後藤 武敏
東北?天ゴ?ルデンイ?グルス 打?コ?チ #93
|
---|
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fd/T_gotoh20190313.jpg/275px-T_gotoh20190313.jpg) ヤクルト?田球場にて(2019年)
|
基本情報
|
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?籍
|
日本
|
---|
出身地
|
?岡?
浜松市
中央?
|
---|
生年月日
|
(
1980-06-05
)
1980年
6月5日
(44?)
|
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身長
?重
|
176 cm
84 kg
|
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選手情報
|
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投球?打席
|
右投右打
|
---|
ポジション
|
一?手
、
左翼手
、
三?手
|
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プロ入り
|
2002年
自由獲得?
|
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初出場
|
2003年3月28日
|
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最終出場
|
2018年9月22日(引退試合)
|
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??
(括弧?はプロチ?ム在籍年度)
|
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選手?
|
|
コ?チ?
|
|
|
後藤 武敏
(ごとう たけとし、
1980年
6月5日
- )は、
?岡?
浜松市
中央?
出身の元
プロ野球選手
(
?野手
、
外野手
)。右投右打。
愛?は「
ゴメス
」など(
後述
)。
??
[
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]
プロ入り前
[
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]
中?校時代には
シニアリ?グ
の「浜松シニア」に所?し
[1]
、チ?ムメイトで1年後輩の
野久保直樹
らと共に全?大?で準優勝している。
?浜高等?校
では、1年生時からベンチ入りし、
第78回全?高等?校野球選手?大?
では、3回?の9回に代打で起用され安打を放った。
1998年
、
松坂大輔
、
小池正晃
、
小山良男
らと共に
第70回選?高等?校野球大?
に出場し全?制覇を果たすと、
第80回全?高等?校野球選手?大?
に主に3番打者として出場し、
準?決勝
では
上重?
、
平石洋介
らを擁する
PL?園
、
準決勝
では
寺本四?
を擁する
明?義塾高校
、決勝では
吉見太一
を擁する
京都成章高校
に勝利し、春夏連覇を果たした。
かながわ?ゆめ??
も制覇。高校通算33本?打。
高校の2年先輩に
松井光介
、
阿部?宏
(大?、西武でも同僚)
[2]
が、1年先輩には俳優の
上地雄輔
がいる。
法政大?
では
東京六大?野球連盟
2年春のリ?グ?で打率.445?2本?打?14打点で
三冠王
を達成し優勝に貢?。前年には大?先輩の
廣?純
が
三冠王
に輝いており、史上初めて同一チ?ムから2年?けて三冠王を輩出した。?く2年秋のリ?グ?でも首位打者となり、
長崎慶一
(法大)、
??克己
(明大)に次ぐ史上3人目の2季連?首位打者であり、以降に達成した選手はいない。ちなみに首位打者2回も9人目の最多記?で、のちに
鳥谷敬
(早大)、
大引啓次
(法大)、小野寺和也(慶大)が達成している(2021年現在)。
4年秋の早大3回?の9回に、早大先?の
和田毅
から三振を喫したが、これが和田のリ?グ?通算444個目の奪三振となり、六大?記?を?上した。
リ?グ通算73試合出場、258打?79安打、打率.306?8本?打?52打点でベストナイン3回(一?手2、三?手で1回
[3]
)。
山中正竹
が指揮を執る
第1回世界大?野球選手?日本代表
にも同僚の
土居龍太?
?
河野友軌
と、のちに西武ライオンズで同期入?となる
長田秀一?
?
小野寺力
と共に選出され、3位入賞に貢?。
2002年
11月20日に行われた
プロ野球ドラフト?議
で、
西武ライオンズ
に自由獲得?で入?。?時のスカウトの評?は「足は?いけど、打?はいい」であった
[4]
。
西武時代
[
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]
西武時代
2003年
は故障で開幕に間に合わなかった
アレックス?カブレラ
に代わり開幕?で新人ながら4番打者に?擢。開幕4番は新人としては1959年の
桑田武
以?44年ぶりの出?事であった
[4]
。前半は打率3割を超え、手首の?さを生かした打?で
クリ?ンナップ
に座った。後半に失速したが、101試合で11本?打と新人ながら活躍した。
2004年
は5番?一?手で2年連?の開幕スタメンに起用されるものの、故障の影響や
貝塚政秀
の台頭で出番は少なく、打率1割台と低迷した。
2005年
は
ホセ?フェルナンデス
の開幕出?れでチャンスが巡ってきたが、それを生かせなかった。しかし二軍では打率.362?58打点で二冠、出?率.464?長打率.580を合わせて4冠を獲得、優秀選手を受賞した。この成績にもかかわらず、一軍には
石井義人
が首位打者に立つなど好調だったこともあり、なかなか昇格できず25試合?打率.205に留まり、8度の守備機?で4失策を喫した。9月24日の?
福岡ソフトバンクホ?クス
?で、
三?幸司
から人生初となる逆?サヨナラ適時打を放ち、チ?ムの24年連?Aクラスを決定させた。
2006年
は
三?手
に
中村剛也
がレギュラ?に定着したこともあり、初めて一軍出場が無かった。二軍では本?打が
イ?スタン?リ?グ
6位の9本、長打率は5位の.447と快打を連?したが、昇格できなかった。
2007年
は開幕一軍スタ?トだったがすぐに降格。中村の不振で5月15日に再昇格したが、打率1割台と結果を?せなかった。二軍では打率.325でチ?ムトップの本?打と打点を記?したにもかかわらず、この年も一軍では活躍できなかった。
2008年
も開幕二軍だったが、二軍で打率.313?10本?打と打?好調で6月中旬に一軍昇格。6月29日の?
千葉ロッテマリ?ンズ
?(西武ド?ム)では
小林宏之
から2003年以?となる本?打を放った。更に5回にも本?打を放ち、自身初の1試合2本?打を放った。
ヒ?ロ?インタビュ?
では2本?打について「1本目は息子と嫁さんのため、2本目は親父と、先日亡くなった母ちゃんのために打ちました」とコメントし、?ながらに「母ちゃん、やったぞ!」と叫んでいた
[5]
。以後も好調な打?を維持して五輪出場組の?けたチ?ムを支えた。終盤には調子の落ちた
クレイグ?ブラゼル
に代わって4番で出場することもあり、日本一に大きく貢?した。最終的には49試合に出場して打率.301、自己最多の12本?打の成績を?した。プロ入り後初めて左翼手も??したが無難にこなした。
クライマックスシリ?ズ
では2本?打と活躍。日本シリ?ズでは第一?、
上原浩治
からバックスクリ?ンに同点本?打を放って日本一に貢?した。
2009年
から外野手登?となる。開幕は一軍だったが腰を痛めて離?、その後7月9日に昇格した。8月25日の?
東北?天ゴ?ルデンイ?グルス
?でプロ初となるサヨナラ本?打を打った。左翼手?
指名打者
?一?手として出場し、打率.293?5本?打を記?。前年同?シ?ズン中盤から一軍で好成績を?した。
2010年
は前年の活躍から一?して、大半を二軍で過ごした。特に左投手は打率.050と全く打てなかった。最終?で一軍に昇格し、クライマックスシリ?ズ第1ステ?ジ第1?にスタメン出場するも、無安打に終わった。
2011年
は24試合に出場したが打率は1割台に低迷した。
DeNA時代
[
編集
]
DeNA時代(2012年)
2011年11月22日に
武山?吾
との
トレ?ド
で
?浜DeNAベイスタ?ズ
[6]
へ移籍した
[7]
。奇しくも高校時代の同級生である小池もFA?行使でDeNAに復?することが決まり
[8]
、再びチ?ムメイトとなった。
2012年
は開幕前に右太腿の張りの影響もあり、前半?は二軍暮らしだったが、後半?から一軍に昇格すると、8月には3年ぶりの本?打を含む6本の本?打を放ち、右の代打として最後まで一軍に居?けた。
2013年
は開幕一軍とはならなかったものの、4月19日に一軍登?される。しかし、6月に降格してしまう。8月に一軍復?を果たすと9月の月間打率が.417という驚異的な?字でチ?ムを支え、9月4日に移籍以?
?浜スタジアム
で初めてお立ち台にも立った。また、
トニ?ブランコ
、
中村紀洋
の不調時にはスタメンで4番で出場することもあった。
2014年
は中村と入れ替わりで5月7日に昇格すると、?日の?
??ジャイアンツ
?で4番に起用され、本?打を放ったが、左??筋痛で4日後に登?抹消される
[9]
。6月18日の一軍復?後は、昇格?日の?ロッテ?で先制2ランを含む4打点を?げるなど打?好調で、ブランコが怪我で離?していたことから、一?のスタメンでの出場が?いた。ブランコの復?後は不振の
ア?ロム?バルディリス
に代わり、7年ぶりに三?手として先?起用される場面もあった
[10]
。得点?打率は.383、代打打率は.379。
2015年
は、登?名を愛?から取った「
後藤武敏G.
」に?更する(後述)。主に代打として起用されたが、得点?では.208、代打でも.224に終わる。
2016年
は、登?名を「
後藤 G 武敏
」と?更。春季キャンプで右太もも裏の?度の肉離れを?症し、開幕一軍には間に合わなかった。7月12日の二軍?で??ホ?ムランを放ち、翌13日に一軍に復?して、代打で二?打を放った。復?後は
下園辰哉
とともに代打の切り札としてチ?ムを支えた。得点?打率は.333、代打打率は.316。
2017年
は、登?名を「
G.後藤武敏
」に?更した。
インフルエンザ
の影響で春季キャンプから出?れ開幕を二軍で迎え、7月23日に一軍に復?した。25試合に代打として起用されたが、打率1割台と精彩を欠いた。
2018年
は、登?名をピリオドを取った「
G 後藤武敏
」に?更した。シ?ズン終盤まで1軍昇格は無く、9月10日に現役を引退すると球?が?表した
[11]
。引退?見前夜の9月13日には同級生の松坂が阪神?に先?登板。自身の誕生日を白星で飾った松坂は、同世代に?して試合後のヒ?ロ?インタビュ?で「僕はもう少し頑張るよ」とメッセ?ジを送ったが、それを聞いたG後藤は自宅で感?した
[4]
。9月22日、?浜スタジアムでの
中日ドラゴンズ
?で引退試合を開催、7回裏に
今永昇太
の代打で登場し、
笠原祥太?
と??、空振り三振で現役最終打席を終えた。試合後のセレモニ?では松坂、小池から花束を手渡され、
リリ?フカ?
で場?を一周。最後はチ?ムメイトらに胴上げされた(松坂は三?ベンチから小山良男と共に最後までセレモニ?を見守り、
ホセ?ロペス
の計らいで胴上げにも?加している)
[12]
。
引退後
[
編集
]
10月16日、
2019年
より
東北?天ゴ?ルデンイ?グルス
の二軍打?コ?チを務めることが?表された。背番?は
93
[13]
。
2021年
まで同コ?チを務め、
2022年
は育成?合兼打?コ?チに
[14]
、
2023年
は一軍打?コ?チに配置?換された
[15]
。
選手としての特?
[
編集
]
パンチ力のある積極的な打?が持ち味
[16]
。現役時代は故障が多く、レギュラ?として定着することは出?なかったが、DeNAに移籍後は持ち前の勝負?さを買われ、代打の切り札として活躍した
[17]
。
上原浩治
の公式
YouTube
チャンネルに2021年7月に公開された動?で
森本稀哲
は、
松坂世代
における「勝負?い、プラス守備に難有り」の筆頭として?っ先に彼の名前を?げた
[18]
。
人物
[
編集
]
愛?
は
ゴトタケ
、
GT
、
グッさん
(顔が
山口智充
に似ていることから)、
ゴメス
。
「ゴメス」の愛?はDeNA移籍初年度のキャンプ中にチ?ム?でついたもの。
石川雄洋
との練習の待ち合わせに?れてきた
松本啓二朗
が「ごめ?んす」といって合流し、それを石川雄洋が「後藤さんにゴメスはないだろ!」と言い、後藤が「ゴメス、、、いいじゃん!!」となりゴメスが始まった
[19]
。2014年からは、
ヒ?ロ?インタビュ?
でアナウンサ?から「後藤選手」と言われると「ゴメスです」とニックネ?ムをアピ?ルするのがお約束になっている。2015年にはユニフォ?ムの背ネ?ムを「
GOMEZ
」とし、登?名も「後藤 武敏 G.(ごとう たけとし ごめす)」に?更した
[20]
。翌年からは「G」の位置を?え、2016年は「後藤 G 武敏(ごとう ごめす たけとし)」、
[21]
2017年は「G. 後藤 武敏(ごめす ごとう たけとし)」に、2018年は
ドット
を外し「G 後藤 武敏」に?更している。
?厚な性格で、試合中に????め事があった時には怒った外?人選手?首?陣を制止する場面が多い。西武時代の
2011年
7月11日?
オリックス
?で
高宮和也
が
中島裕之
に死球を?えたのを?端に?め事が?生した時には激高した
ホセ?フェルナンデス
をなだめていた。
?浜高校時代の同級生だった小池正晃とは、
2011年
シ?ズン終了後の移籍を機に、?浜DeNAで再びチ?ムメイトになった。小池が
2013年
のシ?ズン終盤に球?から?力外を通告された直後には、高校の4年先輩でチ?ムメイトでもある
多村仁志
と共に小池の相談に?った。その席で後藤と多村が「今の打?では(現役?行は)?しい。生まれ育った?浜で引退して指導者になった方が良い」と??で助言したことをきっかけに、小池は引退を決意。10月8日の引退試合(?浜スタジアムの?阪神?)では、目を潤ませながらベンチで見守る後藤の前で小池が2本の本?打を放つと、小池は後藤?多村と泣きながら抱擁した。なお、
2014年
からは、小池がDeNAの一軍打?コ?チとして後藤や多村を指導する
[22]
[23]
。
DeNA時代、息子の誕生日にホ?ムランを打ち、娘にも「?年は私の誕生日も」と言われた。その娘の誕生日?日はオフであったが、次の日にホ?ムランを打ったことでリクエストに?えた形となった
[5]
。
詳細情報
[
編集
]
年度別打?成績
[
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]
年
度
|
球
?
|
試
合
|
打
席
|
打
?
|
得
点
|
安
打
|
二
?
打
|
三
?
打
|
本
?
打
|
?
打
|
打
点
|
?
?
|
?
?
死
|
?
打
|
?
飛
|
四
球
|
敬
遠
|
死
球
|
三
振
|
?
殺
打
|
打
率
|
出
?
率
|
長
打
率
|
O
P
S
|
2003
|
西武
|
101
|
272
|
252
|
30
|
66
|
15
|
1
|
11
|
116
|
44
|
1
|
2
|
0
|
1
|
17
|
2
|
2
|
57
|
9
|
.262
|
.313
|
.460
|
.773
|
2004
|
24
|
52
|
47
|
5
|
9
|
2
|
0
|
0
|
11
|
4
|
0
|
0
|
0
|
0
|
5
|
0
|
0
|
15
|
1
|
.191
|
.269
|
.234
|
.503
|
2005
|
25
|
47
|
39
|
4
|
8
|
4
|
0
|
0
|
12
|
3
|
0
|
1
|
0
|
0
|
8
|
0
|
0
|
11
|
1
|
.205
|
.340
|
.308
|
.648
|
2007
|
20
|
42
|
37
|
2
|
6
|
0
|
0
|
0
|
6
|
1
|
0
|
0
|
1
|
1
|
3
|
0
|
0
|
12
|
1
|
.162
|
.220
|
.162
|
.382
|
2008
|
49
|
184
|
166
|
34
|
50
|
14
|
0
|
12
|
100
|
27
|
0
|
0
|
0
|
0
|
16
|
0
|
2
|
31
|
3
|
.301
|
.370
|
.602
|
.972
|
2009
|
54
|
161
|
147
|
13
|
43
|
4
|
1
|
5
|
64
|
23
|
0
|
2
|
0
|
1
|
13
|
0
|
0
|
33
|
4
|
.293
|
.348
|
.435
|
.783
|
2010
|
16
|
33
|
29
|
2
|
4
|
0
|
0
|
0
|
4
|
1
|
0
|
0
|
0
|
0
|
3
|
0
|
1
|
9
|
1
|
.138
|
.242
|
.138
|
.380
|
2011
|
24
|
37
|
33
|
0
|
5
|
2
|
0
|
0
|
7
|
1
|
0
|
0
|
0
|
0
|
4
|
0
|
0
|
13
|
0
|
.152
|
.243
|
.212
|
.455
|
2012
|
DeNA
|
51
|
138
|
125
|
11
|
32
|
3
|
0
|
6
|
53
|
15
|
0
|
1
|
0
|
1
|
12
|
0
|
0
|
26
|
2
|
.256
|
.319
|
.424
|
.743
|
2013
|
62
|
101
|
88
|
13
|
25
|
6
|
0
|
6
|
49
|
14
|
0
|
1
|
1
|
0
|
9
|
0
|
3
|
19
|
1
|
.284
|
.370
|
.557
|
.927
|
2014
|
68
|
165
|
145
|
17
|
41
|
8
|
0
|
7
|
70
|
31
|
0
|
0
|
1
|
1
|
18
|
1
|
0
|
34
|
4
|
.283
|
.360
|
.483
|
.843
|
2015
|
70
|
76
|
68
|
4
|
14
|
4
|
0
|
4
|
30
|
11
|
0
|
0
|
0
|
0
|
8
|
1
|
0
|
17
|
2
|
.206
|
.289
|
.441
|
.731
|
2016
|
27
|
30
|
23
|
2
|
6
|
1
|
0
|
1
|
10
|
6
|
0
|
0
|
0
|
0
|
7
|
0
|
0
|
9
|
1
|
.261
|
.433
|
.435
|
.868
|
2017
|
26
|
29
|
26
|
0
|
3
|
1
|
0
|
0
|
4
|
3
|
0
|
0
|
0
|
0
|
3
|
0
|
0
|
7
|
1
|
.115
|
.207
|
.154
|
.361
|
2018
|
1
|
1
|
1
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
0
|
1
|
0
|
.000
|
.000
|
.000
|
.000
|
通算:15年
|
618
|
1368
|
1226
|
137
|
312
|
64
|
2
|
52
|
536
|
184
|
1
|
7
|
3
|
5
|
126
|
4
|
8
|
294
|
31
|
.254
|
.327
|
.437
|
.764
|
年度別守備成績
[
編集
]
年
度
|
球
?
|
一?
|
三?
|
外野
|
試
合
|
刺
殺
|
補
殺
|
失
策
|
?
殺
|
守
備
率
|
試
合
|
刺
殺
|
補
殺
|
失
策
|
?
殺
|
守
備
率
|
試
合
|
刺
殺
|
補
殺
|
失
策
|
?
殺
|
守
備
率
|
2003
|
西武
|
25
|
145
|
1
|
3
|
10
|
.980
|
6
|
4
|
3
|
0
|
1
|
1.000
|
-
|
2004
|
15
|
80
|
6
|
2
|
5
|
.977
|
2
|
0
|
1
|
0
|
0
|
1.000
|
-
|
2005
|
3
|
13
|
2
|
1
|
2
|
.938
|
5
|
5
|
4
|
3
|
3
|
.750
|
-
|
2007
|
5
|
28
|
0
|
0
|
2
|
1.000
|
9
|
3
|
9
|
0
|
0
|
1.000
|
-
|
2008
|
7
|
27
|
0
|
0
|
2
|
1.000
|
-
|
28
|
36
|
2
|
0
|
0
|
1.000
|
2009
|
11
|
59
|
6
|
0
|
6
|
1.000
|
-
|
7
|
15
|
1
|
0
|
1
|
1.000
|
2010
|
10
|
64
|
5
|
0
|
5
|
1.000
|
-
|
2
|
0
|
2
|
0
|
0
|
1.000
|
2011
|
5
|
38
|
3
|
1
|
3
|
.976
|
-
|
-
|
2012
|
DeNA
|
30
|
249
|
19
|
3
|
18
|
.989
|
-
|
4
|
8
|
0
|
1
|
0
|
.889
|
2013
|
17
|
121
|
8
|
1
|
11
|
.992
|
-
|
-
|
2014
|
27
|
156
|
25
|
3
|
19
|
.984
|
4
|
0
|
6
|
0
|
1
|
1.000
|
3
|
2
|
0
|
0
|
0
|
1.000
|
2015
|
4
|
15
|
0
|
1
|
1
|
.938
|
-
|
-
|
2016
|
2
|
7
|
2
|
0
|
0
|
1.000
|
-
|
-
|
2017
|
1
|
9
|
0
|
1
|
0
|
.900
|
-
|
-
|
通算:14年
|
162
|
1011
|
77
|
16
|
84
|
.985
|
26
|
12
|
23
|
3
|
5
|
.921
|
44
|
61
|
5
|
1
|
2
|
.985
|
記?
[
編集
]
- 初記?
背番?
[
編集
]
- 6
(2003年 - 2011年)
- 55
(2012年 - 2018年)
- 93
(2019年 - )
登?名
[
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]
- 後藤 武敏
(ごとう たけとし、2003年 - 2014年、2019年 - )
- 後藤 武敏 G.
(ごとう たけとし ごめす、2015年)
- 後藤 G 武敏
(ごとう ごめす たけとし、2016年)
- G.後藤 武敏
(ごめす ごとう たけとし、2017年)
- G 後藤 武敏
(ごめす ごとう たけとし、2018年)
脚注
[
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]
?連項目
[
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]
外部リンク
[
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]
野球日本代表
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