プリンス (ミュ?ジシャン)

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プリンス
基本情報
出生名 プリンス?ロジャ?ズ?ネルソン
生誕
死?
ジャンル
職業
???器
活動期間 1976年 - 2016年
レ?ベル
事務所 The Prince Estate
共同作業者
公式サイト Prince | Official Website

プリンス?ロジャ?ズ?ネルソン Prince Rogers Nelson 1958年 6月7日 - 2016年 4月21日 [5] )は、 アメリカ ミュ?ジシャン マルチ?インストゥルメンタリスト [6] シンガ?ソングライタ? 作曲家 音?プロデュ?サ? 俳優 映?監督

ファンク ブル?ス ゴスペル ハ?ド?ロック サイケデリック?ロック ダンス?ミュ?ジック ソウル ジャズ 、ポップ、 ロック などの音?性を持ち、 ミネアポリス?サウンド の中心的存在だった [7]

人物 [ 編集 ]

これまでに12作品のプラチナアルバムと30曲のトップ40シングルを生み出し、アルバム?シングルの??り上げは1億5000万枚以上になる [8] 。後進のミュ?ジシャンに影響を?えた存在として知られた [8]

プリンスは多作で知られており、生涯で39枚のアルバムをリリ?スし、未?表のプロジェクトも?多くあった。 彼の死後、スタジオにある金庫室(ボ?ルト)から、他のさまざまなメディアとともに、完全に制作された?十のアルバムと、これまでにリリ?スされたことのない50を超えるミュ?ジックビデオが?されているのが見つかった。自分名義と複?のペンネ?ムで?百曲をリリ?スしており、書いた曲の??の見積もりは1,000をはるかに超える。

代表曲として、「 パ?プル?レイン 」「 ?慄の貴公子 英語版 」「 KISS 」「 サイン?オブ?ザ?タイムズ 英語版 」「 バットダンス 英語版 」「 セクシ?MF 英語版 」「 アイ?ヘイト?ユ? 英語版 」「 1999 英語版 」「 リトル?レッド?コルヴェット 英語版 」「 ビ?トに抱かれて 」「 レッツ?ゴ??クレイジ? 英語版 」「 ラズベリ??ベレ? 英語版 」「 ウォナ?ビ??ユア?ラヴァ? 英語版 」「 ソフト?アンド?ウェット 」などがある。

2010年?表の「 ロ?リング?スト?ン の選んだ?史上最も偉大な100組のア?ティスト」において第27位 [9] 。「ロ?リング?スト?ンの選んだ史上最も過小評?されているギタリスト」において第1位。

?要 [ 編集 ]

プリンスは 1978年 のデビュ?以?、 アフロアメリカンの音? 白人 の音?を融合した音?スタイルで、?多くのヒットを放ってきた。 ジョニ?ミッチェル [注 1] はプリンスについて「彼は芸術家として?り立てられて音?をやっている。形式やヒットでなく創造が動機となっている」と語っている [10] 。ジョニは、プリンスが若き日に送ってきたファンレタ?に「Uや4があった」ことで彼を?えていたという。プリンスがもっとも影響を受けてきたミュ?ジシャンは、 ジェ?ムス?ブラウン スライ?スト?ン ジョ?ジ?クリントン [注 2] Pファンク などである。この先、何十枚でも アルバム を?表できるだけの?曲のストックがあるといわれ、また、どれほど優れた曲であろうとも「アルバムの流れから外れた曲は??しない」という主義から、多くの 海賊版 ??の被害にもあっている。

デビュ?以?、作詞?作曲?歌唱?演奏?プロデュ?スの全てを自ら行うスタイルを貫き、「27種類以上の?器を演奏」できる。さらに ジェ?ムズ?ブラウン のパフォ?マンスを引き?いだステップやスプリット(股割り)、 マイクスタンド を用いた??な技などの ダンス パフォ?マンスも披露していたが、後に?器による生演奏と歌唱を中心とした「リアルミュ?ジック?バイ?リアルミュ?ジシャンズ」を?げたライブになっていた。

曲のタイトル?歌詞の特?として、to 「2」、for 「4」、you 「U」、are「R」など 同音異字 を用い、I は「eye」の表象文字で記載されている。イメ?ジカラ?は主に「 」。これはアルバム『 Purple Rain 』??前からのもの。キャリア初期からセクシャルなイメ?ジが?く、「I Wanna Be Your Lover」の ミュ?ジックビデオ ビキニパンツ レッグウォ?マ? という衣?で出たり、アルバム『Lovesexy』の ジャケット 問題(下記)、さらには 臀部 が全開のパンツでパフォ?マンスしたりと、??な逸話がある。また、アルバム『Purple Rain』は、??曲「Darling Nikki」の露骨に 卑猥 な歌詞により、 ティッパ??ゴア による 「問題のある?容のレコ?ド」に貼るウォ?ニング?ステッカ? の第一?となった [注 3]

改宗 を機に「古くからのファンも家庭を持つ年?になったから」とセクシャル路線をやめることを宣言した(後は マドンナ に任せるとも言っていた)。ワ?ナ?との契約解消以降はアルバムの販?なども特別な手法を取った。その才能への敬意と Prince という名に因み、 日本 のファンは彼を「 殿下 」と呼んできた。

ロ?リング?スト?ン 誌の2007年11月?の企?で、「 ロ?リング?スト?ン の選ぶ?史上最も過小評?されている25人の ギタリスト 」において第1位、「 ロ?リング?スト?ンの選ぶ?史上最も偉大な100人のシンガ? 」において第30位 [11] 、「ロ?リング?スト?ンの選ぶ?史上最も偉大な100組のア?ティスト」において第27位、2011年に「ロ?リング?スト?ンの選ぶ?史上最も偉大な100人のギタリスト」において第33位、「 Q誌 の選ぶ?史上最も偉大な100人のシンガ?」において第61位 [12] にそれぞれ選ばれている。

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生い立ち?デビュ?まで(1958?1977) [ 編集 ]

プリンス?ロジャ?ズ?ネルソンは、1958年6月7日午後6時17分、 ミネソタ州ミネアポリス のマウント?シナイ病院で生まれた [13] 。ジャズミュ?ジシャンを?親に持ち、音?とともに育った [13] 。その少年期はさまざまな逸話に包まれている(その幾つかはプリンス本人によって話題作りのために?められた)。

その最たるものが「プリンスの父親は ?人 で母親が 白人 である」ということである。これは自?映?『 プリンス/パ?プル?レイン 』でも使われた設定であるが?際は?親ともに?人であり、本人によると「父方には イタリア 系の血が、母方には ネイティブ?アメリカン の血が入っている」とのこと。

ジャズ?ピアニストだった父親のジョン?L?ネルソン(1916?2001)は1960年代後半までプリンス?ロジャ?という芸名でプリンス?ロジャ??トリオというバンドを組んでいたことから息子にその名を付けた。母親のマティ(1933?2002)は17?年下のジャズ歌手だった。プリンスが生まれたとき、ジョンには前妻との間に4人の子があり、プリンス誕生と同時期にも前妻との間に男?デュアンが生れ、その後マティとの間に女?ティカ(プリンスの?妹)をもうけた [13] 。幼少期のプリンスには てんかん の持病があり、しばしば?作に見舞われた。

?親はプリンスが子供の頃の 1966年 に離婚し、父親が家を出て行った。母親は再婚し、?父は10?のプリンスをジェ?ムス?ブラウンのコンサ?トに連れて行ってステ?ジに上げたという。後のプリンスの音?への影響を作ったことはあったが、プリンスは?父との折り合いが上手くいかず、家出を繰り返すことになる [13] 。?父ジョン?L?ネルソンはプリンスに大きな影響を?えており、?曲のいくつかにはその名前がクレジットされている。

ジュニアハイスク?ル 時代に、友人や?兄弟らと共にバンドを結成したプリンスは長じるにつれ頭角を現す。この時期に?加していた「94EAST」というバンドの音源は後年に?掘されることになる [13] シンセサイザ? を主?としたファンクミュ?ジック、いわゆるミネアポリス?サウンドと呼ばれるム?ブメントの中心的存在として注目を受けるようになる。

メジャ?レ?ベル は、こぞってこの才能に溢れた少年との契約を望んだ。そして、1977年に?社の入札の結果、 ワ?ナ??ブラザ?ス と契約。19?の少年としては異例の高額な契約金とセルフ?プロデュ?スの?利を同時に獲得する [13]

活動初期(1978?1980) [ 編集 ]

1978年 4月、プリンスはたった一人でデビュ?アルバム 『 For You 』 を作り上げ、そのメジャ?キャリアをスタ?トさせる。 ビルボ?ド チャ?トは163位に終わるものの、 シングル カットされた「 Soft and Wet 」は R&B チャ?トを賑わせた。

1979年 、バックバンドを集めるものの、やはりアルバム作成はほぼひとりでやってのけ、セカンドアルバム『 Prince(邦題: 愛のペガサス )』 を?表。キャッチ?な曲として「Why You Wanna Treat Me So Bad」、「I Wanna Be Your Lover」がR&Bチャ?トでヒットとなった。なお「I Wanna Be Your Lover」は全米シングルチャ?トでも最高位11位にランクされる大ヒットとなり、一躍その名を世間に知らしめることとなる。日本で??されたアルバムはこれが最初のものとなる。

1980年 には『 Dirty Mind 』を?表。本??表するつもりのない デモテ?プ であったが、マネ?ジャ?の?めで?表することになった。また、「Head」と「Sister」の詞が性的に露骨過ぎるという理由で放送禁止曲になることで話題を集めた。しかし、そのためにセ?ルス的には前作を下回ってしまった。

全盛期(1981?1989) [ 編集 ]

1981年 には『 Controversy(邦題:?慄の貴公子) 』を?表。同名 シングル がソウル?チャ?トにランクインし、またビデオが放映されるなど、知名度が大きく上昇した。この時期に、 ロ?リング?スト?ンズ 前座 としてツア?に?同していたが、公演によっては、ビ?ル?やキャベツ等を投げつけられるなどスト?ンズ目?ての客からのブ?イングを受けた。?時、スト?ンズの?屋を訪れた デヴィッド?ボウイ が、トイレで泣いているプリンスの姿を見掛けたため、以後の自身のツア?では前座ミュ?ジシャンをつけることをやめたというエピソ?ドが?っている。?時、オ?プニングアクトに起用した ミック?ジャガ? は、「お前達はプリンスがどれだけ凄いか分からないだろう」と言ったと言われている。

1982年 頃から、プリンスはバックバンドを ザ?レヴォリュ?ション と名付けた。それに伴い、ア?ティスト表記もプリンス??名義からプリンス?アンド?ザ?レヴォリュ?ションに?わった。レヴォリュ?ションは、メンバ?を若干?動させつつ 1986年 まで存?する。それから 1990年 までは、特にバックバンドに呼?を?えない時期が?く。

2枚組アルバム『 1999 』(1982)をリリ?スしたプリンスは、ついにブレイクを迎える。全米で400万枚を?り上げたこのアルバムからは「Little Red Corvette」(6位)、「1999」(12位)、「Delirious」(8位)がシングルカットされ、全米チャ?トで初のトップ10入りを遂げた。同時に MTV ではじめてミュ?ジックビデオが放映された?人ア?ティストとして、 マイケル?ジャクソン と共に名を連ねることになる。なお、本作のCDは1枚で??されたため、??時間の都合上、1980年代から1990年代にかけて??されていたCDからは「D.M.S.R.」が削られている。

パ?プル?レインのロゴ

1984年 、自?的映?『 プリンス/パ?プル?レイン 』で映?初主演、その サウンドトラック として『 Purple Rain 』が?表され大ヒットとなった。?表初週に100万枚を?り上げたこのアルバムは、ビルボ?ドチャ?トのトップに?に24週間も居座りつづけた。シングルカットされた「When Doves Cry」、「Let's Go Crazy」の2曲がシングルチャ?トで1位となり、プリンスは全米での ボックスオフィス 、アルバムチャ?ト、シングルチャ?トですべて1位を獲得するという成果を達成した。なお、本作からは他に「Purple Rain」(2位)、「I Would Die 4 U」(8位)、「Take Me With U」(25位)がシングルカットされている。また、「When Doves Cry」は年間シングルチャ?トでも1位を獲得している。

プリンスの自?映?として製作されたこの映?は、6800万 ドル の興行?入を得て週間ボックスオフィスで1位、年間で11位という堂?たる成績を?めている。なお、同年の 第57回アカデミ?賞 で歌曲?編曲賞を受賞している。 オスカ?像 は、後にプリンスが設立したペイズリ??パ?ク?スタジオの一角に大事に飾られているという。

全米で1300万枚、全世界で1500万枚を?り上げた「パ?プル?レイン」の?益でプリンスは?自レ?ベルである ペイズリ??パ?ク?レコ?ド を設立する。 1985年 にこのレ?ベルから「Around the World in a Day」を?表。前作とはがらりと作風を?えてきたこのアルバムも、全米チャ?トで1位を獲得する。

ベルギ??ブリュッセル公演 (1986年)

翌1986年には、監督をも務めた映?『 プリンス/アンダ??ザ?チェリ??ム?ン 』のサウンドトラックとして『 Parade 』を?表。映?自?は興業的に失敗するものの、アルバムは全米アルバムチャ?トで3位となり、シングルカットされた「 KISS 」は全米シングルチャ?トで1位を獲得する。この年、Parade tour で初の?日公演を果たしている。バックバンド ザ?レヴォリュ?ション は、このツア?の ?浜スタジアム での千秋?を最後に解散する。

この『プリンス/アンダ??ザ?チェリ??ム?ン』は、 1987年 ゴ?ルデンラズベリ?賞 (ラジ?賞)で最低作品賞、最低監督賞、最低主演男優賞、最低助演男優賞(ジェロ?ム?ベントン)、最低主題歌賞を受賞した。

1987年には、2枚組のアルバム『 Sign "??" The Times 』を?表する。タイトル曲「サイン?オブ?ザ?タイムズ」は、プリンスがブル?スから?い影響を受けていることを示していた。なお、ツア?の撮影したものをベ?スに作成された、同名の映像作品も同時??されている。

同年、『 The Black Album 』がレコ?ディングされるが??直前になって??が中止された。この音源は 海賊版 として流出し、世界最高の?上であろうと思われる500万枚以上が販?された。同アルバムは、最終的に1994年にワ?ナ??ブラザ?スから??されている。

1988年 には「The Black Album」のアンサ?アルバムとなる『 Lovesexy 』をわずか4か月の制作期間を?て?表するが、その ジャケット が物議をかもし、 CD での曲間ジャンプが出?ないようにアルバム全?が1曲扱いになっているという仕?(ただし、???によっては異なる)のアルバムはセ?ルス的には全米11位、?上50万枚と低迷した。同?に全米ツア?も低迷したが、その低迷分をヨ?ロッパと日本へのツア?で補うことができたという。

1989年 、映?『 バットマン 』のサウンドトラックを??する。サウンドトラックとされているものの、その?は映?にインスピレ?ションを得たオリジナルアルバムとなっている( ダニ??エルフマン による映?オリジナルスコア?曲集は別途??)。サントラは初回限定で缶入りCDも??され、アルバムおよびシングルカットされた「Batdance」はチャ?ト1位を獲得した。「Batdance」は『 とんねるずのみなさんのおかげです 』?でパロディPVを作成したことや『 タモリ??部 』の「 空耳アワ? 」で「Don't stop dancin'」の部分が「農協牛乳」と聞こえる空耳が紹介されたこともあり、日本で知名度の高いプリンスの曲のひとつとなっている。

またこの時、日本のミュ?ジシャン 小比類?かほる への?曲プロデュ?スも話題になった。80年代末から90年代半ばまで『Glam Slam Yokohama』というディスコを ?浜 で??しており、ツア?で?日した際にシ?クレットギグを開催したこともある。

3月には?時、?仲が?されていたマドンナのアルバム『 ライク?ア?プレイヤ? 』が??。『ラヴ?ソング』をマドンナと共作&デュエットした。

ワ?ナ?との確執、改名(1990?1999) [ 編集 ]

1990年、『Purple Rain』の?編となる映?『Graffiti Bridge』を制作するが興業的には振るわなかった。同名のサウンドトラックでは ザ?タイム ジョ?ジ?クリントン テヴィン?キャンベル メイヴィス?ステイプルズ をフィ?チャ?しているが、チャ?ト6位、?上50万枚と再び低迷する。

1991年 には、前年のツア?バンドを ザ?ニュ??パワ??ジェネレ?ション 英語版 (略?NPG。NPGは現在も存?するが、結成時のメンバ?は?っておらず、特定の音?コンセプトの表象というよりは、バックバンドの代名詞となっている。)と命名し、プリンス?アンド?ザ?ニュ??パワ??ジェネレ?ションとして『 Diamonds and Pearls 』を?表。全米チャ?トで3位、?上200万枚。シングルカットされた「Cream」が1位、「Diamonds and Pearls」が3位を獲得している。

1992年 には、?自にデザインした シンボルマ?ク をタイトルにしたアルバムをリリ?スする。?音不明のため、本?アメリカでは"Symbol"と呼ばれ、日本では『 ラブ?シンボル 』と邦題がつけられた。全米5位、100万枚のセ?ルスを記?した。

1993年 、ワ?ナ??ブラザ?スと再契約を交わす。アルバム6枚分の長期契約であった。その契約金は、?時の音?史上最高額となった1億ドル。さらにワ?ナ??ブラザ?スの副社長の座につき、アルバム?表ごとに、200万ドルの報酬金を受取るという破格の?件であった。しかしプリンスにとっては、今まで以上に作品に規制が掛かり、自分が望むような自由な活動が出?ない事に不?が溜まり、お互いの信??係が崩れ始める。同年、?自レ?ベルの ペイズリ??パ?ク?レコ?ド がプリンス以外のア?ティストのセ?ルス低迷などを理由に閉鎖、それと同時にインディ?ズレ?ベルとして NPGレコ?ド を設立した。その後、ワ?ナ??ブラザ?スとの契約消化の?、ハイペ?スでアルバムを?表し?ける事になる。

プリンス名義を示すシンボル(中央)

プリンスはその名前を捨てることとなった。 1994年 ??の『 Come 』において「プリンスの死」を宣言し(この際のア?ティスト表記は正確にはPrince 1958 - 1993である)、1992年のアルバムのタイトルである シンボル を自らの名とした。このシンボルは、男性(♂)と女性(♀)を融合させ、さらに音?を象?すると推測されているラッパを思わせる記?をくみあわせたもので、 ?金術 の記?にル?ツを持つという。しかしプリンスはこのシンボルに?しての?み方を特に決めなかったため、彼の名前を音?で?えることが不可能になった。結局ラジオ DJ などはシンボルマ?クを指して、「元プリンス」(the Artist Formerly Known As Prince=かつてプリンスと呼ばれたア?ティスト)と呼んだ。さらに略して?に「ジ?ア?ティスト」(The Artist)とも呼ばれ、プリンス側もまたジ?ア?ティストと呼ぶのが通例だった。

この時期から2000年代にかけて、プリンスは多くの ライヴ をこなしている。また、ライヴ?場は大きな アリ?ナ だけではなく、小さな クラブ で深夜にごく少?の?客を集めて行われている。ときおりペイズリ??パ?ク?スタジオでも行われたそれは、一般にアフタ?ショウと呼ばれる、入場者が5人から2500人というような小規模なライヴは、1980年代中盤から積極的に行われており、コンセプト上メインのツア?ではやらないような カバ? や、?ままな ジャムセッション リサ?チ もかねた新曲が披露され、公式に一部ビデオ化もされている。

1995年 に『 The Gold Experience 」をリリ?スするが、ワ?ナ??ブラザ?スとの?係は?化の一途をたどる。(このアルバムに??された「Endorphinmachine」は格?技大? K-1 WORLD GP シリ?ズのオ?プニング?テ?マに使用され、日本でプリンスを知らない層にも幅?く有名になった。)

1996年 の『 Chaos And Disorder 』のジャケットは、踏みつけられたアルバム「1999」のレコ?ド盤(瞳のイラスト)に?が書かれ、その?がワ?ナ??ブラザ?スのマ?クであるという意味深なデザインだった。ワ?ナ??ブラザ?ス時代のオリジナルアルバムはこれが最後となった。

同年、?向的かつ攻?的であった前作のイメ?ジとはうって?わって、大手レコ?ド?社の契約から解放されたイメ?ジの『 Emancipation 』を( EMI と1枚のみの配給合意)リリ?ス。東京でワ?ルドプレミアを開催した。ワ?ナ?から解放されたことを記念し、この時期には積極的にTVに出演し、プロモ?ションを行った。人?TV番組「 マペット放送局 」にも出演し話題となる。なお、マペット放送局は NHK で放送された。

1999年 、ワ?ナ??ブラザ?スから、最後の契約枚?消化の?に未?表曲集『 The Vault? Old Friends 4 Sale 』が?表された。同じ年に アリスタ と配給合意しアルバム『 Rave Un2 The Joy Fantastic 』を?表。プロデュ?サ?としてプリンスの名前がクレジットされた。

シンボルから再びプリンスへ、そして復活(2000?2009) [ 編集 ]

2000年、ワ?ナ??ブラザ?ス傘下の出版?社ワ?ナ??チャペルが管理する出版?が切れるのを機に、自分の名前を正式にプリンスに?すと?表した。

2001年 、プリンス名義としては9年ぶりのオリジナルアルバム『 The Rainbow Children 』を?表。宗?的でスピリチャルな?容で、タ?ニングポイントの作品となった。

ワ?ナ??ブラザ?スを離れてからは主にオフィシャルサイト「NPG Music Club」を中心に活動していたが、 第46回グラミ?賞 (2004年2月)のオ?プニング?アクトを ビヨンセ と共演。3月には ロックの殿堂 入りを果たし、授賞式でのプレゼンタ?は アウトキャスト アリシア?キ?ズ が務めた。4月に コロムビア と配給合意し、アルバム『 Musicology 』を?表。コンサ?トツア?が全米で年間最高の?客動員?と?益を記?し、 第47回グラミ?賞 でも2部門を受賞。米音?シ?ンの中心に返り?いた。

2005年 2月、プリンスは 人種差別 問題や 社?問題 などについての認知度を高めたという功績が認められ NAACP Vanguard Award を受賞する。また、 ハリケ?ン?カトリ?ナ の被害救?にいち早く チャリティ? 曲「S.S.T.」を ネット配信 した。12月、 ユニバ?サル と配給合意し、ニュ?アルバム「3121」からの先行シングル「Te Amo Corazon」をネット配信。

2006年 3月にアルバム『 3121 』を?表、ビルボ?ド?合アルバム?チャ?トで初登場1位を獲得した(通算4枚目の全米No.1アルバム、初登場1位は今回が初めて)。また、プリンス自身がプロデュ?スした「3121」という 香水 も??したがプロモ?ションを全く行わず、香水?社との裁判になってしまった。5月には アメリカンアイドル (シ?ズン5) ファイナルにゲストパフォ?マ?として登場した。

同年11月、ワ?ナ??ブラザ?ス配給映?『 ハッピ? フィ?ト 』に、新曲 Song of the Heart を提供する。 ラスベガス リオ を貸切り、3121クラブをオ?プン。翌年4月まで?週末にそこでライヴを行った。

ロンドン?O2アリ?ナ公演 (2007年8月)

2007年 1月、『Song of the Heart』が ゴ?ルデン?グロ?ブ賞 主題歌賞 を受賞する。

2月4日に行われた 第41回ス?パ?ボウル ハ?フタイムショ? に出演し [14] 、雨の中 パ?プル?レイン を含む メドレ? を披露した。視?率は、アメリカのテレビ史上3番目の高さで約3億人が見たといわれている。また、このパフォ?マンスは 2014年 にビルボ?ドが ネット 上で?表した「最も優れたス?パ??ボウル ハ?フタイムショ? ベスト10」で1位に輝いた [15]

3月、 NAACP の授賞式において、最優秀?人ア?ティスト(イメ?ジアウォ?ド)を受賞した。5月31日、アメリカの携?電話 ベライゾン?ワイヤレス に、新曲「Guitar」を無料 ダウンロ?ド のサ?ビスを開始。

7月24日に??のニュ?アルバム『 Planet Earth 』が、同15日??のイギリスの新聞 デイリ??メ?ル の日曜版、「The Mail On Sunday」に付?として無料で配布され、業界に波紋を?げた。

8月1日より、 ロンドン O2アリ?ナ で、21公演を開始。

US.コ?チェラ公演 (2008年4月)

9月14日、 ファンサイト に?して 著作? 侵害を理由に、??、似顔?、歌詞、アルバムジャケットなどの?載を一切やめるよう通告がおこなわれた。それに?し、複?の大手ファンサイト運?者たちは「Prince Fans United」を結成、11月5日に抗議文を?表する。プリンスはその回答として11月8日に「F.U.N.K.」をネット配信した。

2008年 2月、 第50回グラミ?賞 にて、最優秀R&B男性ボ?カル賞を受賞する。

10月、2007年に行ったロンドンのO2アリ?ナ公演を記?したフォト?エッセイ本「21 Nights」(ライヴアルバム「Indigo Nights」が付?)をリリ?スした。

11月、香水「3121」の?れ行きが不振であったのはプリンスが契約を無視してプロモ?ションを全く行わなかったためであると香水?社に訴訟を起こされる。最終的に裁判はプリンス側の敗訴に終わり、 2011年 9月、約400万ドルの賠償金支?いがプリンスに命じられた。

フランス?パリにて (2009年10月)

2009年3月2日、アメリカの大手小?りチェ?ン タ?ゲット はプリンスがかねてより製作していた3枚組のアルバムを同月29日に??すると?表、プリンスの『 Lotusflow3r 』『 MPLSOUND 』と題された2枚のアルバムと、プリンスが?掘した新人女性シンガ? ブリア?ヴァレンティ のデビュ?アルバム『 Elixir 』と組み合わせた3枚組アルバムとなる今回のアルバムは、大手レコ?ド?社を通さず小?店と直接?占販?契約を結ぶという??の音?業界では異例の販?形態となった [16] 。それに伴い、新オフィシャルサイト LOTUSFLOW3R を公開した。

晩年(2010?2016) [ 編集 ]

2010年 1月、プリンスの出身地であるミネソタ州が本?地の ミネソタ?バイキングス のトリビュ?トソングのレコ?ディングを行った [14]

6月7日、新曲Hot Summerを公開(この日は自身の誕生日でもある)。7月10日、イギリスと ベルギ? の新聞に新作である『 20ten 』を付?として配布。7月22日、ドイツの?誌「Rolling Stone magazine」に『20ten』を付?として配布。

2012年 11月、NPGの ギタリスト である アンディ?アロ? のアルバムをプロデュ?ス。

2013年 1月、 Twitter に於いて「 3RDEYEGIRL 」なる アカウント がプリンスの新曲?スタジオライブ映像を YouTube にアップロ?ドし始める。その後、YouTubeに投稿された動?は削除されたため同アカウントとプリンスの?係が取沙汰されたが、「3RDEYEGIRL」で正式に サイト を開設し、プリンスの新曲や動?の ダウンロ?ド 販?、コンサ?トのチケット販?が開始された他、「3RDEYEGIRL」がプリンスがプロデュ?スする女性グル?プである事が?表された。

2014年 2月2日、アメリカ? FOXチャンネル の番組『New Girl~ダサかわ女子と三銃士 シ?ズン3』の2月2日放送回にプリンスがカメオ出演し、主演の ズ?イ??デシャネル をフィ?チャ?した新曲「FALLINLOVE2NITE」を公開した。3月18日、新曲「FALLINLOVE2NITE」の配信リリ?スを午前0時より日本の iTunes Store でスタ?ト。

4月18日、古?ワ?ナ??ブラザ?スと新たに契約を結んだ事が突然公式?表される。加えて新曲「ザ?ブレイクダウン」のデジタル配信もスタ?トされる。以下はプリンスの弁 『?は新しいスタジオ?アルバムも出す予定なんだ。僕とワ?ナ??ブラザ?スはお互いの交?にすごく?足してて、このパ?トナ??係が充?したものになるのが?しみだよ』

7月4日、「Essence Festival」のヘッドライナ?を務めたプリンスが、同 フェス に出演していたナイル?ロジャ?スのセットに飛び入りし、デヴィッド?ボウイの「レッツ?ダンス」をカバ?。

9月30日、プリンス名義で『 Art Official Age 』を、3RDEYEGIRL名義で『 PLECTRUMELECTRUM 』を、前述のとおりNPGレコ?ドからワ?ナ??ブラザ?スに?占的ライセンスされて同時リリ?スされた。これは、プリンスにとって4年ぶりのスタジオアルバムのリリ?スとなった。??時には、自らそのセレブレ?ションとして、自身の所有するスタジオであるペイズリ?パ?クからネットを介した世界同時中?を敢行した。この?作は、日本のオリコン週間チャ?トでも10位以?に入った。

2015年 2月8日に行われた 第57回グラミ?賞 にAlbum of The Year部門のプレゼンタ?としてサプライズ登場 [17] 。この時の、 "Albums ? remember those?(アルバムって?えてる?)" "Like books and black lives, albums still matter(本や?人の命と同じように、アルバムもいつだって大事だ)" はアルバムの存在と、 トレイボン?マ?ティン射殺事件 などに?するスピ?チとして話題となった [18] [19]

9月7日にアルバム『 HITnRUN Phase One 』を、12月11日にその?編『 HITnRUN Phase Two 』を音?ストリ?ミングサ?ビス TIDAL から先行リリ?ス。

?花された地元ミネアポリス1番街 (2016年4月)

2016年 4月15日、プリンスは移動中の自家用ジェット機?にて インフルエンザ により?調不良が?化し、 病院 に緊急搬送された。だが、翌日16日には地元ミネアポリスのプリンスの所有する「ペイズリ??パ?ク?スタジオ」にて催行されているダンス?パ?ティでファンの前に姿を現した。ところが4月21日の早朝、「ペイズリ??パ?ク?スタジオで誰かが亡くなったようだ」と米ゴシップ?サイトのTMZが第一報で報じ、その後、「?見された遺?がプリンスのものである」と AP通信 など複?のメディアが報じた。 CNN はその時「ペイズリ??パ?ク?スタジオ?で何が起こったか 警察 が現在調べている」と報じており [20] [21] 、?見時の?況について「スタジオ?のエレベ?タ?の中で意識不明の?態」とされていた [22] が、6月2日にミネソタ州の ?視 ?局により死因は ?痛? フェンタニル の過?投?による中毒死である報告書が公表された [23] 。ちなみに、?時米?大統領に就任していた ドナルド?トランプ は、フェンタニルや オキシコドン など オピオイド 系?痛?の蔓延による??損失や コカイン などの違法?物?用者を上回るオキシコドン?用者?などを理由に公衆衛生上の非常事態宣言を行い、これを人類の悲劇であり?家の恥であると形容し法整備を行った。この法整備にはプリンスの死去や同じくオピオイド中毒であった タイガ??ウッズ の逮捕が影響を?えた可能性が指摘されている。

同年6月、ミネソタ州知事のマ?ク?デイトンにより、6月7日を「プリンス?デ?」とすることが?表される [24]

音?性?他ア?ティストとの?係 [ 編集 ]

プリンスはアフロアメリカンとして、音?に革新をもたらし、ジェ?ムス?ブラウン、ジョ?ジ?クリントン、 ジミ?ヘンドリックス やスライ?スト?ンらと?び?された。プリンスは、 スティ?ヴィ??ワンダ? を憧れのア?ティストの一人に?げているが、 エレキ?ギタ? に興味を持ったきっかけは アイク?タ?ナ? であったという。また、ギタリストとしてはジミ?ヘンドリックスよりも ジョニ?ミッチェル カルロス?サンタナ の影響が大きいとインタビュ?で?言している。?親はジャズ?ミュ?ジシャンであったため、幼い頃から ジャズ を?き育ち、幼少時にジェ?ムズ?ブラウンのバックバンドまで完璧にコントロ?ルしたコンサ?トを?て「自分も同じようにやりたい」と思ったという。その他、 カ?ティス?メイフィ?ルド 、Pファンク、ハ?ドロックからも影響を受けた。後進のア?ティストでは コクト??ツインズ を好んで?いていたとインタビュ?で度?語っている。

ギタ?、ベ?ス、ドラム、ピアノとあらゆる?器を?けるマルチプレイヤ?として有名だが、 サックス トランペット のような管?器は習得する事ができなかった。これらの 管?器 の代わりにシンセサイザ?を使用したことがミネアポリスサウンドの成立に?がった。

また、プリンスは?多くの?名を持っている。 Jamie Starr として、 ザ?タイム のデビュ??アルバムをプロデュ?ス [注 4] (メンバ?の名前だけがクレジットされているが、?際にはプロデュ?サ?のプリンスが作詞作曲演奏のすべてを行っている。)したり、 Christopher として バングルス に全米2位のヒット曲となる「マニック?マンデ?」ちなみにこの時の1位はプリンスの「 KISS 」)を提供した。他にも Camille (プリンスのアルバムに登場する)、 Tora Tora (NPGでベ?シストを??した時に使用)等がある。

プロデュ?サ?として、ヴァニティ6(アポロニア6)や シ?ラ?E ジル?ジョ?ンズ ザ?ファミリ? 等を手掛け、その非凡さを?明する。特にザ?ファミリ?に提供した曲「 ナッシング?コンペア?ズ?トゥ??ユ? (Nothing Compares 2 U) 」は、 シネイド?オコナ? (シニ?ド?オコ?ナ?)がカヴァ?し、?米でヒットした。

リ?バイ?シ?サ?Jr.と共演 (1993年)

シ?ナ?イ?ストン キャンディ?ダルファ? カルメン?エレクトラ などの魅力ある女性ミュ?ジシャンから、 マイルス?デイヴィス ジョ?ジ?クリントン ラリ??グラハム メイシオ?パ?カ? といったジャズやファンク?ミュ?ジシャンと、多岐に亘ってセッションを行っている。また、マドンナや ア?ニ??ディフランコ グウェン?ステファニ? チャックD [注 5] ともレコ?ディングを行っている。?現しなかったが、マイケル?ジャクソンも「 BAD 」を?初はプリンスとのデュエットとして作曲し、プリンスにレコ?ディングの依?をし?食の段階まで行ったが、終始??なままプリンスは「この曲は君一人で歌ったほうが良いよ」と丁重に?ったとされる。マイケルは、2007年にも自身の復活ツア?への出演をオファ?した(が、プリンスがこれを?った)。チャリティ?プロジェクト USAフォ??アフリカ の「 ウィ??ア??ザ?ワ?ルド 」にも?加予定だったが、レコ?ディング?スケジュ?ルが合わず?念。代わりにアルバム?曲提供を行った。

ケイト?ブッシュ チャカ?カ?ン パティ?スミス トム?ジョ?ンズ ア?ト?リンゼイ 、スペ?ス?カウボ?イ、 松田聖子 坂上忍 など、プリンスをカヴァ?するミュ?ジシャンはジャンルを問わず?多い。 ヨ?ラ?テンゴ のジェイムズ?マクニュ?は自身のソロプロジェクトDumpで全曲プリンスのカバ?のアルバムを制作(ジャケットもParadeのパロディ)したが、ジャケットと?容にプリンスサイドからクレ?ムがつき販?中止?回?となった。

プリンスもライブに於いてはジャズのスタンダ?ドナンバ?からジョニ?ミッチェルや アレサ?フランクリン 、さらには レッド?ツェッペリン ジャクソン5 ザ?クラッシュ レディオヘッド など?多くのミュ?ジシャンの曲をカバ?演奏している。

プリンスの ?域 は、公式に?表された?曲に基づくとE2からB6の約4 オクタ?ブ 半ほどとされる。ちなみに、一番低いのが「Daddy Pop」で一番高いのが「God」である [25]

2014年にBusiness Insiderが?表した記事によると、彼をミュ?ジシャンとして ブッキング するために必要な金額は150万ドルから、最大で200万ドルにのぼり、?時の音?業界でも最も高い位置にいたとしている [26]

日本のア?ティストとの?わりとしては、1989年??の小比類?かほるのアルバム『TIME THE MOTION』で「MIND BELLS」「BLISS」をプロデュ?スしている。 また、 岡村靖幸 及川光博 SUGIZO 西寺?太 スガシカオ 向井秀? m.c.A?T らが熱心なプリンスのフォロワ?として知られている。現代音?家の 武?徹 もプリンスの才能を高く評?していた。

使用?器 [ 編集 ]

テレキャスタ?Mad Cat プリンスモデル

主に、オリジナルデザインやベ?シックデザインでは無いギタ?をメインに使う。市販モデルを使う場合も、?自に改造したものがほとんどだった。また、 ?格 的な面から通常よりも小さいサイズのギタ?を使う。 EMG エンド?ス契約 をしている。

マッドキャット(Mad Cat)
テレキャスタ? タイプのエレクトリックギタ?で、鼈甲柄の ピックガ?ド とウォ?ルナットのセンタ?ラインが特?。 シングルコイル が2つで、メインギタ?の中で唯一のシングルコイルのみのタイプ。ヘッドはノ?マルのテレキャスタ?型で、ボディ裏の部分にワイヤレスシステムを組み?んであると思わしきカバ?がついている。鼈甲の模?が豹柄に似ているため、ストラップも豹柄を使用。製造は日本製の H.S.Anderson だが、Hohnerがアメリカで代理店販?していた物のため、プリンスの物はヘッドのロゴがHohnerになっている。アルバム「ダ?ティ?マインド」の頃から使用し始め、映?『パ?プルレイン』では、プリンス演じる「The KID」のメインギタ?として「Let's Go Crazy」等で使用していたり、プレライヴにおいて曲を演奏する際や他ミュ?ジシャンとのセッションステ?ジなどにおいても使用する機?が非常に多い。このギタ?での演奏終了後、 ストラップ を肩からはずし、客席側に投げることが多い(多くの場合はステ?ジ下でスタッフがキャッチする)。
『Gett Off』の PV で使用されたイエロ?クラウドギタ?
クリスタルギタ?と衣?
クラウドギタ?(Cloud Guitar)
?形ギタ?。名前からして雲の形を象った物と考えられる。 ピックアップ はネック側にシングルコイル、ブリッジ側にハムバッカ?の配置。元?はミネアポリスのギタ?ルシア?が製作したモデルで、非常に多くのカラ?リング?模?の物が存在する。その中には、ポジション?マ?クが♂マ?クと♀マ?クを合わせたような物になっているものや ロ?マ?字 の物、あるいはストラップピンの位置が異なる物等、時代時代で?多くのパタ?ンが使用されていた。映?『パ?プルレイン』で初登場。スト?リ?上において重要なアイテムとして扱われており、初めて「Purple Rain」を演奏したのも、このギタ?。映?に登場したのは、ボディが白色でパ?ツが金色の物。
「Purple Rain」をプレイする際は、ほぼ必ずこのギタ?を使用していた。
ONAツア?において、レッド?ツェッペリンの「 Whole Lotta Love 」などをプレイ後に白い布をかぶせるパフォ?マンスを行い、引退。現在はシンボルギタ?に取って代わられた。 LUNA SEA SUGIZO が、一時期同じボディ?デザイン(一部異なる)の物を使用していた。また、同じ形のベ?スが存在する。
モデルC(Model C)
ヌ?ドツア?やAlphabet Streetのビデオで使用された?形のギタ?。 スタインバ?ガ? などで知られるいわゆるヘッドレス形のギタ?で、ボディの向かって右側から弓形のパ?ツがヘッド部分へと伸びる(これが?のヘッドを形作る)?特な形?とネックのハイフレットの一部が斜めに切り取られたデザインにより、ボディとの間に開いた空洞などが特?。ボディが白でパ?ツが金色。ピックアップはネック側にシングル、ブリッジ側に ハムバッカ? の2ピックアップ。登場後しばらくすると使われなくなったが、2010年になって再び使用しているのが確認された。同じ型のベ?スが存在する。
シンボルギタ?(The Symbol Guitar)
プリンスから改名してから使用。The Symbolを模った?特の?形ギタ?でピックガ?ドの部分がシンボルマ?クの空洞の部分に?たり、矢印型の方がヘッドになっており、ポジション?マ?クもThe Symbolとハ?トマ?クになっている。ピックアップの配置はネック側にシングルコイル、ブリッジ側にハムバッカ?である点など、クラウドギタ?との共通点が見られるが(正確にはシングルがボディ、ハムがピックガ?ド上)、ロック式の トレモロユニット を?備している点などで異なる(ただし、トレモロユニットは途中から加えられた)。カラ?リングは複?あるようで、?色ボディ?に金色のピックガ?ドの物、白色ボディに金色のピックガ?ドの物、金色のボディに?色のピックガ?ドの物、紫色に金色のピックガ?ドの物などが今までに使われた。
特に、金色のボディの物は「Gold Experience」の頃に集中的に使用し、ミュ?ジックビデオなどでその?子が見られる。
現在は紫色のボディの物をメインで使用し、クラウドギタ?の代わりに「Purple Rain」などをこのギタ?でプレイする。紫の物は、「Habibi」と呼ばれる。
元?は金色のモデルがオリジナルで ドイツ人 のギタ?職人によって作られたものであり、それ以降のものはプリンスのギタ?技師が作成している [27]
ストラトキャスタ?
フェンダ? のスタンダ?ドモデル。2000年代に入って以降、クラウドギタ?に取って代わるように頻繁に使用するようになった。主にソニックブル?やオレンジなどの明るい色を使う。ピックガ?ドはいずれも白色で、ピックアップはネック側にシングル(EMG SA)とブリッジ側にハムバッキング(EMG 81)の2つ。トレモロユニットもロック式のものに?更されている。2010年のW2Aでは、 ユ?リ?シスコフ によって製作された全?がゴ?ルドに塗?されたストラトキャスタ?を使用。その後チャリティ?のためにオ?クションに出品。 F1 ドライバ?の ルイス?ハミルトン によって落札された。
Vox HDC-77
3rd Eye Girlとして活動するようになったころから使用。ボディにはペイントが施されている。
ワ?ウィック ?サムベ?ス
90年代の中ごろから使用した。ヘッド、ネック、ボディ、ピックアップ、ブリッジにいたるまですべて純白のカラ?リングで、ボディ部分に紫色で目の?柄が描かれている。主に、ステ?ジ上でプリンス自身がベ?スによるパフォ?マンスをする際に使われていたもので、現在は使われていない。

ディスコグラフィ [ 編集 ]

生涯を通じて衰えを知らぬ創作意欲、および?千曲とも言われる膨大な?曲ストックを後ろ盾に、そのアルバムのリリ?スパタ?ンはデビュ?以?一貫して「年(最低)1作品」が原則であった。(1983年はツア?活動、および映?制作等の?係でリリ?スが見送られている)

なお、2011年から2014年までオリジナルアルバムの?表が行われていなかったが、その原因としてプリンスはインタ?ネット上で?行する海賊行?を?げており、以前から不快感をあらわにしていたYouTubeなどを?げ「それらのサイトに規制をかけない限り、新たな作品はレコ?ディングしない」と2011年6月、イギリスの新聞『THE GUARDIAN』のインタビュ?の中で公言している [28]

「業界は?わってしまった。海賊行?が頻繁に行われる前には、ネットでも金を稼ぐことはできた。でも今では電話?社、 アップル グ?グル 以外、オンラインで金を稼ぐことは誰もできなくなってしまった。著作?の保護については、自ら ホワイトハウス を訪れて訴えようとも思っているくらいだ。今の?況は、まるでゴ?ルドラッシュやカ?ジャックみたいなもので、まったく規制することができない。ミ?ティングなどに?加すると、周?からは「君は理解していない。世の中は“食うか、食われるか”、私利私欲の世界なんだ」と言われる。だからこんな?況の下でのレコ?ディングは、?面見合わせることにした」

晩年は自ら立ち上げた女性3人組グル?プ3RDEYEGIRLと共に(あるいはプリンス??名義で)、自身のウェブサイト、TIDAL、 iTunes 、Twitter、自らのYouTubeのペ?ジなどのネットを介してアルバムにとらわれない形でさまざまな?曲、あるいは映像を配信していた。

スタジオ?アルバム [ 編集 ]

?後のアルバム [ 編集 ]

  1. Piano and a Microphone 1983 2018年 デモ
  2. Originals 2019年 )デモ
  3. Welcome 2 America 2021年 スタジオ

ライブ?アルバム [ 編集 ]

  1. One Nite Alone... Live! 2002年
  2. C-Note 2004年
  3. Indigo Nights 2008年 )
  4. Up All Nite With Prince (The One Nite Alone Collection) 2020年 )
  5. Prince and the Revolution: Live 2022年 )

コンピレ?ション?アルバム [ 編集 ]

  1. The Hits 1 1993年
  2. The Hits 2 1993年
  3. The Hits/The B-Sides 1993年
  4. Girl 6 1996年 )サントラ
  5. The Very Best of Prince 2001年
  6. Ultimate Prince 2006年
  7. 4Ever 2016年
  8. Anthology: 1995?2010 2018年

?曲提供 [ 編集 ]

カバ? [ 編集 ]

ライヴツア? [ 編集 ]

Nude Tourでのプリンス(1990年)
  • Prince Tour(1980年)
  • Dirty Mind Tour(1980年 - 1981年)
  • Controversy Tour(1981年 - 1982年)
  • 1999 Tour(1982年 - 1983年)
  • Purple Rain Tour(1984年 - 1985年)
  • Parade Tour(1986年)
  • Sign "??" The Times Tour(1987年)
  • Lovesexy Tour(1988年 - 1989年)
  • Nude Tour(1990年)
  • Diamonds And Pearls Tour(1992年)
  • Act I(1993年)
  • Act II(1993年)
  • The Ultimate Live Experience(1995年 - 1996年)
  • Love 4 One Another Charities Tour(1996年)
  • Jam Of The Year Tour(1997年 - 1998年)
  • Newpower Soul Tour(1998年)
  • Rave Un2 The Joy Fantastic Promo Tour(1999年)
  • Hit N Run Tour(2000年 - 2001年)
  • A Celebration(2001年)
  • One Nite Alone... Tour(2002年)
  • Musicology Live 2004ever(2004年)
  • Tamar Tour w/ Prince(2006年)
  • Per4ming Live 3121(2006年 - 2007年)
  • 21 Nights In London : The Earth Tour(2007年)
  • 20Ten Tour(2010年)
  • Welcome 2 America(2010年 - 2011年)
  • Welcome 2 America Euro Tour(2011年)
  • Welcome 2 Canada(2011年)
  • Welcome 2 Australia(2012年)
  • Live Out Loud Tour(2013年)
  • Hit And Run Part II(2014年 - 2015年)
  • Piano & A Microphone(2016年)

音?フェスティバル [ 編集 ]

日本公演 [ 編集 ]

1986年 Parade Tour
1989年 Lovesexy Tour
1990年 Nude Tour
1992年 Diamonds And Pearls Tour
  • 4月3日?4日 東京ド?ム(3日はワ?ルドツア?初日)、4月6日 Glam Slam Yokohama(シ?クレットギグ)、4月7日 名古屋レインボ?ホ?ル、4月9日 ?浜アリ?ナ
1996年 The Ultimate Experience (Gold) Tour
1995年に予定していた?日公演が、レコ?ディングの都合で1996年に延期となった。
  • 1月8日?9日 日本武道館 (←1995年6月28日?29日)、1月11日 大阪城ホ?ル(←1995年7月4日)、1月14日 福岡?際センタ? (←1995年7月8日)、1月16日?17日 日本武道館(←1995年7月1日?2日 ?立代?木競技場 第一?育館)、1月20日 ?浜アリ?ナ(←1995年7月10日 日本武道館)
2002年 One Nite Alone... Tour

脚注 [ 編集 ]

注? [ 編集 ]

  1. ^ 「ヘルプ?ミ?」が74年にヒット。その後はヒットを無視したア?ト志向のアルバムを?表。
  2. ^ パ?ラメント、ファンカデリックなどで、?人社?では絶大な人?を誇った。
  3. ^ ゴア夫人による表現規制には、議?でフランク?ザッパ、ジョン?デンバ?、ディ??スナイダ?が反?意見を述べた。
  4. ^ 「ク?ル」「ゲット?イット?アップ」などは特に名曲との評判だった。
  5. ^ パブリック?エネミ?のメンバ?。

出典 [ 編集 ]

  1. ^ a b c d e f g h Erlewine, Stephen Thomas. “ Prince | Biography & History ”. AllMusic . All Media Group. 2021年1月12日 ??。
  2. ^ ピ?タ??バラカン (1989). ソウル のゆくえ . 新潮社 . p. 24. ISBN   4-1011-5721-9  
  3. ^ ピ?タ??バラカン『 ソウル のゆくえ』 新潮社 、1989年、226頁。 ISBN   4-1011-5721-9  
  4. ^ 高橋道彦『GROOVY SOUL』シンコ?ミュ?ジック?エンタテイメント、2008年10月31日、64頁。 ISBN   4-4016-3205-2  
  5. ^ “Pop music superstar Prince has died at his home in Minneapolis, publicist says” . (2016年4月21日) . https://abc7ny.com/prince-the-artist-formerly-known-as-dead-death/1302615/ 2016年4月21日 ??。  
  6. ^ http://www.thecavanproject.com/17-great-multi-instrumentalists/
  7. ^ NMEが選ぶ、プリンスの究極の名曲 20曲 - NME JAPAN
  8. ^ a b 世界的歌手のプリンスさん 自宅で死亡 (NHK NES WEB、2016年4月22日)
  9. ^ 100 Greatest Artists (Rolling Stone)
  10. ^ ジョニ?ミッチェル インタッビュ? 2020年12月4日??
  11. ^ Rolling Stone. “ 100 Greatest Singers: Prince ”. 2013年5月26日 ??。
  12. ^ Rocklist.net...Q Magazine Lists.. ”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日 ??。
  13. ^ a b c d e f 「第一章 天才、登場!(Minneapolis Genius)」( 西寺 2015 , pp. 25?61)
  14. ^ a b グラミ?賞歌手プリンス、バイキングスに?曲提供へ ”. NFL JAPAN (2010年1月24日). 2010年1月24日 ??。
  15. ^ https://www.billboard.com/articles/list/513793/10-best-super-bowl-halftime-shows?page=0%2C1%7Caccessdate=2014-06-15
  16. ^ ロイタ? (2009年3月3日). “ プリンス、新アルバムを米小?タ?ゲットで??へ ”. 2009年3月13日 ??。
  17. ^ https://www.rollingstone.com/music/features/prince-steals-the-2015-grammys-with-just-one-sneer-20150209%7Caccessdate=February,20.2015
  18. ^ https://www.hollywoodreporter.com/news/grammys-prince-says-black-lives-771588%7Caccessdate=February,20.2015
  19. ^ https://www.elle.com/jp/culture/feature/grammy_ito2015_02/4%7Caccessdate=February,20.2015
  20. ^ プリンスが急死か 先週インフルエンザで緊急搬送 bmr news 2016年04月22日
  21. ^ プリンス、移動機?で?調?化 緊急着陸後に救急搬送 ?天WOMANニュ?ス 2016/04/16 12:57
  22. ^ 米人?歌手のプリンスさん急死 自宅エレベ?タ??で?見 オバマ大統領が哀悼の意 産?ニュ?ス 2016年04月22日
  23. ^ “プリンスさん、?痛?の過?投?で中毒死 ?視官が公表” . 朝日新聞 . (2016年6月3日) . https://www.asahi.com/articles/ASJ63216BJ63UHBI007.html 2016年6月3日 ??。  
  24. ^ “ミネソタ州知事が6?7を「プリンス?デ?」と制定” . 日刊スポ?ツ . (2016年6月8日) . https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1660010.html 2016年6月8日 ??。  
  25. ^ https://www.concerthotels.com/worlds-greatest-vocal-ranges%7Caccessdate=2014-06-15
  26. ^ https://www.businessinsider.com/celebrity-booking-rate-list-2014-6%7Caccessdate=2014-07-22
  27. ^ peoplesdesignaward2007 ” (2010年6月11日). 2010年6月11日 ??。
  28. ^ ■PRINCE■ 海賊行?が規制されるまで“レコ?ディングは見合わせる”と宣言
  29. ^ “プリンス、亡くなったヴァニティをコンサ?ト中に追悼 「この世で一番美しい女性だった」” . bmr. (2016年2月17日) . http://bmr.jp/news/153744 2020年3月27日 ??。  

著書 [ 編集 ]

本人の著書

  • プリンス著 ダン?パイペンブリング編 押野素子?『プリンス回顧? THE BEAUTIFUL ONES』DU BOOKS、2020年4月。 ISBN   9-784866471143

?考文? [ 編集 ]

  • 西寺?太 『プリンス論』 新潮新書 、2015年9月。 ISBN   978-4106106347  
  • アラン?ライト『プリンスとパ?プル?レイン 音?と映?を融合させた?史的名盤の舞台裏』川村まゆみ(?)、DU BOOKS、2017年2月。 ISBN   978-4907583460  
  • ジェイク?ブラウン『プリンス?音術 エンジニア、バンド?メンバ?が語るレコ?ディング?スタジオのプリンス』押野素子(?)、DU BOOKS、2018年12月。 ISBN   978-4866470689  

?連項目 [ 編集 ]

外部リンク [ 編集 ]