フィンランド正??

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フィンランド正??
カレリア および全フィンランド大主??)
ヘルシンキ 生神女就?大聖堂 首座主? たるフィンランド大主?の 主?座 クオピオ にある。
創設者 アレクサンドル1世
自治??の宣言 1918年
自治?? の承認 1923年 コンスタンディヌ?ポリ?主?? より)、 1957年 ロシア正?? より)
現在の 首座主? レオ
大主??所在地 クオピオ
主な管轄 フィンランド
?外の管轄 エストニア ロシア ( カレリア共和? )
奉神? の言語 フィンランド語
聖歌?統 ロシア聖歌
? グレゴリオ?
?算信徒? 60,000
公式ペ?ジ フィンランド正??公式サイト(フィンランド語?英語?ロシア語?スウェ?デン語)
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フィンランド正?? フィンランド語 : Suomen ortodoksinen kirkko , スウェ?デン語 : Ortodoxa kyrkan i Finland , 英語 : Finnish Orthodox Church )は、世界の 正?? フル?コミュニオン の?係にある 自治正?? の一つである。信徒?は約6万人でこれは フィンランド の人口の1%?であるが、 正? ルタ?派 に次ぐ フィンランド ?? と位置付けられ、 フィンランド福音ルタ?派?? と同?に?家からの財政補助を受けている [1]

正??は一カ?に一つの??組織を具える事が原則だが(フィンランド正??以外の例としては ギリシャ正?? ロシア正?? ル?マニア正?? 日本正?? など。もちろん例外もある)、これら各?ごとの正??が異なる ?義 を信奉している?では無く、同じ信仰を有している [2]

?史 [ 編集 ]

フィンランドにおける 正? の?史を??する。

ただしフィンランド正??の草創は、??が著しく?動した カレリア 地方を中心としている。カレリアは中世から近世にかけては スウェ?デン王? ノヴゴロド公? (ノヴゴロド共和?)との間で、近代以降は スウェ?デン ? フィンランド大公? ? ロシア帝? との間で ?境 の?動の大きかった地域であった。現代における?家としての フィンランド共和? の領域と、本項で用いる「フィンランド」が指す領域は、必ずしも一致する地域を指すわけではない。

初期の?道 [ 編集 ]

1167年 カレリア人 によって描かれた、 聖大致命者凱旋者ゲオルギイ フレスコ? イコン

[3] 12世紀 というほぼ同時期に、フィンランドにおける キリスト? 東西?? の?方から?えられた。正?は カレリア 地方への ル?シ からの修道士を通して、 カトリック?? スウェ?デン からの宣?師によって、それぞれ?道された。フィンランド人の大多?はスウェ?デンから?道されたカトリック??を信仰するに至ったが、カレリアにおいては ル?シ ノヴゴロド )と隣接する地理?係により正?が浸透した。

ヴァラ?ム修道院 を創健したと?えられる、 ギリシャ人 修道士 聖セルギオスと、その協力者であったカレリア人聖ゲルマンの イコン

草創期においては ラドガ湖 のヴァラ?ム島にある ヴァラ?ム修道院 が、その創立年代に?する??な推測がなされているものの、フィンランドにおける正?の?道にあたって大きな役割を果たしたとされている。またヴァラ?ム修道院の?きを?めるため、 コネヴィツァ修道院 がラドガ湖の別の島に建設された。創設者の修道士アルセニイはロシアの修道士であり、 アトス山 での?年間の修道生活の??があった。

16世紀にはカレリアのみならず北フィンランドにも?道が行われ、修道士 トリフォン により ラップランド に多くの??が建てられた。1533年には ペツァモ に修道院が建てられた。またトリフォンは修道士 テオドリト と協力し合い、ラップランド語への聖書および祈?書の??も行った。1583年にトリフォンは永眠した。

東西??の?間 [ 編集 ]

[4] 東西??? によりほぼ同時期に宣?が行われ、さらに ロシア (ロシアが統一?家としてまだ成り立っていない時期には ノヴゴロド共和? )と スウェ?デン という??に?まれたフィンランドは、信?の面でも東西???の前哨??間となった。この事により、 正? 西方?? を奉じる?家?力から??を受けることもあった。

アレクサンドル?ネフスキ? イコン

12世紀 ? 13世紀 には西方??に?するスウェ?デンによる 十字軍 北方十字軍 )がフィンランドに?して行われた。その最初のものは 1155年 に行われ、さらに 1239年 1293年 にも侵攻が行われている。これによりフィンランドの大半が カトリック?? の傘下に入った。 1240年 にはカトリック??のフィンランド 司? トマスが、スウェ?デン軍とフィンランド軍を率いてノヴゴロド共和?を攻?している。 ネヴァ河畔の?い はこの頃の、スウェ?デン軍を迎え?つ アレクサンドル?ネフスキ? 率いるノヴゴロド軍という構?の中で起こったものである。こうした?緯からカレリアでは、アレクサンドル?ネフスキ?は 聖人 として格別の崇敬を集めている(現代 ロシア正?? においても同?に格別の崇敬がなされている)。

カレリアは ノヴゴロド共和? がスウェ?デンから防衛することに成功したが、北フィンランドはスウェ?デン領となった。 16世紀 末には、トリフォンが建てたペツァモの修道院がフィンランド人兵士により 1590年 に完全に破?され [5] 、修道士も全員が殺害された。

ノヴゴロド共和?のもとのカレリア [ 編集 ]

[6] フィンランドの大半がカトリック??を奉じるスウェ?デンに編入されたのに?し、 カレリア 地方のみは ノヴゴロド共和? に最終的に編入されることとなり( 1323年 )、正??に入ることとなった。ただし??の?態はノヴゴロド大主?からは半ば?立していた。 1400年 までに、カレリアには7??が設置され、それぞれの??にいくつかの???聖堂が所?していた。

カレリア地方における正?の?展?展開は非常に緩やかなものであったが、16世紀にはノヴゴロド大主?マカリイにより、異?的要素から正?を純化しようとする精神的刷新が?られた。マカリイ大主?は 1534年 にロシア人修道士イリヤをカレリアに送り、異?のカルト的習慣を根絶することを命じた。イリヤは組織運?の能力と??において有能な修道士であり、異?の習慣はカレリアから消えるに至った。

スウェ?デンのもとのカレリア [ 編集 ]

[7] 1617年 、カレリアの大半の領域が ルタ?派 を??とするスウェ?デンに領有された。このことによる狂信的な空?の?成により、カレリアにおける宗?的??が、 ルタ?派 から正??に?して始められることとなった。3分の2の 正?徒 がロシアに逃れ、少?はルタ?派に改宗したが、困難な情勢下にあって?りの正?徒は自分達の信仰を守った。

ロマノフ朝時代 [ 編集 ]

?昏時の 生神女就?大聖堂

[8] 1721年 カレリア の大半がロシア帝?に領有され、 1809年 には全フィンランドがロシア帝?領となったことにより、 18世紀 ? 19世紀 を通じてカレリアの 正?? も回復されていった。これに伴い??組織も ロシア正?? のもとに入った。

19世紀 末に入ると、 ナショナリズム がカレリアにも?がった。これはロシアにおける 汎スラヴ主義 に??するものであり、 カレリア人 ? フィンランド人 は自らの民族的アイデンティティの模索を始めた。一般にロシアの宗?として捉えられていた正?を自分達の??として民族化(ナショナライズ)するため、カレリア人?フィンランド人は ??スラヴ語 に代えて フィンランド語 奉神? の言語として採用し、奉神?における祈?書や正??連の文?作品をフィンランド語に?していった。これらの動きに?初はロシアも?容に受け止め、 1892年 にはフィンランド??が設立された。しかし??設立直後からロシア側の態度は硬化し、カレリア、フィンランドの??は抑?のもと苦難の道を?むこととなった。

ロシア革命後の自治??成立とその後の承認?係 [ 編集 ]

[9] 1917年 ロシア革命 により フィンランド が?立すると、フィンランド??は 自治?? としての地位を宣言した。

フィンランド正??におきていたナショナリズム的な動きを支援し、ロシアへの留?に?っていた聖職者の養成を??で行えるよう、フィンランド政府から 1918年 から援助が行われ神?校が設立された。

フィンランド??の 自治?? としての地位は、 モスクワ?主? ティ?ホン により 1921年 に承認された。しかし 1923年 にフィンランド正??が コンスタンディヌ?ポリ?主?? の庇護下に入ることを決定すると、 1924年 にモスクワ?主?からのフィンランド正??の自治正??位承認は破棄された。

その後長い間、フィンランド??はモスクワ?主?からの自治正??位承認の回復にむけて外交努力を行っていたが、 1957年 に、モスクワ?主?はコンスタンディヌ?ポリ?主?の庇護下にあるフィンランド正??の自治正??位を承認した。

??承認?冬??および???? [ 編集 ]

新ヴァラモ修道院 の主聖堂(ヘイナヴェシ: Heinavesi 、フィンランド)

[9] ?大?間期に、フィンランド正??は二番目の ?? としての承認を?家から得た。フィンランド正??は財政上の支援を?庫から受けることとなり、これに伴い、世俗の行政と調和させるために??の再編成が行われた。

1940年 代、 冬?? ? ???? の?禍や モスクワ講和?約 による?境?動に伴い、ソ連政府による宗???政策を避けるためなどの理由から、約70%の正?徒がカレリアからフィンランドに亡命した。?ソ連?局による宗???を避けてヴァラ?ム修道院から移住を余儀なくされた 修道士 達はフィンランドの ヘイナヴェシ Heinavesi )に移り、?地に 新ヴァラモ修道院 を設立した。これは現在も存?し、フィンランド正??の重要な 修道院 となっている。

現況 [ 編集 ]

リントゥラ至聖三者女子修道院 の??

[1] その後、フィンランドの二つ目の??となったフィンランド正??は、順調に??活動を??し?展している。現在、フィンランド正??の信徒?は約6万人。 新ヴァラモ修道院 リントゥラ至聖三者女子修道院 の、二つの 修道院 がフィンランド正??に存在する。??は3つとなっている。

黎明期にあって大きな役割を果たした ヴァラ?ム修道院 は、 ソ連 時代には 共産主義 政?による宗???政策により閉鎖されていたが、現在では ロシア連邦 の領土?にあって再開されている。ただし所?は ロシア正?? である。

[10] 日本人正?徒イコン?家である ペトロス佐?木? はフィンランド正??で活躍し、多くのイコンを聖堂等のために描いた。一部作品は 日本正?? にも?納されている。

この他に、 ロシア正?? 所?の??がフィンランドにいくつか設立されており、こちらに所?する信徒?は約2000人となっている [11]

主?? [ 編集 ]

首座主? カレリア および全フィンランドの 大主? の??を持つ。フィンランド正??は以下に?げる3つの ?? で構成されている。

ギャラリ? [ 編集 ]

分類 [ 編集 ]

脚注 [ 編集 ]

  1. ^ a b Finnish Orthodox Church - The church today Archived 2007年9月29日, at the Wayback Machine .
  2. ^ OCA - Q&A - Greek Orthodox and Russian Orthodox - Orthodox Church in America のペ?ジ。 (英語)
  3. ^ 本節の出典:Edited by Veikko Purmonen『ORTHODOXY IN FINLAND PAST AND PRESENT』(12頁 - 15頁) Orthodox Clergy Association Kuopio, Finland (1981) ISBN 951-95582-1-7
  4. ^ 本節の出典:Edited by Veikko Purmonen『ORTHODOXY IN FINLAND PAST AND PRESENT』(15頁 - 16頁) Orthodox Clergy Association Kuopio, Finland (1981) ISBN 951-95582-1-7
  5. ^ あまりに破?が完膚なきまでに行われたため、再建されたのは300年後のことだった。出典:Edited by Veikko Purmonen『ORTHODOXY IN FINLAND PAST AND PRESENT』P15. Orthodox Clergy Association Kuopio, Finland (1981) ISBN 951-95582-1-7
  6. ^ 本節の出典:Edited by Veikko Purmonen『ORTHODOXY IN FINLAND PAST AND PRESENT』(17頁) Orthodox Clergy Association Kuopio, Finland (1981) ISBN 951-95582-1-7
  7. ^ 本節の出典:Edited by Veikko Purmonen『ORTHODOXY IN FINLAND PAST AND PRESENT』(18頁) Orthodox Clergy Association Kuopio, Finland (1981) ISBN 951-95582-1-7
  8. ^ 本節の出典:Edited by Veikko Purmonen『ORTHODOXY IN FINLAND PAST AND PRESENT』(18頁 - 20頁) Orthodox Clergy Association Kuopio, Finland (1981) ISBN 951-95582-1-7
  9. ^ a b 本節の出典:Edited by Veikko Purmonen『ORTHODOXY IN FINLAND PAST AND PRESENT』(20頁) Orthodox Clergy Association Kuopio, Finland (1981) ISBN 951-95582-1-7
  10. ^ 出典: (聖神降臨祭後)第4主日
  11. ^ Official site of the Russian Orthodox Church in Finland

?考文? [ 編集 ]

  • Edited by Veikko Purmonen『ORTHODOXY IN FINLAND PAST AND PRESENT』Orthodox Clergy Association Kuopio, Finland (1981) ISBN 951-95582-1-7

?連項目 [ 編集 ]

外部リンク [ 編集 ]