一式四十七??車砲

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一式四十七??車砲
全備重量 411kg
口? 47mm
砲身長 47.8 口? (2,248.5mm)
砲身重量 154.3kg( 閉鎖機 を含む)
砲口初速 810m/秒 [1]
高低射界 -15度~+20度
方向射界 左右各10度
最大射程 -
??筒重量 2.85kg(一式徹甲?)
?頭重量 1.5kg(一式徹甲?)
製造? 日本

一式四十七??車砲 (いっしきよんじゅうななみりせんしゃほう)は、 大日本帝?陸軍 1939年 (昭和14年)に開?を開始し、 1942年 (昭和17年)に制式化された 口? 47mmの ?車砲 九七式中?車 チハ 一式中?車 チヘ などの 主砲 として使用された。

?要 [ 編集 ]

砲手は左側に位置して砲を操作する

1939年 (昭和14年)、 陸軍技術本部 の部案として?究を開始した。?時 試作 中の 試製四十七?砲 砲身 九四式七??車砲 の砲架に搭載して試?を行い、その試?成績を基に 試製四十七??車砲 を設計。 1940年 (昭和15年)6月に第1回試?、翌7月に第2回試?を行い、機能?抗堪性? ?道 性を確認した。同年9月には 試製九八式中?車 チホ 砲塔 に本砲を?備し、 九七式中?車 チハ の車?に搭載して抗堪?道性試?を?施した。

1941年 (昭和16年)1月には 陸軍?車?校 および 陸軍騎兵?校 に?用試?を委託し、?用に適するとの判定を得、更に小改修を加えて同年4月、修正機能試?を?施、「精度機能良好抗力十分にして?用に適するを以て、?車?備用として整備するを要す」と判定された。この結果に基づき、同年9月?制式を上申。翌 1942年 (昭和17年) 4月1日 一式四十七??車砲 として制式制定された [2]

本砲は九七式中?車および 一式中?車 チヘ 一式四十七??車砲II型 )の 主砲 として?備された。砲身命?は2,000?であり、??筒は 一式機動四十七?砲 と共通である。後座長は280-300mmとされた。

?甲貫徹能力 [ 編集 ]

?甲貫徹能力の?値は、射??象の ?甲板 や?施した年代など、試??件により異なる。

1942年 5月の資料によれば、一式四十七??車砲とほぼ同威力の 一式機動四十七?砲 の場合、一式徹甲?( 徹甲榴? 相?)を使用した場合は?着角90度で以下の?甲板を貫通できた。

  • 1,500mで45mm(第一種防?鋼板)/20mm(第二種防?鋼板)
  • 1,000mで50mm(第一種防?鋼板)/30mm(第二種防?鋼板)
  • 500mで65mm(第一種防?鋼板)/40mm(第二種防?鋼板)
  • 200mで65mm [3] (第一種防?鋼板)/50mm(第二種防?鋼板)

試製徹甲?である タングステン鋼 蚤形?(後述する「特甲」?の基になったと思われる試製徹甲?)を使用した場合、?着角90度で以下の?甲板を貫徹できた [4]

  • 1,500mで45mm(第一種防?鋼板)/25mm(第二種防?鋼板)
  • 1,000mで55mm(第一種防?鋼板)/30mm(第二種防?鋼板)
  • 500mで70mm(第一種防?鋼板)/45mm(第二種防?鋼板)
  • 200mで80mm(第一種防?鋼板)/55mm(第二種防?鋼板)

別の1942年5月の資料によれば、試製四十七?砲の 鋼板 貫通厚について以下のようになっている。

試製徹甲?であるタングステン鋼蚤形?を使用した場合、以下の?甲板を貫通するとしている [5]

  • 1,500mで45mm(第一種防?鋼板)/23mm(第二種防?鋼板)
  • 1,000mで56mm(第一種防?鋼板)/31mm(第二種防?鋼板)
  • 500mで70mm(第一種防?鋼板)/45mm(第二種防?鋼板)
  • 200mで79mm(第一種防?鋼板)/55mm(第二種防?鋼板)
  • 0mで約85mm(第一種防?鋼板)/約65mm(第二種防?鋼板)

となっている [6]

試製徹甲?である?丸鋼第一種丙製蚤形徹甲?(一式徹甲?に相?)を使用した場合、以下の?甲板を貫通するとしている [5]

  • 1,500mで43mm(第一種防?鋼板)/20mm(第二種防?鋼板)
  • 1,000mで52mm(第一種防?鋼板)/28mm(第二種防?鋼板)
  • 500mで65mm(第一種防?鋼板)/39mm(第二種防?鋼板)
  • 200mで72mm(第一種防?鋼板)/48mm(第二種防?鋼板)

?丸鋼第一種丙製蚤形徹甲?の不貫鋼板厚は以下のようになっている [7]

  • 1,000mで62mm(第一種防?鋼板)/37mm(第二種防?鋼板)
  • 500mで76mm(第一種防?鋼板)/52mm(第二種防?鋼板)
  • 200mで85mm(第一種防?鋼板)/62mm(第二種防?鋼板)

1942年 4月3日 に行われた 鹵獲 した M3??車 に?する射?試?では、射距離800mにおいて正面?甲を9?中6?貫通、同1,000mにおいて6?中3?貫通している。

1945年 7月の アメリカ軍 の情報報告書においては、一式四十七??車砲により M4A3 シャ?マン の?甲を射距離500ヤ?ド(約457.2m)以上から貫通することが可能(貫通可能な?甲箇所は記述されておらず不明)と記述され、??では一式四十七??車砲による約30度の角度からの射?(射距離150-200ヤ?ド:約137.1-182.8m)によりM4の?甲は6?中5?が貫通(命中箇所不明)したとの報告の記述がある [8] 。また、同報告書には、最近の??報告から47mm 砲? の品質が以前より改善されたことを示している、との記述がある。

1945年8月の アメリカ?陸軍省 の情報資料によれば、鹵獲した一式四十七??車砲の射?試?において、射距離500ヤ?ド(約457.2m)において3.25インチ(約82mm)の垂直?甲を貫通した事例が記載されている [9] 。 貫通威力が近似すると思われる(??筒が共用であり、 初速 の差が約20m/秒程度)一式機動四十七?砲の?甲貫通値については以下のように記載されている。

一式機動四十七?速射砲の?甲貫通値(一式徹甲?) [10]
射距離 垂直した?甲板に?する貫通値 垂直から30度傾斜した?甲板に?する貫通値
250ヤ?ド(約228.6m) 3.0インチ(約76mm) 2.25インチ(約57mm)
500ヤ?ド(約457.2m) 2.75インチ(約70mm) 2.0インチ(約51mm)
1,000ヤ?ド(約914.4m) 2.0インチ(約51mm) 1.4インチ(約36mm)
1,500ヤ?ド(約1371.6m) 1.6インチ(約41mm) 1.2インチ(約30mm)

また、1945年3月の アメリカ陸軍武器科 の情報資料によれば、一式四十七??車砲は射距離500ヤ?ド(約457.2m)において、垂直した?延?甲2.7インチ(約69mm)を貫通、垂直から30度傾斜した?延?甲2.2インチ(約56mm)を貫通と記載されており、一式機動四十七?砲は、射距離1,050ヤ?ド(約960.1m)において、垂直した?延?甲2.5インチ(約63.5mm)を貫通すると記載されている [11]

1945年12月の アメリカ陸軍 第6軍の情報資料によれば、一式機動四十七?砲は至近距離の射?試?において、?甲に?して垂直に命中した場合、4.5インチ(約114.3mm)を貫通した事例があったとしている(射??象の?甲板の種類や徹甲?の?種は記載されず不明) [12]

陸上自衛隊幹部?校 ?史?官室の所?資料である 近衛第三師? の調整資料「現有??車兵器資材?力?見表」によると、四七TA(47mm速射砲)の徹甲?は、射距離500m/貫通鋼板厚75mmとなっており(射??象の 防? 鋼板の種類や徹甲?の?種は記載されず不明)、M4中?車の車?側面:射距離1,500m、 砲塔 側面:射距離800m、車?前面:射距離400mで貫通、となっている [13]

また、1944-1945年調製と思われる 陸軍大?校 ?究部の資料によると、「1式47?速射砲」(原文そのまま)は、1種:射距離300m/貫通威力84mm、1種:射距離400m/貫通威力81mm、1種:射距離500m/貫通威力78mm、2種:射距離300m/貫通威力57mm、2種:射距離400m/貫通威力54mm、2種:射距離500m/貫通威力51mm、となっている [14]

なお、100mにおいて55mm、1,000mにおいて30-35mm [15] という?もある。

一式四十七?砲用のW-Cr鋼( タングステン クロム鋼 )製の徹甲?は「特甲」と呼?され、大?後半に少?製造された [16] 。なお、 ニッケル クロム鋼製の ?丸 を「特乙」と呼んだが、こちらは?際に製造されたかどうか不明である [17]

なお、一式徹甲?より新型である四式徹甲?は、終?時に完成品が約5,000?、半途品が約30,000?存在していた [16]

派生型 [ 編集 ]

本砲の改良型として、 1943年 (昭和18年)度一技?修正?究計?に 一式四十七??車砲II型 がある。 一式中?車 チヘ の搭載砲として、??の肩?照準方式から?杷(ハンドル)照準方式に?更し、砲防?器の改修?砲手用 ?望鏡 の付????方式の電??火方式への改良などが行われている [18] [19]

本砲を基礎とした派生型として、昭和18年度第一陸軍技術?究所?究計?に 試製四十七?(短)?車砲 がある。新??車( 五式??車 ケホ )搭載用として 1942年 (昭和17年)9月に?究着手し、翌年6月に竣工試?、同年10月に?用試?、同年12月に完成の予定だった。第一陸軍技術?究所修正?究計?では、 初速 740m/秒、高低射界-15~+20度、方向射界左右各10度など具?的な?字が?げられているが、完成予定は 1945年 (昭和20年)3月と、大幅にずれ?んでいる。

生産 [ 編集 ]

大阪造兵廠 第一製造所の 1942年 (昭和17年)10月末の火砲製造完成?によれば、この時点での本砲の累積製造?は230門であった。また、 1943年 (昭和18年)3月末における整備?況調査では、昭和17年度(昭和17年4月-昭和18年3月)に317門製造している [2] 1944年 (昭和19年)9月に兵器行政本部が出した昭和19年度整備に?する機密指示では、430門を予定していた一式四十七??車砲の製造を330門に縮小し、同時に一式四十七??車砲II型150門の追加が指示されている [20]

長砲身57mm?車砲との比較試? [ 編集 ]

原乙未生 の回顧?によれば、 九七式中?車 チハ 主砲 を更新するにあたり、それまでの標準であった 57mm短加農 に代えて長砲身57mm砲と47mm砲を 試作 して比較した結果、貫徹力は57mmが上回っていたが、 ??車砲 として 47mm砲 を採用する運びとなったため、 ?車砲 としても47mm砲を採用したという [21] 。この長砲身57mm砲は49 口? 初速 830m/sであったとされる [2] 。ただし、この砲についての試?記?、試製などに?する資料は他になく、詳細は不明である。

本砲の試製および採用と近い時期に試?された57mm口?の高初速砲としては改造馬式五十七?砲 [注? 1] がある。同砲は、 1940年 (昭和15年)9-11月に試?が行われて試製四十七?砲、 ラ式三十七?砲 九四式三十七?砲 と貫徹力が比較されており、??を400gから徐?に?やした結果、?用上の限界初速は750m/sと判定された(試?中に780m/sで ?莢 が取り出せなくなった) [23] 。また、 ?逐?車 用として 1941年 (昭和16年)3月に?究が開始された 試製五十七??車砲 は、 1944年 (昭和19年)5月に 四式中?車 チト 1?車に搭載されて 射? 試?を行った(48.5口?、初速810m/s)が、試?直後に四式中?車は 五式中?車 チリ 用に予定されていた五式七?半?車砲を?備する仕?に設計?更された [24]

脚注 [ 編集 ]

  1. ^ 「日本陸軍の火砲 ?兵砲 ??車砲 他」359頁
  2. ^ a b c 「日本陸軍の火砲 ?兵砲 ??車砲 他」347-348頁
  3. ^ 同?件で第二種に?しては侵徹長が伸びていることや同時期の別資料(下記)では同一距離で72mm貫通となっており元資料の誤記の可能性もある
  4. ^ 「試製一式機動四十七?砲?究報告」による
  5. ^ a b 「第1回陸軍技術?究??兵器分科講演記?(第1?)」24頁
  6. ^ 「第1回陸軍技術?究??兵器分科講演記?(第1?)」 附?第七の貫通曲線?より
  7. ^ 「第1回陸軍技術?究??兵器分科講演記?(第1?)」22頁
  8. ^ 「"The Most Effective Jap Tank" from Intelligence Bulletin, July 1945」 http://www.lonesentry.com/articles/jp_type97_tank/index.html
  9. ^ "Japanese Tank and AntiTank Warfare" http://usacac.army.mil/cac2/cgsc/carl/wwIIspec/number34.pdf
  10. ^ "Japanese Tank and AntiTank Warfare"の記載諸元より
  11. ^ Catalog Of Enemy Ordnance Materiel - U.S. Army Office Chief of Ordnance, 1 March, 1945 https://archive.org/details/CatalogOfEnemyOrdnanceMateriel/page/n0/?view=theater
  12. ^ 『Enemy on Luzon: An Intelligence Summary』 p194, U.S. Sixth Army, 1 December 1945 - Part1: http://cgsc.cdmhost.com/utils/getdownloaditem/collection/p4013coll8/id/3185/filename/3199.pdf/mapsto/pdf Part2: http://cgsc.cdmhost.com/utils/getdownloaditem/collection/p4013coll8/id/3186/filename/3200.pdf/mapsto/pdf - U.S. Army Command and General Staff College (CGSC), Combined Arms Research Library (CARL) Digital Library.
  13. ^ 白井明雄 『日本陸軍「?訓」の?究』 94頁、107頁
  14. ^ 陸??? 「近代??史?? 資料集」 p93。 徹甲?の?種は記載されず不明。射??象の防?鋼板は、陸軍の他の??車火砲の試?資料の表記に?えば、「1種」は第一種防?鋼板、「2種」は第二種防?鋼板のことを指すと思われる。また、「近代??史?? 資料集」 p92の別資料の記述から、「1種」は?頭に被帽のある試製APCであり、「2種」は通常?頭のAPであるとして、「1種?2種」は徹甲?の?種を指す、とする推測もある
  15. ^ 「日本陸軍の?車」ストライクアンドタクティカルマガジン2010年11月?別冊 2010年10月13日第7?第9?(通算48?) 164ペ?ジ、株式?社カマド
  16. ^ a b 佐山二?「日本陸軍の火砲 ?兵砲 ??車砲 他」169頁
  17. ^ 佐山二?「日本陸軍の火砲 ?兵砲 ??車砲 他」169頁。ニッケルクロム鋼製の?丸を特乙と呼?する旨は記載されているが、特甲が製造配備されたと述べられているのに?して、特乙について製造されたかどうかの言及はない
  18. ^ 「昭和18年度一技?修正?究計?」 Ref.A03032214000
  19. ^ ?本康文 「一式中?車?面集(上?)」 p.12
  20. ^ 「日本陸軍の火砲 ?兵砲 ??車砲 他」349頁
  21. ^ 原典:原乙未生「機械化兵器開?史」私家版回顧? 54ペ?ジ。「日本陸軍の?車」ストライクアンドタクティカルマガジン2010年11月?別冊 2010年10月13日第7?第9?(通算48?) 164ペ?ジ、株式?社カマド に部分?載
  22. ^ 佐山二?『日本陸軍の火砲 ?兵砲??車砲他』187ペ?ジより。
  23. ^ 「日本陸軍の火砲 ?兵砲 ??車砲 他」187-201頁
  24. ^ 「日本陸軍の火砲 ?兵砲 ??車砲 他」360-362頁

注? [ 編集 ]

  1. ^ 砲身長2727mm、砲身重量は329kg、砲?本?の重量は約2.7kg、??重量は4.4㎏である [22] 、また砲口初速は600m/sであった。

?考文? [ 編集 ]

  • 「試製一式機動四十七?砲?究報告」 アジア?史資料センタ? (JACAR) Ref.A03032093000
  • 陸軍省 技術本部 第二部「第1回陸軍技術?究??兵器分科講演記?(第1?)」アジア?史資料センタ? Ref.A03032065000
  • 陸軍省「昭和18年度一技?修正?究計?」アジア?史資料センタ? Ref.A03032214000
  • ?本康文「一式中?車?面集(上?)」?本?車塾、2013年
  • 佐山二?「機甲入門」光人社NF文庫、2002年 ISBN 4-7698-2362-2
  • 佐山二?「大砲入門」光人社NF文庫、2008年 ISBN 978-4-7698-2245-5
  • 佐山二?「日本陸軍の火砲 ?兵砲 ??車砲 他」光人社NF文庫、2011年 ISBN 978-4-7698-2697-2
  • 白井明雄 『日本陸軍「?訓」の?究』 芙蓉書房出版 2003年
  • 陸????史部? 編著 「近代??史?? 資料集」 陸??? 1984年

?連項目 [ 編集 ]