私掠船

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フランシス?ドレ?ク の座?した ゴ?ルデン?ハインド ?のレプリカ

私掠船 (しりゃくせん、 : Privateer , ? : Corsaire )とは、 ?? ?態にある一?の政府から、その敵?の船を攻?しその船や積み荷、 荷物 を奪う許可( 私掠免許 )を得た個人の船であり、?に?した 海賊船 ともいえる。

?要 [ 編集 ]

古くより 海軍 の任務の一つに、自?の通商路( シ?レ?ン )の維持と、敵?の通商路の妨害?破?がある [1] 大航海時代 以後、航路が世界規模になるにつれてカバ?しなければならない海域が?大となり、海軍の能力が及ばない事態が生じてきた。各?は解決策として、民間船に私掠免許を?行した。

私掠船は海軍力の不十分な後進?が優勢な海軍力を持つ?家への 通商破? を目的とする場合と、海軍力が低下した?家が通商路の維持を目的として募る場合がある [1] 。前者のケ?スが 英西?? 時の イギリス であり、後者のケ?スとして18世紀の フランス 私掠船の活躍が?げられる。私掠船は複?の船からなる小艦隊が編成されることが多いが、?艦の場合もあった。初期の私掠船?は、編成される度に共同持株?社が立ち上げられ、?王や貴族などの有力者が出資者となった。

私掠船は特許?を下付する以外政府に負?がかからないため、そのような意味で同時代の 傭兵 に類似する。反面、統制がきかず、同盟?や母?籍の船まで襲う者や、本物の海賊に?身する者まで現れた。17世紀以降は、私掠免許の?行時に?家に?保を前納させることで統制がとられるようになり、「捕獲法」などの法律によって運用が確立されるようになった [2]

私掠免許を「海賊免許」、私掠船を「公認海賊」と呼?する場合もあるが [3] 、?密には私掠船は 海賊 ではない。しかし、私掠船による通商破?を「公認の海賊」、「?を?げての海賊行?」とする論者もいる [4]

なお、私掠という?念はあくまで西ヨ?ロッパのものであり、それが現地勢力に受け入れられるかは別問題であった [5] 。例えば、 平? 商館 を構えた オランダ東インド?社 は、?初は日本との貿易が振るわず、平?を根?地としてポルトガルなどへの私掠に精を出す?態となっていた [6] 。ただ、「私掠である」とするオランダの立場は 江?幕府 には受け入れられず、 1621年 には、日本近海での海賊行?を禁じる旨の 老中奉書 が?せられている [7]

プライベティア [ 編集 ]

英語でPrivateer。王の私的軍艦のこと。ヨ?ロッパの王や女王は海軍を持つだけの財力がなく、?時には代わりに商船を?艦として利用した。そのような商船は私掠船(プライベティア)と呼ばれた。はじめてプライベティアを利用したのは13世紀半ばのイギリス王 ヘンリ?3世 で、フランス人に?して用いた。王はそれぞれのプライティアに海賊行?の許可?「敵船拿捕許可?」を授け、敵の船を攻?する?限を?えた。??が終われば?艦から商船に?ることになっていたが、?際にはそのまま海賊行?は?き、本?の海賊になったプライベティアもとても多かった [8]

私掠船の?史 [ 編集 ]

私掠船の襲?

16世紀中頃、 カリブ海 スペイン 貿易航路へフランス私掠船が盛んに襲?を行い、イギリスがこれに?いた。1530年、 プリマス の大商人 ウイリアム?ホ?キンズ は私掠行?と 密輸 で巨大な利益を上げ、プリマスの市長になっている。こうした成功は愛?心や名?、攻?精神を喚起させ冒?商人と呼ばれる後?者たちを生み出した [9]

オランダ?立?? において海外に逃亡した ネ?デルラント の貴族たちは「 海の乞食? 」を結成し、1569年に ウィレム1世 は私掠免許?を?行した [10] 。オランダ私掠船は 新大陸 から?るスペイン商船を襲?したり、スペイン支配下の町を?き討ちするなどスペインの海上勢力に?して ゲリラ? を展開し、?立??に貢?した。

イギリス(イングランド)の私掠船の始まりは、1243年に ヘンリ?3世 がゲオフレイ船長に?えた報復を目的とした許可が初めてとされているが、?家が積極的に??したのは エリザベス1世 治下の 英西?? の時のことである。海軍力に劣るイングランドは、スペイン海軍と正面から?うことを極力避け、代わりに私掠船を一種の準軍事組織として用い、表向き非正規の行動としてスペイン船を襲わせた。中でも フランシス?ドレ?ク の私掠船による世界周航や カディス 襲?は偉業と?えられた。 アルマダの海? に?加した200隻以上のイギリス艦船のうち、150-160隻は商船だったと言われる。特に 西インド諸島 海域に遊?するイギリス私掠船の活動は激しく、?時のイギリス船そのものが「海賊船」と評?されることになった [11]

17世紀に入るとカリブ海の イスパニョ?ラ島 を本?とし、 ウィンドワ?ド海? を通過するスペイン船を狙う海賊が現れた( バッカニア )。フランス政府は彼らに私掠免許を?えて公認し、?けてイングランドやオランダも彼らに私掠免許を?えた。 オリバ??クロムウェル の「西方政策」によって1655年に ジャマイカ を占?したイングランドでは、ジャマイカ?督の トマス?モディフォ?ド 英語版 が積極的にバッカニアを公認して ポ?ト?ロイヤル の利用を認め、彼らの略奪品によって同地は急速に?展した。特にそのなかの一人 ヘンリ??モ?ガン スパニッシュ?メイン の18の都市、4つの町、多?の村を襲?し、パナマ地?を超え パナマ市 を略奪、破?した。この功績によりモ?ガンは ナイト に?され、ジャマイカの副?督となった [12]

18世紀 英??? 中には非常に多?の私掠船が活動した。 スペイン?承?? アン女王?? ではフランス側が多くの私掠船を繰り出し商船を襲?したが、制海?は常にイギリス側に握られ??の大勢に影響を?えることはできなかった。 アメリカ?立?? では1775年に正規の軍艦と商船改造の私掠船からなる 大陸海軍 が編成されたが、?加した私掠船は合計すると約1500隻に及んだ [13] ジョン?ポ?ル?ジョ?ンズ はイギリス本?沿岸での牽制攻?を企?し?果を上げたが、多くの私掠船は金目?てであり、?ら輸送船や商船を襲?した [13]

フランス革命 から ナポレオン?? にかけて フランス 側の私掠船が活躍し、交??? 中立? に?し略奪し、 大陸封鎖令 を側面から支援した。 革命後、?領西インド諸島では?件が自由に書き?める私掠免許?が公然と?りさばかれた。また、 チャ?ルストン 在住のフランス人たちは、?造された委任?を元に私掠船を作り破?活動を行った。1797年のアメリカ?務省の報告では年間に300隻以上のアメリカ商船がフランス私掠船に拿捕されたという。翌年の1798年にアメリカとフランスは非公式な???態に入り、アメリカ側も200隻に及ぶ商船に?フランス私掠免許と報復的拿捕認可?を?行した [14]

アメリカ 南北?? において 南部連合 政府は私掠船免?を?行したが、それにより活動した少?の私掠船はたちまち?倒的に優勢な 北部海軍 により??された。

1856年の パリ宣言 でヨ?ロッパ列?は私掠船の利用を放棄した。さらに1907年の ハ?グ平和?議 で武?した 商船 [注? 1] 軍艦 として登?されるべきことが?際法として規定され、アメリカ合衆?を含む諸?もそれに?い、私掠船の慣習は消滅した。パリ宣言以後、?時に民間船は 特設艦船 として用いられることとなった。

私掠船の?益 [ 編集 ]

私掠船の航海で得られた利益は、?庫?出資者? 船長 以下?組員に所定の比率で分配された。 15-16世紀のイギリス私掠船の場合、?王が5分の1、海軍が10分の1を控除し、?りを3等分して船長(船主)、出資者、?組員で分割した [15] 。 ?家や出資者にとっては私掠船はおおむね儲かる事業だった。エリザベス1世がフランシス?ドレ?クに私掠免許を?え投資した際の利益率は、6000%にのぼったという?もある。

時代が下り私掠の成果が低下し、?組員の士?の低下を反映して?王や海軍の取り分は期待できなくなった。私掠が不成功の場合、?組員は無給となり出資者に?費を返却しなければならない契約だったからである。

著名な私掠船の?係者 [ 編集 ]

脚注 [ 編集 ]

注? [ 編集 ]

  1. ^ 自衛のための 小火器 の搭載は認められている。

出典 [ 編集 ]

  1. ^ a b 篠原 1983 , pp. 72?73.
  2. ^ 篠原 1983 , pp. 78?79.
  3. ^ 海運資料室:海運??ゼミナ?ル - 日本船主協?
  4. ^ 竹田 2011 , pp. 8?19.
  5. ^ 東洋文庫 2015 , p. 20.
  6. ^ 東洋文庫 2015 , pp. 22?25.
  7. ^ 東洋文庫 2015 , pp. 27?30.
  8. ^ 海賊日誌 少年ジェイク、帆船に?る .
  9. ^ 篠原 1983 , pp. 74?77.
  10. ^ 篠原 1983 , pp. 42?43.
  11. ^ 篠原 1983 , p. 73.
  12. ^ モリソン 1997 , pp. 218?221.
  13. ^ a b モリソン 1997 , pp. 500?505.
  14. ^ サムエル?モリソン 『アメリカの?史 2』西川正身 ??監修、集英社文庫、1997年、 ISBN 4087603156 、pp.275-290
  15. ^ 篠原 1983 , p. 82.

?考文? [ 編集 ]

  • 篠原陽一『帆船の社?史』高文堂出版社、1983年。 ISBN   4770700563  
  • 竹田いさみ 『世界史をつくった海賊』筑摩書房〈ちくま新書〉、2011年。 ISBN   9784480065940  
  • サムエル?モリソン 著、西川正身 ?『アメリカの?史』 1?、集英社〈集英社文庫〉、1997年。 ISBN   4087603172  
  • 東洋文庫 編『東インド?社とアジアの海賊』 勉誠出版 、2015年。 ISBN   978-4-585-22098-5  
  • ?田義?『略奪の海 カリブ もうひとつのラテン?アメリカ史』岩波新書、1989年  ISBN 4004300754

?連項目 [ 編集 ]

外部リンク [ 編集 ]