ロ?マ皇帝一?
(ロ?マこうていいちらん)では、現代において一般的に正?と見なされている古代
ロ?マ帝?
の
ロ?マ皇帝
を年代順に列?する。
解?
[
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]
ロ?マ皇帝
という名?は幾分、現代的な用法であって必ずしも?時の人間がその?に呼?したものではないし、時代?に制度上の位置付けも?動している。しかしどうあれ、
アウグストゥス
以降に
ロ?マ
という?家で定着した「個人に?制的な?限を?える習慣」を端的に表現する上で、的確な用語であると多くの場合で見なされている。古代に
地中海世界
において?大な勢力?を作り上げたロ?マは、
共和制
から
君主制
へと大きく政治制度の改革を行い、
議?政治
(「
元老院及びロ?マ市民
」)から個人による
?裁
への?換を事?上容認するようになった。
しかし、こうした?制を確立した
アウグストゥス
は、
元老院(議?)
への配慮から共和制を建前上は維持する道を選び、「共和制における?裁」を模索した。?ってアウグストゥスはかつて存在した「ロ?マ王」や、それに比類する如何なる爵位や君主?を拒否した
[1]
。その一方で共和制に存在した??な役職や特?を自らの?占とし、更に
元老院
を監督する立場にある
プリンケプス?セナ?トゥス
を終身の??として受け取った。アウグストゥスと共に初期のロ?マ皇帝とされる人?も一?にこうした方策で?裁?制を築き上げたため、?裁的で血統主義的な要素(アウグストゥスも最後まで親類での?力?承を望んだ)を持ちつつも、議?が一定の力を維持していた。?史?者達はこれを「
プリンキパトゥス
(元首政)」と呼び、?なる「?制的な君主制」とは異なるものであると評?している。
元首政は帝政時代の半分を占める300年間ほど維持されたが、
セウェルス朝
末期の混?と?絶によって各地の?軍による帝位簒奪と??が繰り返される「3世紀の危機(
軍人皇帝時代
)」が始まり、帝?は急速に荒?していった。こうした?況下で帝位を獲得した
ディオクレティアヌス
はより?大な君主制が必要と考え、?力な官僚制を作り上げて皇帝が官僚を通じて人民を支配する?制を整備した。また、それまでの?質的な君主?であったプリンケプスに?わり、「我らの主」を意味する
ドミヌス?ノステル
を用いたことから、?史?者達はディオクレティアヌス以降の帝政を「
ドミナ?トゥス
(?制君主制)」と呼?している。
また、ディオクレティアヌスは皇帝?を二分(西方正帝?東方正帝)すると、共同皇帝
マクシミアヌス
に帝?の西半分の防衛を??させて帝?の分?統治を開始した。更に副帝もそれぞれ東西ごとに一人ずつ設置(西方副帝?東方副帝)して、それぞれに職務を分?させることで最終的に皇帝?は四つに分割された(
テトラルキア制
)
[2]
。?初のテトラルキアは職務の分?であって地理的な分割など想定されていなかったが
[3]
、結果的にはロ?マ帝?の政治的分裂(
西ロ?マ帝?
?
東ロ?マ帝?
)という結末を招いた。しかし、?地方の宮廷が政治的には?自の行動を取り合うようになった後も、?政?は法律的には一つの?家という立場を維持し?けた。例えば、東西の皇帝は等しく同等の?限を有しており、東西いずれかの皇帝が?した際には?り一方の存命の皇帝が東西の?地域を統治することとされていた
[4]
。
その後、西ロ?マ帝?では皇帝府は明確に?落し、476年あるいは480年に消滅した。?する東ロ?マ帝?では皇帝府は軍事的危機を迎えながらも??され、中世を?て近世にオスマン帝?に滅ぼされるまで存?した
[5]
。また前述の制度から、西ロ?マ帝?の皇帝政?消滅後は自動的に東ロ?マ帝?の皇帝がロ?マ帝?全土を??することとなり、法律的にはロ?マ皇帝?の再統一が果たされたことになる。
上記の複?な?緯から、どのような?件を?たせば「正?な」皇帝と呼べるのかを設定するのは容易でない。皇帝とは、必要とされたときに相?しいとされた人物が種?の?限を?占した結果として「皇帝になった」ものであって、
ロ?マ法
にも皇帝の正?性を決める規則などというものは存在しなかった
[6]
[7]
[8]
。
ロ?マ皇帝の本質の一つは、その?絶性である。制度上、皇帝に?えられた??の?限は
世襲
や相?が禁止されており、帝位は個人に?えられる一代限りの特?であった
[6]
。原則としては、正式な
アウグストゥス
の??を授?できるのはロ?マの元老院だけである
[9]
。一方で、皇帝は常に多忙であり、?況によっては下位の補助者(
カエサル
)や同僚(アウグストゥス)に職務を分?させる必要があったため、現職の皇帝による同僚の推薦は?ね尊重され、元老院からも追認された
[10]
。また、軍事的成功において軍?の兵士達から皇帝と宣言されることもあった
[11]
。古代において?勝は神?によってもたらされる恩?であったので、首都ロ?マでの凱旋式における
インペラトル
の?呼は、凱旋?軍が神?によって指名された人物であることを示すものと理解された
[11]
。すなわち、しばしば「皇帝」とは以下のような判?基準で決められたのである。
- 元老院から正式にアウグストゥスの??を授?された者(1)
- 現職の皇帝から共同統治者あるいは補助者として?限を?えられた者(2)
- 1にも2にも?てはまらないが、?緯はどうであれ、帝?全土を統治できるだけの?力を掌握した者(3)
例えば、
ルキウス?ドミティウス?アウレリアヌス
は?時の皇帝であった
クィンティッルス
の後?者ではなかったが、?族に?する極めて優秀な活躍から軍の??を掌握して、正?な皇帝として周?から追認を受けていった。また逆に
ガリエヌス
は最後まで帝?全土を掌握できなかったが
ウァレリアヌス
の共同皇帝ではあったので、多くの場合で正?な皇帝と見なされている。そして
クラウディウス?ゴティクス
は帝?全土を掌握できず、また先帝ガリエヌスを殺害して帝位を奪った明確な簒奪者であったが、市民や元老院から熱狂的な支持を受けて皇帝と見なされていた。
複?の皇帝が?び立った場合、
四皇帝の年
に蜂起した4人の帝位請求者は最後に勝利した
ティトゥス?フラウィウス?ウェスパシアヌス
以外の三者もこれらの?件を?たして、それぞれが正?な皇帝とされていた。しかし
五皇帝の年
に蜂起した5人の帝位請求者は
ペルティナクス
と
ディディウス?ユリアヌス
、そして最後に勝利した
セプティミウス?セウェルス
の三名のみが?件を?たしており、
クロディウス?アルビヌス
と
ペスケンニウス?ニゲル
の二名は正?な皇帝としての?件を最後まで?たせず、僭?帝という立場でセウェルスに敗れている。また「共同皇帝」という複?の皇帝が共同統治を行う制度も存在しているが、しばしば共同皇帝の片方が??を持たない場合も散見される。
395年
以降はロ?マ帝?の東西の皇帝府が政治的に分裂する時代を迎えることになる。だが政治的にはどうであれ、法律的にはそれぞれがテトラルキア制に基づいた合法的な皇帝(東方正帝と西方正帝)であり、記載する上で特段の問題は存在しない。西ロ?マ帝?の最後の皇帝とされることのある
ロムルス?アウグストゥルス
も、「?奪者型」の皇帝として一?は正?であったと判?できる。
以下に示される皇帝一?は一般的に正式な皇帝として認識されている者を列?したものであるが、誰を正?な皇帝のリストに含めるかはリストの作成者の主?によるものであり、リストが作成された時代や地域あるいは?史家ごとに異なっている。
帝政ロ?マ前期
[
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]
ユリウス=クラウディウス朝
[
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]
四皇帝の年
[
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]
フラウィウス朝
[
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]
肖像
|
名?
|
生年と誕生地
|
在位期間
|
?位背景
|
?年と死因
|
|
ウェスパシアヌス
TITVS FLAVIVS CAESAR
VESPASIANVS
AVGVSTVS
|
9年11月17日
フラシリネ
(イタリア本土)
|
69年7月1日 ? 79年6月23日
|
フラウィウス氏族出身。フラウィウス朝の初代皇帝。
|
79年6月23日
自然死
|
|
ティトゥス
TITVS
FLAVIVS CAESAR VESPASIANVS AVGVSTVS
|
39年
12月30日
ロ?マ
(イタリア本土)
|
79年
6月24日
?
81年
9月13日
|
フラウィウス氏族出身。ウェスパシアヌスの長男。フラウィウス朝の第2代皇帝。
|
81年
9月13日
病死
|
|
ドミティアヌス
TITVS FLAVIVS CAESAR
DOMITIANVS
AVGVSTVS
|
51年
10月24日
ロ?マ
(イタリア本土)
|
81年
9月14日
?
96年
9月18日
|
フラウィウス氏族出身。ウェスパシアヌスの次男。兄ティトゥスが病に伏せると兄の生存中だったが帝位を掌握した。
|
96年
9月18日
召使による暗殺
|
ネルウァ=アントニヌス朝
[
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]
五皇帝の年
[
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]
セウェルス朝
[
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]
肖像
|
名?
|
生年と誕生地
|
在位期間
|
?位背景
|
?年と死因
|
|
セプティミウス?セウェルス
CAESAR LVCIVS
SEPTIMIVS SEVERVS
PERTINAX AVGVSTVS
|
146年4月11日
レプティス?マグナ
(?州アフリカ)
|
193年4月9日 - 211年2月4日
|
セプティミウス氏族出身。セウェルス朝を樹立して、軍人皇帝時代まで自身の王朝を維持した。
|
211年2月4日
自然死
|
|
カラカラ
CAESAR
MARCVS AVRELIVS
SEVERVS
ANTONINVS
PIVS AVGVSTVS
|
186年
4月4日
ルグドゥヌム
(?州
ガリア?ルグドゥネンシス
)
|
198年
頃 ?
217年
4月8日
|
セプティミウス氏族出身。セウェルスの長男。父の?位と同時期に共同皇帝へ指名され、後に弟ゲタも共同皇帝となって三名で統治を行っていた。しかし父の死後にゲタを?刑して??の皇帝となる。
|
217年
4月8日
マクリヌス
による暗殺。
|
|
ゲタ
CAESAR PVBLIVS SEPTIMIVS
GETA
AVGVSTUS
|
189年
3月7日
ロ?マ
(イタリア本土)
|
209年
頃 ?
211年
12月26日
|
セプティミウス氏族出身。セウェルスの次男。209年頃から父と兄の共同皇帝となる。
|
211年
12月26日
カラカラによる暗殺。
|
肖像
|
名?
|
生年と誕生地
|
在位期間
|
?位背景
|
?年と死因
|
|
マクリヌス
MARCVS OPELLIVS SEVERVS
MACRINVS
AVGVSTVS PIVS FELIX
|
165年
|
217年
4月11日
-
218年
6月8日
|
オペッリウス氏族出身の共同皇帝。
セウェルス朝
と血??係がない。カラカラ帝時代に近衛隊長を務めていたマクリヌスとその子ディアドゥメニアヌスはカラカラを謀殺してセウェルス朝を一旦?絶させた。しかしカラカラの落胤を自?する(?際には?姉の子(?甥)でカラカラの母方の伯母
ユリア?マエサ
の孫)
ヘリオガバルス
の軍に敗れ、親子共に相次いで殺害された。
|
218年
ヘリオガバルス軍に敗死
|
|
ディアドゥメニアヌス
MARCVS OPELLIVS ANTONINVS
DIADVMENIANVS
|
208年
|
軍人皇帝時代
[
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]
肖像
|
名?
|
生年と誕生地
|
在位期間
|
?位背景
|
?年と死因
|
|
マクシミヌス?トラクス
CAESAR GAIVS JVLIVS VERVS
MAXIMINVS
AVGVSTVS
|
173年
(?州
トラキア
、若しくは
モエシア
)
|
235年
3月20日
?
238年
4月頃
|
?族出身の軍人。アレクサンデル暗殺後、特異な出自でかつ民衆や元老院の支持もなかったにもかかわらず軍事力で帝位を?奪した。これ以降、皇帝の元老院と民衆の?視が?まり、軍事力による帝位?承が慣例化した(
軍人皇帝
)。
|
238年
4月頃
軍による暗殺
|
|
ゴルディアヌス1世
CAESAR MARCVS ANTONIVS
GORDIANVS
SEMPRONIANVS AFRICANVS AVGVSTVS
|
159年
(?州
フリュギア
)
|
238年
3月22日
?
238年
4月12日
|
騎士階級
出身。富裕な元老院議員で元老院と民衆によってトラクスの?立皇帝へ推?され、息子のゴルディアヌス2世を共同皇帝としアフリカ?州で蜂起。息子がトラクス軍との?いで敗死すると自らも宮殿で自害した。
|
238年
4月12日
自害
|
|
ゴルディアヌス2世
CAESAR MARCVS ANTONIVS
GORDIANVS
SEMPRONIANVS ROMANVS AFRICANVS AVGVSTVS
|
192年
|
238年
3月22日
?
238年
4月12日
|
ゴルディアヌス1世の息子。老?の父に代わって前線で軍勢を率いる。
カルタゴの?い
でトラクス軍に敗れ、?死する。
|
238年
4月12日
トラクス軍との?いで敗死
|
|
プピエヌス
CAESAR MARCVS CLODIVS
PVPIENVS MAXIMVS
AVGVSTVS
|
178年
|
238年
4月22日
?
238年
7月29日
|
反トラクス派の?軍。元老院から新たな?立皇帝として擁立される。トラクス暗殺によって安定化した情勢をバルビヌスとの諍いで再び?化させた。口論の最中にバルビヌスと同時に暗殺され、川に投げ捨てられた。
|
238年
7月29日
近衛隊による暗殺
|
|
バルビヌス
CAESAR DECIMVS CAELIVS CALVINVS
BALBINVS
PIVS AVGVSTVS
|
不明
|
238年
4月22日
?
238年
7月29日
|
元老院議員。プピエヌスの共同皇帝として政務面を補佐するが、不仲で有名であった。ゴルディアヌス2世の遺?を副帝に指名する。
|
238年
7月29日
近衛隊による暗殺
|
|
ゴルディアヌス3世
CAESAR MARCVS ANTONIVS
GORDIANVS
AVGVSTVS
|
225年
1月20日
ロ?マ
(イタリア本土)
|
238年
4月22日
?
244年
2月11日
|
ゴルディアヌス1世の孫、ゴルディアヌス2世の甥(妹の子)。元老院と民衆からの深い同情から人?を集め、バルビヌスとプピエヌスの副帝とされ?者の暗殺後に??の皇帝に。
|
244年
2月11日
ペルシア軍との?いで敗死(もしくは
ピリップス?アラブス
による暗殺)
|
|
ピリップス?アラブス
CAESAR MARCVS IVLIVS
PHILLIPVS
AVGVSTVS
|
シャハバ
(?州
シリア
)
|
244年
2月頃 ?
249年
後半
|
ゴルディアヌス3世の近衛隊長。ペルシア??後に帝位?承を宣言、息子のピリップス2世を後?者として共同皇帝に指名した。
|
249年
後半
デキウス軍との?いで敗死
|
|
ピリップス2世
CAESAR MARCVS IVLIVS
PHILLIPVS II
AVGVSTVS
|
|
トラヤヌス?デキウス
CAESAR GAIVS MESSIVS QVINTVS TRAIANVS
DECIVS
AVGVSTVS
|
201年
ブダリア
(?州
下パンノニア
)
|
249年
後半 ?
251年
6月頃
|
トラヤヌス?デキウスはピリップス?アラブスの側近。長男エトルスクスと共に帝位を奪うが、
アブリットゥスの?い
でゴ?ト軍に敗れて?死する。
|
251年
6月
ゴ?ト軍との?いで敗死
|
|
エトルスクス?デキウス
QUINTVS HERENNIVS
ETRUSCVS
MESSIVS
DECIVS
|
|
|
ホスティリアヌス
CAESAR CAIVS VALENS
HOSTILIANVS
MESSIVS QVINTVS AVGVSTVS
|
ロ?マ
|
251年
6月
?
251年
後半
|
トラヤヌス?デキウスの次男、エトルスクスの弟。父と兄の死後に帝位を?ぎ、
トレボニアヌス?ガッルス
の養子となり共治帝となるが同年に疫病で病死。
|
251年
後半
病死(ガッルスによる暗殺?もあり)
|
|
トレボニアヌス?ガッルス
CAESAR GAIVS VIBIVS
TREBONIANVS GALLVS
AVGVSTVS
|
206年
(イタリア本土)
|
251年
6月 ?
253年
8月
|
デキウス
の重臣。モエシア?督を務め、デキウス死後の混?で遠征軍を掌握して帝位につく。ホスティリアヌスの死後息子のウォルシアヌスを共同帝に。
アエミリアヌス
の裏切りに遭い、自軍の兵士によって暗殺された。
|
253年
8月
軍による暗殺
|
|
ウォルシアヌス
GAIVS VIBIVS
VOLVSIANVS
|
|
|
アエミリアヌス
CAESAR MARCVS
AEMILIVS AEMILIANVS
AVGVSTVS
|
207年
(?州
アフリカ
)
|
253年
8月
?
253年
10月
|
トレボニアヌスの腹心。後任のモエシア?督に任命されるが、裏切ってトレボニアヌスとウォルシアヌスから帝位を奪う。だがウァレリアヌス軍が帝位を請求して進軍すると、自らも兵士によって暗殺された。
|
253年
10月
軍による暗殺
|
|
ウァレリアヌス
CAESAR PVBLIVS LICINIVS
VALERIANVS
AVGVSTVS
|
200年
|
253年
10月 ?
260年
|
デキウスの重臣。ノリクム及びラエティア?督を務め、アエミリアヌスと帝位を?って勝利した。ペルシア??に?軍するも
エデッサの?い
で大敗し、捕らえられた上で?刑された。
|
260年
以降
シャ?プ?ル1世
による?刑される
|
|
ガッリエヌス
CAESAR PVBLIVS LICINIVS EGNATIVS
GALLIENVS
AVGVSTVS
|
不明
|
253年
10月 ?
268年
9月
|
ガッリエヌスはウァレリアヌスの息子。父から共同皇帝に指名され、ウァレリアヌス?刑後は??の皇帝として統治する。エデッサの?いによる帝?の?威失墜の中で、
ガリア帝?
?
パルミラ帝?
の分離?立というかつてない大?に直面する。
|
268年
9月
クラウディウス?ゴティクスによる暗殺
|
|
サロニヌス
PVBLIVS LICINIVS CORNELIVS
SALONINVS
|
不明
|
|
|
|
クラウディウス?ゴティクス
CAESAR MARCVS AVRELIVS
CLAVDIVS
AVGVSTVS
|
213年
(
214年
)
5月10日
シルミウム
(?州
パンノニア
)
|
268年
9月 ?
270年
1月
|
出自不明。ガッリエヌスを暗殺して帝位を奪う。大?の中で侵入が本格化した?族に?し、ゴ?ト族との
ナイススの?い
に大勝してこれを押し留めた。
|
270年
1月
自然死
|
|
クィンティッルス
CAESAR MARCVS AVRELIVS CLAVDIVS
QVINTILLVS
AVGVSTVS
|
不明
シルミウム
(?州パンノニア)
|
270年
|
クラウディウス?ゴティクスの弟。兄の死後に帝位を?承するが、
アウレリアヌス
に暗殺される。
|
270年
アウレリアヌスによる暗殺
|
|
アウレリアヌス
CAESAR
LVCIVS DOMITIVS AVRELIANVS
AVGVSTVS
|
214年
(
215年
)
9月9日
シルミウム
(?州パンノニア)
|
270年
?
275年
9月
|
クラウディウス?ゴティクスの重臣。複?の?いで?族に勝利して?外情勢を安定化させた。更に
ガリア帝?
?
パルミラ帝?
を滅ぼして帝?領を回復、元老院から「世界の修復者」の尊?を受ける。
シャ?プ?ル1世
死後のペルシャに侵攻する途中、秘書官に暗殺される。
|
275年
9月
秘書官による暗殺
|
|
タキトゥス
CAESAR
MARCVS CLAVDIVS TACITVS
AVGVSTVS
|
200年
テルニ
|
275年
9月25日
?
276年
6月
|
元老議員。アウレリアヌスの急死によって皇帝に選出される。?位時点で老?であり、ペルシア??の再開を準備する中で病?した。
|
276年
6月
自然死
|
|
フロリアヌス
CAESAR MARCVS ANNIVS
FLORIANVS
AVGVSTVS
|
不明
|
276年
6月 ?
276年
9月
|
タキトゥスの異父弟。兄の死に伴い帝位?承を主張して西方?州の支持を得る。しかし東方?州の支持を得たプロブスに苦?を?いられ、見限った軍に暗殺された。
|
276年
9月
軍による暗殺
|
|
プロブス
CAESAR MARCVS AVRELIVS
PROBVS
AVGVSTVS
|
232年
シルミウム
(?州パンノニア)
|
276年9月 ? 282年後半
|
帝?軍の高官。東方?州の支持を背景にフロリアヌスを破り、皇帝に?位する。?外??で功績を?げるが、ペルシャ??の途中でカルスの反?により暗殺される。
|
282年後半
近衛兵による暗殺
|
|
カルス
CAESAR
MARCVS AVRELIVS CARVS
AVGVSTVS
|
230年
ナルボ
|
282年
後半 ?
283年
8月
|
プロブスの近衛隊長。??中にプロブスを暗殺、指揮?を奪ってペルシャ??を??した。?いは優勢に進んだが、落雷による事故で急死した。
|
283年
8月
事故死
|
|
カリヌス
CAESAR MARCVS AVRELIVS
CARINVS
AVGVSTVS
|
不明
|
283年
8月 ?
285年
|
カルスの長男。父の反?によって弟ヌメリアヌスと副帝となり、父が遠征先で?死すると遠征に同行していた弟と共に皇帝となった。しかし弟を暗殺され、更にその腹心であった
ディオクレティアヌス
が遠征軍を掌握するとこれに敗れ、?死する。
|
285年
ディオクレティアヌス軍との?いで敗死
|
|
ヌメリアヌス
CAESAR MARCVS AVRELIVS
NVMERIVS
NVMERIANVS AVGVSTVS
|
不明
|
283年
8月 ?
284年
|
カルスの次男。本?を守る兄に?して、父と共にペルシャ遠征に?軍した。父が事故死すると帝位を?いだ兄の共同皇帝となり、遠征軍の撤退を指揮する。撤退中、配下の裏切りで暗殺される。
|
284年
軍による暗殺
|
帝政ロ?マ後期
[
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]
テトラルキア時代
[
編集
]
肖像
|
名?
|
生年と誕生地
|
在位期間
|
?位背景
|
?年と死因
|
|
ディオクレティアヌス
CAESAR GAIVS AVRELIVS VALERIVS
DIOCLETIANVS
AVGVSTVS
東ロ?マ
|
244年
12月22日
サロナ
(?州
ダルマティア
)
|
284年
11月20日
?
305年
5月1日
|
?州民出身の軍人皇帝。??に決着を付けて
?制君主制
を確立させた。また共同皇帝による
東西分割
を導入、自らは東方正帝を務めた。
|
311年
12月3日
自然死
|
|
マクシミアヌス
CAESAR GAIVS AVRELIVS VALERIVS
MAXIMIANVS
AVGVSTVS
西ロ?マ
|
250年頃
シルミウム
(?州
パンノニア
)
|
286年
4月1日
?
311年
5月1日
|
?州民出身の?軍。ディオクレティアヌスの側近として共同皇帝(西方正帝)に任命される。ディオクレティアヌスの引退に合わせて自らも退位する。
|
310年頃
コンスタンティヌス1世
により?刑される
|
|
ガレリウス
CAESAR
GALERIVS
VALERIVS MAXIMIANVS AVGVSTVS
東ロ?マ
|
260年頃
フェリクス?ロムリアナ
(?州
モエシア
)
|
305年5月1日 ? 311年5月頃
|
?州民出身の?軍。ディオクレティアヌスの後を?いで皇帝となり、共同皇帝コンスタンティウスと共に東西分立制を維持する。
|
311年
自然死
|
|
コンスタンティウス?クロルス
CAESAR GAIVS FLAVIVS VALERIVS
CONSTANTIVS
AVGVSTVS
西ロ?マ
|
250年3月31日
ダルダニ
(?州モエシア)
|
305年5月1日 ? 306年7月25日
|
クラウディウス2世
と
クィンティッルス
の末裔(正確にはクラウディウス2世とクィンテッルスの姪クラウディアの末裔)を自?。ガレリウスの共同皇帝(西方正帝)となった。
|
306年7月25日
自然死
|
|
フラウィウス?ウァレリウス?セウェルス
FLAVIVS VALERIVS SEVERVS
AVGVSTVS
西ロ?マ
|
不明
|
306年夏 ? 307年前半
|
?州民出身の?軍。ガレリウスの寵愛を受けてコンスタンティウス死後の共同皇帝(西方正帝)となるが、その息子コンスタンティヌス1世とマクシミアヌスの息子
マクセンティウス
に反?を起され敗北する。
|
307年9月16日
マクセンティウスにより?刑される
|
|
マクセンティウス
MARCVS AVRELIVS VALERIVS
MAXENTIVS
AVGVSTVS
西ロ?マ
|
278年頃
|
306年10月28日 ? 312年10月28日
|
マクシミアヌスの息子。父の援助を得て反?を起こし、西方帝位を簒奪する。同じく西方正帝??者の子息であるコンスタンティヌスを副帝にするも、後に反旗を?されて帝位を追われる。
|
312年10月28日
コンスタンティヌス1世の軍勢に敗死
|
|
リキニウス
CAESAR GAIVS VALERIVS
LICINIVS
AVGVSTVS
東ロ?マ
|
250年頃
フェリクス?ロムリアナ
(?州
モエシア
)
|
308年11月11日 ? 324年9月18日
|
リキニウスはガレリウスの側近。先帝の甥であるマクシミヌス?ダイアを破って東方正帝となり、コンスタンティヌス1世と手を結んでマクセンティウスを失脚させた。更にマルティニアヌス、ウァレリウス?ウァレンスら傀儡の共同皇帝を立ててコンスタンティヌスとも?うが、逆に敗れて帝位を失う。
|
325年頃
コンスタンティヌスにより?刑される
|
|
マルティニアヌス
(
英語版
)
SEXTVS MARCIVS
MARTINIANVS
東ロ?マ
|
|
|
|
|
ウァレリウス?ウァレンス
(
英語版
)
AVRELIVS
VALERIVS VALENS
東ロ?マ
|
|
|
|
|
マクシミヌス?ダイア
CAESAR GALERIVS VALERIVS
MAXIMINVS
AVGVSTVS
東ロ?マ
|
270年11月20日
|
311年5月1日 ? 313年後半
|
ガレリウスの甥。叔父の死後にリキニウスと帝位を?うも、敗れて?死した。
|
313年後半
リキニウスの軍勢に敗死
|
|
コンスタンティヌス1世
”大帝”
CAESAR FLAVIVS
CONSTANTINVS
VALERIVS AVGVSTVS
西ロ?マ
|
272年2月27日
ナイッスス
(?州
モエシア
)
|
306年7月25日 ? 337年5月22日
|
コンスタンティウス?クロルスの息子。リキニウスと手を結んでマクセンティウスおよびマクシミウス?ダイアを打倒し東西を平定した後、政?の末にリキニウスを打倒し自らの王朝を成立させ、東西分立の一時?止とキリスト?の公認を推進した。
|
337年5月22日
自然死
|
コンスタンティヌス朝
[
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]
肖像
|
名?
|
生年と誕生地
|
在位期間
|
?位背景
|
?年と死因
|
|
コンスタンティヌス1世
”大帝”
CAESAR FLAVIVS
CONSTANTINVS
VALERIVS AVGVSTVS
|
272年2月27日
ナイッスス
(?州モエシア)
|
306年7月25日 ? 337年5月22日
|
コンスタンティヌス朝の創始者で「
大帝
」と尊?される。
キリスト?
を公認したことから
聖人
として
列福
されている。自身の死後は息子三人と甥二人による五人の分治を?策する。
|
337年5月22日
自然死
|
|
コンスタンティヌス2世
CAESAR FLAVIVS CLAVDIVS
CONSTANTINVS
AVGVSTVS
|
316年
|
337年5月22日 ? 340年
|
コンスタンティヌス1世の次男。父の死後、三男コンスタンティウス2世と四男コンスタンス1世と共に皇帝となる。兄弟間の??に敗れ 、弟コンスタンス1世に?刑された。
|
340年
コンスタンス1世により?刑される
|
|
コンスタンティウス2世
CAESAR FLAVIVS IVLIVS
CONSTANTIVS
AVGVSTVS
|
317年8月7日
シルミウム
(?州
パンノニア
)
|
337年5月22日 ? 361年11月3日
|
コンスタンティヌス1世の三男。?位に際して父の遺言により共治するはずだった?兄弟の二人を殺害しその後、兄弟間の??を終結させて、唯一の後?者となる。更に共同皇帝に据えていたヴェトラニオを退位させ、父と同じ??皇帝としての地位を手に入れる。しかし共同帝の必要を感じ、始めは?兄弟のガルスを、後にその弟のユリアヌスを副帝に任じる。
|
361年11月3日
自然死
|
|
コンスタンス1世
CAESAR FLAVIVS IVLIVS
CONSTANS
AVGVSTVS
|
320年
|
337年5月22日 ? 350年
|
コンスタンティヌス1世の四男。次男コンスタンティヌス2世との??を制するも、?軍
マグネンティウス
の裏切りにより落命する 。
|
350年
マグネンティウスにより暗殺される
|
|
ウェトラニオ
FLAVIUS
VETRANIO
AUGUSTUS
|
不明
|
不明 ? 350年12月25日
|
コンスタンティヌス1世の側近。大帝の遺?による??の最中に反?を起こすが、コンスタンティウス2世により共同皇帝として?柔される。その後、マグネンティウスを討伐したコンスタンティウス2世に?力を受け、共同皇帝から退位して?軍に復?する。
|
356年
自然死
|
|
ユリアヌス
CAESAR FLAVIVS CLAVDIVS
IVLIANVS
AVGVSTVS
|
332年(331年)
コンスタンティノ?プル
(?州
トラキア
)
|
360年初頭 ? 363年6月26日
|
コンスタンティヌス1世の甥。?兄弟であるコンスタンティウス2世により後?者に指名される。叔父によるキリスト?の庇護を?止したことから「背?者」と蔑?された。
|
363年6月26日
遠征中に?傷死
|
|
ヨウィアヌス
CAESAR FLAVIVS
IOVIANVS
AVGVSTVS
|
331年
シグドゥヌム
(?州モエシア)
|
363年6月26日 ? 364年2月17日
|
ユリアヌスの側近。ユリアヌスが遠征先で後?者を指名せず、跡?ぎも?さずに急死したことから、遠征軍の支持を得て皇帝となる。遠征からの?還途中に火鉢によるガス中毒で事故死した。
|
364年2月17日
事故死(暗殺?あり)
|
ウァレンティニアヌス朝
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]
肖像
|
名?
|
生年と誕生地
|
在位期間
|
?位背景
|
?年と死因
|
|
ウァレンティニアヌス1世
FLAVIVS
VALENTINIANVS
AVGVSTVS
西ロ?マ
|
321年
キバラエ
(?州
パンノニア
)
|
364年2月26日 ? 375年11月17日
|
ユリアヌスの側近。ヨウィアヌスの病死に伴い、遠征軍から支持されて皇帝?位を宣言する。??後は弟ウァレンスを東方??の共同皇帝とし、?族侵入が本格化する中で優れた軍功を上げた。
|
375年11月17日
自然死
|
|
ウァレンス
FLAVIVS IVLIVS
VALENS
AVGVSTVS
東ロ?マ
|
328年
キバラエ
(?州パンノニア)
|
364年3月28日 ? 378年8月9日
|
ウァレンティニアヌス1世の弟。兄の共同皇帝となり、その死後は兄の息子達の後見人を務める。
ハドリアノポリスの?い
でゴ?ト軍に敗れて?死する。
|
378年8月9日
ゴ?ト軍との?いで敗死
|
|
グラティアヌス
FLAVIVS
GRATIANVS
AVGVSTVS
西ロ?マ
|
359年
シルミウム
(?州パンノニア)
|
367年8月4日 ? 383年8月25日
|
ウァレンティニアヌス1世の長男。父の存命中に西方??の共同皇帝として指名される。叔父ウァレンスの死後は新しい東方??の皇帝にテオドシウスを?擢した。
マグヌス?マクシムス
に敗れて殺害される。
|
383年8月25日
マグヌス?マキシムスに敗死
|
|
ウァレンティニアヌス2世
FLAVIVS
VALENTINIANVS
INVICTVS AVGVSTVS
西ロ?マ
|
371年
ミラノ
(イタリア本土)
|
375年11月17日 ? 392年5月15日
|
ウァレンティニアヌス1世の次男。父ウァレンティニアヌス1世の?後、兄グラティアヌスの共同皇帝として指名される。392年5月15日、宮廷で死?として?見される。
|
392年5月15日
自殺または他殺
|
テオドシウス朝
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]
肖像
|
名?
|
生年と誕生地
|
在位期間
|
?位背景
|
?年と死因
|
|
テオドシウス1世
”大帝”
FLAVIVS
THEODOSIVS
AVGVSTVS
東ロ?マ
|
347年1月11日
カウカ
(?州
ヒスパニア
)
|
379年1月1日 ? 395年1月17日
|
ロ?マ軍の?軍であった
大テオドシウス
の息子として生まれ、自らも軍人として?達する。東方正帝ウァレンスがゴ?ト族との?いで敗死した後、西方正帝グラティアヌスによって東方??の共同皇帝に任命される。グラティアヌス?後、その異母弟ウァレンティニアヌス2世を傀儡化し、?質的にロ?マ帝?全土を??支配した。
|
395年1月17日
自然死
|
|
アルカディウス
FLAVIVS
ARCADIVS
AVGVSTVS
東ロ?マ
|
377年
|
383年1月 ? 408年5月1日
|
テオドシウス1世の長男。東方??の皇帝となるが、この時代から東西分割の深化が進んでいく(東ロ?マ帝?)。
|
408年5月1日
自然死
|
|
ホノリウス
FLAVIVS
HONORIVS
AVGVSTVS
西ロ?マ
|
384年9月9日
|
393年1月23日 ? 423年8月15日
|
テオドシウス1世の次男。西方??の皇帝となるが、この時代から東西分割の深化が進んでいく(西ロ?マ帝?)。
|
423年8月15日
自然死
|
|
コンスタンティウス3世
FLAVIVS
CONSTANTIVS
AVGVSTVS
西ロ?マ
|
生年不明
ナイッスス
(?州モエシア)
|
421年2月8日 ? 421年9月2日
|
テオドシウス1世の娘?で、アルカディウスとホノリウスの義弟。ホノリウスの共同皇帝を務める。
|
421年9月2日
自然死
|
|
テオドシウス2世
FLAVIVS
THEODOSIVS
AVGVSTVS
東ロ?マ
|
401年4月10日
コンスタンティノ?プル
(?州トラキア)
|
408年5月1日 ? 450年7月28日
|
アルカディウスの息子。
テオドシウスの大城壁
など、帝?東方の防衛?化を進める。跡?ぎを持たないまま病?した。
|
450年7月28日
自然死
|
|
ヨハンネス
IOHANNES
AUGUSTUS
西ロ?マ
|
不明
|
423年8月27日 ? 425年5月
|
ホノリウス死後、テオドシウス朝を疎んだ元老院から推?され皇帝となる。しかし東方正帝
テオドシウス2世
が派遣したゲルマン人の?軍
アスパル
に敗れて?刑された。
|
425年5月
アスパルにより?刑される
|
|
ウァレンティニアヌス3世
FLAVIVS PLACIDIVS
VALENTINIANVS
AVGVSTVS
西ロ?マ
|
419年7月2日
ラヴェンナ
(イタリア本土)
|
424年10月23日 ? 455年3月16日
|
コンスタンティウス3世
の息子で、テオドシウス1世の孫。
ヴァンダル族
や
フン族
の侵略により西方領土の弱?化が進む。跡?ぎを持たないままに暗殺される。
|
455年3月16日
暗殺される
|
|
マルキアヌス
FLAVIVS
MARCIANIVS
AVGVSTVS
東ロ?マ
|
396年
|
450年夏 ? 457年1月
|
テオドシウス2世の義兄(姉の夫)。義弟同?に跡?ぎに?まれず、彼とその妻の死によってテオドシウス家は?絶した。
|
457年1月
自然死
|
テオドシウス朝?絶後
[
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]
西方帝位
[
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]
肖像
|
名?
|
生年と誕生地
|
在位期間
|
?位背景
|
?年と死因
|
|
ペトロニウス?マクシムス
FLAVIVS ANICIVS
PETRONIVS MAXIMVS
AVGVSTVS
|
396年
|
455年3月17日 ? 455年5月31日
|
元老院議員。ウァレンティニアヌス3世が暗殺された後、元老院の支持によって帝位を得たが、ヴァンダル族の前に首都ロ?マを捨てて逃亡し、激怒した民衆に投石されて死亡した。
|
455年5月31日
民衆による投石で死亡
|
|
アウィトゥス
EPARCHIVS
AVITVS
AVGVSTVS
|
385年
|
455年7月9日 ? 456年10月17日
|
フン族を破った?軍
アエティウス
の側近。ペトロニウスの失脚を知った西ゴ?ト王
テオドリック2世
により皇帝に推?され、?州および元老院の承認を?て皇帝となる。民衆の不?から元老院によって帝位を?奪され、
マヨリアヌス
や
リキメル
らによって追放された。
|
456年~457年
不明
|
|
マヨリアヌス
IVLIVS VALERIVS
MAIORIANVS
AVGVSTVS
|
420年11月
|
457年4月 ? 461年8月2日
|
アウィトゥスの同僚。リキメルによって傀儡として擁立されるも、影響下を?して?自に統治を行う。優れた手腕で西方領土の再建を進めるが、ヒスパニアからの敗走中に兵士の反?に遭って殺害された。
|
461年8月2日
兵士の反?により殺害される
|
|
リウィウス?セウェルス
LIBIVS SEVERVS
AVGVSTVS
|
生年不明
ルカ?ニア
(イタリア本土)
|
461年11月 ? 465年8月頃
|
元老院議員。マヨリアヌス?後、リキメルの傀儡として皇帝となる。
|
465年
不明
|
|
アンテミウス
PROCOPIVS
ANTHEMIVS
AVGVSTVS
|
420年
|
467年4月12日 ? 472年7月11日
|
東方正帝
マルキアヌス
の娘?。西方帝位が空位となっていた時期に、東方正帝
レオ1世
によって西方正帝と宣言された。西ロ?マ帝?の有力者
リキメル
と?い、敗れて?刑された。
|
472年7月11日
リキメルにより?刑される
|
|
オリュブリウス
FLAVIVS ANICIVS
OLYBRIVS
AVGVSTVS
|
420年
|
472年7月11日 ? 472年11月2日
|
ウァレンティニアヌス3世
の娘?。リキメル病?後、ヴァンダル軍の協力を得て帝位を得るが、自らも流行病に倒れる。
|
472年11月2日
自然死
|
|
グリケリウス
FLAVIVS
GLYCERIVS
AVGVSTVS
|
?
|
473年3月 ? 474年6月
|
アニシウス氏族出身。
ブルグント族
のグンドバト王の協力で帝位を得るが、東方正帝
レオ1世
の支持を得たユリウス?ネポスに追放される。
|
480年以降
サロナにて病?
|
|
ユリウス?ネポス
FLAVIVS
IVLIVS NEPOS
AVGVSTVS
|
430年
|
474年6月 ? 475年8月28日(イタリア) ? 480年春(ダルマティア)
|
ダルマティア
海軍の提督マルケリヌスの甥で、東方正帝
レオ1世
の娘?。レオ1世の?い支持でグリュケリウスを追放して皇帝となる。
軍司令官
オレステス
の裏切りで追放され、ダルマティアへ亡命する。亡命後もダルマティアを??支配するとともに、新たな東方正帝
ゼノン
からは正式な「西方の共同皇帝」と見なされ、
ロムルス?アウグストゥルス
とオレステスを追放した
オドアケル
からも承認されていた。亡命先で自らの護衛兵によって暗殺された。
|
480年
暗殺される
|
|
ロムルス?アウグストゥルス
FLAVIVS
ROMVLVS AVGVSTVS
|
460年
|
475年10月31日 ? 476年9月4日
|
?族出身の軍司令官オレステスの息子。ユリウス?ネポスを追放した父オレステスによって皇帝として擁立された。オレステスがオドアケルに敗れて失脚したことにより、退位に追い?まれ追放された。ただし殺害されたわけではなく、年金を得ながらイタリア南部で余生を送った。
|
不明
|
東方帝位
[
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]
脚注
[
編集
]
- ^
Holland,
Rubicon
, p.??
- ^
Starr,
A History of the Ancient World
, pp.670-678.
- ^
レミィ2010
、pp.47-48。
- ^
J. B. Bury,
History of the Later Roman Empire: From the Death of Theodosius I to the Death of Justinian
, pp16-18
- ^
Asimov, p. 198.
- ^
a
b
ル?ル2012
、pp.28-40。
- ^
?樹1999
、p.49。
- ^
ルメルル2003
、p.9。
- ^
ル?ル2012
、p.40。
- ^
ル?ル2012
、pp.39-40。
- ^
a
b
ル?ル2012
、pp.38-39。
?考資料
[
編集
]
- ダイアナ?バウダ?編『古代ロ?マ人名事典』小田謙?ほか?、
原書房
、1994年、
ISBN 9784562026050
。
- パトリック?ル?ル
著、
北野徹
?『ロ?マ帝? 帝政前期の政治?社?』
白水社
文庫クセジュ
、2012年。
ISBN
9784560509746
。
- ベルナ?ル?レミィ
著、
大?水裕
?『ディオクレティアヌスと四帝統治』白水社 文庫クセジュ、2010年。
ISBN
9784560509487
。
- ポ?ル?ルメルル
著、
西村六?
?『ビザンツ帝?史』
白水社
文庫クセジュ、2003年。
ISBN
4560058709
。
- ?樹啓太?
『ビザンツ帝?史』
東海大?出版?
、1999年。
ISBN
4486014316
。
- 南川高志
『B.C.220年 帝?と世界史の誕生』
山川出版社
、2018年。
ISBN
9784634445017
。
- Carpenter, Clive.
The Guinness Book of Kings Rulers & Statesmen
, Guinness Superlatives Ltd., 1978,
ISBN 090042446X
.
- Holland, Tom.
Rubicon: The Triumph and Tragedy of the Roman Republic
,New edition, Abacus, 2004,
ISBN 9780349115634
.
- Ross, Martha.
Rulers and Governments of the World, Vol.1, Earliest Times to 1491
, Bowker, 1978,
ISBN 0859350215
.
- Scarre, Chris. & Shaw, Brandon.
Chronicle of the Roman Emperors
, Thames & Hudson, 1995, Reprinted 2001,
ISBN 0500050775
.
- Starr, Chester G.
A History of the Ancient World
, Second Edition,
Oxford University Press
, 1974.
- Tacitus,
The Annals of Imperial Rome
, Penguin Classics, Michael Grant Publications Ltd., 1971, Reprinted 1985,
ISBN 0140440607
.
- Tapsell, R. F.
Monarchs Rulers Dynasties and Kingdoms of The World
, Thames & Hudson, 1981, Reprinted 1987,
ISBN 0500273375
.
?連項目
[
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]
外部リンク
[
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]
ウィキメディア?コモンズには、
ロ?マ皇帝一?
に?連するメディアがあります。