| このペ?ジ名「
ウガリット
」は
暫定的なもの
です。
代案としては
ウガリト
があります。
議論は
ノ?ト
を?照してください。
(
2019年6月
)
|
ウガリット遺跡、
ラタキア
から?km北のラス?シャムラ Ras Shamra にある古代の港?都市
ウガリットから出土した石灰石製のエジプトの石碑。エジプトの象形文字が書かれている
ウガリット
(
ウガリット語
:
????????
ugrt
[
ugaritu
]、
英
:
Ugarit
)は、
地中海
東岸、現在の
シリア?アラブ共和?
西部の都市ラス?シャムラ(??? ????、Ras Shamra、
ラタキア
の北?km)にあった古代
都市?家
。?時の?際的な港?都市であり、
西アジア
と
地中海世界
との接点として、文化的?政治的に重要な役割を果たしたと考えられている。
紀元前1450年
頃から
紀元前1200年
頃にかけて都市?家としての全盛期を迎えた。この遺跡から見つかった重要な文化には、?自の
表音文字
?
ウガリット文字
と、ユダヤ?の
聖書
へとつながるカナン神話の原型ともいえる
ウガリット神話
集がある。
?史
[
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]
ウガリット一?には、?に
新石器時代
には人間が居住していたとみられる。
紀元前6000年
頃には重要な場所であり、集落全?を壁で?い、守りを固めていた。後に
メソポタミア
と文化的に交流が始まり、
紀元前3千年紀
後半からは西セム人の都市?家として繁?、
紀元前18世紀
には
フルリ人
もこれに加わった。
文字資料にウガリットの名が初出するのは、近くの遺跡
エブラ
から?見された紀元前1800年頃の
粘土板
文書である。ウガリットは
紀元前16世紀
頃より
エジプト
の影響?に入り、政治?軍事?文化的にエジプトの影響が浸透し、エジプト人守備隊が駐屯していたこともある。ウガリットがエジプトと接?した最古の??は、ウガリットからの出土品のうちの
紅玉?
の
ビ?ズ
で、
エジプト第12王朝
の
センウセレト1世
(紀元前1971年 - 紀元前1926年)からのものと判?された。また
センウセレト3世
、
アメンエムハト3世
からの石碑や像も出土している。ただし、これらの遺物がエジプトからもたらされた年代が、これらのファラオたちの治世と同時期なのかどうかについては定かではない。シリア方面からエジプトに
ヒクソス
が侵入した時期(
紀元前17世紀
ごろ)には、ウガリットもこれに?係するとみられる民族の手に落ち、エジプト風の記念碑などは破?された。
紀元前16世紀
から
紀元前13世紀
にかけてのウガリット全盛期、エジプトやキプロスとは緊密な外交?係があった。紀元前1350年頃にウガリットの王族(
紀元前14世紀
中期のウガリットの王アンミスタムル1世、ニクマドゥ2世、およびその妃)がエジプトへ出した書簡がエジプトのアマルナから?見されている(
アマルナ文書
)。アマルナ文書によると、
紀元前14世紀
半ば頃に市街は大火によって破?されたが、再びエジプトの影響下の貿易都市として復興したことがうかがえる。
紀元前13世紀
初頭にはエジプト?
ヒッタイト
間で
シリア
をめぐる勢力?いがあったが、この際にはヒッタイト側に立った。ヒッタイトの
シュッピルリウマ2世
(
紀元前13世紀
後半)と同時代にウガリットには
アンムラピ
(
英語版
)
という王がいたことが分かっているが、その治世がいつからいつまでであるかは定かではない。
この時代の市?外からは多くの墳墓が?見され、その副葬品によってウガリットには
キュプロス
、
クレタ島
、
ミュケナイ
など
エ?ゲ海
周?の出身者が住んでいたことが知られる。出土品には、土器や金?製武器、金?器、象牙製品、アクセサリ?類があったが、その他の目立つものに神像や奉納石板があり、それらは祭司長の家の文書館から出土した粘土板文書中の宗?文?の?容に??している。
ウガリットは
?銅器時代
の末期、
紀元前1200年
ごろ、「
海の民
」の侵入によって破?された。ウガリット遺跡のうち、街の破?の跡が?る層からはヘラディック期(
古代ギリシャ
の?銅器時代)後期IIIBの土器(Late Helladic IIIB)が?見されているが、ヘラディック期後期IIIC(
ミケ?ネ文明
)の土器は?見されていない。ウガリットの破?の年代は、後期ヘラディック期の土器の年代推定にとって重要である。また破?された時期の地層からは
エジプト第19王朝
のファラオ?
メルエンプタハ
(在位紀元前1212年 - 紀元前1202年)の銘のある?が見つかっており、後期ヘラディック期IIICの開始年代はメルエンプタハの治世より後の紀元前1190年と推定されている。
1986年
に?見された楔形文字文書によればウガリットの破?はメルエンプタハの死後であり、ウガリットの破?は紀元前1202年から紀元前1190年の間(おそらく紀元前1195年)とみられている。
エジプト第20王朝
の
ラムセス3世
(紀元前1186年 ? 紀元前1155年)の治世8年目にはすでにウガリットは破?されていた。
地中海からメソポタミアに至る?い範?の文明が、この時期に「海の民」によって破?された。ヒッタイトの首都
ハットゥシャ
の破?がウガリットの破?より前か後かも論?の的となっている。
遺跡
[
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]
ウガリットから?掘された
バアル
神の神像(
ル?ヴル美術館
所?)
ウガリットは長らく忘れられた都市であったが、
1928年
に付近に住む
アラウィ?派
の農民が海?の畑の中から偶然古い墳墓を見つけたことから?掘につながった。最初に見つかった部分はウガリットの
ネクロポリス
であり、?掘が進むにつれ、港町でかつ
チグリス川
?
ユ?フラテス川
流域への?陸交易路の出?点でもあるという重要都市であることがわかり、また
メソポタミア
の
ウル
や
エリドゥ
などとも?ぶ都市文化の故?であることもわかってきた。
ウガリットからは、8つの中庭の周りに90の部屋をもつ王宮が?掘されている。その他、街には個人用の大きな住宅多?や、2つの個人
?書館
(うち1つはラパヌ Rapanu という外交官のもの)もあり、外交文書?近隣諸?との往復書簡?裁判文書????係の記??不動産取引記???育用文書?文?書?宗?文書など、
楔形文字
で書かれた粘土板多?が?見された。街は丘の上に作られ、その頂上には
イル
神の息子
バアル
の神殿と、
ダゴン
の神殿の二つが建っていた。
ウガリットの遺品としては
紀元前14世紀
~
紀元前13世紀
の豊富な出土物が知られ、特に重要視されているのは
粘土板
文書である。楔形文字の粘土板がまとまって出土した場所が遺跡?の?か所にあり、これらは王宮?の?書館、神殿?の?書館のほか、?時の世界では珍しいことだが二つの個人用の?書館であったと考えられている。?見された文書はみな、ウガリットの末期にあたる紀元前1200年頃に遡る。ウガリットで?見された粘土板に使用されている言語は、この地で初めて見つかった
ウガリット語
、メソポタミアの古典に用いられた
シュメ?ル語
、?時のオリエントで外交などに?く用いられた
アッカド語
のほか、
フルリ語
、
ヒッタイト語
、
古代エジプト語
、
楔形文字ルウィ語
、
ミノア語
などであった。使用された文字は
アッカド語楔形文字
(
英語版
)
が最も多いが、古代エジプト語やヒッタイト語の
ヒッタイト語楔形文字
、エ?ゲ海域に由?する
音節文字
なども見られる。
この中で特に注目される事は、楔形文字を簡略化した?自の文字
ウガリット文字
の存在である。これはウガリット語とフルリ語の表記に用いられた。ウガリト文字の文書には、???行政?外交に?わる散文のものと、
ウガリット神話
や祭儀??事詩などの韻文のものがあり、?科書や?書も存在する。ウガリット神話集は
カナン
地方のバアル神崇?の大本となる物語集であった。
ウガリットのアルファベット
[
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]
ウガリット文字
ウガリットから?見された文書は、紀元前1400年頃にウガリット文字が生まれたことを示している。これは楔形文字をもとにしたもので粘土板に葦の?を押し付けて書かれるが、表意文字として使われるシュメ?ル語などの楔形文字とは異なり、母音を表示せず子音のみを表す
表音文字
(
アブジャド
)であり字?も合計30文字しかない。
現在の
アルファベット
の起源となる
フェニキア文字
(
原カナン文字
?
原シナイ文字
、さらにはエジプトの
ヒエログリフ
をもとにしている)が先に生まれたのか、ウガリット文字が先に生まれたのかについては議論がある。もしフェニキア文字が先に誕生していたとすれば、ウガリット文字は
フェニキア語
のアルファベットにならって、同じ
セム語派
のウガリット語を表記するために楔形文字を簡略化して作られたことになる。これらの文字の多くは形態はあまり似ていないが、標準的な文字の?び順(ラテン文字で言えば、A、B、C、D???にあたる)は?い類似性を示しており(’a、b、g、? (x) 、d、???)、二つの文字?系が完全に?立して作られたのではないことを示唆する。フェニキア文字はその後交易を通じギリシャなどに?がり、ギリシャ人の手でいくつかの文字が母音を表すように?えられ、現在の
ギリシア文字
へ、さらにロ?マに?わり
ラテン文字
へと?わっていったが、ウガリット文字の方は現在の文字?系へつながっていない。
ウガリットの文?
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]
ウガリットから?見された粘土板文書には
物語詩
の形式で書かれた
神話
が多く含まれている。これらの詩を記した粘土板の破片のいくつかはひとつの物語詩として同定されている。現在では『
ケレトの??
(
英語版
)
』(Epic of King Keret)、
文化英雄
である
ダネル
(
英語版
)
とその息子
アクハト
について書かれた『アクハトの??』(Epic of Aqhat)、
バアル神
(
ハダド
)と
ヤム
?
モ?ト
?神との??を描いた
ウガリット神話
、その他が知られている。
これらの文書の?見は聖書?究にも大きな意義のあるものである。これらの文書は、イスラエル各氏族のカナンへの入植に先立つ時代のカナン神話に?する詳細な記述を最初に明らかにしたもので、
?約聖書
に見られる
ヘブライ語
文?とは神聖なものに?する想像力や詩の形式などにおいて共通するものがある。ウガリット神話の詩は古代オリエントの
知?文?
と共通する部分が多く、後のヘブライ語の詩に見られるような
?句法
、
韻律
などを含み、文?作品としての?約聖書の新しい評?を導き出した。
またウガリットからは
フルリ語
で
歌
らしきものの書かれた粘土板も出土しており
[1]
、現在のところ人類最古の歌である(
古代の音?
を?照)。
ウガリットの王
[
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]
- ニクマドゥ1世 (Niqmaddu I) 紀元前1850年頃
- ヤクルム1世 (Yaqurum I) 紀元前1825年頃
- イビラヌ1世 (Ibiranu I) 紀元前1600年代に在位
- アンミスタムル1世 (Ammittamru I) 紀元前1349年以前に在位
- ニクマドゥ2世
(
英語版
)
(Niqmaddu II) 紀元前1349年 - 紀元前1315年
- アルハルバ (Arhalba) 紀元前1315年 - 紀元前1313年
- ニクメパ
(
英語版
)
(Niqmepa) 紀元前1313年 - 紀元前1260年
- アンミスタムル2世
(
フランス語版
)
(Ammittamru II) 紀元前1260年 - 紀元前1235年
- イビラヌ2世
(
英語版
)
(Ibiranu II) 紀元前1235年 - 紀元前1220年
- ニクマドゥ3世
(
ドイツ語版
)
(Niqmaddu III) 紀元前1220年 - 紀元前1215年
- アンムラピ
(
英語版
)
(Ammurapi) 紀元前1215年 - 紀元前1185年
- ヤクルム2世 (Yaqurum II) 紀元前1180年代に在位?
脚注
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]
?連項目
[
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]
外部リンク
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ウィキメディア?コモンズには、
ウガリット
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?考文?
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(
2017年5月
)
|
- 古代語?究?、谷川 政美 著 『ウガリト語入門』
キリスト新聞社
2003年
- Bourdreuil, P. 1991. "Une bibliotheque au sud de la ville : Les textes de la 34e campagne (1973)". in
Ras Shamra-Ougarit,
7 (Paris).
- Drews, Robert. 1995.
The End of the Bronze Age: Changes in Warfare and the Catastrophe ca. 1200 BC
(Princeton University Press).
ISBN 0-691-02591-6
- Eleazar M. Meletinskii, E. M., 2000
The Poetics of Myth
- Smith, Mark S., 2001.
Untold Stories ; The Bible and Ugaritic Studies in the Twentieth Century
ISBN 1-56563-575-2
Chapter 1: "Beginnings: 1928–1945"
- Sanford Holst. "Phoenicians: Lebanon's Epic Heritage," Cambridge and Boston Press, Los Angeles, 2005.
- Ugarit Forschungen (Neukirchen-Vluyn). UF-11 (1979) honors Claude Schaeffer, with about 100 articles in 900 pages. pp 95, ff, "Comparative Graphemic Analysis of Old Babylonian and Western Akkadian", ( i.e. Ugarit and Amarna (letters), 3 others, Mari, OB,Royal, OB,non-Royal letters). See above, in text.
- Virolleaud, Charles
, 1929. "Les Inscriptions cuneiformes de Ras Shamra." in
Syria
10, pp 304-310.
- Yon, Marguerite, 2005.
The City of Ugarit at Tell Ras Shamra
ISBN 1-57506-029-9
(Translation of
La cite d'Ugarit sur le Tell de Ras Shamra
1979)