吉住慈恭

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四代目吉住小三?

吉住慈恭(よしずみ じきょう、 明治 9年( 1876年 12月15日 - 昭和 47年( 1972年 2月27日 )は、 長唄 唄方 四代目 吉住小三? 。重要無形文化財保持者( 人間?? )、 文化?章 受章者、 文化功?者 。東京都新宿生まれ。

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東京都新宿の生まれ。 吉住勘四? の子。幼名は長次?。 三代目 の義弟で、のちその養子となる。明治22年(1889年)12月に四代目吉住小三?を襲名。翌年から 十二代目杵屋六左衛門 一門に?して 歌舞伎座 に出演する。明治26年(1893年)5月には 九代目市川團十? の『 ?進帳 』を務めたが、事情あって退座。その後は日本橋浜町の 明治座 や赤坂溜池の 演伎座 に出演し、意?投合した 五代目尾上菊五? 五代目市川新? の舞台を務めたが、新?の早世後は舞台出演が減る。明治35年(1902年)に 三代目杵屋六四?(後の二代目稀音家??) とともに 長唄?精? を組織しそこで新曲を?表に傾注、それまで歌舞伎に附?する音?の域を出なかった長唄を?立した演奏?用音?にまで高めた。

昭和4年(1929年)には 東京音??校 の長唄科(選科)の講師、昭和11年(1936年)に音??校の選科が本科に昇格した際に?授となった [1] 。?後は、昭和23年(1948年) 日本芸術院 ?員、昭和31年(1956年) 人間?? 、その翌年には 文化?章 ?びに 文化功?者 と?典に輝いた。昭和38年(1963年)長男に五代目を?って自らは 吉住慈恭 と改名した。墓所は港?西福寺。

作曲に『鳥羽の?塚』『醍?の花見』『新平家物語」など。また二代目??との合作に『紀文大?』『神田祭』『都風流』などがある。その唄はCD12枚組の『四世吉住小三?全集』( コロムビアミュ?ジックエンタテインメント 、2007年)などで?くことができる。著書に『芸の心』( ?日新聞社 、1971年)。

脚注 [ 編集 ]

  1. ^ ?世?吉住?稀音家の邦?三?授任命『東京日日新聞』昭和11年7月31日夕刊(『昭和ニュ?ス事典第5? 昭和10年-昭和11年』本編p485 昭和ニュ?ス事典編纂委員? ?日コミュニケ?ションズ刊 1994年)