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上原 善?
(うえはら よしひろ、
1973年
(
昭和
48年)
7月6日
- )は、
大阪府
出身の
ノンフィクション作家
。
被差別部落
出身である事を
カミングアウト
し、
部落問題
を中心に文筆活動を行っている。
??
[
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]
1973年、大阪府
松原市
南新町(更池)で、4人兄弟の末っ子として生まれた
[2]
。父が24?のときの第4子である
[2]
。父は食肉店を??し、自民?系の
同和?
南大阪支部長を務めたが
[2]
、のち
部落解放同盟
に移った
[3]
[4]
。父の店は後に
堺
に移?した
[2]
。母は堺の
地主
の末娘で
[2]
、被差別部落の出身ではない
[5]
。少年時代に?親が離婚し
[6]
、家庭の事情により
羽曳野市
や
藤井寺市
などを??として育つ。
羽曳野市立河原城中?校
に入?すると、次兄が少女に性的ないたずらをするようになった
[7]
。被害者には善?の同級生もいたので次第に?校へ寄り付かなくなった
[7]
。同校在?中は暴力的な不良と見られており
[7]
、シンナ?を吸っていたが?任?師に救われて立ち直った。このころ、部落解放?究部に所?。
大阪府立美原高等?校
在?中に始めた
円盤投
で頭角を現し府大?で優勝。高校時代は三度にわたり停??分を受けていたが
[8]
スポ?ツ推薦
で
大阪?育大?
に入?。在?中に20?で?生結婚
[9]
。1996年に同大を卒業、同年に娘が誕生
[9]
。中?校の?育非常勤?師となる。
冒?家を志して
[10]
?身渡米し
[9]
、米?で1年間ほどを過ごし、23?の時に
ロサンゼルス
の日系新聞『
羅府新報
』でフリ?ライタ?としてデビュ?
[11]
。自らの不貞が原因で妻とは離婚
[9]
。長く?誌を活動の場としてきたが、2005年に著作『被差別の食卓』を
新潮社
から刊行。
2010年4月、『
日本の路地を旅する
』で第41回
大宅?一ノンフィクション賞
受賞
[1]
。2010年12月、
?くやこの花賞
文芸その他部門受賞。2012年3月、『
新潮45
』2011年11月?の「孤?なポピュリストの原点」により
編集者が選ぶ?誌ジャ?ナリズム賞
大賞受賞。2016年、『一投に賭ける
溝口和洋
、最後の無?派アスリ?ト』により
ミズノスポ?ツライタ?賞
優秀賞受賞。
人物
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]
活動?主張
[
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]
- ?誌『
?の眞相
』2004年3月?に『「??」最後のタブ?「部落出身芸能人」』というルポを寄稿。芸能界やスポ?ツ界などで活躍する部落出身者をイニシャルで紹介した。この記事では、「ある部落出身者が皇族に嫁いでいる」「もちろん未指定地?になっている。ここの出身者が皇族に嫁いだということで、地?指定を見送られたのだ。」「問題は、皇族ですら、部落民を身?として受け入れているという事?があるということだ。だからこの点に?しては、意外に皇族の方が進?的といえるのかもしれない。この結婚に?しては、?の皇族本人が?く希望したため、宮??をはじめとする周?も押し切られたとされている。まさに快?といえる話ではないか。」と記している。
- ?誌『
?話ナックルズ
』にて『JDT 日本の路地を?く』という連載を執筆しており、2004年7月?に?表した「群馬?T部落」で群馬?の未指定地?を取り上げ、「ここから女性が一人、皇族に嫁いでいる」「ここは女性が皇族へ嫁いだため、行政から同和地?指定されなかった。 指定を受けると部落とわかってしまうからである。」「皇族は過去の身分上、最高位にいる。その彼らが過去の身分上最底?の部落民と結婚するなどということは、身分社?の崩?を意味している。」と書いた。上記の記事「群馬?T部落」では「ある?究者の方に紹介していただいて知った」と記述している。上原が指摘した皇族に嫁いだ女性とは
上皇后美智子
(
日?製粉
創業者
正田貞一?
の孫)である。しかし
憂?我道?
?長の山口祐二?によると「皇后陛下は
華族
出身ではなく民間から初めて天皇家に嫁いだ女性として類まれな存在であったが被差別部落出身者ではない。確かに館林市にはいくつかの被差別部落が存在するが正田家の場所は明確に異なる。」という
[12]
。
笑顔の男性が橋下徹
- 『
新潮45
』2011年11月?では、「孤?なポピュリストの原点」と題して
橋下徹
の出自(父親が
同和地?
出身で、?人も同和地?育ち)を扱った文章を?表。橋下が小?生の時に亡くなった?父と、叔父が
暴力?
組員だったとの記事を載せた
[13]
。このため、元?
解放出版社
事務局長で現?にんげん出版代表の
小林健治
(部落解放同盟中央本部?マスコミ?策部文化?策部/糾???本部)からは「差別?文家?上原善?」
[14]
と批判されている。小林はまた、上原について「『新潮45』の編集長は、同和地?出身という?性をはぎ取れば、ただの?文屋でしかない上原に、他者が書けば抗議される恐れがあることを書かせることによって、危?(抗議)を事前に予防しているつもりなのであろうが、誰が書こうが差別文章は差別文章なのであり、抗議?糾?の?象になるのは?たり前だ」
[15]
「上原善?については、以前にも?誌『?話ナックルズ』(ミリオン出版)に、被差別部落を「近親相姦」による「奇形?」が多い、おどろおどろしい地域として?奇的に描き、解放同盟の中央執行委員?で抗議し、糾?することが決まった。また、『?の?相』最終?に「スポ?ツ、芸能界の被差別部落出身者一?」という暴露記事を書き、これも?く批判されている」
[15]
「そのような人物に「大宅?一ノンフィクション大賞」を授?した出版社の見識を疑う」
[15]
とも?言している。橋下が、?父と叔父が暴力?組員だったと報じた月刊誌の記事で名?を傷つけられたとして、?行元の新潮社に損害賠償を求めた訴訟では、最高裁第1小法廷(
木澤克之
裁判長)は、橋下の上告を退ける決定をしており、橋下敗訴の二審判決が2017年6月1日付で確定している
[13]
。
- 小林健治から批判されていることは上原自身も認識しており、「僕も解放同盟が解散して、新たに組織されるような"解?的出直し論"は?成ですが、そういうこと言うと、嫌われるんですよね。これは?係者から聞いたのですが、部落解放?究所の出版部門『解放出版社』と?係の深い小林健治氏にも嫌われてるらしいです。」
[16]
と?言している。これに?し、部落解放同盟中央本部執行委員などを?任した
西岡智
は「小林健治さんも、ちょっとわかってないところがあるよな。ええ機?やから、『西岡のおっさんがそう言うてる』ってちゃんと書いとけ。文句あるならいつでも僕のとこに?いと。」
[16]
と小林を批判し、上原に味方している。
- 2013年
1月26日
、
大阪市立?宮高等?校
?育科の入試問題に絡み、同校の生徒が大阪市長橋下徹を「部落民がいきんな」「殺意芽生えるわ」とツイッタ?で攻?した件について、部落解放同盟大阪府連合?から「投稿した生徒が橋下市長を「部落民」と書き?んだその背景には、この間の週刊誌などの報道が?く影響していると思われる」「『週刊新潮』、『週刊文春』、『週刊朝日』、その情報を提供した上原善?氏(ノンフィクション作家)などとともに、橋下市長の出自を暴き、部落差別を煽ったマスコミの責任こそが?く問われるものである」と名指しで非難を受ける
[17]
。これに?して上原は「新しいことをやって叩かれるのは、昔からの常ですから?然のことですしね。むしろちゃんと仕事をしてる?左といえるでしょう」と?言している
[18]
。
- 「新聞?載は可能になったが、タブ?があるため自分はまだテレビ?ラジオには出られない。テレビ、ラジオが取り上げたとき、部落は解放されたといっても良いのではないか」
[19]
とし、いまだマスコミでは同和と自分自身がタブ?があるとしている。
- 近年は部落問題だけでなく考古?の?石器捏造(『石の?塔』2014)、スポ?ツ選手のルポ(「野性時代」連載『溝口のヤリ』2015)等、その活動範?を?げていたが、自身が50?になる2023年にノンフィクション作家を引退することを公言している
[20]
全國部落調査の表紙
- 『
?話ナックルズ
』誌における連載『JDT 日本の路地を?く』の初期には、記事の?容をめぐり
部落解放同盟
の幹部から?力を受けたことがある。?の幹部はたまたま被差別部落出身ではなかったため、上原は「面白い。一般地?出身のあなたが部落出身の私を糾?するというのは部落解放の一つの道筋である。」と言って公開糾??を開くよう求めたが、?現はしなかったという
[21]
。
- 2016年
、鳥取ル?プの運?する
示現?
が『
全?部落調査
』復刻版の刊行を予告したことについて、上原は「ぼくはこの出版自?は良いことだと思います。なぜなら、
水平社宣言
に書かれた『
穢多
であることを誇りうるときがきたのだ』という言葉と、『住んでいるところを?す』のは矛盾しているからです。なぜ誇りをもっている故?を?さねばならないのか。」と述べている
[22]
。
人柄
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系譜?上原家
[
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]
上原家がいつ頃から
更池
に住みついたのか、よく分かっていない
[2]
。古い記?によれば、和泉?の
南王子村
に住む木下重三?の息子竹?が23?のときの
1869年
(明治2年)、更池の上原安二?宅へと養子にもらわれてきたことからはじまっている
[2]
。上原安二?には、生涯、子がなかった
[2]
。竹?は上原家を?ぎ、地元の娘リウを娶り、9人の子をもうけた
[2]
。リウは
平民
であり、更池の者でもなければ、部落の者でもない
[2]
。
竹?、リウ夫妻の五男?豊松は放浪癖のある子で、よく迷子になり、「?ちゃん」と呼ばれていた
[2]
。豊松は更池の娘タマノと一?になり、8人の子をもうけた
[2]
。長男(上原善?の祖父)から下の7人はすべて女だったが、無事に成人し、それぞれ
浪速?
、
西成?
、兵庫
長田
、京都
下京?
、奈良
北葛城郡
の部落へと嫁いだ
[2]
。
長男(上原善?の祖父)は京都
宮津
の部落生まれの娘(上原善?の祖母)を娶った
[2]
。祖父母の間には、二人の子が生まれた
[2]
。それが上原善?の父とその妹である
[2]
。父は若くして所?をもち、
農業
をしていた?家の屋敷の半分を改築し、食肉
?
の小さな店を開いた
[2]
。母は堺の地主の末娘で、
カフェ
で
ウェイトレス
をしていた頃、父は母を見初めた
[2]
。上原善?によると「父は大阪商人の?化のような人で、商?のためなら
右翼
でも
共産?
でも解放同盟でも同和?でも何でも使った。堺市に肉工場を建てるまでになった。」という
[2]
。
著書
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- 『28 上原善?詩集』(2001年、自費出版)
- 『被差別の食卓』(2005年、
新潮新書
)
- 『コリアン部落 幻の韓?被差別民?
白丁
を探して』(2006年、
ミリオン出版
)
河出文庫
、2019
- 『韓?の路地を旅する』(『コリアン部落』復刊?補版)ミリオン出版 2014
- 『聖路加病院訪問看護科 11人のナ?スたち』(2007年、新潮新書)
- 『日本の路地を旅する』(2009年、
文藝春秋
)のち文庫
- 『異形の日本人』(2010年、新潮新書)
- 『異貌の人びと―日常に?された被差別を巡る』(2012年、
河出書房新社
)「異邦人 世界の?境を旅する」
文春文庫
- 『私家版差別語?典』
新潮選書
2011
- 『石の?塔 ?見と捏造 考古?に憑かれた男たち』
新潮社
2014 『?掘狂?史 「岩宿」から「神の手」まで』
新潮文庫
2017
- 『差別と?育と私』文藝春秋 2014
- 『路地の?室 部落差別を考える』
ちくまプリマ?新書
2014
- 『被差別のグルメ』新潮新書 2015
- 『一投に賭ける―
溝口和洋
最後の無?派アスリ?ト』(
KADOKAWA
) 2016 角川文庫 2020年
- 『カナダ ?史街道をゆく』(文藝春秋)2017
- 『路地の子』(新潮社) 2017 のち文庫
- 『?境の路地へ』(
河出書房新社
) 2018
- 『??記―私がうつ病の?をやめた理由』(新潮新書)2020
- 『四??土 幻の草遍路と路地巡?』KADOKAWA, 2021.11
脚注
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注?
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出典
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?連項目
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外部リンク
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