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神?王
(しんとくおう、? -
917年
)は、
新羅
第53代?王(在位:
912年
-
917年
)。姓は朴、
諱
は景暉、初名は秀宗。第8代新羅王
阿達羅尼師今
の23代孫、父は朴乂謙、母は貞花夫人、妃は第49代
憲康王
の娘である。この王から3代の間、王統が金氏から朴氏に?わっている。
人物
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912年、前代
孝恭王
に子がいなかったので推戴されて王位についた。
しかし、
後高句麗
の
弓裔
、
後百?
の
甄萱
などの勢力に浸食され、新羅は衰退する一方であった。
917年、死去。陵は
慶?北道
慶州市
?洞にある。
考?
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『
三?遺事
』は、神?王は「朴氏。名景徽。本名秀宗。母?花夫人。夫人之父順弘角干。追諡成虎大王。祖元ム角干乃何達王之遠孫。父文元伊干。追封興廉大王。祖文官海干。義父?謙角干。追封宣成大王。妃資成王后。一云懿成。又孝資」という系譜が記されている。一方、『
三?史記
』は「姓朴氏。諱景暉。阿達羅王遠孫。父乂兼一云?謙 事定康大王?大阿飡。母貞和夫人。妃金代。憲康大王之女。孝恭王薨無子。??人推載?位」としており、?書は異なる点が多い
[1]
。父名が?書で異なり、王妃名も『三?遺事』は詳しく、『三?史記』は姓金氏と
憲康王
の娘と記しながら名は?えない
[1]
。母名は『三?遺事』では
?花夫人
とし、『三?史記』は
貞和夫人
として一致しない。しかし「?」と「貞」はよく似ているため?書のどちらかが?しまちがいをしたとするなら「花」と「和」は
音通
であるから王母は一致する。『三?遺事』の神?王?の特?は父名より先に母名を記し、父母の
祖父
まで記すだけでなく、妃名より先に義父名を書くなど異例である。
三品彰英
は、「王母の名が?書で異なっているが、その理由は不明。また王母の呼?が夫人名だけであること、大王の追諡を王母の父に?えていること、『羅紀(『三?史記』高句麗本紀)』では阿達羅王の遠孫神?王にかけ、
父系
?
母系
を明示していないのに、ここでは
母系
にかけていることなどは王?でも異例の記載法である。このような特異な記載法は新羅社?に母系尊重の風潮が?かったためと見るより、朴氏王系の成立原因を王?編纂者がその
母系
にあったと考えたためであろう」と注解する
[1]
。神?王系がこのように複?な記載になった理由として『三?史記』によれば乂謙を父とする神?王と、同じく乂謙を父とする娘が
孝恭王
と結婚したことが指摘されており、
三品彰英
は、「新羅は
中?王朝
から
冊命
を受けるため、第二四代
?興王
以后の王の姓を金氏とした。第三四代
孝成王
以后に、王妃?王母も
唐朝
から冊封を受けることになったが、王妃?王母は王族出身者が多く、金氏を?していたので、
同姓不婚
の制度をとる唐朝と?立した。第三九代
昭聖王
以后、王妃?王母の姓を唐の冊封を受けるため、唐の同姓不婚の制度を受け容れた新羅王朝は?時王妃?王母の姓を造作した。その中で朴氏を?するものが比較的多かった。神?王の姉妹が孝恭王の王妃となったことから、神?王も朴氏を?することになった」と?明している
[1]
。
脚注
[
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]
- ^
a
b
c
d
鄭早苗
『「三?遺事」王?の高句麗と新羅』
大谷??
〈大谷?報 73 (3)〉、1994年3月、46-47頁。
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- ?字は?代、( ) ?は在位。「居西干」「次次雄」「尼師今」「麻立干」はいずれも新羅?自の「王」?。
- 赤字
は女王。
|
上代
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中代
|
29.
武烈王
(654-661)
/
30.
文武王
(661-681)
/
31.
神文王
(681-692)
/
32.
孝昭王
(692-702)
/
33.
聖?王
(702-737)
/
34.
孝成王
(737-742)
/
35.
景?王
(742-765)
|
---|
下代
|
36.
?恭王
(765-780)
/
37.
宣?王
(780-785)
/
38.
元聖王
(785-799)
/
39.
昭聖王
(799-800)
/
40.
哀?王
(800-809)
/
41.
憲?王
(809-826)
/
42.
興?王
(826-836)
/
43.
僖康王
(836-838)
/
44.
閔哀王
(838-839)
/
45.
神武王
(839)
/
46.
文聖王
(839-857)
/
47.
憲安王
(857-861)
/
48.
景文王
(861-875)
/
49.
憲康王
(875-886)
/
50.
定康王
(886-887)
/
51.
?聖王
(887-897)
/
52.
孝恭王
(897-912)
/
53.
神?王
(912-917)
/
54.
景明王
(917-924)
/
55.
景哀王
(924-927)
/
56.
敬順王
(927-935)
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カテゴリ
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