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チェ?スンチョル

出典: フリ?百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チェ?スンチョル

崔 スンチョル
生誕 최승철(崔 スンチョル)
?籍 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
別名 朴(パク)
松田忠雄
小熊和也
小住健?
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チェ?スンチョル
各種表記
チョソングル 최승철
漢字 崔승철
?音 チェ?スンチョル
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チェ?スンチョル (崔、 최승철 )は、 朝鮮????外情報調査部 所? 工作員 。「朴」(ぱく)と名?って、在日朝鮮人を 土台人 としていた。 1985年 3月 に??した「 西新井事件 」では、2人の日本人(小熊和也、小住健?)になりすまし、日本人名義の パスポ?ト 運?免許? を取得、 東南アジア ?州 日本 との間の出入?を繰り返していたことから、 警視?公安部 旅券法 違反などの容疑で ?際手配 された [1] [2]

人物 [ 編集 ]

「松田忠雄」 [ 編集 ]

チェは、 ?前 ?地 愛知? 小牧基地 周?)に住んでいたことがあり、 日本語 に堪能で ?西弁 を流暢に使いこなしていた [3] 。そして、 正月 には 和服 を着て 初詣 に出かけるなど、朝鮮人らしさを?拭して日本人以上の日本人に成りきることに徹していた [3] [4]

チェの再?日は 1970年 (昭和45年)8月 秋田? 男鹿半島 の海岸からの密入?で、入?後、 大阪 在住の 在日朝鮮人 の江口智こと 金錫斗 (キム?ソクト)を 土台人 (北朝鮮の工作員が活動の足場や?点として利用する人間)として獲得した [3] [5] [6] [注? 1] 。その後チェ?スンチョルは 東京都 足立? 西新井 に居を定め、「松田忠雄」の?名を名?って東京都?のゴム製造?社に勤め始めた [6] 。「松田忠雄」の勤務態度はいたってまじめで模範的社員であった [6] 。チェ?スンチョルは、大阪でスプリング製造?社を?んでいた金錫斗を「商?をやるなら東京がよい」と誘い、家族ともども西新井に?居させた [6] 。その一方で、金に?し「私は北朝鮮にいる貴方の?親や兄弟をよく知っている。私の言うことを聞いたほうがいい」と恐喝した [3] [4]

「松田忠雄」はゴム靴工場に約1年勤務したが、この間、夫と死別し、3人の子どもを抱えてパ?トタイマ?をしていた社?の同僚(?時38?)に近づいて交際し、?か月後には彼女と同棲生活を始めた [3] [6] 。母子家庭に入り?んだ「朴」は、「家族旅行」と?して 日本海 沿岸部などをたびたび訪れた [3] [4] [6] 。その場所は、判明しているだけでも、以下の通りである [6]

特に能登半島では、持?した テント を海岸に設?して1週間も過ごし、 海岸線 の地形を カメラ ビデオ で念入りに撮影した [3] [6] 。同棲した未亡人とは結婚こそしなかったものの、3人の子のよき父親としてふるまい、その一方では、工作員の「浸透」(不法入?)や「復?」(本?への?還)に用いられる砂浜を撮影し、家族??とともに北朝鮮本?に送っていたのである [4]

「小熊和也」 [ 編集 ]

1972年 (昭和47年)7月、チェは東京の 山谷 地?で 福島? 出身の 日本人 小熊和也(?時34?)と知り合った [3] [7] 。小熊は行き倒れに近い?態で病?にかかっていたので、チェは小熊を介抱するふりをして近づき、すぐに病院に入院させた [4] [7] 。入院して10日後、親切にされた小熊は病院に見舞いに訪れたチェをすっかり信用した [7] 。チェは自分が船?社の社長であると身分を?って、小熊が退院したら自分の?社で採用する、それを受け入れてくれるなら入院費一切を自分が負?すると持ち掛けた [7] 。小熊和也はこれを了承した [7] 。さらにチェは翌日、金錫斗とともに小熊の?家に赴き、小熊の?親には再び船?社の社長であると詐?して、 ?籍 が福島だと何かと不便なので東京に移してもらいたいと?んで、?親に?籍を認めさせた [3] [4] [7]

その後チェは、小熊名義で顔??だけを自分の顔に貼り替えた 日本?旅券 運?免許? を取得して、法的にも完全な日本人「小熊和也」として行動した [3] [4] 。彼が死去する 1976年 7月までの間に、日本、 フランクフルト パリ 香港 ソウル のコ?スで3回海外に渡航し [5] [7] 韓? ?日本に跨るスパイ網の構築に努めたのである。 1974年 (昭和49年)5月、チェは土台人金錫斗を石川? 鳳至郡 能都町 から密出?させて 北朝鮮 に連れて行き、約6ヶ月間スパイ?育を受けさせたうえで日本にもどし、資金調達や新たな工作員の獲得の任務を?わせた [3] 。同年12月、チェは?籍?領の??を恐れて小熊和也本人の北朝鮮への拉致を金錫斗に命じた [4] [7]

金錫斗は、その機?をうかがっていたが、小熊が 1976年 (昭和51年)7月に病死して死亡?が出されたので、これを?念した [3] [4] [7] 。チェは、在日韓?人に接近して韓??に親戚はいないかと尋ね、韓??にスパイを作ろうとしたり、日本??では 自衛隊 在日アメリカ軍 に?する情報?集活動を、「小熊和也」として行っていた [3]

なお、チェ?スンチョルはこの間、1975年に??した 鶴見寺尾事件 において、逮捕された北朝鮮工作員 金鶴萬 に?しても、?化在日朝鮮人商工人獲得の指示をあたえていた [8]

新潟?アベック拉致事件 [ 編集 ]

1978年 (昭和53年) 7月31日 、チェ?スンチョルは、自?韓明一(ハン?ミョンイル)こと通? ハン?クムニョン キム?ナムジン と共犯で、 新潟? 柏崎市 蓮池? (?時20?)? ?土祐木子 (?時22?)のアベックを北朝鮮に連行、拉致している(「 新潟?アベック拉致事件 」) [9] [注? 2]

「小住健?」  [ 編集 ]

チェの次のタ?ゲットは、 1961年 (昭和36年)以降行方不明だった 北海道 函館市 出身の 小住健? 1933年 樺太 生まれ)であった [3] [4] 。チェは、 1980年 (昭和55年)頃に小住の?籍を東京都足立?に移した後、小住名義の旅券や運?免許?を不正に取得して「小住健?」その人として行動した [3] [4] [5] [10] [11] 。この際、?籍の移動を不審に思った小住の姉と妹が電話番?を調べ、小住健?に電話をかけたが、チェが同居人として電話に出て「彼はいま麻雀に行っている」などと??し、?回にわたって誤魔化し?けた [3] [4] [10] 。チェは小住健?名義の パスポ?ト 東南アジア ヨ?ロッパ 、具?的には香港、 マレ?シア タイ王? 西ドイツ 、韓?などを計6回訪れた [4] [10] [11] 。本物の小住健?について、 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全?協議? (通?「救う?」)や 西岡力 は、土台人金錫斗が工作員?育を受けており、小熊和也についてはいったんチェより拉致を命令されたこともあることから、北朝鮮に拉致された可能性が高いとみている [3] [5] 。外事警察もまた、北朝鮮に拉致された可能性が高いとしている [4] 。ほぼ同じ時期に起こったと考えられる 原?晁拉致事件 辛光洙 事件)では、 原?晁 (北朝鮮が、拉致された日本人 田口八重子 の結婚相手であったが田口とともに 1986年 に死亡したと?明している人物)もまた家族と連絡が絶たれており、なりすましの?象として拉致されたと考えられる点でも?況が似ている [3] 。また、フリ?ジャ?ナリストの全富億は、北朝鮮スパイ機?のやり方からみて、北朝鮮に拉致されたか、あるいは殺害された可能性もあるとしている [10] [注? 3]

このころ、チェは「?社を設立する」と言って??の妻に金をねだった [3] [4] 。彼女は貯金を切り崩して600万円を「松田忠雄」に融通した [4] 。1982年(昭和57年)、「松田」ことチェ?スンチョルは?飾品販?の?社「信英エンタ?プライズ」を東京都?に設立し、自ら社長となったが、仕事は女性と金錫斗に任せきりで、いつも?上金を回?しては、どこかに持ち去っていた [3] [4] 。おそらくは、本?への?金か工作資金にまわされたものと考えられる [3]

出? [ 編集 ]

チェが「小住健?」となのっていたところ、1982年に北朝鮮のスパイだとの情報が アメリカ中央情報局 (CIA)から 韓? ?家安全企?部 を通じて 警視?公安部 外事第二課 に提供された [4] 。極東地域の大物工作員だったチェは、公安の不?な動きを察知して 1983年 (昭和58年) 2月4日 マレ?シア に出?して姿を消した [10] [11] 。すべてが終わったあと、同棲していた日本人女性のもとには差出人「小住健?」の名で大阪の デパ?ト からの小包が?いた [4] 。ささやかな贈り物であったという [4] 1985年 (昭和60年)、外事警察の?査員たちが東京都足立?西新井本町のマンションや十?カ所に一?に家宅?索した。同年 3月1日 警視?公安部 外事第二課 がチェの土台人であった在日朝鮮人金錫斗(?時49?)を逮捕した [4] 。容疑は、?社の登記に?があるという罪(公正?書原本不?記載)で、判決は懲役1年、執行猶予4年という?い刑であった [4]

警視?公安部は 2006年 (平成18年) 3月3日 辛光洙 とともに ?外移送目的略取 ?外移送 の容疑とで?際手配し、北朝鮮に?し所在の確認と身柄の引き渡しを要求している [1] 。また、旅券不?記載、同不正取得、免許?不正取得などの罪で全?指名手配されている [10] 。さらに、「朴」(チェ?スンチョル)が立ち寄りそうなフランス?香港など?係各?にも ?際刑事警察機構 (ICPO)を通じて手配されている [9] [10]

なお、チェ?スンチョルの配下に、北朝鮮から日本に?入した工作員を支援する在日朝鮮人補助工作員に、宮本明こと 李京雨 (リ?ギョンウ)がいる [2] 。李京雨は、 大韓航空機爆破事件 の?行犯のひとりで バ?レ?ン?際空港 で事情?取中に服毒自殺した 金勝一 の日本人名義の不正旅券入手にも??した人物である [2] 。また、 田口八重子 の拉致にもかかわっていた可能性がある [2]

脚注 [ 編集 ]

注? [ 編集 ]

  1. ^ 全富億の著作では、秋田?ではなく、石川?能登半島羽根海岸( 能登町 )からの密入?とされている [6]
  2. ^ チェ?スンチョルとハン?クムニョン、キム?ナムジンの3人は拉致事案の容疑で、逮捕?の?付を得て、?際刑事警察機構(ICPO)を通じて、?際指名手配されている [9]
  3. ^ 小住健?については、 2002年 (平成14年)10月の クアラルンプ?ル での日朝交?で、 田中? 松本京子 とともに、日本側が北朝鮮側に安否確認をおこなっている [11]

出典 [ 編集 ]

?考文?  [ 編集 ]

  • 荒木和博 『拉致 異常な?家の本質』 勉誠出版 、2005年2月。 ISBN   4-585-05322-0  
  • 高世仁 『拉致 北朝鮮の?家犯罪』講談社〈 講談社文庫 〉、2002年9月(原著1999年)。 ISBN   4-06-273552-0  
  • 全富億 『北朝鮮の女スパイ』 講談社 、1994年4月。 ISBN   4-06-207014-6  
  • 西岡力 『コリア?タブ?を解く』 ?紀書房 、1997年2月。 ISBN   4-7505-9703-1  
  • 『昭和61年版 警察白書』
  • 月刊治安フォ?ラム 』2002年3月?

?連項目 [ 編集 ]

外部リンク [ 編集 ]