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定額寺
(じょうがくじ)とは、
奈良
?
平安時代
に
私寺
ではあるが
令制?
?で
官寺
に準ずる扱いを受け、
官大寺
?
?分寺
(
尼寺
を含む)に次ぐ
寺格
を有した
??
寺院
。その?史上での展開には諸?ある。
定額
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定額寺の「定額」が一?何を指しているのかについては、諸?があって結論が出されておらず、?ってその具?的な定義を行うのは困難である。
大きく分けると次の5?があるが、いずれも反論が出されており、通?になるには至っていない。
- 一定の定?に限定されて指定を受けた寺院。
律令
において「定額」とは、“定?”の意味で用いられていたため、古くから言われている有力?である。これに?しては、具?的な定?となる寺院の?に?する記事が全く見?たらず、時代を下っても定額寺に列せられる寺院の記事が見られる(定?があれば、定?を?たせばそれ以上は?やせないはずである)という反論がある。
- 一定の?量の物資の支給を受けた寺院。これによって??的な基盤を得ることができ、?家による大きな保護となりうる。これに?しては、その物資の支援の?容が
寺田
(そこから?がった?穫が寺に納付される)の設定によるものなのか、それとも直接物資の形で支給されたものなのかが不明であるという反論がある。
- 一定の定員の
官僧
(「
定額僧
」)が派遣された寺院。これによって、寺に僧侶がいなくて荒?するという事態が防止できる。また、?家的な
法?
の?施指示も可能となるため、?家としてもメリットがある。これに?しては、定額寺の中で定額僧が定まっていた事?を確認できる寺は少?であるという反論がある。
- ?家が寺?を“定”め、その寺名が書かれた“額”が授?された“寺”院であるという?。これに?しては、定額寺に列せられた際に寺額を授?された事?を確認できる寺は少?であるという反論がある。
- ?家によって存立の承認を受けた寺院。その際寺?を?えられ、これを「額」と?した。これに?しては、官大寺や?分寺以外の
官寺
が全て定額寺となってしまい、定額寺の特殊性を見出せなくなるという反論がある。
?要
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以上のように定義が定まっているとは言えないために、その?態把握も困難である。定額寺を寺?と結びつける見解を採った場合には、
天武天皇
8年(
769年
)に諸寺の寺?を定めた件に起源を求めることとなり、?いて
??
2年(
716年
)に出された寺院整理令の
詔
に「寺家(
私寺
)が?って題額を求めた」とする件が見られる。
「定額寺」という語の初出は、『
?日本紀
』に記されている
天平勝?
元年
7月13日
(749年8月30日)に寺院に?する墾田地の制限を定めた際に「定額寺、寺別一百町」とする記事である。以後、
六?史
をはじめとする諸記?に「定額寺」の語が現れるようになる。
こうした記事から分かるのは、定額寺の多くは元は
皇族
?
貴族
?
豪族
などが建立した私寺であったものが多かったということである。特に私寺に?する禁令が?化された
延?
年間以後に定額寺に列する寺院が急激に?加しており、?家の抑?の?象となった私寺を官寺への編入申請する事で抑?を回避を?る動きがあったと考えられている。また、私寺の建立者である
檀越
も定額寺指定後に完全に寺との?係が絶たれたわけではなかった。
定額寺に指定されるとその?容は寺院によって違いはあるものの、基本的には定額寺のある
?
の
?司
?
講師
(?分寺の僧侶の長)は、定額寺に修理料?燈分料を?え、修造の義務、定額僧や
年分度者
の配置に?する便宜などが行われたが、その一方で定額寺側にも
資財帳
作成と?司?講師?
三綱
?檀越が共同で行う?校?分を受けることを義務付けられていた。さらに、寺?の三綱人事?を掌握されるなど、定額寺及び檀越に?して?しい統制を受けた。
だが、
律令制
が弛緩すると、
僧尼令
をはじめとする??統制の法制は形骸化し、一方で修理料や燈分料規定も空文化するようになった。このため、定額寺の中には統制だけが?った定額寺の格式を嫌ってこれを返上する寺院も現れた。一方で、天皇などが建てる寺院が、あくまでも朝廷?では有?法であった私寺建立禁止の規定に反しないようにあらかじめ定額寺として建立する例が見られるようになる。やがて、こうした定額寺は
御願寺
の原型となった。
正?
元年(
990年
)に
尋?
が建てた
延?寺
妙香院
が定額寺の指定を受けたのを最後に?史から姿を消すことになる。
なお、
延慶
元年(
1308年
)に、
北?貞時
の申請によって
臨?宗
の
円?寺
と
建長寺
が定額寺とされている
[1]
。
出典
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- ^
今枝愛?『中世?宗史の?究』東京大?出版?、1970年、150頁
?考文?
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]
?連項目
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