出典: フリ?百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
座標
:
北緯10度03分18秒
東?105度47分39秒
/
北緯10.05500度 東?105.79417度
/
10.05500; 105.79417
カント?橋
(-ばし、
ベトナム語
:
C?u C?n Th?
/
?芹?
)とは、ベトナム南部の
ヴィンロン省
と
カント?市
とを結ぶ、
メコン川
最大の支流ハウ川(
H?u Giang
/ 後江
または
Song H?u
/ 瀧後
)にかかる橋である。全長は2750メ?トル(主橋部分)あり
東南アジア
の
斜張橋
では最長の橋である。
橋の銘板
建設の?過
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]
ベトナム
の
ファン?ヴァン?カイ
首相(?時)が
2004年
(
平成
16年)
9月25日
に建設を計?し、2008年の終わりまでに完成させる予定だったが、崩落事故が?生しその影響で完成は?れた(
後述
)。
2010年
(
平成
22年)
4月24日
にカント?橋は完成し、ベトナム政府による記念式典が行われ、
グエン?タン?ズン
首相、
坂場三男
駐ベトナム日本?
特命全?大使
も招かれ、盛大に祝われた
[1]
[2]
[3]
。この橋の完成により、ハノイ?
メコンデルタ
?の
ベトナム?道1A?線
の南北?貫プロジェクトは完成した。
この計?には4兆8320億
ドン
(3億4200万
米ドル
?日本円で294億7,300万円)の費用が掛かり、
日本
の
ODA
(特別円借款事業)で賄われた。この計?の請負業者は
大成建設
、
鹿島建設
、
新日本製鐵
(現:
新日鐵住金
)からなる
JV
である。
橋が出?る以前は、ベトナムの?道1?の線につながるメコン川の?岸の船着き場を、フェリ?ボ?トが大量の車?のピストン輸送を行っていたが、橋の完成によって、
フェリ?
によるピストン輸送は幕を閉じた
[4]
[5]
。
建設中の崩落事故
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]
崩?したカント?橋
カント?橋の工事中であった
2007年
(
平成
19年)
9月26日
、地上30mの位置にあった橋げたが崩?する事故が?生。?時、250人の??者が作業をしており、翌27日には52人が死亡し、140人が怪我をしたと報告された。なお、
2008年
(平成20年)8月11日時点では、死者は55人、負傷者は79人とされている
[6]
。
10月4日、
大成建設
等のJVをはじめとする請負業者らは?面の補償金として90億ドンを?出することを?表した(10億ドンを死亡者への弔慰金、負傷者への見舞金とし、?り80億ドンを遺?70人に?し18?まで養育費を支給するための
基金
とする)。
このプロジェクトにコンサルタントとして?加していた
日本工?
のエンジニアは、プロジェクト責任者に2007年6月付けで、支保工系統が安全係?を?たさず作業?件が非常に危?であると、警告文を送付していた
[7]
。また、別のエンジニアも
2007年
(平成19年)1月付文書で、?支柱系統の施工にあたり、安全度の確認のための??を求めている
[7]
。
事故の原因を調査するため、ベトナム政府はカント?橋崩落事故調査?家委員?を設置。コンサルタントによる警告については、委員?の第2回?合で取り上げられ、施工を請け負ったJV側はその後、設計の見直しや補?工事を行ったと?明した
[8]
。
2008年(平成20年)
1月8日
、事故調査?家委員?は、
グエン?タン?ズン
首相に崩落事故の調査結果について報告を行なった。この時点では最終結論を出すに至らなかったが、グエン首相は、施工方法の安全が確認できたものについて工事を再開することに同意した
[9]
。
事故調査?家委員?は、2008年(平成20年)
7月2日
に最終的な報告を公表した。この報告では、事故の原因は?設支柱の支柱基礎が不等沈下したことであり、通常の設計においては予測困難であったと結論付けられた
[10]
。なお、事故の責任の所在については、調査報告を踏まえ、ベトナムの?連?局が調査、?討を行うこととされた。
この最終報告を受け、工事は2008年8月に再開された
[6]
[11]
。
脚注
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]
?連項目
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]
日本?
政府開?援助
?連
外部リンク
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]
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カント?橋
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