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"システィ?ナ??堂天井?"
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dlib.jp
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ジャパンサ?チ
·
TWL
(
2012年12月
)
|
システィ?ナ??堂天井?
、より正確に
スィスティ?ナ??堂天井?
(スィスティ?ナれいはいどうてんじょうが、
伊
: Volta della Cappella Sistina)は、
バチカン市?
の
バチカン宮殿
?に建てられた
システィ?ナ??堂
の
天井
に、
ミケランジェロ?ブオナロ?ティ
によって描かれた??作品である。盛期
ルネサンス
を代表する芸術作品の一つであるこの天井?は、1508年から1512年にかけて制作された。天井?がある?大なシスティ?ナ??堂は、1477年から1480年にかけて、?皇
シクストゥス4世
によってバチカン宮殿?に建造されたものである。
さまざまな主題を含むこの天井?は、祭壇壁の『
最後の審判
』の巨大な
フレスコ
?(これもミケランジェロ作)や、他の?家たちによって制作されたフレスコ壁?、
ラファエロ
の原?による
タペストリ?
群などとともに、システィ?ナ??堂全?の?飾計?の一部をなすものであり、これらは全?として、
カトリック??
の?義を??化したものである。
天井の?飾の中心をなすのは、『
創世記
』に取材した9つの場面であり、中でも『アダムの創造』が著名である。父なる神の指とアダムの指とが?れ合おうとする場面は、
レオナルド?ダ?ヴィンチ
の『
モナ?リザ
』と?んでよく知られた?像である。
?史
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]
1506年、?皇
ユリウス2世
は、システィ?ナ??堂の天井を??で?飾する計?を立てた。?時、??堂側壁の中段には、「キリスト?」「モ?セ?」を表した一連の壁?群がすでに描かれていた。
これらの壁?は、
ペルジ?ノ
、
ボッティチェッリ
、
ギルランダイオ
ら、?時もっとも高名だったルネサンス期の?家たちによって制作されたものであった。ミケランジェロは、天井?の制作を命じられたものの、自分の本職は?家ではなく彫刻家であると自認していたので、この仕事には??りがしなかった。それに加え、?時のミケランジェロは、ほかならぬ?皇ユリウス2世自身の墓碑(?廟)制作の仕事に忙しかった。その墓碑は、?多くの彫像で飾られた、?大な規模のものであった。しかし、?皇は何としてもミケランジェロにこの天井?を描かせようとして?らず、ミケランジェロには仕事を引き受ける以外の選?肢はなかったのである。その後、フランスとの紛?が?生すると、??だけでなく軍事面の指導者でもあったユリウス2世の心は、天井?よりも??の方に向かったので、その隙にミケランジェロはロ?マから逃亡し、墓碑彫刻の仕事を再開したのであった。しかし1508年、紛?に勝利した?皇がロ?マに?ってきてミケランジェロを呼び出し、天井?の制作を始めるように命じたため、墓碑彫刻の方は完成せずじまいであった。天井?制作の契約にミケランジェロがサインしたのは1508年5月10日である。
?皇が提案した構想は、天井に
十二使徒
の巨大な像を描かせようというものであった。しかし、ミケランジェロはこの構想を?更し、より複?なデザインのものにした。それは、最終的には約300人の人物像を含む天井?となり、4年の?月をかけて1512年に完成した。ミケランジェロは、天井?を描く時、俗?のように仰向けになって描いたのではなく、立ったままで描いた。ヴァザ?リによれば、「この天井?はきわめて困難な?況下で描かれたものであり、ミケランジェロは首を天井の方へ曲げたままで描かなければならなかった」とのことである。
制作技法
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ミケランジェロは、??堂の天井に手が?くように、天井?制作用の足場を自ら設計した。床面から足場を組み立てたとしたら巨大な構造物になってしまうが、ミケランジェロは側壁の窓の上あたりに穴を開け、そこから支えの腕木を出し、そこに木造の平台を載せて足場とした。天井?制作は3場面ずつ3段階に分けて行われ、足場が天井全?を覆ってしまうことはなかった。
ミケランジェロの弟子で?記作者でもあるコンディ?ヴィの記?するところによると、中央の足場とその?脇の階段(ルネッタやペンデンティヴ部分を描くのに用いた)、これらを支持するための腕木と?がまず取り付けられ、これらの下には垂れ落ちる
漆?
、ごみ、顔料の飛沫などを受け止めるための?い幕(おそらく布製)がぶら下がっていた。足場は天井の半分のみを覆っていた。
天井?に用いられた技法は
フレスコ
、すなわち、生乾きの漆?の上に描く壁?制作技法である。ミケランジェロはギルランダイオの工房で修業中にこの技法を??している。ギルランダイオはフィレンツェにおけるもっとも有能かつ多作なフレスコ?家の一人であり、フィレンツェ市?のいくつかの??の重要なフレスコ?を制作したほか、システィ?ナ??堂側壁の壁?制作にも?加している。?初、イント?ナコ(上塗り漆?)の?り?が多すぎるためにカビが?生し、ミケランジェロはカビを除去してから制作にとりかからねばならなかった。その後彼は、助手の一人であるヤコポ?トルニ(リンダ?コ)の考案した、新しい漆?調合法を試みた。この調合法はカビを寄せ付けず、その後のイタリア建築の?統に組み入れられるものとなった。
フレスコ?は、壁の漆?が生乾きのうちに描き終えねばならないので、?日、その日に新たに描く壁の面積分(ジョルナ?タ)だけの上塗り漆?が塗られる。次の部分を制作する際は、?のはみ出した漆?を削り取った上で、その日のジョルナ?タ分の上塗り漆?が塗られる。こうした制作法が用いられたことは、天井?よりも祭壇?の『最後の審判』の方でより明白に分かる。ミケランジェロがフレスコ技法を採用したのは、漆?が完全に乾いた?態で描く(フレスコに?して「セッコ」という)技法では、フレスコ?のような自由な筆遣いがしにくいことと、フレスコの場合と違って、顔料が漆?と一?化しないことによる。一方、フレスコの欠点は漆?を新たに塗る際に熱くなり、蒸?を吹き出す点である。
フレスコ?家は、制作にあたって原寸大の細密な下?(カルト?ネ)を用い、?柄を漆?の表面に?し取るのが通例であった。多くのフレスコ?には、下?の線に沿って、尖ったもので空けられた小穴が?っている。しかし、これらのルネッタにおいて、ミケランジェロは?統を破り、いったんフレスコ技法に自信を付けてからは下描きなしで?面に直接描き?んでいる。ミケランジェロの力?い描線が?面に食い?んでいる箇所がある。一方ではグリッド(格子)がみられる箇所もあり、彼が小さな下?を?面に直接?大したことを示している。彼は生乾きの漆?の上に水で溶いた顔料を用いて、?い色面を塗る。その後、漆?がやや乾いてくると、さまざまな筆を使いわけ、より線的な技法で陰影や細部を描き?んでいった。人物のひげや木の肌などの材質感を表現するためには、櫛の??にまばらに毛を植えた大筆を用いた。全?として、ミケランジェロの技法はフレスコの名手ギルランダイオの一番弟子にふさわしいものである。ミケランジェロは多彩な筆遣いと幅?い技術をもって、工房の?統的手法と新しい工夫とを融合させているが、これは入念かつ正確な作風をもつギルランダイオにはなしえないものであった。
制作は、祭壇からもっとも遠い、正面入口側の天井から始められた。つまり、物語の時間的な進行順にしたがって描いていったのではなく、最後の場面が最初に描き始められたのである。最初に描かれた3場面(
ノア
の物語)は、後に描かれた場面に比べると、小さめの人物が多?描かれている。これは一つには、人類の運命を扱った主題の性質にもよるが、これらの場面が描かれている正面入口側の人物像は、イニュ?ディ(?年裸?像)や預言者像も含め、天井の中央部分の人物よりも全?に小さく表されている。人物のスケ?ルは、3番目のセクション(祭壇に近い側)ではさらに大きくなり、それにともなってミケランジェロの筆遣いも大きくなっている。最後に描かれた
天地創造
に携わる神の場面は1日で描かれている。
明るい色彩と太く明瞭な輪郭によって、各主題は床面からも見えやすくなっている。天井の高さにもかかわらず、『アダムの創造』の巨大な人物像は、その?面の下に立つと「あたかも鑑賞者が指を突き出せば、父なる神とアダムの指先に?れることができるように見える」。現在、?面の色彩は鮮烈で、春を思わせる薄いピンク、アップル?グリ?ン、明るい?色、そしてスカイブル?が?珠のような?かみのある灰色の地に映えるが、かつてはロウソクの煤によって色彩が失われ、?面はほとんどモノクロ?ムのように見えていた。1981年から1984年まで長期にわたって行われた修復作業により、汚れの膜が除去され、?面は色彩を取り?した。
ヴァザ?リ
によれば、この天井?は「未完成」だという。それは、この天井?が金箔と
ラピスラズリ
(?色の顔料)による?飾を加える前に除幕されたからだという。金箔とラピスラズリの?飾を加えようとしたのは、それが?時のフレスコ?の通例であり、システィ?ナ??堂の側壁の壁?は多くの金箔を使って飾られていたので、それと天井?との釣合いを取るためでもあった。しかし、この?飾は?現しなかった。それは一つには、ミケランジェロが再度制作用の足場を組むことに?り?でなかったためでもあるが、おそらくもう一つの理由は、金色と、特に?烈な?の使用によって、ミケランジェロの制作意?が見えにくくなるおそれがあったためであろう。?際、天井の一部には金で?飾された箇所がある。?年裸?像群の間にある楯と、預言者像?巫女像の間にある柱の部分とである。楯の部分における金箔の使用は、ミケランジェロ自身が計?したものであった可能性が高い。これらの楯はある種の行進用の楯(?物が相??現存している)に似せて描かれているからである。
天井?の?容
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天井?の主題は、人類には
イエス
を仲立ちとする神の救?が必要だという?義である。換言すれば、天井?の意味するところは以下のとおりである。神は世界を完全なるものとして創造し、そこに人類を創造した。しかし、人類は?落してしまったので、神と隔てられ、死すべき運命を?えられるという罰を受けた。神は、預言者や巫女らを通し、救世主イエスが人類の罪をあがなうであろうと?えた。神は、
アダム
から始まり、
ダヴィデ
王など、?約聖書が?える??な人物たちを?て
聖母マリア
に至る系譜の後に救世主イエスを出現させた。天井?のさまざまな部分はこうした?義に?連している。
しかし、天井?には別の側面もある。15世紀のイタリア、殊にフィレンツェでは、古典文?と人文主義への?心が?かった。ミケランジェロは?年期に、
フィレンツェ
の
メディチ家
が設立した人文主義アカデミ?に通ったことがあり、
ドナテッロ
のブロンズの
ダヴィデ像
など、人文主義的な彫像に親しんでいた。フィレンツェ市??であった
パラッツォ?ヴェッキオ
前の?場に設置された、巨大な大理石製のダヴィデの裸像を制作したミケランジェロ自身もこうした傾向に?えていた。人文主義者による人類の捉え方は、人は??のような仲介者を介さずに、直接に他の人?、社?的責任、そして神に相?すべきだというものである。これは??側の主張とは矛盾するものであった。??が、人類は基本的に罪深く欠点のあるものだとするのに?し、人文主義者は人類を?在的に高貴で美しいものとみなした。これら2つの視点は、??にとって必ずしも和解不可能なものではなかった。ただし、この「魂、精神、肉?の高揚」は神の代理者としての??を通じてのみ達成しうるという認識のもとにおいてである。??を離れることは神の救?からも遠ざかることであった。
天井?にミケランジェロはカトリック的要素と人文主義的要素とを、視?的に矛盾なく見えるように描き?んでいる。しかし、「非キリスト?的」人物を含むということは、
?抗宗?改革
に基づく、より宗?性の?い作品に親しみ、ルネサンス期の人文主義思想とキリスト?思想の合理化と無?だった人?にとっては、?義上の矛盾と映ったかもしれない。
天井?のデザインの中心を構成するのは、『
創世記
』に基づく9つの場面である。9つの?面のうち、5つの小?面は?取りがされ、それぞれ4?のイニュ?ディ(?年裸?像)によって支えられている。これら9場面の下方、および??堂の?端部には、キリストの誕生を預言した12人の男女(預言者と巫女)の像がある。??堂の窓の上方の半月形壁(ルネッタ)にはキリストの祖先たちの像が描かれ、?面中には彼らの名前も書かれている。ルネッタの上の三角の帆形壁面(スパンドレル)にはさらに8つの人物群像があるが、これらの人物の素性は不明であり、今後の?究課題である。最後に、四隅の大きなペンデンティヴ(逆三角形壁面)には、聖書に取材したドラマティックな場面が表されている。天井?の?像的意味については過去にさまざまな解?が行われ、現代の?究者たちによる解?が?立している要素や、解?不能の要素もある。ミケランジェロ自身の精神的、心理的?態が天井?の?像的特色や??的表現にどのように反映しているのかという問いも?究者の?心の的である。
建築モティ?フ
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現?の建築形態
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システィ?ナ??堂は?行40.5メ?トル、幅14メ?トル、天井は??堂主要部の床から20メ?トルの高さに立ち上がる。ヴォ?ルト天井部は複?な構造になり、?初から現在のような複?な?飾が予定されていたとは考えがたい。ピエル?マッテオ?ダメリアによる?初の?飾プランは、建築の細部要素が識別可能なもので、天井は?色に塗られ、金色の星をちりばめた、パドヴァのアレ?ナ??堂にある
ジョット
のフレスコ?に類似した?飾が施されていた。
??堂の側壁は、3段の水平の??に?切られ、最上部の?には左右壁に各6か所の窓が開けられた。手前と?の壁にも2つの窓があったが、祭壇壁の窓は、ミケランジェロが『最後の審判』を描く時にふさがれた。窓と窓の間にはヴォ?ルト天井を支える大型のペンデンティヴがあり、ペンデンティヴに?まれた窓上部にはスパンドレル(三角ア?チ壁)が天井に食い?んでいる。ペンデンティヴの高さで、天井がゆるやかに立ち上がり、その描く線は水平線から大きく逸れていない。以上が、現?の建築形態である。
見せかけの建築形態
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描かれた建築形態の第一の要素は、現?の建築形態を?取っている、描かれた?飾?であり、石製の蛇腹のように見える。この?飾?には、2つのモティ?フが繰り返し表されるが、こうした?飾法はロ?マの古典?式建築においては共通のものだった。???堂で用いられているモティ?フの1つは?の?であり、これは?皇ユリウス2世の出自である
デッラ?ロ?ヴェレ家
のシンボルである。もう1つのモティ?フは帆立貝の?で、これは聖母マリアのシンボルの1つである。この??堂は聖母マリアに奉?されたものであった。
ミケランジェロが描いた建築デザインの1つは、幅?いトラベルティ?ノ大理石の梁である。この梁は天井を??して左右壁のペンデンティヴの間をつないでいるように見える。描かれた10本の梁によって、天井は幅?い?面と細い?面とが交互に?ぶように?切られている。
スパンドレルの上方、天井面が水平に近くなる部分には、前面に大きく突き出して見える
コ?ニス
が天井全?を?むように描かれ、天井?の主要部分の外?となっている。これらの見かけ上の建築要素は各人物像がそれぞれ明確に?切られたスペ?スに位置するための?組みを形成している。こうした描かれた建築要素に組み入れられているのは、多くの小像で、これらは純?に?飾的目的で描かれたものと思われる。梁とコ?ニスの交叉部の下には、大理石製風に描かれた各2?のプット?がおり、スパンドレルの頂部には石造に見える羊頭?飾がある。その左右には一?のブックエンドのような人物像が梁の陰に?れるように描かれ、スパンドレルの下には預言者と巫女の銘板を捧げ持つ着衣と裸?のプット?が思い思いのポ?ズで立つ。
コ?ニスの上、9つの場面からなる天井?のうち、5つの小?面の?端には、円形の楯が表される。これら10個の楯は、20?の人物像によっても支えられている。これらの?年裸?像(イニュ?ディ)は、嵌めこみ文?のある台座上に座し、見せかけのコ?ニスの上にしっかりと足を?せ、建築構造の一部としてではなく、あたかも?在の人物のように描かれている。
?面構想
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『創世記』からの9つの場面
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ミケランジェロは、天井中央部に、聖書の冒頭にある『創世記』に取材した9つの場面を描いた。これらは3つのグル?プに分けられる。最初の3場面は神による天地創造の物語、次の3場面は、神による最初の男と女、つまりアダムとエヴァの創造、そして神の命令にそむいた彼らが、神とともに生きてきたエデンの園から追放される場面である。最後の3場面は人類の破滅とノアの一族の物語である。
これらの場面は必ずしも出?事の起きた順番どおりには配列されていない。この9場面が3つのグル?プとして構想されたものだとすると、各グル?プに含まれる3場面はそれぞれ他の?面の?容を補完し合うもので、これは中世??や
ステンドグラス
に見られるのと同?の手法である。
各場面は、祭壇側から正面入口を望む方向に立って見上げた時に、正しく見えるように描かれている。?題は祭壇側から順に、以下のとおり。
- 『光と闇の分離』
- 『太陽、月、植物の創造』
- 『大地と水の分離』
- 『
アダムの創造
』
- 『エヴァの創造』
- 『
原罪と?園追放
』
- 『ノアの燔祭』
- 『大洪水』
- 『ノアの泥?』
天地創造
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天地創造にかかわる3つの?面は、『創世記』の最初の章に基づく。そこでは、神は大地とそこにあるすべてのものを6日間で創造し、7日目に休息したとされている。第1の?面は天地創造の第1日目で、神が光を創造し、光と闇とを分けた場面である。時系列的にはその次に位置する出?事は第3の?面に描かれている。すなわち天地創造の第2日目で、神が地と水とを分離した場面である。3つの?面の中で最もサイズの大きい第2の?面では、神の姿は2回描?されている。天地創造の第3日目、神が大地を創造し、植物を生じさせたという?容と、第4日目、神が太陽と月にそれぞれ?と夜を支配させ、時と四季とを支配させたという?容が描かれている。第5日目に、神は空を飛ぶ鳥と、魚と水に棲む生き物を創造したが、これは天井?には描かれていない。第6日目の地上に棲む?の創造も同?に描かれていない。
これら3?面は、天井?制作の順序の点では、3段階目、つまり最後に制作されたものであり、構想や描法は他の?面より雄大で、天井?全?の中でもっともダイナミックなものになっている。第1の?面についてヴァザ?リは書いている。「ミケランジェロは神が光と闇を分離するところを描いた。威?に?ちた神は?腕を伸ばして力?く立ち、神の愛の啓示と創造の力とを示している」。
アダムとエヴァ
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天井?の中央の3?面に、ミケランジェロは『創世記』第1、2、3章に述べられるアダムとエヴァの物語から4つのエピソ?ドを描いている。3?面のうち2つは大?面、?り1つは小?面である。
第1の?面は、世界??史上、もっともよく知られたイメ?ジの1つである、神がアダムに向かって手を差し伸べる場面を描く。このアダムについてヴァザ?リは述べている。「その美しさ、そのポ?ズと輪郭とは、あたかも人類創造のその瞬間、最初にして至高の創造主によって形造られたかのように見え、神ならぬ1人の人間が?筆をもって描いたものとは見えない」。
第2の?面は神が眠るアダムのあばら骨からエヴァを創造する場面である。この構?は、
ボロ?ニャ
のサン?ペトロニオ聖堂の扉の周?を飾るヤコポ?デッラ?クェルチャ作の『創世記』の連?浮彫から直接に取られたもので、ミケランジェロはこの作品を?年期からよく知っていた。第3の?面には?照的な2つの場面が描かれる。1つはアダムとエヴァが
禁?の果?
を得る場面で、疑いをしらず蛇から果?を受け取るエヴァと、自ら果?を摘もうとするアダムを描く。もう1つは
エデンの園
からの追放の場面で、アダムとエヴァは、神とともに生きてきた?園を追われている。その外の世界では、彼らは自分で生活の糧を得なければならず、最後には死が待ち受けている。
ノアの物語
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最初の天地創造の3場面と同?、ノアの物語を描く3場面(『創世記』6 -9章による)は主要なテ?マを選んで??化したもので、出?事の起きた時間的順序に沿って?面を配列してはいない。第1の?面は生贄の羊を捧げる場面である。この?面について述べたヴァザ?リは、これを誤って
カインとアベル
の物語と解?した(アベルの捧げ物は神に受け入れられたが、カインの捧げ物は受け入れられなかった)。しかし、この?面はほぼ間違いなくノアの燔祭(はんさい)を表したものである。大洪水で他の人類が滅びた時にノアの一族だけは無事に生き延びることができた。その後、ノアは神に捧げ物をした。
中央の大きな?面には大洪水が表される。ノアの一族を?せた
方舟
は遠景に浮かび、?りの人間たちは安全な地を求めてわれ先にと殺到する。多?の人物を表したこの?面は、??堂側壁の壁?群の?面形式にもっとも近い。
ノアの物語の最後の?面はノアの泥?である。洪水の後、ノアは地を耕し、葡萄の木を育てた。その?子は?の遠景に描かれている。ノアは泥?し、だらしなく裸?をさらしている。彼の末の息子
ハム
は2人の兄、
セム
と
ヤペテ
を呼んできてこの光景を見せるが、兄たちは?み深く父の裸?に着物をかけたのであった。後にノアはハムを呪い、ハムの息子カナンは未?永劫、セムとヤペテの子孫たち仕えるだろうと言った。以上3つの場面は、全?として、人類が神の被造物としての完全な存在から大きくかけ離れてしまったことを表している。しかしながら、セムとその子孫であるイスラエル人を通して神の救?はもたらされるのである。
メダイヨン
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天井?のうち、5つの小?面の?脇に接して、10面の円形楯?のメダイヨンがあり、イニュ?ディ(?年裸?像)がこれを支えている。これらのメダイヨンは赤銅製に見えるように描かれ、?柄の細部は金箔を使用して背景から浮かび上がるように表現されている。各メダイヨンはそれぞれ
?約聖書
あるいは『
マカバイ記
』由?の?柄で?飾されている。描かれた主題は、聖書のエピソ?ドの中でも?酷な、あるいは屈辱的な場面がもっぱら選ばれており、例外は、
エリヤ
が火の?車によって天に引き上げられる、『
列王記
』の場面のみである。いくつかの?面は殺人などの暴力行?に及ぶ人物たちで?たされており、ミケランジェロの『カッシ?ナの?い』のための下?に類似している。
ミケランジェロがこれらのメダイヨンに用いた技法は、フレスコ?では通常用いられないものである。彼はペ?ジェント用の楯の?飾に用いられるのと同?の技法を用いており、これは色付きの紙にメタルポイント(尖筆)と白チョ?クでドロ?イングする技法にも似ている。フレスコにこの技法を?用したのはミケランジェロのみではないが、これほどの規模で用いたのは彼だけであろう。地の色(ここでは?土色に?の筋が入る)が背景色となり、影と光との間の中間色ともなっている。陰になる部分の輪郭は、?筆で「描く」というよりはドロ?イングされ、線的なタッチで描かれた影が事物の形態を浮き上がらせる。色付きの紙にドロ?イングする場合は、ハイライトや明色の部分は白チョ?クを用いるか、白の細い線を重ねて描かれる。これらのメダイヨンでは、その白線が金箔に完全に置き換えられており、暗部を?線で描くのと同?のしかたで、明部は金箔を用いて「描いた」かのように表現されている。
こうした金箔の使用は、天井のフレスコ?と側壁のフレスコ?との間を結び付ける役割をある程度果たしている。側壁の壁?では、金箔が多くの細部においてふんだんに使われている。いくつかの?面、特にペルジ?ノの作品では、金箔が?に衣服の細部を飾るだけではなく、金色部分の密度によって衣服のひだの微妙な諧調を際立たせるように、巧妙に使われている。ミケランジェロはこうした技法を採用し、さらに一段階進んだものにした。また、側壁の「モ?ゼ?」中のボッティチェッリの作品『コラ、ダタン、アビラムの懲罰』に描かれるロ?マの
凱旋門
のメダイヨンも?考にされたと思われる。
メダイヨンの?柄は以下のとおり。
- エリヤ
の昇天(預言者エレミヤの上)
- イサク
の?牲(リビアの巫女の上)
- 父
ダビデ
に反逆した
アブサロム
の死(木の枝に?が引っかかり宙吊りになったアブサロムを描く)(預言者ダニエルの上)
- アハブ
一族の滅亡(または「ニカルノ軍の全滅と
ユダ?マカバイ
の勝利」)(預言者エゼキエルの上)
- ダビデ王へのナタンの?諭(または「エルサレムの大祭司に?くアレクサンドロス」)(ク?マの巫女の上)
- 偶像破?(エリュトライの巫女上)
- ウリヤの死(または「ヘリオドロスの懲罰」)(預言者イザヤの上)
- ?車から逆さに放り出されるヨラム(または「アンティオコス?エピファネスの末路」)(預言者ヨエルの上)
- ヨアブによるアブネル暗殺(または「大祭司オニアと暗殺者アンドロニコス」)(デルフォイの巫女の上)
- 10面のうちの1面の?柄は跡形もなく消滅している。(ペルシャの巫女の上)
(メダイヨンの主題については、若山映子『システィ?ナ??堂天井?』、東北大?出版?、2005を?照した。)
12人の預言者と巫女
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5箇所のペンデンティヴにはこの天井?の中で最も大きな人物像が描かれている。描かれているのは
メシア
到?を預言した人物や、メシアの容姿を物語った12名の人物たちである。このうち7名は
?約聖書
の預言者で全員が男性であり、5名は古代の巫女(神託を授かる巫女(シビュラ (
en:Sibyl
))で全員が女性である。預言者
ヨナ
は最?の祭壇上部に描かれ、預言者
ゼカリヤ
がその反?側の??堂入り口上部に描かれている。側面には?りの男女が交互に配置され、プット?(幼い天使)が支える大理石板の銘文によって誰が描かれているのかを識別することができ、最?部のヨナから時計回りに以下の人物が描かれている。
預言者
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描かれている預言者は、いわゆる「四大預言者」のイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルと、「
十二小預言書
」の預言者たるヨエル、ゼカリヤ、ヨナの7名である。
彼ら預言者の言葉は格言として引用されることがある。ヨエルの場合は「雨を降らせたあと、私の?をおまえたちに注ぐ。息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る
[1]
」である。この預言は、本?は男性であるべきものが女性で描かれていたり、長い白?を生やした陰?なエレミヤの向かい側に若さに?ちたダニエルが座っている構?など、ミケランジェロの構想に大きな影響を?えている。
ザカリヤは「さあ、私の?民よ、躍り上がって喜べ。??をあげよ。さあ、おまえたちの王が?る。その王は正しく、いつも勝利を?める。しかも謙遜で、ろばの子に?って?る
[2]
」という預言を?した。ザカリヤがこの??堂に描かれている場所は、イエスがロバに?ってエルサレムに入城し、ザカリヤの預言を?現した日を記念する
枝の主日
に?皇が列する扉の上である。
ヨナの主な預言は
ニネヴェ
の?落に?するものである。この預言はヨナが主祭壇の上という場所に描かれていることを正?化するような重要なものでない。しかしながらヨナは預言の意味や重要性を示す象?であり、この重要性は?く認識されて、?本やステンドグラスなどに?え切れないほど表現されてきた。ヨナ書によれば、神の命令に?わなかったヨナは大きな魚に呑み?まれてしまう。3日間を魚の腹の中で過ごし、海岸で吐き出されたヨナは仕方なく神の命令を果たすことになる。この逸話のためヨナは、十字架に?となったが3日後に復活したというイエスの前兆、前?者であるとみなされている。この天井?でもヨナは大きな魚とともに描かれ、その目は創造神を見つめ、キリスト復活の前兆を表現しているのである。
ヴァザ?リはこの預言者と巫女の肖像のうち、イザヤをもっとも高く評?している。「美術勉?の根源である忠?な模?をこの肖像に?して行おうとするものは、優れた?家によって描かれた美しく平?なこの??が、後進の?家がすべてを手本とするべき作品であるということに?がつくだろう」としている。
巫女
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ここで言う巫女とは、神殿や寺院に居住していた古代の女性預言者のことで、彼女たちは神託を?える役割を果たしていた。この天井?に描かれている5人の巫女は、いずれも救世主の誕生を預言したと言われている。たとえばクマエの巫女は、「新たな神の子」が再び「?金時代(
en:Golden Age
)」をもたらすであろうと宣言したと
ウェルギリウス
に?えられている。これはイエスのことを預言したものだと解?されている。
ロ?マの??では、キリスト?が普及する以前の異?の文物が興味の?象となりつつあった。?者たちは中世の??ラテン語あるいは
古典ラテン語
の書物や、古代キリスト?の神?者
アウグスティヌス
の著作、哲?書などによって、異?の文化を?究することが可能だった。このような?時の風潮を考慮すると、キリスト??のシスティ?ナ??堂に異?の預言者が描かれているのは驚くようなことではない。
なぜミケランジェロが?約聖書
十二小預言書
の預言者ではなく、異?の巫女を題材としたのかという理由は分かっていない。?究者のジョン?オマリ?は、描かれているのはアフリカ、アジア、ギリシャ、イオニアの巫女であり、?範な世界を表現しようとしたのではないかと推測している。
ヴァザ?リはエリュトレイアの巫女について「この肖像は特筆すべき多?な美しさを持っている。表情、?型、衣服の表現などで、むき出しの彼女の腕はとりわけすばらしい」と書き?している。
ペンデンティヴ
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??堂の四隅には壁と天井の間にペンデンティヴがある。ミケランジェロはここにユダヤ人救?に?連する、聖書のエピソ?ドを描いた。
はじめの二つのエピソ?ドは中世、ルネサンス期のキリスト??において
キリストの?刑
を予感させるものとされていた。「?銅の蛇」は?約聖書の「
民?記
」のエピソ?ドである。イスラエルの民が神に?して不平不?を述べたところ、神から使わされた毒蛇による災厄という罰を受けた。そして神は
モ?セ
に命じて?銅の蛇を作らせ、旗竿に?げさせた。この?銅の蛇を見た人?は癒しの奇跡を得ることができたとする。
「ハマンの?刑」は?約聖書の
エステル記
のエピソ?ドである。ペルシアの宰相だったハマンが、ユダヤ人エステルの夫であるペルシア王
クセルクセス
を?唆してユダヤ人絶滅を布告させる。眠れない夜に宮廷日誌を調べていた王は、この布告が間違っていたのではないかと思いはじめた。このユダヤ人絶滅の策謀に?づいた王妃エステルはハマンを非難し、クセルクセス王はハマン自ら作った絞首台でハマンを?刑するように命じる。そして王の廷臣たちは、この命令を速やかに?行した。
?りの「ダビデとゴリアテ」は?約聖書の「
サムエル記
」、「ユディトとホロフェルネス」は?約聖書外典の「
ユディト記
」のエピソ?ドで、イスラエルの救?を表現したものである。どちらもフィレンツェ派??では?制者打倒のテ?マとして何度も取り上げられている?題で、?時共和?だったフィレンツェでは人?のあるモチ?フだった。
「ダビデとゴリアテ」を描いた??では、羊飼いのダビデが巨人ゴリアテを投石機で倒し、まだ息があり立ち上がろうとするゴリアテの首を斬るダビデが描かれている。
「ユディトとホロフェルネス」を表現した??はすべてが陰?な雰??で描かれている。ユディトは切り落としたホロフェルネスの頭部を布で?し、侍女に?がせた籠にのせて運ばせている。そしてユディトは自身が首を落とした屍?に取り?しているかのように描かれている。
ホロフェルネスの殺害を描いた??と、??堂の反?側のペンデンティヴのハマンの?刑を描いた??にはその構?に明確な?連を見ることができる。ホロフェルネス殺害の??は人物が小さく描かれ、その他の描き?みも多くはないが、どちらの??も垂直の壁面によって左右に二分割された三角形の構?となっており、分割された?側を見ることにより、何が起きたのかを理解することができる構成になっている。ハマンの??には三つの場面が描き出されており、それはハマンが?刑される場面、エステルとクセルクセス王とともにテ?ブルについている場面、ベッドにいるクセルクセス王の場面である。そして階段に座り?んで描かれている、ユダヤ人絶滅の布告のきっかけとなったエステルの養父モルデカイが、これらの場面をまとめあげる役割を果たすように描かれている。
「ダビデとゴリアテ」は二人の主人公を中心とした比較的?純な構成になっており、この二人以外の人物は傍?者であるかのように漠然と描かれている。?照的に「?銅の蛇」には毒蛇から身を守ろうとあがきそして死にいく人や、自分たちを救ってくれる?銅の蛇を振り向きざまに見上げる人など、??な人物像が描?されている。この??こそが、システィ?ナ??堂におけるミケランジェロの
マニエリスム
最初期の作品である。
洪水??
から始まる人間の苦?をテ?マとして取り上げ、後に描き上げる
最後の審判
まで昇華させたのである。
キリストの祖先たち
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テ?マ
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??堂のヴォ?ルト天井は大きなペンデンティヴによって支えられ、ペンデンティヴ間には各側壁に6箇所ずつの窓が開けられている。??堂の?端、入口側と祭壇側の壁にはさらに2箇所ずつの窓があったが、これらは今日ではふさがれており、祭壇側の壁にはミケランジェロの『最後の審判』が描かれている。各窓の上方にはルネッタと呼ばれるア?チ形の??がある(側壁に各6、?端の壁に各2の計16箇所)。側壁のルネッタのうち8つは、そのさらに上に三角形のスパンドレルと呼ばれる??があり、ルネッタとヴォ?ルト天井の間の空間を埋めている。?りの8つのルネッタは、??堂四隅の大ペンデンティヴの下に位置する。
ミケランジェロは、これらの??についても天井?の一環として制作を命じられた。ルネッタは、側壁と天井を視?的につなぐ役割をしている。ルネッタに描かれた人物(高さはおおむね2メ?トル)は、サイズの点では、巨大な預言者?巫女像と、小さめに描かれた?代?皇像(各窓の?脇に15世紀に描かれた)との中間くらいの大きさである。ルネッタの?像のテ?マはキリストの祖先たちである。
ルネッタの中央、各窓の上部にあたる場所には?飾付きの?の中に大理石製の銘板が描かれている。銘板には
アブラハム
から始まり、イエスの地上における父である
ヨセフ
に至る男系の先祖たち40人の名(『
マタイによる福音書
』による)が記されている(祭壇壁のルネッタ2面は『
最後の審判
』制作時に失われており、現在見える名前は33名分)。この名前の?べ方には若干混?があるようである。大部分の銘板には2人ないし3人の先祖の名を記すが、1人の先祖の名しかない銘板が2面(「アミナダブ」と「ナフション」)あり、『最後の晩餐』制作時に失われた銘板のうちの1枚には4人の名が記されていた。また、名前の?べ方は、8人目の「アミナダブ」の名は南壁にあり、9人目の「ナフション」の名はその向かいの北壁にあるというように、互い違いに進んでいるが、26人目の「アモス」の次の「ヨシヤ」の名は向かい側ではなく隣のルネッタにあるなど、一貫性がない。
ルネッタの銘板の左右には人物像が描かれ、人物が空間の大部分を占めている。どのルネッタでも、描かれているのは1組の家族であると思われるが、銘板に書かれた人名と?の?容とは一致せず、描かれた各人物が誰を表しているのかを特定することはきわめて困難である。大部分の?には幼?が描かれていることから、?中の男女は父と母であることを示唆するが、全てのルネッタがそうだというわけではない。スパンドレルに描かれた人物像(主に母と子)と、その直下のルネッタに描かれた人物像のつながりも不明確である。スパンドレルでは、三角形?面という制約のため、どの?でも人物は座っており、8つのうち6つのスパンドレルの構?は、?統的な「エジプト逃避途上の休息」の?像に似ている。
?り2つのスパンドレルのうちの1つは、裁ちばさみを持ち、縫製中の衣服の首の部分を裁ち切ろうとしている女性が描かれている。幼な?がその?子をのぞいている。聖書に登場する女性のうち、わが子の新しい衣服を縫うとされているのは、
サムエル
の母であるハンナである。サムエルはやがて神に仕える身となるが、?際、この?で女性の背後にいる男性像は司祭のものと思われる特?的な帽子をかぶっている。ただし、これらの人物が?際誰であるのかは不明で、おそらくは直下のルネッタに描かれた家族像と?連するものであろう。
母子像以外の人物像をもつ今一つのスパンドレルでは、一人の若い女性が座り、預言者のような?しい表情でこちらを凝視している。この女性は、聖?女マリアを表したものとも言われている。この女性像はキリストの先祖の一人であるエッサイの名を記した銘板の直上に位置している。「エッサイの株から芽が生じ、その根からは若枝が伸びるであろう」(=エッサイの系統からやがて救世主が生まれるであろう)と預言されたこの人物は、これらの?の背後にある?統を知る上で鍵となる人物である。キリストの先祖の像をフレスコで表すことはまれであるが、このテ?マはステンドグラスではよく取り上げられる。それはしばしば「エッサイの木」として表されるもので、?たわるエッサイの?から木が成長し、それぞれの枝にキリストの先祖たちが表されるものである。
?風
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ルネッタに描かれた人物たちは家族を表すとみられるが、いずれの場合もそれは分?された家族である。家族たちは中央の銘板によって物理的に隔てられているだけでなく、さまざまな感情によって互いに背を向けあい、あるいは嫉妬、疑い、怒りなどの感情を自分自身に、あるいはパ?トナ?の方へと向けている。これらの?でミケランジェロは、人間の怒りや不幸を表現している。そして、これらの家族像を通して人間の本性につきものの問題点を鑑賞者に示し、人類は何ゆえ救世主イエス?キリストを必要とするのかを明瞭に示している。ルネッタの窮屈な空間で、人物は座り、うずくまり、待つほかない。
現存する14面のルネッタのうち、最初に描かれたと思われる2面、「エレアザル、マタン」と「ヤコブ、ヨセフ」がもっとも細かく描き?まれている。人物像は入口側から祭壇側に向かうにしたがって大きくなり、最後の方の?の1つはわずか2日で仕上げられている。
「エレアザル、マタン」のルネッタには、他の?面には見られないような、衣?の細部を念入りに表現した2人の人物像が見られる。ルネッタ左側の女性像は、ペンデンティヴの巫女像と同?にその衣?が念入りに表されている。女性のスカ?トは折り返されて、リネンのペチコ?トと、肌に?い?む薄紫色のストッキングを留めているガ?タ?をのぞかせている。彼女は小物入れを下げ、ドレスは脇の下の部分が編み上げになっている。銘板をはさんで反?側に座る男性像は、ルネッタに描かれた男性像の中で唯一美形に描かれている。この金?の若者は白のシャツと薄?のホ?ズ(男性用の脚にフィットしたズボン)を優雅に身に付け、ジャ?キン(袖なしの短い上着)は着ずに赤の外套をはおる。この男性像は天井に描かれたイニュ?ディ(?年裸?像)の1つによく似ているが、それとは?照的に、けだるく?取った?子のポ?ズで描かれている。
システィ?ナ??堂の壁??天井?修復が行われる以前には、ルネッタとスパンドレルの?面はもっとも汚れが激しかった。加えて、これらの窓に近い?面はハリネ?ション(明るい面に接した暗い面は見えにくくなる?果)により、日中は見えづらいという問題が常にあった。そのため、ミケランジェロの一般公開されている作品の中でも、これらの?面はもっとも知名度の低いものであった。しかし、修復によってオリジナルの?面がよみがえった結果、これらの?面における人間の本質への探求と人物像の革新的な描法が再び注目されるようになった。
イニュ?ディ
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イニュ?ディ(??形は「イニュ?ド」)は、中央の天井?(創世記の場面)9面のうち、5つの小?面の四隅を支える者としてミケランジェロが描いた、20名の筋肉質の男性裸?像である。これらの像は、ピンク色のリボン、?色のクッション、大きな?の?の花冠など、さまざまな物を持ち、あるいは身につけ、もたれかかっている。?の?はミケランジェロのパトロンであるユリウス2世の家系(デッラ?ロ?ヴェレ家)のシンボルであり、ラファエロ作のユリウス2世像の椅子の柱頭飾りにも用いられている。
イニュ?ディはすべて座るポ?ズであるが、前述のキリストの先祖たちの像とは異なり、のびのびとした姿勢で描かれている。各スパンドレルの上部に?色で表された一?の男性像および女性像が左右??の同一ポ?ズを取るのに?し、イニュ?ディたちのポ?ズは1?1?すべて異なっている。最初の頃に描かれた(入口に近い側の)イニュ?ディは2?ずつがペアになり、バリエ?ションをつけつつも似たようなポ?ズをしている。バリエ?ションは後の方で描かれたものほど大きくなり、最後に描かれた4?(「光と闇の分離」の周?に描かれる)では、各像のポ?ズには他の像との?連性が全くない。これらイニュ?ディにおいては、ミケランジェロの解剖?と短縮法に?する習熟と、驚くべき創造力が天井?の他の像にもまして?揮されている。
これらの裸?像が何を表しているかは、いまだによくわかっていないが、「人間は万物の基準である」という古代ギリシアの思想を受け入れた人文主義的?想に合致したものであることは確かである。これらの像の存在と、その裸?であることは多くの批評家の怒りを招いた。中でも?皇
ハドリアヌス6世
は、天井?を「裸?のごった煮だ」と評し、天井からはがしたいと考えていた。
しかし、ミケランジェロは聖書に精通していた。彼は、
熾天使
(セラフィム)や
智天使
(ケルビム)は翼のある者として聖書に言及されているが、
天使
(エンジェル)はそうではなく、人間に似た者とされているという事?に?付いていたかもしれない。ミケランジェロが後に祭壇壁の『最後の審判』を描いた時、多くの(翼のない)天使を描いている。特にルネッタの、キリストの受難の象?である十字架を運ぶ天使たちの場面がそうであり、死者を呼び起こすためにラッパを吹いたり、救われる者と呪われた者たちの名前が書かれた書物を示したり、罪ある者たちを地獄へ墜とそうとしている天使たちもいる。『最後の審判』には40?以上の天使が含まれるが、これらは皆、天井?のイニュ?ディとよく似ている。
イニュ?ディについては「人間の完全性」よりは「天使」を表現したものと結論づけることが妥?である。それは、天井?の表す最大のメッセ?ジは、人類の苦難と?落ということだからである。つまり、神と人との約束の必要性を述べているのである。モ?セを通じてのイスラエルの子らに?する古い約束(?約)と、救世主イエスを通じての新しい約束(新約)については、すでに??堂の側壁に描かれている。イニュ?ディが?際に天使だとするならば、彼らは神のもとに常に仕える侍者であり使者であって、人類の運命を冷?に見守り待ち受ける者たちなのである。
?式の分析と後世への芸術的遺産
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ミケランジェロは、15世紀のフィレンツェで活動した偉大な?家や彫刻家たちの後?者であった。彼がはじめに修業したのは、卓越したフレスコ?家であった
ドメニコ?ギルランダイオ
の下であった。ギルランダイオは、サンタ?トリニ?タ??サセッティ??堂及び
サンタ?マリア?ノヴェッラ??
トルナブオ?ニ??堂の一連のフレスコ?で知られ、システィ?ナ??堂側壁のフレスコ?制作にも?加している。さらにミケランジェロは初期ルネサンス期のフィレンツェが生んだ2人の高名なフレスコ?家?
ジョット
と
マザッチョ
の作品を?究し、それにならって作?している。マザッチョが描いたエデンの園から追放されるアダムとエヴァの像(サンタ?マリア?デル?カルミネ聖堂ブランカッチ??堂)は、天井?の裸?像全般、特に裸?像を用いて人間感情を?えようとする場面に多大な影響を?えている。ヘレン?ガ?ドナ?は、ミケランジェロにおいては「人?とは、人の魂、あるいは心理?態や性格の?現にほかならないのだ」と述べている。
ミケランジェロはまた、
ルカ?シニョレッリ
の??から影響を受けたこともほぼ間違いない。ルカ?シニョレッリの作品、特に
オルヴィエ?ト
大聖堂の『罪されし者たち』『肉?の復活』などの?面には?多くの裸?と?創的な群像構成がみられる。ミケランジェロは、
ボロ?ニャ
では、大聖堂の扉の周?に施された
ヤコポ?デッラ?クエルチャ
の浮彫彫刻を見ている。ミケランジェロの『エヴァの創造』の描?において、全?の構成、人物の形態、エヴァと創造主との?係についての比較的?統的な解?は、ヤコポのデザインをよく受け?いでいる。一方で、天井?の他の場面、なかんずく印象的な?像をもつ『アダムの創造』は、前例のない?創性を示している。
システィ?ナ??堂天井?は、他の芸術家たちに多大な影響を?えることとなった。天井?完成前でさえ、その影響は大きかったのである。
ヴァザ?リ
は彼が執筆した
ラファエロ
?の中で次のように?えている。??堂の鍵を持っていた
ブラマンテ
は、ミケランジェロの不在中にラファエロを??堂に招き入れ、天井?を?察させた。ミケランジェロ作の預言者像を見たラファエロは、自分が制作していたサンタゴスティ?ノ??柱?の預言者イザヤ像のところに?った。ヴァザ?リの?えるところによれば、ラファエロはすでにできあがっていたイザヤ像を壁から削り落とし、ミケランジェロ風のより力?い?式で描き直したという。
見せかけの建築形態、筋肉質の人?表現、短縮法、人物のダイナミックな動き、目の?めるような色彩感?、一度見たら忘れられないルネッタの人物表現、プット?の豊富な表現など、この天井?のデザイン要素の中で、後の芸術家たちに模倣されなかったものはほとんどない。ガブリエ?レ?バルツとエバ?ハルト?ケ?ニッヒは、イニュ?ディ(?年裸?像)についてこう述べている。「これらのイニュ?ディほど、永?的な影響を後の世代に及ぼしたイメ?ジはない。これらと似たような人物像は無?の?飾美術 - ??、ストゥッコから彫像に至るまで - に登場している」。
天井?の作風は、ミケランジェロ自身の作品の中では、後年のよりマニエリスム風の?い『最後の審判』につながっていく。『最後の審判』の多人?の群像構成の中では、?をねじり、短縮法で描かれた人物が、裁かれた者たちの絶望や?喜を表現しており、ミケランジェロの創造性が存分に?揮されている。
作品にミケランジェロの直接的な影響がうかがえる芸術家としては、
ポントルモ
、
アンドレア?デル?サルト
、
コレッジョ
、
ティントレット
、
アンニ?バレ?カラッチ
、
パオロ?ヴェロネ?ゼ
、
エル?グレコ
らがいる。
2007年1月、
バチカン美術館
の1日の入場者は約1万人であり、人?にもっとも人?があるのはシスティ?ナ??堂の天井?であると?表された。バチカン?局は、新たに修復されたフレスコ?が傷むことを恐れ、入場時間の短縮、入場料の値上げ等により訪問者を減らす計?のあることを明らかにした。
すでにその500年前、ヴァザ?リはこう書いていた。「(足場がはずされて)天井?が公にされると、世界中から人?が殺到した。天井?は一目見るだけで人?を驚嘆させ、言葉を失わせるに十分であった」。
引用集
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- ヴァザ?リ
この作品はまさにわれわれの芸術の道しるべであり、全ての?家にとって計り知れない?みであって、何世紀もの間、暗闇に沈んでいたこの世界に再び光をもたらすものだ。?際、?家たちはこれ以上、新たな工夫、斬新な考え方、新鮮な表現方法、?わった構?、崇高な題材などを求める必要がもはやない。なぜなら、この作品は今述べたような要素について、人間が達成可能な頂点をすべて含んでいるからだ。
- ヴァルデマ??ヤヌシャック
美術評論家でテレビ?プロデュ?サ?のヴァルデマ??ヤヌシャックは、近年の天井?洗?に際してこう述べている。「私は、バチカンの?係者で、日本のテレビ局の取材??をしていた男に?み?んで、修復中の足場に上らせてもらった。2、3回上らせてもらい、テレビ用の容赦なく照らす明るいライトのもとで、本物のミケランジェロに出?うことができた。本?に間近で見たので、ミケランジェロの筆から?け落ちた毛が?具にからまっているのも見たし、余白に彼が?した薄汚れた指紋も見た。私がまず感動したのは彼の描くスピ?ドだ。ミケランジェロの仕事はまるで
シュ?マッハ
?みのペ?スだ。有名なアダムの小さな陰?はひと筆で捉えられている。たったひと筆で人類初の男性の象?が誕生したのだ。また、彼のユ?モアのセンスも?しいものだ。間近で見ると驚くほど子どもじみたものなのだが、天井?のクマエの巫女という恐ろしげな像の脇に控える天使をよく見ると、2本の指の間から親指を突き出す、意味不明のみだらなジェスチャ?をしている。今でもイタリアのサッカ?の試合で、相手チ?ムのファンにお見舞いするあのジェスチャ?だ。」
- ガブリエ?レ?バルツとエバ?ハルト?ケ?ニッヒ
あらゆる??知が、すでに失われた古典古代の過去の?光に基づいたものだった世界に、彼は新たな始まりを築いた。ミケランジェロはラファエロやレオナルドさえもしのぐ水準の芸術的天才を?現し、人類とその可能性の根底から?革されたイメ?ジを表した。
- ?皇ヨハネ?パウロ2世
ミケランジェロは、彼なりに、想像力をかきたてる『創世記』の言葉に?おうとしたように思われる。『創世記』は、人類、男と女の創造についてこう述べている。「男とその妻はどちらも裸?であったが、それを恥とは感じなかった」。
システィ?ナ??堂はまさしく、こう言ってよければ、人?の神?の聖地である。神により男と女として創造された人類の美を?しつつ、この??堂は、ある意味で、?容した世界、復活したキリストにより齎される世界への希望を表現する??。
- ミケランジェロ
?望する明敏な目に映る
この地上に見ゆるいかなる美も
聖なる源の似姿なり
われらは皆そこから?たり
かくしてのみ、われらは天?を垣間見ることを得る
修復
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システィ?ナ??堂のフレスコ?は1980年6月から1999年12月にかけて修復された。これに先立ち、1979年には修復に使用する溶?等の事前試?が行われている。
修復はミケランジェロの描いたルネッタの部分から開始され、これは1984年10月に終了した。?いて天井?の修復は1989年12月に終わり、その次には祭壇壁の『最後の審判』の修復が開始された。修復されたフレスコの除幕式は1994年4月8日、ヨハネ?パウロ2世によって行われた。修復はジャンルイ?ジ?コラルッチ、マウリツィオ?ロッシ、ピエルジョルジョ?ボネッティ、ブル?ノ?バラッティらの修復師のチ?ムによって?施された。修復の最終段階は、??堂側壁のボッティチェッリ、ギルランダイオ、ペルジ?ノらのフレスコで、これらは1999年12月11日に除幕された。
修復によって煤や汚れが除去され、オリジナルのフレスコの明るいパステル調の色彩がよみがえったが、この修復には?否?論があった。批判的な人?の中には、汚れの除去によってミケランジェロのオリジナルの筆跡の多くが消えてしまったと考える人、汚れも?史の一部で、芸術への冒?と信じる人、極端なものになると「ペンキをぶっかけて芸術を破?した」と(事?無根の)中傷をする人もいた。これに?し、美術館側は「このままではまもなくフレスコ?の全てが失われる。この先、半永久的に壁?を?すために、今?行しなければならない」と批判を一蹴した
[3]
。
(脚注は未?)
脚注
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彫刻
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??
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素描
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建築
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?連項目
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カテゴリ
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