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"護民官"
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ジャパンサ?チ
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TWL
(
2015年1月
)
|
護民官
(ごみんかん、
ラテン語
:
trib?nus pl?bis
トリブ?ヌス
?プレ?ビス)は、
紀元前494年
に平民(pl?bs
プレブス
、プレ?プス)を保護する目的で創設された
古代ロ?マ
の公職である。プレブスのみが就くことのできる公職であって、身?不可侵?などの特?をもった。近現代において新聞名にも使われる「トリビュ?ン(
tribune
)」は、この官職に由?する。
起源
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共和政ロ?マ
の?大に伴い
貴族
(
パトリキ
)と
平民
(
プレブス
)の間の貧富の差が?がると、紀元前494年にプレブス達は
モンテ?サクロ
(聖山)に立て籠もり、自分達の政治的?言力の?化を求めた。聖山事件と呼ばれるこの事件において、プレブス側はそれまでのロ?マの政治?制を拒否し、立て籠もった山で自分達を中心とした新たな?家を樹立する動きまで見せた。プレブス側はトリブヌス?プレビス、直?すると「平民の
指揮官
」と呼ばれる代表を選び、その元で結束し、彼らの身?を不可侵とすることを神に誓った。これに?して日本語では「護民官」の?語が?えられている。平民?家の代表である護民官は、?時のパトリキ?家の代表である
執政官
(コンスル)と??して2名が選ばれ、同?に
トリブス民?
に??して、平民のみで構成された
プレブス民?
(平民?)を議決機?として召集した。
こうしたプレブス側の行動に?して、パトリキ側も妥協せざるを得ず、プレブス民?を正規の民?として認めるのみならず、プレブス達が勝手に選出した護民官についても?家の官職とし、さらにプレブス達によって誓われていた護民官の神聖不可侵(
ラテン語
:
sacr?s?nctus
)をも承認した。こうしてロ?マの?存?家?制に組み?まれた護民官は、プレブスの保護をその任務とし、そのための職?としてほとんどの決定に?する
拒否?
(veto, intercessio)が?えられた。
職?
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護民官の持つ拒否?の範?は非常に?く、
執政官
などの他の政務官の決定や、
元老院
の決議を取り消すことができた。非常時に
インペリウム
を行使するために設置される
?裁官
の決定に?しては、拒否?を使うことはできなかった。他の政務官同?に、同僚の拒否?を再び拒否することはできなかった。
?い範?を持つ拒否?以外の護民官の特?として、
身?の不可侵?
が?げられる。身?の不可侵は、その成立過程からも他の政務官には?えられておらず、護民官にのみ約束されていた。この不可侵性は、神に誓われているという神聖性と、プレブス達によって誓われたというプレブスの「?力」によって保?されていた。
プルタルコス
『英雄?(?比列?)』の「
ティベリウス?グラックス
」の項目では、「身?の不可侵?」をこう?明している。
もし?に、護民官がカピトリヌスの神殿を?し兵器庫を?き討ちにしても、我?はその護民官の行?をそのままにしておかねばならない。そのような試みをする者は?い護民官に過ぎない。しかし護民官が民衆を?迫するようであれば、それはもう護民官ではない。
プルタルコス『ティベリウス?』15
コンスルが民?の召集?を持つように、護民官は平民?の召集?を持っていたが、
ホルテンシウス法
が成立すると、平民?にも法律の制定が可能となった。このことは、のちに付?される元老院の召集の?限と合わせて、「否定」の?力しか有さなかった護民官にも積極的な政策を行なうことを可能とするものであった。
?遷
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以上のように非常に?力な?限を護民官は有していたが、これを積極的に使用する者はあまり現れなかった。護民官が?家の官職として成立したのは、あくまでパトリキとプレブスの妥協であり、?者の融和をはかるものであり、逆に?立を煽るような事は滅多になかったのである。
さらに、プレブスの一部がパトリキと合流して
ノビレス
と呼ばれる新貴族層を形成する頃になると、こうしたプレブス系の貴族も政治キャリアのはじめとして護民官に就任することになり、護民官の革命勢力としての性質は次第に薄れていった。先に?げた、平民?に法律の制定を可能にしたホルテンシウス法の成立も、平民?の議決をすでにノビレスがコントロ?ルできるようになっていたことを示しているとみることもできる。加えて、のちに護民官??者に元老院の議席が?えられるようになると、護民官は完全に?制?に取り?まれたかに見えた。
しかしながら、?がる貧富の差などのロ?マの深刻な社?不安を背景に、
ティベリウス?グラックス
が護民官に就任すると、護民官の革命的性質が露となった。護民官の?力な?限を用いたティベリウスの改革は、弟の
ガイウス?グラックス
に引き?がれ、これらの改革運動は元老院の保守派に大きな衝?を?えた。最終的には
グラックス兄弟
の改革運動は失敗に終わるが、改革を妨害するために反?派も自派の人間を護民官に送り?むなど、その?限の?力さが再認識された。そうした一方、護民官でありながら殺害されたティベリウスのように、護民官の身?不可侵の?らぎもみられた。
その後改革が、私兵化した軍隊という?力を背景とした?軍たちの手に移ると、護民官はそうした?軍たちの
クリエンテス
(子分)として、彼らに便宜を?るためにその職能を行使するようになった。その現?に危機感を?えた
ルキウス?コルネリウス?スッラ
は、??な改革の一環として護民官の?力削減を行った。
護民官職?
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ロ?マの??の最終的な勝者となった
オクタウィアヌス(アウグストゥス)
は、養父
ガイウス?ユリウス?カエサル
の
終身?裁官
のような王への連想を極力避け、自らの?力の根?を共和政の平時の合法的官職に求めた。護民官は?力な?限であり、かつ「民衆を守る」という性質から、オクタウィアヌスの要求を?たすものではあったが、
ユリウス氏族
というパトリキ系の貴族の養子であったオクタウィアヌスには就任することはできなかった。
そこでオクタウィアヌスは、?時連?して就任していた
執政官
を?任することを餌に、護民官の職?(ポテスタス)のみを自らに?える元老院決議を通し、1年の期限をもつ護民官職?(tribunicia potestas, トゥリブニキア?ポテスタス)を?年更新することで
元首政
における自らの?力の基礎とした。カエサルもこの職?を得ていたが、終身
?裁官
としての立場の方が先に立っていたために、この?限が重視警戒されずに承認されることとなった。
「平民が元老院の議席を得るための登?門」と一般認識される護民官と、「共和制公職キャリアの頂点」たる執政官では全く?値がつり合わないと思われていたが、事?としては執政官を含むあらゆる政務官の決定や元老院の決議に?する
拒否?
を行使でき
[1]
、必要とあれば
プレブス民?
(平民?)を招集し同民?の決議による法律制定も可能なうえ、執政官すら持ち得ない身?不可侵の?利を持つ、より?大な?力であった。さらにこの護民官職?は、職?のみが抽出されたものであるため、同僚を持たず
[2]
、非常に?力な?限となった。
アウグストゥスは
アグリッパ
や
ティベリウス
などへの職?授?を元老院にかけることで、後?者候補の承認とした。これで帝位の世襲を?り、以降の
ロ?マ皇帝
もこの形式を?け、その??の1つとなった。
脚注
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編集
]
- ^
上記のように?裁官の決定だけは護民官の拒否?が通用しないが、?裁官は臨時職であり、またカエサル暗殺後の紀元前44年4月に
マルクス?アントニウス
の提案で制定された
アントニウス法
(
英語版
)
により
?裁官の官職は?止
された。このため、常設職?臨時職を問わず
アウグストゥスの拒否?が通用しない官職は存在しない
ことになる。
- ^
ロ?マの官職は基本的に複?名(平時の最高位である執政官でも2名)が選任され、下位の政務官や同僚の決定に?して拒否?を行使できる。これに?しアウグストゥスの護民官職?は同僚がいないため、
アウグストゥスの決定に?して拒否?を行使できる官職は存在しない
ことになる。
?連項目
[
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]