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2023年12月
)
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第23師?
(だいにじゅうさんしだん)は、
大日本帝?陸軍
の
師?
の一つ。
沿革
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]
ノモンハン事件で?滅
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編集
]
1938年
(昭和13年)4月に、
第15
?
第17
?
第21
?
第22師?
と共に、
?東軍
後方警備用に
熊本
で編成された
?兵
三個
連隊
編制師?である。
編成?時の?況は、?地には常設師?は近衛師?を含めて2コしか?っておらず、朝鮮に1コ、?東軍に5コ、そして中?に常設師?、特設師?のほとんどを投入していた。
更に、昨年度動員計?入っていた特設師?3コが、母?常設師?の損害?出で、その補充に追われて編成が不可能になっており、昭和13年度にも動員計?に入れることができなかった。
?東軍は?ソ?備が大いに不安な?態で、この5コ師?は後方警備用とし、少ない兵力の?事情の中で前線後方を分離することで常設師?を第一線に?念させることで、?合??力向上を目論んで編成された。後方警備用なので編制?備は次等とされた。
?初、同期編成の4コ
師?
と共に、??訓練を兼ね????を積ませるため
中?
?線投入を予定した。
5コ師?うち第23師?だけは、
?州
北部の
ハイラル
に駐屯していた
騎兵集?
を
中?
?線に?用するため、代わりに直接
?州
へ派遣された。
????を積ませるためといえば聞こえが良いが、その?は
中?
?線に?兵し一?に事件解決が狙いだった。
中?
?線への投入された
第15
?
第17
?
第21
?
第22師?
の4コ師?は、
中?
?線が?がり?けたため?けられなくなり、ついに本?の編成目的である
?洲
に?ることはなかった。
?は陸軍は、この5コの師?新編成は時局??だったが予算?置に困っていた。師?の新編成には議?の承認が必要だったからである。幸いなことに、支那事?臨時特別?計に紛れて臨軍?計で?理することができて、秘密部隊から晴れて公開できる師?となった。
第23師?の不安は、新編成で????がなく?度が高くないこと。更に、西部?境はソ連の脅威はそれ程高くないと判?されていたが、練成?育に集中する環境にないこと。後方警備用師?なので編制?備が次等であること。3?位師?で?兵力不足が予想されることだった。
師?はハイラルの警備に?っていたが、
1939年
(昭和14年)
5月11日
に?州と
外蒙古
の?境地?である
ノモンハン
でソ連?モンゴルとの?境紛?が起こると、日本側の主力部隊として??を??することになった(
紛?の詳細は
ノモンハン事件
?照
)。
師?長の
小松原道太?
中?
は、
?東軍
の方針によって、まず師?の一部兵力からなる「東支隊」(支隊長:第23師??索隊長の東八百?中佐)を編成して派遣した。支隊が到着した時にはソ連側は撤退後であったが、支隊が?還すると再びソ連側部隊が姿を現した。そこで師?は、先の東支隊に
?兵第64連隊
(連隊長:
山?武光
大佐)を加えた「山?支隊」を編成し、再度派遣したところ??となった。この??で東八百?中佐は?死し、山?支隊もまた後退した。
?況を見た?東軍は
?車第3連隊
及び
?車第4連隊
などを?派した。第23師?では?兵第64連隊が?車隊に編合されて「安岡支隊」(支隊長:
安岡正臣
中?)となった。
第23師?司令部が?指揮を執っていたが、更に、他の師?、?境守備隊、?立守備隊等からの抽出部隊、?東軍直率砲兵工兵等、軍隊?分で多くの部隊を編入されて指揮をするには師?司令部では能力不足で、飛行集?との連絡のためにも軍司令部の設置が必要と判?され、8月4日に
第6軍
(軍司令官:
荻洲立兵
中?
)が創設された。
(元?
第6軍
は、翌年度新編成が予定されていたが、事件?生のため急遽予定を早めて緊急編成された。)
現在、前線に出動している司令部は、?兵?、?車?各1コであり、?官が指揮しているとはいえ?謀を持たず、本務ではないが相談相手は秘書たる2名の?校だけで、?長自ら情報を整理して決?を下さなければならなかった。
そこへ第23師?は?謀長、?謀3人を持つ本格的?略?位司令部が?り?むことで、第6軍の中核としての活動を期待され、?留本隊も全力出動した。
しかし、7月初旬の?攻?失敗で安岡支隊は大損害を受け、7月4日には師??謀長の大?孜大佐が?死した。8月20日からのソ連側の攻?によって日本側はほぼ?滅し、9月16日にソ蒙軍との間で停?交?が纏まるまでに第23師?は補充を受けた人員を含め1万1958名にも及ぶ死傷者を出した。
師?の幹部では、??中に
?兵第71連隊
長の森田徹大佐(8月26日 ?死)、
?兵第64連隊
長の山?武光大佐(8月29日 自決)、野砲兵第13連隊長の伊勢高秀大佐(8月29日 自決)および?兵第71連隊長代理の東宗治中佐(8月30日 ?死)が?死または自決したほか、??終了後に
?兵第72連隊
長の
酒井美喜雄
大佐(9月15日)、師??索隊長の井置?一中佐(9月17日)らが自決した。
?死した大??謀長の後任となった
岡本?三
大佐
[1]
、第23?兵?長の
小林恒一
少?らも重傷を負うなどしている。動員兵力のおよそ8割を失ったことから、「悲劇の小松原兵?」と呼ばれる。
太平洋?線
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]
師?はノモンハン事件後に
機械化師?
のモデルケ?スとして、
第27師?
より最新?の
九六式十五?榴?砲
?備の山砲第27連隊第2大隊を建制のまま??を受け、師??索隊を
?索連隊
に?化、師??車隊を創設する等、他の?兵師?とは飛び?けた編制に再建?化された。更に
?東軍特種演習
において馬匹を完全に?し、完全車?編成に?化され西部?州に駐屯し?けた。
太平洋??
勃?後も
第8?境守備隊
と共に?境付近の警備を?任していた。
しかし、太平洋方面の?局?化から、
1944年
(昭和19年)になって師?の
台?
派遣が決まった。台?へ移動中にさらに派遣先が
フィリピン
に?わり、同年12月にフィリピンの
ルソン島
へ進出して
第14方面軍
隷下に加わった。?州からの移動の際に再び大きく編制が?わって人員?重?備を、後に編成される師?の基幹要員を?置した。いざ出航の際にも、相次ぐ輸送船喪失のために予定?の輸送船が?わず、人員??備の積み?しが?生した。隷下の
?索第23連隊
は、?備を全て?して小火器だけの?兵となった。ほか、工兵?輜重兵などは中隊?位で積み?した。更には、移動途中で
ヒ81船?
などでの輸送船の沈?により損害を受けている。フィリピンの
ルソン島
に上陸した時の人員は1万名を下まわっていた。なお、?洲移動の際の?置人員??備は、第8?境守備隊とともに、主に新設の
第119師?
の基幹とされた。
1945年
(昭和20年)1月からの
ルソン島の?い
では
リンガエン?
沿岸に配備され、上陸するアメリカ軍と交?したが3月頃から飢餓?態に?り、
ボコド
陣地に後退して防御??の最中に終?を迎える。ルソン島の??に?加した?兵は現地補充を含め29,636名であったが、生還したのは5,128名に過ぎない。師?の勇?に?し
感?
が送られている。
師??要
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師?長
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]
- 小松原道太?
中?:1938年(昭和13年)7月7日 - 1939年(昭和14年)11月6日
- 井上政吉
中?:1939年(昭和14年)11月6日 - 1941年(昭和16年)3月1日
- 西原貫治
中?:1941年(昭和16年)3月1日 - 1942年(昭和17年)11月10日
- 及川源七
中?:1942年(昭和17年)11月10日 - 1944年(昭和19年)1月7日
- 西山福太?
中?:1944年(昭和19年)1月7日 - 終?
?謀長
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]
- 大?孜
騎兵大佐:1938年(昭和13年)7月7日 - 1939年(昭和14年)7月4日(?死)
- 岡本?三
?兵大佐:1939年(昭和14年)7月6日 - 1939年(昭和14年)9月11日(?傷して入院中に死去)
- 木村松治?
?兵大佐:1939年(昭和14年)9月11日 - 1940年(昭和15年)8月1日
- 川?雄人
?兵大佐:1940年(昭和15年)8月1日 - 1941年(昭和16年)10月15日
- 松田?
大佐:1941年(昭和16年)10月15日 - 1942年(昭和17年)8月1日
- 高津利光
大佐:1942年(昭和17年)8月1日 - 1943年(昭和18年)月日不詳
- 山津善九? 中佐:1943年(昭和18年)10月15日 - 1944年(昭和19年)3月1日
[2]
- 吉川浩
大佐:1944年(昭和19年)3月1日 - 1944年(昭和19年)11月17日(?死)
- 高津利光 大佐:1944年(昭和19年)11月28日 - 終?
[3]
高級副官
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]
- ?川良夫 中佐:1938年(昭和13年)7月15日 - 1939年(昭和14年)8月1日
- 高畑洋平 中佐:1939年(昭和14年)8月1日 - 1940年(昭和15年)9月16日
- ?山? 中佐:1940年(昭和15年)8月16日 - 1940年(昭和15年)12月2日
- 立花啓一 中佐:1940年(昭和15年)12月2日 -
- 三好勇 少佐:
兵器部長
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]
- 近?義美 大佐:1938年(昭和13年)7月15日 - 1939年(昭和14年)7月3日
- 金子時之助 中佐:1939年(昭和14年)7月3日 - 1940年(昭和15年)8月1日
- 高畑洋平 中佐:1940年(昭和15年)8月1日 - 1941年(昭和16年)8月1日
- 大橋彦四? 大佐:1944年(昭和16年)8月1日 -
?理部長
[
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]
- 渦川正義
主計大佐:1938年(昭和13年)7月15日 - 1940年(昭和15年)3月9日
- 今田章 主計中佐:1940年(昭和15年)3月9日 - 1941年(昭和16年)10月15日
- 三浦日出雄 主計中佐:1941年(昭和16年)10月15日 -
- 伊知地俊雄 主計中佐:1944年(昭和19年)10月31日 -
軍?部長
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]
- 村上?治 軍?大佐:1938年(昭和13年)7月15日 - 1940年(昭和15年)3月9日
- ?口四? 軍?大佐:1940年(昭和15年)3月9日 -
- 倉原玉記 軍?中佐:
??部長
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]
- 松尾義夫 ??中佐:1938年(昭和13年)7月15日 - 1940年(昭和15年)3月9日
- 石坂九?治 ??中佐:1940年(昭和15年)3月9日 - 1942年(昭和17年)11月9日
- 慶家星 ??中佐:1942年(昭和17年)11月9日 -
隷下部隊
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1938年(昭和13年)?時の編制
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- 師?司令部
- 第23?兵?
- 師??索隊
- 野砲兵第13連隊
- 工兵第23連隊
- 輜重兵第23連隊
- 第23師?衛生隊
- 第23師?通信隊
- 第23師?制毒訓練所
- 第23師?兵器修理所
- 第23師?病馬?容所
- 第23師?防疫給水部
最終所?部隊
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]
- ?兵第64連隊
(熊本):中島正?大佐
- ?兵第71連隊
(鹿?島):二木??大佐
- ?兵第72連隊
(都城):中島嘉樹大佐
- ?索第23連隊:久保田?平中佐
- 野砲兵第17連隊:吉富?三少?
- 工兵第23連隊:水野捷海中佐
- 輜重兵第23連隊:駒木嘉太?中佐
- ?立野砲兵第13大隊:宇田豊作少佐
- 第23師?通信隊:?川弘毅大尉
- 第23師?兵器勤務隊:本井秋太大尉
- 第23師?衛生隊:西田喜春大尉
- 第23師?第1野?病院:?田浩政軍?大尉
- 第23師?第4野?病院:花牟?孝二?軍?大尉
- 第23師?防疫給水部:谷口良碩軍?少佐
- 第23師?病馬廠:西川春雄??大尉
脚注
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]
- ^
精神錯?を起したとされる?校により、入院中に殺害された。
- ^
『陸海軍?官人事?? 陸軍篇』470頁。
- ^
『陸海軍?官人事?? 陸軍篇』440頁。
?考文?
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]
- 外山操?森松俊夫編著『帝?陸軍編制??』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍?合事典』第2版、東京大?出版?、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍?官?典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍?官人事?? 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。