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第1回日本レコ?ド大賞
(だい1かいにほんレコ?ドたいしょう)は、
1959年
(
昭和
34年)
12月27日
に
文京公?堂
で行われた、1回目の『
日本レコ?ド大賞
』である。
?要
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日本レコ?ド大賞は、大手レコ?ド?社の寡占?態にあった?後日本の音?界を?く開放し、多ジャンルの中から新しい日本の歌を生み出してゆくという試みから生まれ、その推進力となったのはレコ?ド?社所?の作曲家による親睦??『
日本作曲家協?
』であった。創設の?緯から音?界の主流派に?する挑?という意味合いが?く、レコ?ド?社や大手メディアの協力が得られず、運?費の一部は?行委員長の
古賀政男
の持ち出しで賄われた
。
審査員は音?ペンクラブから5名、NHKから3名、各放送局から1名、『
平凡
』と『
明星
』の編集長、作曲家協?の?員代表であった。審査員が1人1曲をエントリ?し、12月14日の第一次予選で20曲、第二次予選で6曲まで候補が絞られた。15日に6曲の中で決を採った結果、「?い花びら」と
フランク永井
の「
夜霧に消えたチャコ
」の間で決選投票となり、「?い花びら」が1票差で大賞に選出された
。フランクは歌唱賞を受賞、また新人の水原が大賞を受賞したため、新人賞は受賞者なしとなった。
後年、作曲家協?で理事長を務めていた
服部良一
が選考にまつわる裏話を披露しており、それによると審査の最中に「?い花びら」を作曲した
中村八大
が作曲家協?に所?しておらず、ノミネ?トの基準を?たしていないことが??した。そこで急遽、中村を加入させることにより?裁を整えたとのことである。服部は「われわれとしては『?い花びら』みたいな歌に第1回大賞を上げたかった」と語っており、受賞資格を緩和させてまで同曲を受賞させた?緯がうかがえる
。
審査中も、「?い花びら」はロカビリ?だから外すべきだ、という意見が出て侃侃??の議論になったことが明らかになっている
。結果として、受賞曲はロカビリ?の「?い花びら」、歌手はジャズ喫茶やキャバレ?で下積みを積んだ水原弘、作曲はジャズマンから?身したフリ?ランスの中村八大、作詞は本職が放送作家の永六輔といういずれも本作デビュ?の3人という、音?界の主流とは程遠い面子が第1回の大賞に輝いた。
ただし、レコ?ド大賞自?は?時知名度が余りにもなく、受賞の報せを受けた水原は「レコ?ド大賞? なんだい、そりゃあ」という言葉を?している
[6]
。中村は名古屋への演奏旅行の最中で「おめでとう、と言われても何だかわからなかった」という
。
?表?は12月27日の午後3時から
文京公?堂
で行われ、ラジオ東京テレビ(KRT。現:
TBSテレビ
)で生中?された。放送時間はわずか30分で、司?の
鶴田全夫
アナウンサ?の紹介と表彰、受賞曲の披露が淡?と進むだけの構成であった。受賞曲は審査翌日に新聞に?載されていたため演出上盛り上がる要素が皆無で、?容2000人の?場には?客は200人しか入らず、作曲賞を受賞した渡久地政信までが往?で客引きに?り出されたという。終了後の祝賀?は?場前の喫茶店の2階で行われ、一同紅茶とケ?キで?談したという
。
司?
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受賞作品?受賞者
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日本レコ?ド大賞
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歌唱賞
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作曲賞
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作詩賞
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童?賞
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TV中?スタッフ
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- プロデュ?サ?:
- ?合演出:
- 舞台監督:
- 編成??:
- 製作著作:
KRT
- 主催:社?法人 日本作曲家協?、日本レコ?ド大賞制定委員?、日本レコ?ド大賞?行委員?
脚注
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?考文?
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?連項目
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外部リンク
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