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大森 ?
(おおもり みのる、
1922年
1月13日
-
2010年
3月25日
〈日本時間
3月26日
〉)は日本の
ジャ?ナリスト
。
兵庫?
神?市
出身
[1]
。
作家の
柴田?三?
は?兄弟
[2]
。
略?
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]
人物
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1949年
、
?日新聞大阪本社
に岡山?の浮浪者?容施設「
岡田更生館
」で?容者が多?虐待死させられているという情報が、同施設の?走者からもたらされた。社?部記者であった大森は?警の協力を得て同僚と共に浮浪者に??し、?入取材を敢行。6?ほどの部屋に15名が折り重なるようにして?起きするという劣?な環境下で結核と
疥癬
が蔓延し、食事もろくに?えられず、飢餓?態に置かれている凄?な?況を目にする。?容者の中から選ばれて昇格した指導員の暴力が常態化し、?走を試みた者は激しい私刑に遭うなどして70名以上の死者が出ていたが、遺?は裏山で密かに火葬されていた。大森のこの恐るべきスク?プを、同年2月18日付
?日新聞
朝刊紙面に載せ、衆??院の厚生委員?で議題に採り上げられる等、大きな反響を呼んだ。岡田更生館は??の優良施設とされていたが、?際は?容者を養うための公金を施設長らが?領し、??を恐れて?容者を?しく監禁していたのである
[5]
。
1954年
から海外特派員に赴任、
ワシントン
特派員、
ニュ?ヨ?ク
支局長、ワシントン支局長を?任。?際報道畑を?む。
1965年
、
?日新聞東京本社
外信部長として
特派員
?を組織?派遣し、
ベトナム??
の現地取材にあたらせた
[6]
。これは後に『泥と炎のインドシナ』として?行本となる
[6]
。大森自身も同年秋に西側記者として初めて北ベトナム(?時)の首都
ハノイ
に入り、取材をおこなった
[6]
。その中で、1965年10月3日朝刊に「米軍が北ベトナム?クインラップの
ハンセン病
病院を爆?したことは、北ベトナムの撮影した記?フィルムから見て事?だ」とする記事が?載された。これに?して駐日アメリカ大使の
エドウィン?O?ライシャワ?
が「全く事?に反する?容」と大森を名指しで批判する事態に?展した。?日新聞側は?初「報道は正確である」と主張したが、大森は翌年1月に、同紙の姿勢について「自分の報道を事?上修整した」として退職した
[1]
[7]
[注 1]
。
退社?立後、大森?際?究所から週刊新聞『TOKYO OBSERVER』を創刊し、1967年2月12日?から1970年3月1日?(第159?)まで刊行
[8]
。1968年11月24日?では、秘密裏に沖?へ配備されていた核爆?搭載の地?地巡航ミサイル「メ?スB」の存在をスク?プするなど、最盛期は15万部近く刷っていた
[9]
。1974年にはアメリカへ移住。主に
米?
から見た日本のスタンスに警鐘を鳴らし、多くのテレビ出演や著書を上梓した。
著書
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]
?著
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]
- 『ペンは生きている』
河出書房
、1952年
- 『特派員五年 日米外交の舞台裏』
?日新聞社
、1959年
- 『?際事件記者』正??
中央公論社
、1964年 - 1965年
- 『アジアの?幕 その苦?と新たなる胎動』
弘文堂
〈フロンティア?ブックス〉、1964年
- 『?際記者の眼 激動の世界外交を見る』
講談社
〈ミリオン?ブックス〉、1964年
- 『北ベトナム報告』?日新聞社、1965年
- 『?際記者情報』
秋田書店
〈サンデ?新書〉、1966年
- 『第三の引金 米世界?略の??室』
潮出版社
〈潮新書〉、1966年
- 『大統領の紋章
ジョンソン
政治の?幕』潮出版社〈潮新書〉、1966年
- 『天安門炎上す
毛?東革命
の?幕』潮出版社、1966年
- 『世界の政治家エンマ帖』
文藝春秋
、1967年
- 『炎と氷』
集英社
、1967年
- 『
スカルノ
最後の?相』
新潮社
、1967年
- 『あかい太陽をめぐって』宮川書房、1967年
- 『火?に包まれた日本』
?間書店
、1968年
- 『挑? 特ダネを追う一匹狼』?間書店、1968年
- 『沖??朝鮮?日本』ノ?ベル書房、1969年
- 『
金日成
と南朝鮮 日米安保の標的?朝鮮緊張報告』
サイマル出版?
、1970年
- 『民族?? 侵略と解放』
新人物往?社
〈現代の??2〉、1970年
- 『カンボジア?記』新人物往?社、1970年
- 『中?-八億の挑?』
講談社
、1971年
- 『
ニクソン
矛盾に?むアメリカの顔』
祥?社
ノン?ブック、1971年
- 『世界ゴルフ武芸帖』文藝春秋、1971年
- 『石に書く
ライシャワ?
事件の?相』潮出版社、1971年
- 『??からの?出 日本人の?際感?』
?葉社
、1972年
- 『?に書く ある若きジャ?ナリストの死』潮出版社、1972年
- 『
ウォ?タ?ゲ?ト事件
』潮出版社、1973年
- 『?際ゴルフ記者』産報〈マスタ?ズ?ライブラリ?〉、1973年
- 『大森?の地球直?野?』
東京スポ?ツ
新聞社、1973年
- 大森?選集
全6?(講談社、1974年 - 1975年)
- 第1? ?際事件記者(???際事件記者/ヒロシマ?の芽)
- 第2? 新聞新兵突?す(スカルノ最後の?相/還らざる島沖?)
- 第3? 石に書く(北ベトナム報告/第三の引金)
- 第4? ?よ、釘よ、中島よ(カンボジア?記)
- 第5? 大統領の紋章(R?ニクソン/ウォ?タ?ゲ?ト事件)
- 第6? 民族??(――その軋みの分析/??からの?出)
- ?後秘史
全10?(講談社、1975年 - 1976年)/
講談社文庫
、1981年
- 1 崩?の?車(各??末に?言インタビュ?)
- 2 天皇と原子爆?
- 3 祖?革命工作
- 4 赤旗とGHQ
- 5 マッカ?サ?の憲法
- 6 禁じられた政治
- 7 謀略と冷?の十字路
- 8 朝鮮の?火
- 9 講和の代償
- 10 大宰相の?像
- 人物現代史
全13?(
講談社
、1978年 - 1980年)
- 1
ヒトラ?
炎の?裁者/講談社文庫 1993年
- 2
ムッソリ?ニ
悲劇の?統/同 1994年
- 3
スタ?リン
鋼?の巨人/同 1995年
- 4 チャ?チル 不屈の?士
- 5 ル?ズベルト 自由世界の大宰相
- 6 ケネディ 挑?する大統領
- 7 ド?ゴ?ル 孤高の哲人宰相
- 8 ホ??チ?ミン 不倒の革命家
- 9 毛?東 不世出の巨星
- 10 ファイサル 砂漠の帝王
- 11 ネ?ル 第三世界の立役者
- 12 カストロ カリブ海の覇者
- 13 現代史のル?ツ ?世の群像
- 『80年代日本は再び孤立するか ?際感?ゼロの日本外交を直?』太陽企?出版、1981年4月
- 『?際情報都市ロスの死角』中央公論社、1985年11月
- ザ?アメリカ 勝者の?史
全10?(講談社、1986年)
- 1 カリフォルニアを奪れ リ?ドの開拓魂
- 2 果てしなき欲望 サッタ??軍の金塊
- 3 ライバル企業は潰せ 石油王ロックフェラ?
- 4 ?占者の福音 ?鋼王カ?ネギ?
- 5 ウォ?ル街指令 財閥モルガン
- 6 大陸???道 政商スタンフォ?ド
- 7 一ドルに泣いた銀行王 ジアニ?ニの銀行革命
- 8 デトロイト?モンスタ? 自動車王フォ?ド
- 9 ??コングロマリット デュポン帝?
- 10 ?された帝? ヒュ?ズの挑?
- 『恐慌が迫る アメリカの報復』講談社、1987年3月
- 『世界が大きく動く 大恐慌にいかに備えるか』講談社、1988年1月
- 『大森?の?際?略論』?日新聞社、1988年11月
- 『アメリカとは何か100章 興亡の岐路に立つこの超大?を日本人はどう理解すべきか』講談社、1989年5月/講談社文庫、1993年
- 『
ラグナビ?チ
より愛をこめて 大森?のアメリカ日記』
?習?究社
、1989年11月
- 『エンピツ一本』講談社 全3?、1992年
- 『アメリカの?幕世界の展望 私の日記より』
?間書店
、1992年3月
- 『再び恐慌が迫る このカオス世界と日本』?間書店、1993年10月
- 『素顔のアメリカ人』講談社、1993年6月
- 『アメリカからの最後の警告 世界知らずの日本人へ捧ぐ亡??憂?論』?間書店、1994年11月
- 『日本はなぜ??に二度負けたか ?民不在の政治』中央公論社、1998年6月/
中公文庫
、2001年4月
- 『陰謀 大統領を葬れ』?間書店、1999年4月
- 『わが?? わが?病』講談社、2003年1月
- 『激動の現代史五十年 ?際事件記者が抉る世界の?幕』
小?館
、2004年6月
共著
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- 『ヒロシマの?の芽』今村得之、世界文?社、1949年
- 『泥と炎のインドシナ ?日新聞特派員?の現地報告』?日新聞社(監修)、1965年
- (
ASIN
B000JAEGJC
) - 日本語の本として初めて
ベトナム??
の?況???などを詳しく報告
- 『大森? 直?インタビュ?』
週刊現代
編集部編、
講談社
〈全速記 1?2〉、1973年
- 『革命と生と死 大森?直?インタビュ?』
池田大作
、講談社、1973年
- 『
杉本英世
の科?的ゴルフ 大森?直?インタビュ?』講談社、1974年
- 『日米衝突への道』
ジョ?ジ?パッカ?ド
、講談社、1990年3月
評?
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]
- 小倉孝保『大森?? アメリカと?った男』
?日新聞
社、2011年
- 『大森? ものがたり』街から?、2012年 - ?係者?知人73名による追想?
出演
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テレビ
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映?
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]
受賞
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]
脚注
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]
注?
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]
- ^
2011年
2月28日
付けの?日新聞の記事に?載されたライシャワ?の元特別補佐官の?言では、ライシャワ?の?言は情勢を把握した上でのものではなく、ライシャワ?は後年「私の外交官人生で最?の間違いだった」として、大森に謝罪したいと考えていたという
[7]
。
出典
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