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"エフェソの信徒への手紙"
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2013年2月
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『
エフェソの信徒への手紙
』(エフェソのしんとへのてがみ)は、
新約聖書
中の一書。?承では紀元
62年
ごろ、
ロ?マ
で獄中にあった使徒
パウロ
が
小アジア
のエフェソ(
エフェソス
)のキリスト者共同?にあてて書いたものであるという。
この?承が本?なら『
コロサイの信徒への手紙
』(コロサイ書)や『
フィレモンへの手紙
』(フィレモン書)と同じ時期に書かれたことになる。現代では文??の見地から本書簡の著者がパウロであるかどうかは疑問を持たれているが、聖書?者
ウィリアム?バ?クレ?
はたとえパウロの名を借りたものだとしても『エフェソ書』は「使徒書簡の女王」といえるほどのものだと言っている。日本語では『
エペソ人への手紙
』
[1]
、『
エペソ人への書
』
[2]
、『
エフェソ信徒への手紙
』
[3]
、『
エフェソ書
』などと表記されることもある。また脚注などでは、とりわけ章節を伴う出典?照において、しばしば「エペソ」「エフェソ」等と略記される。
執筆の?緯
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『エフェソ書』は特定の問題や?況に??するために書かれたというわけではなく、パウロが自?的にエフェソスの共同?への愛情を示すものとして書かれたとされている。彼は共同?のメンバ?が「キリストの?え」に?って生きることを望んでいるが、『
ロ?マの信徒への手紙
』(以下ロ?マ書)とは異なり、『エフェソ書』ではパウロの救?に?する思想が書かれているわけではない。むしろ、『エフェソ書』では救いと??の?係が語られている。
『エフェソ書』の構成
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- 1:1?2 あいさつ
- 1:3?14 頌?
- 1:15?2:10 福音がもたらす?みについて。
- 2:12?3:21 キリストによって異邦人にもたらされた救いについて
- 4:1?16 信じるものにあたえられる賜物はさまざまであっても共同?は一つであるということ。
- 4:17?6:10 日?の生活におけるすすめ
- 6:11?24 ?的な?みについて、ティキコについて、別れの言葉。
エフェソの??共同?
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『
使徒言行?
』18:19-21にはパウロが3ヶ月ほどエフェソに?在したことが書かれている。パウロがエフェソにつくった共同?はアポロ、アクイラ、プリスキラといった人?が引き?いだ。翌年、パウロが2度目にエフェソを訪ねたとき、彼はエフェソが小アジア西部における重要な共同?であると考え、同地に「三年間」?在したという。パウロはエフェソの共同?について「大きな門が開かれている」(一コリ16:9)というほど重視し、パウロの仲間たちの熱心な?き(使徒20:20および20:31)によってこの共同?は?展した。エフェソから「アジア全域に」(使徒19:26)福音が?わったと聖書は記している。
パウロは最後のエルサレム訪問の途上で
ミレトス
に立ち寄った折にエフェソの共同?の指導者たちを招いている。そこでもうエフェソを訪れることはできないだろうと考えたパウロが指導者たちに最後の??を送った(使徒20:18-35)。
『エフェソ書』の以下の箇所の表現は、『使徒言行?』のミレトスにおける別れの言葉に由?すると思われている。
- 使徒20:19とエフェソ4:2 「取るにたりないもの」という表現はここにしか現れない。
- 使徒20:27とエフェソ1:11 神の意志を示す「御計?」という言葉はこの?行箇所とヘブライ6:17にしか出ない。
- 使徒20:32とエフェソ3:20 人間のうちに?く神の力
- 使徒20:32とエフェソ2:20 土台の上に建てられた建物
- 使徒20:32とエフェソ1:14 「聖なるものとされたものを受け?ぐもの」
著者と送り先
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本書は以下のように始まっている:「神のご意志によってイエス?キリストの使徒となったパウロが、エフェソの聖なる人?、イエス?キリストを信じる人?に手紙を送ります」(エフェソ1:1)
そのためこの手紙の宛先がエフェソの共同?であり、著者がパウロであるとされてきた。しかし、近代以降の聖書批評は、以下のような問題点を明らかにした。
- 現存する最初期の?本には「エフェソの」という言葉は見られず、?に「聖なる人?、イエス?キリストを信じる人?」が宛先になっている。
- 文中にはエフェソの人?に?する言及や、パウロのエフェソでの??が一切語られていない。
- 1:15にある「あなたたちの信仰をきいて」という表現は、著者が?象となった人?についてあまり知らないことを示している。これは『使徒言行?』の記述にあるようにパウロがエフェソの創立者であり、長期にわたって?在したという記述と矛盾する。
このような矛盾を解決する?明もいくつかあげられる。たとえば以下のような?がある。
- 『エフェソ書』はパウロの手によるものではない。他のパウロ書簡についてよく知る著者がパウロの名を借りて書いたものである。ただ、この理論では「エフェソの」という言葉が初期の?本にないことを?明できない。
- 『エフェソ書』は特定の共同?にあてたものでなく、小アジアの複?の共同?で回?するためのもので、その一部を?えてエフェソの共同?向けにしたものに過ぎない。
1964年にイギリスのハリスンは「Paulines annd Pastoral」において、「感受性が?かった?年時代にパウロ本人と親密にしていたため、パウロの心を深層まで知っていた」として、パウロからフィレモンへの要請によって奴隷から解放されて宣?者となり(コロサイ3章9節)、やがてエフェソの司?となった
オネシモ
著者?を公表している
[4]
。
成立時期?場所?目的
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もしパウロが著者であるとするなら、パウロが最初にロ?マで投獄された時期に書かれたということになる。すなわち紀元62年ごろ、パウロがエフェソの指導者たちとミレトスで別れてから4年後のことになる。最初に?れたように『
コロサイの信徒への手紙
』などと異なり、『エフェソ書』は護?的(正しい?えを守ること)な目的で書かれたものではない。『エフェソ書』は(あるいは小アジアの複?の??に送られた可能性もあるが)パウロの?えのまとめ的なものである。主なテ?マはキリストに?うものの共同?をつくることが父なる神の意志に沿うものだということである。
ロ?マ書ではパウロはイエスの義による義化という視点から描いているが、『エフェソ書』ではキリストとの一致という視点が重視されている。
『コロサイの信徒への手紙』との?連
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『エフェソ書』のスタイルやテ?マは『コロサイの信徒への手紙』とよく似ている。『エフェソ書』とコロサイ書の?行箇所は以下のようなものである。
- エフェソ1:7とコロサイ1:14
- エフェソ1:10とコロサイ1:20
- エフェソ3:2とコロサイ1:25
- エフェソ5:19とコロサイ3:16
- エフェソ6:22とコロサイ4:8
- エフェソ1:19-2:5とコロサイ2:12-13
- エフェソ4:2-4とコロサイ3:12-15
- エフェソ4:16とコロサイ2:19
- エフェソ4:32とコロサイ3:13
- エフェソ4:22-24とコロサイ3:9-10
- エフェソ5:6-8とコロサイ3:6-8
- エフェソ5:15-16とコロサイ4:5
- エフェソ6:19-20とコロサイ4:3-4
- エフェソ5:22-6:9とコロサイ3:18-4:1
この?行箇所については以下のような?明がされてきた。まず、もし本書簡がパウロの手によるものなら『コロサイ書』と同時期にかかれたものである。初めにコロサイの共同?の特別な問題を扱った書簡を書き、次にエフェソを初めとするいくつかの共同?宛てにもっと一般化した?容の手紙を書いたのだろうということである。一方もしこの書簡の書き手がパウロでないとすれば、?にパウロ的な手紙を書くために『コロサイ書』を?考にして書いたのだろうということになる。
近年では
コロサイの信徒への手紙
も擬似書簡であるとする?が多く、コロサイ書の著者はパウロの弟子であった
フィレモン
でエフェソ書の著者はパウロの「生んだ子」
オネシモ
であるとすると、かつての主人でありパトロヌスであったフィレモンが書いたコロサイ書を手元にして書かれたと考えるのは自然である
[5]
。
脚注
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?連項目
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初期の書簡
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四大書簡
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獄中書簡
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牧?書簡
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?連項目
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