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:
"カシオペア" バンド
?
ニュ?ス
·
書籍
·
スカラ?
·
CiNii
·
J-STAGE
·
NDL
·
dlib.jp
·
ジャパンサ?チ
·
TWL
(
2020年6月
)
|
カシオペア
(Casiopea) は、
日本
の
フュ?ジョン
?
バンド
。
1977年
に結成。
1979年
にデビュ?。以?、アルバムなどの作品制作やライヴを?年ほぼ絶えることなく?けてきたが、
2006年
にすべての活動を一旦休止。
2012年
に
CASIOPEA 3rd
(カシオペア?サ?ド)の名義で活動を再開し、
2022年
7月からは
CASIOPEA-P4
(カシオペア?ピ?フォ?)に名義を再?度?更した。最新作は
2022年
10月12日??のアルバム『NEW TOPICS』。
?要
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]
メンバ?構成
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]
バンド名をCASIOPEAにした直後の1977年に出場したアマチュア?バンド?コンテスト「EastWest'77」から現在のCASIOPEA P-4に至るまで、ギタ?、ベ?ス、キ?ボ?ド、ドラムの4人編成で活動。途中、??ボ?カリストの?同(
1986年
-
1987年
)やツインドラムでの形態(
2004年
-
2006年
)もあった。現在のメンバ?は以下の通り。
四期に分かれる活動期
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]
結成時から
1989年
までの野呂一生?櫻井哲夫?向谷??神保彰によるメンバ?での活動を第1期、
1990年
に櫻井と神保?退を受けての鳴?喜博加入から2006年の活動休止表明までを第2期
[1]
[
出典無?
]
、
2012年
に活動再開を表明し、同時に向谷の?退を受けて大高?美が加入したCASIOPEA 3rdを第3期、2022年にレギュラ??サポ?トメンバ?であった神保の?退を受けて7月より今井義?が加入した現行の活動形態であるCASIOPEA-P4を第4期としている。
タイムライン
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]
サウンドの特色
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]
リズム面では16ビ?トを基本とし、またハ?モニ?面ではジャズ理論をベ?スとし、テンション?ノ?トや代理コ?ドを多用した複?ながらもスム?ズなコ?ド進行や?調が特?の一つ。また、
調律
の基準ピッチを通常はA=440HzとするところをA=441Hzとしているのも特?で、これは野呂のギタ?の調律を441Hzで行っていたことに起因している。
結成時からリ?ダ?兼ギタリストの野呂が書くオリジナル曲を中心に演奏。そのロックやファンクをベ?スとし、アドリブなどソロプレイでなくアンサンブルを主?にしたインストの音?性は、黎明期の日本のフュ?ジョン?シ?ンにおいて珍しかったが、80年代に入るとポップス性を前面に出したザ?スクエア(現:
T-SQUARE
)と共に主流となり、親しみやすくそれでいてテクニカルなインストの曲には「カシオペアっぽい」という形容詞が普通に使われるようになる。
他のフュ?ジョン系ア?ティストと同?、カシオペアの曲はテレビ番組やラジオ番組のBGMとしても頻繁に使われている。
商業的評?
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]
80年代前半から中盤にかけて商業的にも成功し、歌のないインストバンドながらアルバムリリ?ス?にチャ?トの上位を賑わし、ライブを重ねるごとにファンを?やし?け、日本全?でホ?ル展開のコンサ?ト?ツア?を催していた。
しかし、1980年代後半になると、全米進出のためにボ?カルの導入やアメリカン?ポップス色を?くした音?性はバンドの方向性に迷いを示し、ファン離れが?著となる。さらに櫻井と神保の?退という決定的な事態が追い打ちを掛けて人?が急落した。
鳴?喜博を迎えて以降は方針を修正し、デビュ?以?のロックやファンク?ティストのインストに絞った音?性による??した活動を行い、時間は掛かったものの??からのファンの回?に加えて常に新しい世代のファンを?やすことにも成功。浮き沈みが激しい今日の日本の音?業界の中で、活動休止前年の
2005年
まで?年コンスタントにアルバムを制作してリリ?スし?けていた。
2006年の活動休止後、復活を望む?は絶えず寄せられていて、活動再開の理由のひとつにファンの?援に後押しされたというものがあった
[2]
。再開後のライブはどれも盛況で、東京 JAZZの前夜祭イベント、その後のツア?の東京と大阪公演はチケットを前?り段階でソ?ルドアウトにした。
他ア?ティストへの影響
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]
デビュ?アルバムからバンド譜が?行されたり、演奏者向けの音?誌に取り上げ?けられたこともあり、多くのアマチュアプレイヤ?にコピ?演奏されてきた。現在でも多くのコピ?バンドが存在する。
アマチュア時代にカシオペアの曲をコピ?演奏したり、影響を受けたプロミュ?ジシャンも?多い。
スタ?ダストレビュ?
の
根本要
は後述のコンテスト「EastWest」で一?に出場していたカシオペアを見て、あまりの凄さにそれまで行っていたインストゥルメンタルの演奏をあきらめ、ヴォ?カルバンドに方針?換したことを明かしている。後年、スタ?ダストレビュ?でカシオペアをリスペクトした「Cassiopeia」というインスト曲をアルバム??している。
吉川晃司
は
1985年
にカシオペアと
フジテレビ
の音?番組『
夜のヒットスタジオDELUXE
』で共演した際にギタ?でコピ?演奏していたことを告白。代表曲「ASAYAKE」のコピ?演奏も流れた。フュ?ジョン系ミュ?ジシャンでは、元T-SQUAREの
則竹裕之
、
須藤?
、
本田雅人
、
DIMENSION
の
小野塚晃
、
日野賢二
らもアマチュア時代にコピ?に勤しみ、その後の演奏活動にも多大な影響を受けることになった。ベ?シストであり、作?編曲家でもある
?永?人
は?生時代にカシオペアをコピ?していたばかりでなく、東京音?大?在?中にそこで講義を受け持つ鳴?と野呂の生徒として?んでいた。他に
谷村有美
などもアマチュア時代にコピ?していたことを著書の中で綴ったり、
佐藤竹善
もアマチュア時代にベ?スを?いており、アルバム『
サンダ??ライブ
』の「ミッドナイト?ランデブ?」や「スペ?スロ?ド」をコピ?していたことを櫻井哲夫や神保彰の出演していたCS番組の『MINT CLUB』に出演した際に明かしていた。さらに日本のポップス界で有名なプロデュ?サ?の
?田誠治
[注 3]
や
本間昭光
等もファンであったことを明かしている。
モンド?グロッソ
の
大?伸一
はカシオペアの「ダズリング」をアルバムでカヴァ?していたり、
キ??オブ?ライフ
がカシオペアの「ASAYAKE」をサンプリングした「
ASAYAKEの中で
」という曲をシングルデビュ?曲としてリリ?スしている。
海外のミュ?ジシャンについてはヨ?ロッパツア?等をしていた時期を通じ、
デュラン?デュラン
や
カジャグ?グ?
等のイギリスのミュ?ジシャンがカシオペアを聞いているとの?容が?時のインタビュ?で語られていた。
カジャグ?グ?
はカシオペアの1983年のロンドンレコ?ディング(アルバム『
JIVE JIVE
』)にも立ち?っている。
シャカタク
もカシオペアのファンであることを公言していたり、後の
アシッドジャズ
系のギタリスト、
ロニ??ジョ?ダン
が影響を受けたことを明かしている。近年では
ダ?ティ?ル?プス
がカシオペアのファンであることを明かしていたり、テレビ番組の出演の際にカヴァ?してみたいア?ティストとして名前を?げたり、自身のライブにカシオペア3rdを招待しようとしていた。
?史
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]
第1期(結成から1989年まで)
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]
野呂一生と櫻井哲夫の出?いによる結成
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]
1974年
、?時高校三年生だった
野呂一生
と高校二年生だった
櫻井哲夫
は別?の高校に通っていたが、ともに?していた都?のロック演奏のコミュニティで出?って意?投合し、
ベック?ボガ?ト & アピス
を目標として都?の練習スタジオでセッションしだすようになる。翌
1975年
、野呂は
明星大?
に進?し、その大?の?音?同好?のメンバ?で構成されたロックバンドのファンシ?ハウスや
中山ラビ
のバックバンドに?加してセミプロとして活動開始するも、それらはいずれも短期で離?して、自作曲を元にした櫻井とのバンド活動にシフトが置かれるようになる。野呂と櫻井以外は常にメンバ?は流動的で、ボ?カルを?える時期などもあったが、次第にハ?ドロックやファンクをベ?スとして、そこにジャズのエッセンスを加えたインスト音?にバンドの方向性は持って行かれた。
バンド名の由?
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]
野呂と櫻井で結成したものの、このふたり以外に固定メンバ?がそろわずに活動していたためバンド名もライブを行う度に適?に付けられていた。しかし、あるミニコミ誌の取材を受けた際、「正式なバンド名がなければ載せられない」という申し出があり、野呂が自宅に?って母親に相談したところ、「
星座
の名前なんていいんじゃない?」とのアドバイスに星座の本を?げて選んだのがカシオペアである。ただ、英字表記はCasiopeaとし、出典元の
カシオペヤ座
(Cassiopeia) の正式な表記とは異なる。
バンド?コンテスト出場と向谷?の加入
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]
バンドの名?をカシオペアと改めた後の
1976年
、野呂と櫻井、先述のロック演奏のコミュニティに?していた小池秀彦(キ?ボ?ド)と鈴木徹(ドラム)を入れた4人編成で
ヤマハ
主催のアマチュア?バンド?コンテスト「
EastWest
'76」に出場し、決勝大?まで進出して野呂がベストギタリスト賞を獲得したことでアマチュア?シ?ンに名前が知られ始める。しかし、決勝大?出場直後に鈴木は掛け持ちしていた
プリズム
のレコ?ドデビュ?が決まったことからそちらに活動シフトを置くために?退し、小池も?時??なバンドを掛け持ちしていて多忙であったことから鈴木の?退を受けてフェイドアウトするように?退していってしまう
[注 4]
。再び野呂と櫻井のふたりだけになったカシオペアは、翌
1977年
に開催される「EastWest'77」に出場するべくメンバ?探しに奔走。野呂は友人のツテを?って、自分と同?年の年?で、?時
合?音?院
(現?ヤマハ音?院)
エレクト?ン
科在籍中だった
向谷?
をキ?ボ?ディストに?誘して引き?んだ。その際、野呂はカシオペアの指向について、向谷が信奉していたミュ?ジシャンのひとりを引き合いに出して「
チック?コリア
みたいな音?
[注 5]
をやっている」と口?いた。一方、ドラマ?の人選はなかなか決まらず、幾人か代わる代わる入れ替えながら出場して行き、決勝大?出場時になってようやく
佐?木隆
で固定される。カシオペアは最優秀グル?プ賞と野呂の二年連?のベストギタリスト賞を受賞した。これが足がかりとなってカシオペアは「EastWest '77」決勝大?出場メンバ?でプロデビュ?を目指すこととなって都?近郊でライブ活動開始。
1990年代
以降はこの
1977年
を公式にカシオペア結成の年としている。
このデビュ?前の時期、「EastWest'77」の審査員だった
鳴?喜博
に見いだされ、野呂と向谷はプロとしての仕事に度?誘われるようになる。また、
大村憲司
、
村上秀一
といったフュ?ジョンに傾倒していたロック系ミュ?ジシャンとも交流を築く。先行してデビュ?していた
プリズム
とは同じロック演奏のコミュニティ出身だったことから、ともに結成以前からメンバ?間の交流もあった一方で、フィ?ルド違いの大?のジャズ?出身だったザ?スクエア(現?
T-SQUARE
)とはデビュ?してから知り合うことになるのでこの?時は面識さえもなかった。また、ともに「EastWest'77」に出場して決勝大?まで進出した
サザンオ?ルスタ?ズ
とはプロ志向どうしであったから合同でライブを行ったり、一?にイベント出演をするなど共演の機?が多かったバンドの一つだった。
デビュ?
[
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]
「EastWest'77」出場後、都?近郊で月間最大18本に渡るライブを精力的に行っていき、?るべきプロデビュ?に向けてバンドを固めていった。?行して??のレコ?ド?社からの引き合いに?じたのだが、カシオペアが持つ音?性
[注 6]
は、“いまの市場には新し過ぎて?れない”との判?が下され、何のレコ?ド?社からも大幅な?更を要望されたことで、レコ?ドデビュ?が難航していく。この?況に苦慮したカシオペアは打開策として、?時の彼らに就いていたマネ?ジャ?の提案により、「自ら出資してセルフプロデュ?スによるスタジオ??のレコ?ド音源を作り、何かのレコ?ド?社にその
原盤?
を買ってもらって商品化してもらう」という自主レ?ベル作品に近いことを考えて?行に移した。製作費に100万円以上掛けたものの、レコ?ディング??者がいなかったことで稚拙な出?となってしまったレコ?ド音源は、カシオペアに興味を示していたはずの各レコ?ド?社の態度を余計に硬化させるだけのものなってしまう。袋小路に入ってしまったカシオペアへ最後に手を差し伸べたのは?時新興だった
アルファレコ?ド
であった。「作っていたレコ?ド音源を買い取るが、それは使わない」「音?性は尊重するが、アルファ?レコ?ドが指定したプロデュ?サ?と?門スタッフの下で新たにレコ?ディングする」、カシオペアはアルファレコ?ドから出された?件を受け入れて、ようやくレコ?ドデビュ?に漕ぎ着けた。
1979年
5月、日本におけるフュ?ジョン?ブ?ムの?っ直中、アルバム『
CASIOPEA
』でレコ?ドデビュ?する。?時のメンバ?は「EastWest'77」に出場したときからの
野呂一生
(ギタ?)、
向谷?
(キ?ボ?ド)、
櫻井哲夫
(ベ?ス)、
佐?木隆
(ドラム)。4人の演奏に加えて
オ?バ??ダビング
ながら、
ブレッカ??ブラザ?ズ
(
ランディ?ブレッカ?
、
マイケル?ブレッカ?
)、
デイヴィッド?サンボ?ン
らがゲスト?加した豪華な作りとなった。そのデビュ?アルバム『CASIOPEA』の?には超絶技巧でアクロバティックな演奏スタイルを示した「
スリル、スピ?ド、ス?パ??テクニック
」という
キャッチコピ?
が?えられた。このキャッチコピ?は以後カシオペアの音?性を表す代名詞となる。1979年のデビュ?時、アマチュア時代からの活動?点であった都?近郊では一定の認知度と人?は?にあったが、全?的に名が知られ始めたのは、同年の
日本航空
のニュ?ヨ?ク?キャンペ?ンのCM曲としてデビュ?アルバム後に?表したシングル「
I LOVE NEW YORK
」が使用されてから。また、その「I LOVE NEW YORK」を??した2枚目のアルバム『
SUPER FLIGHT
』がデビュ??アルバム以上の?り上げもみせるなどして活動は好調の兆しを見せていたのだが、ドラムの佐?木が音?的な方向性の違いにより?退することが決まってしまった
[注 7]
。
神保彰の加入
[
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]
1980年
、ドラムを
神保彰
にメンバ?チェンジ。前年の秋、
慶應義塾大?
在?中の櫻井がゼミ仲間から同大?のジャズのビッグバンド、
慶應義塾大?ライトミュ?ジックソサエティ
のライブに就職活動で出演できないベ?シストの代役を依?され受諾。そこで出?ったのがそのビッグバンドに在籍していた神保であった。櫻井は神保に卓越した才能を見いだし、彼を佐?木の?退が決定事項となっていたカシオペアの次期ドラマ?に推薦し、カシオペアはメンバ?とスタッフ?出で神保を口?き落としてメンバ?に迎えた。?時大?3年生だった神保はカシオペアに誘われるまではプロ??はなく、また??プロになる志向もなかった。しかし、ビッグバンドの活動とは別に、敬愛するアメリカのドラマ?の
スティ?ブ?ガッド
と
ハ?ビ??メイソン
が?加した洋?フュ?ジョンのレコ?ドを片っ端から?いていてコピ?演奏していたり、小編成のコンボスタイルのフュ?ジョンへの憧れや造詣は深く、それらと近似したカシオペアの音?性にやりたいことを見いだしてプロになることを決?した。
?金期
[
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]
神保が加入してすぐにライブ?レコ?ディングされた3枚目のアルバム『
THUNDER LIVE
』は、音?誌『ADLiB』の連載企?「ブラインド?フォ?ルド?テスト」
[注 8]
で賞?され?けたことで話題を呼び、人?が一?に高まっていく。以後、アルバムを出すごとに?り上げを伸ばし?け、ライブの規模と動員もそれにともなって?張していった。
所?レコ?ド?社、
アルファレコ?ド
が海外進出に意欲的で、神保加入後のデビュ?3年目の
1981年
にアメリカ、翌
1982年
にイギリス向けのレコ?ドをそれぞれ製作して海外進出を果たす。レコ?ド??ばかりでなく、以降は
ヨ?ロッパ
、
南米
、
香港
、
東南アジア
などでライブも行うようになる。
メディア展開も音?誌やFM番組出演にとどまらず、
1984年
には音?を??したのと?せてメンバ?全員で出演もした
マクセル
のビデオテ?プのCMがテレビで連日オンエア、それと前後してNHK『
レッツゴ?ヤング
』、フジテレビ『夜のヒットスタジオDX』などのテレビの人?音?番組への出演も果たしていき、音?ファンばかりではない一般への知名度も?く浸透していった。また、1984年のヨ?ロッパツア?のイギリス公演がNHKのニュ?ス番組『
ニュ?スセンタ?9時
』に取材されて、日本での活動と?わらぬ盛況ぶりが?えられた。このようにカシオペアは??外で確固たる人?を築いていった。
1986年
、ヨ?ロッパ?や東南アジア?の海外での成功を勢いにして、アルバム『
SUN SUN
』で再度
[注 9]
の全米進出を試みる。??同?に市場規模が限られているジャズ?フュ?ジョンではなく、市場規模が一番大きい
ポップ?ミュ?ジック
のカテゴリ?に合うように、
プロデュ?サ?
に
デヴィッド?ボウイ
のサポ?トギタリストとして知られる
カルロス?アロマ?
(
英語版
)
を迎えて、ボ?カル曲の導入やその?時の最先端の流行を追った音?性に?化させたものの、結局は適わなかった。これで諦めず、翌
1987年
の次作のスタジオ?アルバム『
PLATINUM
』の音?性も『SUN SUN』のそれをさらに押し進めたもので通した。しかし、1980年代後半に入ってからのこのアメリカ市場を見据えた音?性の?化は、??の活動にも響いて人?が下降していってしまう。
メンバ?分裂
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]
1988年
までのカシオペアは年間2枚のアルバム制作と??外で年間100本前後に渡るライブをこなしていた。常にカシオペアはグル?プとしての活動を優先させたため、メンバ?のソロ活動は制限されることになり、他のバンドとの掛け持ちもなく、他ア?ティストのライブやレコ?ディングへのゲスト?加も少なかった。
1985年
と
1986年
の?初から期間が定められていたソロ活動も各自ソロアルバムを制作するだけに留まった。
1989年
、それまで在籍していたレコ?ド?社との契約が終わって、次のレコ?ド?社への移籍途中であった。そのため、カシオペアはグル?プとしての基幹活動であるアルバム制作と全?ツア?を休止し、メンバ?のソロ活動に充てていた。しかし、その中で櫻井と神保はメンバ?を集めてボ?カル音?のバンド、
シャンバラ
を結成。アルバムを制作したほか、ライブ活動も行い始める。野呂一生と向谷?は「シャンバラの今後の??的な活動は、直に迫るカシオペアの活動再開に支障を?える」として二人にシャンバラの活動停止を要請。これに?し、櫻井と神保はカシオペアの活動と?立できると主張。野呂?向谷と櫻井?神保の?陣?は最後まで平行線を?って物別れになり、櫻井と神保はこの年をもってカシオペアを?退してしまう。翌年、櫻井と神保はシャンバラ以外にフュ?ジョン?シ?ンで活動する
ジンサク
というユニットを結成していく。また、メンバ?分裂問題以外にも所?事務所の移籍問題も抱えるなど、この年はカシオペアにとって苦難が重なった。
第2期(1990年から2006年まで)
[
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]
鳴?喜博の加入
[
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]
櫻井と神保の?退を受けて、
1990年
にセッション?ベ?シストの御大“ナルチョ”こと
鳴?喜博
とジャズ?ドラマ?の
日山正明
を迎える。鳴?はカシオペアがアマチュア時代に?加した「EastWest'77」で審査員をして以?の、日山はカシオペアのデビュ?前後に活動していたフュ?ジョン?バンド、クロス?ウィンドの元メンバ?でそれ以?の付き合いと、音?性や技能とともに??して活動できるように知古の者を選んだ。メンバ?チェンジをしたカシオペアは、すぐさまアルバム『
THE PARTY
』と同タイトルの映像作品を制作し、同時??するとともにライブ活動も再開した。翌1991年、アルバム『
FULL COLORS
』を制作して??。前作同?にインスト曲のみで構成される作品であり、1980年代後半に?貌させていた音?性を軌道修正していた。
1992年
に病?療養を理由に日山が?退し、その後任に?時22?の
熊谷?明
が加入した。熊谷は海外での音?留?から??後、??での活動を見いだすためにアマチュア時代に敬愛していたカシオペアの所?事務所にプロフィ?ルとデモテ?プを送っていたのが採用のきっかけとなった。
神保彰のサポ?ト復?
[
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]
メンバ?が流動的になりながらも活動?況は安定していて、作品は?年定期的に作り?けられた。海外でのライブも各?で引き?き敢行されて
1996年
には日本人のア?ティストとして
韓?
公演を行って話題となる。しかし、この年限りで熊谷が?退、
1997年
からカシオペアは、野呂?向谷?鳴?の3人による名義のユニットとなる。一時は
菅沼孝三
がサポ?トに入るなどしていたが、神保がサポ?トメンバ?として復?する
[注 10]
。1997年中はアルバム『LIGHT AND SHADOWS』のロス?レコ?ディングに?同していなかったり、?加名義も“スペシャル?サポ?ト”だったのが、翌
1998年
からは全てのスケジュ?ルに?同するようになり、?加名義も“スペシャル”が取れたレギュラ?な“サポ?ト”となる。デビュ?20周年を迎えた
1999年
には
日比谷野外音?堂
で?代メンバ?(小池、櫻井、熊谷の3人)を迎えた記念コンサ?トを開催した。
2003年
には同じく日本を代表するフュ?ジョン?バンドである
T-SQUARE
とのジョイント?コンサ?トや、
2004年
からはその神保とT-SQUAREの元メンバ?である
則竹裕之
が結成したツインドラムのユニット、
Synchronized DNA
をサポ?トに入れた5人?制で活動を行っていたりもした。
活動減少
[
編集
]
1990年代前半は第1期のようにグル?プとしての活動を優先させたが、1990年代後半に入ると、向谷が?道趣味?連ビジネスの手始めとなる
トレインシミュレ?タ?
の制作、鳴?が
野?王?
のメンバ?として活動開始、野呂も七年ぶりのソロアルバム『TOP SECRET』の制作や
?木智仁
、
?藤ノブ
らの誘いを受けてのセッション活動に?加しだすようになって各?のソロ活動が活?化する。その分、カシオペアのライブの本?は年?減少していった。
2000年代
に入ると、向谷の?道趣味?連ビジネスは以前よりも?大、鳴?は野?王?に加え、リ?ダ?プロジェクトのURUGOME
[注 11]
も活動開始、野呂がリ?ダ?プロジェクトでのアルバム制作と定期的なライブ活動をするなど、さらにソロ活動の比重が高まっていった。この頃の年間のライブ?は多くて10本程度だった。
2006年
8月1日
、野呂の「カシオペアとしての一切の活動を休止したい」との意向により、レコ?ディングおよびライブなどの活動をすべて休止すると?表した。
活動休止期(2006年から2012年まで)
[
編集
]
活動休止期間中のメンバ?の音?活動はそれぞれリ?ダ?プロジェクトを立ち上げてのソロ活動が中心となっていた。この期間中は一度たりともリユニオンによるライブやレコ?ディングは成されなかったが、メンバ?各?で集まっての音?活動や、?加するライブでカシオペアの曲は演奏されていた。
活動休止したその年から、鳴?は野?王?やURUGOMEに加えて、カシオペアに提供した自作曲を中心に披露するためのユニット、
Narucho-ICE
(ナルチョイス)を結成して定期的にライブ活動開始。ベ?ス、ギタ?、ドラム、ホ?ン×3の6人編成に、初期は向谷がゲスト扱いで?回?加し、向谷の自作曲や野呂が書いた代表曲も演奏された。野呂も2009年と2012年の合計2回?加して「ASAYAKE」や「FIGHT MAN」等の自作曲にして代表曲を演奏したが、野呂と向谷の?人がそろって?加する事はなかった。
向谷は?道事業の音?制作に於いて起用しているミュ?ジシャンらで構成したユニット、
向谷?とメロディ?ズ
を結成した
[注 12]
。キ?ボ?ド、ギタ?、ベ?ス、ドラム、サックス、バイオリンの6人編成で、ライブ活動では、メロディ?ズで制作した曲、過去の向谷のリ?ダ?プロジェクトで制作した曲に加えて、カシオペアでの自作曲も積極的に取り上げていた。カシオペアのメンバ?との共演としては、先述のNarucho-ICEへのゲスト?加、向谷?×
中西圭三
プロジェクトではレコ?ディングに鳴?と神保を起用、さらに神保とは??的な音?制作も行っていた。
2008年
、野呂はカシオペアとそれまでのソロプロジェクトを分け隔てなく考えた、野呂曰く「自分がやりたい事をとことん追求」したアルバム『INNER TIMES』を制作し、レコ?ディングメンバ?を制作中にバンド化させて、ソロ名義ではなくそのバンド名の
ISSEI NORO INSPIRITS
(イッセイノロ?インスピリッツ)名義で?表する。ISSEI NORO INSPIRITSは、ギタ?、キ?ボ?ド×2、ベ?ス、ドラムの5人編成で、神保彰も?加している。この活動休止期間中に4枚のアルバム、1枚の映像作品を制作し、少ない本?ながらも定期的にライブも行っていた。ただし、作品においてもライブにおいてもカシオペアの曲は取り上げられる事はなかった
[注 13]
。なお、野呂と鳴?は共に
東京音?大?
の講師で?週のように顔を合わせていて、授業の一環で一?に生徒の制作活動をサポ?トする事もあった。
サポ?トメンバ?だった神保は、演奏者が自分?りだけによるライブ、ワンマンオ?ケストラにおいて、休止後からカシオペアで自作した曲と「ASAYAKE」などの代表曲を取り上げて演奏していた。また、リ?ダ?グル?プで
2009年
に出演した
東京JAZZ
では自作曲にして代表曲である「MID-MANHATTAN」を、そのオリジナルが??された
1982年
のアルバム『
FOUR BY FOUR
』にも?加したギタリスト、
リ??リトナ?
とセッションした事から話題となった。
第3期(2012年から2022年まで)
[
編集
]
2012年
4月20日
、結成35周年を迎えるに?たって、向谷の?退及び、その後任として
大高?美
(キ?ボ?ド)の加入、6年振りの活動再開がオフィシャルサイトにて?表された。また、活動再開後の名義をCASIOPEA 3rdとした。再開後の最初のライブは同年9月の
東京JAZZ
とその前日に??出演で行われた前夜祭イベント(ト?ク&リハ?サルライブ)。その後、??ツア?に先行して
インドネシア
の
ジャカルタ
での??公演、そして10月に東名阪の????公演ツア?が行われた。ライブは活動休止前の?存の曲の演奏が中心ではあったが、CASIOPEA 3rdとして活動再開表明後に野呂が書き下ろした「ARROW OF TIME」がレパ?トリ?に加わっていた。
CASIOPEA 3rdの活動はメンバ?各?のソロ活動と?せて行われていた。野呂は活動休止中に作ったリ?ダ?プロジェクトであるISSEI NORO INSPIRITSを??し、鳴?も活動再開の?表直前に新たなリ?ダ?プロジェクトであるザ?チョッパ?ズ?レボリュ?ションを結成している。大高は加入以前の?加プロジェクトやリ?ダ?プロジェクトを??し、神保も休止前と同じく全活動に?同するものの引き?きサポ?トメンバ?という立場で?加することになった。それ故、年間の活動はスケジュ?ル的にごく限られた期間の中で行われていくようになる。
2013年
11月に、CASIOPEA 3rd初であり、8年ぶりのオリジナルアルバム『TA?MA?TE?BOX』?表。同月、前年に?いてインドネシアのジャカルタにて??公演を、12月に??でアルバム??記念ライブツア?を行った。
2015年
4月にアルバム『A?SO?BO』、
2016年
7月にアルバム『I?BU?KI』、
2017年
7月にセルフ?セレクション?ベスト?アルバム 『VESTIGE』を?表。同年12月、カシオペア結成40周年と野呂一生のソロプロジェクト
ISSEI NORO INSPIRITS
結成10周年記念として、
EX THEATER ROPPONGI
にて?バンドの共演ライブを開催。2018年7月に新作アルバム『A?KA?RI』を?表。
2019年
3月、神保の還?記念スペシャルライブに出演。このライブでは神保がかつて櫻井哲夫と組んでいた
JIMSAKU
の21年ぶりとなるライブも行われる
[注 14]
。なお、JIMSAKUはこれを機に活動を再開させていくことになる。7月にアルバム『PANSPERMIA』を?表。結果的に、それがCASIOPEA 3rdとして最後のオリジナル曲??のスタジオ?音アルバムとなってしまう。
2020年
、
新型コロナウイルス感染症の世界的流行
は、日本??でも?客を入れてのライブコンサ?ト活動をする者たちにとって多大な支障を?たし、CASIOPEA 3rdもその例外ではなかった。春に予定していた東名阪クラブツア?の東京?大阪公演を10月の開催へと延期するに至った。それと前後して9月にはレギュラ?サポ?トドラマ?の神保ではなく、
川口千里
を入れたライブ「
CASIOPEA 3+1000
」を行う
[注 15]
。
2021年
10月、元メンバ?の向谷、櫻井、神保によるフュ?ジョン?バンド、
かつしかトリオ
が結成されてライブツア?が行われ、カシオペアで各自が作曲したものを中心に、野呂を含めた4人による共作にして代表曲の「
HALLE
」なども演奏された。
2022年
2月、サポ?トメンバ?として活動に?同していた神保が卒業
[注 16]
することを?表し、同年4月から5月に行われた
ビルボ?ドライブ
での??ツア?『A.J.FINAL』が行われ、5月28日のビルボ?ドライブ大阪公演を最後に卒業した
[4]
。
第4期(2022年より)
[
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]
7月に後任の新ドラマ??
今井義?
が正式なメンバ?で加入して、それを機に、2012年より使用してきた第3期の活動名?CASIOPEA 3rdから第4期の活動名?
CASIOPEA-P4
に?更して活動することが公式サイトで告知された
[5]
。今井とカシオペアの公式Twitterから、同月よりこのメンバ?でレコ?ディングを行っていることが?えられている
[6]
。
エピソ?ド
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]
アマチュアコンテスト時代を振り返った
桑田佳祐
は、
サザンオ?ルスタ?ズ
は
?山?院大?
の同好?部員を?援のサクラに連れていったが、カシオペアと
ツイスト
だけはアマチュアにもかかわらず、すでに固定ファンを持っていて、彼らが?援していたと回想した。
デビュ?した年が近い、同じフュ?ジョンユニット?
T-SQUARE
に?して、野呂は「同級生的な感?がある」と度?口にしている。この2つのグル?プは、1994年にテレビ番組『
タモリの音?は世界だ!
』で共演したことがあり、その際に野呂が?した言葉である。また、2003年にT-SQUAREと共演したライブ『CASIOPEA vs THE SQUARE THE LIVE!!』での談話でも、同?の?言をしている。逆にT-SQUAREに80年代後期?90年代に在籍していた
則竹裕之
、
須藤?
、
本田雅人
はアマチュア時代からカシオペアの大ファンで、『CASIOPEA vs THE SQUARE THE LIVE!!』にも出演した則竹と須藤は、ライブでカシオペアの曲を譜面なし(暗譜)で演奏できていたことが語られている
[7]
。
カシオペアラジオ
[
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]
2016年にファンによって始められた「Nonstop Casiopea」というインタ?ネットラジオがある
[8]
[9]
。
ディスコグラフィ
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]
レコ?ド?社
?
レ?ベル
の再編成?統合に伴い、再?盤は
アルファレコ?ド
時代の音源は
ヴィレッジミュ?ジック
よりリリ?ス
[注 17]
。更に2009年にはアルファ時代の作品の版?を
ソニ??ミュ?ジックパブリッシング
が引き?いだことによって
ソニ??ミュ?ジックダイレクト
よりリリ?ス。PIONEER時代の音源は、社名?更された
GENEON ENTERTAINMENT(現:NBCユニバ?サル?エンタ?テイメントジャパン)
よりリリ?スされている。
シングル
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]
アルバム
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映像作品
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LD/VHS
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]
- CASIOPEA LIVE (1985年、LDC(?時))
- CASIOPEA PERFECT LIVE II (1987年、LDC(?時))- いずれも後に音源化され??された作品。詳細はALBUMの項を?照。
- JOIA (1989年、LDC(?時))
- THE PARTY -VISUAL STACK- (1990年、PIONEER LDC(?時))- 同年のアルバムと同時??し別ミックスとした映像作品。
- MOTION PICTURES from FULL COLORS (1991年、PIONEER LDC(?時))
- MADE IN MELBOURNE (1992年、PIONEER LDC(?時))- ライブアルバム "WE WANT MORE" と同時??した映像作品。後年アルバムとしても??された。
- Detail of Flowers (1996年、ポニ?キャニオン)- VHSのみ??
DVD/Blu-ray
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]
- CASIOPEA AGAIN(2000年、SONY MUSIC DIRECT)- DVDのみ??
- 20th(2000年、PIONEER LDC(?時))- 同名ライブアルバムと同時??。DVDのみ??
- VINTAGE 2002(2003年、PIONEER LDC(?時))- DVDのみ??
- CASIOPEA vs THE SQUARE THE LIVE!!(2004年、GENEON ENTERTAINMENT(?時))
- THE MINT SESSION(2004年、GENEON ENTERTAINMENT(?時))- 1997年にCSで放送された番組『THE MINT CLUB』に出演した際の演奏パ?トを中心にソフト化したもの。DVDのみ??
- the way of CASIOPEA(2004年、GENEON ENTERTAINMENT(?時))- DVDのみ??
- 5 STARS LIVE(2005年、GENEON ENTERTAINMENT(?時))
- CASIOPEA 3rd/LIVE LIFTOFF 2012(2012年12月26日、HATS UNLIMITED)
- A?SO?N?DA?A?SO?BO TOUR 2015? (2015年12月9日、HATS UNLIMITED)
- Both Anniversary Gig 『4010』(2018年5月9日、HATS UNLIMITED)- Blu-rayのみ??
- CELEBRATE 40th(2020年4月25日、HATS UNLIMITED)- Blu-rayのみ??
- NEW BEGINNING(2023年3月29日、HATS UNLIMITED)- Blu-rayのみ??
脚注
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]
注?
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]
- ^
本人および所?のカシオペアの公式ペ?ジのプロフィ?ルにおいて生年非公表。
- ^
CASIOPEA with
Synchronized DNA
の共作名義。
- ^
後に
櫻井哲夫
のソロアルバムをプロデュ?スしている。
- ^
?退後の小池は、
杉?理
&レッドストライプスのメンバ?などを?て、ビクタ?音?産業(現?
ビクタ?エンタテインメント
)に就職。所?の
ビ?トたけし
や
岩崎宏美
の??ディレクタ?となる。後年、
ビクタ?小池
の名でビ?トたけし出演番組に度?出るようになる。
- ^
1977年まで活動していたエレクトリック編成の
リタ?ン?トゥ?フォ?エヴァ?
。
- ^
ロックをベ?スとしたオリジナル曲によるインスト。
- ^
2枚目のアルバム『SUPER FLIGHT』制作後に話し合いが持たれて決まるが、すぐに?退したわけではなく、その後に決まっていたライブツア?などのスケジュ?ルには佐?木は?加していた。カシオペアはこの間に次のドラマ?である神保彰と巡り逢った
[3]
。
- ^
?日した海外のフュ?ジョン系の著名ミュ?ジシャンに、日本のフュ?ジョン系ア?ティストの新譜レコ?ドをア?ティスト名やプロフィ?ルなど目?し?態で伏せて?かせて、音だけの判?で評論してもらう。
- ^
一度目は1981年に?時の所?レコ?ド?社の
アルファ?レコ?ド
がアメリカに現地法人のレコ?ド?社のアルファ?アメリカを作ってそこから最初にアルバム『
EYES OF THE MIND
』と?けてアルバム『
MAKE UP CITY
』(日本では先に制作されて??されたが、アメリカでは『EYES OF THE MIND』の後からとなった)を??したこと。二枚ともチャ?トに載るくらいのセ?ルス記?を上げて一?の成功を見せたが、翌
1982年
にアルファ?アメリカが資金難に?り、アメリカ市場から撤退を余儀なくされたことで、??したレコ?ドリリ?スが出?なくなり、カシオペアのアメリカ進出もそのまま自然消滅してしまった。
- ^
1997年
?時、神保は
櫻井哲夫
との?頭ユニットの
ジンサク
がまだ活動中だった。しかし、以前に比べて互いの個人活動が多くなっていた時期で、翌
1998年
2月にジンサクは解散した。
- ^
1980年代後半に鳴?がリ?ダ?となって活動していた「うるさくてゴメンねBAND」のリユニオン。
- ^
2013年
からは一部メンバ?を入れ替えた「向谷?とチャ?ジ&バックス」名義となって同?の活動をしている。
- ^
2009年に櫻井哲夫と互いにデビュ?30周年を記念した?頭ユニット、ペガサスでは互いのカシオペアの自作曲を幾つも演奏していた。
- ^
CASIOPEA 3rd時代唯一の櫻井との共演にもなった。
- ^
翌年と翌?年にも開催。
- ^
活動から離?
- ^
ちなみに
T-SQUARE
の所?レコ?ド?社でもある。また、2002年には「Village
DSD Mastering
Series」として、ヴィレッジからアルファレコ?ド時代のCDがT-SQUAREと共に同社からリマスタ?再?されていた。
- ^
a
b
c
d
e
f
g
h
i
j
k
l
m
n
o
p
q
r
s
t
u
レ?ベルは、初版でリリ?スされたものに?う。
- ^
公式では、ベストアルバムとして位置付けられている。
- ^
CASIOPEA +
Synchronized DNA
名義。
出典
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]
?連項目
[
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外部リンク
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