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ハリガネロック
は、かつて
吉本興業
に所?していた日本の
お笑いコンビ
。
NSC
大阪校11期出身。
1995年
4月結成、
2014年
3月解散。
爆笑オンエアバトル
第4代目チャンピオン、
M-1グランプリ
2001 準優勝。
メンバ?
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]
- ユウキロック
(本名(?姓):
松口 祐樹
(まつぐち ゆうき)、
(
1972-04-16
)
1972年
4月16日
(52?) - )
- 大上 邦博
(おおうえ くにひろ、
(
1973-08-07
)
1973年
8月7日
(50?) - )
- 奈良?
葛城市
出身。
血液型
AB型、身長186cm。
- かつては高校の同級生で同期でもある堂土貴(現
ル?ト33
)とのコンビ「あっぱれ?」として活動。
- キン肉マン
、
?面ライダ?
[1]
、?隊もの好きで、?面ライダ?好き芸人仲間とト?クライブを行った。
- 2016年2月20日の舞台を最後に、芸人を引退
[2]
。
- その後は
大阪府
東大阪市
でご?地アイドル(
Le Siana
/
Culumi
など)などのプロデュ?スを行うSAKURA entertainmentに所?し、「
おおうえくにひろ
」名義でMCタレントとしてイベント出演などで芸能活動を行なっている。
- ?浜DeNAベイスタ?ズ
ファン。
- 2003年に
結婚
するも、2019年6月で
離婚
していた。
エピソ?ド
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芸風
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]
- 漫才を中心に演じており、?役ぶるユウキのボケと柔和な大上のツッコミが特?(後述のようにユウキがツッコミ、大上がボケを?っていた時期もある)。漫才では主に「ボヤき漫才」が多く、ネタ作りは2人で行なっているがボケを細かく作っているのはユウキ
[3]
。
- 結成?初は過激な?容を含む漫才をやる機?が多く、そのせいかM-1グランプリの第1回大?(2001年)で決勝進出時のキャッチフレ?ズも「
武?派
」であった。代表的な例として、生放送であるM-1(第1回大?)の最終決?で披露した漫才の中でユウキが「
?物
を打つジェスチャ?」をやったことなどが?げられる
[注? 1]
。出番直後、2人はネタの?容について?時吉本の常務であった人物に注意されてしまったという。そして、徐?に
コンプライアンス
が?しくなっていった時代の流れと共にスタイルも?えざるを得なくなり、「ぼやき漫才」から「漫才コント」へとシフトするようになっていったとユウキは自身の著書で語っている
[注? 2]
。
- ネタをシメる際に大上は普通に?をし、ユウキは「
THANK YOU!!
」と叫ぶスタイルも特?的であった。第1回M-1決勝では、締めの一言を放った際にこの日一番の??が上がっていた。
- 一時期、ユウキと大上がネタ中にある1つの事柄にぼやき一?にツッコむ「
ユニゾンツッコミ
」を披露しており、ハリガネロックの代名詞とも言われていたがユウキの「漫才の中身で勝負したい」という思いから次第にやらなくなっていった
。
- コンビ名に「ロック」が付いている所以から、2003年にはロックの聖地である
?谷公?堂
で史上初の漫才ライブを開催している。?時のお笑いライブとしては珍しく、花火や紙テ?プバズ?カなどの特殊?果が使われていた
。
コンビ名の由?
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]
- 「ロック」は、ユウキ自身が音?のジャンルである「
ロック
」に憧れを抱いていたことから付けられた。一方で「ハリガネ」は、
HOUND DOG
のヴォ?カルである
大友康平
が?生時代、地元にいた??の不良「針金くん」が由?であることをユウキが自身の著書で明かしている。ユウキ曰く大友のこの話を聞いた後、「?い人」=「針金くん」というイメ?ジが付いてしまい、その後「ロック」は?くなければならないという理由からこの2つの部分がくっつき「ハリガネロック」となったという。しかし、ユウキ自身「
この由?を誰が理解してくれるのか
」という思いがあり、解散まで「ハリガネ」の部分の本?の意味は周?はおろか相方の大上にも?えなかったという(「ロック」の意味は?えていた)
。そのため表向きの由?は、大上が
ハリガネ
のように?せていてユウキがロック好きなことから
[8]
となることが多かった。なお、「ハリガネロック」以外のコンビ名の候補として、「
カメライフ
」「
ろくでなしBLUES
」「
アングラ
」などがあったことも明かされている
。
爆笑オンエアバトル
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]
- 「爆笑オンエアバトル」には1999年の放送開始?初から出演しており、2001年度には4代目チャンピオン(後述)に輝くなど活躍を見せた。
- 初挑?は1999年7月24日放送回。?時はユウキ?大上共?、本番前からかなり緊張しておりネタ中も終始足元がおぼつかず動きすらままならなかったという。その結果初オンエアは果たしたものの、これが影響したのか353KB
[注? 3]
でギリギリの(11組中)6位通過であった。ユウキはこの結果に?りの大阪へ向かう新幹線の車中で落?したという
。その後、2回目の挑?となった1999年10月2日放送回では初のオ?バ?500(521KB)
[注? 4]
で1位通過を達成、初挑?時のリベンジを果たしていた。その後も安定したKBで勝利を重ね、番組の常連として活躍していった。
- 2001年11月3日放送回(
?島
??)ではパ?フェクト達成まであとボ?ル1個に迫る
541KB
[注? 5]
を記?した。?に545KBを記?していれば、ますだおかだ以?となる番組史上2組目のパ?フェクト達成コンビとなっていた。これを受けてユウキは、ネタのオンエア前に流れる勝者コメントで「入れてへんやつ、顔?えたからな!」「家行ったる!」など(冗談半分ではあろうが)憤っていた
[注? 6]
[11]
。
- チャンピオン大?には過去3回出場している。2000年度の第3回チャンピオン大?で初出場を果たし、ファイナルへと進出するも2人?って漫才中にネタを飛ばすという失態を演じてしまい、結果は11組中10位に終わった
[注? 7]
。翌年の2001年度の第4回チャンピオン大?ではファイナルで
974KB
[注? 8]
を獲得して
4代目チャンピオン
に輝いた。2位の
ダイノジ
(874KB)に100KBの差をつけての優勝であった。また番組史上初の2連覇を果たし、それまでチャンピオンの座を防衛していたル?ト33の堂土
[注? 9]
は元相方(大上)と同期(ユウキ)にその座を明け渡す形となってしまった。この回はハリガネロックを含め漫才を披露した芸人が3組
[注? 10]
しかいない(他の芸人は全てコントなどを演じていた)という極めて珍しい回だった。その後、第5回チャンピオン大?ファイナルにも
シ?ド
として出場するが、714KBで6位と振るわずチャンピオン防衛は果たせなかった。この回で新たに5代目チャンピオンへ輝いたのは、コントを得意とする
アンジャッシュ
(850KB)であった。
- チャンピオンとなった2001年度は年間合計キロバトルでも1位を記?(年間合計1988KB?一回平均497KB)している。年間合計1位とチャンピオンの?方を達成した芸人は、?代でもハリガネロックと
タカアンドトシ
(2004年度)のみ。
- 2003年度を以って番組を卒業、最終的には14?全勝という記?を?しているが、主に番組で活躍した芸人に?えられる
ゴ?ルドバトラ?
には獲得?件を?たしておらず認定されていない(上述にもあるようにチャンピオンにはなったため
プラチナバトラ?
には認定されている)。全?全勝を果たしているチャンピオンの中で、ゴ?ルドバトラ?に認定されていないのはハリガネロックと
NON STYLE
のみ。
- 「爆笑オンエアバトル」卒業後は、2004年4月から2006年3月まで「熱唱オンエアバトル」
[注? 11]
の司?を??した。元?番組開始前の2003年8月と12月に放送された「
サマ?ソングバトル
」「
ウインタ?ソングバトル
」でも司?を務め、そこから??して行う形となった。
- ユウキは、自身の漫才師人生にとって一番の?春が爆笑オンエアバトルでの?いだったと著書?で語っている。更に?時から同番組での活躍もあり、ハリガネロックの漫才は芸人受けという面では劣るが、客票には?く大衆性に重きを置いている(ピ?プルズチャンピオンとも)と自認していたという
。この思いが後述のM-1における、一般審査員??止に?しての苦言へと?がっていくこととなる。
M-1グランプリ
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]
- 2001年
-
- M-1グランプリ
の記念すべき第1回で決勝進出を決める。決勝1回?ではネタ順が10番目で最後という緊張感の中、初回にのみ導入された一般審査員
[注? 12]
から最高得点を受け、暫定2位であった
アメリカザリガニ
を倒して2位へ食い?み、最終決?進出を果たす。しかし、最終決?のネタ順が決まった際、司?を務めていた
赤坂泰彦
に「アメリカンロック」と間違えられ、悲鳴と爆笑が?き起こるというハプニングが起きた
[注? 13]
。
- 最終決?では因?の相手である
中川家
との一騎打ちとなったが、結果は1?6で敗れ、2位に終わった。ユウキは自著?で?時の最終決?が、中川家の背中に?れた最初で最後の瞬間だったと語っている
。また、ユウキ曰く最終決?まで進めた時点で「?足してしまった」らしく、「リラックスした方が持ち味が出るコンビもいますけど、僕らのスタイルは?足したらダメになる」と述?している
。更に「(中川家は)置かれている?況が違った。中川家は優勝して?たり前。挑?者である僕らは、その王者を殺すぐらいの?持ちでいかなければいけなかった。そう思えなかった時点で負けていましたね」と反省の弁も述べている
。
- 表彰式後、審査員の
松本人志
(
ダウンタウン
)からクリスマスプレゼントにチョコレ?トが入ったサンタの小型ブ?ツをプレゼント
[注? 14]
されたが、ユウキはそれをしばらく食べられず長いこと冷?庫に保管していた。それを初めて口にできたのは第2回大?終了後だったという
。
- 2002年
-
- 昨年に?いて決勝進出し、トップバッタ?として登場。昨年とはまた違ったテイストの漫才(昨年の形式に加え「相方をイジる」部分を付け加えた)を披露したが、審査員には響かず5位という結果に終わる。CM中、舞台裏に?た審査員の
島田紳助
に漫才の出?について激しく酷評されてしまったという
。
- 備考
-
- ハリガネロックはM-1以前から?西で??の漫才の賞を受賞しており、?力派として名を馳せていたためユウキ自身「まあ出たら決勝は行くんやろな」と高を括っていたという
。ユウキはNSC在?中から?力が飛びぬけていた同期の中川家を?くライバル視しており、大?ではどちらかと言えば「優勝」というよりも「中川家と決着をつけたい」思いの方が?かったとのこと
。
- 一般審査員が初回限りで?止されたことに?し、客票の審査に自信を持っていたユウキは自身の著書にて「ヨシモトの劇場以外の場所で試す事もせずに」「芸人は誰に向けてお笑いを?信しているのか?」「この不公平という風潮と?止という決定は、点?を取った俺たちをも否定されたように感じた」などとかなりの苦言を呈していた
。?際、ハリガネロックは一般審査員?の得点のみに限定すれば中川家を?いて?合1位を記?しているが、?に特別審査員?の得点のみの場合だと?合4位となっており、最終決?進出は果たせていなかった
[注? 15]
。 その一方、2022年に??された著書「笑い神」においてユウキは「オンバトに出てたせいなんかな。ウケが欲しいばっかりに、それぞれのネタのおもしろい部分だけをつなげたりしていた。つなぎ方には自信あったんですけど、プロが見たらわかりますよね。あと、芸能人をいじって笑いを取ったりしていた。あれって笑いが取りやすいぶん、笑いの質が、薄く、?くなるんです。そういうの、プロの審査員は嫌うんですよね」とも述べており、客票の審査に?い自分たちのスタイルがM-1では仇となってしまったことも認めている
。
- ラストイヤ?となった2005年大?(第5回)では、ボケとツッコミを入れ替える(ユウキがツッコミ、大上がボケ)という最後の賭けに出る
[注? 16]
も3回?で敗退。その後、追加合格として準決勝へ進むも、ユウキはこれを主催者側の「配慮」だと思わずにはいられなかったという。準決勝では原点に?って、??のスタイルに?して漫才を行うも敗退。敗者復活?でも勝ち上がれず、3度目の決勝進出は果たせなかった
。ユウキは自身の著書にて、同大?で優勝した
ブラックマヨネ?ズ
が見せた漫才こそ、自分が目指した理想の漫才だったと語っている。この漫才を見てユウキは10年間のハリガネロックとしての取り組みが全て間違いだったのではという思いに?られたという
。
解散
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]
- 2008年の
MBS新世代漫才アワ?ド
出場後、ユウキと大上の2人それぞれの思惑から完全にすれ違いが生じ
、以降2人で仕事は行うものの、??ライブはやらない、新ネタも作らないなど長きに渡って「ハリガネロック」としての動きは完全に停止する?態が?いた
。ユウキはこの間、自身の芸?20年を終える2013年3月31日に「ハリガネロック」を解散しようと思っていたという(このことは周?には勿論、相方の大上にも?えていなかった)
。その後大上からの呼びかけにより
、M-1終了後に新たに始まった漫才の大?「
THE MANZAI 2011
」に出場を決意し再び漫才に?して本腰を入れるが、結果は2回?敗退に終わり認定漫才師50組に選ばれることは無かった。それから2年後の「THE MANZAI 2013」に、ユウキは相方の大上に「解散の意思がある」ということ、「漫才だけにはちゃんとけじめをつけて?めたい」「『THE MANZAI』で決勝に行けなければ解散しよう」という思いを事前に?えた上で再び??を決意する
。このようにお互い万感の思いを持って挑んだ「THE MANZAI 2013」であったが、大苦?(ユウキは著書で「ハリガネロック」を結成して、一番といっても過言では無いほどスベッたと明かしている
)し最終的に2011と同じく2回?敗退に終わった。こうして2人は「ハリガネロック」としての本格的な?いに幕を閉じることとなった。
- その後、2014年2月25日、同年3月22日
[注? 17]
に解散することを?表した
[30]
。M-1グランプリの決勝進出??、爆笑オンエアバトルのチャンピオン??があるコンビが解散を正式に?表するのは史上初の出?事であった
[注? 18]
。解散後、ユウキは構成作家?ライタ??養成所の講師として活動、大上は芸人としては引退し、地元?奈良を?点にタレント活動を??している。
賞レ?ス成績?受賞?など
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]
M-1グランプリ(成績)
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]
年
|
結果
|
エントリ?No.
|
決勝?キャッチコピ?
|
備考
|
2001年
|
決勝2位
[31]
|
94
|
武?派
|
決勝1回? 2位通過
|
2002年
|
決勝5位
[31]
|
1739
|
|
|
2003年
|
準決勝敗退
|
1893
[32]
|
|
|
2004年
|
不?加
|
|
|
|
2005年
|
準決勝敗退
|
|
|
ラストイヤ?、3回? 追加合格
|
その他
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]
出演
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]
テレビ
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]
- コンビでの出演
- 大上のみでの出演
ラジオ
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]
- 大上のみ
- おおうえくにひろさんじゅっぷん(
コナミならどっとFM
)
- 784WAVEII(ならどっとFM)金曜日パ?ソナリティ?
- とんでもフライデ?(?週金曜日午後16時~ならどっとFM)
- Oh!演歌(?週土曜日午後13時~ならどっとFM)
CM
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?連商品
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書籍
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- 爆笑オンエアバトル(NHK「爆笑オンエアバトル」番組制作グル?プ)
- 爆笑オンエアバトル2(NHK「爆笑オンエアバトル」番組制作グル?プ)
- 爆笑オンエアバトル3(NHK「爆笑オンエアバトル」番組制作グル?プ)
- B面-baseよしもとOFFICIAL BOOK(Pia mooks)
ビデオ
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- ベタっと、吉本若手マニュアル 1(ハピネット?ピクチャ?ズ)
- 心?橋2丁目劇場 Final-Wachacha 大爆? featuring 2丁拳銃?シャンプ?ハット(ビクタ?エンタテインメント)
- baseよしもと2000 大?鑑(ビクタ?エンタテインメント)
- baseよしもと2001 大?鑑(ビクタ?エンタテインメント)
- ハリガネロック?チュ?トリアル?ランディ?ズ in ZAIMAN(バップ)
- M-1グランプリ2001完全版?そして??は始まった?(R&C JAPAN)
- M-1グランプリ2002完全版?その激?のすべて???の敗者復活?完全???(R&C JAPAN)
- ハリガネロック in ?公爆?ロック(R&C JAPAN)
- 浪商のヤマモトじゃ!
喧?野球編?大阪?番長編(ジ?ピ??ミュ?ジアム)
脚注
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]
注?
[
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]
- ^
この部分は後に??されたDVDには??されずカットされている。また、この他にも
著作?
の都合上カットされている部分が?カ所存在する。
- ^
この他にもユウキは自身の著書で「自分たちがデビュ??時に行っていた漫才は今の時代では殆ど出?ない」とも語っている。
- ^
自己最低KBでのオンエア。
- ^
?時の番組最高記?である。
- ^
このKBはハリガネロックを含め
ますだおかだ
、
アンタッチャブル
、
プラスマイナス
の4組(システムを引き?いだ後?番組の
オンバト+
も含めると
ジグザグジギ?
を入れた5組)しか達成していない。また、オンバト+終了後に放送され、ユウキロックも挑?者の選定に?わった一夜限りの復活スペシャルでは
空?階段
も達成しているが、この時の審査員は一般視?者ではなくオンエアバトルに出場??がある芸人100人であった。
- ^
ちなみにユウキはこの回まで本名で挑?しており、次回から改名している。
- ^
この年のサマ?スペシャルにて
いつもここから
の持ちネタ「悲しい時?!」を他の芸人達がやるというコ?ナ?があり、ユウキはそこでこの失態をネタにしていた。
- ^
今大?からチャンピオン大?の一般審査員が200人制となる。
- ^
ユウキ?大上らと共にNSC大阪校11期出身。なお、相方のマスダは13期出身で3人の2期後輩となる。
- ^
ハリガネロックの他に漫才を披露したのは、シ?ドで出場したル?ト33を除けば
ホ?ム?チ?ム
しかいなかった。なお、この年のチャンピオン大?セミファイナルAブロックで漫才を披露したのはハリガネロックのみである。
- ^
2004年4月から2005年3月までは「オンエアバトル熱唱編」として、「オンエアバトル爆笑編」と隔週で交互に放送されていた。その後、2005年4月から2006年3月まで「熱唱オンエアバトル」と1つの番組として?立した。
- ^
札幌
?大阪?
福岡
にある吉本興業の劇場に集まった各100人の一般客。
- ^
中川家もハリガネロックのネタ終了直後に「石川家」と間違えられていた。
- ^
『
ごっつ
』のコント「香川さん」のパロディ
- ^
?に一般審査員?の得点が排除されていた場合、特別審査員?から575点を獲得した
ますだおかだ
が最終決?へ進出していた(1位は596点を記?した中川家で順位?動なし)。
- ^
大上に漫才衣?にオ?バ?オ?ルを着用させてアホッぽさを?調させる、ネタは漫才コントを採用するなど徹底していた。
- ^
この日はハリガネロックがかつて主?場としていた「爆笑オンエアバトル」の後?番組「
オンバト+
」最終回の放送日でもあり、奇しくも同日に幕を下ろす形となった。
- ^
同じく第1回のM-1グランプリの決勝出場??者かつ爆笑オンエアバトル初代チャンピオンである
DonDokoDon
も、吉本の公式HPにコンビとしての記載がないなど事?上解散?態ではあるが、
山口智充
の意向で正式な解散?表をしていない。
- ^
翌年の第6回大?では、2次予選で600点?点中504点で14位であり、決勝ト?ナメントには進出できなかった。
出典
[
編集
]
?考文?
[
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]
- 『お笑いTYPHOON! JAPAN』エンタ?ブレイン、2003年。
- ユウキロック『芸人迷子』扶桑社、2016年。
- 中村計『笑い神 M-1、その純情と狂?』文藝春秋、2022年。
外部リンク
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編集
]
- ユウキロック
- 大上 邦博
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不定期出演番組
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過去の出演番組
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