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古鷹 (重巡洋艦) - Wikipedia コンテンツにスキップ

古鷹 (重巡洋艦)

出典: フリ?百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
古鷹
基本情報
建造所 三菱造船長崎造船所
運用者   大日本帝?海軍
艦種 重巡洋艦
級名 古鷹型重巡洋艦
艦?
?注 1922年 6月
起工 1922年 12月5日 [1]
進水 1925年 2月25日 [1]
竣工 1926年 3月31日 [1]
最期 1942年 10月12日 、米艦隊の砲?により沈?
除籍 1942年 11月10日 [2]
要目(新造時 → 改?後 [3]
基準排水量 7,950 トン → 8,700トン
公試排水量 9,544トン → 10,630トン
全長 185.166 m
最大幅 16.55 m → 16.926 m
吃水 5.56 m → 5.61 m
主缶 艦本式缶 重油??10基、同混?2基 → 艦本式重油??缶10基
主機 三菱 パ?ソンズ 式オ?ルギア?ド タ?ビン 4基4軸
出力 102,000 馬力 → 103,340馬力(公試成績)
速力 34.6 ノット (公試成績)
→ 32.95ノット(公試成績)
燃料 重油:1,400トン、石炭:400トン
→ 重油:1,858トン
航?距離 14ノットで7,000 海里
?員 627名 → 639名
兵? 竣工時 [4]
50口?20cm??砲6門
40口?8cm??高角砲4門
61cm連? 魚雷?射管 6基12門
八年式魚雷24本
改?後
50口?20.3cm連?砲3基6門
45口?12cm??高角砲4門
61cm4連? 魚雷?射管 2基8門
九三式魚雷 16本
?甲 舷側76mm
水平32-35mm
主砲25mm
搭載機 1機 → 2機
(カタパルト0 → 1基)
テンプレ?トを表示

古鷹 (ふるたか)は 大日本帝?海軍 古鷹型重巡洋艦 1番艦 である [5] 。艦名は 江田島 海軍兵?校 そばにある 古鷹山 に由?する [6] 平賀? 造船官が設計した?1942年10月、 サボ島沖海? で沈?した。

艦? [ 編集 ]

建造?緯  [ 編集 ]

大正時代中期までの日本海軍の主力巡洋艦は 5500トン型?巡洋艦 で、同じ太平洋で?力な海軍を持つ米?の オマハ級?巡洋艦 に比べて軍艦性能で大きく後れを取っていた。平賀は基準排水量2890トンの船?に5500トン型?巡洋艦に匹敵する兵?を備えた?巡洋艦 夕張 を設計し、軍艦設計技術の高さを世界に示した [7] 。平賀は夕張に引き?き、米?の15cm砲搭載?巡洋艦に?抗できる兵?を備えつつ、快速で中部太平洋まで行動できる高い航海性能を備えた偵察巡洋艦として、夕張のコンパクトな設計思想を引き?いだ7100トン級巡洋艦を設計した [8] 。これが古鷹型である。?初の計?では14cm砲を搭載する予定だったが、1922年(大正11年)2月に終了した ワシントン海軍軍縮?約 で、巡洋艦が「排水量10,000トン以下、砲口?5インチ以上8インチ以下」と定義された一方、保有トン?の制限は設定されなかった。そのため搭載する主砲は、?約下で米?巡洋艦を上回る20cm??砲6基6門に?更された。

1922年(大正11年)8月11日、1番艦に 衣笠 、2番艦に古鷹の艦名が?えられた [9] 。10月9日、1番艦の艦名が加古に?更された(詳細は 加古 ?照)。12月5日、加古より18日?れて 三菱造船長崎造船所 (現?三菱重工長崎造船所)で起工した [1] 1925年 (大正14年)2月25日に進水 [1] [10] 1926年 (大正15年)3月31日に竣工し [1] 、?須賀?守府籍となった [11] 。竣工時点で加古はクレ?ンの事故などで竣工しておらず、加古の竣工は7月20日と約4か月?れた [12] 。この結果、11月29日の艦艇類別等級表の改訂で古鷹が1番艦となった [13] 。ただ計?段階から加古型(加古級)の呼?が浸透しており、改訂後も古鷹型と?んで加古型の表記が?く使われた。

古鷹と加古は20cm??砲を前甲板と後甲板の中心線上に3基ずつ?べ、煙突を巨大化し、航行性を高めるために波型の甲板を採用した事に特?がある [14] 。ただ主砲の??は人力式で、機械式に比べて給?の?さが建造?初から問題視されていた。準同型艦の ?葉型重巡洋艦 では機械??式の20cm連?砲塔3基6門に?更されており、建造?初の古鷹型と?葉型の外見上の大きな違いとなった。

竣工後 [ 編集 ]

昭和16年11月
1935年撮影 給油艦鶴見との洋上給油
1926年4月5日 就役?時の艦橋
1939年撮影 改?後の艦橋

1926年 (大正15年) 4月1日 、古鷹は第五?隊に編入された [15] 。?初は古鷹、?巡 名取 、?巡 由良 、?巡 川? と5500トン型?巡洋艦と?隊を編制していた。9月25日、?艦中の 高松宮宣仁親王 (海軍少尉)が長崎造船所で行われた ?葉 の進水式に立ち?うため、古鷹も進水式に?加した [16] [17] 。12月1日、第五?隊は古鷹、加古、?巡 神通 、?巡 那珂 となった [15]

1927年 (昭和2年) 8月24日 、第五?隊は 島根? 美保? 沖で演習中に僚艦が衝突する 美保?事件 に遭遇した。神通、那珂などが大破したが、古鷹は各艦と協力して沈?した?逐艦 と損傷艦の救援に?事した [18] 。古鷹は?艦 比叡 と共に損傷した那珂を護衛して舞鶴へ移動した [19] 。 那珂?艦中の皇族 博義王 が古鷹に移?した [20]

1927年(昭和2年)12月1日の再編で、第五?隊に古鷹、 加古 ?葉 衣笠 の重巡洋艦4隻が初めて?った [21] [22] 。古鷹は以降、太平洋??開?まで3艦と共に第五、第六、第七?隊を?任した。 1932年 (昭和7年)2月1日、 ??守府 籍に?籍した [11] 1934年 (昭和9年)6月29日、 ?州島 沖で行われた演習に?加し、?逐艦 深雪 と?逐艦 が衝突して深雪が沈?した。

1936年 (昭和11年)8月14日午前4時、訓練終了後に?葉、衣笠、古鷹が?列で航行中、衣笠が?葉の艦尾に衝突事故を起こした [23] 。後?の古鷹は衝突せず、同年度では無事故で演習でも優秀な成績をおさめた古鷹の評?が高まったという [24]

完成時に優秀な巡洋艦とされた古鷹型も、 妙高型重巡洋艦 高雄型重巡洋艦 など1万トン級巡洋艦の就役と、大正~昭和初期の兵?や主機?、軍事?備品の急速な進?に伴い、昭和10年代には重巡洋艦として性能や?備の?れが目立ってきた。このため古鷹と加古は日本の重巡洋艦としては例外的に大規模な近代化改修を施し、船?、主機?や主砲塔の全換?、上部構造の大幅な改?が施された。古鷹は加古より?れて 1937年 (昭和12年)3月16日に?海軍工廠で着手し [11] 1939年 (昭和14年)4月30日に完成した。主砲塔は?葉型とほぼ同じ20.3cm連?砲3基6門で、魚雷?射管を艦?から甲板上に移設し61cm4連?魚雷?射管2基8門、九三式魚雷16本としたほか、高?式の艦橋が連結構造になり、主機?の?更に伴って煙突が構造?更された(詳細は 古鷹型重巡洋艦 ?照)。

  • 古鷹と加古の排水量は竣工時、?初計?から1割?えてほぼ8000トンとなり、喫水線が上がって舷窓が常に波浪をかぶるため「水族館」とも呼ばれたが、近代化改修でさらに1割?えて8700トンとなった。日本海軍は1934年に 友鶴 が?覆する 友鶴事件 が?生した後、艦艇全?で復原力の見直しが計られたが、事件後に大規模な改修を行った古鷹型の復原性能?策は排水量の?加に伴うバルジの?設程度にとどまり、平賀の造船設計思想の正しさを裏付けた。一方で古鷹型の設計?時の艦艇は、船?の?度を維持するため船?中心線上に隔壁を設置することが多く、古鷹も船?の?量化と?度の?面から船?中央に隔壁が設置されていた。太平洋??開?時には大口?の砲?や爆?力の高い魚雷の開?が進み、命中した場合に片舷のみが浸水し傾斜が復原できなくなる危?性が指摘されていた。この問題は解消される機?がないまま古鷹は開?を迎え、サボ島沖海?で左舷への集中砲火を受けて沈?する一因になった [25]

1940年 (昭和15年)5月2日、?閣首?の??航海のため ?浜 に入港 [26] 。10月11日、 紀元二千六百年特別?艦式 で加古と共に供奉艦として?列した。 1941年 (昭和16年)3月1日の?隊編制?更で、第一艦隊第六?隊に古鷹、加古、?葉、衣笠の4隻が再び?い、太平洋??開?時の態勢が整った。9月15日、第六?隊司令官に 五藤存知 少?が就任した [27]

太平洋???? [ 編集 ]

1941年11月7日に第六?隊(「?葉」、「加古」、「衣笠」、「古鷹」)は南洋部隊に編入され、グァム島攻略支援部隊として グアム島攻略作? に?加した [28] 。第六?隊は11月30日に柱島泊地を出港して12月2日に 母島 に到着 [29] 。12月4日の攻略部隊の母島出?に?いて第六?隊も出?して敵水上部隊に備え、上陸成功後はトラックへ向かい12月12日に到着した [30]

グアム島攻略と同じ頃行なわれた ウェ?ク島攻略作? は失敗に終わっており、第二次攻略作?には第六?隊も投入されることとなった。第六?隊はウェ?ク島攻略支援部隊となった [31] 。第六?隊は12月13日にトラックを出港して12月16日にルオットに到着 [32] 。12月21日に攻略部隊などが出?し、第六?隊もそれに?いて出?した [33] 。ウェ?ク島は12月23日に攻略された [34] 。第六?隊はウェ?ク島東方を行動し、攻略後は南下して攻略部隊の支援にあたり、12月25日にルオットに?投 [35] 。1942年1月7日にルオットを出港し、1月10日にトラックに到着した [36]

1942年 (昭和17年)5月上旬、古鷹以下第六?隊はMO(ポ?トモレスビ?)攻略部隊に所?し、珊瑚海海?に?加した。五藤少?が指揮するMO攻略部隊主隊は?葉、加古、衣笠、古鷹、空母 祥鳳 、?逐艦 で編制されていた。5月7日、MO攻略部隊は空母 ヨ?クタウン レキシントン 攻?隊の空襲を受けた。祥鳳が沈?し、第六?隊は?員の救助を行ったが、退避命令が出たため現場海域を離れた [37] 。20時40分、第六?隊から古鷹と衣笠がMO機動部隊に編入され [38] 、?葉、加古と分かれた。5月8日朝、古鷹と衣笠はMO機動部隊(空母 瑞鶴 、空母 翔鶴 、重巡 妙高 、重巡 羽? 、?逐艦6隻《 有明 夕暮 白露 時雨 》)と合流した [39] 。ただ「第六?隊ハ航空?隊ノ後方五キロニ?行セヨ」以外の指示がなく、また空母を中心とした輪形陣を組まなかったため、各艦は??で米軍機動部隊艦載機の空襲に??する事になった [40] 。古鷹と衣笠は翔鶴の後方約8000m地点を航行中に空襲を受けた [41] 。翔鶴が大破したため、古鷹は衣笠、夕暮、潮と共に、?場を離?する翔鶴を一時的に護衛した [42] 。珊瑚海海?の結果、ポ?トモレスビ?の攻略は延期となり、第六?隊は本土で整備を行うことになった。古鷹は6月5日に?に到着した [11] ミッドウェ?海? で大敗した日本海軍はソロモン諸島防備を?化する方針を打ち出し、第六?隊4隻は南方へ?った。古鷹は7月4日、トラック泊地に到着した [11]

ガダルカナル島の?い [ 編集 ]

1942年(昭和17年)8月7日、米軍は ツラギ島 ガダルカナル島 に上陸し、南太平洋での本格的な反攻に?じた。ラバウルに向かっていた第六?隊はガダルカナル島上陸の急報を受け、急きょ 三川軍一 中?の指揮下で重巡 鳥海 、?巡 天龍 、夕張、?逐艦 夕? と共に「挺身艦隊(挺身攻?隊)」を編制した。艦隊は ??陣 を採り、鳥海、?葉、加古、衣笠の後に古鷹が?いた。8月8日深夜、同島北部のサボ島南側水道に突入し、午後11時43分に輸送船?を護衛していた米豪連合軍艦隊と最初の夜?に入った。直後に雷?を受けた豪重巡 キャンベラ が炎上して古鷹に接近し、さらに右舷から魚雷2本が接近したため、古鷹は左に?舵した。この結果、古鷹は先行艦と分離し、天龍、夕張が古鷹の後に?いた [43] 。午後11時53分、鳥海がサボ島北側水道の別艦隊を?見し、米重巡 アストリア に砲?を加えた。この??で、先行艦4隻と、分離した古鷹など3隻が期せずして左右から連合軍艦隊を??する陣形となった。連合軍は重巡4隻が沈?し、日本が勝利を?めた。記?によれば、古鷹は主砲153?、高射砲94?、25?機銃147?を?射した [44]

海?後、第六?隊4隻は鳥海、天龍、夕張、夕?と分かれ、 ニュ?アイルランド島 カビエン へ向かった [45] [46] 。8月10日朝、加古が米?水艦 S-44 の魚雷攻?により沈?した [45] 。第六?隊各艦は カッタ?ボ?ト などを降ろしてカビエンへ向かった [47] 。その後、古鷹など第六?隊3隻はカビエンで加古の?員を?容した [48]

8月、古鷹、?葉、衣笠の第六?隊と鳥海はガダルカナル島に兵員の揚陸を目指す輸送船?を支援するため、同島北方に向かった [49] が、8月24-25日に起きた 第二次ソロモン海? で第六?隊が交?する機?はなかった [49] [50] 。8月27日夕刻、古鷹は?葉と共にショ?トランド泊地に到着した [51]

沈? [ 編集 ]

第二次ソロモン海?に敗れて兵員揚陸に失敗した日本軍は、ガダルカナル島への?間の大規模な輸送揚陸が困難になったことを認識し、高速の?逐艦による反復輸送( 鼠輸送 )への?換を余儀なくされた。さらに米軍が同島に完成させたヘンダ?ソン飛行場の無力化が、?略上の喫緊の課題となった。 ヘンダ?ソン基地艦砲射? の作?が立案され、10月11日、五藤少?が率いる第六?隊と第11?逐隊の 初雪 吹雪 がガダルカナル島に向かった [52] [53] 。第三?隊(司令官 栗田健男 中?)の?艦 金剛 榛名 、第二水雷?隊の?巡 五十鈴 などによる第二次飛行場砲?隊も準備され、10月11日、第二航空?隊の ?鷹 飛鷹 と共にトラック泊地を出?した [54] [55] 。飛行場砲?に先行してガダルカナル島への揚陸作?が行われ、周?海域には水上機母艦 日進 千? 、?逐艦 秋月 綾波 白雪 叢雲 朝雲 夏雲 の輸送隊が行動中だった [56] 。?時、輸送隊や基地航空隊は米艦隊の動向をつかんでおらず [57] 、日本側は米軍が水上部隊で反?する可能性は低いと判?していた [58] 。だが米軍は重巡洋艦2隻、?巡洋艦2隻、?逐艦5隻が迎?の態勢を整え、10月11日夜間に第六?隊をサボ島沖で迎え?った [59] [60]

10月11日夜、旗艦?葉は第六?隊の左前方に出現した米艦隊を、日進などの輸送隊と誤認し、「我レ、アオバ」と?信。21時43分、?葉は米軍が放った照明?下で砲?を受け、初?が艦橋を貫通して五藤少?らが?死した [61] [62] 。?葉は右に?舵し、煙幕を張って避退した [63] 。後?の古鷹は吊光?を見て左に?舵し右砲?に備えたが、?葉の右?舵を見て右に?針した [64] [62] 。しかし古鷹は煙幕に入りきれず、米艦隊の砲?で魚雷の酸素が誘爆して大火災となり、夜間で格好の射?目標となった結果、三番砲塔旋回不能、魚雷?射管破?、機?室砲?貫通、左舷浸水、機?故障と被害が?大した [59] 。古鷹は主に高射砲で??、主砲?射??は40?以下だったが、第二射以後で敵3番艦に損害を?えたという [59] [62] 。?葉は古鷹に砲火が集中する間に海?域から離?した [65] 。?葉の右前方にあった吹雪は集中砲火を受けて沈?し、古鷹に後?していた衣笠と初雪は米重巡 ソルトレイクシティ? 、?巡 ボイシ と砲?して損傷を?えた [66] が、サボ島沖海?は日本軍の敗北に終わった。

  • ?時の古鷹主計長だった立野良?によると、荒木?艦長は第一次ソロモン海?で夜?中に隊列を二分した行動を以後も?にしていたという。この??がサボ島沖海?で古鷹の左?舵を中止し、?葉に?いて右に?針した判?につながったと推測している [50]

?葉、衣笠、初雪が離?して海?が終了した後も古鷹は海上に浮かんでいたが、水線下への被?による浸水が進み、22時40分頃に航行不能となった [66] 。米?逐艦とみられる艦が接近したが反?し、交?はなかった [50] 。救援に向かっていた初雪との交信に成功し [67] [50] 、報告した位置より西に流されていた古鷹を初雪が?見した [68] 。すでに左舷への傾斜が激しく、初雪は接舷を?念した [66] [50] 軍艦旗 を降ろした後、古鷹は艦尾から沈?した [59] 。沈?時刻10月12日午前0時28分、沈?地点サボ島の310度22浬 [66] 。荒木艦長ほか生存者は初雪 [69] に救助されたが、日の出以降に空襲が予想されたため救助活動は午前2時で打ち切られた [66] [70] 。初雪は カッタ?ボ?ト 2隻と円材を海上に?して?投した [68] [71]

古鷹の救援に日進輸送隊から第9?逐隊の朝雲と夏雲、第11?逐隊の白雪 [72] 、叢雲が向かったが、夏雲と叢雲が空襲で沈?した [73] [74] 。10月16日時点での古鷹?員の?死者は33名(?士官2)、行方不明者は225名(?士官16)、救助518名(?士官34) [59] [75] で、生存者の一部は ニュ?ジ?ランド の?容所と米軍捕虜尋問所「 トレイシ? 」に移送された [76] 。11月10日、古鷹は除籍された [2] 。同日、第六?隊は解隊 [77] [78] 。古鷹の?員は?葉に?艦し?に?投した [79] 。 11月14日、 第三次ソロモン海? で衣笠が米軍機の空襲を受けて沈?した。古鷹型と?葉型はソロモン海で3か月間に3隻を喪失し、?葉1隻となった。

公試成績 [ 編集 ]

?態 排水量 出力 速力 ?施日 ?施場所 備考
改?後 10,630t 32.95kt 1939年 (昭和14年)6月9日 宿毛? 外標柱間

?見 [ 編集 ]

ポ?ル?アレン 創業の調査チ?ムが本艦を サボ島 の沖合北西水深1400m地点で?見したと?表した。同チ?ムは2019年2月25日の時点で?見していたという [80]

エピソ?ド [ 編集 ]

  • 古鷹には1926(大正14)年5月1日から12月1日まで高松宮宣仁親王が?艦した [81] 。宣仁親王は後年も古鷹での生活を?かしんだ。高松宮日記によると、1927年(昭和2年)8月6日に?艦 比叡 の?員として古鷹を見た時『今日はじめて「比叡」にくらす。(中略)いやだいやだと云つて?つけられた艦だから一層いやだ。目の前の「古鷹」がなつかしい』と記し [82] 、8月15日に古鷹を再訪した際には『「古鷹」についであり、久し振りに行く。山浦君?直で?目だつたが、?へたのでうれ〔し〕かつた。?下兵曹に電路?をかいてもらつて?る。とてもい?。「比叡」なんか?目?』と?した [83] 。8月24日の美保?事件時は比叡に?艦していたが、博義王が古鷹に移?したと聞いて『「古鷹」なら僕と代りたいものだ』と羨んだ [20]
  • 1939年11月15日から1940年10月15日まで、海軍砲術?校?官 黛治夫 中佐が古鷹副長を務めた [84] [85] 。この間、砲術科の黛が指導したことで、古鷹は??訓練で?群の成績を?めたという [86]

?代艦長 [ 編集 ]

※『艦長たちの軍艦史』87-89頁、『日本海軍史』第9??第10?の「?官履?」に基づく。

艤?員長 [ 編集 ]

  1. ??幸一 大佐:1925年5月15日 [87] - 1926年3月31日 [88]

艦長 [ 編集 ]

  1. ??幸一 大佐:1926年3月31日 [88] - 1926年12月1日 [89]
  2. 菊井信義 大佐:1926年12月1日 [89] - 1927年11月15日 [90]
  3. 有馬? 大佐:1927年11月15日 [90] - 1928年12月10日 [91]
  4. 大西次? 大佐:1928年12月10日 [91] - 1929年11月30日 [92]
  5. 田尻敏? 大佐:1929年11月30日 [92] - 1930年12月1日 [93]
  6. 町田進一? 大佐:1930年12月1日 [93] - 1931年12月1日 [94]
  7. 神山忠 大佐:1931年12月1日 [94] - 1932年12月1日 [95]
  8. 高山忠三 大佐:1932年12月1日 [95] - 1933年11月15日 [96]
  9. ?藤二朗 大佐:1933年11月15日 [96] - 1934年11月15日 [97]
  10. 角田?治 大佐:1934年11月15日 [97] - 1935年11月15日 [98]
  11. 水野準一 大佐:1935年11月15日 [98] - 1936年12月1日 [99]
  12. 大塚幹 大佐:1936年12月1日 [99] - 1937年12月1日 [100]
  13. 友成佐市? 大佐:1937年12月1日 [100] - 1938年4月20日 [101]
  14. 岡村政夫 大佐:1938年4月20日 [101] - 1938年12月15日 [102]
  15. 伊藤皎 大佐:1938年12月15日 [102] - 1939年11月15日 [85]
  16. 白石万隆 大佐:1939年11月15日 [85] - 1940年10月19日 [103]
  17. 中川浩 大佐:1940年10月19日 [103] - 1941年11月28日 [104]
  18. 荒木? 大佐:1941年11月28日 [104] - 1942年11月10日 [105]

同型艦 [ 編集 ]

脚注 [ 編集 ]

  1. ^ a b c d e f #艦船要目公表範?(昭和12年12月1日)p .3『古鷹|一等巡洋艦|(艦要目略)|三菱長崎造船所|大正11-12-5|大正14-2-25|大正15-3-31|(艦?備略)』
  2. ^ a b #S1709??日誌(5)p .17『十日???八海軍大臣→十日一?五?各?長官 各警長官 各艦隊長官|官房機密第一???八八三番電 十日附古鷹、龍?ヲ軍艦籍ヨリ除カル』
  3. ^ 要目は主に加古の値。古鷹の値は改?後の公試排水量、機?出力、速力。
  4. ^ #日本軍艦集2600年版p .28『一等巡洋艦 古鷹(ふるたか) 基準排水量7,100?、長さ176.78米、幅15.47米、平均吃水4.5米、速力33節、備砲20?砲6門、12?高角砲4門、魚雷發射管12門』
  5. ^ #艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p .2『軍艦|巡洋艦|一等|古鷹型|古鷹、加古』
  6. ^ #幕末以降帝?軍艦??と史?p .120『古鷹(ふるたか)  艦種 一等巡洋艦 加古??葉?衣笠は其の姉妹艦なり。 艦名考 山名なり、安藝國江田島に在る古鷹山に採る。 艦? 所謂8?砲巡洋艦の魁をなしたる艦なり。』
  7. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p .38、夕張の項『排水量僅かに2,890頓で上記の兵?も而もその悉くが首尾線上に?備されてゐるのみならず、14?砲は各2門宛を砲塔式に?ち2連?砲塔として備へて、速力は5,000頓級と同じ33節である。全く素晴らしい進?である。今後はこれだと人?に思はせたが果たせるかな後年になつて計?されたのがあの7,100頓の加古級である。?ちこの夕張は現在の一等巡洋艦完成の手引であつたとも見られるものである。』
  8. ^ #東京帝?大??長平賀?p .2『…殊ニ古鷹、加古、?葉、衣笠級巡洋艦ノ如キハ世界ノ驚異トシテ造船史上ニ一時代ヲ劃セルモノニシテ昭和三年帝國學士院ハ學士院賞ヲ授與シテ其ノ功績ヲ表彰セリ(以下略)』
  9. ^ #達大正11年8月p .8『達第百五十一號 軍備補充費ヲ以テ大正十一年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|大正十一年八月十一日 海軍大臣男爵加藤友三?|川崎造船所ニ於テ建造 衣笠キヌカサ|三菱長崎造船所ニ於テ建造 古鷹フルタカ』
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  14. ^ #ポケット海軍年鑑(1935)p .28、加古の項『この型に於て眼新らしく見られる前部甲板の彎曲してゐるのは高速航行に際して前方3個の砲塔及び艦橋(ブリツヂ)が飛沫に冒されるのを防ぐためである。又後部甲板が全部と反對に下つてゐるのはこの不要部分を割いてこれを武?の方に振當てた苦心の跡を物語るもの。?この型は後檣の下に飛行機格納庫を有してゐる。後檣に副ふて飛行機揚?用の"デリツクderrick"が見えるであらう。』
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  64. ^ #S1612六?隊日誌(6)p .39『古鷹ハ2146.5前面ニ10隻余ノ?砲ヲ認ムルヤ直ニ取舵ニ取リ??魚雷?右砲?下令(高角砲ノミ一?射)主砲旋回ヲ了シ未ダ?砲セザル中ニ?葉面舵ニ?針シ敵?之ニ集中シテ火災ヲ起シ危急ノ情況ナリシヲ以テ直ニ取舵ヲ?シ面舵一杯ニテ?葉ニ?行左砲?トナセリ…』
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?考文? [ 編集 ]

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  • 生出? 『砲術艦長 黛治夫  海軍常識を覆した鬼才の生涯 』光人社NF文庫、1996年6月(原著1988年)。 ISBN   4-7698-2124-7  
  • 海軍?史保存?『日本海軍史』第7?、第9?、第10?、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘?』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
  • 古村啓?ほか 『重巡十八隻  軍縮?約が生んだ最先端テクノロジ?の結晶 』潮書房光人社、2015年4月。 ISBN   978-4-7698-1590-7  
    • ?史?究家 伊達久『重巡?隊の編成?遷とその航跡の全貌』
    • ?時「?葉」主砲?令所?令?海軍二等水兵 小川泰介『旗艦「?葉」に水兵魂つきることなし  米軍ガ島反攻、六?隊旗艦の緊張の二日間。主砲?令所?令の?言
    • 元「?葉」高射機銃首席分隊士?海軍大尉 竹村悟『ソロモンの狼と?された重巡「?葉」の生涯  五年にわたり生死を共にした叩き上げ特務士官が語る?艦の??
    • ?時「古鷹」側的分隊士?元海軍大尉 高井太?『古鷹側的分隊士が見た?夜中の完全試合  兵?校出たての少尉候補生が??した第八艦隊ソロモンの大?果
    • ?史?究家 塚田享『六?隊「加古」「古鷹」「衣笠」ソロモンに潰ゆ  加古は米?に、古鷹はレ?ダ?射?に、衣笠はグラマンに敗れた
    • ?史?究家 落合康夫『日本海軍重巡洋艦十八隻??一?』
  • 佐藤和正 「フェザ?ストンの?劇」『??の素顔  一兵卒から提督まで 』光人社、2000年5月。 ISBN   4-7698-0958-1  
  • 五月?『波濤と流雲と?春と  第二期二年現役海軍主計課士官 四十周年記念文集 』朝雲新聞社、1980年4月。  
    • 山岸二? "加古沈?"(昭和15年6月?沈?まで加古主計長)
    • 立野良? "六?隊古鷹沈?"(昭和16年4月?沈?まで古鷹主計長)
  • 諏訪繁治、高橋直一『重巡鳥海奮?記  武運長久艦の生涯 』光人社NF文庫、2010年5月。 ISBN   978-4-7698-2643-9  
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • チェスタ??ニミッツ 、E?B?ポッタ?、 ?松? ?富永謙吾?『ニミッツの太平洋海?史』恒文社、1962年12月。  
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  • 高松宮宣仁親王 嶋中鵬二 ?行人『高松宮日記 第一?  大正十年一月一日~昭和七年十二月三十一日 』中央公論社、1996年3月。 ISBN   4-12-403391-5  
  • 竹村悟『 太平洋?記ノンフィクション  軍艦?葉は沈まず  完勝!第一次ソロモン海? 』今日の話題社、1986年4月。 ISBN   4-87565-117-1  
  • 中田整一 「第二章 空母飛龍と?水艦呂?第61の男たち」『トレイシ?  日本兵捕虜秘密尋問所 』講談社、2010年4月。 ISBN   978-4-06-216157-2  
  • 原勝洋『猛き??  太平洋??日本軍艦?史 』文春文庫、2000年8月。 ISBN   4-16-745602-8  
    • 史上初の空母?決?珊瑚海海?と日米の?訓 空母「翔鶴」
    • 第八艦隊のツラギ海?夜? 重巡洋艦「鳥海」
  • 原?一ほか 『?巡二十五隻  ?逐艦群の先頭に立った?隊旗艦の奮?と全貌 』潮書房光人社、2014年12月。 ISBN   978-4-7698-1580-8  
  • 福井?夫 『日本巡洋艦物語  福井?夫著作集/第四?-軍艦七十五年回想記 』光人社、1992年10月。 ISBN   4-7698-0610-8  
  • 藤原盛宏、岡武文?行人『わが?春と海軍』株式?社トムス出版部、1974年3月。  
    藤原は?時海軍主計少尉、昭和17年3月より11月まで第11?逐隊庶務主任。サボ島沖海?時、第11?逐隊司令?逐艦「白雪」?艦。
  • 防衛?防衛?修所 ?史室『 ?史叢書第38? 中部太平洋方面海軍作?<1>昭和十七年五月まで 』朝雲新聞社
  • 防衛?防衛?修所?史室『?史叢書49 南東方面海軍作?(1)  ガ島奪還作?開始まで 』朝雲新聞社、1971年9月。  
  • 防衛?防衛?修所?史室『?史叢書83 南東方面海軍作?(2)  ガ島撤?まで 』朝雲新聞社、1975年8月。  
  • 堀之?芳?、野崎慶三?行人「第四章、任海軍少尉 -重巡古鷹航海士時代-」『海軍三等士官?裏街道』震洋通信、1982年6月。  
  • 松永市? 『思い出のネイビ?ブル? 私の海軍生活記 』光人社NF文庫、1994年2月。    松永は1942年7月古鷹配?。11月10日、?須賀?守府附 [1]
  • 松永市? 軍艦名取短艇隊?投せり  先任?校』光人社NF文庫、2009年7月(原著1985年)。 ISBN   978-4-7698-2003-1  
  • ?誌「丸」編集部『 ?? 日本の軍艦 第6? 重巡II 』光人社、1989年。 ISBN 4-7698-0456-3
  • ?誌『丸』編集部 編『 ハンディ判日本海軍艦艇??集11 重巡 古鷹?加古??葉?衣笠』光人社、1997年4月。 ISBN   4-7698-0781-3  
    • 川井哲夫『悲?! サヴォ島沖海?に潰えた古鷹  先制のレ?ダ?射?による集中砲火をうけて火だるまとなった古鷹の決?記?
  • 丸編集部編『重巡洋艦?記  私は決定的瞬間をこの目で見た! 』光人社、2010年11月。 ISBN   978-4-7698-1485-6  
    • 元第八艦隊司令長官?海軍中? 三川軍一『第一次ソロモン海?の思い出』
    • ?時「鳥海」砲術長?元海軍中佐 仲繁雄『第八艦隊?り?み鳥海砲術長の手記  第一次ソロモン海?
    • ?時第六?隊先任?謀?元海軍中佐 貴島??『悲運の第六?隊、米電探に散る  サボ島沖夜?
  • 森史朗 『?の珊瑚海』文春文庫、2009年11月。 ISBN   978-4-16-777315-1  
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?連項目 [ 編集 ]

  1. ^ 昭和17年11月20日(?令11月10日付)海軍?令公報(部?限)第993? p.6 」  アジア?史資料センタ? Ref.C13072088300