古川隆久

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古川 隆久 (ふるかわ たかひさ、 1962年 6月22日 [1] - )は、 日本 ?史?者 日本大? 文理?部 ?授 。?門は 日本近現代史。

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東京都 出身。 東京都立西高等?校 [2] 1986年 (昭和61年)に 東京大? 文?部 ?史?科を卒業する。 1992年 (平成4年)に東京大?大?院人文科??究科博士課程を修了、「?合?策機?の?究」で 博士(文?) ?浜市立大? ?際文化?部(のち?際?合科?部)講師、助?授を?て、 2006年 (平成18年)より 日本大?文理?部 ?授 となる。

大??大?院では 伊藤隆 に師事。伊藤の「 日本ファシズム 」?念否定論を受け?ぎ、「日本ファシズム」論は??として「論理的に破綻」し、「有?性がないことは明白」であり、それ自?を深めることは「無意味」であると主張した [3] 昭和 ?前??中期における日本の政治?制は、 ホアン?リンス のいう「 ?威主義 ?制」であったと指摘している [4]

『?時下の日本映?』で、 尾崎秀樹 記念 大衆文??究賞 を受賞する。

『大正天皇』(2007年)において、??病弱で公務を行なう能力が乏しかったと評?されてきた 大正天皇 に?する?後初の評?で、なおかつ 大正天皇 を健康な名君として再評?した 原武史 の?究(『大正天皇』朝日新聞社、 2000年 )に?して、2002年(平成14年)に一部公開された『大正天皇??』をはじめとする諸史料から大正天皇の生涯を?討し、なおかつ原の大正天皇像に?しては再反論を加え、大正天皇評?論?の一方の?事者となった。

『昭和天皇』(2011年)では、 昭和天皇 の??責任について?討し、「昭和天皇の??責任とは、消極的な心境からではあっても太平洋??の開?を決?して、結果的に?外に莫大な?牲を出してしまったこと、そして、太平洋??開?にいたる過程で、事態の?化を食い止められなかったことである」 [5] と結論した。同著で サントリ??芸賞 を受賞した。

著書 [ 編集 ]

?著 [ 編集 ]

  • 『昭和?中期の?合?策機?』( 吉川弘文館 , 1992年)。オンデマンド版2013年
  • 『皇紀?万博?オリンピック―皇室ブランドと???展』(中央公論社〈中公新書〉, 1998年/吉川弘文館〈?みなおす日本史〉, 2020年)
  • 『?時議?』(吉川弘文館, 2001年)
  • 『?時下の日本映?――人?は?策映?を?たか』(吉川弘文館, 2003年)
  • 『政治家の生き方』( 文藝春秋 文春新書 〉, 2004年)
  • 『昭和?中期の議?と行政』(吉川弘文館, 2005年)
  • 『昭和?後史―?史エンタテインメント』( 講談社 , 2006年) [6]
  • 『あるエリ?ト官僚の昭和秘史――「武部六?日記」を?む』(芙蓉書房出版〈芙蓉選書〉, 2006年)
  • 『早わかり昭和史―時代の流れが?解でわかる!』( 日本?業出版社 , 2006年)
  • 大正天皇 』(吉川弘文館〈人物叢書〉, 2007年)
  • 東?英機 ――太平洋??をはじめた軍人宰相』( 山川出版社 [日本史リブレット?人], 2009年)
  • 昭和天皇 ―「理性の君主」の孤?な生涯』( 中央公論新社 中公新書 〉, 2011年)
  • ポツダム宣言 と軍?日本 敗者の日本史20』(吉川弘文館, 2012年)
  • 近衛文? 』(吉川弘文館〈 人物叢書 〉, 2015年) 
  • 昭和 史』( 筑摩書房 ちくま新書 〉, 2016年)
  • 建?神話 の社?史―史?と??の境界』( 中央公論 新社〈 中公選書 〉, 2020年)

編纂史料ほか [ 編集 ]

編集委員代表、他は茶谷誠一??永望? ?畑源 ? 河西秀哉 ?舟橋正?。協力NHK

脚注 [ 編集 ]

  1. ^ 『??年鑑 2016年版』(??新聞東京本社、2016年)p.341
  2. ^ 『週刊朝日』高校別東大入?者一?、1982年
  3. ^ 鳥海靖 ? 松尾正人 ? 小風秀雅 編『日本近現代史?究事典』( 東京堂出版 , 1999年)270頁
  4. ^ 『昭和?中期の議?と行政』( 吉川弘文館 , 2005年)を?照。
  5. ^ 古川隆久『昭和天皇』中央公論新社、2011年、P392
  6. ^ ?後史事典 - 副題は上?「復興と挑?」、中?「??繁?と?際化」、下?「崩?する??大?」

外部リンク [ 編集 ]