ポ?ル?ジュリヤン?アンドレ?モ?リア
(Paul Julien Andre Mauriat,
1925年
3月4日
-
2006年
11月3日
)は、
フランス
の
作曲家
、
編曲家
、
指揮者
、
ピアニスト
、
チェンバロ
奏者。特に日本ではNHKラジオ第1放送などで頻繁にオンエアされ、
レイモン?ルフェ?ブル
、
フランク?プゥルセル
らと?ぶ
イ?ジ?リスニング
界の著名音?家となった。
??
[
編集
]
BEL AIR時代まで
[
編集
]
フランス南部
マルセイユ
で郵便局員の父ヴィクト?ル、母クロ?ディアとの間に4人兄弟の末っ子として生まれる。6?でアマチュア音?家でもあった父親から
ピアノ
を習い、10?で
マルセイユ地方音?院
[注 1]
に入?。
ソルフェ?ジュ
(
1939年
)とピアノ(
1940年
)をともに首席で修了して
1941年
に卒業。その後、アマチュア
ジャズ
バンドを?て、
1943年
にマルセイユの
ダンスホ?ル
「ブラッスリ??ラ?ク?ポ?ル(La Brasserie La Coupole)」??オ?ケストラでピアニスト兼アレンジャ?としてプロ?デビュ?し、翌年には同??の指揮者を兼任する。
1948年
、ギタリストの
マルセル?ビアンキ
[注 2]
が率いるオ?ケストラに創設メンバ?として加入、同年12月から9ヶ月間に亘る
エジプト
?ツア?に?加する。
1951年
に
パリ
進出。近郊の
ダンスホ?ル
で演奏していた
フランク?プゥルセル
??にピアニストとして?加するが、翌年??し、同
7月28日
にイレ?ヌ?ボボと結婚
[注 3]
。
ダンスホ?ル
「ル?ヴァンピング(Le Vamping a Marseille)」
[注 4]
でのオ?ケストラ活動が評判となり、
1957年
にRGM
[注 5]
レ?ベルからレコ?ドデビュ?。
1959年
に再度パリへ進出し、音?プロデュ?サ?である
レオ?ミシ?ル
に誘われて
バ?クレ?
傘下で新進ア?ティストを扱う新興レ?ベル「BEL AIR」に移籍
[注 6]
。また、多忙となったプゥルセルに代わって
グロリア?ラッソ
のためにポ?ル?フェルサン(Paul Fersen)の?名を使って編曲?伴奏する一方、
シャルル?アズナヴ?ル
に?して120曲を超えるアレンジを提供、
1960年
12月の
アルハンブラ劇場
公演などで
オ?ケストラ
の指揮をとる。さらに、
ミレイユ?マチュ?
のデビュ?曲「愛の信?」を作曲し、?任オ?ケストレ?タ?として
1966年
9月の
オランピア劇場
公演などで指揮をとり、
フランシス?レイ
らとともに全米プロモ?ションツア?にも同行している。このほか、
モ?リス?シュヴァリエ
の新作レコ?ディングを機に、同じバ?クレ?社の同僚であった
レイモン?ルフェ?ヴル
と
1962年
から3年間に亘って仕事を共にしている
[注 7]
。
フィリップス時代と晩年
[
編集
]
1965年
、BEL AIRとの契約?了後に
ポ?ル?モ?リア グランド オ?ケストラ
(
LE GRAND ORCHESTRE DE PAUL MAURIAT
) としてフィリップスと契約。
1968年
に「
?はみずいろ
」(Philips 40495)
[1]
がビルボ?ド全米ヒットチャ?トで2月10日付より連?5週トップを記?したのを機に世界的にヒット(約500万枚)。年間チャ?トでも3位にランクされた。
RIAA
ゴ?ルドディスク
、ACCディスク大賞などを受賞。イギリスでは12位、日本では18位まで上昇した。作曲は「マンチェスタ?とリバプ?ル」のアンドレ?ポップで、ヴィッキ?のヴァ?ジョンも前年の67年に?表された。「?はみずいろ」を??したアメリカ編集アルバム『Blooming Hits』(PHS 600-248)
[2]
も3月2日付から5週連?で
Billboard 200
の1位を記?した。
クロ?ド?フランソワ
をカバ?した?くシングル「たとえ君が?っても」(Philips 40530)
[3]
[注 8]
も6月15日付ビルボ?ド?イ?ジ??リスニング?チャ?トで7位のヒット
[注 9]
。この年、モ?リアは全米でのプロモ?ションのために?身渡米し、テレビ番組『
エド?サリヴァン?ショ?
』などに出演。
1969年
以降、北米を中心にコンサ?ト?ツア?を開催する
[注 10]
。
「?はみずいろ」以降も、フランス語?や英語?のヒット?ポップスや
映?音?
を中心にレコ?ディングを?けるが、
1970年代
半ばから
1980年代
前半にかけて
ブラジル
音?に傾倒。1977年にはアシスタントのジェラ?ル?ガンビュスらと
リオデジャネイロ
に渡り、現地ミュ?ジシャンを起用したアルバム『夜明けのカ?ニバル/ポ?ル?モ?リア?ラブ?サウンズの熱い風』(FDX-340)を制作
[注 11]
。また
1978年
には自ら
フュ?ジョン
をコンセプトとしたアルバムを企?、
ニュ?ヨ?ク
パワ?ステ?ション スタジオ
で
ウィル?リ?
、
ランディ??ブレッカ?
、
マイケル?ブレッカ?
等を起用したオリジナル?アルバム『オ?バ?シ?ズ?コ?ル/ポ?ル?モ?リア イン ニュ?ヨ?ク』(FDX-390)を制作する。さらに、1980年代半ばには
クラシック音?
を取り上げたアルバムを3年連?で制作、原題を『
CLASSICS IN THE AIR
』に統一したシリ?ズ作品として?表、
日本
でも『愛の夢/ポ?ル?モ?リア クラシックヒッツ』(1985年?28PP-102)、『G線上のアリア/ポ?ル?モ?リア?クラシック?ヒッツ』(1986年?28PP-111)、『プリマヴェ?ラの微笑?ポ?ル?モ?リア クラシック アヴェニュ?』(1987年?28PP-134)として?表されている。
1992年
、
フランス文化省
より
芸術文化?章
「オフィシエ?デ?ザ?ル」
[4]
を、
1997年
には同「コマンドゥ?ル?デ?ザ?ル」(Commandeur des Arts)を受賞しているほか、生前の最終公演地となった
大阪市
ではコンサ?トに先立ってモ?リア夫妻を市役所に招いて大阪市名?市民に任命、?せて「大阪市の鍵」が贈呈されている
[5]
。
1993年
、所?していたフィリップスの本???者との?立から
ポニ?キャニオン
へ移籍。翌年リリ?スされた『
CHAGE & ASKA
コレクション/ポ?ル?モ?リア』(PCCY-00564)を皮切りに、契約期間4年の間に7枚のアルバムを制作する。
2000年
、
1982年
にモ?リアが作曲しながらスタジオ?音が?現しなかった『私は風が好き』を含む4曲をプライベ?ト?音、
2003年
の?日コンサ?ト?場および??元のプロモ?タ?「ミュ?ジックリ?グ」の通信販?限定でリリ?ス(MLPM-2003)。これがモ?リアの最終レコ?ディングと目されている。
死去
[
編集
]
2006年
10月末、フランス南部
ペルピニャン
の別?に?在中、?調不良を訴え?査入院したところ、急性
白血病
であることが判明。同年
11月3日
午前1時、急性白血病による心不全のためペルピニャンの病院で逝去。81??。6日に火葬された。モ?リア死去の報道に伴い、同
11月6日
の
JFN
系
FM
ラジオ番組
『
JET STREAM
』や同
12月17日
放送の
TBS
系ラジオ番組『
バックグラウンド?ミュ?ジック
』などで追悼特別番組が放送された。
?後
[
編集
]
死去から3年後の2009年11月、ジャン=ジャック?ジュスタフレ指揮ポ?ル?モ?リア?メモリアル?オ?ケストラによる追悼コンサ?トが日本および
大韓民?
で開催された。同公演について、未亡人は「日本のファンとプロモ?タ?に?する特別の配慮で?現させたものであり、故人の遺志によりモ?リアの死とともにオ?ケストラは消滅した」と後日コメントしている
[6]
。
2013年、プロ?デビュ?70周年を記念した??盤CDがポニ?キャニオンとユニバ?サルから相次いで企?され、特に後者では新たに?見されたモ?リア自身の歌唱によるデモ音源が??されたほか、インタ?ネットでのファン投票を中心に選曲された。
日本での音?活動
[
編集
]
日本においては、1965年12月に他ア?ティストのシングル盤B面??曲として「夜のメロディ?」が初めて?表(FL-1203)され
[注 12]
、翌年5月に??された『超ステレオ! 魅惑のヨ?ロッパ?トップ?ヒッツ』(SFL-7284)、『赤いサラファン/永遠なるロシア?ポ?ル?モ?リア?ストリングス?ム?ド』(SFX-7052)の2アルバム以降、
1990年代
はじめまで?ね年間2?3枚のペ?スでコンスタントに新作アルバムを?表。シングル盤でも「?はみずいろ」(1968年)、「蒼いノクタ?ン」(1969年)、「エ?ゲ海の?珠」(1971年)、「?のトッカ?タ」(1973年)、「オリ?ブの首飾り」(1975年)など立て?けにヒットを重ねた。とりわけ「オリ?ブの首飾り」のヒット?果は大きく、ベストアルバムとして??された『
ポ?ル?モ?リア グレイテスト?ヒッツ?リフレクション18
』(FDX-7001)が
1976年
度の
オリコン
年間アルバムチャ?ト21位に、『
ポ?ル?モ?リア グレイテスト?ヒッツ24
』(FDX-9201/2)が
1977年
度の同11位に記?されている。また、1970年代を中心に
NHKラジオ第1放送
で、レイモン?ルフェ?ブル、カラベリときらめくストリングス、カ?メン?キャバレロ、ニニ?ロッソなどとともに、さかんにオンエアされた。
それ以前にもモ?リア版「
ヘイ?ジュ?ド
」がテレビドラマ『
おふくろの味
』のテ?マ曲に起用されたのをはじめとして、1986年の開始以?現在まで放送が?いているTBS系ラジオ番組『
大?悠里のゆうゆうワイド
』(
2016年
4月9日
からは『
大?悠里のゆうゆうワイド土曜日版
』に?更)のテ?マ曲として使用されている「はてしなき願い」
[注 13]
など、NHKラジオ第一放送や民放のAM/FMラジオ番組、ほかにテレビ番組や
手品?奇術
、BGMなどに多岐に渡ってモ?リアの演奏作品が使用されている。
日本びいきとして知られ、
1976年
に??11都市の印象を綴ったオリジナルアルバム『ポ?ル?モ?リア/ラブ?サウンズ?ジャ?ニ?』(FDX-251)を?表。
1979年
には
FM情報誌
の?者投票で選ばれた
ニュ?ミュ?ジック
?曲のカバ?企?を、ジャケットデザインに
森英?
を起用したアルバム『愛のメッセ?ジ/ポ?ル?モ?リア』(FDX-465)として制作するほか、
池田??夫
監督の日
伊
合作
映?
『
窓からロ?マが見える
』の音?を??
[注 14]
する一方、
高田恭子
の『あじさいいろの日?』(1974年?
キング
BS-1799)の編曲?伴奏?音、
?生たかお
のアルバム『
LABYRINTH
』(
キティ
28MS-0068)の編曲?プロデュ?スなどを手がけている。また、モ?リアの自作曲を
山中さち子
(「カトリ?ヌ」1970年?
セブンシ?ズ
HIT-760)、
?木ゆうこ
(「さよならの街角」1973年?フィリップス FS-1765、原曲は「ただ一度だけ」)、
?栖あんな
(「私がふたりいる」1975年?
東芝EMI
LTP-20204、原曲は「見知らぬ人」)
[注 15]
)や
高橋キヨシ
(「湖に消えた?」1976年?フィリップス FS-2036)、
坂本スミ子
(「オ??ラ?ラ?オ?サカ」1977年?同 FS-2040)らがカバ?する例も見られた。
1995年
の
阪神?淡路大震災
の際には「カルテット?フォ??神?」を作曲し、フランク?プゥルセル(
バイオリン
)、フランシス?レイ(
アコ?ディオン
)、レイモン?ルフェ?ヴル(
フル?ト
)との4人で「ザ?フォ??フレンチメン」名義で?音、同曲が??された
チャリティ?
アルバム(PCCY-00749)を制作するなどの活動が知られている。さらに、1972年
5月13日
に開催された
第1回東京音?祭
ではゲスト審査員としてコンサ?ト?ツア?とは別に?日しているほか、1978年4月から同年末まで
東海ラジオ放送
の制作で自らの音??を中心に語る番組『ポ?ル?モ?リアの世界』(パリの自宅で??)や?談番組『
徹子の部屋
』へ出演した(1979年
4月11日
放送。公演のための?日中に??)。
1969年
に初?日して以?、
1970年
?1978年を除いて
1986年
まで?年、その後、
1988年
?
1990年
?
1996年
?
1997年
?
1998年
と?日し約870回
[7]
の公演を開催。
1990年
のコンサ?トツア?をもって一度はステ?ジ活動を休止するが、
パリ
で
カテリ?ナ?ヴァレンテ
とのジョイントコンサ?トが企?されたことが直接の引き金となって急遽
1996年
1月末より約2週間に渡る?日公演が?現、同年11月には1 - 2月に開催できなかった都市を中心とした公演を改めて開催した。
1997年
には公演直前になってモ?リアが?調を崩して?日が?れ、最初の3公演はジェラ?ル?ガンビュスの?弟である
ジル?ガンビュス
が指揮することとなった。このことが
1998年
のジャパンツア?を「さよならコンサ?ト」としたことに大きく影響したと見られており、同年
11月29日
の
大阪フェスティバルホ?ル
公演を以って自身のオ?ケストラの公演活動での指揮を退いている。
2000年
以降はモ?リア自身は同行しないものの構成?演出および編曲などを??する形で公演活動を再開、ジル?ガンビュス(2000年、
2002年
、
2003年
、
2004年
)、
ジャン=ジャック?ジュスタフレ
(
2005年
、
2009年
)を指揮者として行われた。なお、公式ライブアルバムは全て日本??で?音された。
日本のテレビ番組には在?時にも出演?がある。
- 1989年3月29日、
フジテレビ
系音?番組「
夜のヒットスタジオDELUXE
」に衛星中?でパリから出演し、『?はみずいろ』と『オリ?ブの首飾り』をメドレ?で演奏。これが事?上の初演となって、翌1990年から1998年のさよなら公演まで常に2曲セットで演奏された。
- 日本テレビ
系バラエティ?番組「
進め!電波少年
」の企?により、
松本明子
がアポイントなしでモ?リアを訪れて作曲を懇願
[8]
[9]
、ノ?
ギャラ
で『ネコなんだもん』(原案?
松村邦洋
、
作詞
?
ジェ?ムス三木
)が作曲された。但し松本バ?ジョン(ポニ?キャニオン PCDA-00551)は異なるアレンジで??されている
[10]
。モ?リア自身も?童合唱?を起用して?音、1994年に『ポ?ル?モ?リア/ス?パ??ベスト?コレクション』(PCCY-00628)で?表している。
- 1999年、
マジシャン
の
マギ?司?
が日本テレビ「あの人は今!?」
[11]
で
セ?ヌ川
に停泊中の
豪華客船
?を訪ねた際、モ?リアは船?でオ?ケストラを編成してCD音源に重ねて演奏し、マギ?のために『オリ?ブの首飾り』を指揮した。
- 2001年
12月28日
に放送された
BS2
の番組「?かしのフレンチ?ポップス大全集」でモ?リア本人が登場し、マルセイユの音?院(上記)などを訪れる映像が撮影されている。
?わったところでは、
船橋市立海神中?校
の第二校歌「トリトン」を作曲した。
モ?リアが?く日本で受容された例の一つとして、
森村誠一
は小?「ステレオ殺人事件」
[注 16]
や『?筋の畜?』の中に、モ?リアの作品を登場させている。
村上春樹
は「
ダンス?ダンス?ダンス
」の中で「
?はみずいろ
」(小?には「ポ?ル?モ?リアの?は水色」と表記)を登場させた。
作品
[
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]
音?性
[
編集
]
モ?リアがレコ?ドデビュ?したRGMレ?ベルからBEL AIRレ?ベルに至る時期には、それ以降に見られるサウンド面での?著な特?は見られていない。?するに、フィリップスに移籍してスタ?トした、世に知られる「ポ?ル?モ?リア?グランド?オ?ケストラ」では、1965年の移籍?初から他のオ?ケストラとの差別化を?るべく
[12]
、それまでポピュラ?音?では使用される機?が少なかったチェンバロを積極的に起用してバロック音?的な手法を採用した上で、ピアノやギタ?との組み合わせで同一旋律を演奏させるなどによって音色を特?づけている。
レコ?ディング?エンジニア
として
ドミニク?ポンセ
が?加した1969年以降は、
ドラムス
をステレオ??したり、ブラス?セクションをオンマイクで??するなどにより、リズムセクションを中心にクリア?なサウンドが?現されている。さらに、
1972年
にモ?リアのアシスタントとしてジェラ?ル?ガンビュスが加入すると、
電子?器
の一層の積極的導入が?られ、それまでピアノと同一旋律を演奏していたチェンバロに代わってエレキ?チェンバロや
シンセサイザ?
が用いられるようになり、ガンビュスによるリズム?セクションのアレンジと相俟って、他のオ?ケストラと一線を?した、いわゆるポ?ル?モ?リア?サウンド
[注 17]
が確立される。1980年代半ば以降のスタジオ?レコ?ディングでは、
トランペット
や
トロンボ?ン
などで演奏される旋律を、ジル?ガンビュスがプログラミングしたシンセサイザ?に移行されるケ?スが多くなった。1990年代に入ってポニ?キャニオンに移籍してからは、一部を除いて
ストリングス
を
ロンドン
のエンジェル?スタジオで
イギリス
人奏者を起用して?音された。
2011年に英Vocalion
[注 18]
が70年代LP??された
4チャンネルステレオ
音源のSACD化を開始。定位を?調するために仕掛けられたフレ?ズ(80年代に再?音された?曲では撤回された要素)もそのまま?取する事が可能になっている。
代表曲
[
編集
]
※??アルバムは日本??オリジナル盤を元に記述している。なおカッコ?は原題。
- ?はみずいろ
(L'amour Est Bleu "Love Is Blue")
- アンドレ?ポップ
作曲。
ヴィッキ?
(SFL-1115)が歌った
1967年度ユ?ロビジョン?ソング?コンテスト
4位入賞曲。モ?リアが取り上げ、1968年
2月10日
付から同年
3月9日
付ビルボ?ド?ホット100で5週連?1位
[13]
の大ヒットとなり、世界的に有名になった。日本ではアルバム『パリのあやつり人形/ヨ?ロッパ?トップ?ヒッツ』(SFX-7085)より
1967年
10月1日
にシングルカット(SFL-1123)され、オリコンチャ?ト最高18位、約12万枚のセ?ルスを記?している
[14]
。1976年にディスコ?アレンジでリリ?スした『
ラブ?イズ?スティル?ブル???はみずいろ'77
』のほか、オリジナル?アレンジでも1982年?1988年?1994年?2000年に新?音テイクを?表している。なお、1967年8月25日には
森山良子
が日本語カバ?盤を、モ?リアと同じフィリップス?レ?ベルよりシングル?リリ?ス(FS-1021)している。
- 蒼いノクタ?ン (Nocturne)
- モ?リアの自作曲。'73年ライブアルバムに??されたため、レコ?ドの解?でコンサ?トのアンコ?ル曲として紹介されることが多かったが、?際にアンコ?ルで演奏されたのは'72年公演から'76年公演までの5ツァ?(但し'75?'76年はメドレ?組み?み)にとどまっている。初レコ?ディングは1966年だが、日本では1969年にアルバム『輝く星座/ポ?ル?モ?リアの世界の詩情』(SFX-7178)で?表、同時にシングルカット(SFL-1226)された。1973年と1996年のライブアルバムに??されたほか、オ?ケストラによるスタジオ?音では、1988年?1994年にもレコ?ディングされている。
- 愛の信? (Mon Credo)
- ミレイユ?マチュ?のデビュ?曲(キング HIT-1354)として提供されたモ?リアの作品。自身のオ?ケストラ?バ?ジョンは?初、1967年3月1日に??されたアルバム『ポ?ル?モ?リア/ワ?ルド?トップ?ヒッツ』(SFX-7068)に邦題『
私の信?
』として??される予定であったが、急遽別曲と差し替えられたため、??盤では1980年??の
カセット?テ?プ
特別企?『ポ?ル?モ?リア/フランスの詩情』(30PT-107)に??されるまでは?表されることがなかった。その後も????レコ?ド盤では?表される機?がなかったが、1990年?日記念盤『?のトッカ?タ?エ?ゲ海の?珠/ポ?ル?モ?リア ラヴ?サウンド?コレクションⅡ』(PHCA-12)で漸くCD??が?現している。
- 口笛の鳴る丘 (Siffler Sur La Colline "Uno Tranquillo")
- ジョ??ダッサン
1969年のヒット曲だが、アルバム『裸足のイサドラ/ポ?ル?モ?リア』(SFX-7220)で?表されたモ?リアの演奏が
ニッポン放送
「
玉置宏の笑顔でこんにちは
」のコ?ナ?企?“晴れ晴れリクエスト”でテ?マ曲としても使用された。
- ポ?ル?モ?リアのR&B (Etude En Forme De Rhythm & Blues "Etude In The Form Of Rhythm & Blues")
- 1969年の全米ツア?のオ?プニングテ?マをモチ?フに1970年の訪米中に完成させたとモ?リアが後に述?、『
ポ?ル?モ?リアのテ?マ
』の曲名でも知られる。初?日となる'69年公演で?にプログラムに組み?まれており、'73?'74年の?日公演ではオ?プニング曲として使用された。1987年には同一モチ?フによる『愛のエチュ?ド』(Etude In The New Form)が?表されている。なお、1973年?日公演の?況?音から『蒼いノクタ?ン』とのカップリングで1978年にシングルカットされている(SFL-2231)。
- エ?ゲ海の?珠 (Penelope "L'eternel Retour")
- スペインの
アウグスト?アルグエロ
作曲
[注 19]
で、本?はメキシコ向けの?音。日本では1970年
12月20日
にシングル盤(SFL-1307)で??され、オリコンチャ?ト最高40位?約7.5万枚のレコ?ドセ?ルスを記?している。このテイクでは
ダニエル?リカ?リ
が中間部のスキャットを??していた。ファッションブランド「
ROPE(ロペ)
」やメルシャンワインのCM曲、TBS系ラジオ番組「
林美雄
の
パックインミュ?ジック
」第2部エンディングなどにも使用された。公式ライブ?レコ?ディングでは必ず取り上げられたほか、1976年にディスコ?バ?ジョンが?表され、1988年?1994年には
1983年
以降の?日ステ?ジでの演奏に準じたアレンジのスタジオ?音が?表されている。なお、1977年に
有馬三?子
の作詞による日本語カバ?盤(キング GK-147)が
ロ?レン中野
のボ?カルにより?表されている。
- 想い出のランデブ? (Rendez-Vous Au Lavandou)
- 1958年に
ダリダ
の歌唱でヒットしたモ?リアの自作曲。1972年にアルバム『想い出に生きる/ポ?ル?モ?リア?フレンチ?トップ?ヒッツ』(SFX-5048)で?表されたモ?リアの演奏版が、
日本テレビ
『あすの全?の天?』で
1980年
から10年間に亘りBGMとして使用された。
- ?のトッカ?タ (Toccata)
- フランスの音?家ガストン?ロ?ラン
[注 20]
の作曲。モ?リアは1951年、フランク?プゥルセル??のピアニストとしての採用オ?ディションで初見演奏している。その後、引退音?家のための高?者施設に住むロ?ランからレコ?ディング許諾を得て
1973年
に?表した。日本ではアルバム『ラスト?タンゴ?イン?パリ?天使のセレナ?ド/ポ?ル?モ?リア』(SFX-5070)より1973年
7月25日
にシングルカット(SFL-1811)され、オリコンチャ?ト最高63位?約6.6万枚を記?、1980年代までの?日ステ?ジではモ?リア自らピアノを演奏した。1973年?1982年?1998年の各ライブアルバムに??されたほか、1988年?1994年にも新?音テイクが?表されている。また、1973年10月には
ロンドン?レコ?ド
より
?岡婦喜子
が日本語カバ?盤をシングル?リリ?ス(BS(L)-1778)している。
- 天使のセレナ?ド
[注 21]
(La Chanson Pour Anna)
- もともとは
ウクレレ
奏者
ハ?ブ?オオタ
のためにアンドレ?ポップが書き下ろした作品だが、1973年に前?『ラスト?タンゴ?イン?パリ?天使のセレナ?ド/ポ?ル?モ?リア』で取り上げて以降はモ?リアの人?ナンバ?となり、シングルカットもされている(SFL-1774)。
NHK
の音?番組「
世界の音?
」のテ?マ曲としても使用された。1988年にも再?音テイクが?表されている。
- 白い渚のアダ?ジョ (Le Piano Sur La Vague)
- 1974年
にアルバム『パピヨン?追憶?メロディ?レディ/ポ?ル?モ?リア』(SFX-5141)で?表されたモ?リア自作曲。のち1983年にアメリカ映?「オ?タム?スト?リ?」
[注 22]
のエンディングテ?マ曲として使用され、『
オ?タム?スト?リ?のテ?マ
』と改題されたシングル盤(7PP-110)も??された。1988年?1996年の2度に亘って再?音されている。
- オリ?ブの首飾り (El Bimbo)
- クロ?ド?モルガン
作曲
[注 23]
で、オリジナルは
ビンボ??ジェット
が演奏した『嘆きのビンボ?』(東芝EMI EOR-10691)。
1975年
1月25日
に??されたシングル盤(SFL-2001)はオリコンチャ?ト最高61位にとどまるものの、モ?リアの演奏シングル盤としては最も多い約12.7万枚を?り上げている。本曲?表後の各種ライブアルバムに??されたほか、1988年?1994年にも新?音テイクが?表された。1970年代後半からの?日公演では、?客の手拍子をバックにオ?ケストラ?メンバ?を紹介してフィナ?レを飾る定番ナンバ?としても演奏された。
日本テレビ
系深夜番組『
11PM
』のコ?ナ?BGMに使用されるなど日本での人?は高い。日本語カバ?として1976年に『ゆうわく』のタイトルでロ?レン中野&
和田弘とマヒナ?スタ?ズ
が?表(キング GK-11)しているほか、同1976年に
田中星?
が「オリ?ブの首飾り」のタイトルでカバ?
[注 24]
。1989年11月には
石井明美
が「オリ?ブの首飾り」の邦題でシングル?リリ?ス(
ソニ?
CSDL3027)している。
- この曲は、日本では
手品
(マジック)を演じる際の
バックミュ?ジック
として知られる
[15]
[16]
[17]
。この曲を最初に手品のバックミュ?ジックとして使用したのは奇術師の
松旭?すみえ
で、1975年頃にカ?ラジオで偶然この曲を?いて?に入り、?演時のBGMに採用した
[15]
[16]
[17]
。やがて彼女の周?からマジシャンの間に本曲の使用が?がった
[15]
[16]
。この曲が「手品(マジック)の曲」として世間一般に認知されるようになったことについては、テレビの影響が指摘される
[17]
。松旭?すみえ自身が?時多くのテレビ出演を行っており、それによって認識が?がったという?明もされるが
[15]
、?出マジック(
イリュ?ジョン
)を得意としテレビ番組にも多く出演していた
初代引田天功
も使用し
[16]
(天功も「松旭?一門」出身である)、これが世間での定着の上で決定的であったという?明もある
[16]
。初代天功の弟子の朝風まり(後の
二代目天功
)が師の代役として起用され初めて?出マジックを披露した番組『朝風まりの空中ケ?ブル大?出』(日本テレビ、1977年)では、彼女がヘリコプタ?で登場するシ?ンにこの曲が流されている。
- 薔薇色のメヌエット (Minuetto)
- モ?リアの自作曲。
1975年
に?表されたアルバム『巴里にひとり/リリ??マルレ?ン ポ?ル?モ?リア』(FDX-175)では『
ミニュエット
』と表記されていたが、シングルカット(SFL-2054)を機に邦題が改められた。1988年に新?音されたバ?ジョンが
TBS
系テレビドラマ『
女の言い分
』のテ?マ曲に使用され、CDシングル(PHDR-138)として??されたほか、1994年にも新たにレコ?ディングされている。
- ?のシャリオ(
アイ?ウィル?フォロ??ヒム
) (I Will Follow Him "Chariot")
- リトル?
ペギ??マ?チ
の1963年全米ヒットナンバ?(ビクタ? SS-1350)であり、『
愛のシャリオ
』『
夢の幌馬車
』の邦題でも知られる。モ?リアが「デル?ロ?マ」の?名を用いて、「J.W.スト?ル」を名?ったフランク?プゥルセルとの共作で?表していたことが、1976年に初??されたアルバム『ラブ?イズ?スティル?ブル?/ポ?ル?モ?リア?ディスコ?センセイション』(FDX-250)のリリ?スを機に公表された。『ラブ?イズ?スティル?ブル???はみずいろ'77』とのカップリングでシングルカットもされており(SFL-2092)、
1994年
と2000年にもアレンジを?えて再?音している。後年、映?「
天使にラブ?ソングを…
」で主題歌として用いられた。
- そよ風のメヌエット (Petite Melodie)
- モ?リア自身の作曲。1977年、アルバム『愛の?歌/ポ?ル?モ?リア?ニュ??ワ?ルド?トップ?ヒッツ'77』(FDX-300)で?表、シングルカット(SFL-2171)された。
- 星空のプロムナ?ド (Pulstar)
- オリジナルは
ヴァンゲリス
の『
パルスタ?
』(RVC RVP-6156)。1977年の?日公演で初演され、翌年春??のアルバム『星空のプロムナ?ド ポ?ル?モ?リア?トップ?ヒッツ'78』(FDX-361)に??、シングル盤(SFL-2248)も同時??された。後に、1996年冬の?日公演オ?プニングで新アレンジで演奏されたほか、モ?リア引退後の?日公演でも演奏された。
- 渚のプレリュ?ド (Prelude 59)
- 1973年から
1982年
までモ?リアのブレインだったジェラ?ル?ガンビュスとモ?リアの共作曲。?時??されていたオリジナルファッションブランドに因み「
ブル?シ?ガルのテ?マ
」を副題として、
1981年
に?表されたアルバム『ポ?ル?モ?リアと再?』(28PP-13)に??され、同時にシングルカットされた(7PP-38)。?日公演では1981?1982?1988各年度のオ?プニング曲として使用されたほか、'85?'86?'97各年度にはメドレ?最終曲としてコンサ?ト第一部ラストで演奏されている。なお、原題の「59」はモ?リアの自宅兼オフィスの所在地に由?している。
- 愛のカフェテラス (Hot On The Scent "Ai No Cafe Terrase")
- 1982年にアルバム『愛のカフェテラス?ポ?ル?モ?リア/マジック』(28PP-42)で?表、シングルカットが『?はみずいろ'83』
[注 25]
とのカップリングで??(7PP-78)された、ポ?ル?モ?リア自作。夫人のイレ?ヌ?モ?リアが作詞したが、ボ?カル盤としては?表されなかったとされている
[18]
。なお、『愛のかおり』(7PP-115)、『天使のメヌエット
[注 26]
』(キャニオン 7Y0073)、『哀しみのショパン』(7PP-161)などの作品が使用され、引き?き自身も出演した。
- BOWS
- コンサ?ト第二部オ?プニング、およびアンコ?ル前の?客がモ?リアへ花束を贈る間に演奏された曲。複?のバ?ジョンがあり、『ポ?ル?モ?リアのR&B』をモチ?フとしたもの
[注 27]
、『シャレ?ドの休日』をモチ?フとしたもの
[注 28]
、『OPENING '85』をモチ?フとしたもの
[注 29]
などが演奏された。なお前二者はコンサ?ト?エンディングテ?マとしても演奏されている。
ディスコグラフィ
[
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]
モ?リア自身のピアノソロ演奏による『蒼いノクタ?ン』『?のトッカ?タ』を??した非?品シングル盤が1977年に制作された。同盤はその後、1990年にオ?ケストラ結成25周年を記念して??されたCD全集の全?購入特典としてCD復刻された。
フィリップス在籍時代に??された??盤オリジナル?アルバムの?、CD??されていなかった1986年までの作品の大半が紙ジャケットで復刻され、『ポ?ル?モ?リア/ジャパニ?ズ?オリジナル?アルバム?コレクション』として2004年に10枚組CD-BOXで2タイトル、
2007年
に11枚組CD-BOXで2タイトルが限定??された。
コンサ?ト活動
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]
本節では、ライブ?レコ?ディングの項を除き、モ?リア自身の指揮を前提として開催された?日公演に限定して記述している。
オ?プニング
[
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]
レ?モン?ルフェ?ヴルが『カデ?ル?セル』を自身のコンサ?トのテ?マ曲に固定していたこととは?照的に、モ?リアは?日年度により?曲を?更していた。また、緞帳が上がる時点で『イントロダクション』
[注 30]
が演奏され、その後にモ?リアが登場としてオ?プニング?曲が演奏されることが多かった。
- 1969 - 1972年:『イントロダクション』
- 1973 - 1975年:『イントロダクション?ポ?ル?モ?リアのR&B』
- 1976?1977年:『パリ=東京直行便』
- 1979?1980年:『イントロダクション?レット?ゼア?ビ??ミュ?ジック』
- 1981年:『グリ?ン?レイク?渚のプレリュ?ド』
- 1982年:『イントロダクション?渚のプレリュ?ド』
- 1983年:『イントロダクション?サンセット?オ?プニング』
- 1984年:『ショウ?オ?プニング』
- 1985?1986年
[注 31]
:『OPENING '85』
- 1988年:『BOWS?渚のプレリュ?ド』
- 1990?1996年:『ビルディング?ザ?グル?ヴ』
- 1996年WINTER:『星空のプロムナ?ド』
- 1997?1998年:『星空のファンタジ?』
?日公演の奏者編成
[
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]
- 公演年度により若干の?減はあるが、?ね基本編成は次の通りとされた。
エレキベ?ス
(1)、ドラムス(1)、
パ?カッション
(2)、
ギタ?
(2)、トランペット(4)、トロンボ?ン(3)、
キ?ボ?ド
(2)、フル?ト?
サキソフォ?ン
(1)、バイオリン(11)、
ビオラ
(2)、
チェロ
(2)。
- 1985年以降は?ね下記の通りにステ?ジ上の?器配置が統一された。
下手
側に
弦?器
、その手前の
グランドピアノ
の後方と中央中段にキ?ボ?ド、中央上段に
パ?カッション
、
上手
上段はフル?トとトランペット、中段にトロンボ?ンと
ラテン
パ?カッション、前段にはエレキベ?スおよびギタ?、その手前にはドラムスが置かれた。
- 弦?器は1980年代半ばまではバイオリンのみの場合と、ビオラやチェロが追加される場合があったが、1985年度以降はビオラ(2)?チェロ(2)を追加する編成で統一され、?せてキ?ボ?ドも3人の奏者となった。なお、さよなら公演(1998年)のみビオラとチェロは各4人で編成された。
- 1996年度以降は中央最上段に
フレンチホルン
(3)が追加されるようになった。
- 1970年代後半まではグランドピアノとチェンバロが?べて配置されていたが、それ以降は
シンセサイザ?
が起用されたことからピアノのみとなった。
- 初?日?初から3?6人の女?または混?のコ?ラス隊が?加することが多かったが、1984年度以降はオ?ケストラのみで開催された。
ライブ?レコ?ディング
[
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]
- 1973年
11月30日
:
大阪フェスティバルホ?ル
。なお復刻リリ?スされたCDでは第二部オ?プニング曲が??されなかった。
- LP
『ポ?ル?モ?リア?ライブ?イン?ジャパン』 (PHILIPS SFX-5140、同 FDX-151、同 PM-21)
- CD
『ポ?ル?モ?リア/ファ?スト?ライヴ?イン?ジャパン』 (同 PHCA-9015)
- 1982年
10月24日
:
東京厚生年金?館
[注 32]
。ここから、オ?ディオソフトだけではなく、?時登場したばかりの映像ソフトの??も考え、映像による同時??による制作も行われた。又、その??に先?け、
1983年
初めに、
日本テレビ
の番組「サンスタ??ポ?ル?モ?リア?スペシャル」として、全?ネット放送され(一部地域を除き、ステレオ放送)、その際、後に??される映像ソフトでは未??の部分も放送された。
- LP 『私は風が好き/ポ?ル?モ?リア?デジタル?オン?ステ?ジ』 (同 30PP-3)
- LD
『ポ?ル?モ?リア 愛のメロディ』 (レ?ザ?ディスク(株)/
パイオニア
MP092-15PM、同 SM048-3216)
- VHD
『コ?ト?ダジュ?ルの風/ポ?ル?モ?リア』 (
日本ビクタ?
VHM58027)
- CD 『私は風が好き?ポ?ル?モ?リア?オン?ステ?ジ』 (PHILIPS 811 170-2(西ドイツ輸入盤??仕?)
[注 33]
、32PD-106(??盤仕?
[19]
))
[注 34]
- LD 『オリ?ブの首飾り?ポ?ル?モ?リア?オン?ステ?ジ』 (同 PHLA-4801)
- 1990年
10月10日
:
大宮ソニックシティ
。同年
12月11日
[20]
に
NHK?合テレビ
で「ショ?タイム サウンドの魔術師?ポ?ル?モ?リア 華麗に奏でる世界のヒット曲」として放送されている。
- CD 『ポ?ル?モ?リア?イン?コンサ?ト』 (同 PHCA-92)
- LD 『ポ?ル?モ?リア/?はみずいろ』 (ロブ/
パイオニアLDC
PILP-1101)
- 1996年
2月11
、
12日
:
人見記念講堂
。同年
6月16日
に
WOWOW
「ミュ?ジック?ガ?デン」?で放送されている。
- CD 『ポ?ル?モ?リア 30th アニヴァ?サリ??コンサ?ト』 (ポニ?キャニオン PCCY-01060)
- LD 『ポ?ル?モ?リア 30th アニヴァ?サリ??コンサ?ト』 (同 PCLP-00624)
- DVD
『?30周年記念コンサ?ト?ポ?ル?モ?リア?メモリアル?ライヴ』 (同 PCBP-50845)
- 1998年
11月29日
:大阪フェスティバルホ?ル。
1999年
3月6日
、
NHK衛星第二放送(BS2)
で「さよならニッポン ポ?ル?モ?リア?ラスト?コンサ?ト」として放送されている。
- CD
[注 35]
『PAUL MAURIAT "SAYONARA" The Farewell Concert』 (ALL ACCESS VAL4-2000)
- VHS
『ポ?ル?モ?リア さよならコンサ?ト』 (日本ビクタ?/
日本音??育センタ?
OCV-15001)
- DVD 『PAUL MAURIAT SAYONARA CONCERT LIVE IN OSAKA FESTIVAL HALL』 (ALL ACCESS VAL1-2003、ユニバ?サル UICY-15208、同 UICY-75626)
- 2009年
11月7
、
8日
:東京厚生年金?館。CDのみ「ミュ?ジックリ?グ」よりリリ?スされた(ジャン=ジャック?ジュスタフレ指揮ポ?ル?モ?リア?メモリアル?オ?ケストラ)。
- CD 『ポ?ル?モ?リア?メモリアル?コンサ?ト2009』 (ミュ?ジックリ?グ NQCL 4010/1)
コンサ?ト中?番組
[
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]
上記の商品化を前提とした??とは別に、テレビやラジオの番組としてコンサ?ト中?やスタジオライブが下記年度の公演について放送されている(初回放送日のみ表記)。
- 1970年1月3日:
東京12チャンネル
「新春特別番組 ポ?ル?モ?リア?コンサ?ト」
- 1976年11月20日:NHK?合テレビ「
音?の?場
ポ?ル?モ?リアの華麗な音??」(スタジオライブ)
- 同番組では
服部克久
との?談のほか、
弘田三枝子
とのセッションが?現、『?はみずいろ』『人形の家』『追憶』の3曲(放送順)が歌われている。
- 1980年11月23日:同上「ポ?ル?モ?リア華麗なるラブ?サウンズ」(
神奈川?民ホ?ル
)
- 1985年11月24日:
衛星第一
「魅惑のラブリ??サウンズ ―ポ?ル?モ?リア?グランド?オ?ケストラ―」(
NHKホ?ル
)
- 1986年5月17日:同上「サテライトグラフ ポ?ル?モ?リア?グランド?オ?ケストラ?コンサ?ト」(東京厚生年金?館
[注 36]
)
- 1997年11月23日:NHK?合テレビ「特集?
ときめき夢サウンド
オリ?ブの首飾り?華麗なポ?ル?モ?リアの世界」(スタジオライブ)
このほかコンサ?ト中?が1974年?1976年?1979年?1980年?1981年?1983年?1985年の各年で
FM
番組として放送されている。
人物など
[
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]
愛妻家として知られ、初?日に先立って確認された契約?容の中で、日本側のプロモ?タ?から夫人の同伴に?して質されたのに?して「認めなければ訪日しない」と回答。以後、1998年まで常に夫人を同伴して?日公演を開催した。
アウトドア?スポ?ツとして
ペタンク
を愛好していたことがFM?誌などで?多く取り上げられており、前記別??在時に仲間とともに興じている姿が映像として?されている
[21]
ほか、公演の合間にゲ?ムを?しんでいる?子も?日コンサ?トの中?番組
[22]
の中で紹介されている。
2002年、フランスの音?ライタ?であるセルジュ?エライクがモ?リアの半生を1年に亘って取材、「
Une vie en bleu - PAUL MAURIAT
」として出版。日本では
2005年
に著者自身による再編集版が??され、
2008年
に出版されている。
脚注
[
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]
注?
[
編集
]
- ^
1970年代半ばまではレコ?ド解?文やテレビ番組などで「
パリ音?院
出身」と誤って紹介されることが多かった。
- ^
1975年、『
エマニエル夫人
』などの演奏にスティ?ル?ギタリストとして起用された後、アルバム『ポ?ル?モ?リア?プロデュ?スによるラブ?サウンズへの新しき挑? <オンリ??ユ?><幸せの?色いリボン>』(FDX-170)を?表、同年の?日公演にもゲスト出演している。
- ^
二人の間に子供は生まれなかった。
- ^
1970年代にはディスコ「レアル」として?業が?けられていたことが「イ?ジ?リスニングの本」(?考文?の項を?照)の記事より確認できる。
- ^
Records Gilbert Montels
- ^
初年度のみ
エドゥアルド?リュオ(Eduardo Ruo)
、
リチャ?ド?オ?ドリ?(Richard Audrey)
の?名を使用。
1960年
以降はポ?ル?モ?リア名義でリリ?スしている。このほか同レ?ベル在籍中に
Nico Papadopoulos
、
Willy Twist
名義で?表している。
[
要出典
]
- ^
後に、モ?リアが
フィリップス?レコ?ド
に移籍した直後に?表したロシア民?アルバム『赤いサラファン/永遠なるロシア?ポ?ル?モ?リア?ストリングス?ム?ド』(SFX-7052)でも、ルフェ?ヴルがレコ?ディングをサポ?トしている。
- ^
?音制作は
1965年
- ^
5月25日付
Billboard Hot 100
で60位。翌年1月9日付の「
チキ?チキ?バン?バン
」の76位を最後にBillboard Hot 100へのランクインはなくなるが、米?撤退する1971年までにイ?ジ??リスニング/アダルト?コンテンポラリ?チャ?トでは8曲、Billboard 200のうち100位以?に3枚のアルバムをランクインさせている。
Paul Mauriat Chart History - Billboard
- ^
ただし、オ?ケストラ?メンバ?に?するフランス人奏者の人?制限やプロモ?タ?に?する不信などから、3度目となる
1971年
を最後に全米ツア?を打ち切っている
- ^
本?などでは『BRASIL EXCLUSIVAMENTE』のタイトルでシリ?ズ化され、3枚のアルバムが?表されている。
- ^
A面??曲はフランキ??モンテベルロとゴ?ルデン?ストリングス「ドナ?ドナ?ド?ナ」。なお、この時点でのア?ティスト表記は「パウル?モ?リア??」とされた。
- ^
原題は「
Infinito Desejo
」。モ?リアが1980年春に開催したブラジル?ツァ?の折に見出した曲で、同年の?日記念盤『カリオカの碧い風/ポ?ル?モ?リア』(FDX-490)に??されたが、放送開始後も通販商品を除きシングルカットやコンピレ?ションアルバムに??されることはなかった。
- ^
なお、ポ?ル?モ?リア?グランド?オ?ケストラの演奏で制作された
サウンドトラック
盤のほか、
丸山雅仁
の編曲により主演女優である
中山貴美子
が歌唱した
主題歌
シングル盤(フィリップス 7PL-77)も制作???されている。
- ^
高田恭子も別歌詞による「そよ風にのって」として、前記シングル「あじさいいろの日?」B面??曲として?表している。
- ^
ただし、1982年
2月11日
に放送された
テレビ朝日
「春の傑作推理劇場」では、架空の作品に差し替えられている。
- ^
但し、モ?リア本人は「ポ?ル?モ?リア?サウンドというものは存在しない」と、?日時のインタビュ?などでは何度も回答している一方、「自己分析するのは自信過?のようで嫌な?がする」と前置きした上で「バイオリンのクラシカルな使い方、ハ?プシコ?ドやクラヴィネットのバロック風アレンジ、それにビ?トの?いたリズム?セクションを加えたもの」を特?としてコメントしている(「イ?ジ??リスニングの本」?照)。
- ^
ヴォカリオン?レコ?ド
(米エオリアン系のレ?ベル)とは別?社。
- ^
?表?初は原題が同じであることから
ジョルジュ?ブラッサンス
の曲として紹介され、モ?リア自身がフランスの著作?管理??
SACEM
に?して訂正を申し入れていたことが自??で語られている。
- ^
「?日公演に?加したこともあるトロンボ?ン奏者」との記述が過去に??されたレコ?ドの解?などで散見されるが、別人と混同されており、事?ではない。
- ^
邦題は商品により『天使のセレナ?デ』が混在している。
- ^
但し、同映?本編の音?は
ダドリ??ム?ア
が??した。
- ^
近年になって
アフガニスタン
のア?マッド?ザヒル
(
Ahmad Zahir
)
作曲の『"Tanha Shodam"』が原曲であるという?が浮上している。
- ^
アルバム『オ??マリヤ?ナ』(ビクタ? SJX-10134)に??。
- ^
但しアルバム(28PP-42)での表記は『ラブ?イズ?ブル?'83』。
- ^
但し、モ?リアがアレンジおよびプロデュ?スを??したフル?ト奏者
ベルディ?ン?ステンベルグ
の作品として?表されている。
- ^
1979年度?日公演まで使用。1973年ライブアルバムではノンクレジットながら??された。
- ^
1980年度から1984年度?日公演まで使用。一部で『BACK AGAIN』と表記したものがあるが、アルバム『シャレ?ドの休日』に??された別曲である。
- ^
1985年度以降の生前全ての?日公演で使用されたものであり、1990年以降のライブアルバムに??されたものは全て本バ?ジョン
- ^
公演年度により異なるモチ?フの?曲が演奏された。
- ^
但し1986年のコンサ?ト?プログラム上の曲目表記は『OPENING』とされている。
- ^
ポ?ル?モ?リア初のデジタル?音。米3M社製、32チャンネルのマルチデジタル?音機を使用。
- ^
1983年のこのCD初???時、??元の日本フォノグラムでのCD??は、?時の
西ドイツ
にあった、
ポリグラム
のハノ?バ?工場で製造したそれを輸入して、??仕?にして??することが、一般的であった。
- ^
CD初???時、同一のCDが、?時の
松下電器(現パナソニック)
の
テクニクス
のCDプレ?ヤ?のデモ用の1つに作られ、それは、?時大阪にあった松下電器のCD工場で製造された。これは、同社が、?時の??元の日本フォノグラムの株主であったことから、?現できた。
- ^
所?事務所VAL PRODUCTIONの制作によりALL ACCESSレ?ベルから「ミュ?ジックリ?グ」?由でリリ?スされた。後に海外レ?ベルからも??されている。
- ^
但し'85年度公演
出典
[
編集
]
?考文?
[
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]
?連項目
[
編集
]
外部リンク
[
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]