - 世宗:??4年(956-957)
  • ?294 :世宗:??5年 - 世宗:??6年(958-959)

版本 [ 編集 ]

版本は他の正史と異なり、?欠なども見られず、ほぼ完全に?存している。司馬光の肉筆原稿はほんの一部分しか?っていないが、司馬光生前に木版印刷が計?され、版下の校正も司馬光の意向で行われている。初版本は流石に?らなかったが、重版のものは?存している。

以下、 尾崎康 の?究により?要を述べる [30] 。 資治通鑑は司馬光存命中に木版印刷が作られ、司馬光は版下の校正も行っている。その間、政?が起き司馬光や助手の范祖禹は政界に返り?いたために手が足りなくなったので司馬光自ら「?問があり、暇そうにしている」 ?庭堅 を校?の官にすることを願い出ており、了承されている。ただし、決定稿が完成し版木が出?たのは司馬光?後の元祐元年10月となった。(司馬光は同年9月病?)刊行は元祐7年までずれこんだ。宋の?子監で刊行したから「?子監本」という。この「?子監本」の初刷は現在?っていない。現存最古の本である「紹興本」(紹興三年?漸東路茶?司刊本…南宋の地方政府機?の「?漸東路茶?司」が刊行したもの)は、尾崎によれば「?子監本」の覆刻と推定される。商務印書館の百衲本も紹興本に依?している。紹興本には政府による刻本の他、坊刻本(民間で作られた粗末な刻本)もあり、六種ほど?っている。ただしこの「?子監本」は注がない。 通鑑紀事本末 の宋刊大字本 [31] は「?子監本」に依?しているため、『資治通鑑』の校訂にも使われている。

元の中期、紹興本に 胡三省 の注を付したものが出版された。これを「胡三省音注本」という。この系統では明治時代に津藩の?者だった 山名留三? が訓点を付した「山名本」がよく知られている。これは江?時代に行われた明の 陳仁錫 の校訂本を元にしているようである [32] 。また、?代に胡克家が復刻した「胡克家本」は現在もっともよく?まれている中華書局本『資治通鑑』の底本となっている。中華書局本が出版される前は山名本や百衲本が?究によく用いられていたと 間野?龍 は語っている [33] 。通行本の中華書局本では、「胡克家本」を元に百衲本(紹興本)や『通鑑紀事本末』などの諸本で校訂が行われており、版本の異同は7000箇所に及ぶという。

近年刊行された版本 [ 編集 ]

近年の日本?中?では多?の『資治通鑑』が??されている。ここでは代表的な版本のみを?げる。

  • 百衲本『傅增湘藏百衲本資治通鑑』?西師範大?出版社、2023 出版?明によると「紹興本」系の諸本をまとめたものらしい。
  • 山名本(和刻本, 山名留三?訓点本, 東京:鳳文館, 1884、復刻: 汲古書院 , 1973, 再版2000)
  • 中華書局本 『資治通鑑』 中華書局 初版1956年
  • 『景印文淵閣 四庫全書 』第304冊-第310冊、第311冊目?他( 台北 :台?商務印書館, 1983-1986)

日本語?書 [ 編集 ]

現代日本語?の全?はまだなく、漢文書き下しの「???漢文大成」本が唯一の日本語全?となっている。

  • 加藤繁 公田連太? ?註 『國譯資治通鑑』〈全4冊組〉、( ソウル :景仁文化社、1996年)? 昭和初期に全16冊で出された漢文?み下し「???漢文大成」の改訂本
    • 複製本『??漢文大成 ??子史部』(第9?~第14?: 日本?書センタ? 、2000年)、本文は12?目まで
  • ?惟勤 石川忠久 ほか編? 『資治通鑑選』( 平凡社 中?古典文?大系 第14?〉、初版1970年、復刊1994年)、現代語抄?。294?全?の史論部分のみを??して?したもの。
  • 田中謙二 編? 『資治通鑑』( ちくま?芸文庫 、2019年)、これも現代語の抄?。時代ごとに4つの部分(??の 智? の滅亡?後漢の ?錮の禁 ?南北朝の 侯景 の??唐の 安史の? )を紀事本末?で?している。
  • ?田隆 ? 『?田本 全?資治通鑑』( ア?ティスタ社 )、2014年 書籍版は1?のみ、その後は2019年の22?まで電子書籍で刊行。??時代から後漢末まで?されている。

索引 [ 編集 ]

  • 佐伯富 『資治通鑑索引』(東洋史?究資料叢刊 3)(1961年)

?連項目 [ 編集 ]

  • 毛?東 - 資治通鑑は毛?東の生涯を通じての愛?書として知られる [34] [35]

外部リンク [ 編集 ]

注? [ 編集 ]

  1. ^ 柳田節子?小?館 日本大百科全書(ニッポニカ)『 資治通鑑 』 - コトバンク
  2. ^ 松枝茂夫ほか編、自由?民社「杉山文彦「資治通鑑」」『中?の古典名著?解?』1990年。  
  3. ^ a b 杉山 1990 .
  4. ^ ?葉一? 1991 .
  5. ^ 藤堂明保『?? 漢和大字典』「中?の名著」の項より
  6. ^ 岡田英弘『世界史の誕生』筑摩書房〈ちくまライブラリ?〉、1992年、114-116 「正史の欠?」の要旨頁。 ISBN   4480051732 ?立???書館書誌ID : 000002187436   )。なお、 高島俊男 はこのような貴族の軍人卑賤視について、?統的に中?では軍人の地位が低く、近年でも中?共産?の軍人? 朱? が親に軍隊に入りたいと言ったところ、「お前は勉?のし過ぎで、頭がおかしくなったのか?」と本?で心配され、自分は正?であると答えたところ家を追い出されたという話を取り上げている。高島『三?志きらめく群像』ちくま文庫2001。
  7. ^ 以上、( ?葉一?「 <論?>『?年?』と『通志』 : 『資治通鑑』の成立過程に?する一考察 」『史林』第74?第4?、史??究? (京都大?文?部?)、1991年7月、461-483頁、 CRID   1390853649776443264 doi : 10.14989/shirin_74_461 hdl : 2433/239134 ISSN   0386-9369   )によった。
  8. ^ 洪邁「容?四筆??十一?冊府元?」の項。『容??筆』(唐宋史料筆記)所?。中華書局?2005
  9. ^ 洪邁2005
  10. ^ 江上波夫『近代日本漢學家:東洋學的系譜』所?の?波護「桑原??」によると、桑原は『史記』『資治通鑑』を?究の主眼としたという
  11. ^ 桑原??「 支那人間に於ける食人肉の風習 」『東洋?報』第14?第1?、東洋文庫、1924年7月、1-62頁、 CRID   1050845763444749824  
  12. ^ これはかなり司馬光の意?的なもので、友人に出した手紙(陳夢雷『古今?書集成』理學彙編?第三百九十九?。中華書局?巴蜀書社1986に引く『司馬光文集』に載せる「答范夢得」)に「詩賦等若止?文章詔誥,若止?除官及妖異,止於怪誕?諧,止於取笑之類,便請直刪不妨。或詩賦有所譏諷,詔誥有所戒諭,妖異有所儆戒,?諧有所補益,?告存之。」と書いている。
  13. ^ 『文?通考』原文は「致堂胡氏( 胡寅 )曰、又數應詔上書,論新法之害,小人欲中傷之…今讀其書,蓋自唐及五代,采取微冗,日月或差,良有由也。?有讒口,又況矯世拂俗,興復先王之治者哉!嗚呼悲夫!」『文?通考』の引用は陳夢雷『古今?書集成』理學彙編?第三百九十九?。中華書局?巴蜀書社1986によった。原漢文。
  14. ^ 陳1986
  15. ^ ?葉1981
  16. ^ 唐紀開元十二年 第212卷 唐紀二十八の音注。中?語版ウィキペディアが音注の序と書いているのは誤り。
  17. ^ 『宋史』薛??によると薛?は王安石の新法?の人物で?史書嫌いで有名だったという。『?資治通鑑』北宋紀 第八十五??哲宗?紹聖四年?に「時薛?、林自乞?資治通鑑、瓘因策士,題引神宗所製序文以問,二人議沮,遂得不?。」とある。
  18. ^ 陳1986
  19. ^ 陳1986
  20. ^ 陳1986
  21. ^ 三浦 ?雄 著「資治通鑑」、加藤周一 編『改訂新版 世界大百科事典』JapanKnowledge、2014年。  
  22. ^ 『陸?元通鑑』は『四庫全書?目提要』史部?四八?史部四?編年類存目によると科?受?者の「あんちょこ」本であるらしく、「皆於司馬光書??其可備科?策論之用者,間有音注,然淺陋頗甚,亦寥寥不詳。」とけなされている。
  23. ^ a b 上田望「講史小?と?史書 (1) : 『三?演義』,『隋唐?朝史?』を中心に」『東洋文化?究所紀要』第130?、東京大?東洋文化?究所、1996年3月、(97)-(180)頁、 CRID   1390572174577787136 doi : 10.15083/00027113 hdl : 2261/2075 ISSN   05638089  
  24. ^ 『陸?元通鑑』同?、『四庫全書?目提要』ではけなされている。詳しくは?該項目?照。
  25. ^ 杉山正明『中?の?史8 疾?する草原の征服者 遼 西夏 金 元』講談社文庫
  26. ^ 『四庫全書?目提要』史部三?編年類には「是書排輯?朝事蹟,起自?帝,?於明代。編年紀載,綱目相從。目所不該者,則別?分註於其下,而音切訓?,典故事實,有關考證者,亦詳列焉。」としている。考?の例としては、 ?良 ?越 の?き柄が正史には記されていないのを「?越は?良の弟である」としているなどである。
  27. ^ ? 東蘭「明治期漢文中?史書物の?史?述」アジア?育史?究、2016
  28. ^ 近藤啓吾『靖?遺言』講談社?術文庫、2023
  29. ^ 『四庫全書?目提要』史部三?編年類では、「三省の注?する所は象緯を推測し、地形を建置し、制度?沿革の諸ろの大端をすべて兼ね備えている」と褒め?えている。
  30. ^ 以下は尾崎康「宋元刊資治通鑑について」 慶應義塾大? 斯道文庫論集 (Bulletin of the Shido Bunko Institute). No.23 (1988. ) ,p.171- 224、1988及び『通鑑紀事本末』上海古籍出版社1994の出版?明によった。
  31. ^ 『通鑑紀事本末』上海古籍出版社1994の出版?明によると、『通鑑紀事本末』宋刊大字本は南宋宮廷による出版であるという。『通鑑紀事本末』が朝廷に?上されて皇帝のお褒めにあずかったためか。
  32. ^ 尾崎1994
  33. ^ 間野?龍「 <紹介>佐伯富編 : 資治通鑑索引 」『史林』第44?第6?、史??究? (京都大?文?部?)、1961年11月、970-971頁、 CRID   1390572174802144000 doi : 10.14989/shirin_44_970 hdl : 2433/249615 ISSN   0386-9369  
  34. ^ 「本?に?酷な中?史 大著「資治通鑑」を?み解く」麻生川?男 [角川新書 - KADOKAWA]
  35. ^ マイケル?ピルズベリ?「中?は2049年の覇??家を目指す」は本?か? | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)