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田中 純一?
(たなか じゅんいちろう、
1902年
12月3日
-
1989年
3月26日
)は、
日本
の
映?史家
、
映?評論家
、
編集者
[1]
。本名:松倉 ?一(まつくら ひさいち)
[1]
。代表作は『
日本映??達史
』
[1]
。
人物???
[
編集
]
映?史家として
[
編集
]
1902年
(明治35年)
12月3日
、
群馬?
新田郡
生品村
[2]
(のち新田郡
新田町
、現:
太田市
新田地?)
[3]
で出生。
大正初年に上京し、
東京市
神田?
(現:
東京都
千代田?
)の?制中?校に通う
[3]
。映?に夢中になり、卒業後には映?界に入る旨を祖父に表明すると、?業半ばに同市
日本橋?
(現:
中央?
日本橋
)の?屋に奉公に出されてしまう
[3]
。奉公先の主人が簿記?校に通わせてくれるので、外出するとやはり映?館に入ってしまうような映?狂(
シネフィル
)で、映??誌によく投稿していた
[3]
。?時の投稿仲間には、芥川柳三(のち
飯島正
)、
古川?波
がいた
[3]
。1919年(大正8年)に、全世界で流行した
スペイン風邪
に罹患、死線をさまよっている
[3]
。
東洋大?
在?中に批評家
[2]
としてデビュ?した。卒業
[1]
後まもない1925年(大正14年)に、?誌『映?時代』を、1930年(昭和5年)に?誌『キネマ週報』を各?創刊編集に?加した
[2]
。
第二次世界大?
中は
東?映?
に在籍し地方巡回の映?上映などを手がけ、1940年(昭和15年)から1943年(昭和18年)にかけ地方巡回しながら、幻の撮影技師
土屋常吉
の足跡を追った
[4]
。終?後は『
キネマ旬報
』編集長、
日本大?芸術?部
講師を?任した
[1]
。
1957年 (昭和32年)に、代表作『日本映??達史』第1?「活動??時代」、第2?「無?からト?キ?へ」、第3?「?後映?の解放」を中央公論社で上梓。1966年(昭和41年)に、『日本映??達史』等の執筆による功?により
藍綬褒章
を受章
[3]
1965年(昭和40年)から1967年(昭和42年)にかけ、『
キネマ旬報
』誌に『秘稿日本映?』を連載する
[2]
。
1968年(昭和43年)に、?編『日本映??達史』第4?「史上最高の映?時代」を上梓。同年12月1日、「
映?の日
」特別功?賞を受賞
[3]
[5]
。
1976年(昭和51年)7月、
中公文庫
版で『日本映??達史』第5?「映像時代の到?」を上梓(他も改訂再刊)、同シリ?ズの完結をみた。同年、『日本映??達史』全5?が評?され、日本映?ペンクラブ賞を受賞した
[6]
。
1985年(昭和60年)12月、
松竹
の創業90年に際し、大著『松竹九十年史』を編む。同書は、
新藤兼人
の指摘に?れば、??者の視点にのみ?るものではなく、第二次世界大?中での松竹は、時代?れであった事?に?れ、客?的な評?を下しているという
[7]
。
1989年
(平成元年)
3月26日
、死去
[1]
。?86??。晩年は
東京都
練馬?
南大泉
に居を構え、都心?銀座地?での試?に出向くために電車の定期券を常時携?していた
[8]
。
?後
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]
?後9年が?過した1998年(平成10年)、出身地の群馬?
新田郡
新田町で、「第1回 田中純一?記念日本映?史フェスティバル」が開催
[9]
された。同フェスティバルは2002年(平成14年)の第5回まで?年開催された
[9]
。なお同町は2005年(平成17年)3月28日に、
平成の大合?
で
太田市
に編入された。
?後15年が?過した2004年(平成16年)12月、?行本?未刊だった『秘稿日本映?』は、新編『秘??日本の活動??』(
ワイズ出版
、本地陽彦
[10]
監修)で上梓された
[2]
。
受賞?受章?
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]
- 1966年 - 藍綬褒章
- 1968年 - 「映?の日」特別功?賞
[5]
- 1976年 - 日本映?ペンクラブ賞(著書「日本映??達史」全5?)
[6]
ビブリオグラフィ
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]
?立???書館
所?作品での一?
[11]
。
- 『チヤツプリン「街の?」』 ?外社、1932年
- 『日本映?史 第1?』 ?藤書店、1948年
- 『
日本映??達史
』 中央公論社(現:
中央公論新社
)、1957年、1968年(第4?、1?2?3?は再版)、1976年(第5?)
- 「活動??時代」中央公論社、1957年、新版1980年2月 /
中公文庫
、1975年12月
ISBN 4122002850
- 「無?からト?キ?へ」中央公論社、1957年、新版1980年3月 / 中公文庫、1976年1月
ISBN 4122002966
- 「?後映?の解放」中央公論社、1957年、新版1980年4月 / 中公文庫、1976年2月
ISBN 4122003059
- 「史上最高の映?時代」中央公論社、1968年、新版1980年5月 / 中公文庫、1976年3月
ISBN 4122003156
- 「映像時代の到?」中央公論社、新版1980年6月 / 中公文庫、1976年7月
ISBN 4122003520
フィルモグラフィ
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]
- 『大?の?』 監督藤本修一?、1940年10月10日、
東?映?
- 脚本
- 『日本漫?映??達史 漫?誕生』 監督
藪下泰司
、1971年9月11日、
日本動?
- 企?
- 『日本漫?映??達史 アニメ新?帖』 監督藪下泰司、1973年3月31日、日本動? - 企?
- 『
映?女優
』 監督
市川崑
、1987年1月17日、
東?映?
- 映?史監修
註
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]
- ^
a
b
c
d
e
f
コトバンク
サイト?の記事「
田中純一?
」の記述を?照。
- ^
a
b
c
d
e
田中純一?『秘??日本の活動??』(本地陽彦監修、ワイズ出版、2004年12月)に記載のプロフィ?ルの記述を?照。
- ^
a
b
c
d
e
f
g
h
田中純一?『日本映??達史 1 活動??時代』(1975年12月、中公文庫版)のカバ?、あとがき(p.421-423)の記述を?照。
- ^
新藤兼人解?「?言者の居場所」-『活動??がやってきた』中公文庫, p.284.
- ^
a
b
“
映?の日 特別功?大章?特別功?章及び感謝?贈呈者一?
”. 一般社?法人映?産業??連合? (2019年4月30日).
2021年8月10日
??。
- ^
a
b
“
第5回 1976年度
”. 日本映?ペンクラブ (2019年4月30日).
2021年8月10日
??。
- ^
新藤兼人解?「?言者の居場所」-『活動??がやってきた』中公文庫, p.285.
- ^
新藤兼人解?「?言者の居場所」-『活動??がやってきた』中公文庫, p.279-280.
- ^
a
b
資料展示 群馬と映?
、
群馬?立?書館
、2010年2月7日??。
[
リンク切れ
]
- ^
日本映?史、日本映?文?に?する?究者。田中の出身地?新田町での「田中純一?記念?日本映?史フェスティバル」の?行委員、プロデュ?サ?でもあった。
- ^
?立???書館
?書?索?申?システム「
NDL-OPAC
」での「田中純一?」の?索結果を?照。
外部リンク
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