出典: フリ?百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オ?ストリア
大公
(お?すとりあたいこう、
ドイツ語
:
Erzherzog von Osterreich
ラテン語
:
Archidux Austriae
英語
:
Archduke、Archduchess
)は、
ハプスブルク家
(
ハプスブルク=ロ?トリンゲン家
を含む)により用いられた
オ?ストリア
(
オ?ストリア大公?
)の
領主
としての??。
16世紀
以降は君主以外の一族の成員も用いた。
?要
[
編集
]
?前のオ?ストリア公(
Herzog von Osterreich
)の「
公
」(
Herzog
)を、その長としての意味をもつ「
大公
」(
Erzherzog
)に格上げしたもの。
ルドルフ4世
の僭?に始まるとされ、
カ?ル4世
の
金印勅書
で
選帝侯
位を認められなかったルドルフ4世が特別な地位を求めたためといわれる。後にハプスブルク家の
神聖ロ?マ皇帝
フリ?ドリヒ3世
の時代に、帝?法によって正式の??として定められた。
ハプスブルク家では元?、兄弟で所領を分割あるいは共同統治の形で相?していたため、男子の成員はみな大公の??を用いることになった。後に長子一括相?に改められたが、大公の??はそのまま平等に用いられた。
後に、ハプスブルク=ロ?トリンゲン家の分家である
オ?ストリア=エステ家
では、
オ?ストリア=エステ大公
(
Erzherzog von Osterreich-Este
)の??も用いられた。
?連項目
[
編集
]