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"羊羹"
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ジャパンサ?チ
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TWL
(
2013年2月
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羊羹
(ようかん)は、一般には
小豆
を主?とした
?
を
型
(羊羹舟)に流し?み
寒天
で固めた
和菓子
である。
寒天の添加量が多くしっかりとした固さの
煉羊羹
(ねりようかん)と、寒天が少なく瑞?しく柔らかい
水羊羹
(みずようかん)がある。また、寒天で固めるのではなく、
小?粉
や
葛粉
を加えて蒸し固める製法もあり、これは
蒸し羊羹
と呼ばれる。?に「羊羹」と?した場合は煉羊羹を指すことが多い。
煉羊羹は
糖度
が高いため保存性が高く、適切な?態で保存すれば
常?
で1年以上の長期保存が可能なものが多い
[2]
。この特?を生かして
非常食
、
保存食
としても販?されているものもある
[3]
。また、糖度が高く、少量でも高
カロリ?
であり、??ですぐにエネルギ?に?換されることから、スポ?ツの
補給食
としても注目されている
[4]
。
?史
[
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]
中?大陸での羊羹
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]
起源となる「羊羹」は、もともとは
中?大陸の料理
の名前で、?んで字のごとく
羊
の羹(あつもの)
[注? 1]
、つまりは
羊の肉
を煮た
ス?プ
の類であった
[6]
。
南北朝時代
に
北魏
の捕虜になった
毛脩之
が「羊羹」を作ったところ
太武帝
が喜んだという記事が
宋書
に見えるが、これは本?の意味の羊のス?プであったと思われる
[7]
。
鎌倉時代
から
室町時代
に、
?僧
によって
日本
に?えられたが、
?宗
では肉食が
戒律
(
五戒
)により禁じられているため、
精進料理
として羊肉の代わりに小豆や小?粉、葛粉などを用いたものが、日本における羊羹の原型になったとされる。
中世の羊羹
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日本の文?における「羊羹」の初出は室町時代前期(1300年代後半)に書かれた『
庭訓往?
』の「
点心
」の記事とされる。
タケノコ
入りと考えられる「箏(?)羊羹」と、砂糖入りと考えられる「砂糖羊羹」の記載がある
。?時の羊羹は汁とともに食べるものであった
。1504年頃の武家の作法書『食物服用之?』を見ると、羊羹の膳で汁と具が別?になっており、その後酒宴での料理の一品、そして菓子へと?化していく中で汁が添えられなくなっていったと考えられる
。
御成
の?立にも羊羹が登場する。御成の?立記?を江?時代に?した『膳部方記?』を見ると、このときの羊羹の材料には生豆(小豆と考えられる)の粉、小?粉、葛粉をこねたものが使われており、山芋や胡桃などを入れて蒸すと記載されている。砂糖や汁の有無については記載がない
。
1500年代半ばに茶の湯が盛んになると、羊羹は「菓子」として茶?で供されるようになる。ただし、?時の茶?では甘い物以外に酒の肴も出されており、現在イメ?ジされる甘い羊羹だったとは言い切れない。
[注? 2]
近世の羊羹
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]
江?時代
初頭に?行された『
日葡?書
』には、「羹(カン)」「羊羹」「砂糖羊羹」が採?されており、「羹」は「豆や小?と粗糖(?砂糖)または砂糖とで作る、日本の甘い菓子の一種」、「羊羹」は「豆に粗糖をまぜて、こねたもので作った食物」、「砂糖羊羹」は「豆と砂糖とで作る、甘い板菓子(羊羹)の一種」と記載されている。このことから、記載されている羊羹と砂糖羊羹はいずれも小?粉を使って蒸した菓子であり、羊羹は?砂糖、砂糖羊羹は上等な白砂糖を使っていたと推測される
。
江?時代には、蒸した生地を臼でついたりこねたりして成形する製法と、?(箱)に生地を流し入れて蒸し固める製法の2種類の製法があった。虎屋文庫『ようかん』では、室町中期の武家故?書『三議一統大?紙』に描かれている
州浜
形のものが羊羹である可能性があるとして、前者の蒸した生地を成形する製法が古くからあるもので、後者の蒸すだけの製法は簡易な製法として後に考案されたものではないかと考察している。現在の羊羹のイメ?ジに近い直方?の羊羹が描かれた最古の史料は
1688年
の『庭訓往???』である。
ここまでの羊羹は今で言う蒸し羊羹であったが、18世紀の後半に寒天を用いた煉羊羹が登場する。
?政
(1789年-1801年)のはじめに江?本町の「紅粉や志津磨(紅谷志津磨)」という店が考案したという?や、喜太?という人物が日本橋で?り出したとする?
[注? 3]
が有名だが、
前田治脩
の『大梁公日記』の1773年10月12日の?に「ねりやうかん」を食べたという記載があり、誕生はさらに遡る
。
食感がよく日持ちもする煉羊羹は江?で人?を博し、?十年のうちに地方の菓子屋へも製法が?まった
。1841年の菓子製法書『菓子話船橋』や1849年の『諸?名物一?』の記載から、1800年代半ばには蒸し羊羹にかわって煉羊羹が主流になり始めていたと考えられる
[19]
。素材や製法のバリエ?ションも?え、
ユズ
や
ミカン
や
ゴマ
を素材にしたものなどが登場した
。
近代の羊羹
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]
明治時代
に入ると、??の産業?展促進の流れのなかで羊羹も製造過程の改良や商品の多?化が進む。また、交通網の?達によって?光客が?えたことで、各地で土産菓子が工夫されるようになり、明治から
昭和時代
にかけてその土地ならではの羊羹が作られて定着していった。
特殊な包??用途としては、ゴム
風船
の中に詰めた
玉羊羹
が
1937年
に登場している。これは?時、?場の兵士に送る慰問用の菓子として、福島?二本松市の和菓子店「玉嶋屋」が
日本陸軍
からの指示により開?したものである
。
その他、割?竹を使用した物や似せたプラスチック製の物、紙またはプラスチック製筒型容器(押し出し容器)、簡便開封可能な紙小箱、カットした羊羹に砂糖をまぶしてキャンディ?風パッケ?ジにしたものなどもあり多?化している。
現在では、この他にも食品が練り?まれた羊羹が土産品やお茶請けとして親しまれている。比較的高級な羊羹が切り分けて食べる棹物であるのに?し、一口サイズで小分け包?された製品もある。また、高カロリ?であることを活かし、スポ?ツ用途の?養補給食品などもある。
?外
[
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]
?前??中、
?州
から
ジャワ
(現インドネシア)に至るまで
小城羊羹
が?く販?され、?後、村岡?本?に、晩年の
愛新?羅溥傑
が訪れ羊羹を購入している
[23]
。現在の中?でも
天津
や
北京
で、日本のものと同じような小豆や
栗
を使った甘い「羊羹 ヤンカン yangg?ng」が製造販?されているほか、
中?
?特の
サンザシ
、
桃
、
リンゴ
などを加えたフル?ツ風味のものも製造販?されている。
韓?
では
日本統治時代
に入ってきたものがそのまま?っており「羊羹(yang-gaeng、ヤンゲン)」と呼ばれる。製法や市場は日本とほぼ同じである。
台?
でも
日本統治時代
に?まったものが羊羹(
台?語
:io-kang、
台?華語
:yang-geng)として?り、現在も流通している。台??自のパインアップル味、里芋味などを販?している所もある。
水羊羹
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]
水羊羹の?史
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]
水羊羹(みずようかん)は、
?元天皇
の要望で
?屋陸通
という菓子屋がやわらかい羊羹を作ったのが始まりという?がある。ただし、これは1801年の?筆『橘窓自語』(橋本?亮著)に古老の話として書かれた?容であり、?際の史料の記述に見られるのは1760年ごろからである。?時の水羊羹は、現在のように寒天を使って固めたものではなく、蒸し羊羹をやわらかく作ったものだった
。
寒天を使った水羊羹は、
明和
年間(1764年-1772年)ごろの成立とされる料理書『調味?集』に登場する。蒸し羊羹のやわらかいタイプの水羊羹のバリエ?ションとして寒天を使った水羊羹が生まれ、寒天を使う製法が煉羊羹の誕生へとつながっていったと考えられる
。
江?時代の水羊羹は季節を問わず作られており、夏の菓子として定着したのは大正時代から昭和初期にかけてだと考えられている
。
かつては、木?の型(羊羹舟)でつくられた水羊羹を切り?りしていた。往時の名?として、厚みのある箱や容器に水羊羹を流し?んで販?する店が見られる。現在は、流し箱タイプのほか、
アルミ缶
や
プラスチック
カップに入った製品が市販され、高級和菓子店では
棹物
として、
竹筒
に入った製品なども販?されている。
冬の水羊羹
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]
福井?
をはじめ
東北
、
北陸
、
?東
、
近畿
など日本全?の一部の地域では、冬に水羊羹を食べる地域がある。いずれも寒天を使う水分の多いもので、高?な煉羊羹に比べて安?で手?な菓子として作られたものだった。
冷?庫
のない時代、水分が多く砂糖が少ない菓子は傷みやすかったため、冬に作ることは理にかなっていた
。
?木?をはじめ?東の一部の地域には、水羊羹を御節料理に用いる風習も現存する
[28]
。かつては、全?的な風習であったが、現在は、御節料理としての風習も忘れ去られた
[
要出典
]
。
丁稚羊羹
[
編集
]
丁稚羊羹(でっちようかん)とは、
西日本
の主に
近畿地方
を中心とする地域における安?な羊羹(主に水羊羹)の呼?である。小豆や砂糖を減らしたような、小豆の「出汁」(でじる)のように軟らかい?態からつくる「水羊羹」?の安?な工程の羊羹を指す
[
要出典
]
。また、一部の地域には「でっち羊羹」と呼?される蒸し羊羹も存在する
。煉羊羹が登場したことで蒸し羊羹は「下物」となり、?西では丁稚羊羹と呼?されたとされる
[29]
。
丁稚羊羹の名前の由?については、小豆や砂糖を減らしたような小豆の「出汁」(でじる)に、煉る工程からの「
でっちる
」の意味が重なり、「練羊羹」の手前の半人前の意味での「
丁稚
」(近代以前の商店?業員)の意味が重なったという?
[
要出典
]
や、丁稚が里?りの土産やおやつにしたことに由?するという?
がある。
羊羹の主な材料
[
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]
- 小豆
- ?にするほか、食感を?しむために粒のまま混ぜることもある。大納言小豆の蜜煮をまぜた練羊羹を小倉羊羹という。
- ?茶
-
抹茶
などを白?に練り?んだもの。
- 紅茶
- 紅茶を白?に練り?んだもの。
- コ?ヒ?
- コ?ヒ?を白?に練り?んだもの。
- 白みそ
- 白みそを白?に練り?んだもの。
- 白いんげん
-
白?
にして羊羹に使うと、白色の羊羹となる。食紅で一部を着色した紅白羊羹は、?起物として正月などの特別な行事の菓子として用いる場合がある。
- 金時豆
- 豆の質そのものは白いんげんと同じ
白?
であるが皮に色素があるため着色する。小豆?の薄いような色に仕上がる。この豆のみで仕上げた羊羹もある。(北海道江差町五勝手屋羊羹など)
- 栗
- 蒸した栗や、
甘露煮
にした栗を、通常の小豆羊羹に混ぜる、あるいは散らした物と、(芋羊羹のように)栗そのものをすり潰して?とした物に大別できる。前者は全?で作られており、練り羊羹と蒸し羊羹のタイプが多い。後者は長野?など栗の産地で作られている。
- 胡桃
- ゴマ
- サツマイモ
-
芋羊羹
。
- ジャガイモ
- カボチャ
- ?
- ?で作った
ジャム
をそのまま寒天で固める方法と、白?に混ぜて固める方法がある。
- イチジク
- ハッカ
-
香料
として。
- ?
- ?羊羹。
- ?
を使用する羊羹もある。
?、羊羹には、ここで?げられている以外の食品が練り?まれる場合もある。(アスパラなどの野菜、リンゴなどの果物など)
言語文化における羊羹
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羊羹の?え方
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羊羹は長い
直方?
の形?であり
棹菓子
(棹物)に分類されるため、羊羹を?える
助?詞
としては「
棹
」(さお)を用い、
1棹、2棹(ひとさお?ふたさお)、…
のように?える
[30]
。
羊羹にちなむ言葉
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]
- 羊羹色
:
?色
などの衣類が、色あせて赤みを?びた色を「羊羹色」と呼ぶ
[31]
。
- 夜の梅
:虎屋?川(通?
とらや
、本店?赤坂)の代表的商品「小倉羊羹 夜の梅(登?商標)」が最も有名である。切り口に見える小豆の粒の?子を、夜の闇の中に?く白い
梅
の花に例えて付けられた名?。とらやのものは、一般的な小倉羊羹よりも小豆の粒の量が少なめで粒のかたさもやわらかいのが特?の煉羊羹。3日かけて煉っている。「夜の梅」という呼?は、とらや以外にも
駿河屋
と
鶴屋八幡
で使われているが、いずれも合意の上で使われている。
- 玉と?石の?種のよう
:
夏目漱石
の著した『
草枕
』の作中において羊羹の美しさを表現した言葉。「どう見ても一個の美術品だ」という羊羹描?に?く、有名な一節の一部である。
脚注
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]
注?
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- ^
「羹」の通常の音(
漢音
)は「こう(かう)」で、「かん」は
唐音
[5]
。
- ^
羊羹の?祥として、
1589年
(
天正
17年)に
山城?
伏見
九?の鶴屋の5代目岡本善右衛門が、テングサ(寒天の原料)?粗糖?小豆あんを用いて炊き上げる煉羊羹を開?し
豊臣秀吉
に?上したとする?もある
[14]
が、明確な史料はない。
- ^
「紅粉や志津磨」?は1830年刊の?筆『
嬉遊笑?
』、喜太??は『
北越雪譜
』や1846年刊の
山東京?
『蜘蛛の??』に見られる。「紅粉や志津磨」と喜太?は同一ともされる
。
出典
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?考文?
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]
- 虎屋文庫 編『ようかん』
新潮社
、2019年。
- 虎屋文庫 編『第七十九回虎屋文庫資料展 再?御?!「虎屋文庫の羊羹?YOKAN」展』2019年。
?連項目
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]
ウィキメディア?コモンズには、
羊羹
に?連するカテゴリがあります。
さまざまな羊羹
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