フェニキア
フェニキア
(
古代ギリシャ語
:
Φοιν?κη
、
Phoinik?
、
ポイニ?ケ?
、
羅
:
Phoenices
、
Poeni
、
ポエニ
、
英
:
Phoenicia
)は、
古代
の
地中海
東岸に位置した?史的地域名。
シリア
の一角であり、北は現
シリア
の
タルトゥ?ス
のあたりから、南は
パレスチナ
の
カルメル山
に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在の
レバノン
の領域にあたる。
フェニキアの旗
名?
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]
フェニキア人という名?は自?ではなく、
ギリシア人
による他?である。ギリシア人は、
交易
などを目的に東から?た人?をこう呼んだ
[1]
。フェニキア人による自?は資料もなく不明である。
フェニキアという名?は、
フェニキア人
の居住地が
ギリシャ語
で
Φοιν?κη
(Phoinik?; ポイニケ?)と呼ばれたことに由?している。その語源は不明であり、フェニキアがミュレックス(
en
)と呼ばれる貝から取れる
紫色
の
染料
(
貝紫
)を特産としていたことから、「紫色」(または「
緋色
」)という意味のギリシア語を語源とする?も存在する。今日でも南部のサイ?ダなどの町中でこの貝?の山を見ることができる
[2]
。フェニキア人の母?となったとされる
カナン
という呼?も、
アッカド語
で染料を意味するキナッフに由?する
[1]
。
?史
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]
起源
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]
フェニキア人の交易路
?がフェニキア人の都市、赤がギリシア人の都市、灰はその他。
?史家
ヘロドトス
は、その著書『
?史
』の序文で「ペルシア側の?者の?では、?いの因をなしたのはフェニキア人であったという。それによれば、フェニキア人は、いわゆる
紅海
からこちらの海に渡って?て、現在も彼らの住んでいる場所に定住するや、たちまち遠洋航海にのりだして、エジプトや
アッシリア
の貨物を運んでは各地を回ったが
アルゴス
にも?たという。」と書いている。
?展
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]
フェニキア人は、
エジプト
や
バビロニア
などの古代?家の?間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、
紀元前15世紀
頃から
都市?家
を形成し始めた。
紀元前12世紀
頃から盛んな海上交易を行って
北アフリカ
から
イベリア半島
まで進出、地中海全域を舞台に活躍する。また、その交易活動にともなって
アルファベット
などの古代
オリエント
で生まれた優れた文明を地中海世界全域に?えた。
フェニキア人の建設した主な主要
都市
には、アラドス(現在の
アルワ?ド島
)、
ティルス
(現在の
ス?ル
)、
シドン
、
ビュブロス
、ベリュトス(現在の
ベイル?ト
)などがある。後期
?銅器時代
には、これらの都市が存在していたことが
アマルナ文書
から確認できる
[3]
。フェニキア人は海上交易に活躍し、
紀元前15世紀
頃から
紀元前8世紀
頃に繁?を極めた。さらに、
カルタゴ
などの海外
植民市
を建設して地中海沿岸の?い地域に?がった。船材に
レバノン杉
を主に使用した。
消滅
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]
しかし
紀元前9世紀
から
紀元前8世紀
に、?陸で勃興してきた
アッシリア
の攻?を受けて服?を余儀なくされ、フェニキア地方(現在のレバノン)の諸都市は政治的な?立を失っていった。アッシリアの滅亡後は
新バビロニア
、次いで
アケメネス朝
(
ペルシア帝?
)に服?するが、海上交易では繁?を?けた。しかし、アケメネス朝を滅ぼした
アレクサンドロス大王
によってティルスが征服されると、マケドニア系の勢力に取り?まれて
ヘレニズム
世界の一部となった。
カルタゴ
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]
一方、紀元前9世紀に北アフリカに建設された植民都市
カルタゴ
は、フェニキア本土の衰退をよそに繁?を?けていたが、3度にわたる
ポエニ??
の結果、
共和政ロ?マ
に?合されて滅んだ。
言語
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]
フェニキア人は系統的には??な民族と混交していたが、
アフロ?アジア語族
セム語派
に?する
フェニキア語
を話し、現存する言語では
ヘブライ語
と同じ
カナン諸語
に?する。先祖はセム系の
アモリ人
の一派が
小アジア
から北シリアに移住したことに始まるといわれている
[4]
。
彼らがフェニキア語を書き表すために?明した
フェニキア文字
は、
古ヘブライ文字
?
アラム文字
?
ヘブライ文字
?
ギリシャ文字
?
アラビア文字
など、
ヨ?ロッパ
?
西アジア
の多くの言語で用いられる起源となった。
ギリシア文字
がフェニキア文字を元とすることから、フェニキア文字は
アルファベット
のル?ツとされる。
カルタゴの人?(
en:Punics
)の話していたフェニキア語は
ポエニ語
と呼ばれてロ?マ時代にも存?したが、やがて
ベルベル人
の
ベルベル語
や、
イスラム?
とともにやってきた
アラビア語
に?み?まれ、消滅していった。
交易
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フェニキア人の交易船
フェニキア人は優れた商人であり、その繁?は海上交易に支えられていた。
紀元前8世紀
には、
ティルス
は地中海方面から
メソポタミア
、アラビア半島に至る交易ネットワ?クのハブとなっていた。
貝紫
と
レバノンスギ
がフェニキア本土の特産品であり、この地域の都市?家の成立と繁?を支えた。また、
タルテッソス
(イベリア半島)の銀をオリエントに持ちこむ航路はフェニキア人が?占していた。
紀元前13世紀
から
紀元前12世紀
にかけて
海の民
によって東地中海が荒?するが、フェニキアの都市は難民を受け入れつつ?大し、西方へ進出する
[5]
。
紀元前11世紀
にはテュロスはイスラエル王の
ダビデ
と友好?係を結び、
紀元前10世紀
にテュロス王の
ヒラム
はイスラエル王の
ソロモン
と共同で紅海の貿易に進出する
[6]
。
紀元前9世紀
にはテュロスを中心にフェニキアの貿易網が?え、その?子は?約聖書の
エゼキエル書
に記されている
[7]
。ギリシア人の
ホメロス
は、?事詩『
イリアス
』や『
オデュッセイア
』でフェニキア人を船を操る商人や職人の集?として表現した
[8]
。
功績
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]
ヘロドトス
の『?史』によれば、紀元前600年ごろ、エジプトのファラオ
ネコ2世
の命を受けたフェニキア人は、
紅海
から出港し、
喜望峰
を?て、時計回りにアフリカ大陸を一周し、3年目にエジプトに?ってきたという(
フェニキア人のアフリカ大陸周航
)
[9]
。
バルトロメウ?ディアス
が喜望峰を「?見」する2000年以上前のことである。フェニキア人は極めて優れた航海術を有していたのである。
主なフェニキア人
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]
- 神話上の人物(ギリシア神話)、または??の人物
- ?在の人物
カルタゴ人
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ハンニバル
出典?脚注
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]
- ^
a
b
栗田?佐藤 (2016) p.37
- ^
小山 (1977) p.39
- ^
栗田?佐藤 (2016) p.36
- ^
小山 (1977) p.37
- ^
栗田?佐藤 (2016) p.46
- ^
栗田?佐藤 (2016) p.50
- ^
栗田?佐藤 (2016) p.61
- ^
栗田?佐藤 (2016) p.48
- ^
ヘロドトス著『?史』第4?42節(ヘロドトス著、松平千秋?『?史(中)』岩波文庫、1972年、28ペ?ジ。)
?考文?
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]
- 小山茂樹『レバノン』中央公論社〈中公新書474〉、1977年。
- 栗田伸子
?
佐藤育子
『通商?家カルタゴ』講談社〈
講談社?術文庫
〉、2016年。
?連項目
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]
外部リンク
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]
ウィキメディア?コモンズには、
フェニキア
に?連するカテゴリがあります。