衛星??
サロマ湖
(サロマこ)は、
北海道
、
オホ?ツク海
岸の
北見市
、
常呂郡
佐呂間町
、
紋別郡
湧別町
にまたがる
日本
最大の
汽水湖
。
?要
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]
表記については、
佐呂間湖
、
猿澗湖
などもあるが、現在ではカタカナ表記が一般的である。
面積
は約152
km
2
で、北海道?で最も大きな湖であり、
琵琶湖
、
霞ヶ浦
に次いで
日本
で3番目に大きく(
日本の湖沼の面積順の一?
?照)、
汽水湖
では日本最大である。
湖名の由?は、
アイヌ語
の「サ??オマ?ペッ」(
ヨシ
が生える川)より。これは本?、流入河川の一つの
佐呂間別川
を指した地名であり、現在のサロマ湖の方はただト?(湖)と呼ばれた。
サロマ湖の湖岸には幌岩山(標高376m)があり、その山頂に1989年にサロマ湖展望台がオ?プンし、展望台までサロマ湖展望台道路(幌岩山林道)と幌岩山登山遊?道が整備されている
[3]
。サロマ湖展望台は老朽化による大規模改修工事のため、2022年7月25日から2023年4月末まで閉鎖される(展望台道路と登山遊?道も工事中は通行止めとなる)
[3]
。
地理
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]
北海道
北東部に位置し、
網走?定公園
に含まれる
[2]
。
湖は東西に長くなっている。湖岸線を見ると1つの大きな湖盆に見えるが、湖底地形を見ると南岸東寄りから突き出たキムアネップ岬付近に?い部分があり、これにより東西二つの湖盆に分けることができる。西の大きな湖盆には芭露川、計呂地川などが流れ?み、新湖口から流れ出る。東の小さい方の湖盆に流れ?む佐呂間別川は流入河川の中ではもっとも大きな川であり、河口にできた
三角州
上には佐呂間町浜佐呂間の市街が?がる。
長さ26
km
にも及ぶ
砂州
[4]
[2]
(
砂嘴
ともされる
[5]
)によって、オホ?ツク海と仕切られた
潟湖
である。砂州上や周?には貴重な植物の?庫である
原生花園
があり、特に湖の東側に位置する
ワッカ原生花園
は
北海道遺産
となっている
[2]
。この砂州は
大町桂月
によって「龍宮街道」と名付けられている
[2]
。湖岸各地に景勝地があり、特に南東側の北見市常呂町?浦は、湖に落ちる夕日の美しいことで知られる。
砂州には第1湖口、第2湖口の2つの湖口(いずれも人工的に開削したもの)がありオホ?ツク海とつながっている
[6]
。2つの湖口は沿岸の漁港から外洋への航路となるため漁港として防波堤等が整備され
[6]
[7]
、流氷の流入による漁業被害を防ぐための「アイスブ?ム」が設置されている
[8]
。
- 流入河川 : 佐呂間別川、芭露川、テイネ川、志撫子川、計呂地川、床丹川、オンネトカロチ川、トップウシベツ川、浪速川、岩見川、アネップナイ川、幌岩五線?の川、ライトコロ川
- 流出河川 : なし。(海へ直接流出)
?史
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]
サロマ湖は、
オホ?ツク海
の?入部が堆砂によって海と切り離された
潟湖
である。それより前の
?文時代
には海と隔てる砂州がなく、サロマ?として海水を湛えていた。湖が生まれたのは今から約千年前と言われる
[9]
。
豊富な海産物を求めて古くから集落ができており、特に常呂町?浦では
??文時代
から
オホ?ツク文化
、
アイヌ文化
と?く建物跡やそれに伴う遺物が?い範?から多量に?掘され、考古?的に貴重。
東京大?
文?部の施設がある。
?政
10年(
1798年
)頃には、周?に和人の番屋が置かれて漁業が?まれていたことが記?されている。
かつてはオホ?ツク海への湖口が砂州東端の?沸(とうふつ。地名はアイヌ語で「湖の口」を意味するト??プッに由?)にあり、秋から初冬の時化による漂砂で閉塞し、春になり雪解け水の流入で湖の水位が上昇すると、湖側からの?力が?まることで湖口が開くという?況であった。湖水位の上昇は沿岸に
?地
?を多く生じさせ、?水時には
氾濫
被害なども生じることや、湖口閉塞が漁船の外海との往?に支障することから、明治33年頃から、?年
融雪
期になると水位上昇前に?沸地域の住民達は人?的に湖口を開削する「汐切り」と呼ばれる作業を行っていた
[10]
[11]
。
?沸の湖口は湖の東端に偏っており、西岸?南岸の湖岸住民たちは外海との往?に?沸への大回りをするか、さもなければ小舟を人力で引き揚げて、湖と外海の間の砂州を?り越える作業を余儀なくされたが人力で?り越えさせる作業には船底の損傷も生じる等苦心が伴った
[11]
。湖水位上昇の被害とも相まって西岸?南岸の住民には西寄り湖口開削の希望が?かった。明治28年測量によるサロマ湖周?のもっとも古い地?には、?沸湖口より西側に新湖口掘削の案らしきものも記入されているが、?時は?現していない。
1925年
(大正14年)及び翌年の
1926年
(大正15年)には西岸住民らの西寄り開削が繰り返されたものの、試掘の度に自然閉塞が生じ、試みは頓挫していた
[11]
。しかし、
1929年
春、湧別町の住民達が西寄りにある三里番屋付近に新たな湖口を試削、4月16日に上幅4間(約7.2 m)の水路開削工事が終了したところ、荒天による湖水大量流出などが影響し、4月16日夜から開削部が短期間で自然?大、長さ350 m、幅100 mを超える永久湖口へと?じた(同年6月4日の?測では、この開削部はすでに幅120 m、深さ7.6 mの巨大な湖口となり、更に
1932年
6月の?測では湖口幅は最小でも460 mにまで?がっていたという。
1971年
時点での最小幅は250 mに縮まった一方、水深は23.9 mへと深まった)
[12]
。以降?沸湖口が開かれることはなくなり、湖面はほぼ常時海水面同等の水位となった。
1973年
より
常呂町
(現?北見市)側に湖の水質改善?漁船の出入りを目的とした長さおよそ300 mの第二湖口の開削工事が行われ、
1979年
に開通した
[13]
。しかし、第二湖口は航路が幅50 mと比較的?いため、堆砂による航路閉塞がたびたび起きており、また湖口に架橋された橋が低いために漁船のマスト?着などが必要であったことから、
2008年
以降は航路幅75 mへの?幅と橋の架け替えが進められており、
2015年
8月に??の橋より桁下高を倍?の14 mとした新橋梁が開通している
[14]
。
利用
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]
漁業法
上は
海面
に指定されている。
ホタテガイ
、
カキ
の養殖が盛んであり、そのほかサケなどの魚類や
ホッカイシマエビ
などを産出する。
1929年の永久湖口の開削以降、サロマ湖への海水の流入は?え、湖水の?分は海水に近いものとなり、海水魚も多く入り?むようになった。水質?水?の急激な?化は生態系を?え、かつて?沸地域などで豊富に採取できた天然カキは短期間で?滅した。
1930年代
以降、?策としてカキ養殖の?究が?られたが、その過程でカキよりもむしろホタテガイの養殖適地としての可能性が見出された。長年の試行錯誤を?て、1960年代以降はホタテ養殖の試みが軌道に?り、サロマ湖で最多の水産資源となっている。
生物相
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]
鶴沼のアッケシソウ群落
キムアネップ岬
付近には
アッケシソウ
の群落があり、秋には群落ごと赤く染まる(このためアッケシソウはサンゴ草とも呼ばれる)。
交通
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]
湖の南岸地域には
網走市
?
紋別市
に通じる
?道238?
が通っている。238?沿いの佐呂間町字浪速には物産館や宿泊?修施設を備えた
道の?サロマ湖
、湧別町にはレストランや遊園地を備えた
道の?愛ランド湧別
がある。
かつては湖に沿って??
湧網線
が走っていたが、
??再建法
による
特定地方交通線
に指定され、1987年に?止された。バスは東岸(北見市常呂町)では
網走バス
が
石北本線
網走?
と?北見市?バスが常呂町中心部とを結ぶ路線を、南岸(佐呂間町)では
佐呂間町ふれあいバス
が町?路線を、西岸(湧別町)では
湧別町?バス
が町?路線を運行している。湧網線?止から2010年までは、湧網線?止代替として網走 - 佐呂間 - 湧別町中湧別を通し運?するバスも設定されていた(
湧網線#?止後の?況
を?照)。
サロマ湖を舞台とする作品
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]
その他
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]
- ?育出版
による小?校5年生向け?語?科書には、「サロマ湖の?化」(
湊正雄
)が昭和49年から平成7年まで?載されていた
[15]
。
脚注
[
編集
]
- ^
a
b
“
湖沼調査 調査?施湖沼一?
”. ?土地理院.
2021年6月19日
??。
- ^
a
b
c
d
e
“
網走?定公園
”. 北海道.
2021年6月19日
??。
- ^
a
b
サロマ湖展望台改修へ 佐呂間町 老朽化で7月25日閉鎖、?年5月再開
北海道新聞(2022年7月4日??)
- ^
日本の典型地形#砂州 | ?土地理院ウェブサイト
平成30年5月12日??
- ^
サロマ湖 | 閉鎖性海域ネット | 環境省ウェブサイト
平成30年5月12日??
- ^
a
b
山上佳範, 坂本洋一, 河合淳, 藤井良昭, 橋本孝治, 山下俊彦「
サロマ湖第1湖口における地形?化特性と長期予測モデルの構築
」『土木??論文集B2(海岸工?)』第68?第2?、土木??、2012年、I_556-I_560、
doi
:
10.2208/kaigan.68.I_556
、
ISSN
1884-2399
、
NAID
130004550839
。
- ^
“
第4種漁港 サロマ湖漁港
”. ?土交通省北海道開?局網走開?建設部.
2021年6月19日
??。
- ^
“
サロマ湖流氷流入?策施設(アイスブ?ム)<第1湖口地?>
”. ?土交通省北海道開?局網走開?建設部.
2021年6月19日
??。
- ^
宇田川洋「湖畔のアイヌ遺跡 サロマ湖」123-124頁。
- ^
“
ホタテ養殖のはじまり
”. 佐呂間町.
2021年12月29日
??。
- ^
a
b
c
さろまむかしむかし
. 佐呂間町?土史?究?. p. 16
.
http://www.town.saroma.hokkaido.jp/shoukai/files/06taisyou002.pdf
2021年12月29日
??。
- ^
尾崎晃「
サロマ湖の湖口水路形成に?する考察(開?科???所設立記念?)
」『北海道大?工?部?究報告』第68?、北海道大?、1973年9月、156-171,?1枚、
ISSN
0385602X
、
NAID
120001757979
。
- ^
梶原昌弘, 藤芳義裕, 川北倫正, 三宅秀男, 宮本義憲「
秋季サロマ湖の湖底環境
」『北海道大?水産?部?究彙報』第39?第1?、北海道大學水産學部、1988年2月、34-44頁、
ISSN
00183458
、
NAID
120000965655
。
- ^
『
サロマ湖漁港(第2湖口地?)における橋梁整備について-施工上の課題-
』(レポ?ト)〈第56回(平成26年度)北海道開?技術?究?表?〉2015年2月
。
https://thesis.ceri.go.jp/db/documents/public_detail/59958
。
- ^
?育出版 過去の?科書
にて、昭和49年度版から平成4年度版までの?材使用が確認できる。
?考文?
[
編集
]
- 宇田川洋「湖畔のアイヌ遺跡 サロマ湖」、『日本の湖沼と?谷』第1?(北海道I)、ぎょうせい、1987年。
?連項目
[
編集
]
ウィキメディア?コモンズには、
サロマ湖
に?連するカテゴリがあります。
外部リンク
[
編集
]