憎?

出典: フリ?百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『憎しみを克服する ヘラクレス

憎? (ぞうお、 : hatred あるいは hate )や 憎しみ (にくしみ)は同義語であり、憎?は「ひどくにくむこと [1] 」で憎しみは「憎く思う?持ち [2] 」と?書には書いてあるが、(「憎しみ」を「憎く思う?持ち」と書くだけでは、そもそも「憎い」ということはどういうことか全く?明されておらず?書的定義としてもかなり不十分なので [注 1] 十分に定義するために補足すると)、「憎い」とは、(「誰か」や「何か」を)「いやな相手(いやな存在)として、何か?いことがあればよいと思うほどに 嫌っている 」や「?に入らない」ということである [3]

日本語の場合、 大和言葉 の「にくしみ」や「憎しみ」に比べて、漢字表現の「憎?」のほうが、同じ憎しみでもより程度が激しいものを指す傾向が(やや)ある、といった程度のことである。 [注 2] 。ただし、?術分野の文章などでは、?術的慣習として、ひらがなの大和言葉を避けて漢字表現のほうを選んで使うこと(「くるま」はくだけた日常語として扱い「自動車」をそれに??する?術的表現として扱うように、「にくしみ」を日常語として扱い「憎?」はそれに??する?術的表現として使う、というやり方)も行われているので、いつもその程度(感情の?さ)によって使い分けられているわけでもない。この記事も、見出し語を選?する際には百科事典的に(つまりやや?術的に)、大和言葉的な「憎しみ」という表現を避けて「憎?」を選?している。だがどちらも同じ感情を指しており、(使い分ける場合でも、せいぜい「程度」の差でしかなく)この記事でまとめて解?する。

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「憎しみ」や「憎?」、というのは(??苑などの定義文からも判るように)、結局(「誰か」や「何か」を) ひどく嫌う 、ということであり、(?人の感?としては、誰かや何かに?して)「××は、ひどく嫌いだ」と感じている心の?態(感情)のことである。

結局、根底には、「好き / 嫌い」という感情(?術的にはしばしば漢字表現を選?し「好 / ?」(こう / お) [4] の感情、と表現する)がある。根底にあるのは「好き / 嫌い」の感情である。

では、どのような場合に、人は 誰か(や何か)を憎むか、激しく嫌いだ、と感じるか、というと、それは人それぞれ(各人各?)であり、感じる人の感性や度量によっても異なるし、また?況次第でもある。

基本的には、「好き」と感じている?象に危害が加えられた、と感じると憎しみ(憎?)を感じる人は多い。

例えば、ある人(Aさん)がペットを飼っていて、そのペットのことをとても好きだ、大好きだ、と思っている場合に、誰かがそのペットに危害を加えたりすると、Aさんは、そのペットに危害を加えた人に憎しみ(憎?)を感じることは多い。

たとえば、自分の娘を?く愛している父親の場合は、娘に危害を加える人のことはひどく憎む、?い憎?を感じる、ということは多い。

たとえば「わたし(自分)のことが大好き」という人( 自己愛 が激しい人)の場合は、「わたし」「自分」と?人が感じているもの(自己の身?だけでなく、しばしば「自己像」と呼ばれる?念的なもの)を損なうようなことをする人のことを憎む。

たとえば白人で、たとえば「自分は白人で、(子供のころに(白人社?で)?んだ童話やおとぎ話のように)白人は皆、いつでも、他の人種を?倒するほどに優れていて?いんだ。自分はそうなんだ。」と信じ?んでいて、その自己イメ?ジが大好きな人は、「白人が必ずしも優れているとは限らない。しばしば劣っていることがある。」ということを??な例を引き合いに出して指摘する人や、(面とむかって言語的にそう指摘されなくても)他の人種の人で?際に優秀で各分野で成功している人を見たりするだけでも(つまり「有色人種」で成功している人を見るだけでも、その人が面と向かって何も言っていなくても)、まるで自分が子供のころから心に抱いている自己イメ?ジを破?されているように感じて、?く憎む。たとえば「自分は○○民族だ。○○民族だけは、いつでも、何の分野でも、優れているんだ。自分はそうなんだ」と信じこんでいる人は、他民族で優秀な人?を見ると、?く憎む。

ウェ?ルズ政府 が制作した 社?的マイノリティ への憎?を防止する啓?ビデオ

心理?での?究によって、人間というのは 幼? 段階ではほとんどの人は、基本的には「わたし(自分)が(大)好き」と(しばしば言語も用いず、非言語的な、根底的な感情として)感じている、ということが理解されている。幼?段階ではそれが一般的で、それで良いのだが、大人になるにしたがって人は成長し、自分に?しても アンビバレントな態度 がとれるようになることが一般的である。つまり、自分に?する感情も多?化し、しだいに?化するので、人が自分に?して何かをした時の感情も?化する。 (それができないまま年?的にだけ「大人」になってしまった人が、つまり大人になっても「わたし(だけ)が好き」「わたし(だけ)がかわいい」という感情ばかりに?り立てられて過ごしている人が、社?で??な問題を引き起こす傾向がある。)

例えば、人によっては子供の時には、親や?師などから自分の不十分な点を指摘されたりすると、指摘した人を「大嫌い!」と感じて、憎む人はいる。だが、その同じ人が、大人になり、大人扱いされるようになり、大抵のことで「大人だから本人の責任だ」と見なされ、周?のほとんどの人が親切に先まわりして自分の不十分な点を指摘してくれなくなり、取り返しのつかない大失敗をするまで放置される、ということを何度か??したりすると、今度は誰かから自分の不十分な点を指摘されても、「?しいけれど、注意してくれる人がいるだけでもありがたい」とか「客?的に見れば、自分にも到らない点は多?ある。今回は、あの人がこれを指摘してたおかげでこれにも?付くことができた。私の至らないところは素直に改善しよう。」などと感じるようになる人もいる、といった具合で、同じ人が同じことをされても、年月とともに受け取り方が?化しすることはあり、「憎?」を感じていた人が、逆に ある種の「感謝」すら感じるようになる場合もある。

なお、幼?的な自己愛の段階を卒業して、全ての人?への愛(人類愛、 友愛 、兄弟愛)を自分の心の中心に据えて生きゆく道を選ぶ人も多いが、たとえば「人?が相互の 人? を心から大切にして、誰もが互いを尊重している?態、そういう社?」が好き、と感じている人は、(たまたま自分個人がどう扱われたか、ということではなくて)誰に?してであれ人?を侵害する行?を行う人のことを憎むことは多い。

憎?(憎しみ)によって引き起こされる感情や行動

人によっては、憎む相手を「(この世から)消し去ってやりたい」とか「殺したい」とまで感じる場合がある。大抵の人は、そういう感情を感じても、「それを?行することは 犯罪 だ」と 理性 を?かせて踏みとどまる。「私がどんなにAを憎く感じているとしても、だからといってAを殺して良いということにはならない。何か他の解決策があるはずだ、それを考えよう。」と、理性を?かせる。例えば、短期的解決策としては、レストランに出かけて美味しいものを食べて自分をなぐさめたり、あるいはたとえばボクシングジムに出かけて サンドバッグ を「憎い人」に 見立て つつパンチして?分をスッキリさせて?ませたりし(これを心理?用語で言うと「代償行動」と言う)、たとえば長期的解決策としては、職場の上司や同僚が憎くてしかたないのであれば、人事部に相談して、その憎い人の顔を?日見なくて?むように部署移動(配置?換)の希望を出したり、それも?わないようなら ?職 先を探して見つける、などということは世の中で?く行われている。こうしてほとんどの人は理性が勝ったり、うまく別の解決策を見つけたりするので、この世は殺人事件だらけにならずに?んでいるのだが、まれに理性よりも感情が勝りすぎている人や、何らかの事情で他の解決策が無い人(あるいは、(本?は他の解決策があるのにもかかわらず)他の解決策に?付く知?が無く、他の解決策は無い、と感じてしまった人)などがいて、感情に?られるままに殺人を?行してしまい、 事件 となり、報道されたり、 逮捕 されて 裁判 にかけられたりする人が出てくる。

自分が?する民族や人種が好き、ということばかり感じている人は、他の民族や人種を憎みがちで、 民族差別 人種差別 につながりがちである。民族主義者や人種差別主義者は、感情に?られていて、自分を理性的に客?視することができない人が多いので、ささいなことをきっかけにして暴力事件を起こしがちである。しかも、民族主義は相?的でしかなく(Aという民族から見ればBは「他民族」で憎?の?象で、Bという民族から見ればAこそが「他民族」で憎?の?象で)際限が無く、泥沼の、醜い殺し合いの?況を招きがちである。

一方、「好き」という感情や愛情の中でも(幼?的な自己愛ではなく)、全ての人?に?する愛情、 人類愛 友愛 )を心の中心に据えたうえで、人?を苦しめる者を憎み、人?を苦しめる者を排除するために具?的な行動を起こすことは、良い結果を生むこともある。たとえば、18世紀の フランス では、王族が?民を食い物にして?民を苦しめていたが、それに?して憎しみを抱いたフランス?民は立ち上がり、 フランス革命 を起こし王族を排除し、人?宣言(「 人間と市民の?利の宣言 」)が採?され、「 自由、平等、友愛 」を理念にかかげ、 共和制 の?を構築することに成功した。このおかげで、ヨ?ロッパの他の??でも人?が尊重されるようになっていった。たとえば、 アメリカ合衆?憲法 があるのも、もとをたどれば、フランス?民が、抑?的で搾取的な王族に?して憎しみを抱いて立ち上がって、それを打ち倒して、全ての人?の人?を尊重する、という理念をかかげて政府を樹立し、世界にその理念を?げてくれたおかげである。

大航海時代 以降、世界各地で先進?による 植民地支配 が行われたが、全ての人?の人?を尊重すべきなのだ、という理念が理解されるようになり共感する人?が殖えると、「植民地」や「奴隷制度」という、人?を侵害するやり方に憎しみを抱く人?が、(白人の??の中の、一般市民の中からも)出てくるようになり、長い?いの結果、植民地は少しづつ減り、奴隷制度も?止されてきた。

なおイギリス、フランスなどは、地中海世界を支配してきたオスマン帝?に?して計略を用い、 サイクス?ピコ協定 を締結し、帝?をバラバラに解?したのだが、イスラ?ム?徒の側は、ムハンマドがクルア?ンに書いたように、イスラ?ムの理念によって統一されている世界こそが望ましい世界と感じているので、イギリスやフランスに?して激しい憎?を感じている。その結果、イギリスやフランスなどイスラ?ム世界に危害を加えたもの、加えるもの、に?して、イスラ?ム?徒たちは?境を越えて?く力をあわせて、?い(ゲリラ的武力??、イギリスやフランスの人?からは彼ら側の論理で「 テロリズム 」と呼ぶもの)をしかけることが行われている。これなどはイスラ?ムの理念とキリスト?の理念のせめぎあいによってのみ憎?が生まれているのではなく、イギリスやフランスが選んでしまった汚い手段、策略(陰謀)や、「約束破り」が?い憎?を生んでしまっている。 ト?マス?エドワ?ド?ロレンス が(イギリスの?家側の都合に振り回されて、結果として)アラブ人たちをひどく騙してしまった結果になったことや、イギリスやフランスがサイクス?ピコ協定を結んでアラブ人たちを騙していたことなどを知らないと、どうして今日でも、イスラ?ム?徒たちがイギリスやフランスに激しい憎?を抱いているのか、理解しそこなうわけで、それ(「何を憎んでいるか」)を知らないとただ「憎んでいる人」という表層的な理解のしかたになってしまう。

?連表現 [ 編集 ]

  • 愛憎(あいぞう)。「愛することと、憎むこと [5] 」である。愛と憎しみを一?、ワンセットにした表現。人は、子供のころは、ある?象に?して愛ばかりを感じたり、反?に憎しみばかりを感じるが(心理?用語で言う「スプリッティング」な?態)、大人になると成長して アンビバレント になり、同じ?象Aに?して、愛情を感じつつも、同時に憎しみを感じる、という?態にもなる。こういう?態を日本語では昔から、「愛憎相半ばする」(あいぞう あいなかば する)と言う。大人の男女の?愛では、相手を深く愛すれば愛するほど、相手のちょっとした言葉や態度が自分の心のやわらかいところ、一番痛いと感じるところにグサリと刺さるように感じられて、(愛しているはずなのに)同時に?い憎しみも感じるものである。?人同士だけでなく、結婚した男女(夫婦)でも、「愛憎相半ばする」?態の人?は多い。夫婦は一般に、愛し合っているのか?、憎みあっているのか?、と言うと、大抵の夫婦は、「愛し合いつつ、憎みあっている」わけであり、別の言い方をすると「愛しているからこそ、憎んでいる」。
  • 「嫌?(けんお)」とは、「憎み嫌うこと [6] 」である。「憎しみ」や「憎?」とほぼ同義語であるが、やや程度が?いものを指すことが多い。「厭?(えんお)」とも。
  • 「毛嫌い」は、「(鳥?が相手の毛なみによって 好き/嫌い することから)何という理由もなく、ただ嫌うこと [7] 」である。

脚注 [ 編集 ]

注? [ 編集 ]

  1. ^ 一般に、?書の編集部門では、基本的にはできるだけ ト?トロジ? 的な?明は避けて、もともとそれを良く理解していない人にとって役に立たないような事態は避ける、という方針を共有しているものだが、それが徹底されていないことはしばしば起き、この語に?して(は / も)チェックから漏れて、放置された可能性がある。
  2. ^ 「憎?」が『??苑第六版』で「 ひどく にくむこと」と解?されたり、 『新明解?語?典 第三版』「(地球上からなくしてしまいたい ほど )その存在を憎むこと」と解?されているのも、そういうことを示唆している。

出典 [ 編集 ]

  1. ^ ??苑第六版「憎?」
  2. ^ 『??苑第六版』「憎しみ」
  3. ^ 『??苑第六版』「憎い」
  4. ^ 大?泉「好?」
  5. ^ 『??苑第六版』「愛憎」
  6. ^ ??苑第六版「嫌?」
  7. ^ ??苑第六版「毛嫌い」

?連項目 [ 編集 ]